(山崎視点)
アタシが何となくどうしたのかと問いかけて振り返った葉桜ちゃんは、力無い微笑を零していた。その姿が儚く消えてしまいそうだったから、アタシはそのまま立ち去ることが出来なくなってしまったんだわ。
「なんて顔してるのよ、葉桜ちゃん」
アタシが隣に座っても、葉桜ちゃんの目はどこか遠くを見つめていて、普段の快活さの欠片さえも影を潜めている。
葉桜ちゃんは、こうして黙っていて且つちゃんとした女姿をさせれば、どこぞの姫君にも見える。というのに、本人は動きにくいという理由だけでしたがらない。アタシからすればもったいないものなのに、いろいろと理由をつけてしたがらない。
「新しい将軍様も決まったんだから、もうちょっと明るい顔しなさいよ」
「それはそうなんだけどさぁ~」
歯切れの悪い、乾いた笑いを零す彼女の側にアタシが座すと、葉桜ちゃんは持っていた扇子をぱちりと閉じた。
「山崎は今度の将軍様、どういう方だか知ってる?」
「神君家康公の再来って言われたキレ者よ。母親は確か皇族の人だったと思うわ。まあ、評判だけを聞けば期待できるんじゃない?」
「あんた自身はどう思うよ、烝ちゃん」
葉桜ちゃんは、はらりと扇子を開き、ゆっくりと空気を横に薙いではいる。その動作に大した意味もないだろうことは、長い付き合いでアタシもよく知っている。
「今は幕府としても難しい時期だし、この難局を乗り切るには相当の手腕が必要よ」
それは問題ないだろうけど、と葉桜ちゃんから小さな呟きが聞こえる。この口ぶりでは、どうやら彼女は一橋公とも面識があるようだ。葉桜ちゃんの本来の役目ーー徳川幕府の影巫女ーー柄のせいでもあるのだろうが、彼女はとにかく顔が広い。アタシも自分自身ではかなりのものと自負してはいるけど、葉桜ちゃんの面識の広さに比べると酷く狭く思えることがある。
「この局面はさすがにひっくり返らないと、思う訳よ」
葉桜ちゃんは扇子をひっくり返して見せ、珍しく弱気なことを言う。
「だから、まぁ容保様が辞職願いを提出するのは正しいわ。あの方はご無理が過ぎる」
「もともと会津藩全体としても快い決断ではなかったし、良いことだとは思う訳よ」
良いことだと言いながらも憂いているのは、もう葉桜ちゃんが気にかけることと言えば、ひとつしかない。
「いくら会津が退いても、近藤さんや土方さんたちは退かないよねぇ」
「そうね」
「つまりどうしたって、逃れられないってわけか」
葉桜ちゃんはまた、ぱしりと扇子を閉じる。さっきよりも強い音は何かの決意の表れのようであるが、誰が聞いても決して答えはしないだろう。アタシはただ葉桜ちゃんの頭に手をやり、そっと彼女の髪を撫でた。
「幕府が盛り返せるといいわね」
「そう、ね」
アタシは儚く消えてしまいそうな葉桜ちゃんの姿を引き寄せ、胸に抱き込んだ。普段通りに話していたはずなのに、葉桜ちゃんは今声も立てずに泣いていたから。
葉桜ちゃんが何を泣くのか、理由なんてアタシは知らない。でも、この子は抱えるものが、背負う荷物が大きすぎるのに、他の誰にも分けることも出来ずにいるのに、他の人の荷物まで背負い込んでしまう性だ。そんな葉桜ちゃんにアタシがしてあげられることがあるとすれば、ただこうして側にいてあげることしかない。
この新選組で、葉桜ちゃんの酷く脆い揺らぎに気が付いている者がどれほどいるだろう。彼女自身の立ち直りは早いが、崩れるのも早い。彼女の心は砂の楼閣のようなもので、どれほど創りあげても、いつもふとした拍子に崩れてしまう。誰か葉桜ちゃんを支えてあげられる人がいるといいのだけど、アタシはそんな人物を知らない。
だから、ひとしきり泣いた後の葉桜ちゃんにアタシは言ってみた。
「葉桜ちゃん。アンタ、誰か好きな男はいないの?」
「ふっ、何を馬鹿なこと言い出すのよ。私は烝ちゃんも大好きよ」
葉桜ちゃんはアタシの問いを茶化して、ふわりと微笑んだ。思わず見蕩れてしまいそうになる綺麗な笑顔だ。子供のままの、純粋さと何もかもを受け止め悟ったような暖かさがある笑顔だ。
「そういう意味じゃなくて」
「大切な人なら、いっぱいいるよ」
葉桜ちゃんの大切な人なんて、アタシにだってわかる。この子の中には、本当の意味での敵も味方も存在しないのだから。
「一番好きな人は?」
「父様」
「~~~葉桜ちゃんっ」
アタシが焦れた声で名前を呼ぶと、葉桜ちゃんはカラリと笑って返す。
「あはは、冗談だって。そんな人いるわけないでしょ、烝ちゃん」
笑って誤魔化そうとしたってそうはいかないんだから。
「もう、一人ぐらいいるでしょ!?」
「いるのかなぁ」
「葉桜ちゃんー?」
「いやん、烝ちゃん、目が怖ぁい」
アタシがどんなに聞いても、葉桜ちゃんは決して本当のことは答えてはくれなかった。だけど、ほんの少しだけ葉桜ちゃんの頬にさした赤みがそれを示唆しているようで、わずかな安堵がアタシの胸にも広がる。
「もう、少しは真面目に答えてよ」
「だから、一番はいないって言ってるでしょ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。皆が大切だから、皆を守りたいんだよ」
葉桜ちゃんが真顔でそんなことを言うから、アタシにはもうその先は追求できなくなってしまった。彼女のこの顔にアタシは弱い。強いようですぐに崩れてしまいそうな力無い笑顔に、強く出ることができなくなってしまうのだ。
「その中でアンタは何番目?」
アタシには葉桜ちゃんの答えがわかっていた。案の定、葉桜ちゃんは何も答えてはくれなくて、ただ優しく微笑んでいた。
葉桜ちゃんは子供が家族を大切にするのと同じように皆が大切で、自分はいつも二の次で。いくらなんでもそれじゃいつか死んでしまうだろうといくら言っても、笑って誤魔化し取り合わない。葉桜ちゃんはそういう女性なのだ。誰より強く、誰より弱く、誰よりも残酷なほどに優しい。
だから、アタシは葉桜ちゃんを放っておけない。この子を守ってあげなきゃいけないと、アタシは強く彼女の肩を抱き寄せた。
明るい話にしたいんですけど、容保様スキーとしては複雑になるわけですよ。
かなり無理をして会津公も守護職を務めていたわけですから、まぁ辞職願いを出すのは正しい。
でも、新選組は会津藩の預かりなわけで。
ヒロインとしては、もう複雑すぎる心境なわけで。
んで、なんだか面白くない話になって垂オ訳ありません。
(2006/06/28)
山崎のモノローグの人称を修正
(2006/07/06 15:16)
リンク変更
(2007/08/22 08:57:16)
改訂
(2012/10/23)