自分の目蓋を覆う薄紅の花を見上げて、私は薄く目を開いた。それから、大きく欠伸をしてから、身体を起こす。
辺りはまだ穏やかな午後の陽気だが、少しだけ風が冷たいだろうか。
誰もいない自分の周囲を見回し、私はホッと息を吐く。それからまた、ごろりと上を向く。
沖田の世話をしなくなってから、私の日常は元通りに戻った。そのはずなのだが、皆が口を揃えて「怠けている」というのはどういうわけなのか。もともと私は縁側でのんびりしていたはずなのだから、同じようにしていても変わらないはずだ。それなのに、文句を言われる筋合いはないはずだ。
だけど、あまりに私が不安定に見えるのだと、鈴花も山崎も口にするから。一人になれる場所を求めて京の町をさまよう内に、私はこの川べりの桜並木を見つけたのだ。人気もないし、邪魔も入らない。これで心置きなくのんびり過ごそうと寝転がっているわけだが。
「参ったなぁ」
自分でも以前はどういう風に過ごしていたのか、なんであんなにものんびりと構えていられたのかを思い出せなくなってしまった。
新選組に来てからの日常は本当に目も回る忙しさで、その合間を縫って、色々なことをしたけれど、まだまだ本番はこれからだ。だから、今こそ英気を養うべきだとわかっているのに、いつの間にやら私の身体は臨戦態勢に入りつつあるらしい。
「参った」
諦めて身体を起こし、立ち上がって桜の幹に寄りかかる。耳を寄せれば聞こえてくるのは桜の木を流れる水音だ。轟々と沢にいると思えるほどの音が細やかに流れているのがわかる。
「……参ったね」
遠くから歩いてくる二人の姿からそっと身を隠し、私は息を潜めて気配を殺した。
藤堂に手を引かれるようにしてやってきた鈴花は桜を見上げて唖然としている。
「桜が、とても綺麗」
綺麗という形容しかでてこない鈴花。それから、鈴花は藤堂に問いかける。
「この桜を私に見せようと思って、ここへ?」
「ん、ま、まぁね」
「ありがとう、平助君」
背中がムズムズするようなほんわかした二人のやり取りを聞きながら、私はもう一度桜を見上げた。
本当に、綺麗だ。
昔は父様と二人でいろんな桜を見て回った。どこの桜もそれぞれの味があって好きだったけど、他の人と見た時はそれほどの感動はなかった。
一緒に見るのが誰かということ、それが何よりも一番大切なのだと気がついたのは、その時だっただろうか。それとも、もっと後になってからだっただろうか。
もっと以前に桜を見たのは、いつだっただろうか。そういえば、母上も桜が好きだった。桜は、ーーなのよって。
「っ」
風が吹いて、頬がすっと冷たくなった。違和感を感じて、私が自分の頬に手をやると、一滴の涙が流れた後で。
ああ、私、泣いてるんだ。なんて、他人事みたいに笑ってしまった。
「あれ、葉桜さん?」
背後から鈴花の声が近づいてきて、私は慌てて目元を手の腹で拭う。
「邪魔しちゃって、ごめんね、お二人さん」
茶化すように言いながら、私は振り返らずに会話する。
「それは別にいいですけど、あの、いつからそこに?」
「そうだね、桜がとても綺麗、かな」
鈴花の動揺が空気の震えで伝わってきて、私はまた小さく笑った。
「心配しなくても言いふらしたりしないから。……また、二人で来たらいい」
じゃあね、とそのまま歩き出した私を、二人が追いかけてくることはなかった。
屯所に戻った私を、何故か斎藤が待っていた。
「ただいまぁー?」
腕を引かれたと思ったら、髪に斎藤の手が触れ、ふわふわと撫でた後でそれを手にする。
「……桜、の、花弁?」
目聡い。苦笑しつつ、私が頷くと、それから斎藤は私の頬にそっと触れ、小さく眉を顰めた。
あとは小さい子にするように、私の頭をもう一度撫でて、どこかへ言ってしまった。
「……なんだ?」
この時の斎藤の行動の理由は、それほどの時を要さず、私は知ることになる。
しかし、この時はただーー。
「変な奴」
いつもの斎藤の不可解と片付けて、私は自室へと戻ったのだった。