幕末恋風記>> 本編>> (慶応四年如月) 16章 - 1-それぞれの道

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(慶応四年如月) 16章 - 1-それぞれの道


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.1.10
状態:公開
ページ数:6 頁
文字数:18091 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 12 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
1-甲州遠征:揺らぎの葉(124)
2-佐藤彦五郎宅:揺らぎの葉(125)
3-宴席:揺らぎの葉(126)
4-宴席:揺らぎの葉(127)
5-宴席:揺らぎの葉(128)

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1-甲州遠征







 勝海舟の屋敷の前、ひとり佇んでいた葉桜は道端の真っ直ぐに伸びた草を手に、ひゅんひゅんと空気を切り裂く音を立てている。要するに、暇を持て余しているだけだ。塀越しに屋敷の姿は見えない。だけど、ここの主と以前に面識はある。向こうは憶えているのかわからないけれど、何度か父様と会ったことがある。父様の旧知で、彼が葉桜のことを憶えているとしても、今は入ってみる気にはなれなかった。この屋敷の中には今、近藤がいる。

 将軍が江戸へ戻って以来、幕府も流石に一枚岩というわけにはいかない。抗戦派と恭順派の争いの中心である江戸城内は、慶喜公の恭順の意志を受け、流れは恭順派に傾きつつあった。そんな中、強硬に徹底抗戦を訴え続けていた近藤は、無血開城を主張する幕府軍事総裁、勝海舟から呼び出されたのだ。これが意味するところで、ただの事態に収まらないことは間違いない。

 一瞬通り過ぎるだけの風に手を止める。こうして立っているだけでも世界の流れを感じられるようになったのは、本当に小さな頃からだ。業の混じる風は時折、ぴりぴりと切り裂く痛みを肌に残して駆け抜けてゆく。才谷がいなくなる以前、あの大政奉還が成された辺りからずっと側にあることに目をつぶってきた。行かなければいけないのに、離れがたくて、挙げ句この状態だ。ふぅとひとつ息を吐いて、また手元の雑草を振り回す。

 出会う人たちは葉桜を「強い」と評する。だけど、実際の自分はただ大切な人がいなくなって、自分が一人になってしまうことが怖いだけの臆病者なだけだ。強ければ、多くを守れるのだとずっと考えていた。弱いから守れないのだと。だけど、現実は全然違ってて、守れるものが増えた分と同じぐらい、やはり守れないものも増えてしまった。世界はいつだって等分で、どちらかが多くなることはないのだと、思い知らされるばっかりだ。

 世界の痛みに耐え続けているだけならともかく、そういった現実にも打ちのめされて、ずっと強くなどいられるはずもなく。長く共にいるだけに気がついてしまうものも多いらしい。どんなに強さという仮面で覆っても、気がつく人は気がつく。そして、彼らは優しいから放っておいてはくれないのだろう。それは嬉しいけれど、とても困る。何しろ、守る相手に守らせろと言われてしまっては、自分の立つ瀬がないからだ。その筆頭である近藤は、試衛館の一件以来、いろいろな場所へ葉桜をつれてゆくことが多くなった。

「はぁ~あ、肩がこったぜ」
 屋敷から出てきた近藤にゆっくりと歩み寄る。手に持っていた草は道端に投げ捨て、自然と隣に立つ。

「お疲れさまです」
 葉桜の労いを聞いて近藤の方が驚き、目を見開いてから、次いで細めて笑った。

「待たせたね、葉桜君。じゃあ行こうか」
 自然と取られた手をそっと握り返す。

「甘味処、寄ってきますか?」
「いいねぇ~」
「あ、でも土方さんにすぐに帰るように言われてたんでした」
「トシが?」
「代わりにこれで我慢しておいてください」
 そう言って懐から饅頭を取り出して渡す。人肌で温められたそれに、近藤の目がまたも見開かれる。

「…これも、トシが?」
「いえ、これはさっき自分で買ってきたんです」
 いつかの御礼ですよ、と笑うと近藤は嬉しいけれど困ったというような表情になる。そうなるとわかっていて言っているあたり、まだまだ余裕はあるもんだと自分が笑えてくる。

「きっついよなぁ、本心でしゃべらねぇ人との化かし合いはよぉ」
「え、誰のコトですか?」
 平然と聞き返した葉桜に対して、近藤は苦笑を返す。

「もちろん勝さんと、葉桜君さ」
 近藤が言っているのは先日の試衛館からの帰路の告白の話で。もちろん、葉桜はウソをつくときのとびっきりの笑顔で惚ける。

「それは大変ですねぇ」
「だけど、俺としちゃ自分のスジを通す以外のことなんかできねぇし」
 ぎゅっと強く握った手を大きく振って、目の前に突き出させられて。隣で微笑む近藤をいつまで見続けることが出来るだろう。

「まあ、覚悟だけは決めとくか」
 不安な言葉を零す近藤の手を、葉桜は強く握りかえした。この大きな手に守られているのはとても心地よいけれど、それだけでは駄目なのだと、続かないのだと知っている。だから、勢いづけてその手を離して、数歩先に駆けだした。

「屯所まで競争しましょうっ、近藤さんが勝ったら、とっておきの甘味処紹介しますよ?」
「この江戸で、俺の知らない甘味処なんてあると思う?」
「別に知りたくないなら無理にとは言いませんよー?」
 少し考えてから近藤が走り出す。

「一応、店の名前だけ教えてよ」
「私に勝てたら、いいですよ」
 結局戻ってからはけっこうな忙しさで、甘味処に行っている時間どころか互いにいる時間も少なくなってしまった。というのも、この会見で新選組は慶喜を甲府城に迎え、薩長を撃破して再び徳川の世に戻すという大義を掲げ、甲陽鎮撫隊を編成したからだ。

「葉桜君、店の名前だけでも~」
「行ってからのお楽しみですー」
 二人が甘味処へ行けるのはいつになることか。それは葉桜自身にもわからなかった。



p.2

 甲州遠征に先立ち、新選組は旧幕府、会津藩から軍資金と武器の援助を受けただけでなく、思わぬ人からの助力があった。

「よぉ、近藤君。元気、」
「だーかーらー、無理なものは無理っ! いくら近藤さんの頼みでもそれだけは絶対に駄目!」
「えー」
「そ…そんな顔されても駄目なものは駄目っ」
「…なにしてんだ、おまえら」
 訪れた松本良順が目にしたのは部屋の隅、壁に追い詰められている葉桜と迫っている近藤の姿だった。

「良ちゃんっ」
「松本先生!」
 同時に声をあげ、助かったとばかりに葉桜が飛びつく。その後ろで近藤は苦笑している。

「松本先生、いらしてくださったんですか!」
「何言ってんだ。二人とも、傷もちゃんと治ってねぇクセに無理ばっかしやがって」
「まあ、今日ここへ来た理由はそれじゃないんでしょ?」
 説教が始まりそうなのを予感して、葉桜が口を挟む。もう小さい自分から耳にたこができそうなほどに聞かされている説教を聞くつもりはない。もちろん、聞いたところで大人しく従うわけもない。

 それがわかっているからか、良順はあっさりと話を代えた。

「ああ。甲陽鎮撫隊の話、聞いたぜ」
 出された座布団に良順が座り、近藤も自分の座布団を引き寄せて座る。葉桜は畳の上にそのまま座する。

「あんたもヤバいとこに足を突っ込んじまったなぁ。話の出所は、あの勝海舟だろ? 恭順派の勝さんから、こんな話が出るなんて、おかしかねぇか?」
 何度も近藤や土方と話し合った。だけど、新選組が戦い続ける道はたったひとつしか見つからなかった。

「そうですね。でも、どんな状況であれ俺たちは戦い続けますよ」
「新選組が戦い続ける限り、私も諦めないよ」
 結果がどうなろうと変わらないことも知っている葉桜だからこそ、強く笑う。二人の決意を見て、ひとつため息をついた後、良順は重そうな包みを差し出してきた。

「まったく、相変わらずだぜ。そんならコイツを受け取っときな」
「えっ?」
「三千両ある。黙って受け取れ。軍資金は方々からもらっただろうが、まだ足りゃしねぇだろ」
「い、いいんですかっ!?」
「あちこちからかき集めたんだ。大事に使ってくれよ。あんたらに協力してぇって人物もやっぱりいるんだよ。薩長のやり口を憎む人間は、少しでもあんたたちに頑張ってほしいと願ってるのさ」
「先生…。ありがとうございます!」
「俺はあんたの生き様に賭けた。それだけのことよ」
 おまえもだろ、と葉桜を見つめるのに対して、深く頷く。それだけで十分伝わったのか、良順は満足したようににやりと笑った。

「んじゃ、俺はそろそろ帰るわ。総司と山崎の面倒は俺がちゃんと見てやるから安心してくれ。あんたも葉桜も、落ち着いたらまた俺んトコまで診察受けに来るんだぜ」
「はいっ」
「じゃあな」
 立ち去ろうとする良順に続いて立ち上がり、一度だけ近藤を顧みる。大きく頷いてくれることに安堵し、葉桜は良順の背中を追いかけた。許しを請うわけではないが、自分の進むべき道を知っておいて欲しい人のひとりだから。

 夕闇の江戸の町をゆっくりとふたり並んで歩く。

「おまえはやっぱりあいつの娘だよなぁ」
「そんなの」
「あたりまえ、なんだろ? わかってるよ。だからこそ言っておくぜ」
 不意に良順が立ち止まり、まっすぐに自分を見つめるのをしっかりと見返す。

「手遅れかもしれねぇが深入りすんじゃねーぞ」
 何も返せなかった。だって、そんなこと言われてももう無理だ。近藤さん達を見捨てることもできないし、役目を捨てることも出来ない。

「いつか離れるつもりなら、あいつらのためにもならねぇ」
「…良ちゃん」
「おまえはもう新選組の要かもしれねぇ。だけどよ、お役目大事と思ってるおまえがこのままに居るとは思えねぇ。だったら、」
 とん、と拳で胸を叩かれる。

「これ以上期待させてやんな」
 何も返せなかった。あいまいな笑顔を返す葉桜を不満そうに見つめ、良順はその前髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

「無理すんじゃねぇぜ。おまえは俺にとっても大事な親友の娘なんだからな。何かあったら、頼ってこい。できる限りのことはしてやる」
「…うん」
 姿が見えなくなるまで見送ってから、ふっと葉桜は笑顔を消して、眉間に皺を寄せる。簡単に見抜かれてしまうのは、もう子供の頃からよく診てくれていたからだろう。

(もう遅いよ、良ちゃん)
 たしかに役目があることを思えば、自分は誰も選べない。残される哀しみは誰よりもよくわかっているからだ。だけど、同時に約束やなんかも関係無しに新選組が好きで、近藤も土方も他のみんなも大好きで、自分が終幕したあとの彼らの生きている保証が欲しいだけなんだ。そのためにも、今は離れるコトなんて出来ない。間違いなく、彼らが生きるという保証がなければ。

 屯所の前まで戻ってから一度だけ振り返る。そこにはこれから先の未来を憂うように、禍々しいほどの朱い空が広がっていた。



p.3

2-佐藤彦五郎宅







 若年寄格となった近藤は大久保剛と、寄合席格となった土方は内藤隼人と変名し、彼らの指揮の下、甲陽鎮撫隊は甲府城を目指し、江戸を発った。

「今日は彦五郎さんの家で休ませてもらえることになった。知っての通り、彦五郎さんはトシの義兄にあたる人だ。みんな失礼のないようにな」
「俺も昔はよく出稽古に来てたものさ。ホント、懐かしいよ。俺もトシも、まだまだ若かった。あの頃には今みたいな状況でここを訪ねる日が来るとは思わなかったよ」
 この激動のご時世、誰もが十年後の自分の生活すら予想できない。私自身、こんな風に新選組に関わり、剣を振るうことになるなんて想像もしていなかった。もっとも別の形では必ずどこかで巻き込まれていたに違いない。

 奥から出てきた男が近藤に対して親しげに声をかける。この人が土方の義兄、佐藤彦五郎だろう。後ろに控える女性はどことなく土方と面影が似ているから、この人が姉君だ。

 近藤が自由時間を宣言してから直ぐに、葉桜は土方の姉君に部屋を求めた。ここまでの行軍で疲れてはいないが、今は少しでも眠って、身体を休めなくては。いざというとき、誰も、自分自身さえ救えないほどでは話にならない。

「あの、すみません」
「あら、きれいなお嬢さんね。あなたみたいな女の子が新選組の一員だなんて信じられないわ」
 土方の姉君はかなりはっきりとモノを言う気さくそうな女性のようだ。そして、聡明そうな感じを裏切ることのない人であるなら尚、良い。自分には聞かれたくないことが多すぎる。

「トシは女性に手が早いけど大丈夫? 手なんか出されてない?」
「ええっ? 出されてないですよ」
「まぁ、昔のことだけど…。ふふっ! もしかしたら今でもそうかもね」
 土方さんのあの外見からすれば、そりゃ女が放っておかないだろう。厳しいけれど、それは優しさからくるのだと知ってしまえば、尚惹かれる心を留めることなどできやしない。

「そんなことはありませんよ。今の土方さんが新選組のこと以外を考えている余裕もないですから」
 自分が入隊した時から気にかけてくれて、こちらが気を張っているのも限界となれば、優しい言葉をかけてくれて。それがただの何ともない想いからくるとまでは思わない。

「もし空いてるお部屋があるようでしたら、ちょっと休ませてもらえますか?」
 土方の姉君は温かな眼差しで微笑んで、大きく頷いてくれた。

「ええ、いいわよ。この部屋なら自由に使ってくれていいわ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、ごゆっくり」
 何も聞かないでいてくれたこと、一人になれたことに安堵して大きく息をつく。それから肌身離さず持っている紙を取り出す。これを貰って既に五年も経とうというのに、未だ新品のままの紙には小さな文字が躍る。

「永倉、原田らが近藤、土方らと決別して靖兵隊を組織」
 死別ではないけれど、別れの時は近い。新選組に入ってからずっと助けてくれて、気心も知れた仲間と別れるのは辛い。理由は書いていないけれど、分かる気がする。自分が近藤の立場にあっても同じコトをするだろう。

 二つ折りにした座布団を枕にして寝転がり、両腕で両目を覆う。わかっていたってわかっていなくたって、別れるのは哀しい。死んでしまうわけではないからと言い聞かせても今の時勢と彼らの性格を考えてしまっては安心も出来ない。ただ剣のみの戦いならばこうまでも心配することはないだろう。今だから、怖い。剣だけではどうにもならないから、怖い。

 自分は疲れているのだろう。ここまでいろいろなことがありすぎた。いつもならば、こんな状態になる前に帰る。父様のいたあの場所へ帰るだけで、安心も出来るし、心も穏やかになる。平穏が手に入るのだ。

 だけど、今離れていくことは出来ないから。ここで少しだけ休息を。

「葉桜、起きてるか?」
 いいえと答えたいところだけど、そういうわけにはいかないだろう。山崎の代わりを買って出たのは自分なのだから。

「どうぞー、土方さん」
 しかたなく起き上がり、そのままの態勢で入ってきた土方を出迎える。

「用件は手短にお願いします。今夜の宴席までには戻らないといけないでしょう?」
 いつものように陽気に笑いかけると、戸惑ったような視線が帰ってきた。眉間の皺がそのままなのは、癖でもついているからなのだろうか。

「おまえ、近藤さんと何かあったのか?」
「へ?」
「いや、なんでもねぇ」
「はぁ」
「休んでいるならそれでいい。邪魔して悪かったな」
 そのまま出て行こうとする姿に小さな揺さぶりをかける。

「…今の新選組はただの浪人の寄せ集め。しかも勝海舟から銃や大砲を借り受けたとはいえ、調練もままならない状態で本当に新政府軍に勝てるかどうか…。なーんて、誰が考えても問題ばっかりですよねぇ」
 振り返った土方に笑みを浮かべ。

「当たった?」
 襖を閉めて、土方が歩み寄ってくるのをじっと見つめた。見上げる姿は怒っているようでもあるし、困っているようでもある。だけど、これだけの付き合いになってくると言い当てられて困っているのがよくわかる。

「どうして」
 声は怒ってる。

「どうして、そうお前はいつもいつもっ」
 闇が落ちてくるのに合わせて瞳を閉じる。胸と肩が苦しくなって、押しつけられた着物から薫る香りに全身が包まれてゆく心地よさを胸一杯に吸い込む。両腕を伸ばして、大きな背中を抱きしめる。

「言ったでしょう? 概要ならまかせてください。新選組のことは誰よりもよくわかっているつもりです」
 安心させるためにその背を軽く叩く。強く抱きしめる腕は苦しいけれど、それはそのまま土方の不安を表している気がして、甘んじて受け止める。こうしていると全てを委ねてしまいたくなってくる。だから、本当はもう逃げ出してしまいたい気持ちを堪えて、無理矢理に笑顔を作った。そうしていないと、新選組を生かす最悪の方法を口にしてしまいそうだ。土方にはそうさせるだけの何かがあるような気がする。

「土方さんの考える道は正しいです。だから、迷いなく進んでください。私はこれまで以上にそれを助けましょう」
 迷っているのは自分の方で、この言葉はほとんど自分に言い聞かせているのだ。迷っている時間はないし、別れの時は近い。

「だから、何があっても生き抜いてください」
 祈るように囁く。自分の祈りに力はないけれど、それでも世界に届くと良い。願いが、誓いが天に届くと良い。

 離されて見上げる土方に微笑むと、堪えきれなかった雫がほろりとこぼれ落ちた。落ちた雫は頬に軽く触れて転がって、一瞬だけ土方の着物に珠を作ってから、吸い込まれて消えていった。

 不安の波はこれからも消えることはない。毎日誰かがいなくなる恐怖に慣れることもないだろう。蓄積された哀しみを背負って、彼らの志の全てを受け止めて。どこまでいけば、終わりはくるのだろう。どこまでいけば、みなの幸せを確信できるのだろうか。

 見えない未来を想う涙を拭い、土方から体を離す。それでも、まだ縋ってしまいそうで、窓辺まで離れて、枠に腰を下ろした。窓の外には、薄雲の棚引く青い空が広がっている。昔、やはりこの地を通ったときも、同じような空があったのを憶えている。

「ここから甲府への道のりは難所ずくめですよね。西から来る新政府軍とは比べものにならないほどに」
「知っているのか?」
「ふふ、以前に父様とそんな話をしたことがあるんですよ」
 ちゃんと笑えているだろうか。この人に無理な笑顔を向けてもすぐにばれてしまうから、努めて外へと目を向ける。紅い空を瞳に映し、哀しみをその奥へと深く潜ませる。

「たしかに、葉桜の考えるとおりだ。無理をして最速行軍で甲府へ先着したとしても、援軍が着かずに孤立無援となる可能性が高い。そのことを、あの勝海舟が気付いていないとは思えなくてな」
「そのことを知っていながら新選組を甲府へ向かわせた、か」
「勝とうと思って作らせた軍なら、もう少し協力もするだろう。俺たちは単に江戸を厄介払いさせられただけかもしれねぇ。ヘタすりゃ全滅っておまけつきでな」
「まあ、勝さんなりに行く末を考えての結論でしょうね」
「ああ。頑なに徹底抗戦を叫ぶ俺たちが江戸にいちゃ幕府内の意見をまとめられねぇってな」
 こうして土方と話していると辿り着く結論はひとつしかない。どうしたって、そこにしか行き着かない。どれだけ議論を交わしても、やっぱり近藤も土方も葉桜も、同じ所へ辿り着く。

「江戸開城…かぁ」
 即ち徳川幕府の終焉であり、もしかすれば自分の命の期限だ。死ぬのは怖い。だけど、大切な人たちが死んでしまうのはもっと怖い。その恐怖を振り払うためには、やっぱり笑っているしかない。

「そもそも甲陽鎮撫隊に意味なんてないのかもしれねぇ。しかし俺たち自身が戦い続けることを望んで、ここまで来たことも事実だ」
「まーあのまま江戸に留まってもいいことはなかっただろうし。今となっちゃ、ある程度の被害を覚悟してでも将軍様をお迎えできる起死回生の地の確保に賭けるしかないよ」
 この戦いの結末はすでに出ている。だけど、知っていても話せない。話せるとしても、きっと話せない。みんな分かっていて無理をしているのに、引導を渡すような真似は出来ない。だったら、笑うまでだ。笑顔ですべてを吹き飛ばしてやるぐらいの気負いがないと、この先はとても辛いだろう。

「それにしても。食えねぇ男だぜ、勝海舟って男は」
「あははっ、そーですねー」
 笑っていたら、真剣な瞳で真っ直ぐに見つめられて、探る視線を笑顔を交わす。

「おまえも、今後のことを常に頭の中で考えておけ。何が譲れないのか、何は捨てられるのかをな」
 そんなもの。

「とっくに選んでいるよ、私は」
 大切な人が幸せに生きられる未来だけは、何が何でも譲れない。この命を捨てても。



p.4

3-宴席







 戦勝前祝いと称して開かれた宴席は久々ともあって、皆が陽気に騒いでいた。江戸に来てから、それぞれに色々と心にたまっていたものがあるのだろうと推測し、葉桜は緩く微笑みながら酒を呷る。

「あの人が…?」
「ああ見えて、沖田先生と張るぐらいの腕の持ち主だよ。局長や副長も一目置いてるし」
「へー、そうは見えねぇけど」
「…おまえ、余計なこと考えねーほうがいいぞ。葉桜さんは剣術もすっげーけど、柔術も修めてるから」
「つっても女だろ?」
「バーカ、それでなめてかかった奴らは全員半殺しになってんだぜ」
「……」
「多勢に無勢なんて常識が通用する人なら、今ここにいねぇよ」
 新入隊士たちに古参の隊士たちが囁く葉桜の武勇伝の数々は到底現実味が無く、かといって男装とはいえ、黙っていれば葉桜もそれなりに女に見えるというものだ。何人かが足を踏み出そうとした矢先、近藤が葉桜の隣にどかりと腰を下ろした。顔は笑っているが、辺りに配られる視線を見るものが見れば牽制に他ならない。

「よぉ、楽しんでるか?」
「ええ。美味しいお酒ですねぇ、近藤さん」
「葉桜君の口にあったのなら、本当に良かった。きみはお酒に煩いからね~」
「そんなことありませんよー。あ、一杯いかがですか?」
 少しばかり頬を赤らめ、ほろ酔いの好い加減らしい近藤の杯に酌をする。以前までならそうすることすら珍しい貴重な光景だ。

「こうして俺たちのコトを歓迎してくれる故郷があるってのは、すごくありがたいよなぁ。故郷に錦を飾るって感じでさぁ。男として、こんなに嬉しいことはないよ」
「そうですか。でも現状を考えると素直に喜んでいいものか迷いません?」
 葉桜にとってはほんの少しの悪戯心だった。これからのことを知らないから陽気で居られるコトが羨ましかったのかもしれない。

「いいんだって。多分、これが最後だしな」
「…え?」
 思わず聞き返した葉桜の頭に大きな手が置かれ、そっと撫でられる。

「いや。士気を高めるためにも、この辺で息抜きさせとかねぇと。こっから先は江戸から合流した増援人員の訓練なんかもあるしさ。やっぱ、人間って一度でも修羅場を経験しとかねぇと、少しのコトでも辛く感じるもんなんだよ」
「ま、きみが不安に思うのも当然なことなんだけどね。でも、局長の俺が辛気くさい顔してたら、勝てる戦いにすら勝てなくなっちまうだろ? だから、笑ってないとな。ノーテンキに見えるくらいでちょうどいいのさ」
 手から気持ちが伝わってくるのだとしたら、もしも自分の思うとおりなら。

「近藤さん…」
 顔を上げようとしたら尚も強く頭を抑えられ、その間に土方の姉君に呼ばれて行ってしまった。まるで追求を避けるように。

 近藤は笑顔だったけど、やっぱり変だ。その笑顔をどういうときに作るのか、葉桜は知っている。自分もよくやるからかもしれない。

 そっと部屋を出て夜道に足を踏み出す。まあるい月を灯りにして、意識して、足音も気配も消して歩く。一歩一歩を踏みしめて、一歩一歩にこれまでのことやこれからのことを考える。

 今まで自分はどれだけのことを出来ただろう。多くの隊士たちと出会い、喧嘩をし、剣を交わし、共に戦ってきた。多くの者が今残っていないけれど、それでも大切な命ばかりだった。もちろん、仲間だけじゃない。たとえそれが時代を変えようと、世の中を変えようとしてきた者たちの命だって大切だった。ただ葉桜にとっての天秤が新選組にわずかばかり傾いていただけだ。

 笑うだけなら簡単だ。顔の筋肉だけでだった笑える。だけど、楽しくないんだ。以前のように心から笑えない。皆の笑顔が哀しくて、ただ心の中で謝るしかできない。もっと自分に力があったら、助けられる命だっていっぱいあった。

 立ち止まり、両手を月に翳す。自分の手がどれだけ血に塗れても構わないと想っているのに、どれだけの血を流しても大切な一人も満足に守れない、未熟すぎる自分が時々嫌になる。

 どれだけの剣を振るえば、どれだけの血を流せば、大切な人たちを傷つけずに済むのだろう。涙を流す人が減るのだろう。

 いや、本当はどれだけの剣を振るっても、どれだけの血を流しても、すべてを守りきれないことなんて分かっている。だけど、目に映る人たちでさえ守ることも出来ない、力のない自分が酷く弱く思える。

「ひとりで何辛気くさい顔してんだ、葉桜?」
「…永倉」
 一歩後ろにある気配に気がつけなかったことを隠して、振り返る。そこには先ほどまで宴に興じていたとも思えない真剣な面持ちで、葉桜をまっすぐな視線で捕らえている永倉が立っていた。

「ちょうどいい。オメーとちっと話をしたかったんだ」
 月の綺麗な夜だ。手を取られ、引かれるままに歩いて、少し彦五郎の家から離れたところまで二人で歩く。夜闇を照らす明るい月が二人の影を長く地に伸ばしている。歩いた道も時間もほんの少しだったと思う。だけれど、とても長く感じていたのはどちらもだったのかもしれない。互いの手の温もりが移る頃、永倉が不意に立ち止まった。

「なぁ、葉桜。オメー、今回の甲府鎮撫についてどう思うよ? 予定の半分も進んでねェってのに、行く先々で、今夜みてェなどんちゃん騒ぎってのもなぁ」
 急に振り返った相手の問いを神妙に受け止め、見つめてくるまっすぐな永倉の視線をしっかりと受け止める。永倉が不満に思うのも無理はない。理由を自分が話すわけにはいかないが、少しぐらいは感づいていてくれていたということに心のどこかで安堵している自分がいる。

「でもよォ、近藤さんも土方さんも地元に帰ってきたんだし、喜びたい気持ちも分かるんだよな。せめて地元でぐらい、カッコつけておきてェだろうし」
 いつもと違って歯切れの悪い永倉の話にじっと耳を傾ける。

「でもよォ、ぶっちゃけて言っちまうとよォ。こんなにチンタラやってたら勝てる戦も勝てねェっつーの」
 この行軍の不自然さに気がつかない方がどうかしている。だけど、自分達に出来ることはただ戦うコトだけで、だからこそ永倉は功を焦っているのだろう。こんな風にこの男と話せるのも最期かもしれない。そう想うと、ゆるく口元がほころんだ。嬉しいからじゃなく、それでもこいつならまたいつかどこかで会えるかもしれないという予感があるからだ。

「なぁ、永倉」
 真剣に悩んでいる姿に手を伸ばし、腕を絡ませて寄り掛かる。夜風も吹いて、少しばかり寒い体に温もりが渡ってくる。

「勝ち戦だろうが負け戦だろうが、私たちにできることはひとつだ。どんな状況でも全力で戦う。それしかないんじゃないか?」
「ははっ、ま、そうだな」
「だいたい永倉だっておとなしく負けてあげる気なんかないだろーが」
「おう! さらさらねェな!」
「そうそう。その意気だって」
「へっ、ここまで来たら何も考えずに戦うしかねェよな。ありがとよ、葉桜」
 温もりが途切れないと良い。離れていても消えないのだと、どうか信じさせて欲しいと空の月に願う。祈りは届かなくとも、願いを叶える力までも失っていない自分だけは信じていたいから。

「ところでよォ…その…」
 少しばかり焦りと照れの混じる永倉から手を離し、踵を返して元の元の道を辿る。

「あ、おい、葉桜っ」
「そろそろ冷えてきたし、戻って飲み比べでもしないか?」
 月の煌めきに映る自分の影を踏んで歩いていると、肩に大きな重力が掛かって、前に転びかける。

「っと。あっぶねー」
「おいおい、今からそんなで大丈夫かよ?」
「大丈夫ですー。心配ありませんー」
 抱き留める太く力強い腕を振り払おうとした矢先、耳元で強く囁かれる。その声があまりに深くて、葉桜はよく聞き取れなかった。

「な、耳元で騒ぐなっ」
「はっはっはっ、耳弱いんだっけ?」
「わかってるなら、やめろっ」
「やだね」
「なーがーくーらーっ」
 尚も強く締めつけてくる腕にもがいても、一向に緩む気配はない。じたじたと宙に浮いた足をばたつかせていると、耳朶を甘噛みされた。

「ぎゃー! たーべーらーれーるーっ」
「マジ、弱ェなァ」
「冗談言ってないで、本気でやめてー…っ」
 ぐったりとした葉桜を満足気に見下ろし、その首筋にもう一度口付けてから永倉は解放した。もちろん、直後に葉桜から殴られたのは言うまでもない。



p.5

4-宴席







 永倉との飲み比べは当然のように葉桜に軍配が上がった。

「おーい、もう終わりか、永倉ー?」
 酒瓶を抱えている永倉につまずきつつ、縁側から夜闇に身を宿らせる。だが、今度は佐藤彦五郎宅を出て、すぐに地面に座り込む。手持ちの酒瓶を直接口につけ、一気に呷ると溢れた雫が口端からこぼれ落ちた。口元を乱暴に手の甲で拭い、吐き出した吐息が空へ上ってゆくのを見つめる。

「何を考えている」
 ちらりと横目で相手を確認してから、温い笑みを零す。斎藤が先にいたのか後から来たのかわからないが、そんなことは別にどうだっていいというものだ。

「昔のことかなぁ。みんながいた頃のこと」
 閉じた目蓋の裏には今でもくっきりと思い出せる皆の姿があるのに、そのほとんどが今いない。あの頃は伊東さんも来たばかりで、夢に充ち満ちた人たちが揃っていた楽しい時間は今も胸の内で輝いているのに、戻ることは決して叶わない。

 もしも自分に力があればと何度考えただろうか。ある意味力はあるが、それを扱う方法はたった三つしか教わらなかった。

「俺は今でも伊東さんを尊敬してる」
 いつもならばこちらの言葉を聞くだけの斎藤が珍しく自分から話し出すのを、静かに聴く。彼も少し酔っているのだろうか。

「伊東さんは俺が間者だと知りながら、一貫して俺を友と呼んでくれた」
 彼の人を想い出す姿はいつも優しさに満ちていて、だけれどその芯は決して曲がらない強い人だ。新選組に来てから、彼の人生はきっと一変してしまった。それが定められたことだとしても、できることならば助けたかった。

 本当ならば、自分は御陵衛士と共にいくべきだったのかもしれない。そうすれば、彼らの命を救うこともできたのかもしれない。だけど、全ては仮定であり、過去であり、取り戻せないものばかりだ。結局葉桜にとって優先すべきは才谷だったのだから。

 視界に時折混じる赤にどきりとする。助けられなかった命、傷つけてしまった命がいつも自分を苛んでいく。この世は終わり無き地獄だ、などというのは誰の言だったか。

「あの日、あの男は指示された場所とは異なる場所で待機していたようだ。伝令が間に合わなかったのも道理」
 あの日というのはきっと温もりがこの腕の中で絶えてしまった日のことだろう。絶対に避けなければならなかったのに、救えなかった。伊東も、他の御陵衛士の皆も。

 両目を閉じて、強く歯噛みして気持ちを抑え込む。本当ならば、今すぐにでも大石を斬り殺してしまいたい。だけど、同時に彼を救いたいとも思う自分がいる。血潮に溺れて、命の尊さを失ってしまった哀しい人だから、そうなる前の彼を知りたいと願ってしまう。純粋に剣の道だけを求めていた彼を、知りたいと。

「俺は結果的に御陵衛士を裏切った男のまま、篠原さんたちとも完全に敵対関係となってしまった。だが、いや、だからこそ俺は伊東さんに報いなければならない。俺の友を斬った、あの男を、俺は絶対に許さない」
 立ち上がり、静かに怒りを燃やす斎藤をまっすぐに見つめる。

「斎藤のいう、あの男、ってのは大石か?」
「ああ。新選組の中でただ一人、そばにいて気分が悪くなる、あの男のことだ。俺はあの男を仲間だと思ったことは一度たりともない」
 見つめ返される視線を哀しいと思ってしまう自分は、いけないのだろう。きっと自分だって同じように思わなきゃいけない。大石はすべてをぶち壊してくれたのだから。

「もう我慢の限界だ」
 葉桜自身だって、自分が大石を憎まなきゃいけない、憎むべきなのだとわかっている。だけど、もしかすると彼がこうなってしまったのもまた業の影響の一つなのではないかと考えてしまうと、憎みきれないのだ。

「初めてだよ、自分の感情だけで人を斬ろうと決意したのは。才谷さんを襲ったのもあの男だろう。見廻組を張っていたヤツには十分に先回りする機会があったろう」
 もしも、この話をしたら斎藤は自分を斬るのだろうか。

「確証は?」
「鬼畜を斬るのに確証など必要ない」
 これだけ怒りの感情を表に出してる斎藤さんを自分はきっと受け止められない。だけど、少しでもその心が和らぐように軽口を叩く。

「今は抑えていろ、斎藤。おまえ以上にあの男を許せない者がいるんだ。彼らも並の剣士じゃないことぐらい、わかるだろう?」
「…だが」
 軽く肩を叩き、自分は宅内へと足を向ける。背中に感じる斎藤の視線をぐっと受け止め、片手を上げる。

「誰にもあいつらを止められないよ。私にも、な」
 斬られるべきはきっと大石でなく自分なのだと言い出せぬまま、葉桜は宅内へ足を踏み入れた。直後に片腕を急に取られ、緩い力で壁に背中をつけられる。目の前には真剣な面持ちで自分を見つめる斎藤の強い瞳がある。

「葉桜、おまえ、まだ何か隠しているな?」
「…何を…っ」
 まっすぐさに耐えきれずに顔を背ければ、顎を取られて無理矢理に視線を合わせられる。逃げ場は、ない。

「おまえだって、あの時の怒りを忘れたわけではあるまい。何故、あの男を庇う」
「か、庇ってなんかいない」
 斎藤はこちらの言葉を聞いてくれていない。

「…まさか、おまえはあの男を選んだというのか…!?」
「妙な誤解をするなっ、私には誰も選べな…っ」
 慌てて言ってから、顔を背ける。ヤバイ、言ってはならないことを口走った。

「…誰も、選べない…?」
「……」
「それはどういう意味だ、葉桜」
 自分の命にはきっと遠くない未来に期限がある。それはずっと感じていたことだ。だけど、誰にも話すつもりはなかったのに。

 ちらりと斎藤を盗み見る。先ほどよりも真剣な眼差しが突き刺さるようだ。数度それを繰り返し、はぁと息を吐く。話さなければ解放してくれそうにない。

「ごめん、私の負けだ。話せることは全部、話す。だけど、絶対に誰にも話さないと約束してくれ」
 自分という存在がどれだけの影響を新選組に与えてしまったかしれない。だけど、これ以上巻き込ませるわけにはいかない。

「斎藤も知っての通り、私のこの身体は徳川の影巫女としての役目がある。表の巫女には幸いを願い祈る役目があり、影の巫女には徳川に徒なすモノを打ち破る力がある。この徳川に徒なすモノを私達は、業、と呼んでいる。代々の巫女達は巫女としての神気を操り、その業を昇華させてきた。だけど、私の場合は特殊でそうすることができないから、剣に神気を宿らせて業を浄化させることしかできない。その際に受ける傷も業のひとつだ。

 今この国には過去最大とも言われている業が渦巻いていて、それを浄化するためには剣だけでは間に合わないんだ。だから、私はーー」
 ひとつ、息を区切り、震える手を壁につけて隠す。心を隠して、何でもない風に笑みを浮かべる。

「だから私は幕府が万が一活かされても、このまま滅んでしまっても、この身を捧げて全てを浄化するつもりだ」
 皆が心配をしてくれた。影巫女をやめてもいいのだと言ってくれて、方法だって示されている。だけど、自分がそうしてしまったあとのこの国はどうなるかと考えると、もう後には引けない。何よりも大切な人たちが世界から消えてしまうぐらいなら、自分が消えてしまう方がずっといい。

「残す者を作るわけにはいかない。残される傷みは誰よりも知っているから、私は誰も選べないよ」
 父様が死んでしまったときの深い悲しみをまだ覚えている。血のつながりが無くても、そんなものは関係なくて、父様の家族の哀しみの深さはしっかりと焦ることなくここにある。

 だけど、何よりも自分が残されてしまったときが怖い。これ以上独りになって、狂わないでいる自信はない。そうなったら、きっと自分は世界を壊してしまうだろう。すべてを、無に返そうとしてしまうだろう。

「…葉桜」
 抑え込むような視線の圧力が和らぎ、ふわりと斎藤の腕に抱きしめられた。

「おまえは馬鹿か」
「!?」
「俺は葉桜の諦めの悪さは誰よりも知っているつもりだ。おまえがそう簡単に道を諦めるヤツでないことぐらい分かっている。そんな嘘で俺が騙されると思っているのか?」
 強く抱きしめられて胸が苦しいからなのか、それとも言って欲しい言葉を言ってくれて嬉しいからなのかわからない涙が溢れて、斎藤の肩に顔を埋めた。

「買い被らないで。私は、斎藤が思うほど強くないよ」
「葉桜」
「…でも、ありがとう。もう少し頑張ってみるよ」
 もう少しだけ、生きる道を探してみよう。確かに哀しむ人を作らないためにはそれが一番良いのだろうから。

「だから、今のは忘れておいてくれないか? 皆に知られたら格好悪いだろ?」
 身体を離して微笑んだ葉桜を見て、また斎藤も温かな笑みを返した。



p.6

5-宴席







 部屋に入ろうとしたら、いきなり怒鳴り声が聞こえてきた。聞き慣れてはいるけど、それでも不快になることには違いない。

「おらっ! もっと酒を持ってきやがれ!」
「は、原田さんっ! もう少し自制して」
 他の奴なら問答無用で昏倒させるのだが、相手はあの原田だ。沖田曰く、本能に抑え込まれた知性が出てくる原田だ。辺りを見回して空の酒瓶の数を数えてから、慌てている新人隊士らを安心させるように声をかける。

「心配するな。原田は酔うと信じられないほどおとなしくなるから」
「えっ!? ほ、ホントですか?」
「ホントだって。これだけ飲めば、そろそろだろ」
 そう言った直後にまた吼える声が聞こえて、耳を塞ぐ。

「チクショー!! 薩摩のバッキャロー!! ぶっ潰す!!」
「…うるせぇ…」
 いつそうなるかまではよく知らない葉桜だが、いくら何でもこんな風な飲み方をする原田は見たことがない。まるで、自棄酒を呷っているような原田の肩をとんとんと指で叩く。

「原田、もう少し静かに」
「あん!? 貴様誰に向かってそんな口を!」
 貴様と言われた瞬間に手が出ていた。ごんと、小気味良い音が辺りに響き渡る。

「いってー…」
「ちょーっと私と二人きりで話そうか、原田。外にでも出て夜風にあたって」
 辺りから容赦ねぇー、とかすげー、とか畏怖と感歎の混じる声が聞こえるのを完全に無視して原田に微笑みかける。こちらをちらりと見てから、原田ははぁと軽いため息を吐いた。

「わぁ~ったよ。行くか」
 立ち上がる原田の背を押し、葉桜は周囲を安心させるように顔だけ振り返って微笑んだ。閉じた障子の向こうから安堵と不満の声が届いてくる。

「うわ、あからさまに俺たちの時と態度が違う」
「聞こえてっぞ、オラ!」
「ひえぇぇ~!」
 いつもならすっかりできあがって面白いことになるのに、まったくの素面の原田がまた怒鳴り声をあげた。ったく、近所迷惑にも程がある。葉桜は外に出て直ぐ、原田を正面から見据えて、眉間に皺を寄せた。

「どうしたんだ、原田。今日はいつもと違うぞ? 酒飲んで荒れる原田はちょっとイヤだなぁ」
「あ…ああ、まあ今日は何となく素直に酔えなくてな」
 だからって、あれは酷すぎる。こちらの迷惑ってのも考えて欲しい。

「何考えてんのか知らないけど、酒はもっと楽しく飲もーや。絡み酒はみっともないぞー?」
 うりうりと頬をつっつく手を避けられ、罰が悪そうな顔で原田が呟く。

「この辺りに来るとな、何だか平助らのことを思い出しちまってさ。何か少しでも別にきっかけがあれば、平助たち今頃、俺たちと美味い酒を飲んでたのかもってよ」
「原田、藤堂と鈴花ちゃんは死んでないんだからな?」
「わーってるよっ! ただな、そんなこと考えてっと何か無性にいたたまれなくってな」
 言いたいことはわかる。もしも自分が才谷や伊東らを助けていられれば、同じ状況でももっと楽しかった。哀しいコトなんて考えないで、ただ皆で美味い杯を酌み交わしていられたかもしれない。それは限りなく細い未来かもしれないけれど、少なくとも命があれば和解の道はあったはずだ。いまや完全に立たれた道を思うと後悔の波にのまれてしまいそうになる。

「薩摩につけ込まれる隙を作ったのは平助たち自身だ。己の道を行くならだまされちゃいけねぇ。まして、それで命を落とすなんぞ問題外だぜ」
 そんなことはわかっている。きっと伊東らもよくわかっていたはずだ。みんな、わかっていたはずなんだ。どこで誰が道を誤ってしまったのか何て考えても、今はもうどうしようもない。

「でもな、一番悪ぃのは薩摩のヤツらだ! 俺は薩摩を絶対に許さねぇ! 平助たちを、てめぇの道具みてぇに使い捨てしやがった薩摩がな!」
 どこで間違えてしまったんだろう。自分はただ新選組の皆がそれぞれの夢を掴むことの出来る道を知りたかっただけだ。それぞれ皆が生きて、掴める未来が欲しかっただけだ。自分の祈りで願いが叶うことはないから、だからこそ剣で道を斬り開くことしかできなくて。だけど、剣で無理矢理に開かれる未来はどこかでゆがみがあったのかもしれない。誰も不幸にしないで、掴める未来があったら良かったのに、自分はそれを見つけることが出来なかった。それだけが今は悔やまれる。

「俺は何があっても戦い続けるぜ! 薩摩がこの世から消えてなくなるまでなぁ!」
 原田の強すぎる想いに当てられたのか、ほろりと一滴が転がり落ちる。復讐は復讐しか呼ばないとわかっていたのに、自分には止めることが出来ない。原田が心の底から薩摩を憎んでいるのはたぶん、自分の所為だ。何も出来なかった、自分の所為なのだ。

「…ごめん」
「な、なんで葉桜が泣いてんだ!?」
「…ごめん、原田」
 謝ってすむことじゃないけれど、自分に力があればいいのにと今ほど願ったことはない。父様が死んだときだって、ここまでの願いは生まれなかった。原田はとても優しい人なのに、こんな風に強い怒りを宿らせてしまったのは自分の所為だ。

「なんで、謝んだよっ! いーから、泣きやめっ」
「…ごめん、私…」
「~~~っ」
 俯いて両目をこすっている葉桜の顔に手拭いが押し当てられ、次いで肩が引き寄せられ、胸が苦しくなった。

「男の前でそんな無防備に泣いてんじゃねーよ。…調子狂うだろ」
「…ごめん」
「いいから、もう謝んな。泣きやむまで、こうしててやるから」
「…原田」
「今だけだかんな」
「ん。…ありがと」
 身体に耳を寄せて、そっと鼓動の音を聞く。それだけが今は安らげる音だからだ。生きている証だからだ。原田は、まだ生きてる。だから、まだ全部が全部手遅れじゃない。そう、誰かが言ってくれている気がした。

「私、な」
「あん?」
「私、ずっと、一人だったんだ」
「……」
「父様のトコへ預けられるまで一人で、世界の温かさを知らなかった。だけど、父様が死んで、新選組に来るまでの間もやっぱり、何も知らなかったんだと思うよ」
「…葉桜」
 自分は結局何も知らない、ただの子供のままだった。父様が死んでからずっと、ここまで必死になることを、誰かに関わることを避けていた気がする。

「父様の大切にしていた世界だけが私の全てだったから、だからずっと守りたいんだと思ってた。だけど、今は新選組の皆が大切で、皆の目指す未来を私も見たいんだ」
「もちろん、それぞれに見る小さな未来に違いはあるかもしれない。だけど、結局は同じだと思うんだ。近藤さんの見る未来を見たいから、原田だってここまできたんだろう?」
「私も、同じだから。だから、全部諦めないことにする」
 原田に抱きしめられたまま、顔を上げて、微笑んだ。何もかもが叶えられるワケじゃない。だけど、自分は欲張りだって葉桜は知っているから。

「全部の未来を私は叶えるよ。だから、ひとつだけ約束してくれないか?」
 願うことはただ一つ。

ーーこれ以上、誰も欠けることがないように。

「絶対に生き残れ。それで、藤堂や鈴花ちゃんたちとまた美味い酒を飲もう!」
 笑っている葉桜を呆然と見下ろす原田の顔が急速に朱に染まり、隠すように葉桜の頭を強く胸に抱き込んだ。

「お、おうっ! そんときゃ、また飲み比べしようぜっ」
 答えたいけれど、苦しくて答えられない葉桜が両手足をばたばたさせて、それでも離してくれない原田の前に力を無くす。そうすることでようやく解放された後で、もちろん葉桜は原田を蹴りつけた。

「加減を考えろ、馬鹿!」
 死ぬかと思っただろ!?と息巻いている彼女に慌てて原田が頭を下げている姿を数人の隊士が微笑まし気に眺めていて、あとでからかわれた原田がまた怒鳴って、また葉桜に思いっきりの鉄拳をお見舞いされたのは言うまでもない。



あとがき

1-甲州遠征


ひっそりと前回に引き続き近藤さん話に。
良順先生との絡みがゲームでは少ないのが少し不満です。
そんな私はおじさまスキー(ひっそりとカミングアウト(するな。
本当はヒロインの父話系の方がアグレッシブで楽しそうです(何。
番外編を書くには早いしなー。困ったx2。
(2007/1/9 01:30:10)


2-佐藤彦五郎宅


この会話って、ここで交わされるものでもないですが、それはそれで。
ところで、最近「幕末恋華・新選組」をやらないとこれを読んでもわからないと言われたんですが。
かなり難しくなってますか…?
ますか…。精進します。
(2007/1/9 11:51:43)


3-宴席


近藤さんと見せかけて、永倉さん話。
話が暗いんで、明るくしようとしただけなんですー。
それがどうして襲われているのか。
書いている私もよくわかりません。
(2007/1/9 11:52:20)


4-宴席


えーと。
うん、斎藤さんは別人かもしれません。
特に最後の数行。
(2007/1/9 01:23:57)


5-宴席


原田も玩具です。
嘘です。すいません。
ちょっとだけ原田とのロマンスを目指しています。
そして惨敗しています。
書こうとすると、メッチャ照れて逃げ回る彼を誰かなんとかしてください。
でも、そこが原田のイイ所でもありますけどね。
(2007/1/9 11:54:22)