私はよく人からトロいとか鈍いとか言われる。だから、改善しようと思って、京都でうどん屋やってる伯母さんの所で働かせてもらっているんだけど、毎日毎日怒られてばかりだ。でも、伯母さんには客商売だから愛想よくしろって言われて、笑顔だけは上手くなったと思う。
いや、思ってた。たった今までは。
「オメー、何かあったか?」
「え?」
毎日店に来る常連さんからそんなことを言われたとき、私は一刻前に注文を間違えたばかりだった。でも、ちゃんと顔も洗ったし、いつも通りの笑顔なのもちゃんと確認してから仕事してた。
だから、なんでわかったのか不思議だったけど。
「別に何にもありませんよ。注文は何にします?」
彼は私をじーっと見つめるので、何だか恥ずかしくなってしまって、うつむいていたら、京屋うどんを頼まれた。普段通りの注文だ。
それから普通に仕事して、彼が帰った後で休憩を申し渡された。
「あの、私…」
「さっきの人がおまえさんと話がしたいんだとよ」
さっきの人というと、あの赤い髪で手ぬぐいを頭に巻いた常連さんのことだろうか。
「でも…」
「あの人ァ新選組の組長だ。大したことにはならんよ」
「えぇぇっ」
そんなことを言われたら、けっこうな失敗を彼にもやらかしていることを思い出し、血の気がひいていく。
「あ、あの」
「素人に手ェ出す奴でもねぇから、心配すんな」
手を出すかどうかが問題なんじゃなくて、そうじゃなくて!
混乱している私を店から無理やりに連れ出し、同僚達はその人の前に私をたたせた。組長だと聞くと、視線が鋭いような気がして、俯いてしまう。
「じゃあ、この子お願いします」
お願いしないでぇぇぇっ
「おうよ」
彼は私の肩を自然に引き寄せ、そのまま歩きだした。それほどの速さでもなく、私は普段通りに歩けてしまって。こういう事に慣れた人なのだと思うと、ますます私は怖くなってしまって、ただ促されるままに道を歩いた。
「オメー」
「は、はいぃぃぃっ」
裏返った声で返した私に対し、彼は小さく吹き出す。そのまま、肩を震わせて歩きつづける。
「そんなに怖がんなくてもよ、オメーみたいなガキに手ェだすほど不自由してねェから」
軽く肩を叩かれる。たったそれだけで、安心してしまって。見上げると、私を見下ろす瞳は優しくて。
つまりは、それだけ近くにいるわけで。
「あの」
「団子は好きか?」
「え? あ、はい。好き、です」
反射的に頷くと、彼は急に笑って、道を変えた。一件の団子屋で彼が買い求めている間、私はどうしようもなくて、きょろきょろと辺りを見回した。午後も過ぎ、今日は柔らかで過ごしやすい陽気だ。団子屋には疎らに人がいるばかりだが、みんな笑っている。ただそれだけのことが嬉しくて、私も自然と綻んでいた。お店で作る笑顔じゃなくて、本当に心から笑うなんて久しぶりかもしれない。
「何ニヤニヤしてんでェ」
失礼な。
「怒るなって。行くぜ」
てっきり団子屋で食べるものと思っていた私の手を引いて、彼はまた歩きだす。いったい何処に行くんだろう?
右手には川、左手には団子、傍らには組長という不自然な状況に固まっていた。
「なんでそんなに離れて座んだ?」
「だ、だって」
警戒すると言うよりも、何か本能的に隣に座ることを避けていた。別に彼だからと言う訳じゃなく、ただの常連さんの隣に私が座るというのも、新選組の組長の隣に私が座るというのもおかしい気がするからだ。
私の気を他所に、またも彼が座る距離を詰めてくる。なんとなく、その場から距離を取る。
「オレに一つぐらいくれねェのかよ」
「ご、ごめんなさいっ。はいっ」
めいっぱい腕を伸ばし、差し出す。もちろん、これを買ったのは彼なのだから、私が一人で食べる謂れはない。
彼は柔らかく苦笑すると、団子の皿ごと私の腕を掴んで引き寄せた。態勢を保つために足が勝手に彼に近づき、ポスン、と彼の胸に当たった。
「す、すみませんっ」
離れようとしたけど、掴んでいない方の手で頭を引き寄せられる。
「あ、の…お、お客様っ」
「いいから黙ってろよ」
「で、も…」
黙っていられるわけがない。こんなに男の人の近くにいるというのは父様や兄様以外初めてで、どうしたらいいかなんて全然わからなくて。
「お、お団子がっ」
そういえば、持っていた団子の重さが消えている。
「オレが持ってるぜ。落としたら食えねェだろ」
ど、どおりで。
「それよりヨオ、マジでなんかあったんじゃねェか?」
「え?」
「仕事、辛ェのか」
あやすように頭を叩かれて、なんでか涙が溢れてきてしまって。声を殺して泣く私を優しく抱いてくれた。
辛くないわけじゃない。ただこんな私を使ってくれる伯母さんに申し訳なくて、迷惑をかけてしか生きられない自分が情けなくて出てくる涙だ。
だれにも言ったことなんてなかったのに、どうしてわかってしまったのだろう。
ひとしきり泣いた後、気恥ずかしさに照れ笑いを返した。
「ははっ、やっと笑ったな。やっぱよォ、そっちの顔のがいいぜ。笑うときゃ腹の底から笑わなきゃな!」
そう言って、彼自身も快活に笑った。なんて気持ち良く笑うと人なのだろう。快晴の空に映える笑い声は聞いていて、すぅっと体に染み込んでくる。
それから二人楽しく団子を食べた。
「お客様はどうして」
「待った。オメー、まさか俺の名前を知らねェんじゃ…」
「え!?」
そういえば、と思い返す。が、聞いた覚えはあるようなないような。たしか。
「…はち、さん…でしたっけ」
「違うって。いいか、今度こそちゃんと覚えておけよ」
彼はそこで一区切り置いて、真っ直ぐに私と目線を合わせる。真剣に、対等に、見つめてくるその意味に、この時の私はまったく気がつきもしなかった。ただ、父様や兄様のようだと思った。私を守ろうとしてくれる、優しい人だと。
「俺ァ永倉新八だ」
「ながくら、様?」
「……いいけどよォ、様は別につけなくってもいいんだぜ?」
それから、と彼は続ける。
「オメーの名前もちゃんと聞かせてくれねェか」
「えと、長浜静流です」
一瞬彼は驚いたように私を見て、納得したように頷いた。呟く言葉はよく聞き取れなくて、私は一人で何度も頷いている永倉さんを観察する。今はもう、怖くはない。兄様のような人に思う。
「静流」
「はい、なんですか? 永倉様」
兄様みたいな人だということがなんとなく嬉しくて、嬉しい気持ちのまま笑顔で返事を返したら、今度の彼は目を背けて、頭をかいた。兄様はこんなことはしない。
「仕事辛ェかもしれねェけどよォ、頑張れ。んで、時々はこうして団子食いに来ようぜ」
照れているけれど彼の言葉がとてもとても嬉しくて、私は大きく頷いた。
「はいっ」
「よしっ、いい返事だ」
なんとなく自分のために書いてみた話。
甘くないですね。しかもゲームに関係ない。
ヒロインが鈴花じゃないどころか、うどん屋の店員て。
(06/02/25 09:39)
公開
(2006/03/01)