部屋の中で私は土方と睨み合っている。そばには沖田もいるが、彼は傍観を決め込んでいる。
「口を開け」
「嫌だ」
さっきから何度この問答を繰り返しているだろうかと思いつつ、私はうんざりと土方に返す。何故こんなことになっているかというと、土方が処方した薬を私が飲んでいないとバレたからだ。
土方が処方した薬、それは石田散薬といわれる土方自身が薬の行商をしていたときに売っていた薬だ。別にそれが胡散臭いとかが問題なのではない。それがとんでもなく苦くて不味いという評判が問題なのだ。
「葉桜」
「薬なら別のを飲んでるから平気ですっ」
「その薬でしたら、」
余計なことを言い出しそうな沖田に、私は慌てて飛びついた。
「あ、馬鹿沖田っ」
私が沖田の口を手で塞ぐと、沖田は何故か嬉しそうに私を抱き寄せる。
「総司、おまえ何か知ってるな」
「知らないっ! 沖田は何も知らないってばっ」
私が口を塞いでいるから話せない沖田の代わりに、返事をする。だが、土方は眉間の皺の数を増やして私を睨みつけてくる。
「……葉桜」
「沖田も余計なことを言うんじゃないっ」
「別にいいじゃないですか、言っても」
「良くないんだって。だって、あの薬はーー」
ふっと背後に気配を感じた私は、強く身体を強ばらせた。
「あの薬は、の続きは何だ、葉桜」
低い声が耳元で聞こえるのが怖くて、振り返れない。思わず強く沖田の着物を掴んで、私は俯いていた。
「葉桜?」
首筋に土方の吐息を感じて、さらに私が身体を強ばらせると、首に冷たい手がかかった。沖田の身体へと引き寄せる手ーーつまり、沖田の手だ。
「だめですよ、土方さん。葉桜さんをいじめちゃだめです」
うなじを撫でる手に、私は思わず小さな息を漏らす。それは沖田の着物に吸い込まれてすぐに消えた。
「葉桜さんをいじめていいのは僕だけです」
沖田の言葉を反芻してすぐ、私は沖田の身体を強く突き飛ばした。
「はっ!? 何言ってんの、沖田っ!」
「葉桜さんを苛めていいのも、泣かせていいのも僕だけなんですよ」
「誰がいつ沖田の前で泣いたよっ。私は別に誰かの前で泣くなんて、そんな……こと、は……」
背後から誰かの手が伸びてきて、私の首にかかる。
「ほぅ、総司と葉桜はそんな仲だったのか」
「ひ、土方、さん……! 誤解っ、誤解ですっ!」
耳元でささやかないでと言葉にならない声で悲鳴のように訴えるが、私の願いは聞いてもらえないらしい。
「葉桜」
「み、耳は、やめ……っ」
「口を開けろ」
とにかく早く開放されたい私は素直に口を開いた。そこに丸薬が放り込まれるや否や、私はさらに悲鳴にならない悲鳴を上げた。悲鳴にならなかったのは、すぐさま口を大きな手で塞がれたからだ。必死に私の口と鼻を抑えている相手、土方の身体を叩いて合図するが、一向に外してくれない。
ごくん、とやっと飲み込んでからようやく土方は私を開放してくれた。
「……苦……っ、不味……っ」
涙目で膝を落としたまま私が睨みつけると、土方は水筒を差し出してきた。私はそれを奪い取り、すぐさま口に淹れる。勢いがつきすぎて口から何度かこぼれたが、私は構わずに水筒の中身を全部飲み干した。
最後の一滴まで飲み干してから、私は水筒を投げ捨て、土方に詰め寄る。
「なんてこと……っ」
後の言葉を私は続けられなかった。唐突に、がくりと私の四肢の力が抜けてしまったからだ。私の四肢の力が抜けてしまったのは急に眠気が襲ってきたからで、目の前の土方の様子から察するに薬に何か仕込まれていたとしか思えない。
「大人しく眠ってろ、葉桜」
ひどい、と口にできる余裕もなく、あっという間に私の意識は暗転した。
(土方視点)
眠りにおちた葉桜を抱き上げると、見た目よりもひどく軽いのがわかる。それから、眠っているからこそ見せる弱さ。奥の俺の布団まで運び、そこに横たわらせ、葉桜の着物に手をかける。俺の向かいに座った総司は、薬箱から真新しい包帯を取り出す。
「強情だからとはいえ、ちょっと乱暴な方法ですよね」
「こうでもしなきゃ、葉桜はちゃんと怪我の具合を教えねぇからな」
着物脱がせても、胸のあたりには強くサラシが巻かれてある。腹の辺りに巻かれているサラシに血が滲んでないのを確認し、怪我の辺りに手をかける。通常は胸だけに巻いているからまだ本調子ではないはずだが、それで眠っている葉桜の表情が変わらないのを確認し、俺は安堵の息を洩らした。
「良くはなってるみてぇだな」
「一応別な薬は飲んでいるみたいですからね」
腹部をきつく巻いてある包帯を外してゆくと、葉桜の綺麗とは言い難い肌が現れてくる。普通の女ではないが、男でも葉桜以上の古傷を持っているものはいない。腹のあたりの真新しい傷は山南さんとの仕合でついたものだが、葉桜の身体を背中が見えるように返せば、中央辺りに大きな切り傷が見える。既に古くなっているとはいえ、葉桜のその傷は相当深く、相当痛々しい。
総司から包帯を受け取り、俺はそれを丁寧に葉桜の腹部へ巻きつけてゆく。当たり前だが、深く寝入っている葉桜はまったく抵抗しない。
「総司、その別な薬ってのはなんだ?」
総司が葉桜によく懐いているのは知っているが、それにしても仲がいい。山南さんがいなくなって以来、共にいる姿をよく見かける。同じ隊の組長、副長助勤とはいえただの仲間とは思えなくなるぐらいだと聞いている。
「僕もよくは知らないですけど、なんでも小さい頃から定期的に飲んでいるとか言ってました。処方しているのは葉桜さん自身だそうです」
「そんなことまでできるのか、葉桜は」
葉桜が男並みの剣を使うことも、そのさっぱりとした気質も知っているが、それでも葉桜には分からない部分が多すぎる。宇都宮藩の出身ということ、先日の山南さんとの一件で幕府の巫女だという話まではわかっているが、それ以外は相変わらずだ。
「昔知り合いの医者に簡単なものは叩き込まれたと言ってましたよ。それだけ怪我が絶えなかったから、らしいです」
葉桜は相変わらず詳しいことを俺たちに話さない。信用されていないのではないかとも思わないでもないが、誰にでも知られたくない過去があると言われてしまえば追求もできない。
「しかし、解せないんですよね」
「ああ」
「葉桜さん程の人がこれほどの怪我をするなんて、変じゃありませんか?」
葉桜の着物を整えながら総司に言われて、俺はああともう一度頷く。
「そりゃ、こいつがそれだけ努力したって証だろうよ」
「努力? 葉桜さんが?」
総司が不思議そうに言う理由はわかる。総司は昔から器用で努力ってのをしたことがない男だからだ。俺はそんな総司が憎らしくもあるが、可愛い弟だとも思う。
総司の頭に手を乗せ、わしわしと撫でる。
「なにするんですか、やめてくださいよっ」
誰も知らないが、葉桜は努力型の天才だ。早朝の誰もいない道場で稽古していることも、非番の日でも外でいつも剣を振るっていることも俺は知っている。だからこそ、怪我をしている今は外に出さないように、目の届く場所で俺は見張っているんだ。
総司を部屋から追い出したあとで、俺は静かに眠る葉桜を見下ろす。
「恐れを知らずに振るう剣じゃねぇよな、葉桜の剣は」
そっと頭をなでると、葉桜は居心地悪ように眉間に皺を寄せた。