ここ数日、私は夢を見ている。何度も何度も自分の手で赤い血飛沫を上げて、大切な人が死にゆく夢を、私は見続けている。これが今ではなく過去なのだとわかっていても、私の胸はひどく塞いだ。
心を隠す術を身につけるようになったのはいつからだっただろうと、私は毎朝、空を見ながら考える。小さい頃の私は隠そうとして隠していたことはなかった。それがいつから、こんな風に私は意識して隠すようになってしまったのだろう。
「次、お願いしますっ」
目の前で礼をしてから構える隊士に大して、私も渋々と下段に構えをとる。彼の弱点だと知っていて、私はそうしている。
「はいはい。どこからでもどうぞ~」
そうして、一秒二秒と待つ間に仕掛けてきた相手をいなし、私はいつものように軽く剣を振るう。私は木刀を彼の首筋にひたりと当てて、止める。
「まだまだ。もう少し崩すことを覚えような~?」
「そんなぁ、葉桜さん相手じゃ無理、」
「無理とか言っても敵は待っちゃくれないぞ」
「う……はい」
芹沢がいなくても、私の毎日は何も変わらず過ぎてゆく。いたことさえもわからないぐらいに、平和に普通に過ぎてゆく毎日に埋没するように、私は稽古に精を出すことしかできない。
数人の隊士の相手をしてから、私は一息入れるために井戸へと向かう。あれから私は、隊務以外の時間のほとんどを道場で過ごしていた。稽古をすれば芹沢を思い出してしまうけれど、私は何かをしていなければ考えてしまいそうで。そして、私にとって何かといえば、稽古をするか書を読むかしかない。だけど、今はとにかく何も考えたくなかったから、ただ無心に鍛錬に集中していた。
鍛錬の休憩中に私は井戸へ行って、桶をくみ上げる。汲み上げたばかりの水に映る私の顔は、誰も周囲にいないからか何の感情もないのがよくわかる。
(ひどい顔)
笑顔を作ろうと口端を上げてみても、私の目が笑わない。これじゃダメだと思っていても、私自身にはどうしようもなかった。
「おぉい、葉桜。土方さんが呼んで、って何してんだ?」
原田の声で私は慌て、水をすくい上げて顔を洗う。こんな顔で私がいちゃダメだ。早く、笑わなきゃ。
「葉桜?」
私は数回水を顔に打ち付けるようにして洗い、懐から手拭いを取り出して、顔を拭いた。
「あ、ああ。わかった、直ぐに行くよ」
無理矢理に笑顔を作ったけれど、私はやはりちゃんと笑えていなかったのだろう。すれ違いざま原田に頭を叩かれた。
「あんま無理すんじゃねぇぞ」
「ははっ、無理なんてしないよ~」
寄りかかれとはいわない原田の優しさに感謝しつつ、私は土方の部屋へ向かった。おそらく新たな任務の話だろうと、気持ちを切り替えながら。
私への新たな任務は、鈴花と山南の手伝いということだった。土方が言うには、山南の発明趣味を止めるためだということだが、私は別にそんな必要はないと思う。そういったら、そんなのは沖田と私ぐらいだと土方に言われてしまった。
これでも私は宇都宮で道場主を勤めていた身であるし、多数の生徒を相手に教えていたこともある。自慢じゃないが、私を論破できる者というのはかなり限られたものばかりだった。そういう時だけは、私は頭の回転が良いとよくからかわれた。
「教材なんて作ったことないなぁ」
「ええっ、じゃあどうやって指導してたんですか?」
「ああ、私はほとんど見てなかったから」
「そうなんですか?」
「たまに臨時で講義と稽古付けてやるだけ。あとは弟とか叔父に任せっきり。気が向いたらやるって感じで」
私の目の前で呆気にとられている鈴花の顔は、相当面白かった。くつくつと笑いながら私は清書を続けるので、時々字が歪む。
「じゃあせっかくだからたまに葉桜君の講義も」
「却下です」
山南の提案を私は即座に却下する。そんな面倒なことをここに来てまで私は引き受けるつもりはない。
「剣の稽古なら一緒にみても良いですけど、講義はダメです。私の信念は人に伝えるものではないですから」
私みたいのが何人もいたら周囲が大変でしょうと笑ったら、二人ともが呆れていた。
鈴花が巡察でいなくなってからも、私は山南と二人でしばらく作業を続けた。どのくらい時が過ぎたのか、清書している紙の上に影が落ちたので、私は筆を置き、顔を上げる。
「そろそろ夕餉が出来る頃で……」
私の頭の上にそっと山南の手が置かれ、ゆっくりと撫でられる。大きな手の重さと温かさが想い出を引き出すようで、今の私には辛い。山南に顔を見られないように俯きながら、私は声だけでも明るく話す。
「あは、急になんですか、山南さん。私、そんなに子供じゃありませんよ」
顔を上げられないので、山南が今どんな顔をして、私をみているのかわからない。山南は私を憐れんでいるのだろうか、それとも、ただいつもの温かな目で見つめてくれているのだろうか。どちらにしても、今の私には顔を上げることはできない。これだけの距離で私の顔を見られたら、山南でなくても気がつかれてしまう。
「そうかな。私にはとても無理をしているように見えるのだけど」
「無理なんて」
無理なんて、していないときっと私は壊れてしまう。
それでも山南が私を撫でることをやめないのは、心配しているからだろうか。私はゆっくりと顔を上げながら、山南に向けて柔らかな笑顔を浮かべる。泣かないように、壊れてしまわないように、何も壊してしまわないように。私にはやるべきことがあって、ここにいるのだから。いない人ばかりを思って過ごしても何も変わらないし、私にも何も変えられない。まだ、ここでの私の仕事は何一つ始まってなどいないのだから、音を上げるわけにもいかない。始まっていても、音を上げたりなどしないけれど。
私を見つめる山南の表情は優しくもなく、憐れんでもいなかった。山南はただ厳しい瞳で、眉根を寄せている。
「葉桜君は、今日はもう戻って眠った方がいいね」
「あと少しでキリの良いところまで終わりますから」
「いや、今日はもう、」
「あはは、今日で全部終わらせられるなんて思ってませんから。あと少し進めたら、終わりにしますよ」
そうじゃない、と言う山南から視線を反らし、私は清書に向き直る。そして、手に取った筆に私が墨を付ける前に、山南に取り上げられてしまった。
「山南さん」
「休んだ方が良い。ひどい顔をしているよ」
「ふふ、そんな心配しすぎですよ~」
でもそこまで言うなら、と私は席を立つ。ここにいてももう手伝わせてもらえないなら、無理を言うこともない。
ほっとした山南に礼を言って、私が立ち去る方向はもちろん自分の部屋とは正反対だ。気がついた山南が追ってきて、私の腕を強く掴む。
「っ!」
「どこへ行くんだい? 私は、休むように言ったはずだよ」
山南の声は厳しいけれど、私はそんなもので怯むわけにはいかない。
「まだ寝るには早い時間ですよ。少し稽古してきます」
「ダメだ」
「別に無理をしているわけじゃないですよ。寝る前に稽古するのは習慣で、」
私の腕を掴む山南の力が強くなり、流石に眉を顰める。
「こういうことは言いたくないんだが、」
「じゃあ言わないでください」
「今日はもう休みなさい。総長命令だ」
山南にそういう風に言われたら、隊士である私には従うしか術がない。山南はなんて狡い言い方を私にするんだ。
「……わかりました」
ふて腐れた返事を返す私の腕を掴む山南の手が離された。ここではここの規則に従わなければならないから、私も今の言葉に逆らうわけにはいかない。私は山南の顔を見ないように頭を下げる。
「おやすみなさい、山南総長」
私は足を自分の部屋へ向け、一度も振り返らず、寄り道ひとつせずにまっすぐ部屋へと戻る。立ち去るとき、かすかに山南のため息が聞こえた気がした。
ここ数日、私はずっと同じ夢を見ている。楽しかった頃の想い出を、何度も何度も繰り返し、最後には私が何もかもを斬り殺してしまう夢を、ずっと見続けている。「今」もいつか想い出に変わってしまうのだろうか。
(夢だったら、よかったのに)
夢の中で私は何も知らずに待ち続けている。決して還ってこない人を私は待ち続けている。夢だから逢えるなんて想ってないのに、私は待ち続けている。逢いたいと願う自分と逢いたくないと踞る自分が、私の中で争っている。
どれだけの夜を過ごしたら、一人が平気になるのかと考えたこともあったけど、どれだけの時間が過ぎても私は大切な人を失うどんな状況にも耐えられないままだ。だから、心の中に私は倉を描く。その向こうへ哀しむ自分を追いやって、私は私に鍵をかけてしまおう。
私の心が、壊れてしまわぬうちに。心が砕けて、欠片となる前に。
次に目を覚ませば、それが私の現実。いつもと変わらない私の日常が、また、始まる。
ここに「山南先生」イベントを入れようと考えたものの、今失敗したかなと思ってます
だって、この辺りって暗いですよ?ヒロインがギリギリですもの
でも、復活までの間の行動を書いても良いかなと考えたのも事実
(2007/06/13)
改訂
(2010/01/03)