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書名:GS
章名:マスター

話名:練習曲


作:ひまうさ
公開日(更新日):2002.11.3
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:3417 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
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 開店前の店内に響くたどたどしいピアノの音色。曲目は友人が好んで弾いていたクラシックの…なんだったかな。とても透明なふわりとした優しさを乗せる曲だったと思う。あいつらしい不器用な優しさが一番現れる、そんな曲。

 それを何度もつっかえながら弾いているのは、あいつの教え子であった少女。名前は…あえて「生徒さん」で通しているが、よく覚えている。零一が連れてくる人間は数少ないし、中でも彼女は特別な匂いがしたから。

 彼女の名前は東雲 春霞。見た目は普通の少女だが、中身は相当の努力家で、かといって零一のように堅物でもなく。どんな人間でも心を許してしまうような、笑顔という名の武器を隠し持っている。

「あ~もうダメだ~っ」
 根気よく続いていた練習も、時に中断される。まぁ難しい曲だから、零一のようには上手くいかないんだろう。

「少し休憩したら?」
 見計らって、透明な液体を湛えたグラスを差し出すと、彼女はさっと取り上げ一気に飲み干した。

「ありがとうございます、マスターさん」
 そうして向けられる微笑に、思わずこちらも自然体な笑みが零れる。

「ここのお水はいつも美味しいですね」
「良いカクテルは良い水からって、よくいうだろ?」
「言いませんよ」
 軽口に返ってくるのは、柔らかな彼女らしい返事だ。別に彼女が未成年であることを気にしているのではなく、一応零一の彼女として、俺が酔わせるわけにはいかない。その心遣いあってか、大学に進学した少女は頻繁に顔を出す。零一とセットの時はデートの待ち合わせ場所として、今日のように一人でくる時は零一に秘密の相談事として。ま、後者は大抵無自覚でやってくるんだが。

「煮詰まってるの?」
「あは。見ての通りです」
 覗きこんだ五線譜にはいくつもの書き込みが為されていて、なおかつ応援ともいえるメッセージまで書かれている。

「そういうときはね、少し目を閉じるんだ」
「目?」
「それで曲のイメージをする」
「…曲の」
「それがハッキリしたら、鍵盤に指を置くんだ」
 言われた通りに素直な彼女が動く。数分、そのまま彼女が動かなかったので離れようとすると、背中にかかる声が呼びとめた。

「だ、ダメです~っ」
 振りかえると、何故か顔が真っ赤になっている。

「零一さんの弾く姿が浮かんで余計に…」
 一応、今のも零一の受け売りなんだけどな。それを今言うのは逆効果になりそうだ…。

「じゃぁ少し休憩しろって思し召しさ」
「でも~もう一ヶ月とちょっとしかないんですよ、零一さんの誕生日まで!」
 そう。彼女が最近来る理由はこれだ。誕生日に零一にピアノをプレゼントしたいというのだから、無謀にも程がある。でも、まぁやって出来なくもないと思ったから、こうして練習場所を提供しているのだが。

「まだそんなに先じゃないか」
 返事はわざとらしいくらい深いため息だった。

「…もっと真面目に、ピアノ習っとくんだった」
 悩んでも仕方のないことを何時までも悩む姿は、少し零一に似ていないこともない。付き合い始めると似てくるとはよく言うが、似せる箇所がちょっと間違えた風だ。

「まぁまぁ、大丈夫だよ」
「そーゆう根拠のない慰めなんかいらないですっ」
「根拠ならあるよ。3年間も零一の担当クラスでトップだったんでしょ? だったら、問題ないって」
 完璧主義なあいつのクラスなんて、俺は死んでもごめんだけどね。

「これとそれは別ですっ。あ~零一さんみたいに弾きたい~っ」
 それは、無理な相談だ。ピアノだけでしか自分を素直に表現できない零一と、誰の前でも素直になるこの子では、根底から違うんだろう。そこに零一も俺も惹かれるんだろう。

 俺も?

「そいつは無理だ。あの音は零一にしか出せない音だからな」
 ピクリと彼女の眉が跳ねあがる。

「マスターさんまでどーしてそーゆーこというんですか? 時々、零一さんによく似てますよ。そーゆうとこが!」
 かすかに頬を染めて、彼女はピアノに向かいなおす。

 そしてまた、たどたどしく練習が再開されて、俺はカウンターの中に戻る。

 彼女くらいのモノだ。俺と零一が似ているなんていう人物は。厭味でもなんでもない証拠に、言葉は甘いカクテルのようにゆっくりと俺の中に浸透する。その名がなんというのか、この時の俺はまだ知らなかった。

 さざめく嵐の前の波間のように、時は穏やかに流れていた。

あとがき

マスターフェア用に考えていたのですが…広がりすぎて失敗。
そのうち何かに続きます。何かに。
完成:2002/11/03