新選組は言わずもがな、男所帯だ。それでいて、掃除嫌いまで揃っているという。だから、汚れるのも臭うのも当然なのだが、ある日私が泊まり仕事から帰ると、屯所が綺麗になっていた。そりゃあもうこの上なく、ものすごく、ありえないほどきれいなのだ。
何があったのかと誰かに尋ねようかとも思ったが、それよりも、だ。
「ふんふふふーん」
覗いた風呂が綺麗だったため、とりあえず私は風呂に入ることにしたわけだ。
一応男所帯なので湯帷子を着るようには土方らに命じられているため、仕方なく持って入る。本当は着て入らなければいけないのだけれど、今日はことさらに汗をかいてしまったので、先によく洗っておきたかったのだ。
それで、体をよく洗って、仕方なく湯帷子を着て、風呂に浸かって。……つい、寝てしまったのだ。
「……はー、どうするかなぁ」
上り口に座り、足だけを湯船に残したまま、私は呟く。脱衣所はなんだか賑やかだ。声の種類から察するに、永倉と原田と藤堂。藤堂はともかく、後の二人が風呂に入るなんて珍しい。
それはいいとして、この後の私がどうすべきか、だ。
案を上げるなら、まず湯船に浸かって、気配を殺して、出て行くまでやり過ごす。ーー絶対に逆上せるから、却下。或は、脱衣所に声をかけて、自分が出るまで待っているように言う。ーーせっかくあの二人が風呂に入ろうとしているのに、邪魔をするなんてとんでもない。どうせなら、きっちり綺麗に汚れを落としてもらいたい。
じゃあ、これしかないか、と私は湯から足を上げて、何の気兼ねもせずに脱衣所の入り口へと向かった。そして、丁度風呂場に入ってきた三人の隣を抜けて、平然と脱衣所に入る。
「おつかれさーん」
「おー、おつか……れ?」
永倉のどこか釈然としない言葉を聞きながら、私はピシャリと脱衣所の入り口を閉めたのだった。
脱衣所で着替えていると、風呂場はもう大騒ぎで。それを聞きながら、私は外へと出る。丁度行き会ったのは、土方だった。
「……戻ってたのか、葉桜」
「ああ、土方さん、ただいま。報告は今しますか?」
土方は私の格好を上から下まで凝視してから、なぜか顔を押さえて溜息をつく。
「中の騒ぎは、お前の仕業か」
「さーて、どうでしょう?」
にやにやと笑う私の腕をつかみ、土方が歩き出す。
「どこ行くんですか、土方さん」
「いいから来い」
連れてこられたのは土方の部屋で、彼は奥から手ぬぐいを取ってくると、私の頭にかぶせて、わしゃわしゃと拭き始めた。
「ガキじゃねぇんだから、頭ぐらいちゃんと乾かせ」
「おぉぉぉ、気持ちいいー……」
誰かに頭を拭いてもらうなんて久しぶりだ、と私は目を細めた。
男と言い張るには長すぎる髪だから、一人で乾かすのも一苦労。だから、普段は自然に乾くのを待つのだが、時々鈴花や山崎が手伝ってくれることもある。だが、基本は風に任せて、自然に、だ。
「また風邪でも引いたらどうする」
それは困るな、と思いながらも瞼が重くなってくる。
「おい、葉桜、聞いてるか」
「んー……」
「しょうのないやつだな」
またガシガシと乱暴に頭を拭かれているが、なぜだかそれが心地よい。手馴れている気がするのは、女慣れということなのか、それともーー。
(土方視点)
葉桜には時々泊まりの仕事を与えることがあるのは周知の事実だ。もちろん、それが仕事ではなく、女性特有の月のモノだと知る者は限られたものだけになる。バレることはほとんどない。ほんの二日か三日、島原に泊まることがある者など、新選組にはざらにいるからだ。ーーそれ自体が問題にならないかというと、そういうわけにもいかないが、禁止なんてしたら、それこそ脱走者が出ないとも限らない。飴は適度に必要なのだ。
そんな風な事情で、島原に寝泊まりする葉桜が帰ったと知ったのは、今日の門の当番のものからだった。普段なら、多少なりと仕事のできなかったことを気にしているのか、そんな素振りを見せずに帰還を告げに来るのだが、それから一刻待っても来ない。
屯所内にはいるのだろうし、居場所もなんとなくわかる。おそらくは、風呂。帰りに絡まれでもしたのだろうか、と考えながらはたと気づいたのはつい昨日の出来事の方だ。山崎、桜庭、藤堂の三人が陣頭指揮を取り、隊士を使って、屯所内の大掃除をし、その上隊士全員に日に一度は風呂にはいるようにと諭していたのは記憶に新しい。
それ自体は良いことである。だが、良くないのはそれを知らない葉桜の方だ。
もともと葉桜は隊士たちが風呂を使わないことを知っていた。だから、他の隊士が風呂に入らないのをいいことに、心ゆくまで長風呂を堪能しているのが常なのだ。時間は常にまちまちで、入りたいなと思ったときに入る。今まではそれで良かった。
もしも、風呂で葉桜と他の隊士に出会ったら、どんなことになるか。念のため、彼女には湯帷子着用を命じてあるが、それを実行しているかどうかまでの確認などしたこともない。もし、もしも、全裸の女と行き遭った隊士はどうするだろうか、と考えて、俺は急いで風呂場へと足を向けた。
葉桜が大人しく襲われるとは思えない。だが、二人がかり、三人がかり、などとなれば話は別だ。いくら葉桜とはいえ、羞恥でーーあると、思いたいーー動きが鈍れば、簡単に手篭めにされる恐れもある。
そんな心配をする俺の耳には風呂場に近づくにしたがって、騒々しい声を捉えていた。遅かったか、と思う間もなく、脱衣所から誰かが出てくる。
「……戻ってたのか、葉桜」
「ああ、土方さん、ただいま。報告は今しますか?」
湯上りに真新しい濃い藍の浴衣を着て、肩に手ぬぐいをかけたままの葉桜がほんのりと火照った頬で俺に笑いかける。これは目に毒だ。いくらなんでも野生の狼とも称される壬生狼の中にあっては、あっという間に食べられて可笑しくない格好だ。それが葉桜と知っていて尚、抑えきれるものでもないだろう。
「中の騒ぎは、お前の仕業か」
「さーて、どうでしょう?」
にやにやと笑う葉桜の腕をつかみ、俺は自室へと歩き出す。その後をついてくる葉桜の髪からはポタポタと雫が垂れているのは、一応急いで出てきた証拠なのだろう。それが浴衣を濡らしてゆくせいで、匂い立つ葉桜の姿に俺でなければあっさりと理性が白旗を揚げる事だろう。
だから部屋に戻って直ぐ俺は、乾いた手ぬぐいで葉桜の頭を拭くことにした。
「ガキじゃねぇんだから、頭ぐらいちゃんと乾かせ」
こっちの気持ちを知ってか知らずか、葉桜は心地良さを素直に口にする。
葉桜の髪は普通の女性とさして変わらぬ長さがある。癖がなく、手入れをせずとも常に艶やかで、心根によく似て、まっすぐなようだ。だが、本人はまったく頓着しない。だから、自分で乾かすことも少ないという。
「また風邪でも引いたらどうする」
こちらが心配しているのに、葉桜からの返答はない。よく見れば船を漕いでいるようだ。
「おい、葉桜、聞いてるか」
「んー……」
「しょうのないやつだな」
態と乱暴に拭いても、起きる様子はなく、仕方なく俺は葉桜を抱き上げ、部屋の奥へと連れて行った。布団は畳んであるので、座布団を枕にさせて、横にする。乾きかけの葉桜の髪はしっとりと濡れて、だがさらりと畳に広がっている。本人は呑気に寝息を立てているのだから、平和なものだ。
風邪を引くな、と羽織りを取り出し、その肩にかけてやったところで、ふと近藤さんの言葉を思い出した。
「葉桜君は、もしかすると死にたがっているのかもしれない」
聞いたときは何かの冗談だと思った。だって、誰が見ても、葉桜は必死に生きている。いつも、誰かのために、必死に生きている。ーーそう、自分ではなく、誰かのために。
何故と聞いたら答えるのだろうかと考えかけたが、直ぐに否定が浮かんだ。きっと笑って、何の冗談だと笑い飛ばされるだろう。
だが、考えてみれば、こいつは誰かを守るのが常な上に、自分のことには呆れるほどに無頓着。風呂にはいるのが好きなのは本当なようだが、髪が自然に乾くのを待つのもよくあることだ。それで風邪を引くかというと、もともとはかなり無茶しても病気はしたことがないと聞く。そして、それは松本先生からも聞いた話だ。少し前にあった、風邪を拗らせ、肺炎になった話はかなり珍しいらしく、聞いた松本先生も驚いていた。
丈夫さ故の無頓着かと思っていたが、もしも近藤さんの勘が当たっているのだとすれば。
「まさか、な」
ありえないだろう、と仮定に蓋をする。だって、あの葉桜だ。どう考えても有り得ない。と、思いたい。
「ない、よな?」
小さく呻く葉桜の頬をそっと指でなでる。と、急にその顔が崩れて、ふにゃあとでも形容しそうな蕩けそうな笑顔になった。
どんな幸せな夢を見てるのか知らないが。
「……ありえないだろう」
呟く俺の言葉の前で、葉桜はまた幸せそうな顔で笑った。
なんとなく風呂話を書いてみたくなったので、書いてみました。
そういえば、おまけの話が風呂関連だったので、番外じゃなくてもいいかなぁと。
……なんか、糖度0ですいません……。
(2012/02/23)