山南塾から屯所へと帰る道の途中で、私は少しだけ遠回りして河原へと降り立った。まだまだ禊には向かない寒い時期だからか、水辺の風の冷たさからか、辺りには誰もいない。だからこそ、私はここに立ち寄ったのだ。冷たい川辺から少し離れ、私は寝転ぶ。周囲の木々は桜のようで、春の若芽を覗かせている。
目を閉じて、ただ世界に身を委ねるのは、心地良い。自分が世界と溶け合うようにしていると、時々人間のことなどどうでもよくなってきてしまうから、むしろ良くはないのだろうけれど。この心地よさは何かに似ている。
「葉桜さん」
囁くような声に私が目を開けると、目の前の前髪が触れ合う位置に才谷の顔があった。以前にもこんなことがあったなと思いつつ、私はため息をつく。
「近いよ、才谷」
「こがな場所で寝ちょったら、風邪を引きゆう」
ばさりと上からかけられたのは、どこから取り出したのか、風呂敷包みだ。かすかに残る甘い香りは、おぼえのあるもの。
「牡丹餅?」
私の呟きを拾い上げた才谷は、猫のように目を細めた。
「よおわかっちゅうね」
なかなか私の前からどかない才谷の身体を押しのけて起き上がり、私は両腕を高く挙げて身体の筋を伸ばす。それほど、疲れていたような覚えもないが、ぐるぐると両肩を少し回して、首を左右に曲げると、かすかに骨のなる音がした。
私の隣に座って才谷は、手元に小さめの重箱を一段手にしている。
「え、食べるの?」
「お土産に貰ったがやか。葉桜さんは、らっきぃ、やき」
そう言いながら開けられた重箱の中には、小豆色の牡丹餅が二つだけ鎮座している。そう、二つだけしかない牡丹餅のひとつを才谷は躊躇いなく手で掴んでかぶりつき、そのまま重箱を私に差し出してくる。
「……たまには、石川にでも持って帰ってあげたらいいのに」
私が苦笑すると、才谷は口をモゴモゴさせて何かを言っている。いつも訛りが強い上、南蛮語まで使う才谷の言葉よりも、今のが難解だ。才谷の口端についた餡を中指で掬い取り、私は自分の口元に運ぶ。
「ーー甘い」
甘いモノは好きだけど、牡丹餅はひとつ食べきれないからこれで十分。そう言おうとした私は、才谷を見てビクリと肩を震わせた。
才谷は目を見開いて、私を見て固まっていたのだ。
「葉桜さんは時々めっそことをするがで」
「へ?」
私が疑問を返すと、才谷は顔を背けて、癖の強い髪をがしがしとすいてから、残りの牡丹餅を一口で食べてしまった。
「才……っ?」
そのまま無言で顔を合わせずに、もぐもぐと咀嚼している才谷の顔は私からは見えない。見えるのは耳だけで、その耳は、とても赤い。
まさか、と私は思わず口元を抑える。
才谷は普段から女性を見境なく口説くし、慣れているものと思っていたから、私は気にもしていなかった。単に口の端についていた餡をもらっただけなのに、彼は照れているのだろうか。
「才谷……?」
返事はないが、反応もない。これは、どうしたものか。
少し考えてから、私は再びごろりと寝転がった。空は青く、棚引く雲は自由に空をたゆたっている。
「……葉桜さんは……」
普段の才谷からは想像もつかないほどの情けない声だった。
「葉桜さんは、へごな人やか」
褒められているのか貶されているのかわからないが、私は思わず小さな笑いをこぼしていた。
「才谷は案外女慣れしていないようだな」
「そっ」
「こんなこと、よくされているだろう?」
何かを言いよどむ才谷は、慎重に言葉を選ぼうとしているらしい。珍しいこともあるものだ、と私は目を閉じる。
しばらくして、隣にごろりと才谷が寝転がった。私と見合わせた顔は、怒られた後の義弟とよく似ていて、思わず撫でてしまいそうな衝動に駆られる。
「山南さんのトコへ行ってきたがかぇ」
「ああ」
「帰らんなが」
「もう少ししたら、帰るさ」
なにか言いたげな才谷の前髪を額から少し避けて、私は小さく笑った。自分でも思っても見ないほど力ない笑い方だったように思う。
だって、屯所に戻ったら、沖田に、私は伝えなきゃいけない。あんなにも私を慕って、新選組にいられることを感謝してくれている彼を、新選組から引き剥がさなければいけない。
沖田は、たぶん、怒らない。でも、多分、その胸の内を私に明かすことはないだろう。
この件で沖田は私をどう思うだろうか。私に、絶望してしまうだろうか。幻滅されるだろうか。ーー生きることを諦めたり、自棄になったりしないだろうか。
私の心配事は後から後から溢れでて、留まることがなくて。だから、私はこの河原へと寄ったのだ。山南塾から壬生寺に行っては、きっとすぐに所在がバレてしまうだろうし、こんな情けない自分を誰にも見られたくなかったから。
私は寝返りを打って、才谷に背を向けた。
京に来るまでの私はこんなに弱くはなかったと思う。人ともそれなりに距離を置いて付き合えたし、出会いも別れも淡白で、固執することもなければ、ここまで懐に入れてしまうほど付き合えるわけもなかった。それは、自分が異常だと理解していたからだ。
女で、武芸者で、旅ぐらしの変わり者。それだけならまだしも、私の背中には徳川幕府という重い重い役目が伸し掛かる。
これだけでも面倒なのに、人付き合いなんて更なる面倒事を抱えるつもりはなかったのに。
「葉桜さんは、しょうまっこと優しい人やき」
後ろから抱きしめようとしてくる才谷を振り払うこともせず、私はただ眼の前にある彼の袖に涙を押し当てた。
才谷はいつもみたいにからかうこともせず、ただそのままでいてくれた。珍しいことだけど、その珍しさに甘えて、私は声もなく泣き続けて。
ーーなんで、こんなことになっているんだ。それは、私が才谷をふりはらわなかったからだ。それは、わかっているが。
「なあ、そろそろ帰ったほうがいいだろう。お互いに」
私たちの周囲は、すっかりと日が落ちてしまっている。辺りは夕闇に覆われ、黄昏の風はまだかなり冷たいはずだ。だが、私は寒さを感じることなく、才谷に背中から抱きしめられたままだ。温かいが、温かいんだが。
「才谷」
「なんなが」
「帰ったほうがいいと思うんだ」
私がもう一度繰り返すと、才谷はぽんぽんと柔らかく私を叩いて、宥める。
「なんだよ」
その手が私の腰のあたりを撫でた辺りで、ぞわりと背筋が泡立ち、私は反射的に肘を才谷に向かって振り下ろしていた。
「うわっ」
しっかりと避けられ、舌打ちしつつ立ち上がる。袴についた土や埃や葉を払う私を見ていた才谷は、ただ苦笑しながら、手を差し出した。
「何?」
立ち上がらせてくれということだろうか。私が首を傾げていると、才谷は軽く息を吐いて、自分で立ち上がった。
「わしは葉桜さんの味方やき」
「ん?」
「おんしが何もきも気にならんがで」
「うん……?」
「泣きたい時はぎっちりでわしの胸を貸しちゃるよ」
才谷が悪戯っぽく瞳を煌めかせたのは、おそらく私を笑わせるためなのだろう。彼はいつも私を笑わせようとしてくれるから。
「うん、いつか」
私が微笑みながら返すと、才谷は少し困ったように笑って、私の手をとった。そのまま歩き出す方向は、西本願寺だ。
二人で無言で歩いて行くと、遠くに西本願寺の正門が見えて、沖田と鈴花の姿が見えた私は、才谷の手を離す。
「才谷、ありがとっ」
別れの挨拶もそこそこに私が走りだしたのは、沖田の姿が少し揺らいで見えたからだ。おそらく無理をして私の帰りを待っていたのだろう。鈴花はその沖田を心配して、ついていてくれたのだろうということは、容易に想像がついた。
「気にしやーせき」
才谷に手を振りながら走りだした私は、彼の細められた目を見なかった。
うーん、甘いようで甘くならない。
というか、なんで梅さんでヘタレになった←
女慣れしてそうな男が、男慣れしてない女の何気ない動作に動揺するのって、萌えですよねー(同意求む(嘘です
気づけば、年末。
ー……再就職してからやけに更新多いなとか、いいから。
わかってますから。
ここは私のストレスのはけ口です!
ストレス=糖度比例。
つまり、今の職場はストレスが少なくてひゃっほーい!てわけですね!←
(2012/11/29)
公開
(2012/12/01)