行灯に入れた火がぼんやりと室内を照らす中で、夜着の白装束を纏う私は幾重にも折られた書状に目を通していた。書状、などと大袈裟に言うのもアレだが、内容はそんな堅苦しいものでもない。ただ私が非常に困る内容であるだけに、溜息が勝手に溢れるのだ。
「起きてるのかい、葉桜君」
障子の向こうから聞こえた声に私はびくりと肩を震わせる。こんな風に私を驚かせる人物は新選組の中でもほとんどいない。
「近藤さん?」
立って、障子を開けた私は、月明かりがやけに眩しくて目を細めた。暗い室内にいたせいだろうか。いつもの近藤の背中がやけに心許ない白さの気がする。
まっすぐに歩いて近づいた私は、近藤の左斜め後ろに膝をついた。
「こんなところで何をしているんですか?」
「こんなって、隣が俺の部屋なんだけど」
「ここは私の部屋の前です」
言い返すと、振り返らない近藤は、そのまま深く深く息を吐く。
「そう邪険にしないでよ」
近藤は左隣を叩いて促すので、仕方なく私はそこに座る。それから、何かを私が言う前に、近藤が寄りかかってきた。倒れない程度に加減するのは大変だろうに、私の肩に体重をかけない器用な寄りかかり方をする。首元に触れる近藤の柔らかな髪が、私には少しくすぐったい。
「また酔ってる」
「葉桜君までそういうことを言うー」
近藤から酒の香りを嗅ぎとり、私は小さく笑いながら指摘する。私は丁度早番で出ていたから知らないが、朝から酔っ払っていた近藤と幹部連中で少しあったらしいというのは沖田から聞いている。
「いーじゃん、俺だってたまには何もかも忘れて飲みたいんだよ」
「気持ちはわかりますけどね~」
この新選組を維持する為に近藤が苦労していることは知っているし、別にたまには酒に溺れるのも良いとは思う。
「ま、約束があるのにっていうのはまずかったですね」
近藤の右肩に腕を伸ばし、私は軽い力を込めて、その身体を自分の膝に落とした。冷たい膝に人肌が心地よい。月明かりに照らされた近藤は驚いたように私を見ている。
「何も無い時でしたら、私がお付き合いしますよ」
「へ、え、葉桜君が?」
「ええ、あの人みたいになったら殴り倒しますけどね」
小さく笑いを零すと少し目を丸くした近藤が何かに気づいた顔をする。
「あの人って、」
私はただ頷く。それだけで近藤には通じたのだろう。困った素振りで私から視線を逸らした近藤の頭に手を添え、私は静かに撫でる。
「お願いですから、近藤さんはあの人みたいにならないでくださいね」
あの人のように、芹沢のように私を置いていかないでくださいね、と口にしそうな言葉は飲み込み、私はただ柔らかに微笑む。それをどう解釈したのか。おもむろに身を起こした近藤が起き上がり、視線を私から外したままに謝罪を口にする。
「ごめん」
「何を謝るんですか」
「……ごめん」
繰り返される謝罪を私はただ笑う。
「変な近藤さん」
くすくすと小さな笑いを零す私を近藤は哀しそうにみる。その意味に気づいているから、私は笑いを収めて、じっと近藤の瞳を見つめた。深い深い優しさと強さを宿す瞳は、とても安心する。
「何かあったんですか?」
近藤の瞳が大きく見開かれ、私はまた笑うのを再開する。
「まいったな、わかる?」
「ええ」
「たいしたことじゃないんだよ」
「そうなんですか」
後ろ頭に手をやる近藤は逡巡する視線をさ迷わせ、それから私から視線をそらしたまま話し出した。
「祇園でさ、フラれたんだ。単に俺が嫌いとかなら、まあまだいい。でも彼女の理由は違ってさ」
祇園の、近藤がいう女性はこう言ったと困った風に話す。
「俺が新選組の局長で、佐幕だからなんだって」
悪いけど、私には近藤が何を言いたいのかわからない。そりゃ芸姑らだって木石じゃないのだから、思想だってあるだろう。今この今日にいて、さらには浪人や武家との交流も多い芸姑らが何も考えてないとは思わない。
「俺だってわかってるつもりだったさ。でも、仕事なんか忘れてたい状況であんな風に言われちゃ、流石に、ね」
仕事を忘れたい状況ったって、昨夜は確か仕事で近藤は祇園に行ったんじゃなかったか。行動の制限までするつもりはないが。
「近藤さん」
「本当、参っちゃうよね。その上帰り際には、別な芸姑からだけどトシ宛ての恋文渡されるんだぜ~。一晩、一緒にいたのは俺なのにさ」
近藤のふざけた言葉に私は、自然と自分の目が座ったことに気付いた。
「じゃあ、朝からやけ酒煽ったわけですか」
「皆、俺の気持ちぐらい察して欲しいぜ。この傷心をよ~」
人が心配したというのに、近藤は心配しがいのない人だ。立ち上がろうとした私は急に左に引っ張られて体勢を崩した。
「わ」
軽い音を立てて、広い胸板に抱き留められる。それは言わずもがな近藤で、淡い桜香に酒の匂いが混じっている。
「近藤さんっ」
「いーから、まだここにいなさい」
こんな、抱きしめられた体勢で何を言われても困る。いくら仲間だとしても、近藤は男で私は女なのだ。恋心がなくても、こういうのは困る。
「葉桜君が頼むなら、もう少し酒は控える。だから、ひとつだけお願いを聞いてくれないかな」
意外なことを言う近藤に、私は戸惑う。話をすることに異論はないが、近藤の提案には別な意図を邪推してしまう。近藤は意外でもなんでもなく鋭いから、私の不安に気づいている気がする。
ーー置いていかないで。一人にしないで。
そう思っていた子供の私とは違って、今は追いかけることができるし、嫌がられても無視できるぐらいに図太くだってなってる。
「なんですか?」
近藤のお願いはなんら難しいことではなく、私にも嬉しい提案だから、素直に承諾した。
一人になるはずないのに、不安で不安で仕方ない。平和なのに幸せ過ぎて怖いのは、いつか壊れると知っているから。
それでも離れられないのは、新選組が好きだから。
口に出来ない想いを秘めて、私は近藤の腕の中、静かに瞳を閉じた。
いっそ近藤さんVS土方さんで書こうかと思ったんですが、なんでか土方さんが出てきませんでした。
まあ、話がまとまらなくなるから引っ込んでてくれていいんですが、微妙にこう物足りない感じが……。
(2010/03/16)