刀に僅かについた血を振るい落とし、私はそれを鞘に納めてからため息を付いた。いつもなら血なんて付けることなく叩き伏せられるというのに、今日は調子が悪いのか、それとも相手の運が悪いのか、少しだけ刀傷をつけてしまったようだ。
「飽きないねぇ、アンタたちも」
呆れた私の声音に、地面に転がっている三人のうちの一人が身動ぎして、身体を仰向けた。その目は晴れた青空を映し、表情も心なしか晴れやかに見える。その顔は、私が待ち望んでいたものだと思えて、自然と頬が緩んでいた。
「だったら、さっさと止めを刺せ」
立ち去ろうとしていた足元を捌いて、私はその男のそばへ行き、しゃがんで顔を覗き込む。まだ年若く年の頃は二十歳ぐらいだろうか。如何にもな浪人の風貌ながら、時々みせる洗練された所作が気になる男ではあった。おそらくはどこかの藩の旗本辺りの出なのだろう。
彼が何故浪人に身を窶し、不逞浪士まがいのことをしているのか、私は知らない。興味もない。だが、このままで終わるような人物には見えなかった。
「やなこった。自力でそこから這い上がってきなさいな」
ニヤリと笑ってみせると、男は少し思案した後で起き上がって、私と顔を付き合わせて笑った。
「できると思うか?」
「できるよ」
私が即答すると、男は小さく笑う。
「……もしここから抜け出せたら、アンタに聞いてほしいことがある」
男の言う「ここ」がどこなのか、私は知らない。興味もないから、彼が誰に命じられて、私を、新選組を狙っているのか知らない。だけど、今のように捨て駒で終わらない意志があるというのなら、私はそれを尊重しようと思う。
「わかった」
私は彼の手を取り、立ち上がらせる。そうすると、私と彼の身長さでは、私が見上げなければ目線を合わせられないほど、彼は長身だ。ゆうに頭ひとつ分程度には、差があるというわけだ。
「期待して待ってる」
自然な笑顔で笑っていると、何故か男は頬を赤らめ、視線を逸らした。それから、ぶっきらぼうに応える。
「……アンタのそれは、素なのか……?」
「は?」
「質が悪い」
「え、と? 何、急に」
急に不機嫌になった男に困惑しつつも距離を取らなかったのは、彼に殺気や敵意がまったくなかったためだ。だから、次の行動も私には理解できなかった。
温かくて大きなものに包まれ、窮屈だけれど優しい包容に不思議と安堵する。
「っ、痛……っ」
「ああ、無理しない方がいい。今日は加減を間違えたようだから、たぶんどこか折れてるかもしれない」
痛みを訴える男を支えるように両腕を彼の背中に回し、私は気づかう言葉をかける。しかし、しばらくして聞こえてきた男の堪えるような笑い声と振動に、私は怪訝に眉をひそめた。
「おい、大丈夫か?」
頭が。
「くくっ、ホント、アンタみたいな女は初めてだ」
「……それは褒めてるのか?」
「ああ」
「じゃあ、ありがとうと言っておいてやる」
それから互いの身体を離し、私は男を置いて帰路へと踵を返したのだが。しばらく歩いて、男の姿が見えなくなった所で足を止めた。奇しくもそこは先日鈴花と藤堂が逢引していた桜並木の入口だ。そこに立ち、両目を閉じて深く息を吸い込むと、桜の香りに包まれるような気がする。
何度か深呼吸を繰り返してから、私は後方を軽く振り返って笑う。
「井上さん?」
私が名前を呼ぶと、その人は苦笑しつつ姿を表してくれた。私の前まで来て足を止めて、物言いたげに私を見つめてくる。私はそれを苦笑で持って迎える。
「彼は、」
「もしかして、新選組に入りたいって言い出すかもしれませんね」
私が井上の言葉を遮って告げると、井上は困ったように眉根を寄せた。
「わかっていて、あんな言い方を?」
井上の言う「あんな言い方」がどれを指すものかわからず、今度は私は眉を顰めて、困惑を返した。
「彼はまだ伸び代もあるし、どうせなら自分の手で鍛えてみたいじゃないですか」
「……葉桜さん」
「もちろん、今いる隊士たちの稽古を疎かにするわけでもないし、満足してないわけじゃないです。でも、戦力が出来るだけあったほうがいいのは確かでしょう」
今この平和なときにできるのはそのくらいだ、というのは口に出さずに置いたのだが、井上は何かを察した様子ではある。誰にも目的を話していなけれど、幹部の数人は私が待っている何かに勘付き始めているようだ。だが、問われても応えることは出来ない。
「もしものときは私が対処しますから、心配しないで」
それから、私は井上に背を向けて、桜並木へとゆっくり歩を進めた。晴れ渡る空と、満開の桜並木は、吹風にあっさりと花を散らし、雨のように辺りに降り注ぐ。一種幻想的なこの風景を毎年見ているけれど、幾度見ても飽きることはなく、ただ胸に痛みと憧憬を覚える。
「葉桜さん」
何かを言いかけた井上は、しかし言葉を続けることなく。私は再び立ち止まって、両目を閉じた。
「そろそろこの辺りの桜は終わりですね」
応えはないが、私はただ思うままに言葉を続ける。
「お花見したかったなぁ」
「……すれば、いいんじゃないかな」
「そうですねぇ」
乾いた笑いを零す私をじっと見つめる井上の視線を感じながら、私は口元に弧を描いて、もう一度つぶやいた。
「この辺りの桜は、そろそろ終わりですね」
井上は何も言わず、ただじっと私を見ているようだった。何かを読み取ろうとしているのなら、無駄なことだろう。だけど、もしも誰か真実に近づいてくれるのならば、どうかーー。
(どうか、いつまでもこの平和を続けさせてください)
胸中の呟きを抑えて、私はまた深く桜の香りを吸い込んだ。
追加話は骨が折れますね。
キャラも気持ちもブレはないんですけど、これ以上追加とか何考えてんの私、と自己嫌悪です。
こう、スカッとするような感じを書きたいですけど、どの連載もどんよりしてて、もうちょっと頑張ろうよヒロイン!と思わず舌打ちします。
話はそれましたけど、10章は後1話の追加と、修正は4,5話です。
もうね、書き始めも数年前だし、需要ないのもわかってますけどね?
やめられないのは、単にこのヒロインが一番書いてて楽しいからなんだなぁ。とは思います。
未だ見守ってくださる心優しい読者の方、有難うございます。
これからもこっそり見守ってくださると嬉しいです。
(2013/04/02)