言葉は武器だ。危険すぎる剣で他人も自分も傷つける諸刃の刃。
言葉は怖い。使うだけ跳ねかえるものだから。
だから、私はできるだけ使わない。呪文学はできるだけ正確に間違えるようにして、目立たないようにして。友達を作ると使わなければならないから、作らない。
「なんとか言ったらどうなのよ!」
しゃべらないから気に入らない。そんな理由で苛められるけど、でもそれでも使うわけにはいかない。使ったら、私はきっと人間ではなくなってしまう。
ふわりと何かが頭に乗った。小さな梟だ。羽根が目に覆い被さり、慰めてくれる。この子たちは何も言わなくても良い。全部、わかってくれてる。だから、私はあなたたちのためだけに歌うよ。
シアワセの歌を。歓喜の歌を。
(シリウス視点)
彼女は言葉を発さない。声を出せないのではなく、声を出さないだけだ。そう気がついたのは偶然だった。だって、俺は君の声を聞いたから。
「どうして、声に出さないんだ?」
問いかけに返ってきたのは、羞恥心で真っ赤になっている少女の姿だった。
場所は午後の陽射し穏やかな禁断の森に一番近い裏庭だ。
「 い…」
なにか言いかけて、慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
「何?」
一歩進むと一歩下がる。
「 いつからいたんですか?」
小さな声だった。
「何?聞こえないんだけど?」
「 止まってください!」
涼やかな声だ、思っていたとおりの。距離を詰めようとした足が止まる。重い枷でもまとわりつくような。
「 あ、い、いえ、いいです。取り消します」
その言葉と共に足が軽くなる。
「 あの、ごめんなさいっ」
そのまま走り去ってしまいそうな彼女の手を咄嗟に掴む。震えが伝わっている。何かに怯えている?
「名前、教えろ」
「 は…」
「俺、シリウス・ブラック。知ってる?」
震えが止まって、野兎みたいなきょとんとした目で見つめ返してくる。首が横に振られて、少しだけショックを受けた。
「で、お前は?」
答えない。
「教えてくれなくてもいいけど。調べるし」
ビクリとまた震え出す。
「でも、覚えておいてくれ。俺、たぶん、お前のこと好きだ」
なんでか言っておかなきゃいけないような気がした。消えてしまいそうで。
「… たぶんて、なに…」
「いや、もう好きになってるかもな。良い声だ」
白い肌が赤く色づく。
「調べられたくなかったら、名前教えろよ」
小さな声で、イヤだと返ってくる。
「レイブンクローの…何年?」
首を横にフラレるばかり、これじゃ、俺が苛めているみたいだ。
「 7…」
「同い年か。名前は?」
観念したように、小さく単語だけで話す。
「 ミコト… トキワ…」
ふわりと緊張が消えてゆく。代わりに少女が泣きそうな目で見つめ返してくる。
「 話しました。手…」
「やだ」
「 え、そ、そんな…」
離してと目で訴えているようだけど、その奥に見つけてしまった。逆の声が聞こえた。だから、引き寄せて、抱きしめる。腕の中に閉じ込める。震えは止まっていない。
「 ブラック、さん…」
「ミコト、か。すっげー、かわいいっ」
腕の中で彼女は音を立てるように止まった。言われなれてないんだな。誰も気がついていなかった。俺だけがみつけた。
「 は、離してくださいっ」
手が勝手に彼女を解放していた。柔らかい感触だったんだけどな。
「あ…」
そして、彼女は泣きそうな顔で走って逃げてしまった。
姿が見えなくなるまで見送りながら、ニヤニヤと笑いが止まらなかった。可愛くて、楽しくて、不可解な女だ。なにより。
「この俺から走って逃げられると思ってるんだ」
伊達に普段から悪戯で逃げまわっていない。
(ミコト視点)
誰もあたりにいないのをたしめかて、廊下を急ぐ。そろそろ夕食の時間だ。自室に教科書を置き、大広間へ向かう。食事を終えて戻る生徒の方が多いので、今ならそんなに人もいない。
「見つけた…っ」
後ろから肩をつかまれて、小さく声をあげそうになった。
「まさか、捕まらないなんて思わなかったっ」
黒い髪で長身痩躯の男の子は、息を切らせていた。さっきのことを思い出して、顔が熱くなる。言葉を使ってしまったのは久しぶりだ。余計にその威力に驚いてしまったのも久しぶりだ。
「どうやって、戻ったんだ? レイブンクローまで」
どうやってもなにも普通に行って、普通に…人がいなくなるのを待っていただけだ。
「まぁいいや。これからメシ? 一緒に食おう」
肩に置かれる手を見つめて、歩かされ、席に座らされてから気がつく。ここはグリフィンドールのテーブルだ。
「大丈夫だって。いいから、ちゃんと食え」
立とうとすると押さえられ、隣に座って、山盛りに料理を取り分けてくれる。というか、食べきれない。
それに、視線が気になる。気のせいでなければ、少なくとも広間中の視線がここにある。
「自分で食べれない? 食べさせてやろうか?」
とんでもない申し出に首を振って拒絶を示す。でも、ここはグリフィンドールの席で、レイブンクローはここではなくて、えーと、どうしたらいいの。
「言いたいことは言え。言わなきゃわからん」
灰色の瞳に射すくめられて、仕方なく口を開く。
「… ここ、グリフィンドールの…」
どうしたらいいんだろう。
「誰も気にしないって。後は?」
豪快に食べる人だな。鶏肉好きなのか。
「… どうして私と…」
「俺が一緒に食べたいから。あんた探してたら、みんな食い終っててよ。ひとりで食べてもつまんねーし」
そういえば、このお皿の中も肉しかない。お肉、そんなにいらないんだけど。
「 えと…」
手を伸ばしてソースを取ろうとすると、先に取ってくれて、手渡してくれた。
「言えばとってやるから。それから、俺はミコトと話をしたいんだ。この後も時間ある?」
どうしてこの人はこんなに私にかまうんだろう。しゃべらないのに、どうしてわかるんだろう。
「時間あるみたいだな。じゃ、今日のうちにいっぱい話すぞ。メシ食ってから」
「 え、私何も…」
「俺と話すのイヤか?」
イヤだといえば、この人も離れていく。意思に関係なく。そんなことは出来ない。でも、話すということは言葉を使わなければいけないということで、それは私にとっても、彼にとってもとても危険なことで。
「決定だね。俺たちも一緒にいいかな?」
声は隣ではなく正面から聞こえた。黒い髪の少し逆立ってる眼鏡を掛けた男の子。その隣の鳶色の髪の男の子も優しそうな笑顔で口を開いた。
「君が誰かとしゃべっているのは初めて見たよ。恋の力は偉大だね、シリウス」
隣でシリウスがたち上がる。
「い、いつからいやがった!?」
返答は私の反対の隣から。ピカピカの赤い髪の綺麗な女の子。彼女のことは知っている。リリー・エヴァンス。皆に好かれて、皆に優しくて、でも少し厳しいグリフィンドールの優等生。
「後でといわず、今でもいいじゃないね?」
「ああ、君のいうとおりさ。リリー! もちろん今からでも僕たちは…」
「私もずっとあなたと話したいと思っていたの。ミコトって呼んでいい?」
名前で呼ぶということは、えと、それは友達になってしまうということで。
「しゃべらないようにしてきたみたいだけど、シリウス相手にそれは無理だったみたいだね」
「こいつは人の話、聞かないからな」
「聞かないのはおまえらだろ!?」
シリウスの声はもうふてくされている。さっきまであんなに私を振りまわしていたのに。
「ミコト、食べ終ったな?」
「ちょっとシリウス。勝手に決め付けるんじゃないわよ」
「うるせえよ」
「リリーに向かっていったのかい、それは?」
「そうよ、ひどいわよね。ジェームズ!」
「僕のリリーに向かって、うるさいだって? こんなに綺麗で可愛い声を捕まえて…」
勝手に大きくなる騒ぎをとりあえず眺めながら、カボチャジュースを一気に飲んだ。
「 ミコトの声のが綺麗だよ」
広間が静まり返った。鳶色の髪の少年が口を押さえ、必死に笑いを堪えている。私は、口の中に残っていたジュースを飲み下した。
「聞いたかい、リーマス君」
「あ、ああ、聞いたよ。ジェームズ」
「確かに、ミコトの声は綺麗だわ」
「リリー!?」
いやな、予感がする。
「そんなに綺麗な声なのに、どうしてしゃべらないの?」
やっぱり、こっちに戻ってきたか。どうしよう、どうしたらいい。
「さっきまではしゃべってたよね」
「小さい声だったけど」
「お前らが来るまではな」
シリウスは相変らず不機嫌そうだ。どうしよう、どうしたらここから抜け出せる。
「ミコト?」
あ、そうだ。そうだよ。たった一言で抜け出せる言葉がある。
「ごちそうさまっ」
一気に言って、一気に走り出して大広間を後にする。早く寮に帰らなければ。早く、早く。
(ジェームズ視点)
逃げ足の早い。この僕たちから逃げ切る気だよ、あの子。
「おまえら、なんてことしてくれんだよ。あいつ、マジで逃げんの早いんだぞ!? 寮に入られたら、追い掛けらんねーし」
「入る前に捕まえればすむことだろ?」
「捕まえられればなっ」
パンを一つ掴んで走り出したシリウスを僕たちも追いかける。
「リーマス。最短ルートでレイブンクローの扉の前、張っていてくれるかい?」
「OK」
これで、寮に逃げこまれることはないとして、後は彼女をどう捕まえるか。
「リリー何かいい方法はないかな?」
「あら、ジェームズは何か思いついているんじゃなくて?」
にっこりと微笑む僕のマドンナに、余裕の笑みを返す。
「とりあえず、シリウスを追いかけようか」
兎は一匹。
(ミコト視点)
ガタンという物音に身体を強張らせる。窓を風が揺らした音だと気がついてそっと息をつく。
昔、教室として使っていたのであろう教室は埃もなく、意外に片付いている。古い樹の匂いと、薬草をすり潰したり混ぜたりするときの独特の匂いは、森の薫りに似ていて、心が安らぐ。
胸に手を当てると、まだ少しドキドキしている。こんなに誰かと話したのは、入学して以来初めてだ。こんなに何度も言葉を使ったのも、それなのに追いかけてきてくれる人も、あんなに綺麗な男の子に告白されたのも初めて。
今日は初めてが多すぎる。
追いかけっこみたいなのは昔から慣れていた。日本の古い家は一戸建てで変に入り組んでいて、迷いやすい。そういう場所でやるかくれんぼとか鬼ごっこはかなり楽しくて、隠れたまんま眠ってしまったことも何度かある。
鬼ごっこか。それも久しぶりだ。
窓から入ってくる光は月と星のかそけき優しさ。静寂がなにより心を満たす。ただ、虚ろに。泣きたくなるぐらい綺麗な月の光。星の瞬き。
「…シリウス…」
今日初めて遭った少年の名前は星の名前。星が彼の名前。彼の星はきっと今も輝いている。
私は闇にある、混沌にあるだけの生き物。前にも進めないし、後ろにも戻れない。
できることは黙っていること。言葉を話さないこと。歌も、大好きな歌さえももう、歌えない。見つかってはいけないから。これ以上、だれも傷つけたくないから。
戸の動く音がして、私は身を強張らせた。見つからないように。息を潜めて、闇に存在を溶けこませて。
ーー誰も、私を、見つけないで。
気配は近くまで来ている。誰? まさか、まだ探してるの。
「クゥ~ン」
犬の声にホッとして、息をついた。
「どこから迷いこんだの?」
声をかけると、人間みたいに驚いて、闇がその姿を月の下へと押し出す。黒い毛並みの大きな犬だ。耳を垂れて少し情けないけど、月光に照らされる毛並は極上のびろうど。そっと手を伸ばして、触れてみたい衝動に駆られるそのままに身をまかせる。
「綺麗ね」
綺麗ね。私なんかより、とても綺麗。綺麗なアナタの為に歌を歌いましょう。最後のシアワセの歌を。歓喜の歌を。
夜にとけるように密やかに、ゆりかごに眠る小さきモノの為に。愛を歌うよ。
月が溶けて、全部が消えて、ただ世界は歌だけになる。
こんな力は望んでなかった。
こんな私は望んでなかった。
こんな夢は持ってなかった。
世界を優しく包んで、すべての心を溶かして、全部滑らかなバターみたいに。
みんながみんな、幸せになれる世界ならいいのにね。
一息に歌い終えると、涙が溢れた。
「最後の歌を、聞いてくれてありがとう」
その滑らかな毛皮に顔を埋めて、少しの間、息をつかせて。
「ありがとう。もう、お帰りなさい」
この世界に私のいる場所はないけど、まだ生きられる。アナタのおかげよ。
手を離して、犬を見送って、視線を月に戻す。月と星は変わらない。今も昔もこれからも永遠に。私も変われない。今も昔もこれからも永遠に。
おんなじね。おんなじだわ。
「最後ってなんだ」
低い、声。怒ってる声だ。どうして怒るの、誰に怒るの。私を、殴るの。
(シリウス視点)
細い細い切れそうに細い糸。でもその一本は鋭くてしなやかで、この世のものとは思えない。歌、音、音階かどうかも、なんの唄なのかもわからないけど、音だけは俺の耳に届いてくる。たまにそれは暗い音だったり、切ない音だったりするけど、絶えることは無く聞こえてくる。
音を追い掛けてみたけど、どこにも辿りつかなくて、終いに音は途切れてしまって。どこをどう走ったのか禁断の森近くまで来ていた。ばれたら大変なことになる。踵を返そうとした時、途切れた音がまた、聞こえてきた。さっきまでの明るい音でなく、切ない寂しいと叫ぶ音だ。追いかけて、追いかけ続けて、君を見つける。
何度も何度もそれを繰り返したって、きっと気づいてもいないだろう。ミコトは。
秘密の地図に映っていたミコトの名前は、奇しくも悪戯会議室。勝手知ったる扉をそっと開けようとして、小さな呟きが聞こえた。
「…シリウス…」
透明な声は切なくて、泣きだしてしまいそうな響きを含んでいる。
呼んだのは俺の名前。俺の名前であって、星の名前。憶えていて呼んでくれたのなら、期待してもいいのだろうか。
思い出すのは君を初めて見つけたときのこと。禁断の森近くで、動物を相手に笑って、歌っていた。きっと君は人間の姿では警戒してしまうだろうから。
「どこから迷いこんだの?」
月の光からも隠れて、ミコトは隠れていた。隠れ慣れているのだろうか。月の光の元でその姿を見たくて、立ち止まって動かずに待つ。動物の好きな彼女だから、きっと来ると思った。
白くて、細い手を見て、やはりさっき無理やりでも沢山食べさせるべきだったと後悔する。少し細すぎる手は、俺の背中あたりの毛をゆっくりと撫でる。警戒心はほとんど無くて、月光に姿が照らされる。ぬばたまの鋭利な刃を思わせる鉱物的な黒い髪は流れて、肩より下くらいで揺れている。さらさら流れる音まで聞こえてきそうだ。俺の姿を映す瞳はよく磨き上げられたブラウンクォーツの宝石の輝きを秘めて、身に持つ優しさを閉じ込めている。
綺麗ね、と。一言。
そして、小さな宝石を散りばめながら、歌い出す。ずっと、聞いてきた優しい歌を。近くで聞けるのは、俺が今、犬の姿だから?
歌も、声も、ただ優しさに満ちて、世界を優しいものだと教えてくれる。世界は温かいものだと伝えてくれる。親友に聞かせてやりたい、そう、思うんだ。こんなに綺麗な声を知らない人たちに教えてやりたい。
ここにいると。
月を溶かして、世界を溶かして、その腕に抱いて。世界を変える歌だ。
全部歌い終えてから、俺の首の辺りに顔を埋めて、泣いていた。今、抱きしめてやりたいとも思う。でも、この姿を知られるのを躊躇した。動物もどきは違法だ。そうそう知られていいわけがない。それに、今、俺はミコトを騙している。今、もとの姿に戻っても同じようにいてくれるかわからない。
人間の姿ではないから、歌ってくれた。
人間の姿ではないから、身を委ねていてくれる。
人間の姿ではないから、普通に話してくれる。
だったら、この姿のまま知られないほうがいいだろう。もう少しだけ、騙されていて。そう、思ったすぐ後で。
「最後の歌を、聞いてくれてありがとう」
硬質の月の光と同じ声で、ミコトが笑った。いままでみたどんな笑顔より綺麗で、いままでみたどんな笑顔より可愛くて、そのまま正体を明かそうかと迷う。
なんと言った?
最後の、歌?
最期ってなんだ?
それにこの今までにない彼女の優しい歌。優しい笑顔。優しい視線。
「最後ってなんだ?」
ミコトの驚いた瞳は怯えずに、微笑んだ。
一度は離れかけたけど、我慢ならなくなって、怒りを抑えこんで近づく。月の光の下で見下ろす少女は、ただ微笑んでいた。微笑んでいるけれど、さっきと同じじゃなく、どこか諦めたような無感情な微笑み。こんな風に笑うヤツを俺はもう1人知っている。世界に受けいられることを諦めてしまったモノはこんな風に笑うんだ。
「まさか、死ぬ気じゃないだろうな?」
「アナタだったんですか、ブラックさん」
問いには答えずに、微笑んでいる。座ってもまだその目線は俺と同じ高さにはならない。見上げてくる瞳にはただ虚無しか映っていない。手を伸ばすと、初めて恐れるように目が閉じられる。歯を食いしばっているように見える辺り、殴られるとでも思ったのだろうか。白い頬は柔らかく、すぐに壊れてしまいそうだ。闇に食べられてしまいそうだ。
「シリウス」
「…らないんですか…?」
「シリウスって呼んで」
そうすれば、きっと助けられるから。
「シリウス、さん?」
「さっきの犬も、シリウスってんだ。知ってたか?」
とまどうことなく、微笑みと共に答えは返ってきた。
「なんとなく。人間の気配に似ているなって」
なかなかに強者だ。手を髪に滑らせ、髪を通らせる。指通りの良い、しなやかな黒い髪は、さっきはもっと固く思えたのに、実際はかなり柔らかい。少しの芯があるように、すとんと髪が滑り落ちる。
「じゃ、なんで?」
「人間でなければ、いいんです。犬の間は犬と同じなんでしょう?」
ミコトは頭も悪くない。レイブンクローだから、当然か。
「人間以外に言葉は無用の物ですか…ら……」
俺が引き寄せると、彼女はしゃべるのをやめて、あの時と同じように震え出す。怯え続けている。何に。誰に?
「俺は、人間なんだ。人間だと、一緒にいられないのか?」
ミコトは小さく「危険だから」といった。それはこの手を離してしまったら、ここからいなくなってしまうとでも言っているようで、俺はいよいよ強くミコトを腕に閉じ込める。
「好きだよ。好きなんだ。その声も、その涙も、ミコトの笑顔も」
「声がなければ、よかったんです」
声さえなければ、とミコトは言う。でも、その声がなかったら、俺はミコトを見つけられなかった。
「声がなければ、もう少しは楽だったかもしれませんね」
「イヤだ」
「声がなかっら、シリウスさんも気にしなかったんでしょう?」
「イヤだ」
「声がなかったら、こんなに近づくこともなかったんですよね」
でも、俺が見つけたのは綺麗な声で歌い、優しく微笑むミコトだった。
「声がなくても、見つけてみせる」
「本当ですか?」
腕の中ではまだ震えている。寒いのかもしれないと、もう少し強く抱きしめる。
「俺に不可能はない」
「ふ…っ」
自信たっぷりに言うと、小さな息が漏れた。それは決して、泣いている音ではなく。
「ミコト?」
「そーゆーの、自意識過剰って、言いませんか?」
そう、泣いているのではなく。
「誰でも出来ることと出来ないことがあります」
「ミコト、おまえ…」
「嘘はいりません。ひとつだけ、聞かせいただけますか?」
泣いているのではなく、笑うものの震えだ。
「どうやって、私を見つけたのか聞いてもいいですか?」
そりゃあ、ここは俺たちの会議室だしな。
とは、流石に言えない。もちろん、忍びの地図を使ったからとも言えない。
「声が聞こえたんだ。俺の名前、呼んでたろ?」
腕を少し緩めると、ぴょこんと俺を見上げてくる顔が驚いていた。
「もしかして、俺のこと考えてたのかな…って」
俺を見上げてたまま、ミコトは止まっている。つーか、言ってから恥かしくなってきて、俺は彼女から目を逸らしていた。
「違うか」
流石にそこまで自信過剰にはいられない。やべぇ、マジ、こいつ可愛いし。俺、顔赤くなってないだろうな。
でも、あのとき、名前が呼ばれなかったら。俺は身を変えて近づこうなんて考えなかったし、ミコトの歌も聞けなかった。そう考えると、名前を呼ばれて良かったのか。
「どうして、わかったんですか?」
不思議そうに口を開くミコトの様子を横目で見下ろしながら、俺はため息をつきたくなった。ものすごい無防備だよ、おい。
「願望だ、願望。だったらいいなって、思っただ、け」
俺が必死で顔を見ないようにしていたのは、一重にミコトがカワイイ反応をしてくれるからだ。思わず、キスしたくなってもしかたないだろう。逃げないように腕の中に閉じ込めてはいるけど、そこまでやっちゃいかんという常識は持ち合わせているつもりだ。おそっちまったら洒落にならん。
「今、なんて…?」
「星をみていたら、アナタを思い出しました。自分で輝ける恒星。素敵ですよね?」
ねって、いうか。そんな首を傾けて。うわー俺の理性がどこまでもつかって感じになってきたな。
「ミコト」
「私は輝けないですから」
ふと、寂しそうになったミコトの姿に、俺は結局止めを刺された。
「悪ぃ」
小さな薄桃色のミコトの唇に、俺のそれを落とす。壊れないようにそっと触れ、頬の涙の後を舐めて、左右の口端に触れる。乾き切っていない塩辛い涙の味がした。
「やっぱ、好きだ」
もういちど、唇に触れる。ミコトは抵抗しない。全然、まったく。
「なんか言ってくれ」
ただ浅く、触れるだけのキスを俺は繰り返す。深く入りこみたいのを、なけなしの理性を総動員して堪える。
「ミコト」
「わ、わかりません。私…」
「じゃ、嫌いか?」
「い、いいえ! そんなことはないですっ」
ちょっとずるい言い方だったかもしれない。
「じゃ、好き?」
答えは返って来なくて、ミコトはただ俯いてしまう。
「答えてくれ」
見上げる月はまだ細く、白い光もまだ弱い。まるで、怯えるミコトの弱い光。弱くても俺を惑わせる白き誘惑。
「わ、わからないんです。本当に」
本当に泣き出してしまいそうだった。開かないミコトの瞼に、俺はまたキスを落す。
「シリウス、さん…」
歯止めがきかなくなりそうだ。誰か、俺を止めてくれ。
(ミコト視点)
「
淡い光に目を見張る。そして、自分の状況に流石に赤面する。黒いシリウスのローブに包まれている私。触れる彼の身体は熱くて、力強い。
杖の先の光は虹の輪を描いて、辺りをほんの少し照らす。月の光よりも温かい光。むしろ太陽に近いかもしれない。
光を灯したのは、黒と鳶色の髪の二人のあの少年たち。姿はシリウスの顔ごしに見えたけど、月の光が届かない場所にいる二人は薄ぼんやりとしていて、輪郭がはっきり見えない。身体がはっきり見えないのはローブを着ているからだ。それと、月の光も魔法の光も弱いから。
「はいはい、そこまでね。シリウス君」
「いくらなんでもそこで襲っちゃ犯罪者だよ、シリウス」
がんとか、ごんとか、遠慮なく叩かれても腕が緩まない。どうなってるんだ、この人は。
「いってーよ、少しは手加減しろ。お前ら!」
見上げるシリウスの顔にはかすかに涙が滲んでいるから、確かに痛いのだろうなと思う。
「ひどいなー犯罪者になりそうな友人をせっかく止めてあげたのに」
鳶色の髪の男の子はニッコリと微笑む。優しそうだけど、なんか怖い。
「怯えてるのに無理すると、余計に嫌われちゃうぞ?」
眼鏡の人はさらに何かを振りかぶろうとしているようにみえる。
「頼んでない」
なにかの割れる音が聞こえる。
「いてぇってばよ!」
「さっきのは誰に対してかな、パッドフット」
「僕に対してなら、お門違いじゃないかい? 一緒にミコトを探してあげたじゃないかっ」
なんだかわからないけど、シリウスは私を離したほうが逃げやすいんじゃないだろうか。
「それより、どこから見てたんだよ、おまえら!!」
「どこからといわれたら」
「パッドフットが犬のように鳴いているところぐらいからだよ」
さっきからいってるパッドフットって、肉球のことだよね。肉球といえば、シュウマイ食べたいなぁ。ホグワーツには無い料理だし、今度帰ったら中華料理店に連れてってもらおう。
「さいしょっからじゃねーか!!」
シュウマイの前に前菜は何がイイかな。そういえば、中華料理のフルコースって、食べたことないや。あるのかな。ーーじゃなくて。
「畜生、おまえらには絶対聞かせたくなかったのに」
もしかして、もしかするのかしら。
「近年稀に聞く美声を独り占めなんて、ずるいよ」
「将来大物になるね、ミコトは」
あぁ!やっぱり、聞かれてたんだ。
思考がようやくそこに思い当たったとたん、恥ずかしさで全身がさらに熱を持つ。顔を上げていられなくて、抱きしめられたままということもあって、シリウスのローブの中に潜った。月の光も届かない、真っ暗闇。だけど、どこか安心するのは、温かさのせいだろうか。
「ん?どうした、ミコト?」
「… 帰りたいです」
「もう眠くなったのか?」
「… 違います」
恥かしくなったんです。離れて、と使えば命令になってしまうかもだし、私は誰かの意思を無視してこの力を使いたくない。
「いいたいことはちゃんと言わないと、この馬鹿犬には伝わらないよ?」
鳶色の髪の少年の言葉は優しいようで、さっくりと突き刺さる。言いたいことを言ったら、それはそのまま力になってしまう。
「言葉を使うことを怖れちゃいけない」
幾度となく言われた言葉を繰り返される。この身に持つ力のせいで、何度も私を後悔させてきたコトバたち。
なにも知らないクセにとは、いえない。私は何もいっていない。何も言えないから。この部屋に差しこむ月の光のように、ただそこに存在するというだけの私になにがいえるというの。
仕方ないので、疑問形にしてみる。力が現れるようになってから、それほど多くは話さなくなったから、どうにもどうすればこの言葉が影響しないのか加減がわからない。友達も遠ざけてきたから、どういう風に話せばいいのかわからない。
「… 離してくれませんか…?」
そこから、時間がとてもゆっくりと流れているような気がする。時折ゆっくりした星の瞬きさえ、みえるように。ここに砂時計があったら、落ちる一粒一粒までも確認できるに違いない。
時間を動かしたのは、振動と笑い声だった。
ーー言葉とは、なんだと思いますか。
月の光の下で少し寒々しい教室の中、シリウスの腕を振り解けないまま、彼らに問いかけてみた。答えを待つのではなく、1人ずつ顔を見回して、最後に月へとその視線を合わせる。
「私にとっての言葉というのは、力そのものです」
声も私も実に落ちついている。望んでいるのは平穏な日常で、別に誰かにやっかまれようがなんでもよかった。私はその人たちに興味がないし、私自身のことに対しても大して関心がない。あるとすれば、周囲の望むように何事もなく子供時代を過ごし、卒業した後もかわらずに死を待つだけだ。
「チカラ…?」
誰が発した言葉だろう。でも、それさえも私にはどうでもよかった。
「言葉に強く力が宿っていて、それが不意をついて攻撃してしまうのです」
日本にあるコトダマの話をしてもきっとわかりはしない。
「よく、わからないな」
眼鏡の少年が一歩近寄ってきた。スローモーションみたいに、その手がシリウスのローブにかかるのを見ている私はまた別の私で。初めて、私は意思をもって言葉を発する。
「下がってください」
彼はローブを掴んだまま下がり、掴まれていたシリウスの身体が私から引き剥がされる。
「ぐぇ…っ」
リーマスもたしかに下がった位置にいた。すべてを確認して、私は立ち上がる。窓辺に身体を預け、月の光を全身に受けて、深く息を吸い込む。夜気と教室の古い空気が肺に広がる。
「あぁ、ごめんよ。シリウス君」
「てめぇわざとじゃねぇよな…」
「まさか!」
「その笑顔がなぁ」
「…ひ、ひどい…っ」
悪意のない軽口は聞いていても夜に吸いこまれ、心地好い。こんな空気、何年ぶりだろう。今ならきっと、本当に死んでも悔いはない。
「ミコト、今のは…?」
不思議なモノをみるような鳶色の髪の少年の声には、ただ純粋な興味しか聞こえてこない。それを少しいぶかしむ。
「言葉はそのまま力になる、て言いましたよ。私が動かせるのは、 人間、なんです。
言葉で人形のようにその人の意思を無視して動かせてしまう…最低な、力…っ」
そうして、誰もが離れて行く。化け物を見る目で、私を見る。私だって、好きでこんな力がある訳じゃないのに。
「でも、それはミコトの意思じゃないんでしょう。好きで、その力を持っているわけじゃない」
「わざとしゃべらないようにして、他人を遠ざけてきた」
ローブを着ているのに、寒い。窓も開いていないのに、隙間風が通ってゆく。それは、この力が発現してからずっとだ。
「独りでいるのは、つらいでしょう?」
強く、唇を噛んだ。
「知ったふうなことを、言わないで」
いっちゃ、いけない。
「何がわかるというの」
ダメだ、言っちゃダメだ。
「無意識に言ってしまった一言が周りをズタズタに引き裂いて、気がつけば周りに蔑む目と畏れる目しかないなんてことはないでしょう!?」
月が、水面に浮かんだ月が歪む。星も、シリウスも見えない。
「…でも、一番恐れるのは私自身。禁じられた言葉を使ってしまいそうになる、自分が一番怖い」
言葉は重すぎる枷だ。一言で世界を操る自分が怖い。
「ミコト」
返ってくる言葉は、ふわりと私を包み込んだ。なんという空気なのだろう。この、シリウスの持つ空気は。
「泣く時は呼べっつったろ」
「うわ、気障…」
「君、いつもそんな言葉で口説いてるのかい?」
それは3人共に共通している空気とも言える。
「…呼んで、どうなるの? 力は消えないわ」
力が消えるなら、なんだってする。でも、この力が消えないと、私は知っている。
ホグワーツにきたのは、コントロールする力を身につけるためだった。でも、結局は私が言葉の使い方を知らなければ、なんの意味もない。そして、結局、私は言葉を愛している。だから、どうにもならない。
古き賢きレイブンクロー
君に意欲があるならば
機知と学びの友人を
ここで必ず得るだろう
せっかくだけど、この学校とも終りだ。魔法学校なら、なんとかなると思ったのは浅はかだったのだ。古い言葉に縛られて、愚かな私は機知も友人も得られなかった。所詮、それだけの人間だったんだ。
「好きなところへ行ってください。もう、アナタたちの前には現れないから」
視界にもう映してはいけない。瞳は映した人物をきっと捕らえて、放したくなくなるから。今日の月はやけに人恋しさを募らせる。その細い光が思い出に重なる。楽しくて哀しい思い出に。
ドアを開けて、出て行く音が聞こえてから、また涙が溢れてきた。
私はそんなに強くない。独りで生きられるほど強くないし、開き直ってこの力を使えるほど強くもない。でも、誰かを傷つけるくらいなら、進んで人の住まない地へ参りましょう。たったひとりで、どこへでも。誰も、いない、場所へ。
「なんで呼ばないんだよ。俺の名前、忘れたとは言わせないぞ」
どうして、この人はこんなに優しい。弱いから、頼りたくなるから、優しくしないで欲しいのに。
「覚えてるわ、シリウス・ブラックさん」
「俺はお前みたいな友人をひとり持ってた。自分から孤独になるヤツだった。でも、なぁ、俺、そんなことでミコトを嫌いにもならないし、恐れるわけにはいかない」
悪戯し掛け人はそれぐらいじゃないとつとまらないぜ?と微笑んでくる。距離は半歩分だけ。でも、シリウスはその位置から動いてはこない。
「最初に言ったろ? 俺を呼べ。そうしたら、すこしぐらいは頼りになる」
距離は、呼ばなければ縮まらないということだ。
「私の言葉は、人間を縛るモノなのよ?」
「さっききいた」
「いつか誰かを傷つけてしまうかも」
「ありえない」
「いつかシリウスの意思を引き剥がしてしまうかもしれないよ?」
そのときは。
「そんときは、犬になってそばにいてやる。動物には効かない力なんだろ?」
動物もどきだから、少しは効くかもしれないけどなーと呑気に笑う姿がもう見えない。
「… シリウスは、いなくならない…?」
「あぁ」
返事と共に、壁に手をついて、広い胸に飛び込んだ。
「 シリウス」
強く抱きしめられたのと、涙で息が止まる。
「シリウスっ」
名前を呼ばせて。
「ミコト、大丈夫だ」
「シリウス…っ」
闇も月も星も、その時から優しくなった。
*
ミコトが好きだ
うん
うん、じゃなくて、ミコトは?
うん
いや、だから、さ
うん、内緒ね
俺だけ?ミコトは言ってくれないのかよ
うん、言わないよ。ぜったい
じゃぁ、俺と同じ気持ちだと思う?
うん、それは…うん
付き合ってくれる?
いいの?
俺が好き?
内緒
あ、ずりぃっ
好きって言葉には力が宿るから。シリウスが捕らわれないように、言ってあげない。
でも、私はたぶんシリウスが好きになってる。そんな気がする。
終ってないのに続けるんだ…(ああそうさ。悪いか)(悪い)(うわーん!)
すいません、また変な話を。でも、次で終るんで多めに見てください。
発した言葉すべてが呪文みたいに強い力を持ってしまう主人公です。友人候補セブルス(ホントかよ。
力に怯える主人公の声が聞こえるのは、シリウスだけ。さぁどうする。
とりあえず、悪戯仕掛け人と追い掛けっこですv
(2003/02/12)
つか、誰か私を止めてくれーっっっ
なんですか。どこが追いかけっこ?
暗いよーっ、襲ってるよー!!
なんなんだ、この人は。だれなんだ、こいつは!
意味不明な話ですいません。しかも終ってないし。なんでだー!?
(2003/02/12)
わけわからんはなしだなぁ。シリウスニセモノだし。
どうも文が絶不調みたいです。何語だこれは。<日本語。
パッドフットは悪戯仕掛人としてのシリウスのコードネームです。
この主人公の思考回路はもう、適当に。
一応、シリウスに言葉の祝福をかけるというのも考えたんですが…どうしよう。
最後の、こういう言葉遊びって好きなんですよね。はぐらかす、みたいな(笑
こっそりと月の下で、次は、語り明かしたいですね~。
(2003/02/12)
年齢設定の変更。
原作読み直しの結果、これで十分と判断したため。
あと、こうでないとリリーとジェームズの関係が説明つかない。
(夢だから、つかなくてもいいんだが……)
(2013/06/20)
ちょっと改訂。
(2012/11/5)