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書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(元治元年葉月) 5章#清新の気


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.5.10 (2010.3.26)
状態:公開
ページ数:6 頁
文字数:13206 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 9 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
54#清新の気
1#伊東の勧誘
2#帰還
3#清新

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p.1

1#伊東の勧誘







 近藤に誘われ、私は数人の仲間とともに江戸の土を踏んでいた。宿につく前に鈴花が会津藩邸の照姫に挨拶に向かうために別れ、他の者もそれぞれに用事を済ませて、宿で落ち合うことになった。

 久しぶりの江戸とはいえ、私も一度ならず訪れている土地なのだ。そうそう迷うわけもないだろうと高を括っていたのだが、自分自身の方向音痴というものを少し嘗めていたと私はすぐに深く深く反省することになった。

 京とはまた違った活気にあてられたというのは冗談としても、私はちょっと喧騒を離れようとしただけなのに何故。

「こんなどっかの道場みたいな場所に出ちゃうかな~?」
 目の前にある古びた門の表札には、流麗な文字で「伊東道場」と書いてある。憶えている限り、この名前の道場は北辰一刀流で、ついでにいうと山南や藤堂がその流派だったはずだ。つまりは、山南や藤堂と稽古する前の練習にはもってこいではないだろうか。

「どうなさいました?」
「久々に道場破りも楽しそうかなぁって」
 後ろから聞こえてくるおっとりとした男の声に私がさらりと答えると、男からは苦笑が返ってきた。振り返ってみれば、声の通りおっとりとした印象を受ける男がクスクスと笑っている。どことなく山南と同じような空気を持っているところから、ただ者じゃないと思ってしまうのは私の先入観だろう。

「貴方のような女性の道場破りとは珍しい」
「ははは、冗談ですよ」
 これがただの一人旅ならいざ知らず、今回のは新選組隊士としての旅だ。私一人で騒動を起こすわけにもいかない。

 ざああという横風に、高く結い上げた自分の煽られる髪を私は左手で抑える。やはり風の匂いも京と江戸ではずいぶん違う。

「誰かお知り合いでも尋ねていらっしゃったのですか?」
「いいえ、宿に戻ろうとしたら迷ってしまっただけですよ」
 私にとってはいつものことなので何でもない風に返すと、男は手を差し出してくる。華奢で優男風の見た目と違い、その手は剣を握るものの強さをしっかりと刻みつけている。

「ではお送りしましょう」
 見た目通りのお人よしか、と私は作り笑顔で返す。

「ご親切傷み入ります。ですが、そこまでのご迷惑はかけられません。まあ歩いていればそのうち辿り着くでしょうし、こうして知らない道を歩くのも色々と面白いんですよ」
 普段から迷い慣れているせいというか、あまり私自身では困るようなことはない。京の町ならともかくここは幕府のお膝元だし、新選組として狙われることもない。ある意味いつもの迷子よりも安全だし、空気も穏やかだ。この辺りは竹林が多いせいか、涼しい風も良く吹いてくる。髪を煽られるのが少々困りものだが、通り抜けてゆく風はどれも清涼で爽快感がある。こんな迷子なら、私はいつでも大歓迎だ。

 と、目の前の男はまたクスクスと笑っている。

「楽しい人だ」
 迷子でも、こうして名前も知らない同士で笑い合うのもまた一興。

「それじゃ、また」
 いつもの通りに別れの声をかけ、背を向けて歩きだそうとした私に声がかかる。

「ええ、また」
 これが私と伊東の最初の出会いで、翌日には意図せず、互いに名を知ることとなる。

 避けられない不思議な縁に導かれているとしか思えない事態に、私は笑顔の裏で落胆するより他なくて。療養で一足先に江戸に戻っていた藤堂に、近藤や鈴花と共に誘われた東屋で紹介された男の前で、私は困惑を隠せなかった。出会った時と同じ優男風だが、少しだけ威厳が見えるのは藤堂がいることの影響なのだろうか。

「どうしたんだい、葉桜君」
「い、いいえ」
 近藤に問われても伊東から視線を外さない私を不思議に思ったのだろう。伊東の方でも不思議そうに私を見て、それから納得して頷いた。

「藤堂君、彼女がそうなのですか」
「はい」
 大きく頷く藤堂に、今度は私が首を傾げる。

「藤堂?」
 私が名前を呼ぶと、ビクリと私に背を向けた藤堂の身体が震えた。一体何を吹き込んだのやら知らないが、伊東の反応は悪いものではないし、気にとめるほどでもないのだろう。

「お初にお目にかかります、伊東さん。私は新選組一番隊の葉桜と申します」
 初、という点に重きを置いて挨拶すると、伊東はふわりと柔らかな笑顔を返してきた。

「初めまして、伊東大蔵と申します」
 それはあまりに山南と似ていて、私は軽い郷愁に胸打たれたのだった。



p.2

「オメーのその迷子癖はなんとかなんねェのか?」
「なんとかなるぐらいなら、今更迷うわけないでしょーが」
 帰りの道中、泊まった宿場で永倉と窓辺で酒を酌み交わしながら話す。別室では鈴花が眠っていて、武田はすぐそばで近藤に酒を注いでいる。伊東と藤堂は後から京に上るということで、今回は同行していない。

「そんなに心配なら一緒に来れば良かったんだよ」
「バカ野郎。こっちにだって色々あんだよ」
「私にだって色々あるんだよ。まあ結果ちゃんと合流できたんだからいいじゃん」
 伊東との最初の出会い後、すぐに私は永倉に見つけられた。ふらふらと店を冷やかしていたとはいえ、永倉の気配に気が付かないなんて、私もずいぶんと気が緩んでいたものだ。

 自分で何杯目かの酒を注ぎ、私はまた軽く飲み干す。

「開き直るな、いつか痛い目見るぞ」
「もう見てるよ」
 永倉に怒られてる、と私がいうと永倉からはそうじゃねぇと頭を叩かれた。

 言っていないだけで本当に私だって痛い目は見ているんだけれど、これだけはどうにもならない。どうやら私には方角を感知するような、体内にどっちが東かどっちが西かと判断できるような機能がないらしいのだ。だから、日が高いときや月が高いとき、月や日が見えないときはどっちに向かっているのか分からないことが多い。

「それさえ何とかなりゃ、オメーだって組長に」
 言いかけた永倉に、私が迷いなく座ったままで蹴りを放つとあっさり当たった。

「永倉、バカなこと言ってると蹴るぞ」
「もう蹴ってんじゃねェかっ」
 かなり前からその話は出ているのだが、どうやら永倉にまでは伝わっていないらしい。その事に私は少し安堵する。

「私は今のまんまでいいんだよ」
「だってオメー……」
「私みたいのに命を預ける隊士が可哀相だろ?」
 永倉に話しながら私が傾けた銚子からは一滴も落ちてこない。これで何本空けただろうかと考えつつ、私は盆に乗った新たな徳利を取り上げる。

「葉桜」
「冗談でもそんな話をしたら、今度こそ絶交するぞ」
「……わかったよ」
 ふて腐れているけれど、了承の答えを出す永倉に安堵して、私は笑いかける。その後で、私の背中にずしりとくる重量感に、う、と私は眉をひそめた。こんなことをする人間は、この場にそうはいない。

「近藤さん、重い」
「永倉君とばっかり飲んでないでさー、俺と飲もうよー」
「退けてくれなきゃ無理です」
「え~」
「てか、もう寝ましょうよ。明日も歩くんですから」
「じゃあ~、葉桜君が添い寝してくれたら寝る~」
 すっかり出来上がっている様子の近藤を、私は無理矢理に振り落とした。此処に来る前に話した夜のような動揺があったわけではないのだが。

「女の子でも呼んで一緒に寝てもらえばいいじゃないですか、いつもみたいに」
 語気荒く言い捨てて、私は足音荒く隣の部屋に移動して、強く音を立てて襖を閉めた。部屋の中では静かに鈴花が眠っていて、それを目にしながら私は隣の布団に横になる。暗い部屋の中には鈴花の寝息しかないし、灯りは月と星だけだ。まだ慣れない闇の中で私は丸まって目を閉じる。

「近藤さん、いくら何でもあれは怒るだろ」
 隣の部屋から呆れた様子の永倉の声がする。対して近藤は飄々としたもので、「いや、あれは照れてるだけだよ」と一笑に付していた。

 別に照れていたわけじゃない。目を開くと、闇に慣れた目に部屋の中がぼんやりと浮かび上がって見える。だけど、どれも私は見ていたわけじゃなかった。

 ここに来るまで、伊東に会うまで考えていたことがある。もしも伊東がもっと嫌な男なら、私は相手が新選組に来たくなくなるように仕向けることだってできた。

 だけど、会ってみた伊東はその雰囲気がとても山南に似ていて、だけど、違っていて。郷愁と共に山南の温もりを思い出してしまって。

ーー逢いたくて、今すぐ触れたくて、山南に触れてほしくて。私は情けないほど他の何もできないぐらい何も考えられなくて、どうしようもなく動けなかったんだ。



p.3

2#帰還

(山南視点)





 軽い足音を立てて、私の部屋に近づくものがある。平隊士の誰かだろうかと諫めに立ち上がったとたん、足音は私の部屋の前に止まり、障子に長い髪の影が映る。数日来見ていない姿と知っている気配に、私はまさかと思う。

「山南さん、ただ今戻りましたーっ」
 伺いもなしに障子を開け放ち、彼女ーー葉桜君は迷いもなく、私の腕に飛び込んできた。

「わっ、葉桜君!?」
 少しの埃の匂いと葉桜君の香の薫りが、私にはとても懐かしい。抱きついてきた葉桜君の細い腕は変わらず、見た目以上の力強さも変わらず、私は彼女の健康で元気そうな姿に安堵した反面で落胆する。葉桜君の様子から、江戸の旅は彼女にとってはとても楽しい旅のように私には見えたから。

「おかえり」
 だが、どうやらまっすぐに私の部屋へ報告に来てくれたらしい葉桜君の様子も嬉しい。京に、新選組に戻ってきて真っ先に私に会いたいと葉桜君が思ってくれたのだから、今はそれで満足するしかない。

 私は葉桜君を身から引き離し、頭に手を乗せて撫でてやる。こうされるのが好きだと言う葉桜君は案の定、無防備な猫と同じく、私の前で気持ちよさそうに目を細める。

「すごい人たちが入りますよっ」
「そういえば、江戸では新入隊士も募集してくるんだったね」
「はいっ、それでですね、伊東さんって方がなんていうか山南さんみたいな感じでっ」
 楽しそうに話をする葉桜君はとても可愛いと想うのだけれど、やはり私でも想い人の口から他の男のほめ言葉を聞くのは不快になる。ちくりとした胸の痛みを堪えつつ、私は葉桜君を部屋に招き入れる。葉桜君は抵抗もせず、座った私の前に膝をついて、話し続ける。

「篠原さんとか服部さんとかもなかなかの腕前ですねっ、早く手合わせしたいなぁっ」
 葉桜君の眼に叶うほどの好人物だから、今後の新選組にとっても良い人材には違いない。それに葉桜君の話しぶりから、私もとても話が合いそうだとも思う。だがしかし、キラキラと輝く葉桜君の目に、その脳裏に映っているであろう男の姿に、会ったこともないのに私は嫉妬せずにはいられない。

「葉桜君」
「一番に山南さんに報告したくて飛んできたんですっ。これから土方さんの所にも報告してこなきゃっ」
 私が立ち上がろうとする葉桜君の腕を引くと、あっさりその体が崩れて、私の胸に落ちてくる。普段なら、もう少しは踏ん張るところなのにそれが少しもないぐらい、私は注意も払われていなかった。何故、そんなことに自分が腹を立てているのか、私にもわからない。

「えーっと、山南さん?」
 私の胸の内で顔を押し付けたまま、葉桜君が戸惑っているのがわかる。だけど、私は言葉にできない想いを葉桜君を抱く腕に込めて囁く。

「少し」
「え?」
「少しだけ、黙ってくれないか?」
 いつもと違う私の声音に、葉桜君が肩を震わせているのがわかっているのに、私は彼女を離したくなかった。

 別に葉桜君に応えてほしいとか、私は多くを望んだわけじゃない。ただ葉桜君という存在がそばにあるということを感じたいと想っただけで。ただ、それだけなんだ。

 大人しくしていた葉桜君が腕を伸ばし、私の背中を柔らかに抱きしめる。その行動に私がどんなに安心するか、葉桜君自身に自覚はあるのだろうか。

 誰にでも優しい葉桜君は、私の気持ちに気が付いていないワケじゃないのだろう。だが、今は応えを出したくないという。平和になったら、応えたいという。だったら、今はどうなのだろう。こうして数日離れることで私は私の中の葉桜君の大きさに気が付いたが、彼女にとっての私は何なのだろう。

 それを知りたいけれど、今それを葉桜君に聞くのは、私にはひどく躊躇われた。

「伊東さんはきっと山南さんの助けになりますよ」
「え?」
「いろいろと話をしてみてください」
 穏やかに、唐突に話す葉桜君の意図をはかりかねている間に、するりと私から葉桜君の体が離れる。そのまま行ってしまうかと思った葉桜君はしかし、今度は私の首に両腕を回し、彼女の方から私の頬に軽く冷たい唇を押し付けてくる。

「西洋の挨拶だそうです」
 すぐに離れたけれど、今にも泣きだしそうな葉桜君の様子に私は戸惑う。

 どうして、きみはそうなんだろう。私の気持ちを知っていてそんなことをするというのなら、期待してしまうかもしれないとは考えていないのだろうか。

「報告、行ってきます」
 今度こそ、葉桜君が私の部屋を抜け出してゆく。

 部屋に一人残された私は心中あまり穏やかではいられず、葉桜君の触れた部分に手をあてる。去り際の葉桜君の表情の意味も気にはなるが、例の「約束」が関わりなくても彼女は私に教えてくれないだろう。葉桜君は恋愛に関しては殊更に避けている節がある。

 もしも葉桜君が私の想いに気が付いていないでやったのだとしても、その姿もその行動もその言葉もその声もその瞳も、私にはすべてが愛しい。いつか、いつか葉桜君と所帯を持ったらきっと、こんな風な楽しい毎日が続くのかもしれないと、有り得ない夢に私の頬には笑みが浮かんでいた。



p.4

(土方視点)



 伊東や藤堂らの到着を待って、屯所で一番広い道場に集まり、近藤さんから新入隊士が紹介された。その間中、至極楽しそうな葉桜に俺は眼を細める。誰が見ても葉桜の様子は、伊東らを心から歓迎しているという風に見えるし、他の隊士らにも伊東らはそれこそ快く迎えられている。

 そこはかとない不自然を感じるのは俺だけなのか。葉桜はたしかに常に笑っているようなヤツだし、伊東を気に入っているというのも近藤さんの話、新八の報告からわかる。だが。

「お前、無理してねぇか?」
 小さく葉桜だけに聞こえるように俺が囁いた言葉に、ほんの少しだけ葉桜の細い肩があがる。否定もしない葉桜のその姿は、俺の言葉が聞こえなかったふりを決め込むようだ。葉桜の無言は十中八九肯定と俺は知るだけに、仕方がないとため息を吐く。

「来い」
 近藤さんの話が終わり、隊士らが出る時を見計らい、俺は葉桜の肩を掴んで、奥の部屋に引き込む。襖を閉めると、二人だけの室内はかなり薄暗く、俺から葉桜の顔は見えない。ただ俺にわかるのは、葉桜のはりついた笑顔だけだ。

「ちっとそこに座れ」
「え、なんですか、土方さん? 私、まだ何も」
「まだ?」
「や、何も」
 口を滑らせた葉桜は俺から目線を反らさずに乾いた笑い声をあげる。その様子を見ながら、俺は自分でも眉間にシワが増えるのを感じた。

 葉桜はいつも何をしてやがるのか分からなすぎて、時々俺たちを不安にさせている自覚はあるのだろうか。いつかここを出ていっちまうんじゃないかって、誰しも一度は恐れずにいられない。いや、出て行かずとも壊れちまいそうな気がして、怖くなるというのは新選組の誰もが感じているはずだ。

 約束の制約だかなんだかしらねぇが独りで溜めこみすぎて、行き場のない感情に翻弄される葉桜は見ていて酷く痛々しい。だからこそ、俺は戻ってきてからしかみていないが、葉桜のあの満面の笑顔がとても気にかかるんだ。一緒にいたやつらが気にならないのだから、取り越し苦労と言うこともあり得ると考えたが、さっきの葉桜の様子からして、おそらく俺の思うとおりだろう。

「お前、まだ何か隠してやがるな?」
「いや何も」
 意地でも話さないつもりの葉桜に、何を言っても無駄だ。だが、放っておけるなら、こんな風に二人きりで問い詰めるなんて真似を俺はしねぇ。

「葉桜が話せねぇなら無理には聞かねぇ。だがな、無理に笑うな」
 俺が言うと不自然だった笑顔が消え、葉桜は呆然とした素の顔になる。次いで、先程までとは明らかに違う、柔らかな笑顔を見せる。

「あはは、降参です。もーなんで土方さんだけが気付くんですか?」
 笑う葉桜の目尻に、涙が浮かぶ。

「近藤さんも永倉も、鈴花も、山南さんだってみんな気が付かなかったのに、どうしてっ、気付いてしまうんですか……っ」
 葉桜から笑顔が段々と消えて、声にも涙が混じる。透明な雫が、俺の目の前でぼたぼたと畳を濡らしてゆく。俺はぼろぼろと泣く女をよく見てきたが、飾りもしていない葉桜の涙が今は誰よりも綺麗だと思えた理由は今はわからない。

「江戸で何かあったのか?」
 ふるふると首をふり、顔をあげた葉桜はまた笑う。何故、こんな時にこいつは笑うんだと俺は不思議に思った。

「何もあるはずがありません。報告したことが全てです」
「じゃあ伊東と何かあったのか?」
 葉桜はまた首を振る。

「伊東さんはとても聡明で強い方です。何かあろうはずがありません」
 葉桜にウソは見えない。では、何故。

「何を泣くんだ?」
 俺が葉桜の顔に手拭いを押しつけると、彼女は素直に涙を拭き、深く息を吸ってから、また真剣に前を見る。

「土方さんは、私を信じてくれますか?」
 憂うものはこれから先の時間だと、葉桜は俺に言った。止めなければならない時の先を想って、そして、進めなければならない時間を想って泣くのだと。葉桜の約束に繋がることだから、誰にも、俺にもそれを止められはしない。葉桜は俺に新選組を抜けてでも止めたいことがあるのだと言う。局中法度に違反する覚悟だとという葉桜に、俺は何も言えない。

「近藤さんがいて、土方さんがいて、山南さんがいて、新選組の皆が揃っていて、容保様がおられる今が続かないことなど、視なくてもわかります。

 変わらない時間などないと、知っています。でも、それでも私は今この時がとても幸せで同時にとても辛いんです」
 葉桜は俺に知っていても何も言わず、何も聞かずに見守ってくれと言う。できない相談をするのは、俺が気付いたからなのか。

「私も新選組が大切です。不義はしませんよ」
 少し赤く染まった眼で、葉桜は俺に精一杯明るく微笑む。またそうやって無理をする、と俺はため息を吐く。

「保たねぇぞ」
 俺の忠告に、葉桜からは力強い返答が返される。

「保たせます」
 葉桜の言葉の強さは、その信念と覚悟の強さと重みを負っているのだと、俺には感じた。嘆いているだけでは進めないのだと知っているからこそ、葉桜は強く、笑って未来を見据える。その限りない強さに、誰もが惹かれるのだろう。

 俺が伸ばした手の先で葉桜が立ち上がり、心配ないと言う。

「女は男より強いんですよ、土方さん」
 だから大丈夫だ、心配するなと葉桜は言う。俺もわかっていたが、葉桜は強情だ。これが最後の手段とばかりに、俺は葉桜の腕を引いて抱き寄せ、ささやく。

「無理して笑うぐらいなら、俺の所に来い」
「ふふっ、嫌です。土方さん、意地悪だから」
 胸の内で小さく笑いを溢す葉桜の姿に久しい愛しさを感じ、俺は壊さない程度に腕に力を込める。

「そうだ。だから、俺の所で思う存分泣けばいい」
「っ、貴方がそうだから」
 葉桜のくぐもった声に俺が腕を緩めれば、とん、と胸に手を当てて押し返される。俺を見上げた葉桜は哀しそうな笑顔で、俺に聞こえないほど小さな声で呟く。

「なんだって?」
 俺が聞き返しても、葉桜は何でもないと返すばかりで、仕舞いには「鬼の副長がそんなんじゃ、隊士に示しがつきませんよ」ときた。

 葉桜にかなり甘くなっているコトぐらい、俺だって自覚している。だけどな、お前が今折れたら困るんだ。葉桜はもう、近藤さんと同じく新選組の要なんだから。

「そんなに心配しなくても、私は近藤さんと土方さんについて行くって決めているんですからねっ」
 不意打ちのように満面の笑顔で覗きこまれ、俺は慌てて葉桜から視線を逸らす。葉桜のそれは心臓に悪い。

「土方さん」
 俺が戸惑う間に腕を抜けだした葉桜が、襖の前で顔だけ振り返りながら、俺を呼ぶ。

「ありがとうございます」
 言い捨てて、逃げるように襖の向こうへ葉桜の姿が消える。礼ってのは普通、言い逃げるもんじゃねぇだろうが、あれはおそらく葉桜の照れ隠し。まったく、素直じゃねぇなと俺は笑った。

ーーそんなだから、私は土方さんにも惹かれてしまうんですよ。

 そう葉桜がつぶやいていたことを、俺は気がつかないままにわずかに口端をあげて、微笑んだ。



p.5

3#清新の気

(葉桜視点)





 屯所から少し離れた場所、竹林の中をザクザク歩いて、私は見知った顔に声をかける。

「ふふっ、楽しそうだね」
「葉桜さんっ」
 駆け寄ってきた鈴花に続いて藤堂も寄ってくる。その向こうで討論を止めた山南、伊東、才谷が手を上げるので、私も右手を上げて返した。

「聞いてくださいよ、葉桜さん。平助君ったら」
「ちょ、何言う気なのさ。鈴花さんっ」
 じゃれ合う二人をそのままに、私は他の三人の元へ辿り着く。

「葉桜さんはいつ見ても美人やき」
 いつもの才谷の軽口に始まり。

「また迷われていたのですか?」
 クスクス笑いながら言う伊東に、笑って違うと答え。

「土方君の用事は終わったのかい」
 心配そうにいう山南に、私は軽い笑いで返す。

「たいしたことありませんって。それより、楽しそうですね。何の話をしていたんですか?」
 尋ねたとたんに三人でまた討論が始まる。もちろん、内容は幕府と朝廷の話や佐幕派と討幕派の話など、どれも議題は重い。されど、山南と伊東が似通った思想を持っていることを私は知っているから、その議論は聞いていて楽しい。

「梅さんもいろいろ考えてるんだなぁ」
「葉桜さんはほがーにわしがなんちゃーじゃ考えちゃーせんと思っちょったがんなが」
「うん」
 才谷の項垂れた様子に、私はウソだと笑ってやる。この人もいろいろと忙しいというか、我が侭というか。時々、ほんの少しだけ自分と似ているような気がするから、放っておけなくもある。

「ねえ、葉桜さん」
 後ろからこっそりと聞いてくる鈴花と藤堂を私は振り返る。

「山南さんと梅さんって、前から知り合いだったんですか?」
 何故そんなことを聞くのかと私が尋ね返せば、どうやら伊東に才谷を紹介したのは山南からだったということだ。直接聞いたことはないが、才谷と私は同類だから、おそらく聞かれなかったから言っていないだけといったところだろう。

「知らないけど、そうかもね」
「葉桜さんも知らないんですか」
「鈴花ちゃん、私は何でも知ってるワケじゃないよ?」
 鈴花には聞いてくださいと頼まれたものの、私が尋ねても才谷が素直に答えてくれるかどうか。山南なら答えてくれるだろうかと狙いを定め、私は足を向ける。と、私が近寄るより先に、山南から腕を引いてきた。

「本当に大丈夫なのかい?」
「え?」
「あまり土方君が厳しいようなら、私の方から口添えしておくけれど」
 頬に添えられた山南の手に、私ははっとする。さっき泣いたばかりだから、まさか眼が赤くなっているのだろうか。一応は顔も洗ったし、鈴花が何も言わないから腫れは引いていると思ったのだけど。

「こ、これは違うんですっ。そ、そのちょっと埃がはいっちゃってっ、眼を洗ったら洗い過ぎちゃってっっ」
「それはいけないね。でも本当に」
「本当ですから。それよりっ、鈴花ちゃんに聞いたんですけど、山南さんも以前に梅さんと会ったことが?」
 私が強引に話題を変えると、山南の表情が少し変わる。戻ってきたときもみたけど、何て言うんだろう。哀しそうというか、山南らしくない厳しそうな感じで、少しだけ怖い。私がそう思っていると、山南はいつもの柔らかな顔に戻る。

「実はね、彼と私は以前から面識があったんだ。京都で再会して話が弾んでね」
「梅さんは顔広いですからね。私も人のことは言えませんけど」
「その、葉桜君も以前からの知り合いなのかい?」
 特別隠すことでもないので、私は素直に明かした。

「以前というか、新選組に入る前に一度だけ会ったことがあるんですよ。まともに話すようになったのは京で再会してからです」
 出会いの状況が状況だけに話したことはなかったが、才谷は人見知りもないから、私も気軽に話しやすい。新選組でできない愚痴も零せるし、実際いいように才谷を利用させてもらってるかもなぁと私は苦笑いした。

「きみから見て、才谷さんはどうだい?」
 だが、山南から突然の質問で、私は目を瞬かせた。いきなり何を言い出すのかと私が見上げると、山南は真剣な顔で聞いてくる。

「その、男としてどう思うかを聞いているんだが」
 山南に男としてと問われて、私はそういえば才谷を意識したことはないなと思った。才谷は才谷で私を女扱いはするけど、私の方は大きな弟のように思えるから、異性を意識することはない。

「梅さんは梅さんだからなぁ。男とか考えたこともありません」
 そもそも男とか女とか仕事柄不利と思うことはあるけど、私はそれなりに実戦を積んできたのだ。負ける気もしないし、そうガチガチと気にする必要もない。

「何故急にそんなコトを聞くんですか、山南さん」
「あ、いや、どうも彼がきみのことを気に入っていたのでね。きみの意見も聞きたかっただけなんだ、すまなかったね」
 私としては才谷に気に入られるのは、色々と動きやすくもなるから構わない。けれど。

「……押し倒されるのはちょっと、ね」
「えっ!? さ、才谷君はきみにそんなことを!?」
 考えこむうちに才谷の難点が口から勝手に出て、ヤバいと私は山南から顔を反らした。だが、逃げられないように、顔を背けた私の両肩が山南に強く掴まれる。

「本当なのかいっ?」
 山南は以前から面識があるくらいだから、才谷の性格だってわかっているだろうし、今更私が誤魔化してもしかたない。私は観念して、山南を見上げて笑う。

「あれはもう癖みたいなものなんでしょうね。今のところ全部返り討ちにしてますし、これからも返り討ちにするんで心配ありませんよ」
 私は一瞬強く抱きしめられ、緩められたと思ったら、山南はまっすぐに才谷へ向き直っていた。才谷はこちらの会話が聞こえていたのか、にやにやとした笑いを浮かべながら、冷や汗を一筋こぼしている。

「才谷君」
「い、いやぁ、えずいぜよ、葉桜さん」
 助けを求める視線を送ってくる才谷に、私は一度ぐらい懲りるがいい、と舌を出した。山南に散々と何かを言われている才谷は、反論もできずにしどろもどろに宥めようとしている。やりこめられている才谷を見るのは、私もなかなかに楽しい。才谷はいつも飄々としていて、また逃げるのも上手いから、私もなかなか苦労するのだ。

「もしかして、葉桜さんは才谷さんと、」
 クスクスと笑いながらとんでもないことを言いだしそうな伊東を、私は軽く睨みつける。

「彼は只のマブダチです。ほら、あの人楽しいでしょう?」
 少し考え込む素振りをみせた伊東はああと頷く。

「では、山南さんと」
 何故そういう発想にいくんだ、と私は慌てて首を振った。

「ち、違いますっ。あ、さっきのは誤解ですからね。山南さんからみたら、私なんて全然子供で」
「ではそういうことにしておきましょう」
「信じてないでしょう、伊東さんっ」
「ははは」
 声をあげて笑い出した伊東に私が腕を振り上げるも、その笑いが止まる様子はない。終いには私も一緒に笑い出し、何が楽しいのかと山南と才谷も戻ってきた。

 ああ、ねえ。やっぱり私は今が一番幸せだ。これを、これだけ気の合う仲間を守る役なんて、とても素敵じゃないか。守るためにどれだけ私が血で身を染めようと、こんな風に平和な日本を作っていこうとする仲間がいれば、なんだって私はできる。

「万事、万人の論議を尽くして方針を立てる、そうあるべきじゃのう、諸君!」
 才谷の言葉に空を仰げば、私は陰りはじめた空の色に、結構な時間が過ぎていたことに気が付く。私たちの影も、随分と細く長く伸びている。

「ほな、今日はここらでいぬるか。平和な日本を築く理想を持ったモンばかりで、まっこと充実した時間やった」
 才谷と目が合うと、私だけに片目を閉じて合図される。それはもう少し話さないかという才谷からの誘いで、まだまだ話したりなくなったということだと気付いた私は笑顔で頷く。

「また、屯所へ遊びに行くきに相手して欲しいぜよ。そいじゃあ、またな」
「途中まで送るよ」
 私はするりと山南の隣から抜け出し、才谷の隣に立つ。

「葉桜君?」
「夕餉には戻ります」
 呆気にとられる一同を残し、私は才谷と並んでザクザク歩きだす。途中すれ違った男が私たちに挑む瞳を向けてくるので、私が笑顔で返してやると鼻で笑われた。

「……感じ悪いなぁ」
「ん?」
 竹林を抜けたところで私が呟くと、耳聡く才谷は聞き返してくる。

「なんでもない。じゃ、どこで話す?」
「葉桜さんの部屋で構いやーせんよ」
「屯所内じゃ、お茶も出さないよ」
「わしは葉桜さんがいれば十分やか」
「バーカ。またお付きに怒られるんじゃないか?」
「ほがなものは気にしのうても……」
 才谷はこういうことをいうから誤解されるし、周りも振り回される。二人で軽口を叩きながら歩いていくと、すぐに一度話題にのぼった「才谷の付き人」が私たちの進行方向に立ちふさがった。

「また今日はどちらに行っていたんですか?」
「はっはっはっ、今日はなんと葉桜さんと、でえと、やか!」
 まいったか、と誇る才谷の背中を私は強く叩く。意味は知らないが、碌でもないことには違いない。

「単にうちの新入りと討論してただけだよ。まったく、碌なコトを言わないな」
 痛いと騒ぐ才谷の肩を私が彼の付き人に押し出すと、才谷には寂しそうに振り返られる。今生の別れじゃあるまいし、何で眼を潤ませるのか。

「いつもすいませんね、葉桜さん」
 軽く頭を下げる男に、私はただ笑って返す。

「いいって。今日は梅さんの話も聞けてね。私も楽しかった」
 貪欲なぐらい平和を望んでいる才谷の心に共感できて、私はとても嬉しかった。今のままでは手に入らないものをも求めるから、才谷だってこうしてここにいる。今を守りたいから、私はここにいる。決して道は交わらないが、それでも才谷の目指す道はかつての私の願いと同じだから、頑張ってほしいと応援しているんだ。

「梅さん」
 正体は知っているけれど私が知っているのは才谷梅太郎だから、そう呼ぶ。

「また話をしよう」
 平和を語りあおうと、私は彼らに背を向け歩きだす。ほんの少し温かな私の心を、かすかに穏やかな風が通り抜けて消えた。



p.6

 屯所に戻った私は、夕餉の前で人気のなくなった道場で座して瞑想する。殺気を放ってくる者にはすぐに気付いたが、殺気に殺気で返しても力押しにしかならないし、私は戦う気もないので受け流しておいた。だが、その人物が道場に足を踏み入れると同時に、私は木刀を手にする。

「何者」
 相手は私の誰何に鼻で笑って答える。

「ああ、俺は大石鍬次郎って言うんですけどね」
 身体を左にずらすと、私の横を何かが風を切り、通り過ぎて後方の壁に当たった。音からそれが木刀だとわかったが、私は振り返らずに後方へ飛び退き、目を開く。空を切るその音は、私がいた場所を真剣が通り抜けた音だ。

「到着が予定より遅れちゃってさ。近藤さんに自分で挨拶してまわれって言われちゃったんだ。面倒なコト嫌いなんだけどねぇ」
 真剣で斬りかかってくるのが大石流の挨拶なのか、と私は不快に眉根を寄せる。だが、腕を見極めるには丁度よいから、私はふっと受け流していた殺気を受け止め、木刀を無限に構えた。

「あんた、良いねぇ」
「新選組は私闘禁止だぞ」
「別に、バレなきゃいいんじゃない?」
 私がまともに対峙しようとしなくても厄介な強さで、しかも不貞不貞しい。大石の名はあの紙にあったから、私は最初から警戒していたが、そうでなくともお近づきにはなりたくない相手だ。

「こっちはお断りなんだよっ」
 相手をするつもりだったが、私は気を変えた。今更気付いたが、また謹慎なんてたまったもんじゃない。大石が迂闊に近づいて来れないように、近づいてきても分かるように気を巡らせながら、私は軽く地を蹴り、道場の入口に立つ。でも、そんな私を大石は嗤っているようだ。

 身を翻して、道場を離れた私を大石は追いかけては来なかった。私は途中で行き会った平隊士と連れだって夕餉に向かう。それでも、いつまでも嫌な感じはまとわりついて離れなくて、私は自室に戻ってから例の紙を再度確認し、畳に強く拳を打ち付けた。大石鍬次郎は新選組に必要な悪で、そして、約束のためには絶対に私が剣を交えなければならない相手で。

 対峙したときの殺気を思い出した私は、闇の中で小さく身震いした。

あとがき

1#伊東の勧誘


朝廷の使者として新選組が江戸へ向かった時の話で、新たな隊士の募集としても行きましたってことで(史実です。
むしろ、ヒロインはどっちがメインなのか、迷子になるのが目的なのか。
書いてる本人が不明です。
ちなみに書いている本人は迷子になるのは好きです。
晴れて用事のない昼間なんて、迷子には最高!<ぇ
特に春だと荷物も軽くて良い!!(何。
(06/05/10)


改訂
(2010/03/18)


2#帰還


山南さんはもうなんというかフラグが立っている(~)からいいとして。 土方さんは泣きたいときに来いと
言っているだけでそういう意味ではないです(どういう。 相変わらず一向に出てこない平助君。 そんで、気が多いヒロイン。
「大切なもの」と「愛するもの」の区別が付けられないんです。 今は全部ひっくるめて「大切なもの」。 (06/05/10 09:25)
山南・土方のモノローグの人称を修正。 (06/07/06 09:37) 改訂 (2010/03/23)


3#清新の気


なんというか、ほのぼのと平和な回なのに。
一石を投じたら、大変なことに。
次が要の回だなぁ。
どうにかできちゃうけど、どうしよう。
というか、さっさと大石殺っちゃえば後あとどうにかできるんじゃ。
いやいやいや、大石は強いですよ。どうしよう。
(06/05/09 15:56)


公開
(2006/05/10)


改訂
(2010/03/26)


~次回までの経過コメント
土方 「幕府の長州征伐に備えて行軍録と軍中法度を作成しよう」
「特に軍中法度は戦時において絶対のものであるから、完成次第各自入念に目を通しておけ」