幕末恋風記>> ルート改変:山南敬助>> (元治二年如月) 06章 - 06.4.2#風邪

書名:幕末恋風記
章名:ルート改変:山南敬助

話名:(元治二年如月) 06章 - 06.4.2#風邪


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.5.17 (2010.5.7)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:4865 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 4 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
65#風邪

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p.1

 昼餉も過ぎ、八つ時の鐘が鳴った頃になると、屯所内の人間は極端に少なくなる。というのも、外で食べる者がまだ戻らないのは当然として、屯所内で食事をとる連中のほとんどは午後の巡回当番というものが多い。それでなくても今日はつい昨日、給金が支給されたばかりなのだから、大人しく屯所にいるような者はほとんどいない。

 茶器を乗せた盆を手に、私は廊下をゆっくりと歩く。

 午前中の屯所内では、土方や永倉の話でもちきりだった。なんでも長州討伐に向けての行軍録を作成していた土方が、その中に永倉の名前を入れ忘れていたらしいということだ。厳格な土方にしては珍しい失敗に、屯所内はなんとなく微笑ましい空気となっていた。

 あれから数刻でこの閑散とした様は一体なんなのだろうと、歩きながらも私の口から軽い笑いが溢れる。いざというときとなっても土方と山南が残っているのだから問題はないかもしれないが、それでも少し気が緩みすぎじゃないだろうか。

 いつものように山南の部屋近くまで来て、私が足を止めたのは室内に珍しく複数の気配があったからだ。それが誰なのか軽く気配を探ってから、私はすぐに自分の気配を消して、静かに部屋の前の縁側で庭を向いて腰を下ろす。それから持ってきたお茶を啜り、私はふっと息を吐いた。

 気配とここまで漏れ出る笑い声から察するに、中にいるのは山南と伊東、それから藤堂だ。今日も楽しそうに論議を交わし、時折聞こえるその笑い声に釣られ、私の口許も綻ぶ。

 それを聞きながら、私は自然と空を見上げていた。冬らしい澄み切った空は見ているだけで気持ちよく、まだ冬模様の庭をも明るくさせてくれる。昨夜うっすらと降った雪は午前中でほとんど溶けてしまったけれど、まだ日陰に残るその白さが眩しくて、私は眼を細めた。

 なんて、平和なんだろう。これから起こる出来事なんて想像も付かないぐらい平和で、私はとても嬉しくて。体を傾けた私は、ぱたりと縁側に横になる。冷たい木の温もりと振動が心地よい。

「何をしているのかな、葉桜君は」
 少し離れた場所からかけられた声に体を起こし、私が顔を向ければ、山南が困った顔で私の目を見ている。山南が居る部屋の中にはすでに伊東と藤堂の姿はないが、いつのまに出て行ったのだろうか。

 私がぼんやりとしていると、部屋から山南が出てきて、私の手を取る。山南の手はなんだか冷たくて、私にはとても気持ちが良い。穏やかな気持ちで私が頬を擦り寄せようとすると、急に山南が慌てだして私を抱き起こし、部屋の中へと入れる。何かを言っているけど、私は耳鳴りに阻まれて、山南の穏やかな声を聞き取れない。身体を火鉢の前に据えられ、肩に山南の大きな羽織が掛けられ、私の耳元で山南が何かを言っている。だけど、耳鳴りに加えて、酒を大量に飲んだような酩酊感で、頭がくらくらする。

「山南さん、手を」
 直ぐさま差し出される山南の手を掴み、私は自分の頬に当てる。今日は一段と冷たくて、気持ちが良い。

「今日はとても楽しそうでしたね。お邪魔してはいけないと思ったんですけど、一緒にお茶がしたくて待っていたんです。町の方にとても美味しい茶葉をいただいたので、お裾分けをしようと」
 そういえば、お茶はまだ縁側だということを思い出したが、体がなんだか怠くて取りに行くのが辛い。だけど、山南に頼むわけにはいかないし。

「あとで、淹れなおしますね」
 背中にある山南に体を預け、私は幼子のように素直に意識を手放した。

 山南の着物に焚きしめられた香に包まれる。柔らかな風に包まれるようなその香の名を知らなくても、その薫りが私は好きだ。誰とも違うその薫りは郷里の山と似ていて、とても落ち着く。冷たくて温かい大地のようで、冷たくて温かい空気のようで、とても好ましい。

 話したいことはまだまだたくさんあるけれど、今の私はとにかく眠いから、目が覚めたら山南と一緒にお茶を飲みながら話そう。山南といることができる限りある時間を、できるだけ私の中に長く留めておくために。

 どうか、どうか、もう少しだけ待ってくださいと。私は普段は願わぬ何かに、願いをかけた。



p.2

(山南視点)



 熱に魘される葉桜君の額に、私は絞ったばかりの手拭いを乗せてやる。そうすると、少しの間だけ葉桜君は穏やかに微笑む。

 部屋の前で寝転がっている姿を見た時、私は別に不思議に思いもしなかった。葉桜君はよくそうして寝転がるのを好んでいるから。けれど、私が取った葉桜君の手はあまりに熱く、よく見れば紅を差したような風にみえたのは熱のせいで顔が赤らんでいたからだ。すぐに部屋まで連れてゆき、火鉢の前に座らせたけれど、葉桜君は少し話した後で、私に身体を預けて眠ってしまった。

 医者の見立てでは、葉桜君は風邪で肺炎になりかけていたらしい。普段から無理をして笑っているとはいえ、誰も気が付かなかったというのは不甲斐ない。とりわけ、私の所には毎日のように来てくれていたというのに、気が付けなかったことが情けない。

 少し前に丑時の鐘が聞こえたから、もう他の隊士達はすっかり眠ってしまっていて、屯所内はとても静かだ。私の部屋の中でも、葉桜君の寝息だけが響いている。

 そういえば、と私は思い出す。最初に会ったときも葉桜君は倒れた直後で、でもあの時は何か小さな早口の寝言を呟いていて、小さな妹ができたみたいだと私も微笑ましく思っていた。同時に、こんな女の子が新選組でやっていけるのかと不安にもなった。その不安は目を覚まして一日も経たないうちに払拭されてしまうほど、葉桜君は心地よい強さを見せつけてくれたのだが。

 葉桜君がいる場所ではいつも笑い声が絶えなくて、誰もが惹かれるようだった。唯一葉桜君の対応が違っていたのは芹沢さんと対峙するときで、その時ばかりは不機嫌も露わにかみついて、だけれど二人共がそれを楽しんでいるような空気が私には羨ましかった。

 芹沢さんを葉桜君が自身の手で斬った夜の姿、亡骸を抱きしめて忍びなく姿を私は愛しいと思った。葉桜君は頭から鮮血に塗れた凄惨な姿で、人を殺したばかりなのに隙だらけで、死んでも構わないから送りたいと言われた芹沢さんを私は羨ましいとさえ思った。そのまま葉桜君は壊れてしまうかと心配したが、一日を置いて自分で立ち直ってきた。どこまでも強い葉桜君の姿は今まで出会った誰よりも好ましく思ったことを、私は今でも鮮明に思い出せる。

 芹沢さんとの想い出を話す葉桜君は自身を馬鹿だと笑っていたけれど、その一途さに私は心打たれた。真っ直ぐに想われていた芹沢さんのように、彼のように私も葉桜君に想われたいと考えてしまった。

 その時に一度私の想いを告げたのだけれど、葉桜君にはあっさりと交わされてしまった。約束という言葉に隠された葉桜君にはもうひとつの決意があって、そのために私を、いや他の誰もその心に受け入れられないのだということも気づいてしまった。

「……みずっ」
 急に起き上がって乾きを訴える葉桜君に、私が水差しから器に水を入れて渡してやると、彼女は勢い込んで飲み込んでゆく。勢いに負けた雫が零れ、葉桜君の白い衣を濡らす。葉桜君はそれを別段気にするでもなく、口を拭い、ふと気が付いたように私を見つめる。

「あれ、山南さんがどうして」
 自分が私の部屋の前で倒れたことを憶えていないらしい葉桜君は、自然と私に手を伸ばしてくる。だが、私に触れる前に自分の体を支えきれず、葉桜君は私の膝の上へと落ちた。熱で力も入らない葉桜君は、私が抱き起こすとそのまま嬉しそう抱きついてくる。

「まあいいや、夢ならいいや」
 どうやらまだ夢の中にいるらしい葉桜君を、私はもう一度布団に寝かせる。

「好きよ」
 嬉しそうに言葉を紡ぐ葉桜君に驚き、私は上掛けを引き上げる手を止めた。

「……大好きだから……生きて……」
 葉桜君は言葉を最後まで終える前に、また深い眠りに落ちる。穏やかに微笑みながらも流れ落ちる涙を、私は呆然としながらも指で掬い上げていた。舐めた葉桜君の涙は触れる肌より冷たく、塩辛い。

 初めて手合わせした葉桜君の剣はまるで白拍子の舞で。だが、遠間から一気に間合いを詰め、空気を切り裂くように放たれる剣戟は見た目よりも重く、軽く受けた手に僅かに痺れが残した。次に打ってかかって来たときには更に早く、葉桜君の細腕から繰り出される剣戟に手加減の隙もない。私もほとんど本気でかからねばならなかったというのに私の剣が葉桜君の体に当たる直前、彼女が身を後ろに引いたことに気づいた。沖田君並かそれ以上の剣術の才能はなんども私を驚かせたが、避けられたはずの私の剣先にかすかに感触が残ったと思えば、離れた場所で葉桜君が膝をついた姿に私は心配してしまう。なのに、本気ではない葉桜君に腹を立てている自分がいた。

 剣士としての私自身は剣士としての葉桜君を望んでいたのに、ひとりの男としての自分が葉桜君を心配する。葉桜君はそうしていつも私の中の矛盾を引きずり出す。

 私が倒れたときに、葉桜君が心配して駆けつけてきてくれたことは、本当に嬉しかったんだ。葉桜君のその優しさもだが、何よりも私という一個の人間を見てもらえていると気が付いたから。

 そして、池田屋襲撃で沖田君を守って怪我をしたと聞いたとき、私は怖くなった。他人のためには命を顧みない葉桜君が、いつか本当にいなくなってしまうという現実に気づいたからだ。それなのに、私の心配も知らず、葉桜君は完治していない体で屯所を抜け出すなんて暴挙をする。しかも、新選組の祝いのためにお酒を買ってきたと満面の笑顔で言われたら、私は怒ることもできない。

 どこまでも人に優しく自分に厳しい葉桜君を、私が見ていてやらなければと思った。反面、葉桜君の中に私がいなくなるのではないかといつも気が気でなくなってしまって、あげく彼女を追いつめてしまって。沖田君が怒るのも当然だ。

 次に泣きそうな顔で葉桜君が私の部屋に転がり込んできたときは、それまで私が避けられているとわかっていただけに驚いたけれど、何より彼女が単身で会津藩邸を出入りしていることのほうが衝撃だった。普段の葉桜君を思えば、それが裏切りだなんて考えられるはずもなく、それでも自分を責め続ける彼女に私は何も言えなかった。

 病床で何もできない私に、それでも葉桜君は帰る場所を守ってくれと役目を与えてくれる。あの時の葉桜君の誤解してしまう優しさの影に、少しでも私を想う気持ちを見た気がしたのは気のせいではないだろう。それでもいつも一歩を踏み込ませてはくれない葉桜君を前に、私はただそばにいることしか出来ない。

 葉桜君が笑えば、皆が笑顔になる。それだけの力を持っていて、そうしようと務める葉桜君の自然な笑顔が見たくて、私はせめてもと更紗眼鏡を作った。なのに、受け取った葉桜君は笑いながら泣いてしまって、ただ笑顔が見たかった私の思惑とは違い、何かを思い返している葉桜君を前に私は己を堪える以外に何もできなかった。葉桜君が一言、私のそばにいてくれると言ってくれるなら、私は何を犠牲にしても彼女の笑顔を守るのに、絶対に葉桜君はそうさせてくれない。

 いつも葉桜君は「生きて」と私に繰り返す。時の先を知っているという葉桜君がいうならば、きっと私に残された時間はあまり長くはないのだろう。だからこそ、余計に葉桜君は私と共にいることを恐れるのだろう。

「葉桜君」
 呼ばれたことに気が付いたのか、うっすらと葉桜君の眼が開かれる。だが、まだ夢の中にいる葉桜君の焦点は定まらない。

「君を愛している。……他の、誰よりも」
 目を閉じる寸前、葉桜君は私に向かって、柔らかく幸せそうに笑ったように思えた。

 私を好きだと言いながら、決して私の手を選んではくれない葉桜君でも、それでも私は葉桜君を諦められない。こんな愚かしい私でも、葉桜君は好きでいてくれるだろうか。隣にいることを許してはくれなくとも、私が葉桜君を愛し続けることを許してくれるだろうか。



あとがき

ごめんなさい(いきなり何。
この先の展開(六章本編)は、賛否両論に分かれると思います。
だから、先に謝っておきます。
(2006/05/17)


山南のモノローグの人称を修正
(2006/07/06 09:45)


リンク変更
(2007/08/08)


改訂
(2010/05/07)