「逢いたくて、たまらない」
こんっと、蹴った小石が乾いた音を立てる。
「想い出すだけで胸が、ぎゅっとなる」
ばさりと、広げたシャツからは洗い立ての匂いがする。
「優しい扱い、じゃ物足りないのっ」
ふわりと、香る貴方の匂い。
「あの娘にしてるみたいにキツク抱いて欲しい…」
もう、何日顔を見ていないだろう。
いつも一緒だった。物心着いた頃にはもう真行寺は隣にいて、いつも守ってくれた。それが、今はもういない。
近くにいすぎてわからなかったなんて馬鹿なことは言わない。
ずっと、彼の過去を聞いてから気になってた。気にしない振りをしていたの。そうして、自分の気持ちにも栓をして、全部流して消してしまったはずだった。
「真行寺の馬鹿…」
彼は今、どこにいるのだろう。どこで何をしているのだろう。少しは私のことも思い出してくれているだろうか。
想いをつめて流したはずの瓶はいつのまにか戻ってきて、割れてしまったみたいだ。
ベッドの上に洗濯物を積み上げて、その端に座る。大した量でもないのだが、一人分にしては多めで二人分としては少なめ。それもこれも彼の服の分があるからだ。どうせなら全部持っていってくれたら諦めもついたのに。
追ってきて欲しいと言われている様で腹が立つ。
そうしようとしている自分にも腹が立つ。
守ってくれなんて頼んだことはなかった。気がついたら、彼は私のボディーガードで教育係だったから。教わったことはたくさんあるけど、からかわれたことも何度もある。
ふざけて抱きしめて、ふざけてキスをして。
それでも私は彼にとっての「女」にはなれなくて、子供とか妹とか、そんなポジションでしかなくて。そこから動くのも怖くて。
こんなに後悔すると知ってても、やっぱり私は留まっただろう。
だって、勝ち目なんて全然ないってわかってるから。
真行寺は今でもその人のことを大切にしていて、話に触れるだけで空気が嫌がっている。ポーカーフェイスを装って巧妙に隠しているけど、私は知ってる。知りたくなんて、なかったのに知ってしまった。
とても綺麗な人だったと。
とても可愛い人だったと。
とても儚い人だったと。
それが彼女を形容する評価で、それがどんなのか私にはとても想像つかないけど、真行寺がとても好きな人だということだけは嫌と言うほど知っている。
私では代りにもならない。
ずっと誰かに恋をすることなんて諦めつづけてきた。
この身に宿る力を持って、私は世界を守る使命があるから。誰かに言われたわけじゃない。ただ守らなければいけないのだと本能が囁く。
生れた場所は違っても、気がついた時にはもう私は神殿にいて、傍らには真行寺がいた。
どうして彼だったのだろう。
何度考えてもわからなかった。誰も教えてはくれなかった。
単なる興味の対象は、友達になって、恋になった。
誰かが答えてくれたとしても、私はきっとまた同じようにして真行寺を好きになったと思う。
洗濯物を畳んで荷物につめて、ベッドに寝転ぶ。弾力はほんの僅かしかなく、どちらかというと堅い板に僅かばかりのマットをひいて、シーツをかけただけみたいだ。それでも寝転がるだけで、気分が違う。
少し寝て、起きたら真行寺を探しに行こう。ほんの少し眠ればきっと、元気ないつもの自分に戻れるから。
ノックをしても返事はない。
僕は迷うことなく、ドアノブに手をかけて、押してみた。鍵はかかっていない。神殿という特殊な環境で育ったせいか、彼女はそういうことにまるで疎い。警戒心が足りなすぎるとあれほど言っておいたのに。
部屋のベッドから聞える規則正しい寝息。それを聞きながら、ドアを閉めて、鍵をかける。腰に下げておいて剣を外し、ベッドのそばに立てかける。
「…だ」
小さな声に振りかえる。口元がなにかを囁く。
「リサト…?」
ベッドサイドに座る。陽光に照らされる黒髪はベッドに散らばり、うねりを作る。波というほどに穏やかでもなく、滝というほどでもない。ただ流れる黒髪の川。
特別な誰かを作る気はもうなかった。彼女が死んだ時にそう決めた。大切にすればするほどに、簡単にすり抜けて消えてしまうものだと知っていたから。
彼女が弱すぎたわけじゃない。儚いとはいっても、彼女は権力やお金といった俗物的なものに流される弱さはなかった。
彼女を形作るモノはただ、赤く透明で硬質なルビー。光り輝いて、僕を照らしていてくれたのだ。
足りなかったものは自分を守る術というモノを、彼女が持ち得なかったから。ただそれだけだ。
だからというわけじゃないが、リサトの教育係となったとき、この子にはそれを教えようと思った。彼女のような強さを、その意志を守る術を。
子供だったからか、その元々の性質だったのか、リサトは教えれば教える以上のことを吸収していった。
「風邪を、ひきますよ」
上掛けを引き上げてやる。細い肩も、折れそうな首も腕も、閉じた瞳も。まったく彼女には似ていない。
それでも惹かれてしまうのは、内面の芯の強さが似通っているせいかもしれない。
彼女がルビーならば、リサトはダイヤモンド。二人とも、僕を照らしてくれる光だ。僕が闇に住まうことのないように、導いてくれる光なのだ。
短い睫毛。閉じた瞳の奥で、どんな景色をみて、どんな風に感じているのだろう。彼女とは違う世界をきっと見ている。それを知りたいと思う。でも、これ以上はきっと危険だ。近づきすぎてはきっと僕は光に弾かれてしまうだろう。
だから、この距離はこのままにしておくよ。つかず離れず。そんな距離のままに。
「…しんぎょーじ…」
寝言を呟くその唇を塞ぐ。
「…置いてっちゃ…ヤダ…」
置いていくのは僕じゃない。リサトがいつか僕を置いていくその日まで、そばにいるよ。
僕の中でまだ彼女が生きている。
君は僕に幸せになって欲しいといったけど、君のいない幸せは望んでいないといったよ。その約束を違える気はないから、だから。
どうかこの小さな少女を傷つける傷が浅いように、守ってください。
褪せることのない笑顔を浮かべて、彼女は僕の中で微笑みつづける。その笑顔が消えないうちはまだきっと大丈夫だ。守れる。
そう、確信している。
心に宿る人が言った。
『マヒロを助けて』
赤茶けた髪のピカピカ光る、綺麗な女性だった。夏用の涼しげなワンピースを着て、いつもの姿で、いつもの笑顔で。
『ずっと苦しんでるの。ひとりで抱え込んでしまう人だから』
名前は知らない。でもとても綺麗で可愛くて優しい人だ。その人がいうマヒロが誰なのか、私は知らない。
『大丈夫、貴方なら出来るわ』
そういわれると、本当に大丈夫に思えてくる。夢はいつもそこで途切れてしまう。
「リサト…」
ため息混じりの声は、愛しさを混ぜて、心を締めつける。真行寺の声だ。戻ってきてくれたんだと、嬉しくて叫びたくなる。
反対にこれは夢だと叫ぶ私がいる。真行寺がいるわけがない。私を置いていってしまったんだから。もう彼に私は必要ないんだから。
だから目を開けるわけにはいかなかった。
「風邪を引きますよ」
離れかける気配に手探りで彼の服を掴む。気がつかれないように、軽く。
近づく息遣いはとても落ち着いている。穏やかな空気は少しだけ哀しげで、私は彼女の言葉を思い出す。
ずっと独りで苦しんでいる人。
マヒロだけじゃなくて、それはきっと真行寺にも当てはまることだと思った。
ひとりで苦しまないで。私だって、なにか出来ることがあるって思うから。もうそんなに子供じゃない。
なんとなく視線を感じて目を開けられない。優しい気配があるから。愛しい気配があるから。
もう置いていかれるのは嫌だ。どうしていつもひとりで勝手に行ってしまうの。
「置いてっちゃ…ヤダ」
そういうのは我侭だって知ってる。でも私が我侭を言うのは真行寺にだけなんだよ。
だからどうか気がついて。
私がいるって、気がついて。
柔らかな感触が触れてくる。それはもうずっと知っている。真行寺の唇。少し薄い色で、荒れて少し堅い。触れるだけのそれをいやというほど知っている。
儀式みたいだ。私と真行寺だけの、儀式。
どうか真行寺を助けて。
心の中で何度も繰り返した。何度も。何度も。
私の想いが届くことはないと、知っているから。
タイトルはSPEEDの一曲をとりました。古いですが。
なんとなく頭ん中ぐるぐる回ってるんで。
一応『新水』の続編です。
べたな恋を目指して見ました。
そんな気分だったんで(力説。
恋愛ファンタジーリク、これでOK出ませんか。Jさん?
(2003/08/14)