幕末恋風記>> ルート改変:近藤勇>> 慶応二年長月 08章 - 08.5.1#もっと知りたい(追加)

書名:幕末恋風記
章名:ルート改変:近藤勇

話名:慶応二年長月 08章 - 08.5.1#もっと知りたい(追加)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.8.15 (2012.10.5)
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:4505 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(55.5)
土方イベント「もっと知りたい」(裏)

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p.1

(近藤視点)



 彼女はよく空を見上げている。晴れていても、曇っていても、雨が降っていても、同じ顔でただ穏やかに見つめている。その向こうに何を見ているのか、俺にはいつも読み切れない。そんな彼女を見ていると、彼女の見る景色は俺よりも広く、深くて、とても遠いような気がしてくるのだ。

 屯所への帰り道、空から降ってくる雨をじっと見つめる猫がいた。それがまるで葉桜君のようで、俺はつい拾ってしまった。だけど、屯所内で飼ってもいいものだろうか。トシには散々に言われそうだと苦笑しながら連れ帰り、俺は彼女の部屋の前を通りがかる。

 そこには、空から降ってくる雨をじっと見つめている、着流し姿の葉桜君が立っていた。いつもと同じ顔で、降ってくる雨を見ているのか、その向こうに誰かを見ているのか、それとも涙を流しているのか。遠目にはよくわからなかった俺が砂利を踏む音で気が付いた葉桜君が、ゆっくりとこちらを見る。

「可愛い、猫、ですね」
 葉桜君はいつになく掠れた声で言って、少しだけ咳き込んだ。

「葉桜君?」
「大きな声を出さない方がいいですよ。せっかく、土方さんが眠っているんですから」
 バレないほうが良いでしょうと、葉桜君はかすかに笑う。その様はいつもと違いすぎて、俺は戸惑ってしまう。

「鬼の霍乱?」
「あんな怪我をすれば熱だって出ますよ」
 葉桜君がいう「あんな怪我」というのは、昨日桜庭君らと出ていたトシが矢傷を受けて戻ったことだろう。いつにない大怪我に屯所内は一時騒然としていたが、トシ自らの一喝でそれは直ぐに収まった。トシの熱が上がったのは夜からだったと、烝から報告を聞いている。葉桜君も看病をしていたのだろうか。

 既にトシの怪我の状態が峠を超えているというのは、葉桜君の様子を見ればわかるというもの。もしも危険な状態ならば、今ここで葉桜君がぼんやりしていることなど無いだろう。

 そんなことより、と葉桜君は俺の腕から猫を取り上げた。

「ずぶ濡れですね」
 猫をそっと撫でながら囁く葉桜君の声は、雨の音にかき消されそうなほどだ。

「一緒にお風呂で温まりますか」
「そうだね」
 猫と同じく、葉桜君も相当びしょ濡れだということに、俺は今更のように気がついた。その見た目よりも細い肩に触れると、葉桜君の身体は氷の室に入った後のように冷たい。俺は葉桜君の肩を押して、彼女の足を風呂場へと進めさせる。

「近藤さんも一緒にどうです?」
 何気ない葉桜君のからかいの言葉に、俺は一瞬だけどきりとした。俺が葉桜君をそういう対象として見ることはないけれど、それでも葉桜君は魅力的な女性だ。容姿や行動には確かに普通の女性らしさもないし、初見ではいつも男姿であるから男に間違われることも多い。それでも、葉桜君を形作る内面の魅力は隠しようもなく、男女問わずに惹かれるものは多い。

「……葉桜君」
「ふふ、冗談ですよ。鈴花ちゃんと烝ちゃんに怒られちゃう」
 葉桜君は今のように、何の気なしに心臓に悪い冗談を平気で言う人だ。今回は本当に質が悪い冗談だと思った。雨に濡れ、着物がぴったりと体に張り付いて、普段は見えないその体の線をくっきりと示している。俺でなければ、葉桜君はどうなっていたことか。

 俺は自分の羽織を葉桜君に羽織らせて、猫を抱いたままの彼女を抱き上げた。

「葉桜君も熱がありそうだね」
「そんなことありませんよ」
 近くの縁側から二人で屯所の中へ入り、廊下を歩いて風呂場へ向かう。その間、葉桜君にしては珍しく大人しかったのは、やはり調子が悪いせいではないだろうか。

 俺は風呂場につくと、葉桜君を湯船に直接放り込んだ。そして、直ぐさま風呂場を出て、脱衣所の閉めた扉の前に座り込む。

「葉桜君が何を考えてるか知らないけど、また熱を出すよ」
 静かな風呂場に俺は声をかけたが、葉桜君からの返事は何もなく、どころか物音一つ返らない。まさかあのまま沈んでいるんじゃないかと俺が不安に思う頃、湯船から葉桜君が上がる音が俺の耳に届いた。

「……そっか、気が付いてあげられなくて、ごめん」
 呟くような声だったけれど、静かな風呂場の中で響く葉桜君の声は、俺にまで届いた。次いで、風呂場に響く抜刀の音も。

 俺が驚いて風呂場の戸を開けた直後、そこにはざくりという肉を貫く鈍い音が響いていた。地面に置かれた猫に対し、その小さな心臓に真っ直ぐに剣を突き立てている葉桜君の顔は、彼女自身の長い黒髪で隠れて俺には見えない。

「葉桜君、何をっ?」
 俺が駆け寄るまでに葉桜君は猫から剣を引き抜き、その胸にかき抱いた。濡れた着物に赤い雫が流れ滴る。場所が場所だけに、葉桜君の顔や髪、袖から落ちる滴のポタポタという音は風呂場内に木霊する。

「……て、ください」
「葉桜君、どうして……」
「出てってくださいっ。私にこの子を……送らせて」
 顔は見えないけれど、声にならない泣き声や悲鳴のような葉桜君の声に、俺は心臓の辺りをぎゅっと掴まれた気分になった。俺が話に聞いた光景と、今の葉桜君の姿が重なる。芹沢さんを送った時の話のそれと、今の葉桜君はとてもよく似ていて、似すぎていて。俺は余計に葉桜君を一人には出来なかった。

 俺は葉桜君の正面に周り、その肩を抱きしめる。いつもよりも小さいと感じる体は、俺の腕の中で小さく震えていた。

「それはできないよ。今の君を一人になんてできない」
 こんな俺の行動も、普段の葉桜君なら笑ってかわしてしまうのに、今の葉桜君には抵抗らしい抵抗も何もない。それに泣きながら震えている女の子を一人にできるほど、俺は優しくない。

「その()をこっちへ」
 ふるふると頭を振る葉桜君の顔を、俺が無理矢理に上げさせると、思った通り泣いてはいない。本当に辛いとき、この子は泣くことさえ出来なくなる。それは大声で泣かれるよりも痛ましい。

「俺にも一緒に送らせてほしいんだ」
 葉桜君の瞳が大きく見開かれ、それから哀し気に歪んだ。

「ど、して」
「だって、俺が連れてきたんだから当たり前じゃない」
「っ」
「葉桜君がワケを言いたくないのなら、聞かない。だけど、俺に一緒に送るぐらいはさせてよ」
 俺が頼むと、やがて葉桜君はゆっくりと頷き、猫を風呂場の床に置いた。それから、両手を併せて、頭を垂れて。小さく漏れ聞こえてくるのは、神社で聞いたことのあるような祈りの言葉だろうか。俺にはなんと言っているのかまでは聞き取れないが、葉桜君は小さく小さく言葉を紡ぎながら、既に動かぬ猫の背を柔らかに撫でる。場所のせいで葉桜君の小さな言葉は響き渡り、とても澄んだ唄声のように俺の耳に届く。

 泣かない代わりに唱っている様子の葉桜君は、とても儚く、今にも消えてしまいそうに見えて。だけど、透明で澄み渡った葉桜君の周囲の空気は心地よくもあり、触れることを躊躇わせるほど綺麗すぎた。

「この子は、私と同じ」
 謡声が病んで、少しの間をおいてから、葉桜君がぽつりと語る。

「ひとりぼっちで迎えを待っていたの。でも、一人で生きていくような気力も残ってなかった」
 雨のように零れる言葉と共に、葉桜君の声にも涙が滲んでゆく。さっきのような泣けない辛さの声ではない。

「頑張れなんて、私には言えないよ。一人きりで生きていくには、この世界は広すぎる」
 俺は葉桜君の頭に手を置いて、何度も撫でる。比例するように、葉桜君の瞳からこぼれ落ちる粒が増えてゆく。

「そうだね、一人で生きるには広すぎるかもしれない。でも、葉桜君は一人じゃないよ。この()と同じじゃあない」
 この猫が葉桜君の言うように仲間を失くして、たった一匹なのだとしても、葉桜君と同じじゃないと、俺には言い切れる。

「君には俺たちがいる。仲間が、いるだろう? それとも、そう思っているのは俺だけ?」
 俺が問うと、葉桜君はゆっくりと顔を上げて、俺を見つめた。涙に濡れた葉桜君が何も言わないのと、常に無い幼く艶のある葉桜君の様に俺は動悸が早まるのを感じる。

 違う、と葉桜君の首が振られ、俺もホッと息をつく。

「じゃあ、一人じゃないね」
 だけど、俺がそう言うと、違う、と葉桜君は目を閉じて、また首を振った。

「それでもいつかは離れていく。ずっと、いられるワケじゃない」
 俺達と会うまで、葉桜君は一人で人助けのようなことを生業にしていた。それは多くの出会いと多くの別れを彼女に経験させてきたはずだ。普通なら慣れるはずのことだし、おそらく本人も慣れていると自分で考えていたはずだ。そして、こうした長期で(葉桜くんにとっては)別れを前提とした付き合いは今までになかった。だから、葉桜君自身は今まで通りに俺たちに接していた。

 けれど、長すぎる期限が、葉桜君にとっては酷だったのかもしれない。

「そう、かも、しれない」
 ずっと不思議だった。何故、葉桜君が全力で俺たちと相対してくれるのか。何故、懸命に俺たちに手を貸してくれるのか。別れを知っているから、出会いを大切にしている葉桜君らしさなのだと、思っていた。でも、それはきっと理由の半分にも満たない。

「ずっとなんて約束は出来ない。でも、今この時は仲間だろう? 一人じゃないだろう?」
「…っ」
 この人はずっと辛い悲しみを、ひとりで抱えて生きている。それは「父様」を亡くしたことにも起因するだろうし、芹沢さんを送ったこともそうなのだろう。葉桜君は俺の知る誰よりも別れを恐れている。

「もっと俺たちを頼ってよ。一人で抱え込まないで、一緒に悩ませて」
 かすかに葉桜君の肩が震えた。そして、ゆっくりと顔を上げ、まるで今目が覚めたかのように瞬きし、俺を見る。次いで、誤魔化し零れる笑顔はひどく痛々しい。

「あ、はは、私何を言ってるんでしょう。これでも近藤さんたちには頼りっぱなしなんですよ。ここはとても居心地が良いから、ずーっと一緒にいたくなっちゃうんで」
「いればいいじゃない。誰も君を追い出したりしないよ」
「そうですねー。でも、私が追い出しますよ」
 からりとした陽気な声で葉桜君が立ち上がり、俺は、え、と目を見張る。

「さあ、早く出て行ってください。私、少しここで温まってますから」
 葉桜君は濡れた帯に手をかけ、もどかしい手つきで外そうとしていて。俺がいるのなんて、ほとんど気にかけてもいない。

「ちょ、せめて俺が出てからにしなよっ」
「だから早く出て行ってくださいって、言ってるじゃあないですか」
 ケラケラという笑い声が反響し、さきほどまでの空気を払拭してゆく。いつも通りの葉桜君となってゆくのを感じながら、俺は脱衣所へと戻った。空でもなんでも、葉桜君が笑っていてくれるなら、俺はそれでいい。

 風呂場の戸を閉めて、俺はまた元のように座る。それから、他の女の子なら軽口も言えるけど、どうにも葉桜君といると調子が狂うなあと頭を抱えた。

「にゃーも綺麗にしましょうねー」
 楽しげな葉桜君の声に安心してしまっていた俺は、その後の何も気がつけなかった。お湯で全ての涙を洗い流しているのだとこの時は気がつかずに、彼女の鼻唄を暢気に聞いていた。

 季節の移ろいを詠う葉桜君の声は心地よく、とても穏やかで、優しかったから。

あとがき

明るい話が書きたいんです
ただ暑さに負けて、いろいろおかしくなってます
せっかく夏に夏の話を書こうってのに、私ってヤツは…
(2007/08/15)


改訂。
直しながら、色々と雑だなぁと反省…。
でも、直してもやっぱり雑(え
(2012/10/05)