夜半過ぎ、とある平隊士の部屋から廊下へと出た私は、深く息を吐きだした。なんだか、今日は疲れた。
「葉桜」
「……斎藤か」
壁に寄りかかっていた男が動いたことで、その姿に気づいた私は小さく苦笑する。それから、私は自然と深夜の道場へと足を進めていた。
新選組がまだ壬生浪士組だった頃、ここはよく酒場のようになっていた。そこで仲間同士語らい、結束を高めていたから、私も咎めたのは一度きりだ。しかし、今はそんなことをするものはいない。
「ちょっと待ってて」
私は床の間まであがって、奥にある小さな小さな戸を開け、そのさらに奥を小突いて開けて、それを取り出してから、斎藤の元まで戻った。斎藤は私の手元を見て、珍しく目を見開いている。
「こんなところに……」
「ふふ、ナイショだよ。ここは鈴花ちゃんにも見つかってないとっておきだから」
美味しいよ、と持ち出してきた小さな徳利を傾けて、私は直接口に酒を流し込んだ。喉を通り抜ける甘くも柔らかな喉越しに、舌鼓をうち、それを隣りに座った斎藤に差し出す。斎藤は少し躊躇した後で、やはり直接口をつけた。
彼の喉を酒が通りすぎるのを待ってから、私は盛大に息を吐きだした。
「はぁー、疲れた。怒るのって疲れる。こんなこと毎日やってたら、身が持たないよ」
私がさっき出てきた平隊士の部屋には、最近目をかけている少年がいる。威勢がよく、素直で、聡い。まだまだ育て甲斐のある男だからと、よく鍛錬にも付き合っている。
今夜は私の隊が巡察の当番で、彼が死番だった。出るときに、少しばかり調子が悪そうだなと思ったが、本人が大丈夫だというのを鵜呑みにしてしまった。おかげで、途中であいつは熱出して倒れるわ、機会悪く浪人が襲ってくるわで、危うく私の隊は死人が出るところだった。
だから、私は彼を看病して、熱も下がってきて、目を覚ました先ほど、彼を怒鳴りつけたのだ。
「くっ」
小さな苦笑に目を向けると、珍しく斎藤が口元に弧を描いている。
「アンタの大声を久しぶりに聞いた」
「……めったにするか。疲れるんだもん」
「だが、俺も葉桜と同じ意見だ」
斎藤ならそういうだろうと思っていたので、私はただ笑みを深めて答えた。それから、月明かりがうっすらと差し込む誰もいない道場を見渡す。
「ちょっとキツイ言い方しちゃったけど、もしもそれで彼が辞めるというなら、それでいいと思っているんだ。無理して、死なれる方がよっぽど辛いよね」
私が笑ってみせると、斎藤はただ優しく私の頭を撫でた。何も、言わない。でも、今はそれが有難い。
ここに来る前までとなにか違うかと言われたら、さほど違いはない。ただいる時間が長いだけ、対象と接する時間が長いだけだ。いくら薄情な人間でも、これだけ長く一緒にいれば、情だってわくだろう。
「……アンタは、優しすぎるな」
「斎藤ほどじゃないよ」
私が即座に切り返すと、斎藤は少し目を見開き、それから、小さく笑った。
私と斎藤は、たぶんそういうところが同類なのだろう。だから、時折こういう考え方が重なる時があって、私はそういうちょっとしたことで嬉しくもなるのだ。
酒がなくなるまで飲んで、部屋に戻る時、斎藤は言った。
「葉桜、アンタの見込んだ男を信じてやれ」
お節介な言葉に、私は思わずカラリと笑っていた。
「もちろん、信じているさ。おやすみ、斎藤」
就寝の挨拶をして、私は部屋へ戻る。部屋の中では既に鈴花が眠っていたので、静かに夜着へ着替えて、彼女が敷いておいてくれた布団へと潜り込んだ。
酒のおかげか、斎藤のおかげか、私はこの夜はとても深く眠ることが出来た。