忙しい近藤と土方に代わり、新入隊士らの訓練を仕切るのは自然と葉桜の役目となった。もちろん、剣術の訓練というわけにはいかないので、行うのは近代戦対策としての銃剣の扱い方。それから、大砲の撃ち方だ。
もともと飲み込みは早いほうだし、何より道場主としての力は多分にある葉桜である。
「弾が真っ直ぐに当たらない? そりゃ、おまえ、そのへっぴり腰じゃ当たるものも当たらないだろ」
隊士らの質問にも面倒くさがらずに答える様子を以前の仲間たちが見たら、別人だというかもしれない。それほどに、毎日葉桜は大忙しだった。
「精が出るね、葉桜さん」
「ああ、島田さん」
片手を上げて、近づいてきた相手に応える。島田もまた近藤についてきてくれる一人だ。あまり監察方としての仕事をする時間のない葉桜の代わりによく動いてくれている。
「何か急用か?」
「近藤さんと土方さんが演習地の下見に別々の場所へ行くんだけど、きみは近藤さんと土方さん、どちらについていく?」
新入隊士も増え、現在の五反田新田では狭すぎるのが現状である。演習地を別に見繕ってもらえるのは有難いが。
「そうか。…じゃあ、近藤さんについていくかな」
辺りが急に静まりかえる。
「そうかい? じゃあ、わしは土方さんについていくよ」
それを気にもせずに島田は去っていったのだが。
「やっぱり、そうなのか?」
「いや、だって見たってやつも…」
「でも、この葉桜さんがそんな…」
不躾な囁きになんとなく当たりをつけ、額に手を当てて、あからさまにため息を吐いた。
「何か聞きたいことがあるなら、直接言え。こそこそねちねちした男は好かん」
またも静まりかえる様子にため息をつく。
「…言っておくけど、下世話な想像してるなら覚悟しておけよ? 夜中に叩き起こして、みっちり稽古つけてやる」
「け、稽古ですか?」
「おうよ。私の専門は剣術だから、それでもいいならいつでもかかってこい。一本とれたら、相手してやってもいいぜ」
沸き立つ男達を前ににやにや笑っていると、以前からの隊士たちが呆れた声を出す。
「ああ。葉桜さん、ヒマなんだなぁ」
「一本取れる人なんて、今じゃ局長と副長ぐらいしかいない」
「何サボってんの、きみたち」
急に現れた近藤に隊士たちは慌てて居住まいを正す。
「それに葉桜君も」
「はいはい。すぐに着替えてくるんで、ちょっと待ってくださいねー」
笑いながら通り過ぎようとした葉桜の頭を、近藤が持っていた扇子で軽く叩いた。あ、と隊士一同で声を上げる。葉桜も立ち止まって、自分の頭に手をやる。
「こ、ここ、こここ」
「あれ? どうしたの?」
「どうしたじゃありませんよっ! 女性の頭を軽々しく叩かないでくださいっ」
ドスッという鋭い音と元に近藤の鳩尾へ拳を叩きこみ、顔を紅くした葉桜が駆け去った。残されたのは苦悶の表情で腹を押さえた近藤と、哀れみと蒼白の視線を向けている隊士たちだけだった。
(近藤視点)
演習地の下見の帰り道に葉桜君から事情を聞き、やっと合点がいった。
「そんな話をしてたときに俺があっさりと一本とっちゃったわけだ。それはすまなかったねぇ~」
「ホントですよ、もう。あれじゃ、今後の訓練にもひまつぶしにもならないじゃないですか」
ぷりぷりと怒る様子はとても可愛らしく、繋ごうと伸ばした手は軽く交わされて、葉桜君はさっさと走っていってしまう。
「あーあ。これじゃ、稽古志願者が増えちゃって、大変になるなぁ~」
「いや、それはないんじゃないかなぁ」
実に嬉しそうなトコで申し訳ないとは思うけど、あの後残された俺は大いに同情された。ほとんどの隊士があの返り討ちに対応できない限りは襲うことなどできないだろう。分かっていれば、俺だってあんな無謀はしない。
葉桜君自身がわかっていないけれど、剣術で勝てる者はこれまでも多かったが、柔術で彼女に敵う者を俺は見たことがない。俺自身の怪我が無くとも、本気で葉桜君が戦った時はどうだろう。彼女を殺す覚悟がなければ、俺は勝てないような気がする。
「ところで、一本とれたら相手してくれるってホント?」
「ええ。稽古の、相手をね」
「最初っからそう返すつもりだったのか~」
「もちろんですよ。他に何の相手だと思ったんですか?」
他も何も、普通はそんな風に言ったら、一夜のお相手みたいにとるものだと思うんだけどなぁ。
そっと絡める手をぎゅっと握りかえされる自然な行動に、心が暖かくなる。
「俺が一晩一緒にいて欲しいって言ったらどうする?」
一本取ったご褒美にと囁くと葉桜君は絡めていた手を外して、足を止めた。俺も自然と足が止まり、葉桜君を見つめる。葉桜君の耳が赤いのは夕陽のせいじゃないといい。
「何もしないなら」
「そんなの無理。だって、葉桜君は可愛いからね~」
いつもならこれで真っ赤になって照れながら怒るんだけど。
「じゃあダメです。だって…今は力が落ちたら困るんです」
そんな困った顔して笑わないでよ。
「力がって…どうして?」
「だって、支えられなくなっちゃうから」
「何を?」
大風が吹いて、彼女の声を遮る。変わらない淋しそうな笑顔はそのまま消えてしまいそうで。伸ばした手の先を葉桜君はひらりと逃げた。
「まあ、誤解解くためにもあんまり近藤さんに近づかない方がいいかなー?」
「俺は全然構わないんだけど」
「構ってください。奥さんとお嬢さんが悲しみます」
「…やっぱり君は卑怯だね」
「あはは、今頃気付いたんですか?」
夕陽の中でひらひらと踊るように先を歩く葉桜君は、とても綺麗だ。だけど、それ以上に消えてしまいそうな儚さがあった。夕焼けに攫われて、どこかへ行ってしまいそうで。再び伸ばした手の先で、結局葉桜君を捕まえることは叶わなかった。
玩具が少ない~からかう相手が少ない~!
なんて、文句を言ってる場合じゃないですね。
こういうときは原田が一番いいんだけどなぁ。
人が少ないので、必然的に近藤さん祭り状態です。
でも、あんまりお得感がないですね。
逃げてるし。
(2007/1/18 14:00:42)
~次回までの経過コメント
島田
「松本先生によると幕府側は新選組にここへ留まるように要請してきてるらしいよ」
「まあ、要は勝手に新政府軍を攻めたりするなってことだろう。幕府は恭順派が牛耳ってるから」
「でも…この金子さんの屋敷にいつまでもいるというワケにもいかないからねぇ」
「難しい問題だよ」