幕末恋風記>> 本編>> (慶応三年睦月) 9章#大喪の令

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(慶応三年睦月) 9章#大喪の令


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.6.29 (2012.10.25)
状態:公開
ページ数:6 頁
文字数:12713 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 8 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)

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p.1

 先月、慶応二年の師走五日に一橋公が十五代将軍に就任し、同月二十七日に公武合体を強く推し進めていた孝明天皇が崩御された。公武合体を中心的に推し進めていた人物が亡くなっただけにその道は確実に遠のき、幕府の終わりも同時に近づいていく様な不安を私は抱えていた。

 孝明天皇に多大な信頼を得ていた京都守護職、松平容保様も深い哀悼の念を表し、新選組でも喪に服するようにと伝えられていた。だが、ここにきて隊内には不穏な噂がまことしやかに囁かれている。

「ありえないって」
「俺だってそう思うが、近藤さんらと篠原さんらがやりあってんのは皆知ってるからなァ」
「だからってさ、あの伊東さんが近藤さんを暗殺なんて」
「伊東さんはねェかもしれねぇけどよ、篠原さんは」
 こそこそと永倉の部屋で密談しているのは、部屋の主と私だ。私の部屋にはここ最近、毎日隣室から近藤と篠原の激論が聞こえてきて、おちおちのんびりと眠っていられない。というのが口実だが、実のところ隊内で近藤派伊東派と派閥が出来つつあるのを心配して、私は永倉と相談するためにきているのだ。こういう内容を今の私が相談できるのは、とりあえず山崎は永倉ぐらいしか思い浮かばないのだが、山崎は仕事で屯所内にいることが少ない。だから、自然と私の足は永倉のいる所へ向かうわけだ。

「どうにか仲直りは」
「難しいだろう。何しろ原因が思想の違いなんだ。このまま行っても平行線にしかならねェよ」
「だよねぇぇぇー」
 他から見れば、普段よりも幾分二人共声は抑えているが、しかし永倉も私もこそこそするというのとはほど遠く見えるだろう。ただ二人並んで、部屋で横になって世間話をしているだけにしか見えないはずだ。

「永倉、痛いから引っ張るな」
 寝転がりながら、私の髪を指に絡ませ弄ぶ永倉に、私は顔を顰めてその手の上から自分の手を畳に打ち付けた。それを避けた永倉は、くすくすと隣で忍び笑っている。

「なァ、こうして横になってる時も葉桜の髪はからまねェのな」
 避けた後も永倉は髪を弄るのを止めず、ひと掴みを持ち上げ、そのまま指の間をすり抜ける様子を楽しんでいるようだ。

「手入れなんてしてなさそうなのに、綺麗だ」
 確かに私の髪は長くとも絡むことが少ない直毛で、結い上げるのも毎日一苦労ではある。こんな風に直球で褒められたことが少ない私は、永倉のそれをからかいと受け取った。

「ばっ! …あんまり巫山戯たこと言うと蹴るぞ」
「マジなのになァ」
「な~が~く~ら~?」
「はいはい、もう言わねェよ」
 私から顔を背けて、くつくつという笑う永倉のそれが、私には畳を通して伝わってくる。

 髪の手入れなんて私は自分でなかなかしないのだが、そういえば道場では母様や義弟が、京に来てからは主に山崎や遊女たちがやってくれている。

「……んな面倒な……」
 自分では鈴花ほどにばっさりと短く切ってしまったほうが楽でいいのだが、何故か皆が止めるから私は切るに切れないまま長く伸ばし続けることになってしまっている。

「なんか言ったか?」
「なんでもない」
 またも髪を引っ張られる衝撃に、私は永倉を顧みた。それでやっぱり永倉は、さっきと同じような顔をして、さっきと同じように私の髪を指に絡ませていて。

「だから、痛いから引っ張るなっ」
 その後に永倉の口から出た意外な台詞は、私に笑いを誘う。

「だってよォ、オメーずっとこっち向かねェし」
 なんでそんな普通の恋人同士みたいなことを言い出すのか、私に永倉の真意はわからない。きっとまた、私をからかっているのだろう。

「はっ、なぁに甘えたこと言ってんだ」
 私の髪を弄くる永倉の手を叩くつもりで、私は手を叩き落す。と素早く永倉はそれを避けて、髪が開放されたので、私はその隙に起き上がって髪を自分の前に回収し、片膝を抱えて座り直した。

「さっきの話だけどよォ」
「あ?」
「伊東さんら、脱退も考えてるみたいだぜ」
「…聞いてるさ」
 近藤らにそんなことを言っていたのを、偶然部屋に戻った時に私は聞いてしまった。それから篠原らが足音荒く部屋の前を通り過ぎるのを、私は思わず気配を殺して待ってしまったんだ。

 私は乱暴にがしがしと、自分の頭を掻き毟った。

「あーもう、なぁんでこうなるかなぁっ」
 西本願寺の僧らも未だ新選組を快くは思っていないし(ここが勤王派だからというのも理由の一旦だが)、なんだかんだと隊内での諍いもなくなることはない。山南と土方の争いの辺りから感じてはいたけれど、ここにきて私が認めたくなかったことまで浮き彫りになってきている。

 たしかに伊東らは山南とも似た思想の持ち主だ。ゆくゆくは近藤らとも行き違いが生ずることぐらいわかっていた。だけど、やっぱり山南のためにも、伊東には新選組に来てもらわなければならなかっただろう。

 こうなった以上もうあの紙のとおりにしてやるしかない、と私は永倉にちらりと目をやった。にやにやと笑っていやがるが、今回はこいつを巻き込まなければならないから、私も気が重いんだ。でも、独りでなんて絶対に無理だし、他に適役もいない。

「伊東さんたちは退かないよね、やっぱり」
「こればっかりはオメーが何したって駄目だろうな」
「……やるしかないかぁ」
 静かな私の決意の言葉を聞いた永倉が、起き上がって、真剣な目で私を見る。

「やるって何のことだよ、葉桜」
 まさかと永倉が紡ごうとするコトを、私はただ笑顔だけで遮った。黙っている永倉を前に、まだ迷う私がいる。

 巻き込みたくはないけど、私にはこの件で他に頼る人もいない。

「巻き込まれてもらうよ、永倉」
「なに、いくらなんでも前みたいなコトをするわけじゃない。あくまで、穏便に、だ」
 私個人としてはとても悲しいけれど、伊東らには穏便に新選組から離れてもらうしかないだろう。生きてさえいればいつだって会えるけど、できることなら私は本当の本当にこのままが良かった。

 抱えた膝に私が顔を埋めると、腕の中から零れ落ちた私の髪がさらりと流れ、永倉から表情を押し隠してくれる。今のこの情けない顔は誰にも見せられないから、こういう時だけが伸ばしていてよかったなと思うんだ。

「宴会しよう、永倉」
 私が意を決して顔をあげると、永倉は私へと不自然に腕を伸ばしたまま、思いっきり眉を顰めた。彼は私を慰めようとしてくれていたのかと気が付き、思わずゆるく笑ったけど、その実泣きそうだった。

 永倉が眉を顰めたのは、近藤から大喪の令として、新選組でも軽はずみな行動を慎むように言われたばかりだ。だから、屯所内に留まっている永倉を私も捕まえやすかったわけだ。

「責任は全部私がとる。だから、伊東さんたちを島原の…そうだな、角屋あたりに呼んでくれないか」
 まずは私は伊東らから、直接本心が聞きたい。本気で隊を抜けるつもりだというのなら、私にできることはその背中を押してやることだけだろう。この時期でなければ、きっとどれも大した問題とはならない行動だが。

「ったく、仕方ねェな。巻き込まれてやるよ」
 永倉にぽんと軽く肩を叩かれ、私は彼の返事に安堵する。

「悪ぃ」
 私の口をついた謝罪の言葉は、突然くしゃりと永倉から前髪を掴まれ、覗きこまれて返された。

「ばァか。そういうときゃ、ありがとう、ってんだよ、葉桜」
 私がその手を退けて、永倉を見返すと、とても優しい顔をしていて。彼を見ていたら全てが上手くいくみたいな気がして、私もやっと相好を崩して笑えたんだ。

「だな。有難う、永倉」
 少しの間をおいて、何故か永倉は私の頭を両手でぐしゃぐしゃにしやがったから、私は先に行ったように思い切り蹴り飛ばして返してやったんだ。

「オメーが悪ィんじゃねぇかっ」
 わけのわからない言い訳をする永倉は、少しだけ顔に赤みがさしていたように見えた。



p.2

 目的を持って町を歩くとき、普段は意識せずとも注視してしまう光景も目に映り難くなるらしい。代わりに、普段なら風景にしているものに、目が行くようになるようだ。私はその人がよく行く場所を急いで周り、いないとみてはまた駆け出すことを繰り返していた。

 新選組全体が喪に服しているとあって、流石に他の隊士とすれ違うこともない。会うとすれば、それは巡察中である隊士以外は、ほとんどが他藩の藩士や町人らだ。

「わっ、と。すいませんっ」
 急いで走っていた私は、店から出てきた人と運悪くぶつかった。そのまま肩を押さえられたので、一瞬私は不快になったが、意識して作り笑顔を返す。しかし、よく見ればとても見知った顔だったから、その顔もすぐに素の笑顔に変わった。

「あれ、山南さん?」
「こんなところで行き会うなんて珍しいね、葉桜君」
 優しい変わらない山南の笑顔に、私は自分の心が自然と喜ぶのがわかった。だけど、今はそれどころじゃないので、ついでに山南にその人のことを尋ねてみた。

「それより、梅さん見てませんか?」
 私が彼の名を口にした途端、かすかに山南の笑顔が翳ってしまった。そのことに少しだけ私も胸が痛んだけれど、気にしてはいけないと自分を叱咤する。

「ああ、才谷さんならさっき団子屋に行くと言っていたよ」
 私は山南が除隊する以前から、この人にそれとなく求婚されている。だから、その翳りの意味もわかっているし、嬉しい反面申し訳なく思ってはいる。私自身はどのぐらい山南を好きかとかは、正直わからない。でも、大切な人には違いないから、この人にあまりそういう顔をしていて欲しくないから。

 私は意識して、ぎゅっ山南の腰に腕を回して抱きついた。胸板に顔を寄せると心臓の音が聞こえてきて、私も安心するし、きっと山南も安心できるだろうと思ったからだ。

「ありがとうございますっ」
 山南から動揺しているのが伝わってきて、私はそれをくすりと笑いながら離れる。このまま彼をからかうのも楽しいけど、今の私は急いで才谷を探すのが先決であるのだ。じゃあと走り出しかけた私は、腕を引かれ、背中からぎゅっと抱きしめられた。もちろん、山南に、だ。

 誰もいない場所でこうされることはあっても、往来でされたのは初めてかもしれない。ドキドキと高鳴る胸を意志の力で抑えつつ、私は山南に声をかける。

「あああの山南さん??」
「それでどうして才谷さんを探しているんだい?」
「どうしてってちょっと頼みたいことがあるだけですよ」
「本当に?」
 山南から不安そうな声が降ってくるので、私はくっと顎を上げて下からその顔を見上げて笑った。

「ふふっ、妬いてるんですか?」
 不満気な山南から腕を引き抜き、私はそれを上に伸ばして、山南の頬に触れる。

「梅さんと私は、山南さんが考えるような関係にはなりませんよ」
 私がそう言っても山南はまだ不安そうだが、これ以上私にかけられる言葉はない。才谷もそうだが、他の誰も私にとって父様やあの人以上にはならない。ーーなってはならないのだ。

 私の苦笑をどう捉えたのか、山南はひとつ息を吐いて私を開放してくれた。しかし、そのままでは私も少し別れがたく。ちらりと山南をみるとまだ困ったような顔をしていて。

「あ、そ、そうだ。山南さん、ついでに一緒にどうですか」
 私はつい思いつきだけで山南を誘っていた。ついこの間後悔したことも忘れて。

 でも、とっさの思いつきにしては良い考えではないだろうか。伊東らも喜んでくれるだろうし、何より新選組を離れてから彼らと論議を交わすことも減っただろうから、山南も皆も喜んでくれるだろう。

 当然頷いてくれるものと思っていた私に返されたのは、残念そうな山南の顔だった。

「実は今日、これから小六が来てね」
 山南は小六に泊まり込みで勉強を教えるのだ、と。二人共なんとも熱心なことである。それで、少しだけ私は残念な気分だ。

「お泊まりですかー。それじゃあ、駄目ですね。また今度、一緒に飲みましょう!」
 思わず口をついてでた私の言葉に、山南が首を傾げた。

「新選組では今はそういうことが禁じられていると聞いているのだけど、私の思い違いかな」
 誰だ、この人に余計なことを吹き込んだのは。って、皆遊びに出られないし、案外に顔を出してるのも知ってるし、それに私にそれを咎めるような筋合いはない。そうわかってはいるんだけど、なんだか少しだけ私は悔しかった。そんなことを思う資格が私にないとわかってはいても。

「今日は飲みませんって。ちょーっと屯所内じゃ話しにくいことを、伊東さんたちと話すだけです」
「伊東君たちも…?」
 一気に怪訝そうな顔をする山南の腕から身体を反転させて離れ、少しだけ屈んでもらって、私は山南の耳元にそっと囁いた。

「今度二人で美味しいお酒飲みましょうね」
 山南と一緒の飲むお酒は、きっといつもの数倍美味しいだろうな、と私は自然と顔を綻ばせていた。

 父様と飲んだこともあったし、芹沢とも昔飲んだことがあった。父様と潰れるまで飲むのは楽しかったけど、後で母様に怒られて。芹沢と飲んだ時は、思いっきりからかわれた。でも、すごくすごく楽しかった。ーーその後すぐに彼は出ていってしまったのだけど。

 新選組にいる時でも山南はあまり酒を飲まなかったし、私も誘わなかった。皆で飲むことはあっても二人きりというのはない。

「二人で?」
「はい、二人で!」
 私が返事をすると、山南はやっと嬉しそうに笑ってくれた。

 貴方のその顔を見ることができるなら、きっと今回も乗り切れる。そんな風に感じて、私は快く山南と別れたのだ。

 その私と別れた後で、山南が哀しげに、剣を振ることのできない己の肩を抑えていたことを、私に知ることはできなかった。



p.3

 才谷と私が案内された角屋の一室からは、抑えてはいるものの少々激しい論議が聞こえてくる。私が彼を連れてくるまでに、永倉が伊東さんらの本心を聞き出してくれる手はずになっているのだ。本当は私自身がやろうとしたのだけど、永倉が自分がやるといって聞かなかった。巻き込むならとことん巻き込めと、私は怒られてしまったのだ。

 そのときのやりとりを思い出して、くすりと笑いを零す私の頭に手をやり、才谷が抱き寄せてくる。

「これが葉桜さんが悩きいたことなが」
 とっくに私のことなど見通してしまっている才谷に頷くと、深くため息をつかれてしまって。私は苦笑するより他になかった。

「あなたまで巻き込んですまないと思っているよ、梅さん」
「わしはおまんの頼みなら断れやーせんよ」
 だから、気にしないで巻き込んでくれと才谷は言ってくれる。永倉も才谷もどうしてここまで、私の我儘に付き合ってくれるのだろう。

「梅さんが正体を明かしたくないって、知ってる。だけど、私にはもう他に方法が思いつかないんだ。私は皆に生きて欲しい」
「わかっちゅうがよ」
 泣きそうな私の頬に、才谷の手が添えられる。

「わかっちゅうがら、ほがーに泣きそうな顔をしやーせきおせ。襲いたくなるがで」
 才谷の親指が、私の口唇にそっと触れてなぞる。この人は優しいから、こんな時でも私を笑わせようとしてくれているのだろう。大丈夫、この人ならきっと正しい方法を見つけてくれると安心して、私は涙のこぼれてしまいそうな目を閉じた。

 今回のことは完全に私の我儘が先に立っている。このままでは芹沢の時のように、新選組の内部が完全に分裂してしまう懸念もあった。でも、私一人の説得で事態が動かないことはわかっていたから、もう頼る他に方法を思いつかなかったんだ。

「葉桜さん、わしは」
 意を決した様子で才谷が口を開いて直ぐ、部屋の中から声がかかった。離れてゆく才谷の体温に一抹の寂しさを感じていた私はどんな顔をしていたのか。才谷はいつもの笑顔をほんの少し強張らせていたものの、私に背を向けてその部屋の襖に手をかけた。

「入ってもえいかね?」
 中からの応えに安堵し、才谷はさっさと室内へと足を踏み入れてしまったが、私は自分の行動を思い返して動けなかった。

(私、何を……)
 中からは伊東たちの怪訝な声が、驚きと感激の言葉が聞こえてくる。でも、それを聞く余裕もなく、私は廊下の壁に体を預け、右手で顔を抑えた。我に返ってみれば、自分の行動が急に恥ずかしくなって、あの部屋の中へ入ることができなくなってしまったのだ。

 いくらなんでも、才谷に支えられながら目を閉じるなんて、接吻されても文句は言えない状況だ。何もなかったからいいものの、自分は一体何をしているのだろう。

 私が火照った頬に両手を当てつつ、廊下を彷徨いていると、馴染みの禿が怪訝そうにこちらをみている。誤魔化すように苦笑して、彼女に私が片手をあげて応えると、その手をいきなり掴まれた。

「何をしちゅうんなが。中に入らんなが?」
 部屋から才谷が出てきたことにも気がつけないほど動揺していた私は、才谷の声にまた顔が熱くなって、振り返ることができない。だが、少し上擦った自分の声をまた恥ずかしく思いながらも言い返した。

「梅さんこそ、なんで出てきたんだ?」
「わしはちっくと出てきゆう」
 そんな予定のなかった私が振り返って才谷を仰ぎ見ると、彼は困ったように微笑んで私の額の髪を片手で避け、唇でそっと触れた。

「ざんじにもんてきゆう。おとなしく中で待っとおせ」
「う、梅さん!」
 私が驚いて後方へよろけると、腕を掴んで支えられて。

「しょうまっことおんしゃぁ可愛いやき」
「かっ…!」
 恥ずかしさを誤魔化して繰り出した私の拳を避けて、笑いながら才谷は駆けていってしまった。

 残された私は才谷の触れた額に手を当て、また呟く。

「恥ずかしいことするな、馬鹿」
 これでまた部屋に入りづらくなったじゃないか、とそれから熱が引くまで私はなかなか部屋に入ることが出来なかったのだった。



p.4

 私がそっと気が付かれないように部屋に入ろうとして半身を踏み出したら、即座に鈴花と目が合ってしまい、苦笑いを返すことになった。

「葉桜さん?」
 おかげで私は伊東らにも結局見つかってしまったじゃないか。何を言おうか考えて、とりあえず私はにへらと笑い返した。目の前で永倉が手をあげるのに合わせて、私も近づいて彼と手を打ち鳴らしてから隣に座る。

「葉桜、オメー、廊下で何やってたんだ?」
「ちょっと、ね」
 まさか才谷にされたアレのことは言えない。思い出すだけで顔に赤みが差しそうな気がして、意識して私は真剣な目を伊東らに向けた。その私の頭に、永倉が軽く拳を当てる。

「話はちゃんと聞いてたか?」
「聞いてたよ」
「んじゃ、説明はいらねぇな」
 永倉に強く頷く間も、私がじっと伊東を見つめていると、先に逸らされてしまった。見過ぎただろうか。

「そりゃそうとな、ひとつ聞いておきてェことがあるんだが」
 私が来たことで、途切れた話題を永倉が繋ぐ。

「だいたいの察しはつきます。藤堂くんのことだね?」
 永倉が、彼自身の本題に入るのを、私は黙って聞いていた。彼が私の話に乗ってくれたのは、このためというのが一番大きい理由だろうから。藤堂が伊東に懐いているのは新選組の誰もが知るところであり、もしも伊東たちが隊を離れるならばきっとついていくだろうとも容易に想像できる。

「あいつは俺の可愛い弟みてェなもんでよ」
 葉桜にとってもそうだ。もう誰も新選組から欠けて欲しくない。だけど、そうできないというのもよくわかってはいるから、こうして伊東たちを呼んで決断させることにした。結局は、才谷を探し出す以外のほとんどを、永倉に任せてしまったのだけれど。

 伊東は藤堂自身が申し出ない限り連れていかない、と約束してくれた。だけど、きっとそういうわけにはいかないだろう。私にできることは、せめて新選組を離れてからも、場所的にも精神的にも遠くて届かない場所に彼らがいってしまわないようにと願うだけだ。生きてさえいれば、という私の想いは、今も変わらない。

「私としては永倉くんや葉桜さんにも、ぜひ私たちと同じ道を歩んでほしいと思っているのですが」
 伊東の申し出に、私と永倉は二人で示し合わせてもいないのに、同じように首を振っていた。

「ああ、そりゃダメだ」
「それはできない」
 伊東の瞳に映る残念そうな色に、私は少し心苦しくなる。それでも、私は新選組から離れるわけにはいかない。最初から、その考えだけはブレていない。

「どうしても、ですか?」
 ただ私が頷くのに対し、軽い口調で永倉が伊東に応える。

「思想やら考え方うんぬんを抜きにしてもよォ、そればっかりはできねェ相談だぜ」
「何故ですか?」
「俺は、好きになったもんを見捨てることはできねェのさ。確かに今の新選組はオメーの言う通りかもしれねェが、それでも俺は近藤さんを見捨てられねェんだ。俺はあの人が好きなんでね。あの人が俺を突き放さねェ限り俺はあの人についていく決心だ。そもそも今の俺があるのはあの人との出会いあってのコトよ。だから、な」
「そうですね。もっともな話です」
 永倉から移動してきた伊東の視線に、私も強く頷く。

「少し違うけど、私も同じだ。最初は別の理由があったからだけど、今はもう新選組が大切だから、離れたいと思わない」
 実家の道場で少女と出会い、紙を受け取ってここまできた。そんなことがもう遠い昔のことのようで、今は心の底から新選組が大切で、私は新選組を大切にする人たちが大好きだ。

「近藤さんや土方さんが私を突き放しても、私は彼らを、新選組を守ると決めているんだ」
 私がまっすぐに彼を見つめると、伊東もまっすぐに見返してくる。

 この人も山南と同じく聡いがーー気づかれるだろうか。少し息を詰めて伊東の言葉を私は待った。

「葉桜さん、あなたは…」
 だが、伊東の話し出そうとしたところで才谷が戻り、私は視線をそちらへ移した。

「待たせて悪かったのう。わしの親友を連れてきちゅうよ」
「おうっ、いい加減待ちくたびれてたトコだぜ」
 後ろから現れた男がいつものように、私に軽く頭を下げるのに対し、私は笑って頷いた。どうやら「坂本竜馬」の同士を連れてきたらしい。というか、連れてこられたのか。いつも振り回されて、大変だなぁ、石川。

「こいつはわしの友人で、石川誠之助という男ぜよ」
 才谷が石川を紹介すると、伊東がはっとした表情をする。何故才谷よりも石川の方が顔が知られているのかは、私にとってかなりの謎だ。梅さんが坂本その人と気が付かないのは相当な気がするのだが。あんなにわかりやすいっていうのに。

 急に賑やかになった室内を見回し、私は少しだけ安堵の息を漏らした。すごい顔触れになったものだが、その事実を知るものはここにどれだけいるのだろう。土佐の坂本竜馬に中岡慎太郎、新選組の永倉新八と斎藤一、のちの御陵衛士、伊東甲子太郎と篠原泰之進、か。本来なら、幕府の影巫女の私がここにいることさえ、ありえないことだ。

 これから皆の道はそれぞれにわかれていくと知っているだけに、私はこの瞬間がとても尊いものに思えてきて泣きそうになった。

「人生の転機にゃ酒がつきもんやか。笑顔で天子様を見送っちゃろう!」
「おうっ、いい話じゃねェか!」
 私の隣に腰を下ろした才谷が、私の背中を叩く。笑顔で、という意見には大賛成だ。父様の葬式の時も、彼のたっての望みで宴会をして見送った。嘆き悲しむことだけが、故人を想う形じゃない。

「何だか、よい酒を飲みたくなってきました。今日くらいは羽目を外して飲みましょう」
「いいね、いいねぇ~!」
 うしろから永倉にぐりぐりと頭を撫でられながら、私も笑って同意する。

「そうだな。ぱ~っと行くかっ」
 斎藤も「悪くない」と控えめに答えてはいるが、心なしか嬉しそうだ。その中で、一人おろおろと動揺した鈴花が見回している。

「えぇぇ~っ!?」
「ほら、鈴花ちゃんもっ」
「は、ははは…」
 流されて、力無く笑う鈴花が「もう、どうにでもなれ、よ」と小さく呟いている声が聞こえてきて、私はまた声をあげて笑った。それから、皆で潰れるまで飲んで、夜明け頃に大石が迎えに来た。

「葉桜さん、これってどういう状況?」
「見たまんまさ」
 さして関心がある様子もなく問いかけてくる大石に、まだ少し酔いの残っていた私は機嫌よく答えたてから、改めて室内を見回した。才谷と石川はとっくに帰っているから、ここにいるのは新選組関係者ばかりだ。全員謹慎処分は免れないだろうが。

「ーーこれでいいんだよ」
 もう一度しみじみと呟いた私を、大石は少しだけ面白そうに見ていた。



p.5

(近藤視点)



 全ては覚悟の上だったと、葉桜君は笑って答えた。普段以上に辛そうなその笑顔に負けたのは、俺の方だ。

 永倉君と葉桜君に対して、全員に二日間の謹慎処分を与えると伝えると彼女は永倉君を強制的に追いやった。その後で葉桜君がそんな顔をするものだから、俺は思わず手を伸ばして抱きしめてしまったんだ。腕の中で震える身体を強く壊れないように抱きしめていると、葉桜君からは堪えきれない嗚咽が零れてくる。

 普段は人前で決して見せることのない葉桜君の弱い面を、俺も頭ではわかっているつもりだった。だけど、想像以上に激しく優しく世界を守ろうと必死になっていたことに、また気が付かなかった。気が付けなかった。俺は葉桜君をわかったつもりで、彼女の何もわかってなどいなかったんだ。

「これが私の我が侭だと承知しています。だけど、何もせずにこのまま、近藤さんたちと伊東さんたちを見ていることなんて、できなかった…っ」
 抱きしめていたはずの葉桜君に、俺は襟を強く掴まれる。涙に濡れた彼女の顔が、瞳が、まっすぐに俺を見つめてくる。

「どちらも、なんて選べないってわかってる」
 強く保とうとしながらも揺らぐ葉桜君の瞳が、とても綺麗だと思った。揺らぎはあるが、今も普段と変わらず、葉桜君の目に曇りはない。

「でも選べといわれたら、私は近藤さんを守る道を選びます」
「ーーそれも、約束かい?」
 それは葉桜君が入隊してから何度となく繰り返した「理由」だから、肯定すると思って俺は口にした。

「違う!」
 だけど、強く叫ぶように葉桜君から言い返されて、俺は驚いた。強く胸を叩かれて、彼女の感情がそのまま俺に打ち付けられてくる。

「最初はたしかにそのために来た。だけど、今は違う。私はただ新選組が、皆が大好きで、大切で、無くしたくない! 約束をただ守るだけなら、伊東さんたちを出て行かせたりなどするものかっ」
 あの時みたいに、葉桜君はこのまま壊れてしまいそうで。芹沢さんを殺した夜の葉桜君にとても似ている気がして、俺は彼女が壊れてしまうことが怖くて。感情のままに叫ぶ葉桜君をただ強く抱きしめる。

 ずっと、葉桜君は強いと思っていた。新選組の誰もがその腕を信用しているし、なによりも誰よりも揺るぎない精神が強さだと、自分と似ているとさえ俺は感じていた。だけれど、葉桜君の世界は俺の知る誰よりも広く、誰よりも深くて。俺が初めて、人の底が見えないと感じたのは、葉桜君に対してだけだ。

「もういい。葉桜君の気持ちはよーくわかったから」
 俺が知っている葉桜君は、そのほんの一部なのかもしれない。けれど、葉桜君の優しさも強さも、全て本当なのだということだけは確かに知っている。

「だから、そんなに泣かないで」
「ごめんなさいっ、勝手を…っ」
「いいって」
 俺がそっと葉桜君の髪を撫でると、びくりと彼女の身体が跳ね上がる。それから、まだ何かを恐れているように、怯えた様子で俺を見上げる。いったい何に怯えているのか、葉桜君は決してそれを話してはくれないだろうということも、俺はよく知っているから。

 代わりに、まだ腕の中の葉桜君の耳元で、息を吹きかけるように俺は冗談を交えて囁いた。

「こういう葉桜君も可愛いけど、俺はやっぱり笑っている方が可愛いと」
 俺が最後まで言い終わらぬうちに、温もりが腕の内から消えた。部屋の隅まで後退している葉桜君の姿がなんだか、人慣れしていない子猫のようで、俺の口から笑いが零れる。

「な、何を言い出すんですかっ」
 泣き腫らした目が気にならないほどに、葉桜君は首から上を朱に染めて、いつものように叫んで返してくる。

「怒ったり泣いたりしてるよりも、葉桜君は笑った方が可愛いんだよ」
 知らなかったのかと俺が言うと、やっぱり叫んで返される。

「人をからかわないでくださいっ」
 涙はすっかり止まったみたいで、俺は安堵しつつも面白くて笑ってしまって。

「ねぇ、笑ってよ、葉桜君」
 俺が頼むと、葉桜君は握りしめた両手を震わせて言い返してくる。

「近藤さん、これ以上からかうつもりなら…っ」
「別にからかってるわけじゃないって。女の子はみんな笑った顔のが可愛いって決まってるんだよ」
 同じようなことを普段から公言している葉桜君だから、俺の言葉を否定することは出来ないだろう。

「そりゃ、ちゃんとした格好をしていれば誰だってっ」
 自分以外に置き換えようとする葉桜君に、俺は尚も続ける。

「葉桜君だって、女の子だよ。どんな格好をしていても、俺にとっては誰より可愛い女の子だ」
 否定は出来ないが必死に反論しようとする葉桜君は、やっぱり可愛い。普段はかなり大人びて見えるものの、こうしていると少し幼く見える。

 さて部屋の隅のこの子猫はどうしようかと、俺は顎に手を当て考える。このまま葉桜君をからかっていると猫のように引っかかれそうだが、外へ出してしまうにはあまりに惜しい愛らしさ。こんなに可愛い姿を他の男の目に触れさせるなんて、もったいない。

「もっと言ってあげようか? 葉桜君は可愛い可愛いかわ」
「止めてくださいぃぃぃっ」
 とりあえず、葉桜君が本当に笑うまで、俺はあと何回可愛いと言えるだろうか。



p.6

(沖田視点)



 自分の中にこれほど強い感情があると、僕は初めて知った。先程近藤さんの部屋を覗いだ時に偶然見えた光景が、目に焼き付いて離れない。僕の前では決して見せてくれない葉桜さんの涙、僕には決して零さない葉桜さんの弱音。どちらもを手に入れる近藤さんに、僕の中で普段とは違う想いがわき起こる。

 近藤さんばかりではない。土方さんといる姿を見ても、山南さんといる姿を見ても、他の誰といる葉桜さんの姿を見ても、僕は自分の中にある抑えきれない感情に翻弄される。

 本当は、もうずっと前から気が付いていた。なのに、僕の前の彼女はいつも平静で余裕な大人で、揺らぎの欠片も見せてはくれない。僕にはそれが、とても悔しくてたまらない。

 僕の心の中で、葉桜さんを抱きしめるのは、抱きしめていいのは僕だけだと、独占欲を剥き出しにしてジタンダを踏んでいる。この腕の中に葉桜さんを抱きしめて、僕の手の届く場所に彼女を閉じ込めてしまいたい。僕の前をずっと走り続ける彼女の足を切り落としてでも、僕は彼女を手に入れたい。

 僕の心の中で、そんな資格などないと嘲っている僕がいる。葉桜さんを殺してしまえば、彼女の目に最後まで映るのは僕だけだと狂ったように笑う僕がいる。

 どちらにしても、本当にそんなことをしたら、葉桜さんの心はもっと遠くへ離れて行ってしまうだろうことは、冷静に考えればすぐにわかるからしないけど。

 僕の名を呼び、僕に触れ、僕に笑いかけてくれる葉桜さんの。身体だけでは、言葉だけでは、視線だけでは手に入れるものが足りないんだ。

ーー僕は、葉桜さんの「心」が欲しい。

 それは剣術以外で初めて、僕が心から願ったことだ。

 だけど、未だに意気地のない僕は、葉桜さんに会うことを恐れていて。今もまた、布団に潜り込む以外に為す術を見いだせなかったんだ。



あとがき

永倉さんはからかいやすい。
てか、この章は苛め甲斐のある人がいっぱいで楽しいです。
最初は山南さんも参戦させようかと思ったのですが、やっぱり部外者なので諦めました。
次は梅さんを捕まえるところから。
ゲームヒロインを参戦させるかどうかが悩みどころです。
(2006/06/29 12:27)


あれ、こんなに梅さんに流される予定はなかったんだけどなぁ。
(2006/06/29 16:52)


ヒロインをからかえるのは、近藤さんぐらいな気がします。
いや、けっこう本気で言ってるか。


次に沖田イベント繋げます。
…あれ?
自分でハードルを上げたような気が…。
(2006/07/05)


近藤。沖田のモノローグの人称を修正
(2006/07/06 15:31)


「裏巫女」→「影巫女」に変更。
(2007/01/07 16:06:31)


リンク変更
(2007/08/22 08:57:16)


改訂ついでに統合。
(2012/10/25)