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書名:GS
章名:氷室零一

話名:Read Time


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.6.19
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:3636 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
改装&相互リンク記念
藤坂ゆうさり様へ
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p.1

 晴れた日の日曜の午後。それはとても緩やかで穏やかな時間だ。

 俺は教師で、彼女は大学生で、お互いに共にいられる時間がかなり減ってしまった現在、この時間を俺はとても大切にしている。

 今、何か考えなかったか?

 別に俺は昼間から彼女を襲うような非常識ではないぞ。ーー夜についてはノーコメントだ。

「零一さん、ノーシュガーで良いんですよね?」
「頼む」
 視線は本に置いているが、聴覚も意識も全部キッチンにいる少女ーー春霞に向いていて、さっぱり頭に入ってこない。

ーーフンフ~ンフフフ~ン♪

 機嫌のよさそうな鼻歌に、思わず顔が緩みそうになる。

 春霞が楽しそうだと俺にまでそれは伝染してくる。天性の才ともいうべきか、もともとどうも彼女は自然とそうした空気を持っている。

 ほどなく盆に二つ分の紅茶を手に、彼女は戻ってきた。

「紅茶セット、前からありましたっけ…?」
「ああ」
「見たことなかった気がするんですけど?」
「義人が以前勝手に置いていった」
「ーーそれって、勝手に使って良かったんですか?」
「置いていったのだから要らないものなんだろう」
 カシャンと急に大きな音がしたので顔を上げると、春霞はもう座って自分の持ってきた本を開いたところだ。気のせいでなければ、いつもより座る距離が遠い気がするのだが。

「春霞」
「読書タイムにお互いの読むものに干渉しない約束、でしょ。わかってます」
「いや、そうではない」
 どうしたのだろう。先ほどまであんなに機嫌が良かったのに。俺は何かしたのだろうか。

 春霞は固い表情でこちらを見据えている。そう、さっきまで楽しそうだった目許が下がり、眉間に一本皺が寄りかけている。普段から笑顔でばかりいる彼女がそうだということは、よほど機嫌が悪いということだ。

「…その、君は何の本を読んで…」
「せーんせぇ。矛盾してますよ」
 かすかに笑ったものの、どうしてか刺々しい空気が消えない。何か気に障ることなど言っただろうか。

 視線が開いた本へと移るのを、少し寂しく思った。いつものことなのに。どこか、なにか、違う。

「春霞」
「………」
「どうして」
 集中することを示すように、瞬きせずにページの繰られる音が響く。長いまつげがかすかに震えている。

「今日はそんなに離れて座る」
「気分です」
 きっぱりとした口調で、だがしかし顔は上げられない。文章を追うので忙しいとでも言うように。

 そっと立ち、本を覗き込んでみる。ーー珍しく原書のようだ。

「なんですか?」
 声だけで、その後ろに邪魔だと主張する気配が見え隠れしている。震えるまつげは何を堪えているのか。

「いや、気分だ」
「はい?」
「気にしなくていい」
「じゃ、私があっちに行きます」
「そうか」
「て、どうして先生まで動くんですか」
 部屋の中央に立ったまま、春霞は珍しく反抗的な目を向ける。

「何か都合が悪いのか」
「いいえ。全然。全く!」
「ならば別に気にしなくてもいいだろう」
「~~~~~っ」
 一週間に二人で昼間にゆったりと過ごせる時間は、そう多くはない。

 だからこそ、少しでも近くにいたいと思ってしまうのは俺が弱くなった証拠だろうか。春霞限定の弱さならば、それもいいと思っていたが。こうも露骨に目の前で嫌われると流石に堪える。

「言いたいことがあるならば、はっきりといいなさい」
「う~…っ」
 にらまれていたと思っていた瞳が、次第に潤んでくる。涙が溢れてくるのに内心焦ったが、表面的には何でもないように手を伸ばす。その手を跳ね除けられる。

「黙っていては何を怒っているのか分からないだろう」
「怒ってません!」
「怒鳴るんじゃない」
「怒鳴ってません!」
 くるりと背を向けて、春霞はその場に座り込む。背中が…背中まで怒っている。

 細い滑らかなラインを流れて落ちるピンクブラウンが流れ、細い項がのぞく。

「春霞」
「もぅ今日は帰る!」
「待ちなさい」
 立ちあがる前に背中から小さな身体を抱きしめる。触れて初めて分かったのはその肩が震えていたこと。

「離してください」
「春霞が理由を話したら、そうしよう」
 ふわりと髪から香る、シャンプーの匂いに狂いそうな衝動を押さえる。

 離れている11年の分だけ、考えも何もかも違うけれど、細い肩に背負うものは多分彼女のほうが多い。逃げてきたつもりはないが、俺とは何もかもが違う。

「読書タイム、じゃないんですか?」
「読書よりも大切なことがある」
「え?」
「どんな話でも聞くから。話してくれないか?」
 一瞬の間を置いて、ふっと彼女の息が吐き出される気配がした。

「さっきの」
 時々、春霞の言葉を転がす様子はピアノの音に似ていると思う時がある。

 高音の鍵盤を初めて叩いた時の、あの不思議に懐かしく、甘い音によく似ていて、聞き惚れることもままある。

「置いていったから要らないって」
 腕に細い彼女の手が絡みつく。白くて冷たそうに思えるのに、弾力と温かさが血の通う人間だと伝えてくる。

 穏やかになる自分とは違い、微細な振動は止まらない。堪えようとして、堪えきれなくて失敗しているのがわかる。

「それが…?」
 耳元で囁きかけると、柑橘系の香りが刺激する。強い誘惑に、ただ堪える。

「それが、じゃないです」
 意識して強く吐き出される言葉だが、奥に滲みかける色は見なくてもわかる。ただ彼女のことだから、そうだと感じるのだ。ほかならぬ、春霞のことだから。

「先生にとって、置いてくものは全部いらないものなんですか?」
「………」
「いらないから置いてくんですか?」
 違いますよね。と、跳ねる言葉が弾み悪く部屋の隅へ散らばって行く。鮮やかに見えた青が灰色を帯び、深くなり、鈍くなり。褐色となったそれは部屋の隅で壁に吸い込まれて消える。

 もちろん、それは幻覚で、実際にそうなったものが見えるわけじゃない。

「あぁ」
 やっと出た声はそんなものだけで、当然機嫌の悪い春霞には届かない声だ。

「違うんです。私だって、こんなことでって、思う、けど」
 雫が窓ガラスに当たって跳ねた。雨が降って来たようだ。外にも、ここにも。

「止められなく、て」
 何か悩んでいることには気がついていた。

 今日は妙にいつも以上に機嫌がよくて、読書タイムに紅茶を自分で淹れようといってくれるときは、大抵何か悩んでいるときだ。そうでなければ、紅茶を淹れるのは俺の役目だ。

 勤勉かな春霞は、俺と同じく読書をこよなく愛する人種だからな。

 緩めていた腕に力をこめる。壊さないように、そっと、包み込む。

「春霞」
「ごめん、なさい…。ただの八つ当たりなんです。先生は、別に深く考えていったわけじゃないって、わかってるんです。でも、今は…少し」
 強い雨が窓から打ち付けてきて、言葉はかき消される。それでも、俺には彼女の声だけが鮮明に透明の音律をもって響く。

 高く低く、響く音が、跳ねて弾んで、何処かへ吸いこまれてゆく。

「少し、だけ」
 小さな僅かな力が腕にかかり、春霞がしがみついているのがわかる。

「少し、だ、け…」
 力を込める。腕の中から聞えるのは、声の無い涙の音階。透明に、ただ透き通り、ただ漂う。

 外の雨音が強く響く。それにかき消える。

 独りでいつもすべてを抱え込もうとするが、たまには俺を頼ってくれてもいいんじゃないか?

 そう、いいかけた言葉は喉の奥でつかえて出てこない。

 おそらく、春霞はこう答えるだろう。

ーー零一さんに言うほどの問題じゃないですから。

 そして、困ったような顔で微笑む姿は、儚く消えてしまいそうで。この雨にすべて、流されてしまいそうで。

「や、やだ。零一さん…!?」
 春霞が驚いた声を上げて、俺の頬に触れるまで気がつかなかった。

「なんで、零一さんまで泣いてるの?」
 自分で触れると、指先が濡れる。

 泣き笑いとなった春霞の顔を見て、安心が広がる。

「ふ…っ、つられたようだ」
「つられるって、何に?」
 不思議そうな目元に口づけて、答えを探る。塩化ナトリウムを多分に含んだ水を吸取る。

「そうだな…」
 ふと見た外の雨がほんの少し柔らかく思える。先ほどまでの激しい降りがニセモノだったようだ。

「君の気持ちに」
 触れた場所から伝わってきた震える心に、つられたのかもしれない。

 以心伝心など、ありえないと思っていた。

 それらは経験から来る推測が当たる確率が高いだけの、ただの必然だと。

 他人の気持ちを本当に計ることなど、誰にも出来はしない。

 だが、たしかに伝わってくる気がする。

 原因はわからないが、春霞と俺の間にある細い糸に触れて、伝えられる理由のつかない想い。

「やだ、零一さん、熱あるんじゃ…!?」
「黙りなさい」
 触れた部分から、伝わる気持ちはどこまで真実だろうか。

 触れるだけで、春霞の悲しみを吸取ってしまえたら良いのにと、切に願った。

 願わくば、君を包む世界が少しでも優しくあるように。

 春霞が笑っていてくれる世界を俺が守るから。



 いつも、笑顔で。

あとがき

またGSブーム到来!?
だんだん調子が戻ってきそうな…て、仕事サボって何してんだか(笑
リク飛び越してすみませぬ…。いただいたテーマが『先生に癒される』ってことだったんですが
――精神的に深海にいるみたいだったんで、自分の為に書いてみました(ぇ。
どうでしょう、癒されます?


本当は改装記念&相互リンク記念だったんですけど、時間もとっても経ったのでw
関係が割り出し難くなってきました。て、他のはもっとそうか…。


ネタ提供、ありがとうございましたー!
有栖のお返しになってるといいんですけどねー。藤坂ゆうさり様!?


完成:2003/06/19