いつもの砂浜トレーニング。先を走る彼の背中はまだ遠い。
けれど、ずっと見守るだけだった背中を追いかけるのは楽しい。
「おーい!」
大きく手を振る姿に、元気をもらって、一歩にまた力を込める。
踏み込めばそれだけ近くなる。
ゴールに大好きな人がいる。それがどれだけ大きな力になるかなんて、選手になってみるまで知らなかった。
あのときの彼の気持ちがやっとわかった気がする。
「希ー!」
最後の一歩で強く踏み込みジャンプする。
「おかえりっ」
「た……っ」
しっかりと揺らぐことなく抱きしめてくれる大きな体にしがみつく。
「速くなった」
「っ、そ……っ」
「ははっ」
荒い息で言葉にならない私の背を撫でる大きな手に、なんとか呼吸を落ち着かせようとするも、まだまだうまくいかない。
「ここで待ってて。次は俺が走ってくるから」
こくこくと頷くだけで精一杯の私は、額に柔らかな感触を受けて、息を止め、顔を上げた。
「タイム、よろしく」
既に走り出した彼の背中に、いつの間にか手元に握らされたストップウォッチをスタートする。
付き合いだしてから、いつもこんなふうに不意打ちでスキンシップしてくる彼に、私ばっかりドキドキさせられる。
さっきまでとは違う理由で鼓動の早い自分の胸に手を当てる。こんな風に鼓動が早くなるのは、彼に対してだけだ。これが恋という名前だと知ったのは、教会で告白されたあの時だ。
ずっとずっと応援してきた。そして、今はお互いを応援している。彼の夢は私の夢。そして、私の夢は更に増えた。
「ただいまっ」
「わっ」
戻ってきた彼にぎゅっと抱きしめられて、支えきれずに砂浜に倒れ込む。
「ははっ」
「もう!」
私を抱きしめたまま笑うから、彼の笑いの振動が体中に響いてきて、私も楽しくなってしまう。
「おかえりなさい、希」
倒れたまま抱きしめ返すと、何故か彼は体を固くした。
「……うん、ただいま」
私を抱きしめたまま起き上がった彼が、私を見上げる。幸せそうに笑う彼に、つられる。だって、私も幸せだから。
「ねえ」
「うん」
「今日、誕生日なのに、こんないつも通りで本当にいいの?」
そう、今日は彼の誕生日で、特別なプレゼントをあげたくて、昨日聞いたのだ。なにかしてほしいことはある?と。
プレゼントは用意したけど、せっかく付き合い始めて最初の彼の誕生日。特別な日にしたかった。でも、一人でいくら考えてもこれというものが出てこなくて。みちるやひかる、玲太やイノリにも相談したけど皆はっきりと教えてはくれなかった。ただ、一緒にいればそれでいいって。それじゃいつもと変わらないって言ったら、笑われた。なんでだろう。
それで、結局本人に聞いたら、一緒にトレーニングしたいって。いつもやってることでいいのってきいたら、それがいいっていうから、こうして一緒にトレーニングしてたのだけど。
「いつもどおりじゃないよ、きみがいる」
「だからそれがいつもどおりでしょ?」
「うーん、つまり、きみが一緒にいて、一緒にトレーニングしてくれるだけでオレは最高に嬉しいんだ」
「でも」
納得いかない、と私が眉をひそめると、彼はクスクスと笑う。
「きみがオレのそばで笑ってくれるのが、オレにとって一番のプレゼントだってこと。きみはオレにとっての女神で太陽だから、こうして独り占めできるなんて、最高の贅沢だろ」
彼の言う贅沢は、私にとっての贅沢だ。だって、今や彼は時の人で、特にはばたき市でアスリートとして知らない人なんていないのだから。
でも、そんなこと関係なく、いつだって前を向いて走っている彼が大好きだから。
「欲がないなぁ、希は」
こつん、と額を合わせて目を閉じる。
「そんなことないよ」
急に真剣な声が聞こえて、目を開けかける。
「あ、まだ目は開けないで」
「う、うん」
「オレが本当にほしいものはさ、ちゃんときみの準備ができてからもらうから。今は我慢してるだけ」
え?
「いつかさ、その時が来たらちゃんともらうから。今はこれだけでいいんだ」
唇に柔らかいものが押し付けられて、すぐに離れる。
キスを、されたと気づいたら、目が開けられなかった。
「大好きだよ、美奈子」
囁かれた声はかすれていたけど、ちゃんと聞こえた。
昼間とは違う、甘い声に私はぎゅうと強く彼にしがみついた。
「私も……大好き」
颯砂くんの誕生日お祝いSS。
最初に考えてたのは、いつも玄関に来てくれる逆バージョンだったのだけど、直前で方向転換しました。
あとはいきあたりばったりすぎて、自分でもどこでお祝いしたらいいかわからなくなった。
でも、書いてて楽しかったからいいか!
読了ありがとうございました。
2022.6.22