戦国系>> 落乱>> ここが私の帰る場所

書名:戦国系
章名:落乱

話名:ここが私の帰る場所


作:ひまうさ
公開日(更新日):2016.1.28
状態:公開
ページ数:9 頁
文字数:15958 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 10 枚
デフォルト名:/美緒
1)
おかえりなさい・おかわり
シリアス風味
R15?かな?

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<< 戦国系<< 落乱<< ここが私の帰る場所

p.1

 その日の朝まではなんでもなかったはずだった。お客さん達が、近くで合戦があるとか何とか言って、しきりに心配してくれるのは、何故か皆私が戦災孤児で記憶が無いことを知っているからだ。

 ドーン、という大きな音に驚いて、最初にお茶を零した。

 二度目の音で、お盆を頭にうずくまり。三度目には、店の中に駆け込んで、衣装部屋に閉じこもっていた。

 自分では平気なつもりでいた。鉄砲なんて、きっと花火と同じだと。それに、自分には関係ないのだからと。

「美緒っ!」
 閉めきった部屋のどこからか入ってきた見慣れた友人の姿に、私は反射的にへらりと笑っていた。

「あ、善法寺君、いらっしゃ……ひゃっ!」
 再び聞こえた大筒の音に、私はわたわたと衣装の隙間に入り込み、両手で耳を塞いで閉じこもる。

「あれ、美緒は?」
「そこだよ」
「だから避難させたほうがいいと言ったんだ」
 聞き慣れた友人たちの声が聞こえて、私はそろそろと衣装の隙間から顔だけを出し、またへらりと笑った。そこには善法寺君の他に食満君と潮江君、立花君がいて。

「わ」
 急に肩を掴まれたと思ったら、私は七松君の腕の中にいて、よく見れば、中在家君まで揃っている。

 今までで一番近くで大筒の音が聞こえて、私はビクリと身体を震わせ、とっさに七松君にしがみつく。

「っ」
「美緒でも、怖いものあるんだなっ」
 やけに嬉しそうな七松君に反論する気力は、ない。

 この合戦はいつ終わるのだろう。ここまで来なければいいけれど、来てしまったら、どうする、どうなる? お店は、めちゃめちゃにされてしまうんだろうか。居場所が、なくなってしまうんだろうか。

 そんなの、嫌だ。

 私は意を決して顔をあげる。

「じゃあ、予定通り美緒は学園に連れてーー」
 何やら話し合っている内容は私の避難先についてみたいだけど、私は首を振り、はっきりと断る。

「行かない」
 何を言っているんだという目で見られたけど、これだけは譲れない。

「だって、私がいなくなったら、誰がお店を守るの?」
「店なんかどうだっていいだろうっ!」
 苛ついた潮江君に、私は負けじと言い返す。

「良くないよ! ここがなくなったら、私はどうやって戸部さんを待てばいいの!? 私にはここしかないのに!!」
 ここが私の世界の全てで、全部だ。ここがなくなったら、どうしていいかわからなくなるのに。

「何も知らないのに、簡単に言わないでよっ」
 泣くつもりなんてなかったのに、溢れてきた涙を、私は両手で押さえつける。それでも後から後から溢れてきて止まらない。震えも止まらないけど。

「美緒」
「いやっ」
 誰かの手を振り払い、私はきっと顔をあげる。

「私は……っ!」
 更に言い募ろうとした私は首の後に軽い衝撃を受け、そのまま闇に落とされた。



p.2

 私の頭をなでる、ちょっと骨ばった指の長い大きな手は、よく知っているものだ。だって、私はこの手に導かれ、守られてきたのだから。

 うっすらと目を開けると、戸部さんがそこにいて、心配そうに私を覗き込んでいる。

「無事で」
 よかったと、小さく呟く戸部さんの前では、私は私を偽ることが出来なかった。

「ごめんなさい、戸部さん。お店、守れなかった……」
「店など、また直せばいい」
「でも、戸部さんと、おじいちゃんとおばあちゃんが預けてくれた、作ってくれた私の居場所だったのに……っ」
 また泣き出しそうになる私の頭を、戸部さんはぎこちなく撫でる。

「心配ない」
「でもっ」
「店などより、美緒が無事であることのが大切だ。ーー怖かっただろう?」
 優しい戸部さんの声音に、私はブンブンと首を横に振る。

「友人が、来てくれましたから」
「ああ」
 そうだ、彼らが来てくれて、今ここに戸部さんがいるということは、もしかして戸部さんが彼らを寄越してくれたのではと私は思い至る。心配されていたのだと、そう知るだけで、私の心はほんの少しあたたかくなった。

「戸部さん、ありがとうございます」
「……いや」
 私が笑顔で礼を言うと、戸部さんは少し固まってから、顔を逸らした。照れているのだろう。

 私は起き上がり、部屋の中を見回した。

「あの、ここはどこなんですか?」
「保健室だ」
 事も無げにいわれるが、保健室だけではどこなのかわからない。

「あの、どちらの?」
 次の戸部さんの反応で、私は違和感を感じた。なんというか、らしくない笑顔だったのだ。誰かを、彷彿とさせるような。

「……知りたいか」
「いいえ?」
 私が即答すると意外そうな顔をする。ああ、素に戻ってるよ、鉢屋。私は思わず零れた笑いを隠さずに、顔を俯かせた。……今は、あまり、他の人と絡みたくない。だから、どうして彼が戸部さんのフリをしているのか追求するつもりはない。

 私は一度心を落ち着けてから、まっすぐに鉢屋を見つめて、精一杯の営業スマイルを向ける。

「戸部さん、少し一人にしていただけますか?」
 鉢屋は私を気遣いながらも部屋を出ていった。

 一人になった部屋で、私は布団に仰向けに寝転がり、ぼんやりと天井を見つめる。

(……戸部さんに、なんて言おう)
 頭の中が真っ白で、何も考えられない。考えたくない。片腕を両目の上に載せて、視界を覆い隠すと、じわりと涙が滲んできた。

 あの店は私と戸部さんの約束で、唯一のつながりだった。もし、もしもなくなったら、どうしたらいいか、今は整理がつかない。

 戸部さんについていくことは出来ない。私の保護者はとても勇名な剣豪であるから、眠っていても動くものを無意識に斬ってしまうのだという。だから、一緒にいることはできないのだと言われたのは、本当に出会った頃の話だ。どうしても嫌だという私に、そういって戸部さんが諭して、後に山田さんにもそれが事実だと聞かされている。

 もし、店がなくなったとしても、戸部さんは私を連れて行ってはくれないだろう。それどころか、この時代は私は嫁に言ってもおかしくない年なのだ。もしかすると、見合いさせられ、どこかの家へ嫁がされるかもしれない。

 自分が戸部さん以外の誰かの隣にいる未来を想像なんて、したくない。

 私は起き上がり、枕元の着物に着替えて、そっと「保健室」を抜けだした。それを誰かが見ているとも気づかずに。



p.3

「あれ、もういいんですかぁ?」
 奇跡的に誰にも会わずに正門まで来た私を、妙にほのぼのとした声と要望の青年が呼び止めた。利吉さんと同じぐらいの年だろうか。小さい頃に見た忍者みたいな格好をしていて、「小松田」という名札をつけている。

「は、はい」
「どちらに行かれるんですかぁ?」
「え、ええと……その、買い物! ちょっと、買い物に行って来ますっ」
「外出許可証はありますかぁ?」
「へ、が、外出……」
 オロオロと戸惑う私の頭に誰かの手が乗せられ、その誰かが小松田さんに一枚の紙を差し出す。

「はい、小松田くん」
「ああ、土井先生も一緒なんですねぇ。では、お気をつけてぇ」
 自分の頭に手をおいた相手を見上げると、土井さんは私を安心させるように笑って、背中を押した。

 正門を潜って、通用口が閉められてから、私はじっと土井さんを見上げる。彼は大きくうなずき、何もかもわかっているというふうに頷いた。

「美緒さんは店の様子を知りたいんでしょう?」
「そう、です、けど……」
「申し訳ないけれど、今は一人で行かせて上げられない。理由はわかりますね?」
 昏倒させられる前の大筒の音を思い出し、私の身体が勝手に震えた。だけど、俯かずに真っ直ぐに土井さんを見つめる。

「一人でなければ、いいですか?」
 土井さんは少し驚いた様子だったけれど、やけに真剣な顔で私の両手をとった。

「行くつもりなんですか。もうあそこは……」
 私は土井さんの言葉を首を振って遮り、無理矢理に笑ってみせる。

「それでも、私は見なきゃ。だって、あそこは戸部さんが用意してくれた、私の居場所ですから」
「どんなことがあっても、何があっても、あそこで戸部さんをお待ちするのが、私のせめてものご恩返しなんです」
 後のことは後で考えると決めた。今できることをしようと思ったから、私は「保健室」を一人で抜け出してきたんだ。

「美緒さん……」
「一生のお願いです、土井さん。私をお店まで連れて行ってください」
 道がわからないんです、と少し戯けてみせると、土井さんは何かを考えこむ素振りの後で、深くため息を付いた。

「……遠くから見るだけであれば」
「お願いします」
 土井さんが私を抱え上げて、目を閉じるように言うのでそのとおりにすると、すぐに私の身体に風がぶつかってきた。ビュンビュンという音も怖いけれど、それ以上に怖いことがあったから、私は必死でしがみついて。

 そうして見せてもらった戦場で見たのは、何故か一軒ぽつんと戦場に残された、私の店の姿だった。周囲はすっかり戦場と化しているのに、そこだけが異世界みたいに残ってて。だけど、現実は。

「あいつら……!」
 年の近い友人たちが守ってくれている姿を目にした私は、強く目を閉じた。

 私が言ったから、守ってくれている。私のせいで、彼らが危険にさらされている。その事実に、瞠目し、決意する。

「土井さん、行ってください。みんなに、もういいって、言って。早く、逃げてって言って!」
「美緒……っ」
「私はここで待ってますから。だから、どうか、私の大切な友達を助けてっ」
 土井さんは木の上に私を残し、あっというまに姿を消してしまった。

 私は遠くで見える彼らの姿を見ながら、気が遠くなるのを感じていた。

「大丈夫だよ、美緒ちゃん」
「……雑渡さん」
「彼らはその辺の忍者よりもよっぽど強い。だから、君の大切な友人たちなら、大丈夫だ」
「そう、みたいです、ね」
 私に向かってかけてくる彼らの姿が霞んで、私は目を閉じ、支える腕に身体を預けた。

「雑渡さん、あの話はまだ有効ですか? 私が殿にお茶を淹れるっていうのは」
「ああ」
「じゃあ、このままお願いします」
 あの店が私にとって唯一のつながりだった。それがなくなれば、もう接点もなくなる。だけど、あの場所が大切な友人たちの枷となるなら。

「ついでに、店をーー」
 私の願いを聞いた雑渡さんは聞き返すこともなく、ただ了承してくれたのだった。



p.4

 手渡された服を見て、私はもう苦笑するしかなかった。

「雑渡さん、私、ここに就職しにきたんですよね」
「そうだね」
「仕事の内容は、「殿」のお茶汲みであって、夜伽の相手ではないですよ」
「どちらでも変わらないんじゃないかな」
「っ、雑渡さん」
 渡されたのは白い夜着一枚だ。他に何もない。

「殿は君のことをとても気に入っている。ここにいるつもりなら、覚悟はしておいた方がいい」
 そう言い残して、雑渡さんは珍しく部屋を出ていった。いつもは一人になんてしないくせに、なんでこんな時ばかり、あの人は勘がいいのだ。私が一人になりたいと思っているのを知っていてそうするのかわからないけど、今の私には都合がいい。

 店がなくなれば、私には戸部さんとも友人たちとも繋がりはなくなる。彼らがむりやり私を「保健室」に連れて行ったのは、きっとそれを恐れてのことだ。その気持ちは有難いけれど、あの場所がなくなったら、自分の身の置き所がないことに気づいてしまった。それでも、それ以上に失えないものに気がついたから、私は、私はーー。

「っーーー」
 私は夜着に顔を押し当てて、声を殺して泣き続けた。

 しばらく泣き続けて、気が付けば部屋の中が薄暗い。辺りに人の気配もない。だけど、部屋から出る気力もない私はただぼんやりと宙空を見つめるだけだった。

 音もなく、障子が開いて、誰かが入ってくる。

「オトモダチが迎えに来たって言ってるけど、どうする、美緒ちゃん?」
「美緒っ!」
 雑渡さんが連れてきたのは、善法寺君だ。くすんだ草色の忍者みたいな服を着ている。

「どこも怪我してないね? どうして、勝手にっ」
「……勝手って、誰が?」
 驚くほど冷めた声が自分の口から出てきて、吃驚した。でも、それ以上に、善法寺君は驚いていた。

「美緒?」
「私を勝手に店から連れだしたのは誰? 私を勝手に避難させたのは誰? ーー全部、皆が勝手にやったことじゃない。だから、私も勝手にすることにしたの」
「何言って……」
「私、ここの殿に気に入られてるらしいよ? お茶汲みで誘われてたかと思ってたら、実は夜伽の相手……妾にされるらしいよ? 物好きだよねぇー」
 善法寺君が雑渡さんを振り返るけど、雑渡さんは何も言わずに私を見ている。

「私みたいな素性のしれない怪しい女でも、妾になれるなんて、すごくない? 玉の輿っていうんだよね、こういうの。パパが聞いたら、きっと泣いちゃうな」
「美緒……っ」
 善法寺君が私の両手を強く握って、顔を覗きこんでくるから、私は思いっきり営業スマイルで拒絶した。

「だから、私のことはもう心配いらないって、戸部さんに伝えてくれると嬉しいな。もう、一人でも大丈夫だよって、今までありがとうって」
 別れの言葉はスラスラと口から澱みなく流れて、そのことに内心で私は驚いていた。もっと自分はあの保護者に縋っているのだと思っていただけに、こんなにも簡単に手を離せる自分に驚いたんだ。

「……本気、なんだね?」
「…………」
「そう」
 また来ると言い置いて、善法寺君は部屋を出ていった。私はまた雑渡さんと二人きりになった。

「もう泣かないの?」
 それは私が泣いていたと知っている台詞だ。こんなに泣いたのは何年ぶりだろうか。

「泣きませんよ。泣いても、何も変わらないもの」
「…………」
「でも、こんな顔で給仕できませんから、一日だけ待ってもらってもいいですか?」
 苦笑する私の目の前に、赤茶色の布地が押し付けられる。それが雑渡さんの胸と気づいても、もう私にはどうこうするまでの気力がなかった。

 押し倒され、肌を滑る雑渡さんの包帯で巻かれた手が胸に直に触れても、何も感じなかった。

「……抵抗しないの」
 どうでも良かった。何もかもどうでも良かった私は、ただ目を閉じたのだった。

 雑渡さんはそれ以上、私に何もしなかった。



p.5

 昼間の間、私は特に何をするでもなく、部屋でただじっとしていた。何をしろといわれるわけでもなく、無気力にいるだけだ。食事もいつ食べたのかよくわからないし、気がついたら毎日清潔な夜着には着替えさせられているようだった。

 そして、夜は気が付くと誰かがそばにいることが多かった。

 ある時の真夜中、天井から潮江君が降りてきた。やはり善法寺君と同じような忍者の服を着ていて、そうすると普段よりちょっとだけ若く見える。

「美緒、帰るぞ」
 起き上がった私に、当たり前みたいに手を差し伸べてくる潮江君の言葉を笑ってしまう。

「どこへ? お店はもう無いでしょう?」
「っ、いいから行くぞ」
「そうだ、戸部さんに手紙を届けてもらえないかな。やっぱりね、口頭だけじゃ伝えられないと思って。ああ、そうだ、雑渡さんに紙を都合してもらわないとなかったな。全部焼けちゃったもの」
 私は布団から這い出し、鏡台の引き出しに手を伸ばす。

「筆、筆もなかったな。こんなことなら、矢立を買っておくんだったなぁ」
「美緒」
「明日の夜、また来られる? それまでに用意しておくから」
「美緒っ!」
 声を荒げた潮江君が、私を抱き潰すように締めあげてくる。苦しくて、苦しくて、でも私は泣けなかった。

「く、るしい、よ、しお、え、くん」
「っ、頼むから、自棄になるな。自分を捨てるな」
 言っている意味がよくわからないけど、とりあえず苦しいので、潮江君の腕をタップする。

「ギブ、だよ、しお、え、くん」
「怒りたいなら、怒ればいい。泣きたいなら、泣けばいい。だから、そんな顔で笑うなっ」
「くるし……っ」
 苦しさに喘ぐ私は、そのまま意識を暗転させてしまった。

 その後の別のある夜は、食満君が来た。戸部さんへの手紙はまだ書いてない。

「ごめんね、また後で来ることってできるかな」
「まあ、それでもいいけど、直接言ったほうがいいんじゃないか?」
 食満君の申し出に、少しだけ心が揺れたけど、私は笑顔のままに首を振った。

「私が直接言ったら、戸部さん泣いちゃうから」
「…………」
「あと、本当に戸部さんかどうか、今の私にはきっとわからないから……」
「え……?」
「ううん、なんでもない」
 食満君は私の隣に座って、頭を撫でてくれた。

「何?」
「ああ、気にするな。俺がこうしたいだけだから」
 頭をなでる食満君の手付きはぎこちないけど、少しだけ戸部さんを彷彿とさせるから、私は静かに目を閉じた。

「仕方ないから、撫でられてあげる」
「ああ。ーーありがとな、美緒」
「ふっ、何の御礼よ」
「気にするな」
「うん、わかった」
 食満君との会話の後の夜、ふと私は雑渡さんから渡されたメイド服に袖を通していた。ご丁寧にもドロワーズやブラジャーなんて下着までセットになっていて、ひとりで着終わった後に立花君が来た時は、思わず笑ってしまった。

「美緒」
「なんて顔してるの。きれいな顔してるんだから、立花君はもっと笑ったほうがいいよ?」
 立花君の前でくるりとわかると、スカートの襞がふわりと舞った。

「っ、なんてカッコしてんだっ!」
「これ、仕事着だよ。海の向こうではメイド服っていって、使用人がこれを着て掃除とかするんだー。本物はもっとスカートが長いけどね」
 これはスカートがひざ上だね、と笑っていると、腕を引かれ、いつかのように押し倒されて、唇が重なってきた。強引に舌を割って入り込んで来ようとするのを、私は抵抗することなく受け入れる。流石に、太ももを撫でられた時は吃驚したけど、抵抗はしなかった。

「……なんで、抵抗しない……っ」
 それなのに、怒る立花君が私にはわからない。与えられた口吻の熱さで息を荒げる私を見下ろし、泣きそうな顔で立花君が告げる。

「好きだ。美緒が好きだ」
 私はそれを笑って受け流す。

「ありがとう」
「いつもどんなときも、何も聞かずに俺たちを笑顔で迎えてくれる美緒が好きなんだ」
「うん。ーーごめんね?」
 もう迎えてあげられる店がなくなっちゃったね、と笑うと、今度は顔を立花君の胸に押し付けられる。

「元に、戻すから。だから、帰ってきてくれ。元の美緒に、戻ってくれ……っ」
 私は何も変わっていないのに、変なの、と私はただ笑っていた。





p.6

 目を開けると、夜空一面の星空が見えて、吃驚した。そばにいるのは、七松君だ。どうやら、強引に私を連れだしたらしい。

「雑渡さんに怒られちゃうかなぁ」
「その時は私も一緒に怒られてやる」
「あはは、そう言っていつも逃げるじゃない、七松君は」
「はっはっはっ、まあなっ!」
 七松君が私の背中と膝裏に腕を入れて、抱え上げ、走りだす。

「どこに行ってもいいけど、ちゃんと朝までには帰れるんでしょうね?」
「はっはっはっ!」
「もう! ……うわ、追いかけてきた」
「しっかり捕まってろよ、美緒っ」
「わっ」
 言葉通りに上がったスピードと揺れに、私は目を閉じて、七松君に捕まったのだった。

 ついた先は、山奥の温泉だった。

「うわぁ」
「お姫様だと、風呂にはいるのも大変だろ?」
「珍しく冴えてるよ、七松君っ」
「早く行ってこい、見張っててやるから」
「うんっ!」
 私は草叢で着物を脱いで、温泉に足をそっとつけた。

「私も入っていいか、美緒」
「いいよー」
 返事をすると、目の前でばしゃっと大きく水が跳ねた。

「はやっ!」
「美緒も早く……」
 そこまでで言葉を止めた七松君が、真剣な顔で私を見る。

「……まだ、だよな?」
「ん?」
「いーや、なんでもないっ! ここの温泉は怪我によく効くんだ」
 誤魔化すように笑った七松君に続いて、私も湯に浸かる。温かなお湯に、ほうと息を吐くと、冷たくなっていた心まで癒される気がした。

 湯気の向こうの夜空は満点の星がまたたいていて、いつか見た空を思い出す。あれは、最初に戸部さんと出会った時だった気がする。

「美緒」
「戸部さん、いつ帰ってくるのかなぁ」
「戸部先生に会いたいのか?」
「うん。……ううん、やっぱりいいや。今は、うん、会いたくない」
「どうして? 会いたいなら、会えばいい」
「会えないよ。だって……った」
 小さな言葉に被せて、私はパシャリとお湯を跳ねさせた。やばい、久しぶりに泣きそうかも。

 私は息を止めて、目を閉じて、お湯に潜る。目元が熱い。

「美緒、のぼせる」
 だけど、直ぐに二の腕を掴んで、引き上げられてしまって。私は慌てて顔をそむけていた。だって、よく考えたら、七松君も裸だ。今更だけど、少しだけ恥ずかしい。

「そ、だね。先に上がるねっ」
 風呂から出ようとした私に、後ろから七松君が抱きついてくる。その手はしっかりと私の胸を掴んでいる。

「っ、七松君っ」
 私の胸を優しく揉む手付きは初めてのものではない。雑渡さんにされても立花君にされても、何も感じなかったのに。

「っあ……っ」
 背中に七松君がくちづけたのを感じて、思わず声が上がっていた。初めて聞く、自分の甘い声に、ますます恥ずかしくなる。

「な、んン……っ」
 体の奥から湧いてくる熱に、抵抗しようにも出来ない。今までとは違う感覚に、私は焦っていた。

「私と帰ろう、美緒」
「……っ」
 強弱をつけて揉む手付きは、的確に私を高めていく。その手が頂点のそそり勃つ一部を軽くつまむ。

「ゃ……っ」
「帰ると言うまで、やめない」
「七松、君……っ」
「美緒の肌、いいさわり心地だ。うまそう」
 肩を軽く噛まれ、私はまた身体を震わせる。

「食べていいか?」
「も、ぁ……っ」
「よし」
 今度は項に吸い付かれ、私は腰から背中を這い登る不思議な感覚に、戦慄する。

「やめ、て……っ」
「帰るか?」
「帰れる、なら、帰ってる、よ……っ」
「どういう意味だ?」
「お店、あれば、帰ってる、ものっ。もう、やぁ……っ」
 波立つお湯の中で、胸をただ揉まれているだけなのに、甘い声が止まらない。

「でも、ない、帰れない……っ、もう、やめてっ!」
 私は勢いをつけて七松君を突き飛ばし、急いでお湯から上がって、手早く着物を身につけた。お湯で張り付いて気持ち悪いけど、この際仕方ない。

 それからお湯の中でひっくり返っている七松君を覗き、舌を出す。

「もう、こういうのやめてよねっ」
「はっはっはっ、悪い。あんまり美緒がうまそうで、つい」
「ついじゃない!」
 ばさりと上から手拭いをかけられ、私はあっさりとその腕に抱え上げられる。七松君は私を抱える雑渡さんをじっと見つめていた。

「あんまりうちのお姫様をからかわないでほしいね」
「おー、悪かったな」
 帰ってから、私はさっさと部屋に押し込められて、雑渡さんに静かに怒られた。ほら、やっぱり七松君は一緒に怒られてくれない。

 しばらく私に説教した後で、雑渡さんが言った。

「そろそろ、いいかい?」
 それが何の確認かわかっていたから、私は一度目を閉じ、覚悟を決めてから目を開いて、まっすぐに雑渡さんを見た。

「はい」
 雑渡さんは楽しそうに瞳を瞬かせ、明日、と言って出ていった。



p.7

 次の夜、私は部屋で呆けていた。というか、意外な着地点に驚きを隠せない。

「……私が、姫? ありえない……」
 つぶやいている私の頭を軽く叩いたのは中在家君だ。彼に向かって作ったはずの営業スマイルはうまくいかなかった。

「覚悟、してたつもりだったのに、全部お見通しで嫌になるよ。私をここの姫にしてくれるんだって」
「つまり、養子にしてくれるんだって。酔狂なお殿様だよね。代わりに、お茶を毎日淹れてくれればいいんだって」
「もう、意味、わかんない」
 私は中在家君の襟を掴んで、頭をぐりぐりと押し付ける。

 しばらくそうしてから、私は不意に止まって、ため息をつく。

「……返事、保留にしてもらってるの。戸部さんとちゃんと話して決めたいから。だから、ね、中在家君」
 私がその腕の中で中在家君を見上げると、いつも通りの不機嫌そうな顔で、だけどそれは喜んでいる顔なわけで。

「中在家君?」
 ぎゅっと私を抱きしめてから、また私の頭を優しく叩いて、中在家君は帰っていった。

「雑渡さんは、知ってたんですよね? わかってて、皆を炊きつけたんですよね? というか、私で遊んでたんでしょう」
 闇から音もなく姿を現した雑渡さんを睨みつけると、彼は実に楽しそうな目をしている。最初からこういう人だって知ってたはずなのに、なんで今回は気づかなかったんだろうか。

「あんまりにも美緒ちゃんが無自覚で無防備だからさ、心配だったんだよ」
「雑渡さんっ」
「楽しかったのも事実だけど、これも本当だよ。少しは自覚してもらわないと、こっちも困るんだよねー」
「何がですかっ」
 小さな子犬のように言い返す私の目の前に顔を寄せて、雑渡さんが包帯の向こうの目で楽しそうに笑った。

 包帯越しとはいえ、何をされたのかわかって、私は目を瞬かせる。

「……な……んで? 雑渡、さん……?」
 自分の口元に手をやり、キスをされたのだと気がついたら、顔中が熱くなっていた。直に触れたわけでもないのに。でも、とてつもなく恥ずかしくて。

 それを見た雑渡さんは数度瞬きをしたあとで、意外そうに瞠目して、首を傾げた。

「美緒ちゃん?」
 顔を覗きこまれ、思わず後退る。そんな私を見ていた雑渡さんは、数度目を瞬かせてから、嬉しそうに目を細めた。

「どうしたのかな?」
「どうって、だって……っ」
「ここに連れてきた時のほうが、もっとスゴイことしたのに」
「だだって、あああれは、からかってただけで……!」
「本気じゃないとは言ってないよ?」
「ぇえ!?」
 もう一歩後退りかけた私だったが、半歩で壁に辿り着いてしまい、楽しそうな雑渡さんに腕で囲うように閉じ込められ、見下されて。でも、半分パニックになっていた私はもうどうしたらいいのかわからないまま、雑渡さんから目が離せなくなってて。

「ねぇ、美緒ちゃん」
「はぃぃぃっ!?」
「もっとイイこと、しちゃう?」
「えええ遠慮しますぅぅぅぅぅ~っっっ」
 狼狽える私の頬に小さく音を立てて口付けて来られたら、もう私はそれだけで立っていられなくて、ズルズルと座り込むしかできなくて。雑渡さんは、私の前にしゃがんで、いつものように柔らかく頭を撫でて、笑った。

「冗談だよ」
 いつも通りの穏やかな声に恐る恐る顔を上げた私は、次には彼に抱えられていて。

「へ!?」
「さて、今回はこの辺にしておこうか。美緒ちゃんも、そろそろお家が恋しいだろうし」
 家と言われて、私はもうなくなってしまったであろうお店を思いだし、目を閉じる。

「帰るところなんて……」
「それに、お迎えも来たようだしね」
 迎え、と聞いて目を開けた私は、何故か空中に投げ出されていて。

「ふぇ!? な、雑渡さ……っ」
 耳元で唸る風の音が、何かで遮られ、次いで暖かくて大きなものに包み込まれるようにされて。目の前にあった顔は見慣れた常連客たちで。

「みんな……」
 そして、地面で待っていた人は、私を拾ってくれた大恩人で、一番大好きな人で。

「おかえり、美緒」
 ふらつく足で近寄った私を抱きとめてくれた戸部さんの姿が歪む。

「本当に、本物の戸部さんですよ、ね? 私、私……っ」
 声を上げて泣く私を戸部さんはいつまでも抱きしめてくれていた。





p.8

 戸部さんの腕の中で泣き続けて眠ってしまったのは、店を連れ出されてから碌に眠っていなかったからだ。目を覚ました私は、店から連れ出された時に連れてこられた、保健室みたいな部屋の蒲団に寝かされていて。

「おはよう、美緒」
 私が起きたことに気づいた善法寺君に、挨拶もそこそこに迫る。

「戸部さんは!?」
「戸部先生なら」
 苦笑しつつ、善法寺君は私の背後を指した。振り返ると、いつも通りだけど、変わった衣装の戸部さんがいて。

「おはよう、美緒」
「おはようございます、戸部さん」
 だけど、起きて直ぐに戸部さんがそばにいるという事実は、私が自分思うよりもずっと安心を運んでくれたわけで。

「美緒は、タソガレドキの話を受けたのか?」
 最初、言われた内容は私によくわからないものだった。

「たそがれどき?」
 何のことだろうと首を傾げる私に二人も首をひねっている。

「……タソガレドキの首領と知り合いなんだよね……?」
「誰の話ですか?」
 善法寺君のいうことがよくわからない。

「えっと……」
 三人で戸惑って話が進まないでいると、戸を開けて誰かが入ってくる。

「戸部先生……っと、取り込み中でしたか」
 入ってきたのは山田さんだが、戸部先生と同じような変わった衣装を着ている。

「おはようございます、山田さん」
「おはよう、美緒さん。調子はいかがかな?」
「はい、久しぶりによく眠れましたっ」
「それは良かった。ここにいる間は存分に戸部先生に甘えたらいい」
「はいっ」
「や、山田先生」
 狼狽える戸部さんの姿はすごく新鮮で、私はクスクスと苦笑する。

「ところで、養子の話が出ていると聞いたが、返事はしたのかね?」
 一転して真剣な面持ちで訪ねてくる山田さんに、私は苦笑を止めて、三人を順番に見る。真剣な山田さんと、善法寺君、それに、戸部さん。戸部さんと山田さんだけなら場所が違うだけでいつもと変わらない光景に思えるから不思議だ。でも、ここには善法寺君もいる。

「返事は、してません。でも、お断りするつもりです」
「何故かね?」
 山田さんの問いかけに、私は一度目を閉じてから、ゆっくりと開いてその人を見つめた。

「今回のことで、はっきりとわかったんです。私は何のためにあの店にいたのか。誰のために、あそこにいるのか」
「私には戸部さんに逢う前の記憶がありません。だから、これはただの刷り込みかもしれない。それでも、私は共に暮らすことが叶わないのだとしても、戸部さんがいい。戸部さんといたいんです。私にとって、世界は戸部さんが全てなんです」
「だから、大殿様には申し訳ないのですけど、お断りします」
 そもそも姫なんて柄じゃないですし。と誤魔化すように微笑むと、善法寺君はなにか考えこむ様子で部屋を出て、山田さんは娘でも見るような目で私の頭をなでて。そして、戸部さんと私を二人きりにしてくれた。

「美緒」
 戸部さんに名前を呼ばれるのは、心地よくて、安心する。ここにいていいのだと言われている気がするのだ。

「美緒は、山田先生が好きだったのではないのか?」
 どこか困惑した様子の戸部さんに、私は苦笑する。

「もちろん山田さんには憧れてますけど、ずっと一緒にいるなら、私は戸部さんといたいです。事情も承知していますから、これ以上の無理はいいませんけど。あの頃からずっと私の気持ちは変わらないです」
「……美緒」
 弱り切った様子の戸部さんは、珍しくて、どこか可愛い気がした。

「どうかこれからも、おかえりなさい、と私に言わせてください」
 お願いしますと頭を深く下げる私に戸部さんは何も言わず、暫くの間そのままだったが。

「美緒さんっ」
「美緒姉っ」
 カーンカンカン、という鐘の音と同時に部屋に駆け込んできた少年たちを前に、話は有耶無耶となってしまった。

「乱太郎、と金吾?」
 ぜいぜいと荒い息をする二人を前に目を丸くし談笑する私を、戸部さんが何を思って見つめていたのか私にはわからない。

「美緒姉、おなかすいてない? 一緒に食堂に行こうよっ」
「食堂のおばちゃんのご飯は絶品なんだぁ」
「うわぁ、それは楽しみねー」
 小さな子供たちに引っ張られるように出て行った私が、同じ部屋に戻ることはなかった。



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 新しく用意された茶屋は、以前の場所とは少しだけ違う場所だったけど、そっくりそのままコピーしたみたいにおんなじであることに、私は驚いた。だが、そのおかげでその日から営業を開始できたのは実に嬉しいことだ。

 もちろん、最初の客は戸部さんである。

「おかえりなさい、戸部さん」
「あぁ」
「今、お茶をお持ちしますね」
 あの日から変わったことがあるとすれば、少しだけ戸部さんが客としていてくれる時間が長くなったこと。それから、来てくれる回数が増えたことだけだ。

「美緒さん、こんにちは」
「美緒姉、こんちはー」
「おかえりなさい、土井さんにきり丸。ちょっと待っててくださいね」
 他の客が来たからか、帰り支度を始める戸部さんに近づき、身支度を手伝う。といっても、たいしたことはできないのだけど。

「美緒」
「はい」
「行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
 綺麗に見えるように意識して頭を下げ、次に上げた時にはもうその姿はない。でも、目に焼き付いているのは、ほんの少しだけ耳を赤く染めた戸部さんの横顔だ。

 変わったことといえば、戸部さんも店を出るときに「行ってくる」と声をかけてくれるようになったことだろう。それだけでも、私にはご褒美みたいなものだ。

「んふふー」
「美緒姉、機嫌いいね」
「そうだな」
 こそこそと話している土井さんときり丸の様子など気にならないぐらいに、私は機嫌が良かったらしい。

 天気はいいし、戸部さんは来てくれるし、戸部さんにお帰りなさいが言えたし、いってらっしゃいと見送れたし。なにより、行ってくるって!

 それだけで叫びたくなるぐらいうれしくて、一人お盆を抱えてジタバタしてしまう。

「結局、美緒が年上好きってところは変わらないのか」
「美緒は戸部先生のどこが好きなんだ?」
 いつの間にか来ていたいつもの同い年の常連たちに、私はにっこりと微笑んでみせる。

「全部」
「惚気を聞いてどうする、小平太」
 七松君とどついている潮江君と、どこか暗い様子の立花君。それを無表情に見つめるのは中在家君で、苦笑しているのは善法寺君と食満君だ。つまり、いつものメンバーであり、私を迎えに来てくれた六人である。

「あ、皆今時間あるなら、少しだけ待っててもらえる?」
 なんだと言われて、内緒、と人差し指を口に当てて、小さく囁いて微笑んだ私は、直ぐに衣装部屋へ取って返して着替えた。あの時の贈り物の着物に袖を通し、化粧台の前で軽く紅を引く。大げさな化粧は性に合わないけど、このぐらいならと、自分でも納得の範囲だ。

「よし、っと」
 彼らは最初から最後まで私を案じて、行動してくれた。だから、何か御礼をしたいのだけどと相談した私に、戸部さんはそのまま言えばいいと言ってくれて、山田さんは綺麗な格好で少しサービスしてやるだけでいいと言っていた。大好きな二人の助言を取り入れて、私はあの時に贈られた着物を着て、御礼代わりにお茶菓子をサービスしようという結論に至ったわけだ。

「美緒?」
「まだかー?」
「あ、はーい」
 痺れを切らした様子の声音に、慌てて返事をし、私は用意していた茶菓子を盆に乗せて、彼らの前に戻った。

「お、やっと……」
 来たな、という言葉を飲み込んだのは誰だろう。潮江君だろうか。

「……」
 無言で固まっているのは中在家君。

「まいったな」
 何がマイッタなのかな、食満君。

「仙ちゃんの見立ては間違いなかったなっ!」
 まあ、それは認めるけどさぁ、七松君。

「敵わないな、美緒には」
 頬を染めて苦笑する善法寺君は、私よりもこの衣装が似合いそうと言ったら怒るだろうか。

「ーー美緒」
「ひゃっ!?」
 急に腕を取られて、落としそうになったお盆は、いつの間にか潮江君の手に運ばれている。そして、私はというと、立花君の腕の中に閉じ込めるように抱きしめられていて。

「たたた立花君!?」
 狼狽える私に、他の者達は実に優しく曰う。

「仙蔵が一番お前の心配をしてたんだ。好きにさせてやれ」
「皆が心配してくれてたのは知ってるけど、それで立花君だけ違う御礼をするっていうのは違うと思う」
「じゃあ、俺達も一回ずつな」
「もー、意味がわかんないよっ!」
「仙ちゃん、次は俺の番な」
 ひょいと立花君の腕から連れ出されたと思ったら、私は七松君に抱えられていて。近すぎる距離はあの夜を彷彿とさせて、思わず私は固まってしまう。

「やっぱ、美緒はうまそうな匂いがするな」
「ひっ、や、」
「……やめろ、小平太……」
 私が怯えていると察してくれた中在家君に助けだされ、その腕の中で私はホッと息をつく。

「……小平太、美緒に何をした」
「何って?」
「……怯えてる」
 私の様子に気づいた善法寺君と食満君も寄ってくる。頭をゆっくりと撫でてくれるのは善法寺君だ。

「大丈夫かい、美緒?」
「……七松君には御礼しない……」
 そういえば、あの夜のことを考えれば、彼には十分な気がする。

「ん? 礼って?」
 聞き返してきた食満君を見上げて、そういえばまだ言ってなかったなと思いだした私は、立ち上がった。

「皆、いつも来てくれて、心配してくれて、ありがとう。あの時も私を、お店を守るために危険なのに、助けてくれたのに」
 なのに私は自分のことしか考えられなくて、自棄になって、雑渡さんの誘いに乗って。馬鹿な私を諌めるために、もう一度救うために来てくれた皆にひどいことを言ってしまった。

「もう一度、私におかえりなさいを言える場所を作ってくれて、ありがとう」
 少しだけ涙で目が潤んでしまったけれど、最後まで言い切った私に向けられる瞳は優しいものばかりだ。

「美緒」
「それでね、御礼にお菓子を作ってみたの。あ、ちゃんと甘さ控えめだし、今日は薬草茶のサービス付きだよ」
「薬草茶?」
「土井さんときり丸が手伝ってくれたから、変なものは入ってないよ。安心して?」
 何故皆で黙るのか。

「……きり丸は何も言ってなかったが……」
「私が口止めにとびっきりのーーあっと、なんでもないなんでもない」
「とびっきりの?」
「なんでもないったら! ともかく、食べてみて?」
 誤魔化すようにさあさあと皿を進めると、それぞれが手にとってくれる。煎餅のようにも見えるが、色が違うことや妙に艶があることを訝しんでいるようだ。

「煎餅、だよな?」
「うん。あ、七松君貸して」
 私は差し出された七松君の煎餅を手にすると、ぱきっと半分にして返した。もう半分は自分の口へ。

「うん、いい味」
 私が食べたことで、恐る恐る皆が口に運んでいく。

「豆?」
「そう、豆大福とかあるし、豆入りのお煎餅があったらいいなぁって思って。どう?」
 それぞれから、美味いとか美味しいとかそれなりな返事をもらえたので、私は小さく笑み溢していた。うん、うん、今まで煎餅っていったら、非常食とかそういった感じのしか見なかったけど、こういう甘かったりするお菓子みたいなのがあってもいいはずだよね。そろそろそういうのも出始める頃だし、不自然じゃない(・・・・・・・)よね?

「で、美緒?」
「……次はやっぱり砂糖醤油で甘辛く仕上げるのもいいなぁ。粗目ほしいなぁ。今度行商さん辺りに聞いて……」
「土井先生ときり丸には口止めに何をやったんだ」
「土井先生ときり丸には、試作品を全部あげちゃったんだけど、大丈夫だったかな」
 試作品には辛いのも混じってたけど、食費が浮くって喜んでたしいいよね。

「激辛煎餅は外せないよね」
 ぐふっと、思わず目を細めて笑った私は、友人たちの生温い視線には気が付かなかった。

 そうこうしているうちに帰り支度をしていたのか、一人また一人と帰ってゆく。

「いってらっしゃいませ。また、いつでもおまちしてます」
 声をかけて、頭をあげる頃には皆がいなくなっていた。誰もいなくなった店先で、私は暖簾を下ろし、戸締まりをする。

 いつもなら不安で寂しくて仕方がないが、今はもうそれはない。明日は誰が来るだろう。何を出したら喜んでくれるだろうか。そんな暖かで柔らかな信頼が私を守ってくれるから。

 だから、彼らが来てくれる限り、いつまでも私はここにいられる。いつまでもここにいる。

ーーここが、皆が守ってくれた私の居場所だから。



あとがき

久しぶりの公開がこれでいいのかなという気もしますが、まあいいですよね!
初めて忍術学園に行ったりしてますが、ヒロインがいっぱいいっぱいで周囲を見る余裕もないです。
でも、六年生とも特に戸部さんとも絆が深まった気がします。
……鉢屋、は後日談が必要そうですよね。
他の学年とかは一応、知らないってことで。
そういう根回しが出来るのは先生たちですよね。
先生といえば、ヒロインの方向性が山田先生から戸部さんに完全にシフトチェンジしてしまいました。
……年上好きは変わらずってことでいいのかなぁ。
次は気が向いたらまた書きます。
何年生がいいかなぁ。
(2016/1/28)