女神たちの姿を描いた荘厳な大扉が、二人の神官の手で開かれる。その広間の先に立つディルの姿を前にした俺は、なんとも言えない想いに胸が一杯になった。
女神の祭壇の前に立つディルは変わらず王子然としていて、出会った頃と何らかわりはない。
あの時と違うのは旅の邪魔にならないようにと三つ編みされていた金の長い髪は、ただひとつに括られているだけだというのと、服装がよくいる貴族の旅装みたいなものじゃなく、純白の上下に金糸銀糸で細工された婚礼服であることだろう。もちろん、靴の先まできちんとした正装であるのは当然だ。
今日は、ディルが待ちに待った俺とディルの結婚式なのだから。
(本当はありえねぇんだけど)
クラスター王国に限らず、他国でも基本的に成人年齢は十五とされている。もちろん孤児の俺に親なんているわけもねぇが、それまでは婚姻を行うことは原則できないとされるのが一般的だ。
ディルと出会った当初の俺は十三で、それからまだ一年も経っていない。一応、十四にはなったものの、後一年待たなければ、本来ならばこんな婚姻を行う事はできない。それを強引にねじ曲げたと聞いた時は、流石に呆れた。だけど、後から大神官様に聞けば、そのぐらいのイレギュラーは女神の眷属にあって当然なのだそうだ。
あまり知られていないが、女神の眷属というのは短命なのだそうだ。理由はわからないが、女神研究家たちの間では「空気が合わない」という話らしい。この世界を作ったのが女神なのに、意味がわからねぇ。
ともかく、そういう理由から大神官様の承認付きで、俺は未成年にも関わらず、こうしてディルと式をあげることになったわけだ。
俺は形式上の俺の義理の父に手を取られ、静かに真紅の絨毯を踏みしめる。紅竜に名付けの儀式をされるときには思いもよらなかった道を踏む足が、あの時とは少し違って歓喜に震える一歩だ。
俺はずっと、素直になることなんて、できなかった。ディルや姫みたいに真っ直ぐに自分の想いを口にできるのは羨ましくはあったけれど、恥ずかしいと同時に馬鹿らしいと思っていたのも事実だ。真正直に生きて、良い事なんてひとつもない。せいぜい騙されるのがオチだと、俺はそんな人間にはなりたくないと思って生きてきた。自分だけ損するのは御免だ。
だけど、ディルは何故か最初からそんなことを気にすることはなかった。俺が何も返さなくてもいい、損してもいいんだなんて、理解できない戯言ばっかりで。バカだと思いながらも、そんなディルを放っておけなくて。
ディルの前まであと一歩のところで足を止めた俺に、式場がざわめく。だけど、そんなものは俺の耳には全然入らなくて、ただ自分に手を差し伸べるディルの目を見つめていた。
最初はなんで俺なんだ、と思った。だけど、城に来てから、なんでディルなんだと思うようになった。俺だって、今さらディルを好きじゃないとか言うつもりはない。護衛だって言いはって、理由つけてまで側にいたいのだって、ウソじゃない。
だけど、どこを好きだとは、はっきり自分でもわからないんだ。
顔ってのはない。俺は顔がいいとか悪いとか興味ねーし、そんなもんより人間てのは中身のが大切だ。
性格はっていうと、よくわからない。つか、やることは捻くれてるし、敵は多いし、変態だし。だけど、気持ちだけはいつも真っ直ぐだった。そうだ、性格の割に、こいつはいつも真っ直ぐに俺にぶつかってきてた。
「リンカ」
穏やかに俺を呼ぶディルの手に、自分の手を重ねる。それをごく自然に引き寄せたディルの隣に俺は並び立ち、真っ直ぐに彼を見つめる。
自信に満ち溢れているようで、いつも俺の前でだけ不安をさらけ出していたのだと気がついたのは、城に来てひと月もたったぐらいの頃だ。
俺はディルと並んで大神官様の前で跪き、頭を下げる。
「ディルファウスト・ラギラギウス・クラスター。あなたはこの者と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたは、その健やかなときも、病めるときも、喜びの時も、悲しみの時も、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか」
大神官様の言葉に、ディルは迷いなく「約束します」と応える。それは定められた誓いの言葉だ。俺もそれに否やはない。だけど、それだけでディルが満足しないことも俺は知ってるから、思わず口元がにやけてしまった。参列者の目に止まったら、どう見られるかわかったもんじゃないが、ベールと背を向けているおかげでその心配は杞憂だろう。
「女神の眷属、リンカ。あなたはこの者と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたは、その健やかなときも、病めるときも、喜びの時も、悲しみの時も、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか」
公式に俺が女神の眷属と発表されるのはこれが初だ。しかし、参列者は名のある貴族が多く、既に公然の秘密とされるものであっただけに、ざわめきは少ない。
否定をするつもりはない。ディルと出会うまではかすかに感じ取れる程度の女神の気配は、このクラスターに来て以来感覚を鋭くしている。大神殿にいると気分が悪くなることがあるのは、そのためでもあるということとその理由を聞いた時は、王家をぶっつぶそうかとも考えたけどな。
「リンカ?」
不安そうなディルの声に、俺は思考を中断させて、大神官様をまっすぐに見上げた。
「約束、します」
女神の前での言葉での宣誓を終え、俺はディルと向かい合う。俺のベールをことさらにゆっくりと上げるディルの手が震えていたことを知っているのは、俺だけだ。目があって、俺が微笑むと、ディルは目にうっすらと涙を浮べている。
「いつか死が二人と分かつとも、僕は輪廻の輪を超えて、きっとリンカを見つけ出します」
女神の前での聖なる誓いに付け加えられたそれは、実にディルらしい。だけど、俺も同じ気持ちだから、今日ぐらいは素直に、なってもいいだろうか。
ディルの口が、紅を引かれた俺の口に重なる直前に小さくささやく。
「その前に俺が見つけてやるよ」
触れるだけのそれが離れると、目の前にはディルの驚いた顔があって。なんて顔してるんだと、目線で笑ってやると、とうとうディルが堪えきれずに俺を抱き上げた。
「わっ」
「愛しています、リンカ」
そのまま勢いで、今度は先程よりも深く口が重なり、だけどいつもよりは短く終えたキスの後でディルが、満面の笑顔を俺に向ける。
俺が何かを言い返す前に、室内に暖かな音楽が流れだした。それは、この城に来た時に強制的に出会わされた女神が弾いていた調べに似ていて、思わず俺が天に手を伸ばすと、ひらひらと色とりどりの花弁が舞い降りてきて。俺とディルの周囲を彩ってゆく。
驚いているのは俺やディルばかりでなく、会場中がそのことに驚いているようで。
「女神に祝福される結婚式なんて、きっと史上初だ」
女神のいた時代の記録は残されていない。女神神殿にあるものだって、女神がいなくなってから数百年後になってからのことしか記録がないという。他は信用の薄い口伝のみ。だから、ディルのいうことは本当なのだろう。
俺は自分が女神に愛されてるとか、そんなことはよくわからない。だけど、彼女たちは手助けできずともいつも俺を見守ってくれていたことだけは知っているから。
「当然だろ、俺は女神の眷属なんだから」
冗談交じりに囁くと、ディルはそうだなと同意して、笑ってくれた。
輪廻の先まで俺にはわからない。だけど、誓いがなくても、俺はもうこの男と離れることはないだろう。こんな風に愛することができる人間がこの先いるとも思えないし、何より俺はディルがディルらしくいられるように守ってやりたいから。
その首に両腕を回して、耳元で小さく囁いた。
「どれほどの時が巡っても、俺の気持ちは変わらないから、ディルファウスト」
年内って、おそろしいこと言っちゃったなぁーと今更後悔してます。
ここまで「素直になれないお題」と「溺愛お題」を同時並行してきましたが、
最後の最後で「溺愛」が入れられなかったので、後一話だけ続きます。
年が明けて早いうちに更新したいなーとは思いますが、ひと月ぐらいは余裕を見てください。
……えええと、なんかホントすいません。
結婚式で綺麗にまとめるつもりだったんですけどね?
溺愛まで含めないとここまでの苦労が水の泡っていうね?
……作者都合で誠に申し訳ない。
見捨てないでください、よろしくお願いします。
(2012/12/31)