クラスター王国には四つの塔がある。王都を囲うように立てられたそれぞれの塔は長い石の廊下で繋がっていて、それぞれに力のある魔法士が数人ずつ入って、日夜魔法の研究をしているらしい。彼らに与えられた役目は王国全土の守りではあり、それさえしていれば、何をしていようが関与しないという契約だという。
ちなみに、彼らがそれをするために行うのは、各塔に設置された魔石に力を込めるだけであり、それを開発したのはディルファウスト王子が十二の頃だという話だ。
「またやっちまった……」
王城から最も近い西の塔を守るのは、メイという女魔法使いだ。最も得意とするのは召喚魔法で、布地を使って使い魔を使役したりすることを最も得意としている。
俺がドレスから質素な平民服に着替えて、彼女の所へ行くのもよくあることで、こうして愚痴を零すのが常だ。ゆったりとした上衣と足首までの巻きスカート、それに魔法使いの動きづらいマントに身を包んだメイは、項垂れる俺をみて苦笑する。
日々サフラン姫を見慣れているとそうは思わないが、俺はメイは知的美人だと思う。ほっそりとした目鼻立ちに長い睫毛、鼻は少し低いけれど、薄い唇は紅も引かれていないのに、いつも瑞々しい。性格は温厚で、ちょっとドジで、それでいて有能。俺が男なら、迷わず求婚しているかもしれない。
「落ち込むなら、殴らなきゃいーのにね」
「殴らせるディルも悪いんだよ。だって、あんなんされたら、誰だって殴るだろっ?」
「普通はそこは頬を赤らめるだけだと思う」
的確なメイのつっこみに、俺は額を抑えて深く息をつく。
「俺だって、本当はわかってるよ。……嬉しくないわけじゃねーし」
「……ツンデレってやっかいよねー」
「俺はツンデレじゃねぇ」
「自覚がないのが一番やっかいなのよ、リンカ」
こんな風に俺が気軽に、ディルのことを話せるのはメイぐらいだ。だからこそ、ついついこうして足を運んでしまう。メイのそばは、とても懐かしくて居心地がいいんだ。
「メイはそーゆーことねぇの?」
俺が聞き返すと、彼女の顔が音を立てて赤くなり、わたわたと慌て始める。俺もこんなふうに可愛ければ、様になるのかもしれねぇけど。ーー自分のそれを想像したら、なんか寒気がして、俺は袖を擦った。
「リンカは殿下とどうしたいの?」
「へ?」
「もっと素直になりたいってんなら、協力してあげるけど」
妙に怪しい眼差しを向けてくるメイから、俺は少しだけ身体を離す。といっても、最初からそれほど近くも離れてもいないし、狭い部屋で向かい合って椅子に座っているだけだ。背を反らすぐらいしか方法はない。
「協力って、なんだよ」
「実は東のレリエスさんが、面白い魔法薬を開発したのよねー。まあ、カークで試してもいつもと変わらなかったけど。素直になれないリンカなら、効果あるんじゃないー?」
実に怪しげな薬を無造作に投げるメイから、俺はそれを慌ててキャッチする。ドジっ子属性で、コントロールも何もあったもんじゃないんだから、そういう危険物を投げないでほしい。メイは時々妙なところで無頓着すぎるんだ。
「っぶねーから投げんなっ!」
「あははーっ」
俺はそこで、メイの妙に陽気な様子に気がついた。
「……メイ、おまえ、酒……!」
「レリエスさんが美味しいお茶をくれたの。それで、ちょーっと味見したら入ってたみたいー」
「またあいつかーっ!」
魔法研究の変人仲間からもらった妙なお茶に、おそらくは酒が混ぜられていたのだろう。メイは酒に極端に弱く、そういうときは普段の箍を外して魔法を連発したりするから、本気でたちが悪いのに。
「っ、すぐにカーク呼んでくるから、ぜってー魔法は使うんじゃねーぞっ?」
「うふふふふ」
不気味な笑いを零すメイを後に残し、俺は急いで王城へと取って返す。今日はまだシャルダン様も王城で執務中のはずだから、カークもいるだろう。カークはメイの彼氏なのだ。あとがどうなるかはともかく、カークにまかせとけばメイも心配はないはず。
「っわ」
急いで走っていた俺の前が急に誰かに塞がれる。よく嗅ぎ慣れ、見慣れた服は。
「ディル、メイが酒……っ」
「もうカークが着いてると思うよ」
「そ、か……」
俺はディルに抱きとめられたまま、ホッとして全身の力を抜いた。その耳元で、嬉しげにディルが囁く。
「ふふ、今日は自分から僕のもとに帰ってきてくれるなんて嬉しいよ、リンカ」
ぞわっと全身に鳥肌が立ち、俺は自分の顔が熱くなったのがわかった。別に帰るつもりでいたわけじゃないし、俺の前にディルがいきなり現れるのなんて、日常だし。それに、こうしているのだって、不可抗力だし。
「帰ったわけじゃねぇ」
「そうなんだ」
俺が素直になったら、ディルは喜ぶだろうか。さっきのメイの話を思い出しながら、俺はディルの顔を見つめる。
「リンカ……?」
少し首を傾げて俺を見下ろしてくるディルの前で口を開いた俺は、しかしすぐにまた閉じて顔を背けた。
ーー今更、ディルが好きとか、恥ずかしすぎて口にできるか。
考えるだけでもこんな風に体中が羞恥で熱くなるっていうのに、口にするなんてできるわけがない。よく考えたら、それでひどい目にあったことがあったのも思い出した。
「何を考えてるの、リンカ?」
「べ、べべ別にっ」
上ずった声を誤魔化すようにディルの腕を抜け出し、王城へと俺が足を向けると、すぐに後ろからディルに抱きしめられた。
「そんな事言わずに教えてよ」
囁くように耳元で懇願され、俺は逡巡する。たぶん、きっとディルは俺が言ったら喜んでくれる。でも、俺は、俺は言ったら、たぶんまたディルを殴ってしまいそうな自信がある。殴りたくなんてないのに、つい照れ隠しで殴ってしまう自分を止められる自信はない。
だけど、こうして顔を見ないでいれば、少しはそれも抑えられるだろうか。
「リンカ、」
懇願するディルの囁きに負けて、俺は意を決して、口を開く。
「……こっち、見んじゃねぇぞ」
「はい」
落ち着け、俺。こんなこと、いつもディルだって言ってる。アタリマエのことなんだし、何も特別なことなんて、これっぽっちもないし。
「俺、本当は、」
後ろでディルが俺の言葉を待っているのがわかる。俺は目を閉じて、続きの言葉を口にする。
「ディルが、」
こんなに重い言葉を口にするのは、怖い。怖いんだ、俺は。怖くて、泣きたくなるのも堪えて、強く目をつぶる。
「……好き……な、んだ」
言った、言ってやったっ! 今にも走って逃げ出したいのを堪えて、俺は更に強く目をつぶって、拳を握り締める。
ディルからは何も返答がなくて、俺が恐る恐る振り返ると、彼はすごく目を丸くしていた。珍しく呆然とした顔で、俺の頬に触れてきて。
「……熱でもあるんですか、リンカ」
「っ」
一世一代の告白にそりゃねえだろと、俺は握った拳を震わせる。でも、ディルは信じてくれてないみたいだし、それなら俺は何度だって言ってやる。こうなったら自棄だ。
「俺はディルが好きだっ! おまえの婚約者が何人いようが、そいつらがどれだけディルに惚れてようが、関係ねぇっ! 俺がディルを好きな気持ちは、誰にも負けてなんかないんだからなっ!」
確かに、アメリア姫に会って、俺は自分がディルに相応しくないんじゃないかとか、迷いもした。だけど、やっぱり俺はディルを好きで、隣を誰かに譲りたくなくて。
「だから、俺に、ディルを殴らせたりなんて、させんじゃねぇよ……っ。俺は、もっと、もっと……あんたの隣にいたいんだ、馬鹿ーっ」
でも、結局恥ずかしさには耐えられなくて、俺は走ってディルの前から逃げた。あーもーどうなってんだ、今日は。俺は、俺は。
「リンカ」
ふわりと体が浮かび上がり、走っていたはずの俺はいつのまにかディルの腕の中にいて。
「んっ」
口を塞がれていた。
ふわりとしたやわらかで洗いたてのシーツに体を沈ませる俺を、普段みたいな優しさの欠片もない荒々しいキスで蹂躙しているディルに、俺は抗いきれずに全身の力が抜けていく。
場所が廊下からディルの寝室に移動していることも、不本意でもこの部屋に通いなれている俺にはすぐにわかった。ーーそれだけ、よく連れ込まれているわけで。
「んっ? んぅーっ!」
それでも、素肌を滑るディルの手に慌てて、俺はディルの胸を叩いた。いつの間にか、上衣の隙間から手を差し入れられてる。でも、力が抜けている今は全く効果がなく、その手が腹から徐々に上へとあがり。
「っ、」
俺の小さな胸に付けられた下着に触れる。線をなぞるように、ディルの手がなぞっていって。
「っ、落ち着け、ディ……っ!」
やっと口を離されて抗議しようとした俺の口は、再びディルに塞がれる。いつも以上に濃厚なキスで酒でも飲んだ後みたいに目が回りそうだ。そうしている間にも、ディルの手がもう俺の胸に直に触れて、っていつの間に下着外しやがった。
「ディル、やめろって……っ」
少しずつ戻ってきた力で俺がディルを蹴って押し返そうとすると、その足を掴まれる。そして、ディルの口が、俺の、足に。
「ーー目ェ覚ませ、変態っ!」
俺は掴まれていない方の足で、思いっきりディルを蹴り飛ばした。体格差はあっても、ディルは魔法使いで、俺は拳闘士だ。手加減なしでやれば、こんなことは朝飯前。
布団から転がり落ちたディルを、俺は布団の上から荒い息で見下ろす。呆然とした顔で俺を見ていたディルは、しまったという顔をして、顔を俺から背けた。
「……ごめん」
「ごめんじゃねぇ」
「リンカが珍しいことを言うから、つい」
「ついじゃねぇ」
「つい……抑えきれなかったんだ」
深く息を吐くディルは反省をしているようなので、俺はそろりとベッドから降りて、ディルの前にしゃがむ。
ディルが暴走するのはいつものことだし、こんなことは互いに慣れた攻防だけれど、廊下からこの王子の私室まではそれなりに距離もあるし、転移魔法はかなり高度な魔法だ。それなりの準備も必要だし、魔力も普通のものより数十倍使うという。それをとっさに使ってくれて、俺は廊下で襲われなかっただけマシではあるが。
「そんなに、嬉しいか?」
ディルが俺を好きなことはよくわかっているつもりだったけれど、こんな風に襲われるのは想定してなかった。つまり、そこまでディルは喜んでくれたってことで、俺も恥ずかしいのを我慢して言った甲斐はあるし、にやけてくるのをおさえられそうもない。
そんな俺を横目で見てから、ディルは罰が悪そうに眉を寄せて、目線を落としている。
「嬉しいに決まってる。俺が、どれだけリンカを好きか、わかってるだろ」
完全な素に戻ったディルの様子に、俺はやっぱりニヤニヤが収まらなくて。
「ああ、わかってたつもりだけど、ここまでは考えてなかった」
「……一応、外は避けたんだから、許せ」
「やだ」
「……っ」
「もう、ディルに言わねぇ」
顔をあげて俺を見たディルが、すごく泣きそうで。でも、俺はそれが可愛いと思った。
「リンカ、それは……っ」
「暴走しなくなったら、言ってもいい」
ディルは何かを深く考えてから、ものすごく深い息を吐き出した。
「……無理言うな、俺にリンカの寝顔だけ見てろというのか……」
「は?寝顔?」
「……ったく、寝てる時だけ素直なんだから……」
小さな小さな呟きを拾い上げた俺が、ディルを締めあげると、とんでもない事実が出てきた。なんで、こいつ勝手に俺の寝室に入り込んでるんだ。婚前だから俺は大神殿の奥で寝泊まりしてて、あそこは深夜は出入禁止な上、今は大神官様以外は入ることさえできないように、厳重な警備がされているはずなのに。
「ははは、俺にそんなものが関係あるか」
「規則は守れっ!」
「じゃあ、規則を変えよう」
「っ」
「流石に俺に神殿の規則を変えるほどの権限はないけどな」
「っ、ディルっ!」
もう絶対ディルに告白なんてしない、と俺は強く心に誓った。あとは、この変態をどうしたらいいか、シャルダン様と姫に相談するしか無い。
今更だけど、なんで俺、こんな
「……はぁ」
「疲れているなら、そこのベッドで休むといいよ」
「黙れ」
前途多難な恋の相手を俺が見ると、ディルはやっぱり蕩けるような眼差しで笑って、俺が言うに言えない言葉を口にした。
「リンカ、愛してるよ」
「っ、ばーか」
恥ずかしい、けど、でも嬉しい。頬を抑えて背を向けた俺が、再びディルに押し倒されるまで、あと少しーー。
副題は(溺愛10題)より「5#寝顔」。
とうとう、暴走してしまった。
本当はとかキーワードそのものが禁句すぎます。
……最初の構想はもっと別だったんですけどねー……。
メイの部屋で、姫たち乱入で女子会で、本音トーク予定だったんですけどね。
それを男性陣が盗聴している(王子首謀で、シャルとカークは巻き込まれ)予定だったんですけどね!
なーんで、押し倒してるかな(苦笑
(2012/11/14)
気が変わらなければ、公開
(2012/11/17)