屯所内に子供の笑い声が響くようになって、もうどのくらい時間が経っただろうかと、時々私は思い返す。
「こらー! 真面目にやらないとこの後遊んでやらないぞー」
「はーい」
講師が離れている隙にサボろうとしている子供に、私は軽く声をかける。元々は壬生寺に遊びに来ていた子供達なので、私はみんな顔見知りだ。
山南の発明趣味が迷惑だからどうにかしてくれと鈴花が土方に頼まれた任務から始まった山南塾だけど、私としてもなんだか懐かしくて楽しくて、面白半分で手伝っている。
「真太、背筋を伸ばして」
「伸ばしてるよ~」
本人はそのつもりなんだろうけど、私にはどうにもへっぴり腰で見るに堪えない。近寄って私が真太の背中を軽く叩くと、簡単に前へ倒れ込む。
「ケツは引っ込めて、お腹に力を入れて。そうそう、視線は相手を真っ直ぐ見据えるの」
真太の前を私がすっと指し、空に視点を置いてやる。
「顎は引いて」
真太の竹刀を掴んで、私は上に上げてゆく。
「脇に力を入れて、柄をしっかりと握って」
そして、丁度良い辺りで私は竹刀を離した。
「そのまま真っ直ぐ振り下ろす!」
「っ!」
「よし、一つずつ気を付けてやるようにしなよ」
剣の指導中は、私も一緒に見て回るようにしていた。実家でももともと指導していたのは弟だし、私はこんな風な手助けぐらいしかしていない。
「葉桜先生ーっ」
蒼天の下で子供が笑う声を聞きながら、私は縁側に座る。
「先生は休憩でーす」
「一人教える度に休憩ー?」
「そー」
「葉桜先生、ズルいー」
「あははっ、私は先生だからいーのっ」
子供らと笑っている私の上に、影が落ちる。振り返ってみれば、私を見下ろしているのは、少しだけ席を外していた山南だ。
「じゃあ、葉桜先生には別なお仕事でも」
「げ。いや、ちゃんと教えますって、山南先生っ」
逃げようと腰を上げたところで、私は山南に腕を掴まれる。掴まれた腕が痛いわけではないけれど、痛くはないんだけど居心地が少しだけ悪い。それは、芹沢がいなくなって以降の山南が妙に私に近づくからだ。
動揺している私が面白いのか、子供らはニヤニヤと笑っている。
「先生ー、山南先生と葉桜先生はどっちが強いの?」
「へ? そんなの山南さんに決まって」
「そんなの葉桜先生に決まってるよー」
「何いってんだよ、山南先生が負けるわけないだろ」
目の前で私と山南さんのどっちが強いか、子供達が言い合いを始めてしまうのを見て、私は戸惑う。山南さんと私が仕合をしたことはないし、剣を交わしたのはたったの一度。しかもそのときの私は正気ではなかったから、山南がどのくらいの強さか判別はできない。
山南は北辰一刀流の免許皆伝と聞いているし、ただ習っていた藤堂と比べなくとも格段に強いだろう。山南の体つきそのものも、私が最初に抱きついた時を思い返せば、文人のそれじゃないし、かなりがっしりとしてて。
(て、な、何考えてるんだ、私は)
私は赤面している顔を見られないように、山南の腕を振り払って、子供らに近づき屈む。
「あのねー、流石に私は山南先生に勝てないよ」
「そうかな?」
異論の言葉に私が声を振り返ると、とても楽しそうな山南の顔が目に入る。
「山南さん、子供達を煽らないで」
「永倉君達から葉桜君はかなりやると聞いているよ」
「いや、いくらなんでも勝ったコトなんて」
「あるんだろう?」
私にはその一瞬、山南の眼鏡がキラリと光った気がした。全部話してるとは思わなかったし、言うなとも言わなかったけれど。永倉らは後で少し懲らしめておこう、と私は決意した。
「みなさーん、そろそろお時間ですよー」
そんな風に話していたら、機嫌の良い鈴花の声が私たちにかけられた。これでこの話は終わりだと安堵した私の耳に、山南の呟きが届く。
「一度、葉桜君とは仕合ってみたいな」
「僕も見たいー」
「俺もー」
「私もー」
山南の言葉に同意して、子供達が手を挙げる。これだけやられちゃ私が逃げられないと思って山南はやっているのだろう。いつもは穏やかに見える山南の顔が策略家に見える気がして、私は小さくため息を吐いた。
「わぁ、葉桜さん、山南さんと試合されるんですか?」
「鈴花ちゃーん」
鈴花のは悪気がない分、さらに質が悪い気がする。
「だーめーでーすー。山南さんとは絶対にやりません」
なんで?と私が口々に問われる中、一つだけ違う言葉が飛び出す。
「あーわかった。葉桜先生、山南先生が好きなんだろっ」
唐突に何を言い出すんだ、と私は発言した子供の前に足を向ける。名は小六といって、私と山南に特に懐いている利発な子供だ。
「葉桜先生、好きな人とは戦えないってことだろ?」
好きな人、と言われて、少しだけ私は動揺した。
「でも、山南先生には鈴花先生がいるからダメだぞ」
ここで鈴花が出てくる意味は私にはわからない。
「……な、何言ってるのよ、小六君」
動揺する鈴花は、ほんのりと頬を朱に染めて騒ぐ。それは惹かれていることを肯定しているだけに、わずかに私の心も騒ぐ。ざわめく心を落ち着けて、私は小六の前にしゃがむ。
「だから、俺にしておきなよ。葉桜先生っ」
ほんのり熱を持っているように見える小六は、私に小さな腕をいっぱいに伸ばして、首にしがみついてくる。
「小六、結局それが言いたかったの?」
「俺、葉桜先生が好きなんだ。だから、俺が稼げるようになったら、一緒に暮らそうなっ」
たしかに小六はとても利発で可愛いし、私も嫌いじゃない。だけどと私は小六の小さな両肩に手をかけて、私から引き離し、顔を見合わせる。
「そーゆー台詞は十年早い」
「いてぇっ」
デコピンして小さな求婚者を退けた私は、立ち上がって小六を柔らかな目で見下ろした。
「十年経って、私がまだ一人で、小六が強くなったらまたおいで」
悔しげに私を見上げる小六に、私は口角をあげ、歯を見せて笑って見せた。
生徒の子供達がいなくなった後、山南と私で道場の片付けをしている最中、不意に山南が私に言った。鈴花は巡察に出ているから、今ここには私と山南の二人だけしかいない。
「葉桜君、一度手合わせ願えないかい?」
道場内には薄明かりがあるばかりで、山南がどんな顔をしているのか私からは見えない。ただ声の響きだけで山南が真剣だとわかるので、私にもちゃかして終わらせることは出来なかった。
「一本だけですよ」
本当は、私はずっとこの人の剣を見てみたかった。山南はとても穏やかで、滅多にその剣を見せないから、稽古の剣を見たところで大して本質は見えない。
木刀を取り、私と山南はお互いに向かい合う。
「葉桜君の本気の剣を、私はまだみたことがないんだ」
「それは私もですよ」
礼をし、山南は正眼に、私は両腕を下げて無限に構える。
「それが本気の構えなのかい?」
「我流の喧嘩剣術ですから」
私はたんっと軽く床を踏み込む、それだけで山南の間合い以上に近づける。だが、もちろん山南にこんなのは防げる範疇だろう。一撃を奮って直ぐ、私は遠間に下がる。
「思ったよりも重い剣だ」
「でなければ、勝てないでしょう?」
山南には私が誰にと言わなくても、その言葉の相手がわかるのだろう。私には山南が小さく頷くのが見える。
「もう一度いきます。防いでくださいね」
私が床を蹴り飛ぶと、たんっ、と先程よりも軽い音が道場に響く。勝負は一瞬、と私と山南のどちらもが分かっていた。互いに遠間に離れた後、膝をついたのは私の方だった。
「ほら、山南さんのほうがっ、強いっ」
「ご、ごめん! 思いっきり入っただろう!?」
木刀を投げ出して、山南が私に駆け寄ってくる。私は別にこのぐらいは平気なんだけど、と思ったが、少し、いや、やっぱり痛い。私の隣に山南が膝をつく。
「避けた、つもりだったんですけど、けっこう、伸びますね」
「何か冷やすものを持ってくるよ」
近くまで来ておいて、立ちあがろうとする山南の服を私は掴んだ。
「大げさです、これぐらいは」
ひとつ大きく息を吐き、私は呼吸を整えて、山南を見上げて笑う。
「これぐらいは怪我に入りませんって」
「強がるんじゃない、痛いだろう?」
「痛くないです。もう、大丈夫」
私がそうして笑ってみせると、山南は腕を伸ばして強く抱きしめてきた。これは、流石の私も痛い。
「すまない。葉桜君があまりに強くて手加減できなかった」
「それでいいんですよ。手加減したら、一生許さない所です」
痛みが引いて、動けるようになったところで、私は山南の体を押し返す。
「やっぱり強いですね、山南さんは」
私が言ったとたんに、山南にはため息を吐かれた。他の人なら私もふざけて怒ってみせるが、山南のため息の理由がわかっているだけに、私にも緩い笑顔だけが浮かぶ。
「小六の言うとおりだったら、嬉しいんだけど。そうじゃないようだね」
小六の指摘は、私にとって半分当たりで半分外れだった。確かに山南は好きだが、好きは好きでも仲間として、だ。
私は山南と戦いたくないわけじゃない。ただ、山南とは真剣で勝負しなければ私には勝てない気がしていて、だけど真剣で勝負したら、私は山南を殺してしまうかもしれない。相手が強ければ強いほど、私は真剣で手加減できなくなる。
山南は大切な仲間だから、特別なやむを得ない理由がない限り、私の手にはかけたくない。
「山南さん?」
山南から見つめられる切なげな視線に戸惑い、私は問い返す。
「子供は素直で羨ましいね」
「そう、ですね」
「私が同じように言っても、同じように返されるのかな?」
「そう……ですね。ーーは、ええ!?」
山南は何を急に私に言い出すのだろう。同じようにという意味を考え、私は困惑する。山南は好きだけど、やはり仲間は仲間で。
「はははっ、冗談だよ。葉桜君が私を何とも思っていないのはよくわかってるから」
返答に困っている間に、山南には気持ちよく笑われてしまって、つられて私も笑う。
「あーもー驚かさないでくださいよ、山南さん。笑ったらお腹空いちゃった。夕餉を食べに行きましょうっ」
先に立って私は出て行ってしまったので、山南が少し哀しげな顔でため息を吐いたことに気がつかなかった。
「手強いなぁ」
山南のつぶやきも、私は聞かなかった。
殺陣は書くのが難しいですね…。
ヒロインは元道場主ってことで、山南塾の手伝いをしています。
手伝いをしていると、なんとその時間は隊務免除!
なーんてことにはなるわけがありません。
隊務のないときだけ、邪魔にならない程度にお手伝い。
(2006/04/26)
リンク変更
(2007/06/20)
改訂
(2010/01/13)
~次回までの経過コメント
沖田
「京に多数の長州者が潜入してるらしいですね」
「何やら不穏な動きがあるとか…。ふふ、楽しみですね」
鈴花
(た、楽しみって……)