私が将棋盤を見ながら考え込んでいると、横から出てきた手が勝手に飛車を動かした。
「あ、こら、永倉っ」
「考えすぎだろ」
「今から動かすところだったんだから、邪魔するなっ」
向かいに座っていた原田が不敵に笑う。
「へへ、もーらい」
動かされた飛車を取られて、私はジタンダを踏む。今私は原田と賭け将棋の真っ最中なのだ。しかも、何故か永倉の余計な一手で追い込まれている。
「今のはナシだろっ」
「動かしたら決まりだろーが」
「無効!」
「へっ、やーだね」
意外にも原田は将棋がうまく、私は一勝もできていない。碁だったら互角に持っていけるのに、今日はどうしてもと将棋になったわけだが。
「くっそ、また負けたっ」
三敗させられた私は渋々ながらに財布から金を出し、原田の手に乗せる。
「まいどありっと」
この程度の出費、私には痛くもないが、それにしたって腹立たしい。その腹立たしさで、私が隣にいる永倉を殴りつけるが、あっさりとその手を掴まれる。それを見越して、蹴りだした足では素直に蹴られてくれたものの、まったく効果はない。とりあえず気の済むまで蹴ってから、私がやめると永倉に腕を引かれた。
「うわっ」
その膝に落ちて、上から顔を覗きこまれる。
「たまにはいーじゃねぇか。一応、毎回借りるのも悪いと思ってんだぜ?」
「巻きあげるほうが質が悪いだろ」
しかも、私が将棋に不慣れなことを知っていて。
横から永倉と同じように私を見下ろしてきた原田が、つ、と私の目元を指の腹でなぞる。
「っ、やめろ」
「おー、マジで新八の言ったとおりだな」
「だろ?」
意味不明な会話をする二人を見上げていると、何故か肩を叩かれて。
「葉桜、オメー、夕刻から見廻りだったよな」
私の予定を知っているなんて、珍しいなと首を傾げつつ私が肯定すると、いきなり額を叩かれた。痛くはないが、私は驚いて思わず目を閉じてしまう。
「替わってやっから、寝てろ」
「はぁ?」
永倉が何故、と私が困惑の目線を永倉に向けると、彼は珍しく柔らかに笑って。
「って左之が言ってたぜ」
原田を指さした。
「あ?俺かよ」
驚いた様子の原田だったが、まあ金もらったしいーか、と快く変わってくれたまではいいのだが。
「なんで?」
原田が土方に交代することを報告に行くと言って、永倉と部屋に残された私は、永倉の膝を枕にしたまま問いかけた。
「隈できてんぞ」
その一言で気遣いがわかった私は苦笑する。だから、快く変わってくれたわけか。
「オメー、また最近休んでねぇだろ。総司の代理ったって、そこまでやんなくていーんだぞ」
俺ら皆で分担すりゃあいい、と言う永倉だが、正直余計な世話だ。
おそらく、以前のことがあるから心配しているのだろう。私が大きな事件の後にはいつも根を詰めていたから。
「ちゃんと、休んでるよ。もう前みたいな無茶はしないさ」
「そうかァ? じゃあ、ここ最近で休んだ日を言ってみろよ。言っとくけど、丸一日非番だった日だからな」
なかなかに鋭い永倉の質問に、私はくすくすという小さな笑いで応える。まいったな、これはすっかりバレてるみたいだ。
「誰の差金?」
「気づいてる奴は気づいてるさ」
「そっかー」
私は片腕を顔の上に動かし、両目を閉じる。
「せいぜい十日ぐらいのことだよ」
一日中出ているわけではないし、巡察ばかりが私の仕事でないのはいつも通りだ。休みの日はいつだって、京の町に出て、情報収集か不逞浪士とやりあっているかだし。それを土方が知っているかいないかという違いにすぎない。
「無茶もしてないし、ちゃんと部屋で休んでもいるし」
「じゃあなんで隈なんて作ってんだ」
私が答えられずにいると、上から深い息が吐き出され、私の腕にあたった。
「寝れてねぇのか」
「そんなこと」
「あのなァ、誤魔化したって無駄なんだよ」
額を叩かれ、とっさに私は腕を上げると、永倉がひどく心配そうに私を見ている目とぶつかってしまった。困ったなぁ、と私は苦笑して、起き上がる。
「……心配し過ぎだよ、永倉。倒れるほどの無茶を今するほど、馬鹿じゃない」
「ああ、そうかもな。だが、」
先を続けようとする永倉の顔をまっすぐに見て、私は小さく笑って遮る。
「沖田に心配をかけるわけにもいかないし」
永倉は一呼吸置いてから、苦しそうに顔を歪め、私から視線を逸らした。それから、ぽつりと零す。
「オメー、山南さんとできてたんじゃねぇのか」
永倉の言葉を脳内で繰り返し、私はまたかとため息を吐く。
「……永倉まで、そんなことを……」
「だってよォ」
「永倉は自分の剣を奪った女を、本気で好きになれるか?」
私が真剣に問いかけると、永倉は何かを思い出し、顔をこわばらせた。
「葉桜、」
「私に誰かを愛する資格なんてものはないんだよ」
「っ、オメー……」
永倉が何かを言う前に、私は彼の脇を抜けて、部屋の奥へごろりと寝転がる。
「折角だから、部屋借りるぞ」
「葉桜」
「少し寝てるから、夕餉には起こしてくれ」
何かを言おうとする永倉から逃げて、私は狸寝入りを決め込んだ。そして、そのままゆっくりとゆるい微睡みに身を委ねたのだった。
(永倉視点)
葉桜の寝姿を見ながら、俺は頭を掻いた。目論見通りに寝てくれたのはいいのだが。
「ったく、なんで俺にこんな役をさせやがる」
発案は総司だが、試衛館から共にいる仲間たち全員の総意で、俺が葉桜を説得して休ませることになったまではいい。だが、勘のいい葉桜に気付かれずにというのは、到底無理な話だ。
案の定こうして葉桜は眠っているが、普段よりもピリピリと緊張した空気は隠しようもなくそのままで。俺はひどく居心地が悪い。
「はぁ」
「深い溜息ですねぇ、永倉さん」
急にかけられた声が意外なものだったから、俺は思わず顔をあげていた。
「そ……っ」
口元に人差し指を当てる様子に、俺は手を口に当てて声を抑える。総司は部屋の奥を覗いて、嬉しそうに頷く。
(よく寝てるみたいですね)
(まァな)
囁き声で話しているとはいえ、葉桜はピクリともしない。どうやら、本当に寝入っているようだ。俺が深く息を吐きだすと、総司はクスクスと小さく笑う。
「寝てなくていいのかよ」
「今日は調子がいいんです」
「そうか」
よかったな、と俺が笑うと、総司は嬉しそうに笑う。だが、その視線は俺を通り越して、葉桜に熱く注がれている。
「……どこから聞いてた」
「原田さんが出ていった当たりからです」
総司は気配を隠すのも上手いが、そりゃほとんど初めからと変わらない。俺は自分の綿入れを脱いで、総司の肩にかけてやる。
「葉桜さんは、きっと本当は山南さんが好きなんですよ」
おそらくは総司の言うとおりだ。さっきの彼女の言葉は裏を返せば、そんな風にもとれる。自分にはその資格が無いから、どれほどに好意を寄せられても信じられないのだと、自分を誤魔化しているんだろう。
「それでもいいから、僕は葉桜さんが欲しい。そう思うのは我儘でしょうか」
「……さァな」
こうして真っ直ぐに総司が葉桜を見るようになるまで、一年ほどの時間が必要だった。それほどにあからさまに総司は葉桜に好意を向けていたというのに、葉桜は一向に気にすることはなく、ひたすら山南さんを気にしていた。誰が入り込むことも出来なそうな三角関係を気づいているくせに、気づかぬふりを決め込んでいる葉桜に俺も他の奴らもやきもきさせられている。だが、葉桜本人は誰に応えるつもりもなく、ただ日々を過ごしているようだ。
「永倉さんも、葉桜さんが好きなんですよね」
「っ」
いきなり断定された言葉に、俺は総司を見た。穏やかな顔で、静かに見つめてくる眼差しは、清々しいほど好戦的だ。
「僕は誰にも葉桜さんを譲る気はないし、負けませんから」
男とか女とか、葉桜はあまりそういうことを感じさせない女で、どちらかというと仲間という意識のほうが俺は強い。だから、葉桜が幸せならそれでいいと思っているのは確かだ。
「ーーそうだな」
俺がそれに対して小さく同意を返すと、総司は楽しそうに笑って、部屋へと戻っていった。葉桜に気付かれぬうちに、と。
部屋に二人きりになってから、俺は葉桜の傍へ行って、向かい側へごろりと横になる。
男とか女とか、そんなん考えないでいれば、葉桜は頼れる仲間で、誇れる友人だ。だが、現実に葉桜は女で、俺もそれを認めているし惹かれている自覚はある。
手慰みに葉桜の長い髪を手に取る。その心根を表すように真っ直ぐな髪は、いつも柔らかでさらりとすぐに手のひらから滑り落ちて消える。少し前にそれで遊んでいて怒られたことを思い出し、あの時のように軽く引っ張ると、葉桜の閉じた目が薄く開いて俺を映した。
「もう少し寝てろ」
「ん」
しかし、よほど眠かったのか、目蓋の上に手をかざすとすぐに寝息が聞こえてきた。
自分と同い年と言うよりも幼い寝顔をじっと見つめて、俺は苦笑する。起きてる時は頼りになる仲間といえど、こうしていればただの女と変わらない。
その頬がふっと緩んでふにゃりと無防備に笑う。どんな楽しい夢を見ているのか知らないが、そこに自分がいたらいいなと、俺は少しだけ願いを込めて葉桜の頭を撫でた。
予定外に永倉vs沖田。
マジで予定外です。
本当は原田か山崎がいいかなぁと考えていたんですけどね。
書き始めたら、何故かこんなことに。
ま、いーんですけどね。
あ、ちなみに一応まだ永倉との関係は友人止まりです。
好意はあるけど、恋にまでは発展していないです(一応、ね。
(2012/11/16)
公開
(2012/11/21)