基本的に私は人の好き嫌いというのがない。だけど、私にもごく稀にどうしても相容れない人間というのがいないわけではない。
「葉桜さん、あの人なんなんですか!?」
まず鈴花が稽古後の私に泣きついてきた。
「葉桜ちゃんはたぶん大丈夫だろうけど、気を付けるのよ」
意味不明な言葉と笑顔を私に残して、山崎は仕事へ出てしまった。
そして、私はヤツに会った。場所は山南さんの部屋で、私はいつものように書を読みに行っただけなのに。
「山南さん、お茶でもいかがですか?」
書を読ませて貰う御礼にお茶とお茶菓子を持っていくのが日課になっていた私は、山南の部屋を目の前にして、固まってしまった。
先客は目も覚めるような真っ赤な平服を着た見たこともない男で、私を見るや否や汚いものでもみるかのように眉根を寄せる。別に私は綺麗でもないけど、初対面でそんな顔をされる覚えはない。
「ああ、いただくよ」
山南の声に我に返り、ヤツのいるのとは反対の隣に座り、私は山南にお茶を出した。先客がいるとは思わなかったから二人分しかなかったけれど、一応ヤツに自分のお茶を出してやる。
「お仕事の話ですか?」
「用が済んだのなら、さっさと出て行くがよかろう」
答えは侮蔑を多分に含んだ響きで聞こえてきたので、温厚な私も一瞬ムカッときた。だけど、山南の前でそうそうキレる私など見せたくはない。
「仕事の話はもう済んだ処だから、心配いらないよ」
ゆっくり読んでいいと言われたので、私は積み重なった本から一冊を取り、定位置に座って読み始める。私の定位置というのは、山南に寄り添う体勢になる。あの日以来、私はこうしているととても安心するのだ。
「これ」
普段なら読み始めると滅多なコトじゃ集中も切れないんだけど、今日に限っては私も別だったみたいだ。ヤツの声が私にはとても耳障りで。
イライラしているのが伝わったのか、山南が苦笑しつつ私の髪を撫でてくれる。大きな山南の手に撫でて貰っていると、とても心地良く、私の気分も落ち着いてくるのがわかる。
私と山南の間に流れる穏やかな空気に当てられたのか、ヤツは機嫌悪く足音を大きく立てて出て行った。
しばらくして、山南が口を開く。
「武田さんと何かあったのかい?」
あーあれが鈴花の言ってた人かと私は納得した。薄々そうじゃないかと思っていたけど、まさか私から嫌悪するような人間がいるなんて思わなかった。
「いいえ、初対面です。あの人が武田さんですか」
驚いている様子がわかるので私は書を読むことを止め、山南に向き直る。私を見る山南は、思いっきり微妙な表情をしている。ここに来るようになって、私はいろいろなことが変わっていって、山南のこともなんとなくだけどわかるようになった。中でも、時折山南が私に見せるこの微妙な困ったような表情は、見ていて楽しい。
山南の大きな手が私の頬に添えられ、私もそれにすり寄る。
「ちゃんと眠れているようだね」
山南の安堵の響きに、私も頷く。
「ずっと聞きたかったことがあるんだけど、いいかな」
あれから、芹沢が死んでから約一週間が過ぎる頃だ。そろそろ聞かれるとは思っていたから、私は山南の手を離れて向かい合う。
「長い話になりますよ」
「聞かせてくれるかい?」
山南に頷いて、たっぷりの間を置いた後、私は過去に想いを馳せながら静かに彼の話を始めた。
「芹沢は、あの人は私のーーでした」
芹沢は他愛もない子供との約束なんて、憶えていなかっただろうけど。それでも、私は彼のことがーー。
私が話し終えた後、山南は私を引き寄せて、謝った。あやすように山南に背中を叩かれるけど、私の涙はもう出ない。いずれは話さなければならないことだったのだから、山南が気にすることは何もないのに、この人は優し過ぎる。
「全部、終わったことですよ」
何か言われる前に山南を押し返し、私は目線を合わせて微笑む。
「だから山南さんが気にすることはなにもないんです。もちろん、土方さんも沖田も原田も、近藤さんだって気にする必要はありません。そう、伝えておいてくれますか」
たぶん聞きたがっているだろうけど、私は何度も同じ話をしようとは思わない。まったく私を離す気配のない山南を、私は強く抱きしめる。
「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫ですから」
翌日の夢現だった私を止めたのは山南だった。だからこそ、これほどに私を心配するのだろう。それはとても心地良く、私には少し気まずい。
「私では、彼の代わりになれないかな」
「……え?」
「いや、嫌なら別にいいんだよ」
落ち着いているようでどこか慌てた山南の様子が面白くて、私は思わず笑ってしまった。
「山南さんがあの人みたいになったら困ります。どうかそのままでいてください」
「そういう意味じゃなくてね」
困ったな、と笑う山南の姿が、私にはなんだか可愛らしく見える。
「私では葉桜君の支えにはなれないかな」
山南の思わぬ言葉に私が顔をあげると、至極真剣な目線と合ってしまって、本心なのだとわかる。でも、私にはその意味が分からない。ここに来てから一度だって私は芹沢を頼りにしたことなんてなかったのに、その代わりといわれても困る。
「すぐにというわけにはいかないだろうけど、その、もう少し落ち着いたら」
「あの山南さん?」
「ああもう私は何を言っているんだろうな」
「気持ちは嬉しいんですけど、私はここに来てあの人を頼ったりしたことは一度もないですよ。それどころか大っ嫌いだったんですよ?」
それに芹沢の代わりというには、山南では気が優しすぎる。
「無意識だったのか……」
「へ?」
「まあ何かあったら話を聞いてあげるぐらいならできるから」
「はぁ」
だから何でも相談してくれって山南には言われたけれど、今までと私の状況は大して変わらないだろう。ただそう言った後の山南が納得しているみたいなので、つまり今のままでいいってコトだと私は納得して笑う。
「山南さん?」
不意に一緒に笑いあっていた山南が私の頭を引き寄せ、自分の胸に押しつける。
「無理は、しなくていいんだからね。葉桜君がいくら強くても、君は女性なんだから」
甘えてもいいんだよ、と言われて私は吃驚した。山南は時々妙に鋭くて、困る。
「ははは、何言ってんですか。その台詞はそのままお返ししますよ、山南さん」
腕を伸ばして、体を離した私はしっかりと山南を見上げる。
「山南さんこそ、もっと我を通してもいいですよ。あなたはーー優しすぎる」
私の言葉に少し戸惑う様子を見せた山南は、呆れた様子で笑った。
芹沢さん話はここまで。
ここからはちゃんと本筋に乗っ取って…乗っ取って?
(2006/04/26)
リンク変更
(2007/06/20)
改訂
(2010/01/04)
~次回までの経過コメント
藤堂
「元号が改元されるそうだよ。次は『元治』だってさ」
「それはそうと、山南さんが道場を使って開いてるっていう山南塾」
「上手い具合に生徒も集まって盛況らしいね」
「山南さんも何だかやる気になってるみたいだしさ。いいコトだと思うよ」