私は今激しく後悔している。それは文化祭の時と同種の後悔だ。十二月二三日、カレンさんの自宅のマンションで大きな箱を開けた私は、周囲を尻目に一人項垂れていた。何故ってその箱の中には、文化祭なんか目じゃない、パーティードレスが入っていたのだから。
あの時はミニスカートで、むちゃくちゃ恥ずかしかったし、念は押しておいた。でも、だからって……。
「これ、嫌がらせじゃないの、カレンさん……」
箱の中に収まっているドレスは、カレンさんとのショッピングの最中に幾度か見かけた、ホルターネックのスリットドレスだ。色は淡い水色で、それを着た可愛い女の子を見る分には私にも依存はない。だが、しかし、自分が着るとなると別問題だ。
「そんなわけないでしょ。アタシは絶対バンビに似合うと思って用意しておいたんだからっ!」
拳を振り上げ、一人力説するカレンさんを私と同じようにふてくされた顔で見上げているのはみよさんだ。彼女は私を見ると、無情に首を振る。
「バンビはまだいい」
「ミヨのだって、絶対似合うってっ!」
「……カレン」
「さ、早く着替えないと、時間なくなるよ?」
そういうカレンさんは既に水色のチャイナ服に着替えている。そういう服でも着こなしてしまうカレンさんて、やっぱりモデルなんだなと実感させられる。普段は男っぽい言動をしてみせたりもするけど、やっぱりカレンさんは「格好いい女の子」なのだ。
「ほら、バンビも! なんなら、アタシが脱がせてあげてもいいけど?」
ぼーっとしていると、カレンさんがワキワキと怪しい手の動きで持って、申し出てくれる。
「だが、断る!」
私は慌てて、服を脱ぎ、ドレスに袖を通した。
肌触りがよく少しひんやりとした生地は、触れるだけでも背筋が伸びる。事前に下着の形から色まで指定されているので、後は着替えるだけだったとはいえ。
「……着たけど」
「ん、じゃあ、こっちに来て」
ドレッサーの前で櫛を持ってスタンバイしているカレンさんに逆らわず、私は彼女の前の椅子に座る。
「ミヨもバンビの後でやってあげるから、待っててねぇ」
「わたしはいい」
みよさんの拒否など物ともしないカレンさんは、至極楽しそうに私の髪に櫛を通す。もうどうにでもなれ、と私は目を閉じ、カレンさんの気が済むのを待つことにした。
「……眠い」
「寝てもいいけど、動かないで」
「はーい……」
うとうとと浅い眠りに誘われた私は、ほんの少しだけ夢を見た。いつもの、あの夢だ。
「もーいいかい」
「まーだだよ」
二人の男の子のかくれんぼの声が、脳裏で木霊する。コウ君がいつも鬼で、ルカ君が私の手を引いてくれる。そんな夢。
そういえば、遊んでいたら、ルカ君がーーを見つけて、妖精の鍵ってーー。
「でーきたっ、どうよ、ミヨ」
「バンビ、カワイイ」
はっと我に返った私は、鏡の中のカレンさんとみよさんを見て、それから自分を見た。薄く化粧されているけれど、あまり代わり映えのない自分の顔にホッとする。
「ありがと、カレンさん」
「いいっていいて。さ、次はミヨね」
「わたしはいい」
「はい、座って座って」
カレンさんがみよさんもドレスアップしてくのを見ながら、私はまだ少し微睡みの中にいた。
(サクラソウ、まだあそこで咲いてるのかな?)
もちろんその花が春にならなければ咲かないことは知っているけれど、あの時教会で見つけたサクラソウが、どうして引越の日近くで咲いていなかったのか、私はふと不思議に思った。
(見つけた時って、春だよね。いくら幼稚園児でも春に咲いてたサクラソウが別の季節に咲いてるって思うのかな?)
(じゃあ、どうしてあの時見つからなかったんだろう)
考え込んでいる間にみよさんもドレスアップが終わり、それからカレンさんが呼んでくれたタクシーで会場へと向かった。
入り口を前にして、私は通行のじゃまになることも忘れて、しばし立ち止まっていた。みっともなく口を開けて見上げていたのは、天之橋理事長の邸宅であるという、本日のクリスマスパーティーの会場入口である。
すごいよとは事前に聞いていたけど、こんな場所に個人で住んでいるなんて、流石に住む世界が違いすぎる。まあ、調理室の許可証にサインを貰いに行った時に見た感じ、こういう場所に住んでいるのがふさわしい人だとも思うが。
「バンビ」
「う、うん」
美女(カレンさん)と美少女(みよさん)にエスコートされて、会場に足を踏み入れた私は、とかく落ち着かなかった。だって、どれもこれも高そうで、美味しそうで……!
「荒川」
私が名前を呼ばれて振り返ると、琥一君が苦笑いを浮かべていた。知っている人に会えたことで、私も軽く安堵の息を吐く。
「あ、琥一くん。メリークリスマス!」
「おう、浮かれてやがんな、飲んでんのか?」
「まさか。琥一君も楽しそうだね?」
「まあ、食い放題だからな。俺だってな、腹がいっぱいなら機嫌はいいんだよ」
「ふふっ、そうなんだ?」
ということは普段はお腹が空いているから機嫌が悪いことが多いのだろうか。それはまた、周囲にかなり迷惑な気がする。ーー冗談だろうけど。
「へぇ……」
ふと、琥一君の視線が私の上から下までを移動したのを感じて、私は恥ずかしい気持ちを抑えて、ゆるやかに笑ってみせた。
「あ、このドレス? ……どうかな?」
「おう、悪かねぇぞ。似合ってる。オマエにしちゃ上出来だ」
「やった!」
琥一君からの賛辞に思わず手を叩いて喜ぶと、苦笑が返される。
「オマエな、ドレス着てんだからよ、もうちっと女っぽくな?」
「はーい」
普段からあまり女っぽくない自分を知っているので、私は素直に忠告に従うことにした。それから、二人でしばらく立ち話をして。
「さて、ただ飯食わねぇとな。そろそろ行くわ。じゃあよ」
「うん。またね?」
琥一君が離れていってから、しばらくもしない内に琉夏君から声をかけられた。
「美咲ちゃん。食ってる?」
「あ、メリークリスマス!琉夏君」
「メリークリスマス」
近づいてきた琉夏君は私を見て、綺麗に笑顔を作る。
「ドレス、いいね」
「ほんと?」
「ホント。人形みたい。持ち帰りOK?」
「もう……」
「ダメか」
いつもの軽口。だけど、ほんの少しの距離を感じているのは、気のせいではないだろう。琉夏君はまだたぶん私に何かを隠しているから。それを無理に暴こうとは思わないけど。
「あ、新しいお皿来た。俺、行ってくる」
「うん、じゃあね」
去っていく琉夏君の後ろ姿を見送っていると、料理に群がっている一人と目が合った。彼は料理をたくさん乗せた皿を手に、近づいてくる。
「よ」
「あ、不二山君。メリークリスマス!」
定番の挨拶に、不二山君は苦笑を返してきただけだった。それから、少しだけ眩しそうに目を細める。
「今日は別人みたいだ、おまえ」
「そ、そう?」
「うん。ちょっと大人っぽく見える」
「ホント?」
「ホント」
男の子たちからの賛辞は、お世辞でも嬉しいものなのだと、この一日で学んだ気がする。私でもこんな格好をすれば、少しは見られるってことなのだろう。
「ありがと」
少し照れながらお礼を言ったが、不二山君の視線は既に、新たに出てきた料理へ向かっている。
「いろんな食い物があるから、端から食っておかねーと。じゃあな」
去っていった級友の背中を見送りながら、一人会場の端で私は苦笑していた。
両親も言っていたけど、やはり高校生の男の子っていうのは。
(色気より、食い気、なんだなぁ)
人のことは言えないけど、と私もまた料理を取りにテーブルへ足を進めたのだった。
パーティが終わって、カレンさんやみよさんと別れてから、私は会場入口で一人夜空を見上げていた。吐き出す息は白く、空の星は綺麗に瞬きを繰り返している。上着を羽織って入るけれど、十二月の夜空の下では肌寒い。
「はぁ」
両手に息を吹きかけて、私は駅へ向かう人波に向かって足を踏み出した。
「荒川」
小さな幼馴染みの声に、私は笑顔で振り返る。
「琥一君、琉夏君、もうご飯はいいの?」
私が会場を出るときにはまだがっついていたのを知っているだけに、クスクスと笑っていると、近づいてきた二人の幼馴染みは照れくさそうに笑った。
「もうお開きだとよ」
「それに、もうお腹いっぱいだし」
「ふふ、良かったねぇ」
機嫌の良い二人の幼馴染みに釣られて、私も機嫌が上昇する。こんな日はよく眠れるんだ。
「美咲ちゃんは食べられた?」
「うん」
「行くぞ」
琥一君が私の隣を通り抜けながら、がっしりと腕を掴む。
「へ?」
「送ってく」
「こんな綺麗な格好で一人で帰ったら危ないよ、美咲ちゃん」
だから送っていくという幼馴染み達に、思ったまま私は口を尖らせて反論していた。
「駅で着替えるし、普段着なら別に声をかけられることもないよ」
未だに文化祭とその後のナンパを引きずる幼なじみたちは、過保護が過ぎると思う。だいたい、私はそこまで面倒を見てもらわなければいけないほど子供じゃない。
「馬鹿か、女がそんな格好で夜道を歩くんじゃねぇ」
憮然とした琥一君は怖いお父さんみたいだ。
「……そりゃ、距離を縮めたいって言ったのは私だけど、妹分としては信用して欲しいなぁ」
「あぁ?」
「これでも、逃げ足なら自信あるよ」
自信満々に言い切った私に、二人同時に溜息をつかなくてもいいと思う。
「美咲ちゃん、今日俺達以外、何人の男に声かけられた?」
「ん? 何人だろう……。クラスの男子は皆だったし、生徒会の人とか、先生とかもいたし、後は知らない先輩から何人か挨拶されたけど……」
指折り数えていると、これだよ、と頭を押さえつけられる。
「知らない先輩にもまたね、と返したよね?」
「まあ、社交辞令だしね」
「また、どこで会うの?」
「学校ですれ違うかもしれないじゃん。まあ、相手が私ってわかるかは知らないけど」
いつもは地味で目立たないからねぇと軽く笑うが、なんでか幼なじみたちは疲れた顔で溜息つく。
「行くぞ」
「はいよ」
バス停まで引っ張られていき、私は幼馴染みの間に挟まれるように立つ。目立つ二人だから、自然と間の私にも視線が来る。それこそ、男女共に、だ。なんで私がここにいるんだという顔がちらほら。
「……ひとりで帰れるのに」
「意地張ってんじゃねぇ」
軽く後頭部を叩かれ、その痛みに私は頭を押さえる。あ、セット崩れてる。
(カレンさんがせっかくやってくれたのに)
ブツブツと言いながら、私はアップにされた髪から髪留めを外した。ふわりと肩にカールした髪が落ちる。仄かに温かいけど、不恰好なのは間違いないだろう。
「美咲ちゃん」
ふわり、と肩に何かがかけられる。隣の琉夏君をみると上着がなくて、私の肩にそれがあって。そんなスマートな動作が自然とできてしまう幼馴染みを、私は複雑な思いで見上げた。
「少しは風除けになるかと思って」
「琉夏君が風邪引くよ」
「俺はほら、ヒーローだし」
「フッ、意味わかんない」
軽く琉夏君の脇腹に拳を当てると、驚いた顔で見られた。照れ隠しで私は顔をそむける。
「仕方ないから、今日は送られてあげる」
次は別にいらないから、と言うと、ちょっとの間の後で二人ともが吹き出し、私を両側から押してきた。
「生意気いうんじゃねぇ」
「わ、押さないでよっ」
「次もちゃんと送るよ、俺達」
「っ、もう!」
終いには私も一緒になって笑ってしまっていたのは、きっとクリスマスの空気がそうさせたのだろう。だからきっと、辺りは冬の風が吹いて冷たいのに、二人の間にいる私はちっとも寒くなかったのだろう。
コウ(友好)、ルカ(普通)、嵐(普通)、カレン(好き)、ミヨ(好き)って感じでしょうか。
生徒会長とはまだ事務的なやり取りしかありません。
ニーナはどうやって出そうか。というか、出そうかどうしようか?
聖司先輩もこのヒロインだとちょっと遭遇が難しそうですね。
次は初詣にするかどうかが悩みどころ。女の子同士の初詣が楽しそうだなぁ。
……というか、このヒロインが積極的に幼馴染みを誘う絵が浮かばない。
(2013/02/28)