(沖田視点)
「総司、体調は?」
最近の葉桜さんは、毎朝僕に必ず開口一番にそれを聞くようになった。それで、よほど悪いわけではない限り、僕の手を引いて部屋の外へ連れ出すのだ。彼女曰く、閉じこもっているとシンキクサイ病になるというのだ。どう考えても彼女が勝手に作ったような病名に、僕からも笑いが零れてしまう。
春まだ遠きといった空は、今日も眼に痛いほど澄み渡っていて、葉桜に手を引かれているときに、時折僕は眼を閉じる。そうすると、いろんな音が飛び込んでくるのだ。
そよぐ風の声、揺らぐ木の葉の囁き。色んな人の足音と、僕と葉桜さんの足音が混じり合う。
部屋を出て直ぐの縁側に並んで座ると、葉桜さんは殊更楽しそうに僕を見る。
「総司、今日は何かしたいことはあるか?」
僕はこうして葉桜さんと会えるだけでも嬉しいのに、彼女はいつもそう訊ねてくる。僕がしたいことなんて、もうずっと決まっている。でも、僕が本当にしたいことを言うといつも困った顔をする。それで。
「ゴメン。これで、勘弁して」
葉桜さんはそう言って、ぎゅっと僕の頭を抱え込むように抱きしめる。この間は平気で僕の前に素肌を晒したというのに、僕が告白してから葉桜さんはすっかりそういうことをしなくなった。一応の良識を持っているということなのかもしれないが、意識されてなければそういうことをしてしまうなんて、それはそれで心配な人だ。
僕は葉桜さんの腕の中、彼女の薫りを思いっきり吸いこむ。彼女からは新緑と太陽の匂いがして、僕の心はほっと温かくなるんだ。
その香りを嗅いでいたら、今日はふとそれに似た思いを抱くもの達が、僕の心に思い浮かんだ。そういえば、こうして出歩くのも減っていたから、最近僕はあの子たちの様子を見に行っていない。どうしているだろ、ちゃんと生きているだろうか。
「葉桜さん、行きたい場所が出来ました」
「そうか」
ひときわ強く僕を抱きしめると、あっさりと葉桜さんは離れて庭に降りて手を差し出してきた。その行動に名残惜しさなんて微塵も感じさせない葉桜さんが、僕とのその思いの差を見せつけられるようで悔しい。だけど、まっすぐに僕自身を見てくれる葉桜さんの視線はとても嬉しいんだ。
「じゃあ行くか」
「はい」
僕が葉桜さんの手を取り、庭に降りたところで彼女の腕を引くと、抵抗されることなく僕の腕に葉桜さんが収まる。そうしたところで、僕らを見ていた人物が声をかけてきた。
「オメーら、出掛けるのか?」
もう少し放っておいてくれてもいいんですけどね、永倉さん。
「総司に用か?」
僕の腕の中で、葉桜さんは平然としている。
「…あ、ああ。用ってほどのことじゃねェんだけどよ」
どこか驚いた様子の永倉さんは、妙な顔で僕らを交互に見ている。
「あー…また後で来るわ。お邪魔したな」
「は?」
「んじゃな、総司」
立ち去りながらひらひらと手を振っている永倉さんを、僕と葉桜さんは二人で見送った。彼が完全に消えた後で、僕は葉桜さんを離し、二人で顔を合わせて笑う。
「あーありゃ絶対誤解したぞ、総司」
「そのほうがいいですよ。葉桜さんに余計な虫がつかないでしょう?」
僕を見ている葉桜さんは、また少し困ったように、笑っていた。
その顔を見る限り、たぶんまだ僕は芹沢さんどころか山南さんほどにも、葉桜さんの中で恋愛対象にはなっていないのだなとわかってしまって、僕は少しだけ寂しくなるんだ。
(葉桜視点)
葉の囁きに混じる彼らの声に、私たちは耳を澄ませる。かすかに聞こえてくるその呼び声に、私も思わず口許が綻んだ。
「なるほど、これか」
「ええ、さぁ急ぎましょう」
喜びで早足になる沖田を宥めるように、私はゆっくりと歩を進める。聞こえてくる「彼ら」の声はとても心地良く、彼がそんな風になるのも私には分かる気がする。
がさがさと先に葉をかき分けて進む沖田の後を、私は私の手を引く彼を宥めるように抑えつつ追いかけて。
「わっ!」
いきなり隣の草むらから、私の切ない胸めがけて飛び込んできたそれを、私は片腕で抱きとめる。
「ちょ、こ、こら! あは、はははっ」
直ぐに沖田が手を離してくれたため、私は懐に入り込もうとするそれを抱き上げて高く掲げた。と、それはにゃーと可愛らしい声を立てて鳴く。つまり、猫だ。
「カワイー!」
手の内で暴れる子猫を無理やりに抱え込んで、私はそれをぐりぐり撫でる。それをしながら私が沖田に近寄ると、こちらも既に両腕いっぱいに猫を抱えていた。
「なんだ、ここで飼ってるのか?」
「別に飼っているわけではありませんよ。ここは彼の家なんです」
沖田が指す方向を見ると、小さな小さな祠が立っている。なるほど、中にはまだ猫がいそうだ。風雨にさらされた小さな小さな古い木の祠は、意外と綺麗に掃除されていて、居心地はたしかに良さそう。私は猫を抱えたまま近づき、しゃがんで両手を合わせた。
「花でも摘んでこれば良かったな」
「え?」
「小さいけど、祠は祠だから。きっとこの祠の神様が、猫たちを守ってくれているんだよ。そのお礼にね」
私は手で辺りの枯れ葉を払い、軽く掃除をする。本当に気持ちだけ、だがしないよりはマシだろう。
そうしていると、背中に大きな猫が乗りかかった感覚に、私は手を伸ばして、腕の仲間でそいつを引き落とす。こいつはまた随分と丸々太った貫禄のある猫だ。千切れた片耳が歴戦の武芸者のよう。
「おまえが主か?
私がその猫の喉を撫でてやると、気持ちよさげにゴロゴロと鳴らす。それから、見た目よりもかなり身軽に体を翻して、私の腕から飛び降りた。そして、私の前に胡座をかいたように座る。まるで人間みたいだ。
「にゃー」
後から私の背中にかかるのは、すっげー濁声。
「総司、重い。寄りかかるな」
背中合わせに寄りかかられていると思ったからそう言ったのに、後ろから沖田の腕が伸びてきて私の前でしっかりと合わされる。
「葉桜さんは優しいですね」
沖田がそんな馬鹿なことを言うから、私はつい笑ってしまう。本当に優しいやつは、こんなふうに中途半端に沖田に近づいたりはしないだろうに。
「でも、時には突き放すぐらいのほうがいいんですよ?」
背中に響いてくる沖田の囁きを、私に突き放せるはずがない。それがとても酷いことだってことは、私も自覚してるんだ。だけど、弱ってる奴を突き放せるほど、私は人間が出来てないんだ。自分の胸の前で交わされている沖田の腕を、私は自分の両腕でぎゅっと挟み込む。
「私は、優しくなんかないよ。本当に優しい奴なら、総司を新選組になんていさせやしないさ」
私は沖田に生きて欲しい。だけど、私は沖田に抜け殻みたいに生きて欲しいわけじゃない。だから、新選組から引き離すなんてことはしない。できないんだ。
「いいえ、優しいです。葉桜さんはお父上が僕と同じ病だったのですから、僕がこれからどうなってゆくのかご存知なのでしょう? それでも、僕を近藤さんやあなたから離さないで置いてくれるのですから」
私は零れそうになる弱音を無理やりに飲み込み、無理やりに笑みを形作る。声に、涙が響かないように。沖田にそれを気付かれないように。
「はははっ、総司は馬鹿だなぁ。これから私や近藤さんと一緒にいるのはもっと大変なんだぞ」
これから沖田はどんどん体力は落ちて、こうしてここまで散歩に来ることだって出来なくなるかもしれない。剣も、今は持つことができるが、もちろん持てなくなるだろう。思うように体が動かなくて、そんな自分に落胆することだってあるだろう。
それでも戦いの中に、新選組の中に身をおいていなければならないというのは、どうしたって沖田の苦痛にしかならないかもしれない。だけど、沖田も父様のような剣士だから。それでも、そういう中に居たいとは思っているかもしれない。
剣士なんてものは周りの気遣いなんてお構いなしの馬鹿者なんだ。それで、そんな大馬鹿者を愛しいと、その心を守りたいと思ってしまう私は、もっと大馬鹿者なんだろう。そういう性分なのだと、私は自分でも理解しているし、否定するつもりはない。
「迷惑をかけることになるかもしれません。それでも、僕は葉桜さんといられるだけで満足なんです」
「総司、私は迷惑などとは」
私の耳に囁くように、沖田が続ける。
「ふふっ、だからあなたは優しいと言うんです、葉桜さん」
私は昔から耳が弱くて、でも新選組でもそれを知るものは少ない。沖田がそれを知っていたかどうか私は知らない。だが、まだ今の沖田なら私を支えられるから、私は力が抜けるに任せて、沖田に体を預けた。
「総司」
「耳、弱いんですね」
「おまえが望むなら今はいくらでも側に居てやる。だからな、何があっても生きるんだ」
私の耳のわざと吹きかける沖田の悪戯が、ぴたりと留まる。
「おまえが生きていきていなきゃ、私の守る世界にも意味がなくなるだろう」
「こんな時代だ。いつ誰が死んでもおかしかない。だけど、私は総司に生きて欲しい。生きて、この時代の先で幸せを見つけて欲しいんだ。剣以上の幸せだって、おまえなら見つけられるのだから」
山南さんにも言ったことを私は沖田に告げる。それは好意を示してくれる相手には残酷に聞こえるだろう。
これから先、誰かと一緒にいる自分を、私は得ることは出来ない。それを捨ててでも、私は新選組を救いたいから、選ぶことは出来ない。たとえ、裏切り者と謗られたとしてもーー。
沖田の腕が離れ、彼の気配が私の正面に移動してこようとするのを避けて、私は立ち上がる。緑雄々しい竹林の木漏れ日を仰ぎ見て、わずかに吹いてくる涼しい風は、ここでしか得られないものだ。とても暖かくて、私の胸もそれに似た想い出で詰まる。
「そろそろ帰るぞ、総司」
沖田から逃げるように私は一歩を踏み出す。
「待ってくださいっ」
「猫たちなら心配ないぞ、ここには良い守神がいるからな」
「こちらを向いてください、葉桜さんっ」
私は逃げようとしたのに、沖田に肩を掴まれ、無理やりに振り向かせられて。せめてもの抵抗に俯かせ背けた顔も、すべてが強い力で沖田の腕の中に閉じ込められた。沖田を気遣って身動きひとつできない私の顎を掴んで、彼は無理やりに顔を見合わせられる。
「ああもう、やっぱりそういうことなんですね」
彼と合わさる瞳には、涙を溢れさせた私が映っていることだろう。今は、私も視界がぼやけてよく見えない。
「僕の世界にも、もう葉桜さんがいなければ意味がないんです。あなたがいるから、あなたを守りたいと思うから、僕だって病と闘う決心をしたんです。だから、あなたも生きることを諦めないでください」
「諦める?私が?」
そんなつもりは少しもないと私は言っているのに、親しいものたちは誰も信じてくれない。
「ええ、そうです。僕は葉桜さんとこの先もずっと生きていたい。だから、葉桜さんも絶対に生き抜いてください」
普段は私が言っている台詞を口にする沖田に、私は瞬きする。
「総司…何故そんなことを」
瞬きの拍子に私の目から零れ落ちた水を、沖田が指で拭った。
「約束ですよ」
「ーー約束?」
「ええ、あなたは約束を何よりも重んじる人だから、こうすればあなたをこの世界に留めておけるでしょう?」
嬉しそうに力強く私を抱きしめてくる沖田の腕は、以前より加減を覚えたからか病の衰えからかはわからないが、柔らかくて温かくて優しい。私は彼の胸に、顔を押しつける。
私にとっての約束。それは沖田の言うように、なによりも絶対に守らなければならない誓約だ。違えるような約束なんて、私にはできない。
「総司、私は」
「約束してください。その約束さえあれば、僕には充分です」
違えるような約束をするなど、私の誠には反することだ。だけど、それが沖田が病と闘う理由になるというのなら。
「ーーわかった、約束する」
「絶対ですよ」
「ああ、だから一日も早く治せよ」
「はい!」
元気な声を胸に響かせて返事をした沖田に、私はやっと軽い笑いを零したのだった。
この約束を守るために、私は何を犠牲にできるだろうか。何も失わずに、守ることができたら、そうできる夢が叶うなら。きっと、これ以上に私が願うことなど無いだろう。
この頃の沖田の症状は労咳の末期なので、ここまで出歩けないと思います。
でも、つい一月前に剣を振っていたわけなので、こんな風にしました。
後、労咳(肺結核)は伝染病ですし、こんなに近づくのは危険です。移ります。
ヒロインは巫女という使命のためにこういう病で死ぬことはないです。
斬られてもどれだけ死ぬ目にあってもあることがないと死ねないという呪いがあって
だからどんな無茶もできるわけですけど、剣に立ち向かうよりもかなりこれも無茶です。
なんだか先週から沖田祭りのようですけど、違います。
次回はもちょっと明るい話になる予定です(たぶん。
(2006/07/12 09:30)
改訂
(2012/11/05)