幕末恋華>> 読切>> 薄桜鬼 - 咒いの血

書名:幕末恋華
章名:読切

話名:薄桜鬼 - 咒いの血


作:ひまうさ
公開日(更新日):2012.12.5
状態:公開
ページ数:10 頁
文字数:13539 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 9 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
薄桜鬼版の幕末恋風記、みたいなもの。

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p.1

 京の夜、島原や祇園といった場所は別として、町中はひっそりと静まり返り、不気味なほどに怪しくも美しい月に支配される。古くは源義経が武蔵坊弁慶と出会ったとされる橋の欄干に体を預け、私はひっそりと月を見上げていた。

 雲が月を横切り、朧に空が曇る頃、獣の咆哮が近づいてくる。

 私が目を向けると、そこにいたのは痩せこけた白髪の男で、その目は赤く輝き正気は見えない。そんなものが二人もいる。

 咆哮を上げて飛びかかってくる一人から逃げることをせずに、私は素直に自分の体を明け渡した。

 肩にずぶりと獣の歯が食い込むのを感じながら、私は相手の頭をそのまま押さえつける。男はそのまま私の血を吸い、何かに気が付き暴れ始めるのを私は力づくで押さえつける。

「いい子だから、もう終わりにしな」
 男は徐々に力を無くし、ずるりと私の腕から崩れ落ちた。瞳も髪も黒く戻り、ただ驚愕のままの死に顔を晒している。まるで、毒でも飲まされたように。

 もう一人の獣は、本能で危険を察知でもしたのか、後退り、逃げようとした。だが、彼の前を白刃の光が横切り、それはもう動かなくなった。

 私は噛み付かれた肩を抑えながら、目の前に立つ不機嫌な男どもに笑ってやる。

「やあ、新選組の皆さん、今夜は良い月夜だ。一緒に酒でもどうだい?」
 努めて陽気に私が言うと、先頭にいた長髪の男が眉をひそめる。

「あんた、なにをした……?」
「何をって、されたのは私の方だと思うんだけ……ど?」
 ぐらりと体が傾く。ああ、ちょっと、いやかなり痛い。覚悟はしていたけど、噛まれたら痛いだろうなと思ったけど。

 どさりと自分の体が倒れるのをどこか人事みたいに見ていた。このまま、誰か私を殺してくれたらいいのに。

「おい!?」
「ははは、まー詳しいことはこんどーさんにでも聞いてくれると手間が省ける。とりあえず、このままほっといてくれ。ちょっと寝れば……だいじょー……ぶ……」
 騒々しい周囲の音はあっという間に聞こえなくなった。



p.2

 静けさの中で目が覚めて、私は最初自分がどこにいるのかわからなかった。

「……寝過ぎか、母様に怒られるな……」
「それはないでしょう」
 独り言に答えた声に驚き、布団を跳ねあげて体を起こすと、激痛が肩に走った。

「ったぁーっ!」
「無茶をするからです」
 笑い声で諌めてくる相手を見て、私は安堵の笑みを浮かべる。私の布団の傍らにいたのは、新選組局長、近藤勇という男だ。何度か会津藩邸で顔もあわせている。

「ほら、もう少し寝ていてください」
 そう言って、労るように私を布団に横たわらせる力に逆らわずにいると、上掛けを引き上げてから柔らかに頭を撫でられた。

「羅刹に体を差し出すなんて、いくら貴女でも無茶ですよ」
「そうですかねぇ」
「あまり無茶をされるなら」
「あーはいはい、わかってます。わかってますから、廊下で聞いてる奴らに説明お願いできますか」
 小言を言い始めそうな近藤をいなし、私はいつもの笑顔で近藤に願った。この男は存外に堅いところがあるので、おそらくは私が近藤から訊けと言ったと仲間に言われたところで、私が起きるまで話さずに待っていると思ったのだ。

 近藤は苦笑とともに、廊下に声をかけ、入ってくるようにと促した。続いてぞろぞろと部屋に入ってきたのは三人、廊下に五人。

「部屋、狭いですね」
「辛抱してください」
「ああ、いや、ホッとするって意味です。広いのは道場だけで十分ですから。いや、いっそ建屋全部道場であるほうが望ましいです」
 私が笑いながら否定すると、近藤はまた柔らに微笑み、私の頭を撫でてくれた。その心地よさに目を細めていると、苛ついた声が促してくる。昨夜も聞いた声だ。

「さあ、近藤さん、いいかげんにそいつが何なのか教えてくれねぇか」
 明け透けのないピシャリとした長髪のーー昨夜から私に疑問を投げかけている男を、私は小さく笑う。

「本当に律儀ですねぇ、近藤さんは」
 どうやら本当にこちらの予想通りに近藤は何も話していないらしい。

「葉桜さん、ここにいるものは私にとって最も信のおける者たちです。全てを明かしても良いでしょうか」
 改めて近藤から問いかけられ、私は苦笑しつつ困ったふりをする。

「どーしようかな」
「葉桜さん」
 私が誂おうとしていることに気がついた近藤が、軽く諌めてくる。私は小さく肩を竦めてから、体を起こした。すると、昨夜会った者たちが私を凝視してくる。主に、胸元を。

 自然と私も自分の胸元に目を落とし、着替えさせられていることで納得する。昨夜は男姿でいたし、夜の闇のせいもあって、どうやら女とは気が付かれていなかったようだ。

 誰が着替えさせたかは知らないが、当別妙なことをされることがないことはわかっている。私は意識して胸元に右腕を添え、笑顔で挨拶することにした。笑顔は大切だ。

「宇都宮藩で町道場の主をしている、葉桜と申します」
「葉桜さん」
「……僭越ながら、東照宮で影巫女の役を預かっております」
 近藤に促され、しぶしぶと口にすると、驚いた顔が私を見つめている。それから、怪訝な顔。

「巫女!?」
「これが?」
「だからって、ゆうべのは説明がつかねぇだろ」
 口々に言われる暴言は聞き慣れたものだから、私は右から左に聞き流していたが、一部届いた不機嫌な声にくすりと笑ってしまう。

「そーですねぇ。説明すると長くなるんで省きますけど、おそらくは羅刹の方々にとって、私の血は強すぎる毒に近いのではないでしょうか。ほら、巫女って言うのは神聖なイキモノですから」
「自分でイキモノとかいっちゃうんだ」
「ははは、まー、巫女なんてのはただのタテマエで、私は生贄と変わらないかと」
 変わらない調子で自分を「生贄」と言い切ると、周囲がしんと静まり返った。気遣う様子の近藤にも笑ってみせて、私は目を閉じる。

「影巫女というのは普通の巫女ではありません。この国の穢れーー人の生み出す(ごう)を浄化する役目を持って、生まれてくるのです」
「身体に神の血を宿し、その力を舞うことで制する。そう伝えられていますが、私は舞は苦手なのですよ」
「だから、私にできるのはこの身体に穢れを宿し、剣で祓うことだけなんですよね。ほんと、役立たずで困りますよー」
 私はからりと笑ってみせたが、笑いは返されず、訝しげな視線が少しいたたまれない。

「で、なんで、わざわざあんな真似をした?」
「はぁ、まあ、試したかったといいますか。西洋の鬼の血を飲んだ人間が、私の血を飲むとどうなるのか、知りたかったといいますか」
「……何故」
 説明するのって苦手なんだよなーと、私は笑いを貼りつけたままで、ため息を付いた。

「幕府から命が下りましてね。本来なら、私に従う義理はないんですけど、様子を見にこさせていただきました。羅刹研究をしていた雪村様がいなくなったそうですね?」
「場合によっては、私に後始末を、と。ーー勝手をしておいて、無茶にも程があるってんですよ、まったく! 穢れをわざわざ呼びこめば何が怒るかわかりもしないで」
 吐き捨てるように私が苛ついた声で愚痴ると、まあまあと近藤がなだめてくる。

「そういうわけで、しばらく葉桜さんを預かることになった」
「お世話になります」
 私は居住まいを正してから神妙な顔で頭を下げたものの、すぐにへらりとした笑顔を浮かべた。その様子を近藤以外の皆が複雑な思いで見ていた。



p.3

 葉桜が来た翌朝、日も明けぬうちから道場からは鍛錬の音が聞こえていた。声はないが、鋭い殺気に聡い者は飛び起き、一目散に道場へ向かった。

「やあ、皆さんお揃いでどうしましたか。顔も洗わずに」
 そこにいたのは、男姿で真剣を構える葉桜ただ一人。

「どうしたじゃねぇ、何してんだおまえ」
 道場に最初にたどり着いたのは土方で、寝ているところを叩き起こされたせいもあって、前日よりも更に眉間の皺を増やしている。

「鍛錬ですよ」
 平隊士であれば身を竦ませ、怯えるような声音に臆することなく、葉桜は飄々と答えた。

「……んな鍛錬があるか」
「ふふっ」
 呆れの混じった答えに葉桜が笑うと、何かを思いついたのか土方は練習用の木刀を置かれた場所へ足を向けた。

「起きたついでだ。相手してやる」
 木刀を二つ手にした土方が一本を投げ渡すと、葉桜は難なく受け取り、首を傾げた。それから、ああと頷く。

「木刀で鍛錬とは思いつきませんでした」
 持っていた真剣を鞘に収め、葉桜は木刀を持ち直す。

「嫌味か」
「いいえ、木刀って重いから」
 土方は葉桜の言葉に、さらに眉を潜める。真剣よりも木刀が重いなんていうものなど初めて見た。

「……何の冗談だ。行くぞ」
 葉桜が構えを取る前に、間髪入れずに打ち込んできた土方の斬撃を、彼女はひらりと身を翻して交わす。

「お、なかなかいいじゃないですかー」
 軽口を叩きながら避けるものの、葉桜は一向に攻撃しないし、構えもしない。いつの間には道場には他に沖田や原田、永倉、藤堂、斎藤等といった前日の面々が揃っており、一同が訝しむ。どういう状況かは容易に想像がつくものの、それに振り回されている土方という珍しい状況にはついていけなかったのだ。いつまでも逃げ続ける葉桜に、流石に土方が焦れて声を荒げる。

「おい!」
「焦らない焦らないっと」
 一瞬だけ動きが止まった土方の面前で、ひゅっと音がして、ふと気づけば土方の懐で葉桜が笑っていた。次の瞬間、土方の鳩尾に強い打撃が入り、蹲る。葉桜が木刀を握りこんだ拳をぶつけてきたのだ。

「っぐ」
「吹っ飛ばなかっただけ、マシかな。なかなかやるねー」
 対して葉桜はその場で息も見出さず、木刀に身体を預けて笑っている。

「……て、めぇ……」
「ん、んん? もしかして、木刀以外での攻撃は禁止? ここって、実践剣術じゃなかったっけ」
「それをトシにさせずに翻弄する葉桜さんが、特別なんですよ」
「近藤さん」
 まだ夜着姿の近藤を振り返り、葉桜は丁寧に頭を下げる。

「おはようございます」
「おはようー、話には聞いていたけど、早いねぇ。まだ明け五つじゃないか」
「遅いぐらいでしょう」
 葉桜の言葉に無言で否定が返され、彼女は首を傾げつつ、へらりと笑う。

「あー……じゃあ、実は早起きしましたってことで。寝すぎて目が冴えちゃったんですよねー」
「肩の調子はもういいのかい」
「はい、すっかり。なので、折角だから腕前を見ていただこうと思った次第で」
「殺気を振りまいたと」
「はい」
 確かに先程までの葉桜の動きは、怪我があったことなど微塵も感じさせない。そのことに気がついた者たちは、わずかに目を見張る。普通なら完治まではまだ時間がかかるものだし、そうでなくとも怪我の後遺症で庇う動きが出てもおかしくない。だが、葉桜にはそれがまったくなかった。

「……次からは、もう少し遅い時間でお願いします」
「はーい」
 様々な視線を受け止める葉桜は、それでも変わらず、笑っていた。



p.4

 ざんばらに高く結い上げただけの髪で男のように袴を履き、大小を刷いている葉桜はどこからどう見ても男で。

「なんでアンタそんなカッコしてんだ?」
 永倉の軽口ながらも目線だけは探るような問いかけに、葉桜は笑みを張り付かせたまま応える。

「似合うだろ?」
「この格好だと娘さんたちが良くしてくれてね、宿代も浮くし一石二鳥なんだー」
 無言のままの二人に、葉桜はいつもの読めない笑顔をより深くした。

 じゃあと去ってゆく葉桜の後ろ姿を見ている永倉の肩に、原田の手が乗せられる。

「どうした、新八」
「……ちゃんとしたカッコすりゃイイ女なのになぁ……」
「あ?」
「なんでもねぇよ」
 永倉は誤魔化したつもりだが、一部始終を見ていた原田は、なんとなく気がついていた。

(厄介な女に惚れちまったみてぇだな)
 表情を読ませない笑顔に、どこまでも巫山戯た振る舞い。それでいて、男並み以上の仕事をする腕前。普通とは到底言いがたい葉桜を振り向かせられるような男がいるなら見てみたいが。

「……ちっとは笑えば、違うんだろーが」
 原田の呟きは誰に届くつもなく虚空に消えたのだった。



p.5

 葉桜の仕事は主に夕刻から夜の巡察に割当たっていた。本人の申し出を考慮した結果、毎日当番の連中についていく形をとっている。

 仕事は鮮やかで、寄る手並みは他者の手を必要とせずに、魅了する。一種孤独の剣といっても差し支えのないものだ。集団戦法をとる新選組とは対局の戦い方だ。

 屯所へ戻ってから、斎藤は葉桜を睨みつける。物言いたげな視線を受けた葉桜は、一瞬だけ笑みを収め、それから普段とは違う寂しそうな笑顔を浮かべた。

「私はあんた達の剣が好きだよ。だけど、どんなに羨んでも……私には手にできないだろうな……」
 意味がわからず首を傾げる斎藤に背を向け、葉桜は腕を高く振り上げて、筋を伸ばす。それから振り返った時には、すでにいつもの読めない笑顔だった。

「受け入れてもらおうと思っているわけじゃない。受け入れてもらえるとも思っていない。ただ私は貴方達を利用させてもらってる。だから、貴方達も私を利用したらいいよ。これでも、それなりの力をもっているから、少しは役に立てるはずだから」
 答えたのは別の声。

「その力って、あいつらを殺れる力ってこと? それとも、幕府に融通が利くってこと?」
 闇の間から現れた沖田に、葉桜は動じることもなく肩をすくめて応える。

「どちらでも」
「じゃあ、アンタが近藤さんを大名にしろって言ったら、そうできるわけ?」
「おい、総司」
 咎める斎藤の声音に乱されることなく葉桜を睨みつける沖田に、彼女は少しだけ笑顔を収める。

「大名、ねぇ。どこの土地がいいの?」
 葉桜が切り返すと沖田は一瞬怒気に顔を染めた。

「……さすがにそこまでの権力はないけどね」
 からかわれたとしり沖田が刀に手を掛ける前に、斎藤がその柄頭を抑える。

「葉桜、そのくらいにしておけ」
「はーい」
 からからと笑って去ってゆく葉桜の背中を、沖田は鋭く睨みつけ、斎藤は探るように見つめていた。



p.6

 後に八月十八日の政変と呼ばれる日、葉桜は土方と近藤と共に平隊士に紛れていた。何も起こらず朝を迎えた翌夜、新選組の屯所の裏庭に一人の男が訪れる。そこに偶然居合わせたのは、葉桜ただ一人。

「これはこれは巫女姫様、何故あなたがこのような場所に?」
「余計な口上はいいよ、千景。どーせあんたの狙いは、これでしょ?」
 私が手の内で赤く透き通った小瓶を振ると、男は鼻を鳴らして答えた。

「人間共が変落水とか言っているものか。そんなもの」
「へー、回収にきたんじゃないんだー?」
 私がにやにやと笑って言葉を遮ると、男は苛立たしげに舌打ちした。

「貴様がこれほど早く動くとはな」
「災いの種を無視できるほど、軽い役目じゃないんでね」
「ならば、そんなものはさっさと廃棄すればいい」
「そーできたら楽だったんだけど、そーもいかない。元を断たなきゃ」
 男はしばらく葉桜を見下ろしていたが、不意に葉桜へと手を伸ばしてきた。

「だから、さっさと俺と来いと言っているだろう。おまえは人の中では暮らせぬのだから」
 男の言葉に対し、葉桜は一瞬だけ普段とは違う笑顔を向けてきた。それは作ったものではなく、心から浮かべたものだと、葉桜に親しいものは知る。

「やだ」
 それは、相反する願いにとらわれ、それでも足掻く笑顔だ。何度もそれを手にしようとしてきた男は、ならば、と続ける。

「では、いつものように力づくでいくか」
「じょーだんでしょ」
 男が動く前にと瞬間的に繰り出した葉桜の武器は、刀ではなく舞扇。それを翻しつつ戦うさまは、彼女以外には舞のようにも見えたころだろう。事実、退治する男は口元をほんの少し綻ばせて、遊んでいるようだった。

 ふたりの勝負はつかず、月が翳る頃にようやく男が諦めた。

「相変わらず、強情な奴だ」
「ありがとー」
 わざと見当違いに礼を言う葉桜に、男は目を細める。

「人の元にあれば、ただ穢れてゆくだけだろう」
「ははは、でも私は人だからさ」
「どの口がそれを言う」
 葉桜と千景は幼い頃からの知己であった。それは葉桜が生まれた時から影巫女となることが決まっていたためであるし、必然である。だからこそ、二人は互いをよく知っていた。

 片や鬼の首領となるべく育てられた男鬼、片や人の世を守るためと育てられた巫女姫。孤独ではあったが、二人は慣れ合う事も敵対することもなく、合えばただ世間話をする程度の間柄だ。

 鬼にとっての自分の血が毒と葉桜が知っているのは、以前誤って葉桜が怪我をした際に、偶然その滴を手にした千景が大火傷となったからだ。以来、周囲が二人の逢瀬を許すことはなかった。

「千景と遭うのは何年ぶりかなぁ」
「ふん、たかだか二十年ではないか」
「そっかぁ、たったの二十年かぁ」
 影巫女である葉桜の時間は、既に人とは違う。だが、鬼とも別だ。葉桜の母は齢百を超えても姿は二十歳のままで、力も衰えることはなかった。

 穢れは許せないけれど、害することの出来ない、やっかいなもの。それが葉桜の鬼にとっての立場だ。影巫女というのは、人の世の穢れを引き受けるイキモノであり、それはそのまま鬼の穢れも引き受ける稀有な存在。

「その血はまだ毒のままか」
「はっはっはっ、入れ替えれるならそうしてよ」
「……葉桜」
「入れ替えたところで、意味を成さないだろうけどね」
 人にとっては何もなくとも、鬼にとっては火傷を負うほどの猛毒。では、自分は一体なんなのだろうか、と葉桜はしばし考え込んだ。その顎を掴んで、いきなり男が上向ける。

「下を向くな、前を向け」
「んなっ?」
「そう俺に言ったのは貴様だろうが」
「……いったか、そんなこと?」
「ちっ」
 舌打ちし、男は葉桜の極近くまで顔を寄せる。それは吐息がふれあい、ほんの少しで口が重なる僅かな距離だ。

「人間臭い」
「あたりまえだろ」
「そうだな、貴様は人間だ。忌々しいことに、ーー人間だ」
 吐き捨てるように、苦々しげに呟いて、男はその手を離した。葉桜は掴まれていた体勢のままで、首をかしげる。

「千景?」
「貴様の血が毒でなければ、この俺が斬り殺してやったものを」
「……千景が、わたしを、ころしてくれるの……?」
 拙い言葉を紡ぐ葉桜の姿は、一瞬だけ過去を男に垣間見せた。だが、その後ににやりと笑う葉桜の姿に飛び退り、距離を取る。そこにいるのは幼い女ではなく、その身に鬼を殺せる毒を持つ、仮面の笑顔を貼り付ける女がいるだけだ。

「今日のところは引いてやろう」
「今日も、でしょう?」
「今日は、だ」
 男が消えた後で、葉桜は苦笑とともにため息を付いて振り返った。

「もーいーよー」
 かくれんぼの返事のように言うと共に、一斉に姿を表した男たちに、葉桜は嘆息する。

「いっとくけど、私はアイツの味方じゃあない。鬼にとって、私は手を出すことの出来ない穢れらしいよ」
「どういう意味だ」
「人にとってはただの血だけど、鬼にとっては猛毒。……この血は、厄介な呪いを受けてるんだ」
「羅刹が正気に返って死んだのもそのためですか」
「たぶんね」
 葉桜と出会った夜を思い出したのか、土方が舌打ちする。

「なんだ、その呪いってのは」
「さぁ?」
「答えろ」
「知るわけ無いよ。生まれた時からこうなんだし」
 肩をすくめてみせる葉桜には、真剣に取り合うつもりが欠片も見えなかった。だが、それは彼女にとって己を守る手段なのだと、よく話をする二人が気づき始めていた。



p.7

「葉桜っ」
「ん、なんだ?」
「いーところにいかねぇか」
「いーところ?」
「ささ、行くぞ」
「んあ? 私はこれから道場で稽古を」
「そんなの後でいいから」
 そうやって葉桜が引っ張ってこられたのは島原の一角にある角屋という店である。その前に立たされた葉桜をにやにやと見ていた二人は、次の瞬間目を丸くしていた。

「梓ちゃんいるー?」
「おや、久しぶりだねぇ、元気だったかい?梓なら今は」
 女将と話し始めた葉桜の後ろで、男二人が顔を寄せ合い眉根を寄せる。

「おい、新八、どういうことだと思う」
「どーもこーも、なにがなにやら」
 そうしている間にさっさと葉桜は座敷に上がり、二人も急いであがる。用意された芸姑はどう見ても中級以上で、どうなってんだと笑う二人を酌をされつつ葉桜は笑う。

「おい、葉桜」
「梓ー、舞が見たいなぁ」
 葉桜の所望で芸姑たちの舞が始まり、葉桜の周囲からも自然人がいなくなる。それを見計らって永倉と原田は、葉桜を挟むように座ったが、葉桜はただ笑って迎え入れた。

「それで、こんなところに連れ出して、どんな面白い話を聞かせてくれるのかな?」
「ああ、梓は私が以前知り合った子でね、そーいう関係ではないよ」
 永倉と原田は顔を見合わせ、目配せする。だが、葉桜は気にせずに酒を煽っていた。

「なんでわざわざ巫山戯た物言いをしてるんだ、アンタ」
「そーゆー性格だからでしょー」
「この間も、あの鬼をわざと怒らせるような言い方を選んでただろ。あんたは死にたいのか?」
 葉桜は手を止めて、ふぅと息を吐き出す。目の前では芸姑が踊りながらも心配気に葉桜を見ている。

「死にたいわけじゃないよ。ただ、深入りしたくないだけ。私は、人にも鬼にもなれない半端者だからさ」
「笑っていたほうが、からかわれていたんだと思ったほうが、皆楽だろう。そういういいかげんなやつなんだから、いついなくなったっておかしくないと思われたほうが楽だろう。どうせ、私は一処に留まれないんだからな」
 笑っているのに葉桜の声が泣いて聞こえて、男二人は同時にその顔をのぞき込んでいた。それに対して葉桜は笑っていたが、やはり楽しそうには見えない。

「……幕府の命ってのはマジだ。だけど、命を出したのは私自身。私はこの京の闇を払いに来たーーっていって、誰が信じる。信じられるわけがないだろう。人は目に見えぬものを信じない生き物だからな」
「アンタ……」
「おまえたちも、私に構うな。何も気がつくな。放っておいてくれ」
 葉桜はまた酒を煽り、そのままふらりと隣室へ入って襖を閉めた。それは明らかな拒絶だった。ここまであからさまな拒絶をすることはなかっただけに、永倉と原田は顔を見合わせた。

「どうするよ、新八。関わるなってよ」
「そーだな」
 いなくなる寸前の葉桜の顔を見ていた二人は同時に笑い、同時にその襖を開けた。葉桜は、そこで静かに、泣いていた。それはいつもの仮面の笑顔のままではあったが。

「嫌な、予感はしたんだ。おまえら、気が合いそうだから」
 部屋に一歩入ろうとした二人の前で、葉桜は小太刀を前に構えて半分引きぬいた。ギラリとした刀身が二人の目に映る。

「入るな」
「葉桜」
「……頼むから、入って来ないでくれ……っ」
 しかし、カタカタと葉桜の手も身体も震えていて、顔もそむけられていた。笑顔はすっかり消えていて、苦しげに歪んだ顔の閉じた瞳から、途切れることなく涙が流れ落ちてゆく。

 二人は葉桜の制止に構わず、前に進んだ。葉桜の手から小太刀を取り上げたのは原田だ。そして、まずその体を強く永倉が抱きしめて、震えを収める。

「なぁに泣いてやがる」
 頭を胸に抱き込んで、震える耳に永倉が囁くと、葉桜はくぐもった泣き声で応える。

「っ、近づくなって、っ、言った、っ、のに、っ」
 どうしてと非難の言葉を発しながら挙げられた葉桜の、涙に濡れた顔を見て、永倉は思わず顔を綻ばせる。やっぱり、こいつはイイ女だ。強いくせに、女の優しさと弱さを併せもつ葉桜は、きっと女の格好をすれば誰もが振り返るだろう輝きをもっている。

「近づいたのはてめぇだ」
「っ?」
「新選組を利用するために近づいて、そのくせこっちが歩み寄れば逃げるってなぁ、ずいぶんな話じゃねぇか」
 心当たりはあるのか、弱く口を噛み締める葉桜に、どきりと胸踊る。女と、知っていたし、永倉自身も惹かれている自覚はあった。だけど、あの張り付いた笑顔以外の表情は、どれも心を奪うほどに魅力的で。

「なんであんたはそこまで距離を取る。なんでそこまで、何からアンタは俺たちを守ろうとしてるんだ?」
 今度こそ本当に力を込めて、葉桜は永倉を突き飛ばしていた。涙に濡れた顔に笑顔ではなく驚愕を浮かべて。

「な、どうして……っ」
「影の巫女は幕府の要。彼女のいる場所は不可侵領域。だからこそ、守られているのは新選組の方なんだ、って冗談みたいに近藤さんが言ってたんだ」
「しこたま酒飲ませた後だったけどな」
「こ、こんどーさんんんっっっ!」
 今度は怒りに身を震わせる葉桜を、二人は面白そうに見る。

「いー顔になってきたな」
「新八の言うように、こりゃ化けるかもな」
「だろ?」
 葉桜は悔しそうに歯噛みして、それからがくりと膝を折って座り込んだ。

「……こんなこと、思いついたの、アンタたちじゃないな。ーーたぶん、土方さんか山南さんじゃあないか?」
 二人は同時に苦笑して、同じように首を振った。

「これがもし土方さんや山南さんなら、こんな場所にアンタを連れてくると思うか?」
「……思う」
「はははっ、他のやつならともかく、アンタが女と知っててやんねぇだろ。今回のは俺と新八の独断だ。他の奴らは、まだアンタを芯から信用してねぇからな」
「そんなの、二人だってそうじゃないか」
 ふてくされて口を尖らせる葉桜は、今までと違ってそこらの町娘と変わらない。その落差がおかしくて原田は笑い、永倉は視線を彷徨わせる。

「こんなことを私に仕掛けて、何を聞き出すって? 私は最初から何も隠さず話しているのに」
「その顔なら、あいつらも信用して聞ける。だから、最初からやり直さねぇか」
「最初、から?」
「もちろん、出会いからだ」



p.8

 布団の上で目を覚ました私の傍には近藤がいた。それから、最初と同じ位置に全員が座って、私を見ていて。

「……茶番かよ」
「そう言わずに、ね」
「ほら、おまえの自己紹介からだぞ」
 葉桜は渋々と起き上がり、全員の顔を見てから、眉をひそめる。

「おい、絶対全員グルだろ」
 少し恨めしげに唸ってから、葉桜は真剣な眼差しで言葉を吐き出した。

「私は宇都宮藩で町道場の主をしている、葉桜と申します。遺憾ながら、東照宮で影巫女の役を預かっていて、この度京に不穏な影があったため、幕府の命と偽り、こちらに所属させていただくこととなりました」
 すらすらと淀みなく言うが、全員がそれを見守っている。

「昨夜の一件は、本当に自分の血で羅刹を沈められるかを試したかったためであり、死ぬつもりは最初からありませんでした。もとよりこの身は神に捧げられているために死ぬことはなかった故、できればあのまま放逐しておいていただきたかったです」
「私が所属するということは新選組に拒否する権利はありません。しかしながら、俸禄の増額、権利の保護、組織としての新選組の権利を保証することができ、おまけで鬼に敵う戦力がひとつついてきます」
「そういうわけですけど、あまり私に遠慮もお構いもなくいさせてください。よろしくお願いします」
 一息に言い切ってから全員を見回すと、近藤から頭を撫でられた。葉桜は恨めしげにその顔を見る。

「最初から全部言ってしまってよかったのですよ」
「こんどーさん……」
「我々に拒否権がないのと同じように、葉桜さんにも他に手立てがないからここにきたのでしょう。本来のあなたはどこかに所属することさえできないのですから」
 すっかり項垂れてしまった葉桜に、土方が咳払いをして声をかける。

「あー……いろいろと、悪かったな」
「…………」
「近藤さんから話は聞いてたんだが、どうにもあんたの態度がなげやり過ぎて、信じきれなかったんだ」
「……気持ち悪い」
「は?」
「土方が素直で気持ちが悪い」
「ぷっ、くくくっ、はははっ、そ、そうですねっ。でも、葉桜さんも面白いですよ」
 笑い出した沖田に、葉桜無言で枕を投げつけたが、あっさりと取られてしまった。

「最初っからそーしてりゃ、俺らだってもう少しアンタの話を聞いてやれたけどよ」
「聞かなくていーから、あーしてたんだ。どーせただの御伽話なんだから」
 私が怒った口調で言うと、山南が苦笑を返してくる。

「最初からあなたが本当のことを言っていたことはわかっていました。羅刹に自分の血が効かないとなれば、あなたは別の手を講じるつもりだったのでしょう?」
「山南……」
「だからこそ、一人で試すことを選んだ。新選組に入ってからでは、私たちが色々と隠してしまうかも知れなかったから」
「はぁー……そこまで、考えてはなかったな。そうか、そりゃ隠すよな。幕府の密命だし。いくら知ってるって言っても、信じるわけないし」
 つぶやいていると、藤堂が身を乗り出して面白そうに聞いてくる。

「ねーねー、ずっと気になってたんだけどさ、なんで葉桜はそんな変な言葉づかいなの?」
「あーこれでもマシになった方」
「マジで!?」
「以前はもっとこう古臭いジジイみたいな言葉遣いでさぁ、父様たちがからかうから直したんだ。そしたら、今度は父様の言葉遣いが写って、母様がカンカンに怒ってさー」
 クスクスと思い出し笑いをしていたら、何故か原田が頷いている。

「そうそう、最初っからその笑顔なら、俺らも文句はなかったんだぜ?」
「やっぱり女の子はこうでなくっちゃなぁ」
「女の子って。私、もう二十四なんですけど」
 一瞬、場が凍りついて、次いで思い切り驚かれた。

「お、同い年かよ」
「なんでそれが嫁にも行かずにこんなことしてんだ……」
 いろいろと失礼な質問は言われ慣れているためかわしておいて。

「あー、影巫女ってのは嫁に行っちゃいけないんですよね。だから、うーん、あれだ。尼僧と変わらないかな」
「に、尼僧って」
「それに普通の人間が影巫女と交わることはできませんから」
「っ、葉桜さん……! 年頃の娘が」
「だから、近藤さん、私はもう年頃じゃないんですってば」
「年頃でなくとも、女性がそんな、ま、ま、ま」
「交わる?」
「そういうコトを言ってはいけないっ」
「ふふふ、今更?」
「葉桜さんっ」
「まあそういうことで、改めてお願いします」
 妙に晴れやかな気分で私は頭を下げたのだった。



p.9

 千景が再び現れたのは、葉桜が新選組と打ち解けた次の夜のことだ。なんとなく池のあたりにいたら、ふらりと現れたのだ。相変わらず鬼の頭領ともあろうものが伴の一人も付けず。もっとも彼にその必要はないだろうから、撒いてきたのだろう。

 彼は葉桜の顔をみるなり不機嫌に舌打ちした。

「もう人間どもと打ち解けたのか」
「お陰様で」
「俺はなにもしていない」
「そうだな、なにもしてない。千景はただ現れただけ。でも、お陰で面を剥がれてしまったのさ」
「……別に人間などと馴れ合わずとも良いではないか。俺がいるのだから」
「はは、千景だって、私の傍にはいられないだろう。私をそばに置くことどころか、こうして話すことさえイイ顔をされないんだから」
「…………」
「千景には感謝してるよ。私は人でも鬼でもなくて、きっといつかはここを離れることになるだろうけどーー力になってやりたいんだ」
「……利用されても、か」
「ああ」
「……馬鹿者」
「ああ」
「……俺と来れば、人間どもよりは楽に暮らせるぞ?」
「そのかわり、人より厳しい規律があるだろう? そんな窮屈、私は御免被る」
 瞬間千景に何かが投げつけられ、彼は無造作にそれを手にする。

「人間風情が」
「怒るなよ、短気」
「煩いっ、今日は気が削がれた」
「またおいで」
「いや……次に会う時は……」
 千景が消えた後で、周囲からあからさまな安堵が聞こえて、葉桜は苦笑する。

「千景が来たのは別に私のせいじゃないぞ?」
「んなこたぁわかってるよ」
 葉桜の右と左、それぞれの肩に手をおいたのは、永倉と原田だ。

「ちっと聞いときてぇんだけどよ、巫女ってのはどこまでが許されんだ?」
「なにがだ」
「あー……想いまでは神様だって止められねぇだろ。だからよ、葉桜……」
「つまり、新八はアンタに惚れてるって話だ」
「なっ、左之!!」
「……それはなにか悪いなぁ。想いはもう別な人に捧げてしまったんだ」
「へ?」
「いたのか?」
「まあな。巫女だって、人並みに恋をすることもあるよ。私はもうしないけど」
 おやすみと二人に背を向け、自室に向かう葉桜を、二人が追いかけてくることはなかった。

「つまり、今はいないってことだな。よかったな、新八!」
「よかった、のか?」
「頑張ってその気にさせりゃあいいじゃねぇか」
「あ、ああ……」
 そんな内緒話をしていたことを、葉桜は知らなかった。



p.10

 葉桜はあの一件以来、ぱったりと無理に笑うのをやめた。

「葉桜、メシいかねー?」
 道場の端でうたた寝している葉桜に永倉が声をかけると、彼女は平然と応える。

「いかねー。今日の当番はマサだから、外に行くより美味いの食えるし」
「マジか、じゃあ、俺も」
 そういって、隣に永倉が座るのを気にかける様子もなく、時々船を漕ぐ。

「あ、なあ、葉桜」
「んー……」
「こないだ、平隊士共が噂してたんだけどよ」
 他愛のない永倉の話を聞き流しながら葉桜は大きく欠伸をする。その目尻に溜まる涙を拭っていると、葉桜は急に引き倒されて、永倉の膝に頭を乗せていた。ーー少し固いが、枕には悪くない。

「おやすみ」
「って、おい!」
 上でごちゃごちゃと文句を並べ立ててはいるが、永倉が自分をどける様子はない。だからか、葉桜は小さな笑みを浮かべて、心地良い午睡にまどろんだ。

 一方で、寝入ってしまった葉桜と硬直する永倉がおそるおそる彼女の髪を撫でる様子を、遠目に見る者たちがいる。

「新八さん、趣味わりぃ」
「そうでもねぇぞ?」
 からかう声音は、二人の遅い春を祝っているようではあった。







 祭囃子に引かれるようにふらりと歩く葉桜の手を永倉が引く。葉桜が振り返ると、勝手に離れるなと咎める視線を、葉桜は不満気に見返す。

「早く行かないと、いい場所がなくなる」
「んなことねぇよ」
 素直な感情を露わにする葉桜に苦笑する永倉の目に映るのは、常のような男姿ではなく、自分が送った女物の浴衣姿の彼女の姿だ。ダメ元で誘った祭に二つ返事で葉桜が答えた理由は、相当な祭好きだからだというのがすぐに知れた。子供みたいにはしゃぐ様子はとても自分と同じ年には見えず、かといって、気持ちは冷めるどころかますます葉桜にのめり込む。

 ここまで自分と付き合える女はいなかったが、ここまで惹かれる女もいなかった。葉桜は永倉を友人としか見ていないと言っていたが、あれから変化はあったのか、聞いてみたいところではある。

「特等席を聞いてあるって言ってんだろ」
「あーぁ、どうせなら参加したかったなー……」
 滅多なことを言う葉桜は心底残念そうだが、その下がる眉尻をつつくと、すっかり下げられた眉が泣きそうになっている。

 好いた女の泣き顔ってのが、こんなに胸が高鳴るとは思わなかった。

「永倉」
「な、なんだ?」
「ごめん、野暮用。ここで待ってて」
 葉桜はいきなり走りだそうとしたが、常とは違う格好のせいでもつれて転びかける。それをすんでのところで抱きとめた永倉は、その身体の柔らかさにまた胸を高鳴らせた。

「あ、りがと、永倉」
 それは葉桜も同じだったのか、それとも年甲斐もなくと恥じただけなのか。どちらにしろ、ほんの少し頬を染めた葉桜の顔をもっと見たいのと、野暮用の理由を尋ねるべく、永倉は彼女に顔を寄せて囁やいた。

「なんだ、野暮用って」
 誤魔化されるかとおもいきや、葉桜は困った様子で路地裏を指す。そこには幼い子供が一人で泣いていて、浪人が一人突っかかっている。子供相手に大人げない、と周囲からも非難の目は向けられているが、誰も助けに入る様子はない。

 アレを助けたいと、その格好でいうのかと永倉が嘆息すると、すっかり落ち込んだ葉桜が無理に笑う。

「先に、戻ってて。面倒になるかもしれないし」
「馬鹿か」
 その頭を強く小突き、俺はその現場に歩き出した。酔っぱらいとはいえ、俺が新選組三番隊組長と気づいた途端に、あっさりと逃げやがった。その間に葉桜は子供をあやしていたようだ。ほどなく、親が迎えに来ると、笑顔で彼女は彼らを見送って。

 そうして、喧騒の中で寂しげに呟いた。

「……いいなぁ」
「あ?」
 親が恋しい年頃でもないだろうに、と永倉が呆れた視線を向けると、葉桜はそれに気づいて恥ずかしそうに笑う。

「原田たちには言うなよ?」
「何をだよ」
「……んん、まあ、うん」
 言葉を濁す葉桜を直ぐ傍の路地裏に引っ張り込み、永倉はその顔を覗きこむ。葉桜は恥じらいを素直に表していて、襲いたくなるほど、永倉には愛らしく見えた。

「葉桜?」
「私な、旅にでるまで、近くで祭を見たことなかったんだ」
「へ?」
「地元じゃ顔が売れてるし、私がいるだけで騒動の種になるから」
 苦笑しているが、葉桜の顔が寂しげで。思わず抱きしめたくなるような葉桜に腕が伸びたところで、永倉に制止をかけてきたのは、彼女の方だった。

「祭に連れてきてくれたこと、感謝してる。だが、私は永倉の気持ちを受け入れられない」
「私の身体は生まれた時には既に神に捧げられた身だ。それは普通の巫とは違って、人との交わりを許されることはない」
「心は、心だけは自由だけれど、それだけでは永倉は満足しないだろう?」
 泣きそうな顔で俺を見る葉桜の瞳は、見たこともないほど揺れていて。そうまで言われても諦めきれない思いに、永倉は奥歯を噛む。

「否定は、しねぇ」
 寂しげに俯く葉桜の顎を掴んで、眼を合わせる。

「でも、それとこれは別だ。葉桜、てめぇ自身はどうなんだ。俺をーーどう思ってる」
 驚いて見開かれる瞳が一瞬歓喜に写ったのを、永倉は見逃さなかった。言葉よりも表情よりも雄弁なのは、葉桜の瞳の色だ。最初からこれだけはかわらないと、永倉は知っていた。

「好きだ」
 畳み掛けるように永倉が言うと、葉桜の顔が朱に染まる。何よりも明確な返答に、葉桜の口へと永倉は己のを重ねた。触れるだけでも目眩がするほど柔らかく、温かい。そして、抑えきれないほどの、欲情。

「っ」
 葉桜の身体を抱き寄せ、さらに口吻を深める。驚いて逃げる舌を捉え、絡ませ、深く深く飲み込む。

 永倉にとって、こんなにも甘く感じられる口吻は初めてだった。葉桜は息継ぎの仕方も知らず、懸命に永倉の胸を押し返すが、その力は常になく弱々しく、自力で立っていられないほど腰が砕けているのを永倉が支えている状態だ。

「っ、は……っ」
「接吻もしたことねぇのかよ」
「す、る……かっ! ……恋、したのって、父様、だけ、だもん」
「父親ぁ?」
「はぁ……っ、父様って言っても、私の育ての親の方」
 あらかた息の整った葉桜に永倉がもう一度と口を近づけると、寸前で掌で遮られた。べろりとその手を永倉が舐めると、葉桜は声にならない悲鳴を上げる。

「ゃ……っ」
「てぇどけろ」
「っ、永倉っ、だから駄目なんだってっ!」
「聞こえねぇな」
「いくら私が…きでも、駄目なんだっ。永倉が、死んでしま……っ」
 悲鳴のような葉桜の声を、永倉は再び口吻て抑えた。それから、再び葉桜の力がなくなるまで続けて、それから言う。

「想いだけなら自由なんだろ。じゃあ、もうちっと素直になれ」
「永倉……」
「俺をどう想ってる」
「……駄目、なんだ……」
「葉桜、逃げんな」
「……私が好きになると、皆、死んでしまう。私を、置いていってしまう。だから、もう恋なんて、誰かを想ったりなんて、したくない……」
「で?」
 尚も永倉が問い返すと、葉桜は強く睨み返してきた。

「なのに、こんなことすんなっ! 簡単に、私の中に踏み込んでくるな……っ」
 一頻り叫んでから、葉桜は荒く息を吐き、それから永倉に背を向けた。

「……永倉は、大切な、大切な、仲間だ。それでいいんだ」
「葉桜」
「もう、私に構わないでくれ。これ以上はもう嫌なんだよ。失うのは、嫌なんだ」
 そのまま逃げ出しそうな葉桜を、永倉はもう一度後ろから抱きしめる。

「俺は俺を好きか嫌いか、それを聞いてんだ」
「っ」
「嫌なら、そう言え。だったら、俺も諦めるからよ」
 葉桜はビクリと身体を震わせた。嫌いなど、簡単には口にできないと、永倉は知らないだろう。そんなこと、巫である自分には言う自由なんて……。

 葉桜は一度目を閉じ、それから覚悟を決めた。

「手を離せ」
「逃げねぇか?」
「ああ、逃げない」
 それから永倉に向き直り、口を開いて、それでも一度閉じて目を彷徨わせた。

「……い、一度しか言わないからな、よく聞いておけ」
「おう」
 顔どころか首から上まで朱に染めた葉桜を前に、永倉も釣られて頬を染める。周囲は祭囃子で賑やかなのに、二人のいる路地裏だけが静かになったようだ。

「もし私が普通の娘なら、迷いなくアンタに惚れてるって言える。だけど、私はやっぱり巫女だから、アンタにそれを告げることは出来ない」
 一息に葉桜が言うと、永倉は少し考えこんでから、そうかと頷いた。それから、手を差し出す。

「何?」
「祭に来たんだろ?」
 永倉の言葉で葉桜は今を思い出したらしく、目を丸くした。それから、力が抜けるような笑顔を見せる。

「あ、ああ、そうだったな」
「行こうぜ」
「うん」
 その笑顔にときめきながらも、永倉は葉桜と繋いだ手を強くするだけで、それ以上何もすることはなかった。

 二人で屯所に戻ると、正門で原田と藤堂が彼らを待っていた。

「進展したか?」
「やったじゃん、新八さん」
 二人のからかいをいなす永倉を見ていた葉桜は、小さく笑う。それを見ていた原田と藤堂は顔を見合わせ、永倉を問い詰める。

「葉桜さんが女に見える」
「おい、新八、まさかやっちまっ……っ」
 途中まで言いかけた原田は鍔鳴りの音でピタリと言葉を止めた。もちろん、それをしたのは葉桜だ。胸元で懐剣を引きぬく姿は、不敵に笑っている。

「永倉は仲間だよ。ただ、それだけだ。な?」
「ああ、そうだな」
 葉桜の言葉に、永倉は軽く笑って返す。それを満足気に見ると、葉桜は「おやすみ」と言って、さっさとひとり中へ入ってしまった。

「で、本当のところはどうなんだ?」
「さっき葉桜が言ったまんまだ。俺らは仲間なんだとよ」
「それにしては嬉しそうだよね」
 藤堂の言葉で永倉が思い出したのは、もちろん葉桜の告白の言葉だ。

「あー!やっぱ、なんかあった!!」
(「もし私が普通の娘なら、迷いなくアンタに惚れてるって言える。だけど、私はやっぱり巫女だから、アンタにそれを告げることは出来ない」)
(つまり、やっぱ俺に惚れてるってことだろ?)
 思い出し笑いする永倉を、藤堂は気味悪そうに、原田はどこかホッとした様子で見ていた。

あとがき

いきあたりばったり。
ざっくりかいたけど、なんだか自己完結したような気がする。
あるいは序章。…続きが思いついてないし、これで完了でもいい気がするな。
あと、やっぱり葉桜さんでオリジナルの幕末もの書いてみたいなぁ。
(2012/11/16)


うん、永倉にオチたのは趣味です!
アニキ大好き。
そして、やっぱり薄桜鬼はコンプしてないだけあって、キャラが掴めないです(ォィ
(2012/12/03)


長いので分割。
でも、適当すぎる殴り書きなので、一括更新。
え、ちょっと前に長いからって一日置きに更新してたって?
……まあ、気分ということで。
書きなおすことは多分ないです。
薄桜鬼をちゃんとコンプしたら、たぶん別なヒロインが生まれることでしょう(え
ではでは、お粗末さまでした。
(2012/12/05)


統合
(2014/07/15)