(近藤視点)
病気の時ほどじっとしていないのは知っていたけど、何もそこまでというほど葉桜君はふらふらの体で屯所を抜け出そうとする。よくそこまで手を思い付くものだというぐらい見張りを出し抜いて、どうしてそこまでというほど葉桜君は必死に。
何故そこまでして葉桜君は約束を、俺たちを守ろうとするのだろう。
「っと、そこまでだよ」
通用口から出ようとする影を俺が抑えると、簡単に葉桜君の身体は腕の中へ倒れ込んできた。たっぷりの間を置いて、葉桜君の顔があげられる。葉桜君が俺と触れている箇所はまだ高い熱を伝えてくるので予想はしていたのだけど、これはさすがにヤバイなと肌で感じた。寄りかかってくる体やその熱さ、加えて熱のせいで潤んだ瞳など、今の葉桜君はどれをとっても外に出せない色香を放っている。俺は葉桜君の頭から羽織をかけ、抵抗のない体を抱き上げる。
「近藤さん、いかせて……」
「ダメだよ、葉桜君」
俺が葉桜君を連れ、自分の部屋まで戻る間、羽織の内側から信じられないほど女らしい泣き声が聞こえる。今は俺が言わなければ、これが葉桜君と誰も気が付かないだろう。
「早くしないとっ……けほっ……手遅れ、になる……」
葉桜君は自分が肺炎起こしかけたってわかっていないのか、手遅れになるとだけ繰り返す。こんな時、俺でなくても葉桜君には自分の状況を考えて欲しいと願わずにはいられないはずだ。
部屋の前で俺たちはトシに見つかったけれど、トシは無言で障子を開けてくれた。トシはさすがに付き合いが深いだけに、俺の腕の中にいるのが葉桜君とわかったようだ。先に部屋へ入った俺の後から入って障子を閉めたトシは、奥の間に布団を敷いてくれる。ここで俺たちが見張れば、いくら葉桜君とはいえ容易に抜け出せないだろうという考えは、トシも同じらしいとほっと息をつく。
俺が葉桜君を布団に降ろし、羽織を退けると、彼女は熱に浮かされながら、ぐっすりと眠っていた。こんな状態で外に出ようとするなんて。
「救いようのないバカだな、葉桜は」
見下ろして冷たく言うトシを俺が見ると、その言葉とは対照的に心配気に見つめている。心配ならそう言えばいいのに、トシも素直じゃない。
「熱のせいとはいえ、葉桜君のこの姿はあまりに危険だよ」
トシにぎろりと睨まれ、俺は続けようとした言葉を止めて、肩をすくめた。俺がもう一度葉桜君に視線を落とすと、紅潮した顔が、苦しげな寝姿が男心を誘っている気がする。普段の男勝りからは想像もつかないほどの女らしさにぐらつきそうな気持ちを押さえて、俺は葉桜君に背を向けた。その直後だった。
「葉桜君はよくそれだけ動けるね、その体で」
わずかに動いた気配につられて俺が顧みた葉桜君の手には、トシの小太刀が握られ、切っ先は迷い亡くトシへと向けられている。身体は相当辛いはずなのに、葉桜君はその上で後ずさりながら後ろの襖を足で探っている。鬼気迫る葉桜君の必死の様子に、俺はもう苦笑するしかない。普段とは桁違いに隙だらけだが、葉桜君の気合だけは普段以上で、俺やトシが少しでも動けば、容赦なくその剣が動くだろうことは想像に難くない。
「すまねぇ、近藤さん」
葉桜君が普通の人間なら、あの熱に浮かされた状態から動くことは無理がありすぎる。これは葉桜君の非凡な才能なのか、それとも経験なのか。どちらにせよ、芹沢さんをしとめるだけのことはある。
「ごめん、土方、近藤。お願いだから、二人とも行かせて」
後ずさる葉桜君を追いつめるように、俺とトシは二人で少しずつ足を進める。いくら懇願されても、今の葉桜君を外に出すわけにはいかない。俺たち新選組は京の浪士に憎まれていて、その中でも葉桜君の勇名は広がりすぎている。もしここで病床の葉桜君を外に出したら狙われることは必死で、葉桜君の応戦だって難しいだろう。むざむざ死なせたくないんだという俺たちの想いは葉桜君にはいつも届かないが、こういう時ぐらいは察して欲しいと心底願う。
「その体で無謀をするな、葉桜。大人しく寝ておけ」
トシの言葉に大して、ダメだと葉桜君が悲痛に叫ぶ。
「今行かなきゃダメなんだっ。手遅れになったら……っ」
言葉に詰まりながらも、葉桜君は潤んだ瞳を俺たちから逸らさない。
「私は誰にも新選組から欠けて欲しくない。特に試衛館の貴方たちはひとりもっ」
どれだけ懇願されても、こんな状態の葉桜君を外に出すことなど到底許可できるわけもない。葉桜君の足が襖にかかった瞬間に、俺とトシは同時に飛びかかる。
だが、葉桜君はそれだけ熱に浮かされ、ふらついた身体で、どうしてそれだけ動けるのか。俺やトシの手が届く前に、一気に開かれた襖から俊敏に飛び出し、真っ直ぐに駆け抜けて、庭へ出てしまう。そのまま走り去ってしまうのかと思われた葉桜君は一度だけ哀しそうに俺たちを振り返り、何も言わずにそのまま姿を消した。
「近藤さん、今ならすぐに捕まえられる。探すぞ」
「トシ」
「……話は後だ」
最後に見た葉桜君の顔と言い残された言葉が残り、隊士たちに指示を出すためにトシが出て行った後で、俺は彼女の開けた襖に背を預ける。
どうして葉桜君はそこまでして俺たちのためにしてくれるのだろう。約束のためというには、葉桜君の行動は度を過ぎて必死すぎて、もうわけがわからない。ただ今の俺に分かるのは、普段は決して見せないあの必死な葉桜君の姿が、心に焼き付いて離れないということだ。
「どうか、無茶はしないでくれ」
もし聞き届けてくれる者がいるならば、葉桜君を止めてくれと。目を閉じて強く願い、俺は部屋を後にした。
(葉桜視点)
あの人ーー山南が救われるなら、後で私自身がどれだけ怒られても構わない。荒い吐息と乱れた気配を壁際に隠し、私は自分を探している隊士たちをやり過ごす。どこで誰に行き会うにしても、すべては最初のきっかけとなる子供、山南塾に通い、一番弟子を気取る生意気で可愛い小六を見つけてからだ。一応小六には山南の悪口であっても耳をかさないように言っておいたけれど、私の知る限り素直に聞いてくれるような性格じゃない。子供を信用しなさいと私は山南にも言われているけど、万が一ということもある。
「っはあ……っ」
私は寒さに息を吐き、胸元を強く掻き合わせる。近藤の部屋からそのまま抜けてきたから軽装なのだが、どうせなら近くの羽織を奪ってくるんだった。
そこまで考えてから、私は自分で自分の考えを否定する。近藤と土方に睨まれた状況で抜け出してこられただけでも奇跡みたいなものなのだ。それ以前に無理やりあの場を抜け出してきたから、今度こそ私は新選組を追い出されるかもしれない。だからといって、今更自分がやろうとしていることを止めるわけにもいかない。気を取り直して顔を上げた私の耳に、少年の声が飛び込んできた。
「葉桜先生?」
路地の入口から暗がりに座り込む私を訝しんで声をかけてきたのは、私が屯所を抜け出してまで会いに来た小六だ。小六は私だと確信すると、急いで近くまで駆け寄ってきて、心配そうに小さな手を伸ばしてくる。頬に触れる手のぬくもりに安堵し、私は安堵の息を吐き出す。
「こんなところで何してんだ。風邪で寝込んでたんだろ?」
「小六~……」
「うわ、すっげぇ熱じゃん。まさか布団抜け出してきたのか」
「よかったぁ」
「そういや新選組のヤツらで誰か探してるみたいだったけど、」
事件が起こる前であることに安堵して、私は遠慮なく小六に抱きついた。
「小六ぅ~」
「うわ、ちょ、葉桜センセ」
私がもたれかかると一生懸命支えようとしてくれる小六の姿が可愛らしくて、つい本気でよっかかっちゃったりして。そんな風に私が小六で遊んでいたら、必死にから逃れようとしていた小六の動きが止まった。
「小六?」
私の口に手を当てて、静かにと無言で伝えてくる小六は、通りへと目を向けて、何かを一生懸命に聞こうとしている。
私の耳にも「山南」の名前が聞こえて、小六と同じように聞き耳を立てる。山南を話をしているのは歩き方や音、気配で二人組の剣士とわかった。どこの藩士か、あるいは浪人かまではまだわからないが、この歩みは片方は一般的には腕のあるものだが、新選組の中じゃ上の中程。こんな評価を永倉や原田辺りにいったら、過大評価しすぎだとか言われるだろうか。
「総長の地位は局長の近藤に取り入った結果だと思うぜ」
断片しか聞いていないが、山南さんの悪口が聞こえたような。気が付けば、小六の強く握られた拳が震えている。気持ちはわかるけど、ここで小六を出て行かせちゃ行けない。私を見ないで通りを睨みつける小六を、しっかりと腕の中に抱き込む。
「ダメだよ、小六」
「あいつら、山南先生のこと何にも知らないのに」
「うん、そうだね。だけど、ダメなんだ。小六はここにいて」
私がお願いと囁くと、小六は小さく頷いてくれる。基本的に小六は賢すぎるぐらい賢いし、とても良い子だ。私に生意気を言う事はあっても、逆らうことはない。
「おっ、そうだ! 今度二人でそいつを脅かしてやらねーか?」
急に浪人の一人が言うのが聞こえた。名案とでも言いたげで、きこえるそれに私は腹が立つ。
「脅かす?」
「そうさ、夜道かなんかでな。そんな程度の腰抜けなら腰抜かして命乞いするに違いないぜ」
その程度の人間に新選組の総長なんて務まらないと、この男たちは知らないのだろうか。新選組には鬼がいると、聞いたことはないのだろうか。
「そんなことしちまったら後で問題になるぞ」
片方が懸命に宥めていて、こちらの男は話が分かりそうに見えたが。
「それなら本気で斬ってやりゃいい。明保野での借りも返せる」
病のせいか、なかなか回らない頭で私は必死で考える。明保野というのは、長州者と間違われた土佐藩士が、新選組の指揮で会津藩士に斬られたとかいう事件だったはずだ。でも、あれは非常に後味は悪かったが、既に解決していると聞いている。切った方、切られた方の両方が自刃して幕が降りた事件だ。下っ端が収まらないのはわからないでもないが、これでは土佐藩の自刃した麻田も浮かばれない。
あれ以来土佐藩士の新選組に対する心情は良くない。だからといって、山南に対して剣を挑むなんて無謀というか、おこがましいというか。
「確かに、おまえほどの腕なら負けることはないだろうが」
ぷつりと、私の中で何かが音を立ててキレた。それまでただ立つことも辛かった足に力が入り、小六を抑えている腕にも力が隠る。
「……葉桜先生?」
急に立ち上がった私を不安そうに見上げる小六に、私は大丈夫と微笑んでやる。
「おうよ! 剣の腕なら負けやしねぇぜ」
それから、私は路地を出て、山南に妙な企てをする浪人らの後ろに立った。
「はははっ、所詮新選組なんぞ小物の集団。国の行く末を担うであろう大藩土佐に害をなした罪は新選組総長の首でも足りんくらいよ!」
こういうとき、私は声を張り上げることはない。あくまで、挑発的に囁くだけで聴こえるだろう。
「大藩に寄生しなければ、意気がることもできない虫螻がよく言う」
私が呟いたとたん、前を歩く浪人二人が振り返り、周囲に目を走らせる。そして、私に目を留めたのは当然と言えるだろう。道の真ん中に白装束の女が立っているのだから、見つけられない方がおかしい。
「あん? なんだ、おまえは?」
私が挑発のために口角をあげて嗤ってやると、面白いように浪人の顔が怪訝の色を濃くする。浪人二人が私を見たのを確認してから、私は続ける。
「あんたが山南さんに向かっていっても掠り傷一つ負わせられないな」
「何だとぉ?」
こんな小物を挑発するなんて、私には容易いことだ。それに揺らいだ精神で振るわれる剣筋ほど、読みやすいものはない。
「それに論議を交わすことも難しそうだ。土佐藩は大藩だし、上の人間がこの日本という国のために何かしているのは認めよう。だが、おまえたちは何だ。道の真ん中を歩いて、ただ新選組に対する恨み辛みを言うしか脳がない下郎ごときが、山南さんに勝てるなんて笑止千万」
「この女、言わせておけば……」
浪人の腰から、すらりと抜かれた刃に、私は思わず笑いが零れる。本当に、簡単だ。
「言ってやろうか。お前たちのようなのを、腰抜け、と言うんだ」
「黙れ!!」
怒りとともに振るわれた刃から、私は僅かに身を引く。それだけで、避けるのは十分なはずだった。
「葉桜先生、危ないっ」
熱のせいか、一撃目の曲がった太刀筋を避けたあとで、私は態勢を崩していた。力の流れに逆らわず、私は素直に地面へと転がる。間一髪、私の立っていた位置を横薙ぎに軌跡が過ぎる。いつもよりも体が重い。誰かが叫ぶ声が聞こえた気がするけど、剣を持つ相手が目の前にいるのだ。それどころじゃない。
「病人の女の分際で武士に刃向かう度胸は認めてやる。それも今日で終わりだがな」
地面に座り込んで下から睨みつける私を、浪人は勝ち誇った顔で見ている。
「その病人の女ごときに剣を振りかざさなければ勝てない程度の腕か。おまえ、土佐で何をしてきた? ただ闇雲に力を振りかざすだけか」
話しているだけでも重く揺らぐ身体を無理やりに動かし、私はまっすぐ正面に落ちてくる浪人の剣を、また紙一重で避ける。避けきれなかった私の髪が、風に流され、散らばる。
「山南さんなら健康な私を斬れる。だがな、病人の私を斬れずに山南さんに敵うか?」
私が不敵に笑ってやると、浪人の刀が私の首にかかった。冷たさは動揺を誘うほどでなく、むしろ心地よい。
「武士を愚弄するとどうなるか、しっかりとその体に焼き付けておくんだな」
息の上がる身体が倒れないように堪える私は、浪人が振りかぶる刀をしっかりと見据える。目をそらすなんて真似はしない。いつか誰かに斬られるなんて、真剣を手にしたときから私はとっくにしている。
「武器も持たない無抵抗の女を斬るなんて、武士の風上にもおけない」
「口の減らねぇ女だ」
でも、今はこんなところで死ぬ気なんて、私はさらさらない。それぐらいで尽きる命なら、とっくの昔に消えているし、今はただ役目のためだけではない理由で守る人達がある。
剣の起こす風とは別に、町を渡る風に乗って、私を呼ぶ声に耳を澄ませる。別に斬られたとしても、急所さえ避ければ私は死ぬことはないし、援護もすぐそこだ。勝機だって、ある。
見上げる空はどこまでも青く、蒼く、夢に見るあの空が思い浮かぶ。京にきてから私がいつも見る夢の青と赤、二つの色はまだ濃く、まだ変わらない。
「それが取り柄でね」
私の耳に空気を切り裂く音が響く。駆けてこようとする小六に私は片手を伸ばして、制止する。ここで小六に出てこられちゃ、私が来た意味がない。腕の一本が無くなったとしても、この身がどれほど不自由になろうとも、引き替えに山南が生きるなら、私は構わない。
「葉桜先生っ」
大丈夫、と小六に笑いかけ、私は左手を地面につけ、体を低くして、浪人に足払いをかける。
「っ!」
体勢を崩した浪人の刃を避けようと体をそのまま地面に転がしたが、背中に熱さが通り抜けた。
「あぁぁっ!」
あまりの痛さに私が声をあげると、もう一人の浪人が切りかかってくる。だが、私が強く睨みつけると、その浪人はあっさりと足を止めた。
「な、なめた真似を……」
地面に転がった浪人が立ち上がる前に、私はその剣を勢い良く踏みつけた。
「ほら、な。私が言った通りだろう」
ふと、私が眼力だけで黙らせた男が呟く。
「おまえ、まさか……」
その言葉が最後まで紡がれる前に、遠くから誰かが私を呼ぶ声がする。
「葉桜さんーっ!」
「何してる、貴様ぁっ」
足音の方を見て、その浪人は顔を青ざめさせ、刀を踏まれたままの浪人は舌打ちした。
「お、おい、行こうぜ」
「命拾いしたな、女」
捨て台詞を残して去ってゆく浪人の背中を見つめながら、私はじっと動かずにいた。
「葉桜先生……っ?」
私の手を小さな手が引いた拍子に、私は体の力が抜けてゆくのを感じていた。
「葉桜先生っ?」
どさりと、自分の体が地面に落ちる音がやけに大きく聴こえる。近寄ってくる者達の足音がぐらぐらと頭に響く。起き上がらないと、ちょっと面倒なことになる気がするなと思いつつ、体は私の言う事を聞いてくれない。私を揺らす小さな手を握り、うっすらと目を開ける。小六が泣きそうな目で私を見ている。
「だい、じょうぶ、」
背中が痛いのは斬られたからだし、この痛みが死ぬほどではないことは経験からわかっている。
段々と暗くなる視界の向こうで、小六が誰かに押しのけられ、別の誰かが私の背中に触れる。
「う……っ」
「我慢しろよ」
声で永倉だとわかり、私は安堵する。
「山南、さんには……言わないで」
軽く頭に手が乗せられるのを感じる。
「馬鹿言うんじゃねェよ」
その心配は当然だから、私も甘んじて口端をあげるが、痛みでうまく笑えなかった。
「そう……だね。ごめん、永倉」
そのまま意識がなくなる直前、とんでもねェ女、という永倉のつぶやきを聞いた気がする。
ゆらゆらと誰かに抱えられる夢の中、私は懐かしい夢を見ていた。それは遠い遠い記憶の欠片で、決して手の届かない過去の追憶。
「無茶すんじゃねェよ」
父様の声に被って、土方の声を聞いた。
お小言が傷に響きますと私が布団の中でこっそり呟いたら、更に怒られた。土方は地獄耳だ、と更に小さな声で私は呟いたはずなのに、余計に説教された。おまけに短気だと言いかけて、私の口に出すのはやめておいた。
お小言は私が屯所を抜け出して土佐藩士に喧嘩を吹っかけた件だけど、結果として小六は助かったし、私も風邪が治ったから後悔はない。治ってないのは斬られた背中だけだが、今回も池田屋の時同様に絶対安静を言いつけられ、鈴花という私には恐ろしいお目付役がつけられてしまった。他の者ならともかく、鈴花を出し抜いたりしたら、その後で鈴花が土方に怒られることになるので気が引けるのだ。だから、私にとっては一番困る見張り役ということになる。
私がそれを土方と入れ替わりに見舞いに来た永倉に零したら、彼は暢気に笑い飛ばしやがった。
「あれだけの無茶すりゃ、そりゃ心配もすんだろ。黙って聞いてやれ」
「心配ぃぃぃー?」
「んな、嫌そうにすんなって」
相手が永倉だけなので、私も布団から身体を起こしている。
「そういえば、小六、っていったか。あのガキがオメーに会わせろって来てるぜ」
「え?」
小六は山南塾で一番私と山南に懐いてくれていたが、目の前であんな殺陣を見せてしまったからもう私の元へは来ないかと思っていたから、すごく嬉しい。
「そのうちサンナンさんと来るんじゃねぇ?」
小六が来てくれることは、その無事を確認できるのは嬉しいが、当然のように山南も来ることに、私は力無い笑いを零す。
「あー暮れ六からは山南さんのお説教かー……」
「ははは。まあ、心配させた罰だろ。大人しく聞いてやれ」
永倉には他人事だと思ってと言いたいが、実際今回のことはかなり私の自業自得だから仕方ない。だからって、永倉も友達甲斐がなさすぎるのではないだろうか。
周辺に永倉の他に人の気配がないのを確認して、私は布団から立ち上がる。そのまま部屋を出ようとした私の手を、永倉が慌てずに抑えた。
「おぃ」
「手合わせしようよ、永倉」
私は部屋に閉じ込められ、動くこともままならないまま既に二日が経過している。軽い稽古ならしてもいいじゃないかと言ったら、土方に外出禁止を命じられ、あろうことか太刀まで取り上げられてしまったのだ。隣は局長室、逆隣は鈴花を挟んで副局長の部屋だから危険もないが、太刀をもっているぐらい良いじゃないかと思う。土方の小太刀を奪って、私が屯所を抜け出したのが原因なのだろうが、やりすぎではないだろうか。
「悪ィけど、そりゃダメだ。俺ァ見張りだからな」
永倉からは思ったとおりの返答が返ってきたが、私は普通に聞き返す。
「マジ?」
「マジだ」
どうやら、鈴花が少しの間席を外す代理のようだが、私にとって永倉を落とすのなんて、他の隊士に比べても誰より容易だ。見えないように口元ににやりと笑みを浮かべて膝をつき、私は永倉の顔を覗きこむ。
「オメーをこっから出すと、島原出入り禁止になんだよ」
「ふぅん?」
ふてくされた様子で、私の陣中見舞いの経緯で話をそらそうとする永倉に、私は神妙に頷く。
「今、京の町じゃ葉桜は有名でよ。完治したオメーを連れてかなきゃ、姐さんらが相手してくれねぇんだ」
「へぇぇぇ」
そんな話を私がかけると、永倉は本気で考えているのだろうか。心配させるのは忍びないが、それで永倉が島原に行けなくなったとしても、永倉なら他にも行く場所があることぐらい知ってるっていうのに。
私が満面の笑顔を近づけると、永倉は後退りをし始める。あと一息で隙ができる。
「葉桜、誘ってんのか?」
「この間私が抜け出したときの話、近藤さんから聞いた?」
「あ? ああ、聞いてる」
「それは……良かった」
私は柔らかな笑みを浮かべ、すぐ後にほんの少しだけ目線を鋭くする。「何か」を察知した永倉がとっさに両手で自分の腰元の剣頭を押さえ、私を抑える手が離れる。その一瞬を逃さず、私は庭へ走り出た。
「あはっ、ひっかかったっ」
「っ!」
裸足のまま触れる久しぶりの冷たい地面の感触が心地良いのはつかの間で、すぐに私はその場に膝をついた。私自身はすっかり良くなったつもりでいたのだが、今回の怪我は思った以上に深く、治りが遅いらしい。縁側から飛び降りて逃げ出した衝撃はすぐに背中を伝い、激痛に全身を支配されて動けない。
「無理すっからだ」
抗議の声をあげたくても痛みの方が強くて、私は永倉を睨みつけるぐらいしかできない。永倉は私の様子がわかっているのか、苦笑しつつ腰をつかんで担ぎ上げ、縁側まで連れ帰ってくれた。一応傷に触れないように気遣ってくれたようなので、永倉に荷物扱いされたのだとして、私は文句も言えない。
「んな顔すんなって」
私は口に出せない文句代わりに永倉を睨みつけたが、効果はなさそうだ。
「傷開いてねェだろうな」
「……大丈夫だろ、たぶん」
背中なので私には見えないが、流石にまる二日も経っているのだから、傷自体は塞がっているだろう。医者が言うには、脊髄にほんの少し傷があるかもしれないから、治りが遅いらしい。
「見せろ」
大丈夫だって言っているのに聞かない永倉を前に、私は胸元を強くかき合わせる。今は大事をとって、サラシを巻いていないのだから、そう易々と背中をみせるわけにはいかない。
いくら男姿で、男並みの仕事を新選組しているといっても、私は女だ。いくら永倉が安全だと言っても、給金が出る度に島原で外泊するような奴で、かつ今は島原に出入禁止を食らっている状態。女に事欠いているとは思えないが、その状況で私も永倉を信用できるワケがない。
でも、友達同士で真剣に警戒というのも余所余所しい気がして、私は山崎の真似でもして逃げてみる。
「い、いやぁーん、ハっちゃんのえっちぃーっっ」
「全然似てねェ。いいから、見せてみろって」
人が真面目に真似をしたっていうのに、一刀両断にすることないだろう。
「バカ、やめろってっ」
身を捩らせて逃げるも隣同士に座っていて、私はそれほどの位置を動ける身じゃない。すぐに後ろから抱きしめるように、永倉に捕まえられる。
「んだよ、いーだろ。減るモンじゃねェんだ」
胸ぐらい、というつぶやきはしっかりと私の耳に届いた。やっぱりそっちが目的か、と私は毒づく。
「減る! 絶対減る!! 大体、こんなところ誰かに見られたらっ」
誤解されるだろ、と続ける前に、私の耳に大きな音が響いた。音の方向を見ると、廊下の端には藤堂と鈴花がいて、床には割れた茶碗と皿、それを乗せていただろう盆が転がっている。当然、茶碗に入っていたであろう茶も、皿に載っていたであろう白玉も、廊下に無残に転がっている。後ろで控えている藤堂は青い顔をして、私たちと鈴花を交互に見比べている。
この後の展開は私でなくとも、誰にでも容易に想像がつく。誰が動いてもおそらくは、鈴花の怒りが眼に見えるようだ。ということは、鈴花が正気に返る前に、さっさと逃げ出した方がいい。
私はその一時の凍り付いた時間の中、永倉の手が緩んでいるのに気付き、すぐさま立ち上がって部屋へ戻った。少し遅れた永倉が、私に縋るような眼を向けてくる。
「お、おい、葉桜……」
「しーらない」
タンッ、と私が障子を閉める音が合図だった。
「なっ、オメーそりゃねェ」
「永倉さんっ!」
「うわ、誤解だ、桜庭っ」
「何が誤解ですっ、怪我人を襲う人がありますか!!」
「そうだよ、新八さん。いくら葉桜さんがいつもと違って胸があるからって」
「平助君っ!」
「わ、鈴花さん、オレはそんなつもりじゃっ」
私は部屋に置かれた盥に手拭いを付け、足を拭き、障子の向こうの喧騒をうきうきと聞きながら布団に入る。永倉は一度ぐらい、鈴花のあの説教を聞かされる身になってみりゃいい。それはそれはもうしつこいのなんのって、土方も口うるさいが、鈴花はそれ以上なのだ。
それでも、こうして平和をかみしめていられるのは一時で、まだ安心はできない。確実に山南の道を繋ぐための方法は既に考えてあるし、そのためにも一日も早く私は身体を治さなければならない。だから、今はただ。
「だから、誤解だっつってんじゃねェかっ」
「だまらっしゃいッ!」
喧騒を聞きながら、私はやがて訪れる眠りに、素直に身を委ねた。
(近藤視点)
さやさやと風に心地よい竹の葉擦れが囁いている。それを聞きながら、俺は目の前の二人をじっと見ていた。一人は一週間前に怪我をして、昨日の診察でやっと剣を持つ許可をおろしたばかりの葉桜君で、もう一人は山南さんだ。二人は互いに真剣を抜いて高ヲている。
何故こんなことになったのかといえば、時間は今より数刻前に遡る。明け方に戻った俺がうとうとと眠りに落ちる寸前、見計らったように葉桜君が訪れた。
「近藤さん、起きておられますか」
固い声は明らかな決意を滲ませていて、俺は寝るのを諦めて、部屋の戸を開ける。葉桜君はすっかり身支度を整えた状態で、俺の部屋の前に正座をして、真っ直ぐに前を向いていた。
「急用かい?」
「はい」
しかし、そのまま葉桜君は何も言わずに座ったままだ。
「……中で、話そうか」
「はい」
俺が促すと、葉桜君はすんなりと立って、部屋に一歩踏み入り、またすぐに正座に戻った。俺も部屋の障子を閉めて、いつも座っている奥ではなく、葉桜君の隣に胡座をかく。葉桜君は少しもうつむくこと無く、真っ直ぐに前を見ている。
「誰にも聞かれたくない話かい?」
少しの逡巡の後、葉桜君はおもむろに口を開いた。
「お願いがあります。私に、私に山南さんと仕合をさせてください」
強い決意の隠る声で口にした後で、葉桜君は俺に向き直る。真っ直ぐな瞳からも、固く結ばれた唇からも、葉桜君の決意が見て取れる。
「それは、木刀ではなく?」
「はい、真剣を使った正式な仕合です」
俺には葉桜君がそこまで緊張して、申し出る理由はわからない。だけど、それが葉桜君にとって、至極重要で、辛い役目を果たそうとしていることだけは伝わってくる。
「……何故、山南さんなのかな」
びくり、と一瞬葉桜君の視線がさ迷ったが、彼女は膝においた拳を強く握り直す。
「近藤さんは私よりも山南さんをよく知っていると思います。だから、最近の山南さんが何を考えているのか、私よりもわかるはずです」
「私は山南さんが今のままでいいとは思いません。あの人には、生きて欲しいんです」
俺を見る葉桜君の瞳には迷いも曇りもない。どうやって、という方法を剣にたのむ辺りは葉桜君らしい。
確かに俺も最近の山南さんを気にかけていないわけではない。なにより、江戸にいた頃からの仲間であり、それはトシたちだって変わらないだろう。二人が衝突しているという噂は俺の耳にも入っているし、かといって容易に口を出せる問題でもない。
「それは俺だって同じ……」
「先日、」
俺の言葉を少し俯いた葉桜君が遮る。
「先日塾の教材を準備していた時に、私は山南さんに聞いてみたんです」
ーー山南さんは今、楽しいですか?
最近の山南さんは隊務に出ることも無く、専ら山南塾で子供たちを教えている。それを葉桜君や桜庭君が手伝っていることは俺の耳にも入っていた。葉桜君はもともと道場主をしていた経験を生かして手伝っているだけなのだと、俺は勝手に思い込んでいた。
「条件は少しありましたけど、私はあの時みたいにずっと山南さんに笑っていて欲しいんです。そのためになら私は何だってできます」
「それが、仕合?」
葉桜君が深く頷くと、さらりとその長い髪が肩口を一筋流れ落ちた。
そういえば、先日トシが言っていたことを俺は思い出した。
「葉桜は何も言わねぇが、たぶん俺たちの中で最初にいなくなるのはーー」
トシはその先を言わなかったが、俺にも予測はできた。
「他に方法はないのかな。葉桜君が傷つかずに、山南さんを救う方法は……ないのかな」
びくりと葉桜君の身体が震えた。俯いたままの葉桜君の両肩に俺は手をかける。
「あるんじゃないのかい?」
ふるふると葉桜君は顔を上げずに首を振る。
「私だって、私だって! こんな、こんな方法を使いたくないっ! でも、こうしなきゃ、山南さんは……!」
俺が触れた場所から葉桜君の震えが伝わってきて、声にも涙が滲んでいる。そのまま宥めてあげたくなるほど、弱々しい様子に俺は戸惑い、動けなくなった。その間に葉桜君は深呼吸して、少し目元をぬぐってから顔をあげる。
「ううん、違う。約束だけじゃない。これは私と山南さんの我侭なんです。私は山南さんに山南さんのままでいて欲しい。それから、山南さんが私の本気の剣をみたいと望んだから。近藤さんにも見届けて欲しいから、お願いに上がったんです」
それには真剣でなければならないのだと、涙の跡の残る顔で、葉桜君は笑った。俺は葉桜君の嘘に気づいていたのに、葉桜君の願いを退けることはできなかった。
今目の前にいる葉桜君の瞳に迷いはない。葉桜君はまっすぐに真剣な目を山南さんに向け、口許だけほんの少し微笑んでいる。
吹いてくる風に、葉桜君の髪が背中で煽られる。今日はいつものように高くは結んでは居らず、ただ白い紐で一括りにしているだけだ。飾り紐も何もつけていないそれに葉桜君の本気が見てとれる。
「葉桜君はどうして、急に私と仕合をする気になったんだい?」
「そんなの、ただの気まぐれに決まってます」
山南さんに対して軽口を叩いているけれど、葉桜君の気合は見ている俺にまで伝わってくる。
自分について葉桜君は決して語らない。その流派は何かも探らせない。あくまで我流の喧嘩剣術だと葉桜君本人は言い張ってはいるが、どこかの流派には違いない。使う度にその剣は自在に変化する中には、俺が前宗家から聞いている完全な気合術も含まれる。その上で柔術も習得し、原田君の話では槍術もそれなりに扱えるようだ。
「今度はあの時のようにはいきませんよ」
「それは楽しみだ」
合図として、桜庭君の声が張り上げられる。
「始め!」
それ同時に葉桜君が低く飛ぶ姿が俺の目に映り、ほとんど時を置かずにその姿が山南さんと剣を交わす。澄んだ高い音が辺りに響き渡り、木霊した。こうして傍から見る葉桜君の剣はひとつの舞を見るように綺麗な剣で、山南さんの教本通りの剣筋と葉桜君の流水のごとき剣筋が交わり、離れ、また高い音で交わされる。両者互角だが、笑みを浮かべる葉桜君に余裕は見えない。一撃一撃を受ける山南さんにも油断はない。二人は数大刀を交わした後で、互いに機を窺い、再び遠く間合いを取る。
ごくりと、誰かが唾を飲む音が俺の耳に届いた。誰も言葉を発せない中で、葉桜君のかすかに乱れる息遣いが聴こえる。
「あの時と同じかい?」
「ふふっ、その通りです」
辺りが静かすぎて、二人の穏やかな会話は見ている俺たちの元にまで届いてくる。距離はそれなりに離れているはずなのに、かすれることも無く聞こえてくる中、葉桜君の眼が一度閉じられ、ふわりとその気が変わった。
葉桜君のその気を色で例えるならば、透明だ。風の流れに、空気に溶け込むような細く細かく気が放たれ、それは神事を受けるときのものによく似ている。世界を受け入れ、世界をその身に受けるような、そんなことを教える流派など誰も知らない。だが、それは喧嘩剣術などで身につくものとは異にするということだけは、誰にだってわかることだ。
「これが最後ですよ」
葉桜君の宣言に何かを感じているのか、山南さんが高ヲを変えたのが見えた。誰も動くことができないで、ただ静かにさざめく葉擦れの音ばかりが辺りを満たす。
そして、今度は葉桜君が斜め上に高く飛ぶ。葉桜君は上から山南さんに剣を振り下ろし、当然それを山南さんも防ぐ。攻防の音が数回聞こえてきてーー。
気が付けば、俺たちからも山南さんからも離れた位置で俺たちに背を向けた葉桜君が蹲っていた。脇腹を押さえているが、指の間から滲んでいる血が怪我を知らせる。
「止め! 葉桜さんっ」
桜庭君が駆け寄ってこようとするのを目だけで制し、葉桜君が声を上げる。
「やはり山南さんは、強い、です。また、私は、避けられなかった」
葉桜君から一間離れた位置で立っている山南さんの姿が、次の瞬間揺らぐ。北辰一刀流の免許皆伝を持っている山南さんが剣に倒れる所など、俺を含めて、ここにいる誰も見たことがなかっただけに、衝撃が走る。
「山南さんっ!」
無傷ではないにしても、意識を失っている様子の山南さんと、意識のある葉桜君の力量は明らかだ。口々に皆が山南さんの元へ駆け寄ってゆく中、烝だけが葉桜君に駆け寄るのを俺は見ていた。
「葉桜ちゃん、アンタ何考えてんのよ」
「私はいいから。医者、呼んであるでしょ?」
声を掛ける烝に対しても、葉桜君は顔を上げずに言う。翌゚頼まれていたらしい烝は不満気に叫び返す。
「あるわよっ」
まだ葉桜君の腹部からは鮮烈な赤が溢れているが、彼女は痛みを堪えて一人で立ち上がり、烝にふわりと柔らかく微笑んだ。葉桜君が無理をしているのは離れている俺にもわかる。
「ふっ、山南さんをお願い、ね」
そのまま歩こうとする葉桜君に手を伸ばす烝を、彼女はじっと見つめるだけで制する。伸ばせない腕を堪えて烝が叫んでも、葉桜君は無理やりに作った笑顔のままで。
「アンタだって」
「これぐらい、何でもない」
「…バカっ」
身を翻して烝が山南さんの元へ行くのを少し寂しげに見届け、ぐっと足を踏みしめて葉桜君が歩く。ざしゅっ、ざしゅっ、と一歩一歩踏みしめるように歩く葉桜君の頬に、俺はきらりと光るものを見た。唇は強く結ばれ、勝ったはずの葉桜君の方が悔しげに去ってゆく。俺がその肩に手をかけると、葉桜君は強く身を縮こまらせる。
「葉桜君」
「…近藤さんも、山南さんのそばにいてあげてください」
「君も手当を」
「私は、大丈夫ですから」
強く眉根を寄せている様子しかわからないけれど、痛いのだろうと俺が手を緩めた隙に、葉桜君は俺の手を外して歩き出してしまう。
「ひとりにさせてください。後でどんな処分でも受けますから」
そうして、葉桜君は傷ついた体を一人で引き摺って歩いていってしまって、誰にもその背を追わせないで。一人で、何かを、辛い何かを堪えているようで。
俺は、葉桜君の望むように、山南さんの元に足を運ぶしかなかった。
「近藤さん、葉桜は」
近づいてきた俺をトシが呼び止める。
「……うん、一人にしてほしいってさ」
「怪我は」
「……大丈夫だよ、葉桜君なら」
何を根拠にそう口に出来るのか、俺にもわからない。だけど、正式な仕合とはいえ、山南さんを、仲間を傷つけた葉桜君に対して、俺はどうしたらいいだろう。許可を出したのは俺で、二人の力量を知っていれば止めることだって、俺にはできた。そうしなかったのは、葉桜君の決意を知りたかったし、彼女なら今の山南さんを生かす術を知っている気がしたからだ。
「トシ、俺は……」
俺はどうしたら良かったのだろう。葉桜君が動く前に俺には何かをできたかもしれないし、できなかったかもしれない。二人が傷つくと卵zはしていたのだから、この勝負を止めるべきだったのかもしれない。
「近藤さんが気に病むことはねぇよ。葉桜は最初から勝手だろ」
俺たちの意見なんか聞いた例が無い、と呟くトシは心配そうに葉桜君の歩いていった方向を見つめていた。
(葉桜視点)
遠くから騒ぎ声が聞こえてくる中、私は眠っている山南の枕元でじっと座っていた。他の誰にも看病なんてさせられない。これが私の責任だからと皆を追い出し、時折魘される山南の汗を拭く他はただじっとその顔を見つめていた。
私自身、こんな方法しか思い付かない自分が嫌になる。いつもいつも結局、剣に托む方法しか見つけられない自分を時々どうしようもなく殺してしまいたくなる。
「私は馬鹿だから、これしか山南さんがここにいられる方法が浮かばなかった」
眠っている山南が聞いていても聞いていなくても構わないと、私は小さな声で言い訳る。
「だって、山南さんは優しいから今のままならきっと苦しむでしょう。私はどうしても山南さんがここで塾と続ける理由が欲しかった」
山南はこのまま新選組に居続けたら取り返しのつかないことになるのが目にみえていて、そして私が依頼人に託されたあの紙もそれを証明していた。だから、私はどんな理由をつけても山南を新選組の道から引きずり下ろさなければいけなかったのだ。
「やりすぎちゃったのは、山南さんが強かったから。その想いの強さを私は量りきれなかった」
「山南さんは私を恨んでもいいし、憎んでもいい。それを理由にしてもいいから、生きて」
布団から伸ばされた山南の手を、私は両手で掴む。
「この時代を生きて、子供たちを未来へ導いてあげてください」
うっすらと山南の瞳が開き、私を見て、いつもの通りに笑った。
「……何か、あるとは思っていたよ」
「わかってましたか」
「そんな理由だったとは」
「傲慢、ですから」
以前山南に言われた言葉を口にし、私は微笑む。
「私がいなくても生きて欲しいんです」
私は私を好きだと言ってくれる人に、これから残酷な事実を告げなければならない。だからこそ、看病するためとはいえ他の全員を遠ざけたのだ。これは私自身の罪だから、他の誰かに任せるつもりはない。
「この先新選組は山南さんの望まない武の道をゆきます。優しい貴方が耐えきれなくなるぐらいの道を行きます。そうなる前に、今の山南さんのままで居てほしいから」
告げなければ、と私は山南を握る手に強く力を込める。そうしなければ、私自身が耐えられそうもない。
私は山南さんから武士として、剣士として大切なものを奪ったのだから。全てを覚悟して、臨んだのだから。
「筆は握れるでしょうが、しばらくは剣を持つこともできないでしょう」
「……え?」
「でも諦めなければ、鍛錬によっていつ頃からわかりませんけど、元のように振れるようになります」
「葉桜君、何を言って……!?」
腕に違和感を感じたのか、山南の表情が常になく焦ったものに変わる。そして、理解をしたのか、私から顔を背けた。
私はゆっくりと山南から手を離し、それを布団へと戻す。嫌われると、憎まれると、わかっていても私は今日のことを後悔はしない。山南を失うことに比べたら、そんなことは瑣末なことだ。
「私を、恨んでください。憎んでください。それでも、私は山南さんに生きて欲しいんです」
私は山南の憎しみのすべてを受け止める覚悟をしていた。だからこそ、本気で山南に挑んだ。
「近藤さんたちには私から話をします。山南さんは新選組を、除隊してください」
私が話し終えてからも山南は顔を背けたままで、何も話さなかった。
山南が起きる前と同じく、私もじっと微動だにせずに座ったままだ。話すべき事を私は全て話したから、これ以上自分に何をいう資格もないとわかっている。
夜は静かに更けていって、またしばらく山南は眠った。山南は度々魘されては起き、それを夜が明けるまで何度も繰り返した。私は一睡もせずに付き添い続けた。
やがて、日の光がゆっくりと部屋を白く浸食してゆく頃、山南がゆっくりと起き上がった。倒れそうな体を支えようと私が手を伸ばすと、山南は私の腕を引いて、抱きしめてくる。私も無傷ではなかったから、山南に斬られた腹の傷が強く痛んで、抵抗できなかった。
「君はいつも卑怯だ」
痛みを悟られないように、私は何も言わずにそっと山南の背中に腕を伸ばす。
「ひとりで生きろと、そう言うのかい?」
「はい、私にはやるべきことがありますから」
「約束?」
「いいえ、私が……」
一瞬私はすべてを話してしまおうかどうか逡巡した。自分の役目のすべてを話して、それで許されることではないとわかってはいるがーー。
少し悩んでから、私は山南に全てを明かすことを決意する。私は山南から大切なものを奪ってしまったからというのもあるが、すべての流れから山南が解き放たれた今、明かしてしまったところで支障はないだろう。
「私がこの新選組を助けると約束をした者は、おそらく今私と共にいます」
ゆっくりと山南から身体を離した私は、山南の手を自らの胸に当てる。戸惑っている様子の山南に、私は続ける。
「約束に制約があるのはおそらくそのためで、今こうして私が話せるのは山南さんが歴史の流れから離れたからです」
「これから先のお話はしません。ですから起こるはずだった二つの未来をお話します」
ひとつ、と私は意識して口を動かし、自分が止めた未来のことを想う。小六が死んで、彼を斬った土佐藩士が山南との決闘で死んで、決闘に勝った山南が切腹する哀しい話だ。原因が外にあるだけに、私はこれをどうしても止めなければならなかった。だからこそ、あの時病をおしてでも小六の元へ行く必要があったのだ。
これはすでに回避できているから問題ないし、あの時の私は新選組隊士ではないから、隊に迷惑がかかることもない。
ふたつ、と私は山南の胸に手を当て、原因は誰も知りませんと前置きする。
「山南さんが脱走して、規律によって切腹する未来です」
山南自身、心当たりがないのでもないのだろう。私は山南の目が逸らされるのを、頬に手を当ててこちらへ向ける。
最近、土方と争っているのを数人の隊士たちが目撃している。私自身が見たわけでもないし、誰にも何も言われていない。だが、それでもそれが原因で二人の不仲が噂されていることも知っている。
「どうにか穏便に、山南さんに除隊して欲しかったんです。こんな方法しか取れない私を恨んでも憎んでも構いません。とにかく、切腹だけはさせたくなかった」
山南に剣によって死んでは欲しくないというのは、完全なる私の我が侭だ。その我が侭で自分が酷いことを言っていると、私も自覚している。でも、我が侭でも何でも、私は山南を失いたくなかった。
「切腹は責任をとることではありません。責任から逃れることです。剣の重みを感じているのなら、なおさら生きなければいけません。それが命奪う者、奪ってきた者の責任です」
はっきりと言い切ることができるのは、私がそれだけの死を見つめてきたから。これまで助けられなかった命、彼らの死に際の顔は決して私の脳裏から離れない。この手で奪ってきた者達の顔だって、私は忘れない。血に染まってゆく両手を夢に見、魘されたことだってある。だけど、それ以上に助けた人たちの笑顔によって自分は活かされているというのも私は自覚している。彼らに応えることが自分の使命だと考えてさえいる。
だから、本当は最初から新選組を助けることに、「約束」なんて理由はいらなかったんだ。
「私は近藤さんを、土方さんを、伊東さんを、藤堂を、鈴花ちゃんを、それから」
ひとりひとりを思い浮かべながら、まっすぐに見つめる私の姿が山南の瞳に映っている。
「梅さん……いえ、坂本竜馬を死なせないために新選組に残ります」
旧知だという山南は、梅さんの本当の名前を知っても動揺しない。やはり山南はずっと知っていたのだろう。知っていて、それであの人を見逃してくれていた。
山南の優しい手がそっと私の耳を撫で、髪に触れる。
「だが、それでは葉桜君自身が常に危険にさらされるだろう」
私は山南に向かって、大丈夫だと安心させるように微笑む。
「私の腕はその身で知っているでしょう? そうそう怪我はしませんし、それに」
私のこの体には、小さい頃から不思議が宿っている。それはそのまま巫女の資質だと言われ続けてきた。
ずっと皆に隠し続けていた自分の正体を、私は山南から目を逸らさずに告げる。
「東照大権現様が御守りくださいます」
私は祈ることではなく剣を取ることを選んだ時から、きっと新選組に来ることも、こうして大切な仲間に出会うことも決まっていたのかもしれない。今となっては、私にもよくわからないけれど。
「……そういうことか」
納得してくれる山南に、私はいつもとは違う笑顔を向ける。親しいものに対するのと同じ、柔らかさを自分でも感じる。
「そういうことです」
「それじゃあ、私に手が出せるはずもない」
「生涯修行の身ですから」
「日光藩に神を降ろさず、剣に強い女巫女がいるとは噂で聞いていたけど、まさか葉桜君だったなんて」
江戸開闢の祖、徳川家康を祀る日光藩にある東照宮には、二人の巫女がいる。表の巫女は専ら祈りを受け持ち、影の巫女は剣を持つ。その影の巫女が私だが決して表舞台に立たないから、知られていないだけにその行動に制限はない。行事で呼ばれることなどほとんど無いのだから、知っていると言うのは余程の人物ばかりだ。
影の巫女の役目は浄化、徳川に徒なす何かが出た場合にのみ、秘かに暗躍し、全てを収める使命を持っている。
私は何故山南がその存在を知っているかということは、追求するつもりはない。既に私は山南から奪っているものが大きすぎるから、そんな資格が自分にあると思ってはいない。
山南の手が私から離れるのに合わせて、私は身を離す。
「まあこんなに強くてカッコイイ巫女なんていませんからね」
冗談で言ってみたら、山南は顔を顰めてしまった。
「葉桜君は可愛いよ」
「山南さんの欲目ですよ」
「そうかい?」
山南に柔らかな顔で覗きこまれ、私は慌てて首を巡らせ、逃れる。時々山南はとても男の顔をするから、いくら私でも動揺してしまうのだ。
「可愛いよ」
「や、やめてください」
「……可愛い」
「山南さんーっ」
「葉桜君は可愛い」
「やめてくださいってばっ」
私は笑い出している山南を布団に寝かせて黙らせようと押し倒す。その拍子に、私の耳に襖の向こうで立てられた音が響く。
「……な、いつから聞いていたんですかっ?」
襖が開いた私が見つけたのは、隣の部屋で苦笑している近藤と、眉間に皺を二本も三本も立てた土方、呆気にとられた試衛館出身の面々と斎藤、山崎が揃って苦笑いを浮かべている光景だ。まだ夜も明けて間もないので、鈴花は自室に返されたのだろうと推測したのは、床に置かれた茶の数が合わないからだ。
「こんなに強くてカッコイイ巫女なんて、あたりからかな?」
「おいおい近藤さん、ウソはいけねェよ」
「そうですよ。山南さんの、葉桜さん自身が常に危険にさらされる、からしか聞いてませんよ」
「近藤さん、総司、ウソをいうな」
「だってさー、トシ、その前ってよく聞こえなかったじゃん」
「ええ、何故か隣の部屋で何を言っているのか聞こえなくなったんで、危うく踏み込むところでした」
山南の部屋に皆が入る前に、私は起き上がった山南を盾にして身を隠す。いくら何でも、これだけの気配に気が付かないなんて、私は相当気を張っていたらしい。ていうか、今絶対私の顔は赤いに違いない。
山南の苦笑が聞こえてきて、私は彼が近藤たちに気が付いていたのだと悟る。
「や、山南さん、知ってて言ったんですか!?」
「これから置いていかれるんだ。少しぐらいは、ね」
背中にいくら隠れていても、部屋に皆が入ってきては逃げる場所もない。しっかりと山南の背中にしがみつき、顔を隠す私を誰かがつつく。
「葉桜ちゃんて、褒められるの弱いわよねぇ」
「よ、余計なこと言うな、烝!」
たぶんきっと、近藤たちは私がこの部屋に入ってからもずっといたに違いない。だから、山南を傷つけたことを責められても仕方ないのに、誰も責めない優しさに私は泣きそうなのをこらえる。空気は穏やかで優しくて、背中に感じる気配はみんな笑っていて、そんなことが嬉しくて。これぐらいはしかたないかと、私は諦めの息を零した。
「そうか、葉桜君はこうやって褒めれば大人しくなるんだ」
だが、ぽん、と近藤が手を打つのを聞いて、私の背中に冷や汗が流れた。
すいません。
小六はちょっとお気に入りなんです。
いろいろこの辺からねじ曲がっていきます。
幸せな夢が見たいだけなんです(スプラッタですけどね、かなり。
自己満足度がめちゃめちゃ高い話になってきました(笑。
もうここまで書くのに三回も書き直したけど、手を加えたくなりますねぇ。
(2006/05/17)
やっぱり永倉さんが書いてて一番楽しいです。
苛め甲斐があるから♪←鬼畜
この先、山南さんが生きていたらという話はよくあります。
でも、個人的には塾長している方が山南さんらしいから。
(2006/05/17)
東照宮があるのは日光藩で、宇都宮藩に関わりは無いはずです。
大嘘書いてます。巫女の話も大嘘です。
オリジナルの適当な設定です。
あったら面白い程度で書いてます。
異常に強いヒロインの秘密暴露。
そのうち父親の話も書いていいかもしれない。
今後の山南さんは新選組の影の相談役、みたいな役所です。
本格的にオリジナルになってきたな…ま、夢ですから。
どうせみるなら、明るい夢のがいいですしね!
(↑明るい…か?)
(2006/05/17)
こっそり置いていた「42.5話」のリンクを外しました。
18禁だったのですが、は、恥ずかしかったので…!(だったら置くな。
(2006/05/22 15:54)
近藤のモノローグの人称を修正
(2006/07/06 09:56)
「裏の巫女」→「影の巫女」に変更。
(2007/1/7 16:06:31)
改訂
(2010/05/13)
改訂
(2010/05/17)
改訂
(2010/05/24)
改訂
(2010/05/26)
ファイル統合
(2012/10/09)
~次回までの経過コメント
伊東
「ここが西本願寺の北集会所…我々の新しい屯所ですか」
「西本願寺の方々や除隊した山南さんも、ここへの移動は反対されていましたが…」
「隊士の数を考えれば仕方のないことなのですかね…」