リーマス・ルーピン>> TeaParty>> ファギーなお茶会

書名:リーマス・ルーピン
章名:TeaParty

話名:ファギーなお茶会


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.4.25 (2003.10.25)
状態:公開
ページ数:3 頁
文字数:23665 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 15 枚
デフォルト名:////チカ
1)
お茶会シリーズ3
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p.1

「まだ歩くのかい?」
「なーに? 先生、もう疲れちゃったのー?」
「い…」
 否定を返そうとしたところを、友人の快活な声が遮る。

「こいつは普段からこんなところには歩いてこねえからだろ。運動不足だ、単なる」
 久々に昼の陽光の下で見る彼の姿は、まだ細く骨ばかりであったけれど、確かに生気が戻りつつある。それもこれも毎週、チカが食事を届けてくれるようになったからだ。

「ええっ? 毎日甘いもの食べて、その上運動不足なんて言ったら、成人病の道まっしぐらですよっ」
 一番先頭に立って歩く姿の背に黒い髪が踊る。日に溶けて髪に光の波が生まれる。白く、しかし濃く黒い光を照り返す。

 今日の天気みたいな陽気な彼女は、小さく異国の歌を口ずさみながら歩いてゆく。魔法界にもいない素敵な生物のようで、見ているだけで僕も嬉しくなる。彼女のように歌を口ずさむほどの余裕はないけれど。

「シリウスこそ家から一歩も出られないんだから、太るよ」
「俺はお前のいない間にちゃんと運動してるよ」
 平然と言い返す黒髪の友人は力強く地面を踏みしめて、僕の一歩先を歩く。先にチカを追いかける。

「裏切り者」
「な…っ!?」
 動揺する彼を追い越して、どんどん先へ進んでゆくチカを追いかける。僕等よりも小さな身体なのに、歩く速度は早い。姿が遠くならないうちにと伸ばした手は、肩先に触れる寸前で空を切る。

「遊んでると、置いてっちゃいますよ?」
 顔だけ振りかえった表情は楽しそうに笑っていた。誰かに通じるものがある、見覚えのあるそれに一瞬足を止める。

「どうした、リーマス?」
「え、あ…、いや。なんでもないよ」
 少し気遣わしげな友人が追い越していくのを、僕も追いかける。このままだと本当に置いていかれそうだ。

「チカ、少しペース落とせよ。こいつは…」
「シリウス」
 なにか言いかける彼の言葉を遮る。シリウスはただ、不満そうに僕を見て、また歩いてゆく。

「まだ本調子じゃないんだろう?」
 満月は一昨日の夜に明けたばかりだった。セブルスの薬が効いていない訳じゃないが、まだ口の中にはあの苦さと満月の息苦しさが残る。いや、満月のせいではない。あの丸いもののせいではなく、僕は満月の思い出に揺らぎ、苛まれる。

「大丈夫だよ」
 彼を追い越し、チカを追いかける。その背が小さな姿を見失わないように。

 濃い緑の海は途切れることが無く、時折前を横切る魚…否、狐や猫、野鼠が一心に駆けてゆく。不自然に、焦った様子に見えるのは気のせいか。

「ふたりともおっそーい! もーいいです。やっぱり私がケーキと紅茶セット持ちますよっ」
「え、あ、チカ?」
 ずっと先に行っていたハズの姿が、いつのまにか隣に立っている。ふわりと風に攫われる髪が、空に住まうイキモノと同じく揺れる。その一瞬が、羽根を広げているように見えてしまった。

「先生、やっぱり具合悪いんですか?」
「そんなことはないよ」
 ひらひらと目の前に翳される手に苦笑する。小さく、細く、しなやかな手は僕よりもずっとしなやかで、働くものに共通するように色濃く日焼けている。骨ばって、無駄に大きく、日焼けてもいない僕やシリウスと比べると、チカはとても健康的だ。

「じゃなきゃ病気ですよ。たかだか40分やそこら歩いたぐらいで、なんでそこまで汗だくですか」
「いや、普通は40分も歩けば…」
 僕の手元のバスケットを奪い取って、彼女は先を歩く。どこにそんなにパワーがあるのか、やはり歩くペースは変わらず速い。

「シリウスは外に出ないから仕方無いにしても、先生は毎日どこかしら出掛けてるんでしょう? なんでそんっなに体力ないんですかねー?」
「出ないんじゃなく、出れねーって…」
「だから、姿あらわしでちょっと遠くに行ってるっていってるでしょ」
 ふっとバスケットから香る甘い甘いケーキの匂いが、鼻孔を通りすぎる。そして、なおも縮まらない彼女との距離はお預けをくらっているようで。

「…チカ」
 僕が声をかけるより先に、いくぶん疲れたシリウスの声が彼女を呼んだ。

「いいかげん信じろ、おまえ」
 チカは今だに僕とシリウスが魔法使いだと云う事を信じていなかった。ただちょっと、風変わりな奇術師という認識しかしていない。アレだけ魔法を使ってみせてもそうなのだから、鈍いというのを通り越して呆れてしまう。

 僕等二人を軽く笑い、笑んだままの目線だけ寄越してくるチカ。

「こんなひ弱な魔法使いなんて、いても怖くないですよ」
 チカの認識というのは、魔法使い=怖い人というものらしい。優しい魔法使いなんて別世界のイキモノだと思っているようだ。こんなに身近に暮らしているのに、何度も魔法を見せたのに、信じないというのもある意味奇跡的な鈍さである。

 もっとも、彼女の世界の基準というものがよくわからない。

「紅茶が美味しければそれでいいんです!」
 最初に力説された時はどう反応していいやらわからなかった。紅茶だけでそこまで人を信用するのもどうかと思う。

 なんでも美味しい紅茶を求めて、世界中をさ迷った末に、ロンドンのあの小さな喫茶店を見つけたらしいが、普通のマグルならばあの店は目にも止まらない筈だ。目くらましのそんな魔法をかけてあると店主が言っていた。

ーー見つけたのは、チカの執念ですね。

 仕事を終えて、彼女が帰った後、苦笑しながら店主が言っていた。僕もその時は笑って、話は戻ったけど。でも、たしかに彼女の頭の中には紅茶のコトしかないらしい。

 やがて細くなってゆく獣道に、不思議な錯覚が伴う。来たコトなどないのに。

「もう少しですよ、お2人さん」
 危なげなく歩くチカの足元は軽やかで、時折のぞく木の瘤を目に止めることなく飛び越える。何度も来ているのだろうということが、僕でなくともわかる。

「…来たことがあるような気がしないか…?」
 囁いてくるシリウスに頷いてみせる。絶対に来たことがないのに、憶えがある感覚。以前ならいつも感じていた、そんな。

「…なんかさ、ホグワーツで…」
「あぁっ!!?」
 なにか言いかけたシリウスの声よりもチカの声が大きく思考を遮る。

「どうしたの、チカ!?」
「なんだ…っいて!」
 避けていた枝が跳ねて顔に当ったらしいシリウスは顔を顰め、僕はソレを視界の端に一瞥するだけで先を歩いていたチカを追いかける。彼女は5メートルぐらい先で立ち止まって、いや、立ち尽していた。

「…チカ?」
 ゆっくりと振りかえったチカはものすごく困った顔をして、襲いたくなるぐらい可愛い苦笑いを浮かべている。片手はしっかりとバスケットを持っているが、片手は目の前の茂みに手をかけて持ち上げている。

「どうしましょう、先生」
 そういって、彼女は僕を手招きした。手を離された枝は衝撃でざわざわと音を上げて戻る。その僅かな振動の端に茶色い木片が煌く。

「あのですね、すーっかり忘れていたことがあるんですよ」
「何を?」
 僕が来た所で、彼女が茂みの中のなにかを蹴り、それは実に軽い音を立てて水音を立てた。そういえば、この近くにあるのは水辺に生きる植物が多い。

「定員2名まで、なんですよねー」
 濃い緑の茂みに沿って、左周りに彼女が森の中に入ってゆくのについてゆく。濃い緑がその姿を覆い隠してしまいそうで、本当に慌てかけ、彼女の左肩に右手をかけて捕まえた。

「コレ」
 そうした矢先に立ち止まって振りかえったので、危うく転びかける姿を反対側から強く支えられた。シリウスがいつのまにか追いついていたのである。

「池…? 霧がずいぶん濃いな」
「湖って言ってください、シリウス。霧深いですけど、中に行けば視界もききますよ」
 光がキラキラと舞うほどではないが、透明度の高い湖面は空を映し、純粋に澄み渡った青空を映し出す。いつでもどこでも変わらず、世界を見つめ続ける冷たい空を。

「で、問題なんですが…先生、聞いてます?」
「ちっせぇ舟だな」
「うるさいです、シリウス。先生? せんせー?」
 感覚が戻ってくる。ずっとずっと昔の、まだホグワーツに入学したばかりのあの時に通る、あの水の道も昼ならばこんな感じだろう。シリウスが呟いたとおり、知っているはずだ。僕等はなにもだれも知らなかった、まだ絶望ばかりが僕の世界であったときに、期待と不安に満ちた気持ちで。

「どうしよー。せんせートリップしてるよね?」
 同じ体験をまたしようとは思っても見なかった。まさか、こんなカタチで。

「リーマス、大丈夫か?」
「どうしよう…シリウス」
「おいっ?」
 シリウスの強い声で、震える手が止まる。ああ、僕は震えていたんだ。懐かしさと同等以上の恐怖に。ホグワーツは楽しい。でも、僕はずっとあの記憶に縋りついてゆくだけでは生きて行けなくて、戻れない心楽しい記憶として、この胸にしまいこんで来た。

「同じだよ、ここは」
 ゆっくりと紡ぐ言葉が、まだ震えを帯びる。

「チカ、チョコレートとかもってねーか?」
「え? 先生のポケットに入ってるんじゃ…」
 同じだよ。同じなんだ。ねぇ、君もそう思っただろう?

「ここはホグワーツだ」
「んなわけあるか」
 口に甘い刺激が届けられ、むせ返るようだ。

「げほっ…こほっ…」
「ちょっと、シリウス。いきなり口に放りこんでどうするんですかっ!」
「気にすんな、死ぬ訳じゃねーし」
「さっきの欠片じゃ大きすぎて喉につまりますって。先生、大丈夫ですかっ?」
 視界が揺らぐ。僕は泣いているのか。でも、顔だけは霧の先を見極めようと、その見とおせない白さだけがただ映る。他の色の全てが白に溶けて消える。

「ほらー、涙目ですよ。絶対つまったんですって」
「違うよ」
「大丈夫ですか? 水…水ー!!」
 衝撃があって、その冷たさで僕はようやく目が覚めた。

「なんてことするんですかー!」
「この方が手っ取り早いだろ」
「そういうことじゃないです、こんの馬鹿シリウスっ 先生、先生!?」
 ある意味その方法は間違っていなかった。持ち合わせの少ない僕の服が濡れてしまったという事実以外は。

「目ェ覚めたろ、リーマス」
 肉付きの良くなりかけた笑顔は、昔のままの面影を取り戻す。変わらないものは彼だけだが、それで十分かもしれない。水辺でしゃがみこんで人の悪い笑顔でいる彼に、同じような笑顔を返す。気持ちまでも若返ったかもしれない。

「ああ、本当に、ねっ」
 引き上げようと伸ばしてくれた手を引っ張り、入れ替わるように彼も水に突き落とした。大きな水しぶきをあげて、その姿が水中に消えるのをチカが目を大きく見開き丸くして凝視しているのが面白い。でも、可愛いなぁ。

「あははっ。まだ同じ手に引っかかるなんてね」
「~~~リーマス!」
「成長してないね、シリウス」
「てめぇがゆーなっ!」
 伸びてきた腕で水に沈められるのを、彼の足を捕って転ばせる。冷たい水の中で、僕らはまだ昔のように笑っている。笑えている。こんなふうにまだ笑えたんだ。ずっと歩いて火照っていた身体も、水の冷たさに心が入れ替わる。すごいよ、チカは。

「すっごい馬鹿ですよね、2人とも」
 冷めた声は岸とは別の方向から聞こえて来た。チカが小舟に不機嫌なのに笑顔であるということが、今の気分だと誰かを彷彿とさせる。

 ふと視線を寄越してきたシリウスがチカの船に近寄る。何を考えているかなんて、その視線で十分だ。丁度僕も同じことを考えていたから。

「そのまま泳いで行ってくださいね」
 にこやかに彼女が言うのと、シリウスと僕が小舟に触れるのは同時だったろうか。それとも、彼女の技量がまさっていたとでもいうのか。ただ一言行っておこう。ーー僕等は、完全に成功を確信していた。彼女の舟をひっくり返し、彼女を同じようにずぶ濡れに出来ると。

「ケーキもサンドイッチも水に濡れたら食べれたもんじゃないんですよね~」
 人質ならぬモノジチを掲げ、チカは勝ち誇った笑顔を浮かべる。その言葉には確かに威力があって、ピタリと止まった僕らの目の前で立ち、チカは舟を漕ぎ出した。一人で漕げるように、一本の舵が捕りつけてあるようだ。思う以上の速さで進み出す船を2人で慌てて追いかける。どうして、僕等が考えていることがわかったんだろう。まるで。

「リリーみたいだな」
「うん」
 水に潜ると、思ったよりも近い距離に逆さまの城が映る。土で出来た入口も出口もない城だ。浮空城が水に落ちたらこんな感じなのかもしれない。失われた遺跡が全てこんな風にひっくり返っているだけだとしたら、単純でいいのに。

 光差す湖面に映る黒い湖面が目指す先を目あてに泳ぎ、先回りして水面に出る。すると、そこは一面の花畑で。他には何もなかった。何も、というのは語弊があるかもしれない。先に上がっていたシリウスが、上半身だけ裸になって、上に来ていた服を絞って肩にかける。そうして、その中心に位置するものに近づいてゆく。その足取りを少し追ってから、僕は湖面を見つめていた。

 …ギィ…ギィ…ギィ…

 小舟を漕いでいる音が静寂に響く。とても静かな場所だ。濃い霧の中にあったように思うのに、ここからは近い位置に対岸が見える。そう遠い距離じゃない。

「リーマス」
 前方と後方、二つの声が僕を呼んだ。



p.2

 深い白い霧の中から、小船の舵を操る音が聞えてくる。それはサクサクと葉を踏みしめる音よりずっと大きく聞えてくる。一定のリズムをもって、ただゆっくりと影が近づく。

 …ギィ…キィ…ギィ…

「先生もシリウスも早いですね~」
 霧の晴れてくる辺りまで、僕は動くことが出来なかった。白い霧に、さらわれてしまいそうな気がして怖かったのだ。そのまま、チカまでいなくなってしまいそうで、怖くて、動けなくて。岸にたどり着いたチカの手を取る。そこから伝わってくる体温に安堵する。握った手首は細いけれど、いなくなってしまうのが怖くて、ただ握り締める。

「先生? 具合悪いんですか? あ、まさか風邪ひいたとか!」
 オロオロとする心配色の空気と、焦るシリウスの声に我に返るまで、僕はただ、その小さな手を両手で握り締めていた。

「ちょっと先生、とにかく岸に上がりますから手をーー」
 わかっていても離したくなくて、その小さな身体を抱き上げて、岸に降ろす。

「せ、んせ?」
「すまない」
 船を引き寄せて、食料の詰まったバスケットを持つ。

「せんせーってば」
 彼女を直視できなくて、先に歩こうとしたのに、腕を強く引かれる。小さいけれど、温かな手。

「言ってくれなきゃわかんないですってば!」
 そのまま引き摺るように歩く。

「もーなんなんですか?」
「なんかシリウスが呼んでるから」
 言訳は所詮言訳でしかなく。

「ちょっとぐらいほっといても大丈夫ですよ。それより、具合悪いんじゃないですか?」
 今はただ、顔を見られたくは無かったんだ。

 どうして急にこんなことを思ったんだろう。君が消えてしまうなんて。ここにいるのに、この腕の中に。

「せ、せ、シリウス、助けて、っ」
 腕の中で加減をすることも出来ないくらい抱きしめて、それでも不安が消えなくて。出会ったときと同じように、再会したときと同じように、チカがいなくなってしまうような予感がして。

「たーすーけーてーぇぇぇっ」
「リーマス、やめろ」
 強い衝撃で目が覚める。目の前で震えるチカと、それを心配するシリウスがいて、僕はそこへ入ってはいけないような気がしてしまっていて。

 一歩も動けない。

 どうして今日はこんなに過去が重なるんだろう。ホグワーツの戻れない思い出ばかりが、溢れてきて、辛いよ。でも、泣きたいのにどうして笑ってしまうんだろう、僕は。風が花を巻き上げて、二人を包んでしまう。そうしてまた僕はひとり置いていかれるんだ。

 手が、届かない。

「先生ー!」
 ふわりと甘い香りに包まれる。花の香りに混じる甘い甘い蜂蜜とクリームと、チカの香りに包まれる。

 僕の手を小さくて少しひんやりとした手が引っ張り挙げた。

「そんな所で座ってないで、お弁当食べましょーよ。ここまで歩いてきたんですから、いつもよりも美味しく感じられますよ」
 空気も美味しいですしねと、微笑むチカの瞳の奥に怯えや恐怖はない。いつものチカの親しみと信頼をこめた瞳に、つい笑いが零れる。

「だいたい先生の家ははっきりいって、お茶会向きじゃありません」
 てきぱきと籠からサンドイッチやらケーキやらを並べながら、憤然と言い放つ。さっきの今で、こうも変わらないでいてくれてる。そんな小さなことが僕を心楽しくさせるなんて、チカはきっと気がついていない。

「本当にはっきり言うね」
 僕も杖を振って、3人分のオレンジティーを出す。シリウスは、今は杖がないから本当に。

「なんだよ?」
「いや、さっきはありがとう」
 笑顔で礼をいうと思いっきり嫌がられた。ひどいなぁ。本当に助かったと思ったんだ。もしかすると、チカをあのまま殺してしまったかもしれないから。

 風が吹いて、ケーキやサンドイッチや紅茶にまで花弁が舞い落ちる。それも1色や2色じゃない。まるで色の洪水。色彩の反乱。。花の嵐だ。チカもうっとりとそれを眺めている。

「チカ!」
 先日、そのチカが花弁を飲みこんで、ちょっとした騒ぎになったことを思い出した。そういえば、今彼女が飲んでいるのに花弁が入っているのに、どうしてまたそのまま飲もうとなんて!

「え、あ、やだなー。飲みませんよ、花弁は。こないだのは桜だったからです」
「本当かい?」
「なんでサクラだと飲むんだよ」
 シリウスが両手でサンドイッチを忙しなくほうばりながら聞くと、チカの笑顔がわずかに翳る。

「懐かしかったから、です。深い意味は無いんですよ」
 一瞬だけ見えた哀しい笑顔はどこかで見覚えがある。本当に一瞬だけで、その後のいつもの満面の笑顔に書き消されたけど。

「やっぱりここで飲む先生ブレンドは最高ですねー」
 話をそらされている気がしている。それはシリウスも同じで、二人で同時に目が合ってしまったことで確認できてしまった。悪友もここまで来ると腐れ縁と変わらないんじゃないだろうか。

 風がチカの黒髪を揺らす。花弁にうずもれて、うっとりと目を細める視線の先には…石がある。

「よく来るのかい?」
「はい」
 やっぱりと思ったのが半分。不満が半分。誘ってくれても良いのに。

「誰と?」
「ひとりに決まってるじゃないですか。ここを教えたのは、先生とシリウスが初めてです」
 ソーサーにカップを乗せて、微笑む。そうしていると、花の妖精みたいで、人ではないみたいで、ますます現実味が薄れてきて恐ろしくなる。

「やっぱり」
 僕だけで良いのに。

 と、続けようとした言葉にシリウスの台詞が重なって、かききえる。

「ところで、チカに聞きたいことあんだけ、ど」
「はい?」
 言葉が途切れたのは何も僕が彼を見たからじゃない。花がさっきからチカの姿を消そうとするんだ。まるで魔法か何かで連れ去ろうとでもするように。

「今日は一段とすごい花嵐」
 チカの声がやけに遠い。

 先にシリウスが立つ。僕も立って、彼女の居たところへまわる。でも、そこに彼女はいない。

「チカ、どこにいるんだっ?」
「チカ!!」
 僕とシリウスの声がかき消されるほどの花嵐だ。お互いの姿は見えるのに、チカはどこへ行ってしまったんだ?

「シリウス、ここは、変じゃないか?」
 変というか妙というか。悪意は感じられない、でも、どこかおかしい。

「おちつけ、今魔法使えんのはおまえだけなんだぞ」
「う、うん」
 両目を閉じて、色の嵐を追い出して、言葉を思い出す。魔法なら、無効化すれば良い。

 杖腕を挙げて、正体の見えないものに構える。気配だけでも探れたらいいのだけど、心が乱れて、見つけられない。

「チカー!!」
 シリウスの呼び声に答えるモノはいない。

 でも。

 わずかに風が和らぐ。遮るだけだった風が弱まる。誰かが助けてくれているのか? いぶかしみながら呪文を紡ぐ。とたんに花の嵐は雨のように降って落下し、地面に落ちるや否や消えてしまう。

「な、んだ?」
 後にはただの花畑が広がるばかり。ということは、思ったとおり魔法が掛かっていたらしい。花弁に埋もれてしまったはずのケーキも紅茶もサンドイッチも全部元のままだ。ただ、チカだけがいない。

 ぐるりと見まわす。一瞬だけ、視界に黒い影が映り、もう一度そこに目をやると誰かが横たわっている。シリウスが先に走り出す。僕はつられて、足を進めることしか出来ない。

 まさか、そんな。

 花畑で、仰向けに横たわっているチカは、両手を胸の前で組んで、両目を閉じて。抱き上げるシリウスにも気がつかないみたいに、眠ってて。

 髪も腕も全部力が入っていなくて。

「チカ、起きろ、こら!」
 怖くて、僕はシリウスの腕から君をとりあげることもできない。

 息をしていないかもしれない。心臓が動いていないかもしれない。とそんな予感が渦巻いていても、視線は逸らせない。血の気がないようにも見えるけど、普段からこうだったかもしれないと震えながら思い返す。

「いいかげんに起きねぇと、リーマスの紅茶全部俺が飲むぞ!?」
 ぺしぺしとチカの頬を叩きながら、怒り口調でシリウスが言う。

 あ、そうか。もしかすると、こうすれば。

 杖を振って、紅茶を出す。いつもチカに出している、彼女専用に作っている紅茶だ。カップの縁を杖で叩くと、普段より強くその香りが広がる。

「………」
 でも、反応はなくて。絶望が広がる。丁度目の前にある石がまるで、グレイブのように思えてしまう。

「心配すんな、リーマス。こいつは寝てるだけだ」
 シリウスが安心させようと振りかえるけど、その作り笑いが僕にばれないと思っているのか。

「おーきーろーっ!」
 反応が無い。眠っているだけにしかみえないのに、反応が、ない。

 目の前に苔むした墓石があるだけに、余計にそんな予感がして、震えてくる。まさか、チカも。

「…ぅや…」
 小さな声にそれが否定され、急いでシリウスとは反対側からチカの顔を覗きこむ。睫毛が小刻みに振動している。

「チカ?」
 声が震えないように、押し隠すのは容易くない。でも、安堵が胸に広がってゆく。シリウスが僕の腕にその小さな体を渡す。そこから動くでもなく、たたずんでいる。

 ゆっくりと瞳が開く時間は、花の開花を見るようだ。いつになくスロウに流れる時間たちに、感謝する。だって、こんなにも嬉しい光景を、僕は知らない。開いた瞳にはまだ色はなく、まどろみに溶け込んだままだ。現つと夢を漂うようにかすかに口元が開閉する。その薄紅色に引きこまれるままに、自分のを重ねる。柔らかい感触と、確かな温度。

「り、リーマス!?」
「おはよう」
 口を抑えて、顔を真っ赤にするチカににっこりと笑う。シリウスは苦笑しつつ離れていく。

「お、はよ、て、っ」
「チカがなかなか起きないからだよ」
「~~~~~っ」
「もう一回いい?」
「いいわけあるかー!」
「遅いよ」
 叫ぶ小さな口をもう一度塞ぐ。さっきの感触が気持ちよくて、もう一度それを感じたくなってしまっていたから。一度触れたら止められないとわかっていたのに。

 叩いてくる腕を抱き込む力で抑えこむ。段々とそれも弱くなり、チカの身体が重くなる。

「チカ?」
「せんせぇ、ずるい」
 ずるいって、心配かけるチカのがずるいよ。僕がどれだけ心配したかも知らないで、ぐっすり眠って。

 もう起きないんじゃないかって、本気で心配してたのに。

「先生なんか、もう知らない」
 顔を背けてはいるが、耳まで赤く染めていては逆効果だよ。

「チカ?」
「知らないもん。離して」
 身体を回転させて、逃れようとするのを抱えなおす。立ち上がらせて、もう一度抱きしめる。丁度顔が胸の下辺りに当り、やわらかな感触とともに、生きている音が響いてくる。彼女の時を刻む音はもう安定している。

「よかった」
「先生?」
「もう、目を醒まさないのかって心配した」
 少しの間を置いて、髪をゆるりと撫でる感触がする。

「せんせ」
「勝手に、置いていかないでほしい。チカがいなくなったら、僕はもうどうしたらいいのかわからないんだ」
 もしも君を失っていたらと想像するだけで、今も震えてくる。花に埋もれ、消えてしまった時、本当に確信した。

 ずっと独りでだって生きていけると思っていたんだ。ホグワーツの思い出だけで、ジェームズやシリウス…ピーター、セブルスとの思い出だけで生きていけると。でも、今は、もうチカのいない未来なんて考えられないくらい、大切で。

「先生、私言いませんでしたっけ? 先生の紅茶が世界一だって」
 柔らかな声が降りてくる。

「シリウスが先生のところに来た時、私、もう来れないって思ったんです。だって、先生に恋人がいるなら、私は邪魔者になっちゃうじゃないですか。先生も紅茶も好きだけど、それだけはしたくなかった。だから、大人しくまた、旅に出ようと思った」
 旅に出るという言葉に腕に力が篭る。でも、チカの声の調子も言葉の調子もかわらない。

「ケーキを持ってくる。たったそれだけしか、私には先生に繋がるものが無かった。たったそれだけのつながりだってわかっていたはずなのに、あの時、怖くなったんです。たったそれだけなのに、そのつながりがなくなるのが怖かったんです」
 震えているのは僕だろうか、チカだろうか。怖くて、顔を上げられない。

「せんせ、。リーマス、だから、それは私の願いです。どうか」
 強く、引き寄せられた腕からは、確かに震えが伝わってきた。

「何でも構わないから、どうか、リーマスの隣で紅茶を飲ませてください」



p.3

 言葉がぐるぐると廻ることはない。どうしてか、落ち着いた気持ちで聞いていられる。魔法も知らない、信じない彼女が知っているはずはないけれど、どこかで感じ取っていたのかもしれない。僕は、決して、チカとは相容れないイキモノだから。

「チカ、僕は」
 全部話してしまおう。僕の正体も、これまでのことも、すべて。チカは信じないか、離れてしまうかもしれないけど。あまりに近くなりすぎた距離が、今更のように怖い。今、言わなければ、きっと一生言えない。

「僕は…」
 更に強く、抱きしめられる。声を出すことを許さないというわけではないのだろうけど、耳元でささやく声は優しかった。

ーー何も、聞きませんから。

 腕を緩めて併せた瞳は、初めて見る色をしている。ジェームズたちともダンブルドア先生とも違う。見たことのない、知らない色。なのに、どこか懐かしい。

「話さないでくださいね」
 どんな魔法よりも強力な、魔法。口を開いても声が出て来ない。

 もちろん、チカはただのマグル。魔法が使えるわけもない。

「あー! シリウス、何してるんですかっ」
 わたわたとチカが僕の腕を抜け出す。

「それ、外しちゃダメです! 今すぐ、手を離してっ」
「…チカ、おまえ、これ…」
「まだ換わりを作ってないんですから、ダメ! わかりましたかっ?」
 シリウスが触れようとしていたのは、石のひっかかりにかけられている大きな花の冠だ。使う花は選んでいるのかいないのか、とても乱雑に季節の花々を織り交ぜてある。

 近づいてきたチカの手首を掴むシリウスは、真剣な怖い顔で詰め寄っている。

「チカ、ジェームズとリリーのこと、知ってんのか!?」
「いたいたいたい。誰?」
「ここに来た時から変だと思ったんだ。大体、あのボートもジェームズが作ったやつだろ。なんで、おまえがそれを使ってんだ」
 ジェームズの作った、ボート?

「一気に言わないでよーっ」
「いいから答えろ!」
「それに、手、痛いっ」
「もしかしなくても、あれはジェームズとリリーのーー」
 ひとまず、シリウスの手からチカを取り上げる。

「それは、本当かい?」
「しらねぇよ。わかんねぇから聞いてんだっ」
「シリウス、怖いーっ」
 ローブの端を掴んで、僕の後ろに廻り込む。まるで小さな子供だ。

「チカ?」
 見下ろす影はとても小さく、本気で怖がっていることを証明するように瞳が潤んでいる。

「私だって、知らないもん」
「うそをつくなっ」
「うそじゃないもんっ!」
「じゃあどうして、ボートの在処とか、この変な場所を知ってて、これを外しちゃいけねぇんだよ」
「ダメなものはダメなの!」
「それじゃわっかんねーよっ」
 聞いている僕もわからない。わかるのは、チカが怯えていることだけだ。

「ボートは私が来る前からあったの。ここは知らないうちに知ってたの。それはとにかく外しちゃダメなの!」
 怯えながらもしっかりと言い返すところは相変わらずだ。

「外したら、何が起きるんだい?」
 チカの黒髪は手触りがイイ。真っ直ぐなのにしなやかで、チカそのものみたいな髪の一房を取って、口付ける。

 僕の行動を頬を赤らめて受けながら、神妙に、しかし視線を逸らしながら青ざめるという複雑な行動に出るということをやってのける様は、とても器用に思う。そんなところも彼女の魅力のひとつだ。

「お化けが出るんです」
 とても神妙に言うものだから、シリウスと2人、信じてしまいそうになったよ。

「本当なんですよ!?」
「さて、さっさとメシ食うか」
「そうだね」



「本当なんですってばっ」



 もしも本当だとしても、ジェームズとリリーだったら大歓迎だよ。そう考えるのは僕一人ではないと、シリウスと目が合っただけでわかってしまう。

「怖いお化けが出るんですってば!」
「怖いの?」
 叫ぶチカを引き寄せて、抱きしめる。とたんに、大人しくなる。

「だったら、ずっとこうしててあげようか?」
「いいですっ、いらないですっ、怖くないですっ」
「遠慮しなくてもいいのに」
「遠慮じゃありません!」
「いちゃついてんなら、メシ全部食ってもいいか?」
「いちゃついてませんっっっ」
 シリウスがいて、チカがいてくれる。なんて僕は幸せなんだろうと思う。

「先生、紅茶、紅茶!!」
 急かして、顔を覗きこんでくる無防備な彼女にまたひとつ。キスを落とす。

「はいはい」
「せ、先生~!!!!!?」
 口を抑えるチカは、実に可愛い。生きて、動いて、話してくれるのなら。僕はそれでもいいのだろう。

「今度から、紅茶1杯でキスひとつってことで」
 でも、ほんの少しの我侭だけ許してくれるかい。今はまだ、それ以上は望まないから。

あとがき

いったい何が書きたいのか。そして、ここはどこなのか(オイ。
(2003/04/25)


なんというか。もうこのシリーズ止めたほうがいいかも。楽しいけど、楽しいけど、辛い。
でも、肝心なこと書いてないなぁ。次に書く時にでも入れたいなぁ~
なんかこんなに時間をかけたのに、複線ばっかり多いし。
(2003/10/25)