土方の部屋の中から外を眺めていた私は常になく、呆けていたようだ。目の前を遮る無骨な手を前に、視線を上げる。そこにいるのは永倉で、どうやら午前中の見廻りから戻ったところらしいというのは、その格好から察することができた。
「疲れてんのか?」
「んー、まあね」
強く握った拳を高く上げ、硬くなった身体をほぐすために高く上げる。そういえば、書類整理の真っ最中だった。
永倉は黙って私の背後に回りこむと、背中を合わせて座って寄りかかってくる。
「不逞浪士は牢に放りこんできたぜ」
「うげ、またいたのー? じゃあ……誰に担当してもらおうかなぁ」
こうして土方から肩代わりしている仕事の相談に乗ってくれるだけ、他のものが来るよりも助けにはなる。だけど、永倉も書類仕事は嫌だと手伝ってくれない。だから、私が部屋に閉じ篭るはめになるのだろう。
「源さん辺りがいいと思うぜ」
「……そこまでの重要人物なのか?」
井上は普段の正確に似合わず、取締に厳しい上、尋問はかなり過激だと聞いている。だから、それほどの要人なのかと尋ねたのだ。
「いや……」
言葉を濁す永倉を私が振り返ろうとすると、丁度良く寄りかかってきてた永倉の背中が離れた。同じように寄りかかってしまっていた私は、弾みで後ろに倒れこんでしまう。だが、畳に頭を打つことはなく、永倉の膝に収まってしまった。
「急に動くなよ、永倉」
「葉桜」
そっと私の前髪をかきあげて覗き込んでくる永倉は珍しく困った顔をしている。そのまま髪を撫でる手つきは柔らかく、心地良い。私が思わず目を閉じると、少しの間を置いて、額を叩かれた。
「なんだよー」
「なんでもねェよ」
そう言いながらも、起き上がろうとする私を制して、また髪をそっと撫でてくる。
「……オメェ、サンナンさんとはどうなってんだよ」
永倉の質問を脳内で繰り返し、私は溜息をついた。
「どうもこうも、屯所が移ってからは会いに行ってないよ。町で偶然ばったりってのはあるけど」
「なんで行かねェ。責任でも感じてんのか」
らしくない、という永倉に私はクスクス笑いで応じる。
「まさか」
「サンナンさん、葉桜のこと気にしてるみたいだぜ」
「……そう」
永倉の言い方から、それが直接そう言われたことではないとわかり、私は思わずほっと息をついていた。
それから互いになんとなく無言で、外で小さな鳥がチチチと鳴く声を聞いたり、道場で鍛錬している音を聞いたりしていた。他のものならともかく、永倉とこんな風にしているのは珍しくて、私は気がつくとクスクスと笑っていた。
「サンナンさんに会いに行ってやれよ」
「行く用事なんてないのにか」
私がいうと、永倉はますます渋面する。
「らしくねェってんだよ。んなこと気にしてんじゃねェっ」
「いたっ」
ばしんと顔を叩かれて、私は顔を抑えた。指の隙間から覗き見た永倉の顔は、ものすごく呆れている。だが、なんだかいつになくお節介だ。
「行かないよ」
「っ」
「山南さんの剣を奪った私が行って何になる。山南さんに応えることもできないのに、行ってどうしろと?」
永倉の膝から起き上がった私は立ち上がり、永倉を見下ろす。
「私と山南さんとのことに、頼まれてもいないのに口を出すな」
「葉桜……」
「用が済んだなら出て行け」
同じように立ち上がった永倉をたたき出し、私は部屋の障子を閉めた。永倉はしばらくそこにいたようだが、直に諦めて部屋から遠ざかっていった。
永倉がいなくなった後で、私はまた毒づく。
「……おせっかいめ」
山南さんに会いにいくなんて、できるわけない。用事があったとしても、今はまだ行けない。会う資格がない。
本心を言えば、あの腕の中で何も考えずに安らいでいた時間に、戻りたい。何も気にせずに甘えていたい。でも、それを終わらせたのは他ならぬ私なのだ。
「できるわけないじゃないか」
うつむいても涙は溢れない。ただ、溜息がこぼれる。
そして、声にならない呼び声は、私自身の耳にも届かず、風の音に掻き消えたのだった。