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書名:戦国系
章名:落乱

話名:中在家君と本


作:ひまうさ
公開日(更新日):2012.11.15
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:3772 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:/美緒
1)
おかえりなさい・おかわり

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p.1

 客のいない店の奥で、私は古い装丁の本を捲る。書いてある文字は読むのも難しいけれど、それでも本を読めることがそのものが嬉しいと思えた。

 夢中になって読んでいると傍らに何かを置かれる音がして、私は顔を上げた。お茶を置く手は傷だらけでごつごつと骨ばった男の手だ。

「あ、中在家君、いらっしゃい」
私が挨拶すると、友人は小さな声で返してきた。最初は何故そんな風に小さな声なのか不思議だったけど、どうやら顔中にある古傷が痛むせいだと聞いて以来、納得してよく聞けるようになった。

「オススメしてくれたこの本面白いよ。……うん、知らないことを知ることができるのが嬉しいの」
私にとってはまだまだ知らないことが多いけど、それを聞くのは迷惑じゃないかと考えてしまうことが多い。だから、こんな風に本を読むことで知ることができるのであれば、それは有難いことだ。

「本当は語り物とかのがいいけど、やっぱりないよねー」
 中在家君に首を振られて、私は少し残念な思いながらも笑って返した。

 私と中在家君の出会いは、戸部さんに字の練習をするための本を頼んだことからあった。本を持ってくるという戸部さんを待っていた私の前に現れた彼に、私は声もなく驚いてしまった。だって、顔中傷だらけの強面な上、話す声もよく聞き取れないほど小さなものなのだ。でも、差し出された本を見て、私はすぐにそれが戸部さんの知り合いなのだと気がつけた。

「本……? え、戸部さんはいらっしゃらないんですか?」
「…………」
「そう、忙しいんです、か……」
 彼のことよりも戸部さんが来られないことのほうが寂しくて、泣きそうになってうつむいた私に、少しの間をおいて、中在家君は頭を撫でてくれたのだった。

「中在家君は今日は時間ある?」
「…………」
「えっとね、これなんだけど」
 本の一部分を指すと、上から中在家君が覗きこんでくる。そして、小さな声で読み方を教えてくれる。中在家君は私がどんな文字を尋ねても笑わないとわかっているから、私も気軽に質問できる。

 隣りに座った中在家君も持ってきた包みから取り出した本を読み始める。そうして、他に客もいない中、二人が頁を繰るだけの時間は不思議と苦痛にはならない。それどころか、中在家君がいると来客を教えてくれるため、心置きなく読書に没頭できるので、大助かりだ。

「美緒」
 低い声で名前を呼ばれ、私は本から顔を上げた。他に来客があるようではないし、何か用事があるのだろうか、と私は本に捺し花で作ったもらった栞を挟んで、中在家君と向かい合う。

「少し、質問をしてもいいか」
「いいよー」
「知らないことを知るのが好きなのに、何故戸部先生のことを知ろうとしない」
 いつになく長いセリフに私は二重の意味で動揺を隠しきれなかった。

「……中在家君、長文もしゃべれたんだ……」
 視線で咎められ、私は小さくごめんと謝った。

「戸部さんのことなら知ってるよ。すごい剣豪で、学校の先生をしているんでしょう?」
「どこで何を」
「んー、剣豪なんだし、そういう学校で剣を教えているんだと思う」
「何故そう思う」
 中在家君に問われたけど、私には曖昧に笑って返すことしかできなかった。聞けなかったのは私に勇気がないせいだ。知ることは好きだけど、知ってしまうことが時々怖いこともある。

「美緒」
「いつになくおせっかいだね、中在家君」
 知りたくないかといえば、知りたい。でも、それを聞いて困る戸部さんを見たくないのもあるし、そんな風に詮索して、嫌われたくないから、聞けないままだ。

 そうか、と何かを納得したように頷いた中在家君は、何故か私の頭を小さい子にするように撫でた。

 戸部さんのことを知りたくないわけじゃない。むしろ、聞きたいことでいっぱいだ。何故私を拾ったのか、何故ここに置いていくのか、何故何も教えてくれないのか。でも、それを聞いて困る戸部さんの顔が浮かぶと、とたんに聞けなくなる。困らせたくない、嫌われたくない、と私は怯えてしまう。

「……っ」
 私が俯いて、唇を強くかみしめていると、不意に中在家君の手が触れた。

「血」
 中在家君はあまり強く噛むなと忠告してくれるけど、今の私はこうしないと涙を堪えられない。

 ふるふると頭を振って中在家君の手から逃れようとする私は、次には暗闇に包まれていた。

「今だけ」
「……?」
「誰も来ない」
 だから泣け、と私を抱きしめて隠しながら言う中在家君に反論しようとしたけれど、私は自分の涙に負けてしまった。

「っ、ふぇ……っ」
 どのぐらい泣いていただろうか。気がつけば、私は衣装部屋に寝かされていた。上掛けの代わりにしてあるのは男物の羽織だ。

 考え込んでいる私の目の上に、ひやりとした冷たい手拭が当てられる。それをどけてみれば、中在家君が布団の傍らに座って、私を見ていた。

「眠ったから」
 だからこの部屋に寝かせたのだと言う中在家君を見て、既に灯されている燭台を見て、私はそれに気がついて慌てた。

「お店っ!」
「締めてある」
「えっ、中在家君がやってくれたの?」
「…………」
「ええと、私、どれだけ寝ちゃって……?」
「…………」
「ちょ、無言はわからないよー」
 中在家君が来たのは昼過ぎだったはずだが、今は既に日が暮れてかなり経っているようだというのが、外の暗さでわかる。

 私は再び布団に寝転び、天井を見上げる。だけど、頭の中でぐるぐると考えているのは昼間の中在家君の質問についてだ。

「私が戸部さんに拾われた話は知ってるよね。あれからすぐにここに預けられたけど、最初のうちはもっと頻繁に来てくれてたの。私は戸部さんに給仕するのが嬉しくて、会うたびに褒めて欲しくて、一生懸命ここの仕事を覚えたんだー」
「ある程度私が仕事をできるようになって、周りを見る余裕も出てきて。その頃に中在家君たちを連れてきてくれて。ーーそれから、段々と戸部さんは来る回数が減ってきてる」
 何故なのか、なんとなくわかっている。戸部さんは私のために、私の友人となりそうな彼らを紹介してくれて、自分がいてはその関係の妨げになると思ってそうしてくれているのだと。

「中在家君たちが来る前は、週一で来てくれてたんだ。それで何をするでもなくお茶を飲んで、帰るだけだったけど、私は戸部さんに会えるだけで嬉しかった。今は、月に一度来てくれればいいほうで、下手をすれば、半年もーー」
 私は鼻の奥がツンとして、奥歯を噛み締める。

 戸部さんが来ない理由は他にもあるのだろう。有名な剣豪だから、ここに来て決闘を申し込まれている姿をみたこともあったし、私を巻き込まないためでもあるのだろう。

「……我儘を言って、嫌われたくない。だけど、もっと会いたい。戸部さんに会って、戸部さんのためだけに、お茶を淹れたり、料理をしたり、お洗濯をしたり、したいよ……」
 普段は山田先生一筋だけど、やっぱり私はまだまだ子供で、戸部さんに甘えたりもしたくなる。この時代ではもうとっくに成人していて、嫁いだりしなければならないのに。

 ぽつぽつと弱音をこぼす私の頭を、中在家君が柔らかに叩く。

「言えばいい」
「だから、そんなこと……」
「戸部先生も」
「え?」
「いつも美緒を気にかけている」
 中在家君は嘘をついたりしない。だけど、本当にそうだろうか。私は、言ってもいいのだろうか。迷惑だと、嫌われたりしないだろうか。

「大丈夫」
 ムスッとした顔で中在家君が言う。彼なりの精一杯の励ましに、私は泣きそうになりながらも、結局笑っていた。

「ありがとう、中在家……」
 盛大な腹の虫が私の言葉を遮った。それは、一頻り唸り声をあげてから収まり、私は笑顔のままで固まる。ーーしまらない、しまらないよ、私のお腹!

 そういえば、もう夕飯時だ。夕食を作らないと。

「中在家君、夕飯食べてかない?」
 そして、頷く中在家君を尻目に、私はいそいそと夕食の支度へ向かったのだった。私が作っている間中、中在家君は直ぐ傍で本を読んでいた。

 二人で夕食を食べてから、帰り支度をする中在家君に、私は迷った末に手紙を届けてもらうことにした。面と向かっていうのは恥ずかしいし、他の誰かに告げて欲しいわけでもない。

 書き終わるまで、少し時間がかかったけれど、中在家君は辛抱強く待っていてくれて。漸く私が書き上げた手紙を渡す頃には、月が西に沈んでしまうところだった。

「遅くなっちゃったね。泊まってく?」
 私が尋ねると、中在家君は心配いらないと首を振った。今日は少し人恋しいから誰かと一緒に居たかったけれど、無理は言えない。そう、と引き下がり、私は中在家君に頭を下げる。

「今日はありがとう、中在家君。ちょっとすっきりしたよ。またお待ちしてます」
 中在家君はいつものように私の頭を軽く叩いて、私が顔を上げる前に姿を消していた。

 一人残った私は、少しだけ熱い頬を抑えた。戸部さんへの手紙に書いたのは、あんなに時間をかけたのに、たった一言しかかけなくて。でも、私としては精一杯の我儘だ。

ーー戸部さんに、毎日おかえりなさいがいいたいです。

 あれを読んだ戸部さんは、どうするのだろうか。気になるけれど、早く会いたい。そして、いつか本当にそうなったら嬉しい。

 星を見上げ、その時を想像した私は、にやにやと緩む顔を、いつまでも抑えていた。

あとがき

中在家君難しい。
某恋華の一並みに難しい。
(2012/11/15)