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書名:幕末恋風記
章名:日常

話名:慶応二年長月 09章 - 09.1.2#夕立(追加)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.8.22 (2012.10.17)
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:2990 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 2 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(58.5)
09.1.2-夕立
井上
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p.1

 夕立というには大げさすぎる雨を眺めつつ、私は扇子を鳴らす。ぱちり、と何度か鳴らした後で小さく笑った私に、穏やかな声がかけられる。

「雷が好きなのかい?」
 他の幹部らとは違い、あまり有名とまではいかないが、井上もかなりの腕の持ち主である。それに沖田や永倉らとは違い、大人の対応を知っているから、私は井上と話すと落ち着く。

「好きっていうか、懐かしい、かな」
「お国では夕立が多いのかい」
「そういうこと」
 井上は先にこちらの言いたいことをわかってくれることが多いから、私も話しやすい。軽く笑う私の隣に、井上が立つ。

「この時期になるともう毎日夕立が来るから、怖いよりもわくわくして、飛び出したくなる」
「え、外へ?」
 夕立と言ったら、大雨と一緒に雷も伴うことが多い。だから、井上は驚いているのだろう。

「流石に止められたけど」
「あ、あぁ、そうだよね。吃驚した」
 本気で胸を撫で下ろしている井上を、私はクスクスと笑う。同時に過去へともう一度想いを馳せた私は、雨に重なるようにその人が廊下の向こうから現れるような気がして、視線を向けた。何かを感じとったのか、井上までもそちらへ視線をやると、観念したようにもう一人が現れる。

「ああ、斎藤君か」
 井上に軽く頭を下げる斎藤を私が手招きすると、彼は躊躇いなく近づいてきて、井上とは逆隣に立った。

「今の斎藤みたいに、ここから私が飛び出さないか見張っているような者もいてね、なかなか面白かった」
 不満そうな斎藤があの時へと重なり、私は両目を閉じる。そうすれば、私にはあの時を再現することが出来たから。あの時の御伽噺も、私はよく覚えている。

「私はじっとしていない子供だったけど、御伽噺を聞くときは大人しかったんだそうだ。だから、外へ飛び出さないようにと。ーーいろんな話をしてくれた」
 今にしてみれば、ところどころ間違っているものもあったけど、私はあの頃も父様を全面的に信じていたから、父様の話のすべても疑うことなどなかった。あの腕の中にいられるなら、私は今だって、どんな話も信じるだろう。

 雨の中で一際大きく踊る雷の線を眺めルのが好きだった。ピカピカ、チカチカ、一瞬のまたたきの間に父様の声で紡がれる物語の中で、私は他では知り得ない多くのことを学んだ。

「地にはかつて、神も人も鬼も等しく暮らしていた。だが人は、神を崇めて天へと奉り、鬼を異形と呼んで地中へと追放したんだそうだ。そして、神と鬼とを追い払った人は、この地上を支配するようになった」
「でも、人は本当は神に憧れ、神になりたかった。それを知った一人の神が徳の高い人を選んで、天へと迎えたのだと。それから、人は徳を溜めてゆくと龍神となって天へと昇れるという謂れが生まれたんだ。あの稲妻は新たな竜を迎えるための祀りなんだってさ」
 こうして今、口にするとどう聞いたってただのお伽話だ。だが、人とは違う力を持っていた私は、父様の話のすべてを真実と疑わなかった。神も鬼も竜も妖の存在も信じていた。

「それはまた、壮大な御伽噺だね」
「だろう? でも、私はまだ信じているよ」
 可笑しいことに、御伽話とわかっている今でも、私はそれを信じている。それは自分という存在があるからだ。欲しくもない力を持ち、欲しくもない役目を持ち、ここに留まる己があるからだ。

「徳を溜められない人は再び人へと還るのだそうだ。そして、業を溜める人は」
ーー鬼になるのだ。

 自分はきっとそちらへと成るのだろうと考えると、私は自然と笑いが零れた。小さな頃からずっと、父様の言葉だとしてもそれだけは信じなかった。自分が徳を積んでいるのだとは到底思えなかった。役目のためとはいえ、私のこの体はもうずっと前から穢れているのに。人であるのもきっと時間の問題だろうに。

「下らないよな。人は人、竜は竜、鬼は鬼にしかなれないんだから」
 何にも変われないのだと信じたいのはなによりも私自身で、変わってしまうのだと恐れ戦いているのも私自身だ。

 私はきっといつか鬼になる。人にも竜にもなれず、忌み嫌われる鬼へとなるかもしれない。それは考えるだけでも、蹲って震えてしまいそうなほど怖い。でも、きっとそうなる。

「葉桜くんは人だよ。竜でも鬼でもない」
 私の音にしなかった言葉を正しく読み取った井上が、そう言ってくれるのを私は知っていた。否定して欲しかったのか、ただ知って欲しかったのか、どちらかわからないけれど甘えてしまったのは確かだ。

 人かもしれない。でも、生まれ落ちたときから既に、私は人ではないのかもしれない。確証の強いそれを伝えることは、流石に出来なかった。

 雨を眺める私の肩を、強く井上が抑える。まるで、私がどこかへ行ってしまうのを怯れるように。

「人は、何が起きようとも、人であり続けるしか道がない。だからこそ、神や竜、鬼といった異形に憧れるんだ。葉桜君だって、同じだろう」
 逃げ出したくともそこから逃れることは出来ないのだと、井上と同じ事を言った人がいた。私はそれを想い出の中に見いだし、その時の彼の真剣で心配そうな顔を思い出す。

「君が何を抱えているのか俺は知らない。だけど、誰が見ても葉桜君は人だよ。とても強くて、とても優しい、俺たちの仲間だ」
 私は外を見つめ続けたまま、二人を顧みることは出来なかった。あの時と同じように泣きたくもないのに、私の目に涙が溢れる。

 あがき続ける限り人なのだと、狂いだした歯車の上にいるような私を前に仲間だと言ってくれる優しい人達。彼らといられる今を喜び、その先に訪れる未来に私は怯える。

 私自身、残された時間を楽しむべきなのだとわかってはいる。だけど、残り少ない時間で何ができるのだとあざ笑う私がいるのも確かで、なにをしても無駄なのだと考えてしまうことがあるのだ。

 この幸福がいずれ終わるものならば、いっそのこと私の手で壊してしまおうか。すべての怒りを私へと向けてしまえば、皆助かるんじゃないかと馬鹿なことを考えてしまう。

「仲間、か」
「ああ」
 迷いなく頷いてくれる二人の答えを聞いて、ようやく私は前を見る。

「そうだよなぁ。…馬鹿なこと考えてる場合じゃないや」
 すぐに私が振り返らないのは、今にも泣きそうだからで。それでも、声だけは悟られぬように笑ってみせて。

「井上、斎藤。二人とも雨が上がった後で飯屋に付き合わないか? 新商品の味見頼まれててさ、食べ放題なんだ」
「そうだね、そろそろ雨上がるみたいだし」
「雷」
「も、遠いよ。これだけ離れれば落ちることもない」
 二人の同意を受けて、指先で滲む涙を拭って、私はやっと笑顔で振り返る。

「さ、他のやつらに見つからないうちにさっさと行こうか! あんまり大勢だと迷惑かけちゃうしな」
 背後の自室へと戻り、私は傘を取って、庭へと飛び出す。

「先に門の外で待ってるっ」
 飛び出した私に二人が追いつく頃にはいつもの調子で笑い、話した。そんな姿に二人は何も問わず、ただ、共に笑ってくれた。

 日常が穏やかであればあるほど、日常が平和であればあるほど、心が砕けそうになる時がある。壊れるとわかっているのなら先に壊したいという衝動に駆られる。同時に沸き起こる、守りたいという強い想いの二つに支えられ、今日も私は笑うのだ。日常を守るために、壊したいという欲望に負けないためには笑う以外の手を、今の私は思いつかない。

あとがき

雷多いんですよ、地元は
他の地方から来た方が驚くほどに多いらしいんですが、
物心ついたときには住んでいたので怖いも何もありません
夏の夕立と雷は風物詩です
ちなみにPC機器関連にUPSは必須な土地柄です


そういえば、今年は夕立も雷も控えめな気がする…
(2007/08/22)


改訂
(2012/10/17)