幕末恋風記>> 本編>> (慶応三年弥生) 10章#友好的離脱

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(慶応三年弥生) 10章#友好的離脱


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.7.13 (2013.8.29)
状態:公開
ページ数:9 頁
文字数:22542 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 15 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
十章「友好的離脱」本編
1#意外な訪問:揺らぎの葉(74)
2#別れの挨拶:揺らぎの葉(75)
2#別れの挨拶:揺らぎの葉(76)
3#友好的離脱:揺らぎの葉(77)

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p.1

1#意外な訪問







 目の前で眠っている人はしっかりと私の袖を掴んでいて、それで隣に居る人はしっかりと私の肩を抱いていて。

「…まさかお二人が来るとは思いませんでしたよ」
 私が朝から盛大にため息を吐くと、山南は楽しそうに笑ったのだった。

 いったい誰に聞いたというのか、二人とも伊東ら御陵衛士の門出を祝いに来たというのだ。二人とも合意の上でまっさきに私の部屋に向かい、縁側でぼーっとしていた私は驚いて慌てて自分の布団に沖田を寝かせたのだ。いくら何でも八木邸からここまでは距離がある。二人とも休みながらゆっくり来たとは言っていたが、無理しすぎだ。これは帰る頃に、誰かに送らせた方が良いだろう。

「元気そうで安心したよ」
「え?」
「才谷さんから葉桜君が落ち込んでいるようだと聞いたからね」
 山南のセリフで、私は才谷が今日の日のことを伝えたのだと気づいた。彼に言うなと口止めはしていないけど、もうすこし相手を考えてほしいものだ。沖田の病は、容易に出歩けるほど、軽い状況じゃない。

 まだ結う前の私の横髪がさらりと肩を流れ、山南の袖に絡んでいる。

「もしかして今度は才谷さんが危険だから、彼とよく逢っているのかい?」
 これもおそらくは才谷との話から悟ったのだろう。それを私に確認しているのだから、否定すれば安心させてあげられるかもしれない。でも、私は結局それには何も答えなかった。答えないことが答えとなる。それぐらいはこの人は分かってくれるだろう。私は山南の袖にかかる髪を払い、自分の髪を全部前にたぐり寄せる。

「そうか。止めても、ダメなんだろう?」
 私はただ無言でこくりと頷く。山南を直視できないのは、やっぱり心配されているのがわかるからだ。

「葉桜君は自分を顧みないところがあるから心配だよ。もう少しぐらい自分のために生きてもいいんじゃないかい?」
「私、自分のためにしか動いたことありませんよ」
「そうかな?」
「皆に生きてほしいって言うのは私の我が侭だから、最大限の努力をするのは当然です。それに自分のために生きていなかったら、とっくにここを去っています」
 役目のためというのであれば、私にはもうすぐにでもやらなければならないことがある。剣だけでは捌ききれなくなった徳川の業を、この身体を捧げて昇華するという役目が。でも、それを話せば、山南も皆も絶対に止めるから。特に、この二人にはだけは死んでも話せないと思った。

 理由はもうひとつ。その昇華を行ったとしても、それで幕府が生き残るとは私には考えられないのだ。日々ビリビリと肌に感じる緊張が、私に終わりの時を伝えてくる。もう業を昇華しても幕府の終わりは止められないと、新しい時代の波が確実に近づいているのだと世界が私に告げている。こんなものを人の身で留められるわけがない。それに、これだけの波を防ぐ術など、どの文献にも残ってはいないだろう。

 そう、これは大きな大きな津波のようなものだ。徳川幕府という時代を飲み込んで、新たな時代を切り開こうとしているのだ。

「自分のために生きているから、葉桜君は新選組に?」
「ええ、そうです」
 詠えよ舞えよと、時が、私の身体の血が騒ぐ。それを抑えこむように、私は自分の右手で左腕を強く握った。

「最初の約束のためというのもありますが、今は何よりも私自身が皆に生きてほしいから、ここにいるんです」
 これは半分は本当だ。だけど、もう半分は本当に、本当に些細なことーー私的なことだ。だって、私はもうここ以外にいる自分を見いだせない。ここから切り離されたら、きっと私はもうーー。

「沖田君と、約束をしたそうだね」
 私の肩を抱く手に力がこもったので、山南を見上げると、彼は何故か苦笑していた。

「私とも同じ約束をしてもらいたい」
「…山南さん」
「葉桜君がいてくれたから、私はこうして生きて子供たちに教え続けていられる。君がいてくれるから、こうして生きようと思える。だから全てが終わったら、絶対にここへ戻ってくると約束してくれ」
 沖田には生きる希望が必要だった。それに以前良順から、重病者には言葉だけでも些細な約束が大きな奇跡を呼び込むことがあるとも聞いたから、私は沖田と「約束」した。だけど、本当に私は、私には、それを守れる保証は何一つ無い。

「や、山南さん」
「私は葉桜君の役目を理解しているつもりだ。だけど、たとえ幕府が滅びることになっても、葉桜君には生きて幸せになってもらいたい」
 山南のその言葉は、私を驚かせるには十分すぎるほどの威力があった。

「っ、まさか、わかって…!」
 そういえば、山南は一般にはまず知られていないはずの影巫女の存在を知っていた。だとしたら、私と幕府との真なる関係を知っていたとしても、おかしくない。

 私は痛いほどに、強く山南の胸に顔を押しつけられた。同時に背中も苦しく、私はいつもされるよりも、強く山南に抱きしめられていることがわかる。

「お願いだ。私だけじゃない、きっと近藤君や土方君もそのことを知れば必死で止める。才谷さんも止めるだろう。だからこそ、」
 だめだ。ここで否定しなきゃ、否定、しなきゃ。

「だからこそ、約束してほしい。何があっても、生きて戻ってくると」
 震えそうになる声を、私は苦笑に隠す。

「山南さん、別に私は御陵衛士についていくワケじゃないんですし、戻るも何も。それに、巫女の役目が終わってもどうなるかなんて誰も知らないのに」
「私は、君の残してくれたあの場所でいつまでも待っているから」
 なのに、山南はそれさえも遮り、言葉を紡ぐから。

「約束、してくれ」
 山南の言う「約束」を私にはできない。それを口にしてしまえば、きっとこれからの私の決心はもっと鈍ってしまう。怜悧を欠く決心では、きっと誰一人救うこともできないし、結末は想像を超える悲惨しか産まないだろう。

 だから、私は笑わなくては。笑って、ここから逃げるしかない。

「どう、したんですか、そんなに気弱になって。山南さんらしくもない。山南先生がそんなんじゃ、子供たちが不安がりますよ」
「葉桜君…」
「あぁ、そういえばお二人とも朝餉はまだでしょう? 私もお腹空いたし、台所で何か見繕ってきますね」
 山南の緩んだ腕を即座に抜け出し、捕らえられそうな手を振り切って、私は一目散に部屋を後にした。

 いつのまにか沖田の手が離れていたことも気が付かなかったまま、私は途中で井戸へと立ち寄る。誰もいない場所で、水桶を引き上げ、顔を突っ込む。冷たさに、目に溜まっていた熱が引いてゆくと思ったのに、熱くなるばかりで。

 何度も、何度も顔を洗い流した。泣いてしまったら、ばれてしまうから。今日ばかりは泣き顔でなんていられないから。

 私は必死に笑顔を作っていた。



p.2

(山南視点)



 葉桜君がいなくなったあとで沖田君が目を開き、私に向かって薄く微笑んだ。

「あんまり葉桜さんを苛めないでください、山南さん」
 彼女を困らせたかったわけではなかった。私はただ、確かめたかっただけだ。葉桜君のもつ影巫女という役目に関しては、どれだけの情報を集めようともわずかな噂ばかりで、確証にいたるものは何一つない。それでも、私にはそれが「巫女」という名前を持っていることから、とても不安なことがあるのだ。

 影巫女の役割というのが、彼女の言うように徳川の業を浄化するというのならば、それが出来ないほどの状況になったとしたら、と。例えば、その業を彼女の行なっている今の技だけで浄化しきれないとした場合、そこにはもう為す術がないとは思えない。

 大体その場合には「巫女」という者は、自らを犠牲にして浄化するというのが昔からある方法だ。人柱、生贄、そういった役割を持っているのが、巫女という者たちなのだと。

 だから私は、葉桜君も彼らと同じではないかと思ったのだ。

 私が約束をしてほしいということを話し始めてから、ずっと葉桜君は震えていた。私の言葉のひとつひとつを怖れている風だった。そして結局、私とは約束をしないまま、この腕を抜け出してしまった。

「逃げられましたね」
「そのようだ。まあ、もともとそう簡単にいくとは思っていなかったから、構わないよ」
 私が肩を竦めてみせると、沖田君は小さな笑いを零した。

 そういえば、もう一つ今日は妙なことがある。今日、伊東君らの門出を祝う宴をするという話だったが、それならば葉桜君があの時間にまだ部屋の前で呆けているというのは珍しい。彼女であれば、伊東君らのために何かしらの贈り物でも見繕いに出かけていてもおかしくはないのだ。今夜宴だといっても、昼間は巡察の隊士もいるし、新選組としての仕事がなくなるわけではない。だからこそ、彼女は町へ出ているかと思ったのだ。

 それから、縁側まで出てきていたのに、葉桜君が髪を結っていなかったというのも変だ。時折監察の手伝いで女姿になっていることは知っているが、それ以外は普段の平服を寸分の隙もなく着こみ、きっちりと二色の飾り紐で結い上げている。というのに、今日の彼女は紐を手にしたまま、ぼんやりと手遊びをしている風だった。

 髪を結っていないときの葉桜君は、まるで年端もいかない小さな女の子のようで、強く庇護欲をかき立てられる。守ってやらなければ、と思ってしまう。彼女の腕の程を知っていても、それはいつも変わらない。

 この手に抱いた肩は小さくて、羽織に触れる髪はさらさらと砂がこぼれ落ちるような音を立てて。そのまま砂となって消えてしまいそうに思えてしまって、だからこそ私は余計に不安となってしまった。葉桜君は存在が強いのに、いつでも消えてしまいそうな希薄さまでも持ち合わせているから。

「少し、焦りすぎたかな」
「ふふふ、山南さんでも葉桜さん相手だとそうなるんですね」
「彼女は揺れる木の葉のような人だからね」
 不思議そうな沖田君に、私は笑いかけた。

「掴んだと思ってもすぐにすり抜けてしまうだろう?」
 葉桜君が落ちる先は誰の手の上か、それとも誰の手にも落ちずに消えてしまうのか。その行方は未だ誰にも分からない。

 誰かの走り来る気配を感じて、私は障子を開ける。そこでは大きな巨体の島田君が、盆を手にして待っていた。

「山南先生、沖田先生、おはようございます。葉桜さんから言付かり、朝餉をお持ちしました」
 完全に逃げられたなと、私は沖田君と二人で笑い合う。理由を知らない島田君は不思議そうに首を傾げていた。

 葉桜君は私たちと話すことを怖れている。沖田君の話では、今以上に好かれることをも怖れている。無駄なことと知りつつもそれをするのは、やはり近く彼女がいなくなるということを示唆しているのか。答えを出すには早計かもしれないが、私には妙に確信があった。

 私は新選組を出てから数えるほどしか、葉桜君と二人で逢う機会は減っているが、会話の端々に見え隠れする、彼女の不安は口にしなくても感じられた。それは日を追う毎、年を重ねるほどに強くなってきている。

 きっと近藤君や土方君たちもそのことに気がついているはず。今日、沖田君と新選組に足を運んだのは、そのことも関係している。

「さて、沖田君、私は近藤君たちに挨拶をしてくるよ」
「先に行っていてください。僕は、もう少し休んでから行きます」
 朝食後、私は近藤君のいる場所へと足を向けた。この予感が杞憂であればいい。だが、もしも同じように近藤君らも感じているのなら、私は私が出来る限りのことをしたい。今の私にとって、葉桜君が生きて笑っていてくれることこそが、一番の願いなのだから。



p.3

2#別れの挨拶

(篠原視点)



 伊東君を筆頭に新選組と袂を分つことになり、移転先も決まっていよいよ明日移転することとなった前日、別れの宴を前に屯所内は浮き足立っていた。かくいうわしも、浮ついた空気を感じながら廊下を歩いていた時のことだ。

 辺りに広がるただごとならない殺気に、わしは思わず身構えていた。新選組には様々なものがいるとはいえ、ここまであからさまな殺気を放つ人物に心当たりはなかったのだが。

「篠原さん」
 殺気の元は、わしと二間の間合いを置いて、廊下の真ん中に立っていた。この場だけは重苦しい殺気に満ち、息を吐くことさえも躊躇わせるほど、それは強く重い。

 俺は葉桜くんと共に鍛錬をしたことはなかったが、その実力の程はよく聞いていたはずだ。だが、この時まで俺は、彼女に関するその話を半分も信じていなかったのだと、自覚せざるを得ない。目にしなければ、彼女の実力とされる噂が、本物だと信じることなど出来ないだろう。

 今の俺では剣に触れることも、指一本も動かすことが出来ないほどの強烈な威圧で。対峙して、初めて葉桜くんがとんでもない実力者だという話を俺は信じた。彼女を取り巻く空気は普段の様子からは想像も出来ないほど張り詰め、恐ろしいほどの緊張感と共に、恐怖が俺の背中を這い上がる。

「近藤さんを裏切ったら、私があなたを殺す」
 低くささやくような声は、空気を震わせ、俺の耳から入り込む。唾を飲み込むことも出来ない程の恐ろしさを感じながら、俺は同時に葉桜くんを綺麗だと思った。彼女は打ち上がったばかりのぬばたまの光を放つ刀剣そのものだ。その刃は黒く輝き、人を魅了する。

 ふっと葉桜くんが表情を崩すと共に殺気が消え去り、辺りが今まで通りの穏やかだがどこか浮ついた春の気配に包まれる。

「なーんて、冗談だよ、冗談。驚いた?」
 葉桜くんはいつも俺が見るように、カラカラと快活な笑い声をあげながら、ゆっくりと近づいてきた。とても今さっきまでと同一人物には見えないが、一度意識してしまえば、警戒に目を離せなくなる。

「今日別れても、伊東さんや篠原さん、御陵衛士のみんなも仲間だからな。私の力が必要なら相談してくれ。新選組の不利益とならない限り、絶対力になるから」
 俺の前で足を止めた葉桜くんは、いつまでも動かない俺の体を強く叩いて笑う。しかし、いつも聞いている明るい笑い声が、今の俺にはひどく遠いものに感じられた。これほどまでに近くで見たのは初めてだが、さっきから彼女は笑い声をあげているのに、その瞳の奥は真剣そのものだ。

「あ、ああ。ありがとう」
 俺が戸惑いながら返す言葉に対して、葉桜くんは下から俺を覗きこむように見上げ、にやりと口角を上げる。

「おーい、まださっきの冗談だって信じてないな? 言っただろ、近藤さんを裏切らなければ、二度とこんなことしないって。共に行くことは出来ないけど、伊東さんもこの命を懸けて守るから!」
 葉桜くんに片目を閉じて囁かれ、そのわずかな色に俺は一瞬動揺した。そして、理解する。彼女は普通の娘のようでいて、それでいて誰よりも強かなのかもしれない。

「…葉桜くんは、近藤くんが好きなのか」
「うん、好きだよ」
 あっさりと返された応えには、恋愛感情の色はまったく見えなかった。だが彼女は、次に顔を俯かせて、俺の胸を拳で軽く叩く。

「でも、篠原さんも好きだ。だから、私に剣を向けさせないでくれよ」
 笑いの含まれた声なのに、さっきまであれほどに強く大きく見えたのに、今度の葉桜くんはとても弱く小さく見えた。さっきまでは野生の狼に見えていたのが、いきなり仔兎にでもなったかのように見えたのだから、驚かされる。これが演技だというのなら相当の役者だが、あいにくと彼女が素直な性質であるというのは俺もよく知るところだ。

 葉桜くんは、泣いているのだろうか。もしそうだとしても、俺が慰めてもいいものかーー。その体に触れるか触れないか迷う間に、葉桜くんは鮮やかに身を翻し、俺を通り過ぎた。

「じゃ、また後でっ」
 振り返った先で、廊下の角に彼女が消えてから、俺は彼女に触れられなかった自分の手を見つめ、その手で顔を押さえて深い息を吐く。

 もっと早くから、葉桜くんとよく話をしておくべきだったかもしれない。伊東くんはずっと彼女を誘いたがっていたし、葉桜くんの思想は俺たちに近いのだと言っていた。だが、俺はどうにも葉桜くんが女であるという概念に縛られすぎていたようだ。あれだけの実力者なら、伊東くんが是非にもといっていたのがわかる。

「篠原さん、どうしましたか?」
「伊東くん」
 彼女が出てきたほうの廊下の端から声をかけられ、俺は苦笑しながら彼を見る。

「今さっき、葉桜くんに釘を刺されたところだ」
 彼女の名前を聞くだけで、伊東くんの表情が和らぐのがわかる。伊東くんは実力抜きにしても、彼女を相当に気に入っているのだ。そこに恋慕の情もあるのだろうが、それ以外での部分が大きいというのは話によく聞く。

「それは、痛そうですね」
 静かな笑いを零す伊東くんに釣られ、俺も笑いを零した。

「なんとなく伊東くんが葉桜くんを誘う理由が分かったような気がする。彼女はとても強く、ここに置いていくには綺麗すぎるな」
 俺がそう言うと、伊東くんは淋しそうに笑み零した。



p.4

(服部視点)



 今日の屯所内は普段よりも浮ついた、よくいえば陽気な空気に包まれていた。そんな中で唐突に感じた殺気に、俺は慌てて廊下へ飛び出したんだ。廊下に出た時には既に消えた殺気を探り、俺は廊下を足早に急いだ。方向は局長室の方でもなければ、入口でもない。屯所内であまりに唐突に現れ、あまりに唐突に消えた。今のは一体、なんなのだろう。悲鳴もなければ、誰かの気配が消えたという程でもない。そう、本当に唐突に現れ、唐突に消えた。

 喧嘩、ならまだいい。だが、もし新選組を狙う間者がという話なら、別だ。これから出て行くとはいっても、俺も新選組なのだから。

 そんなことを考えながら廊下を急いでいたら、葉桜さんが俺の腕の中に飛び込んできた。まさかそんな風に誰かが来るとは思わなかったが、彼女と気づいた俺は瞬時に判断して、その場に踏みとどまった。

「おぉ、さすが服部さん。これぐらいじゃ動じないですね」
 俺も着物越しとはいえ、密着した彼女の体温に充分動揺しているんだけど、葉桜さんにはわからないようだ。彼女は俺の腕の中で顔をあげて、悪戯を画策する様子でにやりと笑っている。

「ずいぶん楽しそうだね」
「うん。だって、こういう門出ってのは何があろうと笑って見送ってあげるって相場が決まってるからね」
「そうなのかい?」
 俺は葉桜さんを持ち上げて、自分の身体から離した。以前彼女が倒れた時も思ったが、彼女は見た目よりも軽い。普通の女の子よりは多少重いのかもしれないが、それでも剣士として鍛えている割にはその重さをあまり感じない。肌の感触なんかも普通の女性よりは引き締まっているようだが、筋肉が付いている割に軽すぎる気がする。よく自室の前の縁側で手酌している姿を見るが、食事はちゃんととっているのだろうか。

「そーだ、服部さんにも餞別あげよう」
 持ち上げた葉桜さんを床に下ろしたと同時に、彼女が急にそんなことを言い出した。唐突なのはいつものことだが、妙に近い彼女との距離に普段との違いを俺は見つけられなかった。

「そんな、別に気を使ってくれなくても」
 断ろうとした俺の言葉が、淡く甘い香の匂いに包み込まれる。理由は、葉桜さんが俺の首に両腕を伸ばして抱きついてきたからだ。そこに恋愛感情がないのは、知っている。彼女にとっては、子供にするのと同じことなのだ。だが、あまり普通の女性は異性にこういうことはしない。いや、葉桜さんだからいいのか。

「ーー死なないで」
 若干混乱しながらも、再び彼女を引き剥がしかけた俺は固まった。葉桜さんの声は、聞いたこともない涙に濡れていたから。

「ここにひとり、服部さんがいなくなったら悲しむ者がいるのだと、覚えておいて」
 俺は新選組に入隊してから数度、葉桜さんと言葉を交わし、それより少ないほどの剣を交わした。葉桜さんはいつだって笑っていて、この俺がいつだって本気を出さなければ敵わない、と笑って諦められるぐらい強い女性で。でも、こんなに弱い一面も持っていたのだと、今更ながらに驚かされる。

「生きてさえいれば、いくらでもやり直せるよ。だから、簡単に命を捨てないで。きっと、生き延びて……っ」
 倒れた葉桜さんを山南さんの塾へ運んだ時に、山南さんから葉桜さんがとても仲間想いなのだという話を聞いてはいたけれど、それでもいざそれを表にされるとどういう反応をしたらいいか俺は困った。

 ずっと、彼女が伊東さんや俺たちに線を引いいていたことに、俺は気づいていた。普段の生活ではよく話すし、よく笑う。だからこそ、その小さなことに気付くものは少なかった。葉桜さんは伊東派と目される者達と鍛錬をしない。巡察でもさほど目立つ腕前を見せることはないのだという。

 俺は一度だけ、早朝に彼女と剣を交わす機会があった。それは俺の尊敬する人の剣によく似ていて、彼女が言うには父親なのだということだ。腕前はーーおそらくはこの新選組内でも五本の指に入るかもしれないほどの、圧倒的な強さ。それをこうなるのがわかっていたかのように、彼女は隠していた。つまりはーー知っていた、のだろうか。

 そういえば、藤堂くんが葉桜さんは千里眼だから、と何かの折に零したことがあった。酒の席だからと気にしてはいなかったが、もしもそれが本当のことだとしたら。

(まさか、ね)
 俺は内心の動揺を押し隠して、自分の抱きついている葉桜さんの頭に手を伸ばし、そっと撫で下ろした。

「ああ、もちろんだよ」
「絶対だよ」
「ああ、絶対」
「約束だからね」
「ああ、約束だ」
 子供のように言い慕る葉桜さんに、演技をしているような素振りはない。ただ、純粋に心配されているのは感じる。仲間、とは思ってくれているのだろうが、単にそれだけでここまで心配されるというのも解せない。

 葉桜さんは嘘をつけない素直な人だ。だから、きっとこの彼女の行動に、俺が考えるほどの他意はないだろう。他意は無いのだろうが、普通想い人にするようなことであっても、彼女は平気でしてくるから、困る。彼女曰く、男同士でも同じようなことをするだろうというのだが、いくらなんでももう少しぐらい自分が女だということを、自覚して行動してほしい。

 腕を離してくれた葉桜さんが、不安そうに俺を見上げるてくるのを、俺は上から彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫でて、隠す。

 葉桜さんに他意はなくても、俺としてはやはりわずかでも気になっていた想い人だから、今はきっととても人に見せられるような顔をしていないだろう。特に、葉桜さんはそういう自分に対する好意に関してはひどく鈍感だが、いざ目の前にすると全力で逃げるという噂だ。だが、どんな男であっても、こんなことをされて気にならない方がおかしい。

 さて、葉桜さんのこの距離からどうしたものかと思案していた俺は、突然強く襟を捕まれ、目の前に彼女の強気な視線がぶつかって、目を見開いていた。

 行動だけじゃない、その意思の強い瞳の奥がかすかに揺れていることに、俺は心底驚いた。

「破ったら、絶交だからね!」
 葉桜さんはやはり子供のようなことを笑いながら言ったけれど、その瞳の奥は泣いていたように感じた。彼女の手が離れ、こちらがどうしようと悩んでいた距離を、彼女はあっという間に開けてくれた。止める間もないとはこのことか。葉桜さんは、他の者にも挨拶してくる、と元気に駆けて去ってしまった。俺が後を追うこともできないほどに速く、その姿が視界から消える。

 伸ばしかけた腕を押さえて、俺はその場に留まった。追いかけたところで、俺に葉桜さんを止められるわけがない。山南さんや伊東さんが時折称するように、彼女は風に揺れて落ちてゆく花片のような人だから。

「服部くんも葉桜くんに挨拶されたのか」
 向かおうとしていた廊下の先から現れた篠原さんは、誰かの後ろ姿を見送りながら、真剣な顔で聞いてきた。おそらく、その誰かは葉桜さんだろうが。

「ええ、約束をさせられましたよ」
「約束?」
「生き延びるという、ね」
 そういえば、と俺はふとその可能性に気づいた。まさか葉桜さんは同じように今回出て行く隊士たちに「約束」をさせてゆくつもりなのだろうか。考えるだけでも、俺は良い気はしなかった。葉桜さんにその気がないのだとしても、出て行く隊士の中には、最後だからと彼女に迫るものも出るかもしれない。彼女は取り合わないとはわかっているが、今俺がされたようなことをされたら、思い切ってしまう者もいるかもしれない。そういうことを、彼女は考えたことがあるのだろうか。

「それだけか?」
「ああ、そうだけど?」
 不審そうな篠原さんから、俺は先ほどの殺気の元が葉桜さんであることとその事情、それから、どうやら誰彼かまわずあんなことをしたわけではないとわかり、ホッと胸を撫で下ろした。

 葉桜さんは、俺の手に余る女性だ。けれど、できればこの先も誰の手にもあの花片が落ちなければいい、堕ちてくれるな、と俺は心密かに願った。



p.5

(伊東視点)



 新選組から出て行くということが決まり、御陵衛士を拝命するまでは、実に目まぐるしい日々が続いていた。明日にはここを出ていくから、と今日は別れの宴が設けられている。

 そして、私はやはり諦めきれずに彼女を探していた。

 新選組一番隊副長助勤、葉桜。

 外見は女性にしては少し高めの身長に、女性にしては少し低めに意識された声。笑うと愛嬌の出る顔立ちで、男性からも女性からも好感が持てる。女性らしく長い黒髪は、どうやら面倒で切っていないというだけで、結うのもただ後ろで高い位置に年季の入った結い紐で結わえるだけだ。

 着ているものは男物ばかりで、言葉もわざと乱暴にしているようだが、育ちの良さは伺えた。彼女は気がついていないようだが、ちょっとした所作が違う。それに普通の女性ならばありえないほどのあの深い知識と教養。誰でも只者ではないと思うだろう。

 そう思って、近藤さんや土方さん、山南さんにも訪ねてみたが、彼らからは知らないの一点張りしか返ってこない。調べても何も出ないと、山崎さんや島田さんも言っていた。そう、古株である彼らも、そして何より、一番親密な桜庭さんさえも何も知らなかった。

 それでも、葉桜さんは信頼され、慕われている。それは私とともに新選組を後にする隊士達にも、同じ事が言えた。何故なのだろうと思ったが、それは彼女が信じられないほど素直に相手を信頼してくれるからだとわかった。直接言われるわけではないが、普段の行動も言動にも、彼女には一切のブレがない。きっと、これは彼女自身の資質によるものなのだろう。

 考えながら探していた私がようやく葉桜さんを見つけた時、彼女は井戸で顔を洗っているところだった。もう弥生も二十日を過ぎたとはいえ、いくらなんでも冷たい水を幾度も幾度も顔につけては、彼女は桶の中をのぞき込んでいる。

「葉桜さん」
 普段ならばこの程度で驚くことなどないはずなのに、葉桜さんはびくりと肩を震わせていた。その上、いつもだったら直ぐに形だけでも笑顔を浮かべて振り返るというのに、今は何故か振り返らないままだ。

「その声は、伊東さん?」
「はい」
 彼女は顔を上げて、努めて明るい声を出していたようだけれど。私はそれが強がりだと、気づいてしまった。時々、彼女は何かに耐えるように、顔を背けるのだ。その顔を見ることができるのは、おそらく山南さんぐらいではないだろうか。

 でも、今ここにいるのは私だけだ。何かに堪え続けている葉桜さんの背中から腕を回して、私は彼女を抱きしめた。

「何を泣くのですか?」
 触れて最初に思ったのは、この人も女性なのだな、と当たり前の事実だった。柔らかくて、ふんわりと優しい香りに包まれていて、そして、取り巻く空気が温かい。

 だけど、何度も顔を洗っていたのは、きっと泣いていたのを誤魔化す為なのだ。彼女は誰かに涙を見せるような女性ではないから、誰にも悟られないように涙を水で流してしまっていたのだろう。

「ふふっ、おかしなことをいいますね。私は泣いてなどいませんよ、伊東さん」
 先ほどとは違う本当の笑い声に、しかし今度は涙の色など微塵もない様子で。わずかに振り向き、私を見つめる葉桜さんはいつものように微笑んでいた。いつもと変わらない穏やかな彼女の笑顔に、ほっとする自分と寂しく思う自分がいる。

 葉桜さんはゆるりと私の腕から抜け出て、正面に立つ。

「伊東さん、新しい門出、おめでとうございます」
 彼女は満面の笑顔で私の両手を握り、極近い距離で話す。どんな理由があっても、やはり葉桜さんの笑顔は、どこかほっとする一面をもっていて、私を安心させてくれる。

「ありがとう。これからが苦労の連続だと思うけど頑張っていきますよ。近藤さんたちにも、御陵衛士ここにありという誉れを見せたいと思います」
 葉桜さんがそばにいてくれれば、万事順調にいくような気がする。これは私の不安の表れなのかもしれない。けれど、ほんのわずかな月日しか共にしなくても、新選組に根付いている葉桜さんに出会えたことを、私は純粋にうれしいと思った。

「葉桜さんや永倉君や才谷さんにも色々とお世話になりました。これで行く道を諦めては、彼らにも、私についてきてくれる人たちにも面目が立ちません。私は今まで信じてくれた人、盛り立ててくれた人を裏切るようなことはしたくありません。誰もが理解してくれるわけではないかもしれないが、それでも前に進みたい。そう思っています」
 私の言葉を聞きながら、葉桜さんの顔が輝いてゆくのをみるのが嬉しい。同時に、どれだけ私が葉桜さんを必要としているかわかってほしいと、ほんの少しの欲が出た。彼女から握られた手を、今度はこちらから握りなおす。

「できれば、きみにも一緒に来てほしい。そう思っています」
 私が言うと、葉桜さんは両方の眉尻を下げて、実に困った顔をする。

「その話は」
「私には葉桜さんが必要なんです」
 断られるのはわかっているので、私が葉桜さんの言葉を遮ると、彼女の笑顔が曇ってゆくのを感じた。でも、もうこんな機会はないと思うと、言わずにはいられなかった。

「どうか、今一度考え直してはいただけませんか?」
 彼女は一度視線を繋がれた手に落とし、それからゆっくりと顔をあげた。

「たとえ新選組とは道を別にしようとも、志は同じ、でしょう?」
 その笑顔の瞳の奥に、私はほんのわずかな揺らぎを見た。

「もちろん私も伊東さんたちが近藤さんに害をなすことがない限り、できる限りお手伝いします」
「でも、私はここにいなければならないのです。わかってください」
 私の指の間を葉桜さんという花片がすり抜けてゆくのがわかりながら、私はまた受け止められなかった。

 何度誘っても、彼女が頷くことはないとわかっていた。だけど、本当に、そうだろうかと疑ってしまうのは、こうして誘うときにいつも彼女の揺らぎが見えるからだ。

 理由はいつもひとつで、変わることはなかった。つまりはーー。

「葉桜さんは、近藤さんを、本当に好いておられるのですね」
「はい」
 即答とともに、葉桜さんの周囲に急に花が開いたような幻覚を見た気がした。それは、山南さんの話の時とは全く別で、なんというか身内ーーそう、父親を褒められたかのような無防備な笑顔なのだ。かなわないなぁと苦笑して、私は握ったままの葉桜さんの手を離した。

「もしもその気になったらおいでなさい。葉桜さんならばいつでも歓迎しますよ」
「ありがとうございます」
 葉桜さんが新選組を離れることは、ない。そうわかっていたけれど、最後の最後で口にした誘い文句にも、さらりと礼を言われてしまった。

「とりあえず、これできみとはお別れになります。どうか元気で」
「はいっ」
 私に背を向けて楽しそうに駆けてゆく葉桜さんの背中に、一瞬まばゆい光を見た気がして、思わず目を細める。

 葉桜さんはとても自由だが、不自由な人だ。思想的には間違いなく彼女はこちら寄りだとわかっている。何度も話しているし、彼女の考え方は驚くほどに自由だ。だが、決して彼女が私たちの元へ来ることはない。

 一度だけ、藤堂君が酒の席で零したことがあった。

「守るために」
 新選組を守るために、彼女はここにいるのだと。それは、近藤さんや桜庭さんにも、誰にも曲げることの出来ないものなのだと。

 それさえも教えてもらえない私に、彼女を追求する資格はないのかもしれない。ただわかっているのは、葉桜さんは私の手には捕まえられない人なのだということだけだ。

 私にできることはひとつだけ。願わくば、彼女の未来に幸多からんこと。



p.6

(葉桜視点)



 私もこんな行動を起こせば、彼が釣れないわけがないとはわかっていたんだ、実際。でも、やっぱりあの時篠原にはああするのが一番良いと思ったわけで、その行動を後悔するつもりなんて毛頭ない。

 誰もいない広い道場内で、私は相手の剣を受け流し、押される勢いに任せて間合いを取り直す。

「大石、おまえねー、いくら道場に一歩入ったからっていきなり真剣で斬りかかるとかはどうよ。もうちょっと考えようよー。他の隊士がいたら驚くだろー」
 私が軽口を叩きながら剣を持ち直しつつ注意喚起を促すと、大石は口元に薄い笑いを浮かべてきた。もっとも、私も自分の言うことがおかしいことぐらい気がついている。他に隊士がいたとしたら、いくらなんでも驚くぐらいじゃすまないだろう。

「なにいってんだよ。葉桜さんはわかってて俺を「誘った」んだろ?」
「誰が「誘った」!? 私はちょっと牽制をかけといただけで、別に誰かを殺る気もなかったし、大石を誘ったつもりもないっ!」
「じゃあ、なんでここに俺を誘い込んだわけ?」
 それはもちろん、こいつに道場と仕事以外で剣を抜かせるわけにはいかないからだ。大石は初対面から私に斬りかかってくるわ、いきなり人に接吻かますわ、人のいない時間帯に稽古してりゃ勝手に真剣で乱入してくるわ、と日頃から目に余るどころか問題行動が多すぎるんだ。

 それでも大石は新選組の一員で、こいつのせいでどれだけ状況が悪くなろうとも、新選組の一員である限り、私は大石の思い通りにはさせるわけにはいかない。

「ここに来なきゃ、あんた切腹だろうが」
「なんで?」
「抜刀しかけてた」
 一瞬の間の後、大石が珍しくお腹を抱えて大笑いしだしたのには、流石の私も驚いた。彼の突飛な行動には私もけっこう慣れてきたと思ったんだけど、こんな風に笑えるやつだったのか。

「おーい、大石」
「くくくっ、じゃあ聞くけど、葉桜さんは「誰に」「何のために」牽制かけてたわけ?」
 もしかして、と続けようとする大石に、私は言葉を遮るために打ち込んでゆくが、すぐさま切り返され、逆に受けるので精一杯になる。笑いながら剣戟受けてる大石は、怖いなんてもんじゃない。どう見ても変人ーーいや、戦闘狂、というのだろうか、これは。

「そんなもの近藤さんのために決まってる」
 私は剣を交わしながら、「誰に」という部分は綺麗に省いて、理由を述べてやった。

「そのために伊東さんたちが離脱するようにし向けたんだ?」
 飛び込んできた大石が剣を引かずに押し切ってこようとするのを、私もギリギリと押して、なんとか形を保つ。

「わかってるなら聞くなっ」
 しかし、いくら私でも長く男と鍔迫り合いをしている余裕はない。力も体力も敵わないことは自覚しているのだ。だから、一瞬の間を読んで、私は大石から距離をとった。

「ふぅん。あんたさ、近藤さんと伊東さんとどっちが好き?」
「は!?」
「答えてよ」
 真剣を鞘に収めた大石がにじり寄ってくるのを見ながら、私も同じく鞘に収め、まっこうから睨みつけた。

「なんで、大石にそんなことを答える必要がある?」
「俺が興味あるから」
 興味本位だと言われると、ますます私は眉尻を吊り上げ、眉間を強く寄せる。興味って、なんだ。確かに何度も言われているが、こいつの興味というのが恋愛方面でないことはわかりきっている。わかって、いた、はずなのに。

「なんで」
「そりゃ俺が葉桜さんを気に入ってるからだよ」
 即答で容赦なく不意打ちされて、とっさに私は思考も身体もすべてが凍りついてしまった。

 恋愛事は苦手だし、真っ向からそういう好意を向けられるのも苦手だ。そういう方面には鈍いと周囲には思わせているが、私はそれほど鈍感というわけではない。だから、彼らの好意にはちゃんと気がつくし、それを避けるようにも動いてきた。

 そう、ずっと私は避けているのだ。だから、こんなふうに正面からそれを向けられると、対応にひどく困る。どうして大石はいつもいつもいつも私の予想外なところでそんな言葉を吐くんだ。一度、正座させて小一時間問い詰めてやりたいもんだ。いや、それはむしろ私の方が危険だ。

「…じゃあ先に答えろよ。大石は伊東さんをどう思ってる?」
「俺? 俺は伊東さんを尊敬してるさ。山南さんやあの才谷さんもそうだったけど、あの人たちって偉いよね。未来だ、平和だって言葉を、素直に言えちゃうんだから」
 あまり怒ると言うことがない私だが、この時だけは違った。尊敬していると口で言いながら、蔑んでいるような物言いがひどく不快でたまらなくて。でも、そんなことを私が言ったところでこいつは動じないだろう。人の言葉に惑わされないところは、たしかに大石の利点でもある。

「なぁ、質問していいかな?」
「ダメ」
 私がはっきりと拒絶したにもかかわらず、大石は続ける。少しぐらいこちらの話も聞いてほしい。

「織田信長と豊臣秀吉、どちらが美しかったかって聞かれたらどっちと答える?」
「そりゃ信長だ」
「くくくっ、理由は?」
「なんとなく私が好きなだけだ」
「へぇ、だから山南さんが好きなわけ?」
 唐突に出てきた山南の名前に、私は純粋に不思議に思い、首を傾げた。今の流れで、何故彼の名前が出てくるのだろうと。

「理由、わからないなら教えてやるよ。それは信長が、未完、のまま死んでしまったからさ。志半ばで倒れた悲哀、それが美しさを感じさせるんだ」
 私が信長と山南を重ねている、と大石は言った。こいつは私を怒らせたいのか。

「山南さんは死んでない」
 冷静に言ったつもりの私の声はほんの僅か震えていたが、何故か機嫌の良い大石に気づかれることはなかったらしい。

「そう、志半ばで葉桜さんが殺したんだ」
 私は、どくん、と自分の心臓が脈打つ音を聞いたような気がした。それは私自身がずっと負っていた罪、重く心にのしかかっていたものだからだ。

 だめだ、こいつの言葉を聞いては。

「山南さんの肩を砕いたんだってねぇ? どんな気分だった?」
「私は!」
 声を張り上げて、大石の言葉を遮ろうとした。けれど、それはほんの少し遅かったらしい。

 気分?ーー最悪だったに決まっている。私は剣に生きる人の命を、どうなるかわかっていて、この手で砕いたのだ。今でも鮮明に思い出せる感触に、体が震える。あの後に剣を諦めてくれと告げた時の、悲壮な山南さんの顔を思い出してしまう。

 だめだ、今は思い出すな、と私は自分を叱咤した。今は耐えないと、だめだ。崩れてしまう。何もかも、泡と消えてしまう。

 遮ることは間に合わなかったけれど、言葉を止めた大石から視線を外して、私は続けた。

「大石が伊東さんたちのコト、嫌ってるって思ってたな」
「別に嫌っちゃいないよ。それよりも好きな部類に入るね。あの希望に満ちた瞳、最高だねぇ」
 何がとか、言われなくてもわかった。やはり、大石は狙っているのだろう。

 意識して大石の言葉を心から押し出す。これ以上、聞いてはいけない。やっぱり、こいつは危険だ。私のすべてを打ち壊そうとする。

 私は足早に道場の戸口へと移動した。大石の愉快そうな視線は感じるけれど、きれいさっぱり無視した。

「じゃあな、大石」
 目だけ振り返って、私は言い捨てるように道場を抜け出した。



p.7

 目的地も決めずにただ人の気配のない場所を選んで、私は屯所内を走っていた。

 どうしよう、これからどうしたらいい。そんなのは決まっている。私にできることは守ることだけだ。でも、これから出て行く伊東さんをずっと守るなんてことは無理だ。だって、私はこの新選組も守らなければならないのだから。

(自分がもう一人欲しいなんて、久しぶりに考えたな!)
 考えながら前も見ずに足早に外へ、つまり完全に一人で考えを纏めるために屯所の外へと足を向けていた私は、相当な混乱状態だったといえる。でなければ、前方から歩いてくる誰かを素通りしようとなんてしなかっただろう。その誰かは、隣をすり抜けようとした私の腕を掴んで引き止めてきて、私は彼が誰なのかを認識した瞬間、舌打ちしそうになった。誰かってのは、斎藤だ。なんて時に行きあってしまったのか、私は普段なら誤魔化しに浮かべる笑顔さえも取り繕うことができなかった。

「葉桜?」
「さ、斎藤……っ? なんで、ここに……っ」
 彼は私の顔を見たとたん、いきなり荷物みたいに肩へと担ぎあげた。

「こら、いきなり何すんだっ、離せっ」
 私は女にしては大柄で、大抵のやつなら、私を担ぎあげるなんて真似はできない。そんなことをされても、普段通りの私であれば容易に抜け出せたはずなのだが、この時は相当に冷静さを無くしてしまってたらしく、暴れても全然逃れられなかった。

 斎藤がまったく離してくれる様子がないことで、段々と冷静さを取り戻していった私は、彼が見た目よりも力持ちなんだとか、細いくせに筋肉質でやっぱり男なんだずるいなとか考えてて、気がついたら西本願寺でもかなり裏手まで連れてこられてた。この辺りはもうほとんど人も通らない。

 斎藤は私をその辺りの更に人目につかない縁側の端に私を降ろした。そして、すぐさま私の顔をのぞきこみ、眉をしかめて、私の頭を自分の胸に強く押し付ける。

「別れの挨拶にきた」
 頭に響くように聞こえてくる斎藤の鼓動に、私は気が静められてゆくのを感じた。なぜ、自分が斎藤に抱きかかえられているのかはよくわからないのだけど。

「そういや斎藤も御陵衛士と行くんだったな」
「ああ」
「……寂しくなるな」
 今回の伊東らの離脱で、かなりの数の隊士がここを離れてゆく。それを考えるだけで胸の奥が酷く寒々しく思えてしまうのは、何も時の先を知るからというばかりではない。極力関わることを避けてはきたけれど、それでも一時でも仲間であった者たちとの別れが辛くないことはない。

「本当にそう思っているか?」
 斎藤は疑うような声をかけてくるが、私の気のせいでなければ、彼の心臓の音が心なしか速く大きくなったような気もする。

「あたりまえだ。皆、大切な仲間だから」
 気のせいでなければ、少し落胆したような気配の斎藤の背中に、私は口元へ笑みを浮かべつつ両腕を回す。

「斎藤、おまえは大丈夫だと思うけど、油断するなよ」
「絶対に何があっても生き抜け」
 私が依頼人から渡された紙の中に、斎藤一の名前はなかった。だけど、やっぱり大切な仲間だから、心配だから。私が小さな小さな声でそう囁やいたら、いきなり引きはがされて、斎藤からまっすぐな視線をぶつけられた。

 それは然程長い時間ではなかったはずだが、少しの居心地の悪さを誤魔化すために、私は先に口を開いていた。

「斎藤、あんまり人の顔を凝視するもんじゃないぞ。それとも、何か私は変か?」
「ああ」
「ああ!?」
「いや、何でもない」
「あ、笑ってるなっ、全然何でもなくないだろ。なんだよ、どこが変なんだ!? 教え」
 問い詰めていた私の頭が、再びに斎藤の手で引き寄せられ、その胸に押し付けられる。なんだ、と抗う前に、見知った気配が近くに来たので、私はとっさに気配と一緒に息まで殺していた。

 庭木の影からこっそりと覗くと、道場の端ぐらい離れた屯所の庭に、鈴花がいた。一人でため息をついて、彼女は何しているんだろう。内心で私が首を傾げていると、そこに気配がもう一つ増える。今度来たのは、藤堂だ。周囲を伺いながら向かい合った二人のやり取りは、どこか甘酸っぱい感じの微笑ましさを感じる。聞いているだけで恥ずかしいのだが、彼らは余程自分たちのことに夢中であるのか、ここに私達がいることには気がついていないようだ。

 ふと我に返ってみれば、そういえば斎藤に抱きしめられてる私たちも、傍から見れば十分に恥ずかしいことだろう。

「ええと、斎藤、なんでここに私を連れてきたんだ? 他に人に聞かれたくない話でもあったのか?」
 鈴花と藤堂の二人がそれほどの時間も置かずにいなくなった後で、私は赤くなった顔を俯いて隠しながらも斎藤の腕を抜け出し、彼に背を向けた。それは鈴花たちのいた方向とは違って、抜けるような春の青空と咲き始めの満開の桜が目に入る絶景だ。

 斎藤はしばらく間をおいてから、ぽつりと呟くようにそれを口にした。

「山崎さんから聞いたか」
 何をとかそういった事を一切省いた、無駄のない簡潔な問いは、他の者にはなんのことだかわからない。だけど、私は直ぐに思い当たって、小さく笑いながら答えた。

「ああ」
「それで、返事は」
 太陽が眩しいフリをして、私は眉を顰める。斎藤の視線は、背中に穴が飽きそうなほど、真っ直ぐに私に向けられている。

 伊東らが新選組を離脱すると聞いた数日の後、私は土方と山崎から、斎藤が伊東らについていく理由を聞かされた。彼は隠密として御陵衛士に潜入するのだという。彼らは、私もその任に就かないかと、尋ねてきたのだ。

 命令ではなかったのは、彼らは私が隠密に向かないと知っているからだろう。隠し事が苦手だという性分のは、出会った数日でバレている。隠している何かを明かすことはできなくとも、隠し事があると知れる時点で向かないだろう。

 だがしかし、伊東に好かれているらしい私には適任だと言う。巫山戯ている上に、矛盾すぎるため、私はどういう任務であるのかも山崎から聞き出してある。そういう山崎も、私相手に隠し事が相当下手だというのは、自覚があるのだろうか。

「断る、ともう伊東さんに言ってしまったよ。残念だったな」
 私は斎藤に背を向けたまま、立ち上がり、軽く肩を竦めてみせた。

「なぜだ」
 短い斎藤の問いかけにも振り返らず、私は青空に目線を預けたまま、囁くように言葉を続ける。

「こっち側で押さえるべき人間がいる。近藤さんも土方も忙しいし、あいつの腕に対抗できるとしたら、総司か永倉くらいだけどな。でも、片方は動けないし、もう片方はいなくなった人間の分、とりまとめるのに忙しい。だとしたら、私しかいないだろう?」
 ぐっと握った右の拳側、半歩後ろに斎藤が立ったのがわかった。

「なに、斎藤ならいけるさ。私などよりずっと適任だろう」
「誰を」
 実に短い問いかけだけれど、私は軽く笑って、首だけで斎藤を顧みて、答えた。斎藤はいつも通りの無表情だが、慣れたものなら、その目線の奥を感情を見抜けるだろう。

「あー話せないっての察してくれよ。それより、そっちこそ薩摩の動向に気をつけて。伊東さんたちが惑わされないように、しっかりみててやって」
 私は斎藤を残し、足を進めた。追いかけてくる気配はなかったが、私はまだまだやらなければならないことが多くある。

 ここからが正念場なのだ。たった一人のせいで、大切な者たちの多くを失うなんて、そんなものを現実にする気はさらさらない。

「頼んだよ、斎藤」
 彼からかなり離れてから、私が振り返ると、そこにはもう誰の姿も残っていなかったが。囁くような言の葉は、空に溶けて消えていった。



p.8

3#友好的離脱







 夕刻のもう早い時間から別れの酒宴が始まった。才谷が大量の良酒を届けてくれたからだ。おかげで、私も心おきなく楽しめる。

 隊士たちの輪を巡り、話をし、杯を交わし、また次へと繰り返してどれだけの時が立っただろう。私が近藤たちのところへ廻った頃には、才谷もだいぶ酔いが回っているようだった。

「梅さん、今日は良い酒をありがとう」
 才谷の隣に腰を下ろして礼を述べると、才谷は機嫌よく笑って、私の肩を叩く。

「そがいなこと気にせんでええ! わしは葉桜さんの頼みならなんだって叶えちゃると言おったが!」
 確かにそんな話をしたような気もするが、それとこれは別の話だろう。でも、酒の席でそんな指摘は、無粋でしか無い。だから、私も笑顔で言い返す。

「うん、おかげ様で最高」
 酒で赤く火照った顔を近づけてくる才谷が、私の顔に手を伸ばし、親指でぐいと私の目元をぬぐってくる。その一瞬だけ交わした視線で、私は才谷が酔っている振りをしているのだと悟った。別に黙っておいても害があるわけじゃないので、私は極自然にその手を外す。

「ほれほれ、葉桜さんも酒が足りないようやか!」
 バシバシと容赦なく背中を叩かれつつ、私は調子に乗る才谷をいなそうとした。

「ああもう、才谷はかなり酔ってるじゃないか。私が注いでやるからおとなしくしておけ。私が酌をするなんて貴重なんだぞ? あ、近藤さんも土方さんも」
 一瞬才谷から目を離した私の膝に、大きな重石が乗る。見れば、人の足を勝手に膝枕にしている男が一人。言わずもがな、才谷だ。

「う~め~さ~ん~っ! 勝手に人の膝の上に乗るなよっ」
 本当に調子に乗りすぎだ、と才谷の癖の強い髪に手を伸ばしかけた私は、すぐにそれを止めることになってしまう。

「葉桜さんはぬくうて柔らかいやか~」
 人の膝を勝手に膝枕に使った上に、不埒な手が私の尻を撫でるからだ。

「ひぁっ! こ、こら、変なところを触るなっ」
 私はとっさに才谷を蹴り飛ばし、難を逃れる。声を荒げる私の腕が、後ろから誰かに捕まれ、私は振り返った。

「僕も葉桜君のお酌で飲みたいなぁ~」
 今度は、酒で淡く頬を染めた近藤が相手のようだ。かと言って、さきほどの才谷と同じことをさせるつもりはない私は、しっかりと釘を刺す。

「はいはい、でも梅さんみたいな真似したら、容赦ないですからね」
 引きつった近藤の顔に私は溜飲を下ろし、にやりと微笑を浮かべて、近藤の杯に酒を注いだ。次は、とこちらのやりとりを眺めていた土方に向き直る。

「はい、土方さんも、一献どうぞ」
「いただこう」
 膝を進め、土方の隣で彼の杯に酒を注いだところで、私の手元の銚子の中身が空になる。調度良く、土方の杯も満たされたので、問題はない。

 ぐいをそれを煽る土方を確認し、すぐに私は次の銚子を探して、首を室内に巡らせた。

 皆が楽しんでいる光景に、顔も自然と笑み崩れてゆく私の袖を誰かが強く引き寄せる。危うく体勢を崩しそうなのを堪え、振り返った私の目に映ったのは。

「うわー烝ちゃんでも酔うんだー」
 珍しく目元を潤ませ、頬を赤く染めた山崎の姿だった。女姿で酔いしれる姿は、匂い立つほど。

「葉桜ちゃぁん、ヒック、アタシにはもうアンタしかいないんだからねぇ~」
 しな垂れかかってくる山崎を抱きとめ、私は彼の背中を軽く叩いて宥める。そして、山崎に声をかけようとしたとたん、その姿が私から引き剥がされた。だが、そこは山崎だ。すかさず、それをした相手に抱きついている。

「甲子ちゃぁん、ヒック、アンタみたいないいオトコがいなくなったら、アタシ、うううっ」
「や、山崎くん、そんなに一気に飲むと、悪酔いしますよ」
 泣きながら迫ってくる山崎に、困り顔の伊東さんというのも珍しい。

「だぁって~、アタシ、寂しい…」
「は、はは、困りましたね…」
 私は助けてくれという視線を送ってくる伊東に軽く微笑みかけ、ぽん、とその肩に手を置く。

「こいつがこんなに酔うのって珍しいんだよね。よほど伊東さん、気に入られてたんだね~」
「葉桜さん、そうではなくて」
「おーい、島田~!」
 彼らを置いて、私は部屋の隅でお茶を飲んでいる巨漢に声をかける。彼は、思ったとおりお茶と甘いお菓子を食べている。この人が酔ったところっていうのも一度見てみたかったんだよね。

「一献どうぞ?」
 噂によると、かなりの下戸だということらしい。だから、もちろん、大量に飲ませるつもりはなかった。

「葉桜さん、わしは」
「大丈夫! これはお酒に見えるけど、実は水だ」
 それじゃあと差し出してきた湯飲みにそれを杯の半分程度に注いでやる。もちろん、水というのは嘘だ。他の隊士が止めに入る前に、私は島田に酒を飲ませ、場を後にした。

 あとは、しーらないっと。



p.9

 宴も酣となった頃合いで宴を抜け出した私は、障子の向こうで酔っぱらいの騒ぐ声を聞きながら、一人手酌を傾けて、月を肴に飲んでいた。猫目の月が杯の中で揺らめき、波立たせれば、それはかき消え、光だけが残る。決して消えない光の影が何とも風流だ。

「俺にもいっぱいくれない?」
「大石…」
 了承なく隣に座る男が差し出した杯に、なみなみと注いでやる。いつ宴を抜けだしたのかなど、問う気はない。

「…葉桜さん、酒強いんだね」
 自分の杯の中を飲み干し、私は再び手酌を傾ける。

「はははっ、まぁ、酒で何もかもが消えるワケじゃないから、さ」
 酒ですべての罪が消えるというのなら、それもいいだろう。だけど、一時的に忘れたところで何になる。どれだけ酒を飲んでも酔えなくなったのは、それに気づいてからだ。酒ですべてを忘れて、何でもそれのせいにできるというのなら、いくらだって飲んでやる。だけど、どれだけ飲んでも私の罪は決して消えずにこの手を赤く染めるのだ。

 大石が来てから二杯めを私が空けたところで、彼は小さく呟いた。

「あんたは、わかってるんだな」
「え?」
「邪魔した」
 何を話すでもなく、本当に一杯の酒だけを飲んでいなくなった気配を追う。珍しく、大石も酔っている風だったが、どうだろうか。

「ーー月夜よし川音清けし いざここに行くも行かぬも遊びて行かむ、か」
 戯れに万葉集の和歌を詠み、また杯を口にする。これは、今みたいな状況にぴったりな歌だ。月は美しいし川音も清々しい、行く人も残る人も楽しもうではないか、とのことには同感。だけど、気持ちが追いついていないから戻れない。だから、一人でここにいる。

「なぁに一人で黄昏れちゅうんなが?」
 後ろからしなだれかかってきた相手に、私は深くため息を吐く。こいつも私と同じで、どれだけ飲んでも本当には決して酔えない性質なのだろうか。

「梅さん、人が珍しく真面目に浸っているんだ。こーゆーときはそっとしておくもんだろ」
 私が呆れた声で返すと、後ろから才谷に強く背中を叩かれ、大笑いされる。

「はっはっはっ、何を似合わないことをゆうちゅうんなが」
「こら、似合わないってなんだ、似合わないって!」
 言いながら、私の腕を引っ張りあげ、開いた障子の内側へと連れ込む。

「葉桜さんが今からぞうをもんだちなんちゃーじゃ始まらんきす。それなら、今日ばあ元気に伊東くんたちを送り出してやろうや」
 才谷に腕を引かれるにまかせて、私は宴の輪に足を踏み入れる。だけど、もう今日はどうにも酔う気分になれないのだ。困って才谷を顧みようとした私の耳元に、吐息がかかる。

「葉桜さんがほがなじゃー出て行く伊東くんたちがぞうをもむがで」
 そっと耳元で囁かれた言葉に私が目を見開いていると、才谷に頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。

「伊東くんはこれからが大変ぜよ。ここを出よっても元新選組ゆう看板は外せやせん」
 だから、と言う。

「ここを出る時ばあはしょうえい笑顔で見送ってあげやー」
 まったくもって、才谷の言うとおりだ。しんみりと送るつもりがないから、私だって酒を頼んでおいたのだから。

「私、伊東さんたちにお酌してくるっ」
「ああ、いってきーや」
 才谷に見送られ、私は笑顔で再び酒の輪に加わったのだった。

 宴は一晩中続き、皆で大騒ぎをして、楽しく夜は更けていった。でもこれから先、こんな風に皆で飲むこともないのかと知っているだけに、私は悲しくて。よりいっそう強く、あの事件を食い止めようと決意を新たにしたことは、以降誰にも話さなかった。



あとがき

今回の本編は長くなりそうな予感があるんですよ。
次は篠原さんに行くか、服部さんに行くか、鈴花が来るか、斎藤と密談か
どれかです(オイ。
(2006/07/13 21:46)


改訂
(2013/04/09)


2#別れの挨拶


篠原さんは実はあまり好きじゃない。
悪い人じゃないんですけど、なんでだろう。
ビジュアルか?
服部さんは好きです。
伊東さんと同じく良い人だなぁと思う。
んで、本当に強いらしいですね。
追加ディスクとかでこの人攻略したいなー!
(2006/7/19 11:37:55)


伊東さんとの話をもうちょっと書きたかったなぁ。
んで、やっぱり大石と穏やかに話はできるわけもなく(ヒロインが強すぎるから。
斎藤は唐突過ぎる人。
この人の視点で書けば良いんだろうけど、ものすごく難しいな。
だって、先読みすごいしてそうなんだもん。
まぁ、連れ去られたり抱きかかえられたりしたのは、ヒロインの泣きそうな顔が可愛すぎたってことです。
斎藤とのイベントももうちょっと書きたいなぁ。
でも、まだもっと重要な人たちがいるかなぁ。
(2006/7/19 11:49:32)


ファイル統合。
篠原さん視点を改訂。
一人称とか、口調をさっぱり忘れているのですが。もっかいやってこようかな…。
(2013/04/09)


服部さん視点を改訂。
ううん、この人メインの物語って読んでみたいかもー。
(2013/04/10)


伊藤さん視点を改訂。
(2013/04/11)


大石視点を改訂したのはいつだったかわすれた(え。
斎藤視点と分割&改訂。
(2013/05/14)


3#友好的離脱


本編最長記録更新!(よくない。
いくら何でも長すぎですよね~…
てか、もうちょっと長くしようと思っていたんですけどやめました。
更新に間に合わない。
だってー、宴会に沖田さんとか山南さんとか出してないし。
出したかったけど、最初に書いたからいいか。
いるってことで(アバウト。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。
たのしいのはここまでとか思わないで…!
それぞれにいろいろありますけど、これからですから!
(2006/7/19 11:55:16)


改訂
(2013/08/29)