絵姿には濃い色の着物を着て、半身振り返る女性が写っている。年は二十歳前後から十代後半ぐらいに見えるが、定かではないそうだ。
上品な化粧を施し、僅かに伏せた目元、薄い唇の口角を僅かに上げて、困った様子で微笑む様は、公家の姫君然としている。袖口からは指先だけが覗き、右手に持った扇子の扇面のかかる親骨を左の手のひらで軽く握っている。立ち姿は凛として、菖蒲の花を懐わせるのは、絵姿からも覚悟が滲み出ているからか。
「ナニコレ」
鈴花の持ってきた絵姿を前に、私は眉を下げて、苦笑する。彼女は今にも踊りだしそうなほど、上機嫌だ。
「今評判の絵姿なんですって。撮られたのは二、三年前らしいんですけど、人伝に広まって、女の子の間で御守絵として人気だそうです。かっこいいですよねぇぇぇっ」
「御守絵って……」
「なんでも、これを持っていると良縁に出会えるとかって。あと、厄除けにもなるって」
「えー……」
「あ、葉桜さん信じてませんね? 実際にいるんですよ?」
胡乱な目で笑う私に気付かず、矢継ぎ早に話し続ける鈴花は普通の女性のように愛らしい。微笑ましくもあるが、物が物だけに、私は気付かれないように溜息をつく。
「あ!」
唐突に、言葉を止めた鈴花に、私はビクリと肩を震わせる。
「そういえば、私夕刻から巡察! 行ってきますっ」
慌てた様子で駆けていく鈴花は、私の手元に絵姿があることなど忘れてしまっているようだ。
「……御守絵、ねぇ」
手元のそれにもう一度目を落とした私は、深く深く、息を吐いた。
「葉桜ちゃん?」
唐突に耳元で声をかけられ、私は慌てて振り返った。そこにいた人物が山崎と気付き、安堵の息を吐く。
「っはぁ、驚かせないでよ、烝ちゃん」
「ごめんごめん。ところで、何見てたの?」
「うん」
言葉を濁す私の手元から、山崎が絵姿を抜き取る。
「あら?」
それと私を見比べ、目を瞬かせる様子を見て、私は小さく苦笑する。
「こんなのいつ撮ったのよ、葉桜ちゃん」
山崎が言うように、絵姿の女性はまぎれもなく私自身だ。随分前に、表巫女より使いが来て、撮らされた気がしたが、あれからもう二年半は経っているらしい。
「山崎と撮った直ぐ後ぐらいかな」
「へぇ?」
「どうしても私の絵姿が欲しいって、とある方にお願いされてね。仕方なく。まさか、今更御守絵とかって広まってるとは思わなかったよ」
山崎と撮った写絵は、結局私の顔がぼやけてしまって、失敗に終わっていた。だが、それがあったから、これが撮れたとも言える。一度で終わらせるために、私はこの時本当に本気で微動だにしなかった。お陰で、その夜は軽い筋肉痛だったが。
「この着物、見たこと無いわね」
「ああ、これを着て撮ってくれっていうお願いだったからね。仕事でも普段着にも使えそうにないし、欲しいって人に譲っちゃったよ」
山崎の細い目元が半眼となっているのを見て、私はその機嫌の悪さを悟り、口を噤む。
「なんで……」
私は両手で耳を塞ぐ。
「なんで、先に私に見せないのよッ!」
手で塞いでいても聞こえる山崎の大声に、私は焦りながらも宥める。
「いやだって、あんなの見せられたもんじゃ」
「それにこの化粧! どこの誰にやらせたの!?」
「え、角屋の安芸ちゃんが是非にって」
「アンタを着飾るのは、アタシでしょ!?」
どうやら、私が他人に着飾られた事を、山崎は責めているらしい。といっても、流石にここまで完璧に女姿になっているというのは、仕事仲間なんかに見せられない。色々と面倒になるのは、これまでに経験しているからだ。
「この時はちょっと急ぎでさ、山崎も仕事でいないこと多かったし」
「だからってっ、今までヒトコトもないのはどういうコトなのっ」
「それはー……あー……」
忘れてた、とか言ったら、火に油だなぁ、なんて、山崎に両肩を掴まれ、揺さぶられながら、私は遠くに目をやる。
その視界に苦笑する近藤と土方を見つけて、ほっと息を吐く。
「おかえりなさい、近藤さん、土方さん」
二人が近づいてくると、山崎も流石に追求をやめてくれた。
「どうしたんだい、二人とも」
「どうしたもこうしたもないわよ!」
私が止めるまもなく、山崎は絵姿を二人に突きつける。
「あ」
近藤が絵姿を受け取る姿に、小さく呻き、私は片手で自分の目元を抑えた。
「へぇ、美人絵?」
「これがどうかしたのか?」
まったく気づかない二人に安堵したものの、次の瞬間に山崎がばらそうとすると感じて、私は慌ててその口を後ろから両手で塞いだ。
「どうしたじゃないわよ、これはっ…むがっ」
「なんでもない、なんでも。今流行の御守絵なんだって、鈴花ちゃんに見せてもらっただけだよ」
だから返して、私が差し出す手を見た近藤と土方は同じように絵姿と私を交互に見比べ。
「……葉桜」
先に、土方が口を開いたが、私は気づかれる前にと慌てて絵姿を回収する。
「じゃあ、私はちょっと山崎と女同士の話をするんで、これでっ」
山崎を引きずり、無理矢理に私は二人の前を後にした。
着いた先は、何故か八木邸である。
「そういうわけなのよ、ひどいと思わない? 敬ちゃんっ」
先ほどの話を山南に事細かく報告するのは山崎で、私はもう止めることを諦めて、室内に増えた書物を読み始めている。
「綺麗に撮れているね」
「言ってくれたら、アタシがもっと綺麗に着飾ってあげるっていうのに、葉桜ちゃんってばっ」
内容がまったく頭に入ってこないのは、二人からの視線がひどく気になるからだ。
山崎はひとしきり山南に愚痴ったことで気が済んだのか、次の仕事があるからと先に帰っていった。もちろん、置いて行かれた私は、山南とふたりきりという居たたまれない状況に耐えられるはずもなく。
「さて、と。じゃあ、私も用事があるので」
立ち上がろうとしたところをあっさり山南の腕の中に捕まり、私は深く深く、これみよがしに息を吐きだした。
「写場は二度とごめんですからね」
「……」
「じっと動かないことが、あんなにつらいと思ったのは生まれて初めてです。まあ、お陰で表の方には喜んでいただけたみたいですけど」
沈黙に耐えられなくて口を開くも、すぐに言葉が尽きる。私は聞くのは得意だが、話す方は苦手なのだ。
「山南さん、私、もう戻らないと」
「ふふっ」
堪えきれないといった様子で零れた山南の笑顔に、私は目を見開く。
「確かに、綺麗な絵姿ではあるし、御守絵とするなら相応の力があるんだろう。でも、私は絵姿よりも葉桜君自身の方がよほどーー」
「や、山南さんっ」
熱を上げるような言葉を紡ぐ山南に耐え切れず、私はその口を両手で抑えた。
「ああ、もう、お願いですから、こういうのはやめてください。慣れてないんです。耐えられないんですっ」
目をそらしながらの私の言葉は、しかし山南には好ましく映ったようで。大切そうに抱きしめられ、頭をその胸に押し付けられる。
「困ったな。本当に、葉桜君を帰したくなくなる」
「……山南、さん……」
「どんな姿の君も、私は愛しい。でも、絵姿のような君は、誰にも見せたくない。私だけのものに出来たらいいのに」
「っ……」
切ない山南の呟きに、私は思わず目元が熱くなる。
(だめ、だ。このまま、ここにいたら、また……)
逃げ出そうともがくが、山南の拘束はびくともしない。
「約束を」
「や……っ」
「葉桜」
名を呼ばれ、ひどく心臓が暴れだす。それを抑えこむように私は身を竦ませ、両目を強く閉じた。
御守絵と言われて、嬉しいと思ったのは確かだ。自分にそんな風に人を幸せに力があるのだというのなら、願ってもない。けれど、こんなふうに自分に返ってくるのは、違うはずだ。だって、私はーー。
震える私に山南が深く息を吐いたのがわかり、私はビクリと身体を震わせ、恐る恐るにその姿を見上げた。少しその姿がぼやけて見えたのは、抑えきれなかった感情の昂りのせいだ。
そんな私に再び軽い息を吐いた山南は、ゆっくりと私の頭を撫でる。そっとそっと繰り返されるそれを目を閉じて受け入れていると、徐々に感情が落ち着いてくる。
「……まったく、君という人は……」
呆れた様子の山南の声音が私に届き、私はゆっくりと目を開く。そこに最初に映ったのは、視界いっぱいの山南の甘やかな笑顔で。
「私も、これを買ってこようかな」
「え?」
「君の姿の御守だというのなら、願ってもないよ」
私に山南を止める資格があるはずもない。
「……誰にも、言わないでくださいね?」
だから、私がそれだけを小さな声でお願いすると、山南からは苦笑と優しい手のひらと、暖かな了承の返事が返ってきた。
日の暮れた後に屯所に戻った私に、近藤と土方は何かを言いたげだったが、結局何も問われることはなかった。
そして、件の絵姿は、鈴花の手元に御守として残された。
二部構想の段階で、そういえば、写真を撮るネタ考えてたなと思い返して、プロット見なおして。
……結局、既に撮ったから撮らないという方向にしました。
誰にしようかなと迷ってたんですが、最初に山崎に突っ込ませたら、何故か山南さんのところに。
あれー?
そして、約束を諦めない山南に追い込まれるヒロイン。
少しは甘くなったでしょうか?
(2013/09/03)