早朝の空気は気分を引き締めさせる。朝は誰もが清々しく清涼な気分に包まれる。誰も来ていない学校は静かだが、それは決して放課後の学校の姿ではなく、これから始まる日常に校舎さえもざわめきたっている。
今日は抜き打ちで小テストを用意していた。藤井もこれは予想できないだろう。出来る生徒も完全に予想がついている。
「…フフフ」
堪えきれない微笑が零れる。いけない。これではいつ他の生徒にばれてしまうことかわからない。
顔を引き締め、私は職員室へ歩き出した。
そのとき。
細い細い音色が聞こえた。
ここから音楽室が遠いから当然だが、静かな校内にやけに響いている気がする。これほど熱心な吹奏楽部員がいただろうか。
その音色はフルートであるらしかった。現在いる吹奏楽部の奏者から搾り出しても、これほどの音色を出すものに思い当たらない。顧問としてわからないというのは許しがたきコトだ。ぜひとも確かめねばならない。
そうして向かう間も演奏は続いている。
「珍しいな。フルートで、というのは」
曲目はおそらく、サティ。おそらく、というのはサティの中のこの一曲を私はフルート一本でなど聞いたことがないからだ。ピアノの独奏ならば、私もたまに弾いている。あの場所にはそぐわないので普段は滅多に弾かないのだが、たまに弾きたくなると生徒たちを帰した後の放課後の音楽室でよく弾いている。
そういえば、先日それを目撃した生徒がいた。私のクラスの生徒で、東雲、といった。この学園には高校からの転入生で、思ったよりもよく伸びる生徒だ。
まだかなりの未熟さを残すが、何かを訴えるように強く心に響いてくる演奏だ。
段々と早足になりながら、触発された心が歌い出す。
本来のこの時間はもう職員室についていなければならない時間だ。なのに、先にどうしても確かめたかった。
「…!!」
音楽室を覗いた私は、慌てて姿を隠した。どうして私が姿を隠さねばならないのだ。でも、楽しげに演奏するその笛の音を止めてしまうには忍びなかった。
奏者は、東雲 春霞。私のクラスの例の生徒だ。
大人しく、従順な彼女がこれほどの演奏をするとは思わなかった。聴くものすべてを引っ張る、とでもいうか。本来はピアノ曲であるのに、これほどの表現力。静かながらも、激しい情熱が伝わってくる。
こんな演奏は久しく聞いていない。まるで、誰かに激しく恋でもしているかのような――。
音が語る相手は誰だ? よくいるのは担任の私だが、東雲は誰にも優しい優等生だ。女性にも人気が高く、男子生徒にも思い寄せるものは多い。イベントのたびに落ち着かなくなるのは、私も同じ…
な、何を考えているのだ、私は。
時計を見る。時間は8:30。9:00の始業時間まではまだ時間があるが、登校してくる生徒も増えてくる。
このまま聴いていたい気もするが、他の男に彼女の演奏を聴かせたくない気もする。
「……」
この感情はなんだ。東雲は私の一生徒。それ以上でもそれ以下でもない。
練習を止めさせようと思った時、先に演奏のほうが止まった。バタバタと慌てて楽器を片付ける音で、次に起こることに気づき、私は慌てた。聴いていたのが、聞き惚れていたのがバレてしまうのは、非常に気まずい。
そんな心配を通り越して、東雲は反対側のドアから飛び出し、階段を駆け下りていった。
「…は…っ」
止まっていた息を小さく吐き出す。その色が安堵だと気づき、久しく笑みが浮かぶ。
誰もいなくなった音楽室に私は足を踏み入れた。窓が開け放たれている。そして、何故かピアノも開けてある。さっきまでの演奏にピアノはなかったはずだ。
「65点、だ」
指一本だけで軽く音を鳴らし、私はピアノを閉じた。
優等生の東雲らしくはない。でも、私も…今日は…。
「帰りにでも、弾くか」
いつか、東雲と演奏できたらと思った。
思いつきで書いてしまったものです。
卒業前で、放課後の氷室のピアノを聞いた後、真似をして主人公がフルートで弾いている、と。
なんでフルートって…文化祭で主人公が吹いているんだもん。
(2002/08/18)