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書名:GS
章名:氷室零一

話名:誰彼のまどろみ


作:ひまうさ
公開日(更新日):2002.8.4
状態:公開
ページ数:3 頁
文字数:4394 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
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p.1

 今年から、私はまた新たな1年生の担任となった。

「静かに!私は本年度の君たちの担任となった氷室零一だ」
 こうしてまたいつもの1年間が始まる。もう幾月もの歳月を過ごした教室が、新鮮な息吹を吹き込まれて息づく。教室に一歩踏み入れた瞬間に広がる静寂は、交響曲を演奏する前の静けさに似ている。完成された演奏を私は指揮棒ではなく、教師として演奏し始める。この私の完璧な演奏の前に、完成されないものなどないと彼らはすぐに思い知るはずだ。

 例年どおりに始めたHRなのに、気がつくと眼鏡の奥で何かを探している自分がいた。――足りない。決定的に何かが欠けている。

「先生!恋人はいますか?」
 毎年のようにこういう質問をする輩はいる。いつもは顔を険しくしているところだが、それで気がついた。そうだ、いるわけがない。彼女はここにいるはずもない。

「たった今、そういうふざけた質問をしないようにといったはずだ」
 口元が自然にほころんでくる。

 東雲 春霞は、もう卒業したのだからいるわけがない。



p.2

 夕日の眩しさと、柔らかな空気が私を呼んだ気がした。オレンジの光に音楽室全体が飲み込まれ、ひとつの風景のように私は納まっていた。染まるピアノの向こうに私服の女性の姿と、部の女子生徒の姿が見えた。女性が着ているのは黒のサブリナパンツに桃色のチュニック。

「…から。…ね?」
「あ…っ! あの、それじゃ、さよーならっ」
 逃げるように駆けていく足音は、吹奏楽部の生徒のものだ。うたた寝をしているうちに、部活も終わる時間になっていたらしい。

「あはっ、バイバーイ♪」
 廊下の向こうに半身を出して、見送ったのは誰だろう。

「…何を、話していた?」
 声に驚いたのか、春霞は手に持っていた何かを机に置いて振りかえった。

「もう起きちゃったんですね、せんせぇ」
「…何故、ここにいる」
 寝起きだから頭がはたらかないのではない。幻覚でもなんでもなく、どうして彼女がここにいるのかと疑問が残った。

 春霞は悪戯に微笑んで私を惑わせる存在だ。どんな強い酒よりも、強く私を酔わせる。

「もちろん、せんせぇに会いに来たんです♪…って、そんな怒らないでください。あの…、冗談ですから」
 喜ぶより、先に顔をしかめていたらしい。

「カワイー後輩に会いに来たんですよ。今年もかなり入ったみたいですね。やっぱり、せんせぇの効果ですよね。ちょっと…恐いけど…アレだし」
 考える仕草をしつつ、独り頷いている。つまり、母校訪問に来たついでに、自分の所属した部活に顔を出したというところか。

「アレとはなんだ?」
 聞き返すと、驚いた顔が困ったように笑んだ。

「いいたくない、です」
 何度聞き返しても、春霞は答えない。

「自覚、ないんですね」
 そのように深くため息をつかれても困るのだが。

「…二人ともどうしてこう…アレなんでしょうね」
「だから、アレとはなんだ」
 そして、もう一人とは一体誰のことだ?

 質問には全く答える気がないとでもいうように、春霞はピアノに向かった。

「東雲」
「ねぇ、せんせぇ。1曲ひいてください」
「…弾けば、答えるか?」
 その解を得られぬまま、私はピアノを開いた。椅子を持ってきて、春霞も隣に座る。

「なんの曲だ?」
「何でもいいです」
 夕日が世界に投げかける一日の僅かな光は、かすかに春霞を照らし出す。なんてキレイなんだと見とれかけた視線を外して、衝動に駆られる心を留めた。

「そうだな…」
 今、この時ならば弾けるかもしれない。そうして弾き始めた曲はいつものクラシックではなく、何時も父が弾いていたジャズだ。技術だけしか持っていない私に、この曲を父以上に弾きこなすことはできなかった。

「…聞いたことある。なんだっけ…」
「Say You Love Me」
「…でも、クラシックじゃない…」
 意味に気がついて、春霞が小さく声をあげた。

「…母が」
「え?」
「好きな曲で、いつも父が弾いていた」
 こんな話は言い訳でしかない。でも、知っていて欲しいと思った。父の演奏は完璧とまではいえなかった。だが、それ以上の演奏を私はできない。教師として、完全な自信はある。だが、彼女に対しては正直、なんの自信も持てない。

「ステキな御両親ですね」
 うっとりと返ってくる答えに、それだけで満足してしまった。春霞の前で私はどんな表情をしているのだろう。

「ねぇ、せんせぇ?」
「なんだ?」
「一緒に帰りませんか?」
「問題ない。君の家は…」
「せんせぇの帰路にありますものね」
 先を取って、春霞は柔らかく微笑んだ。その微笑だけが私の心を溶かすこと、君は知っているのか?



p.3

 黄昏時の音楽室に住む魔が、刺したのだと思う。

「せーんせっ」
 驚かそうと突然開いたドアの向こうに、二つの影が見えた。氷室零一と、もうひとつ。

「…っ!」
 影は氷室から急いで離れた。

「あ、春霞先輩…」
 うろたえる声。

「何、してたの?」
「いえ、その…寝て、いらっしゃるので…」
 夕陽よりも赤い彼女の顔から、何をしようとしていたのかはわかった。

「…起こして、くれようとしたのよね?」
「はっはい!」
 机の上に置いた鞄を引っつかみ、横をすり抜けて出ていこうとする女子高生を引き止めた。

「ねぇ、普段はあんなに怖いのに、どうして寝ているとあんなに無防備なのかしらね」
 少女は顔を引きつらせたまま、ムリに笑顔を作ろうと振り向いた。

「でも、零一さんは私のだから、ね?」
 泣きそうな顔で走り去る少女に、私は機嫌良く手を振って見送った。――絶対、誰にも渡さない。

あとがき

氷室先生大好きですっっっ♪
というわけで、卒業後約1ヶ月後のお話。
主人公ちょっとライバルに厳しいです。
補習中に眠ってしまう先生と、ピアノを弾く先生がイイ!
…あれ?でも確か…
先生に名前を呼んでもらおうとして書いてたんじゃなかったか、自分?
…え、えーっと。先生が語りなんで、その中で呼ばせてみました(爆)
でも、恥ずかしいので呼ぶときはまだ苗字で。心の中だけで呼んでいるという感じで。
鈍い二人というのは、もちろん葉月と先生です。
二人とも好かれてると思ってないんじゃないかなぁ~。
鈍さにかけちゃ、主人公も人のこと言えないと思いますけど。
(2002/08/04)