幕末恋風記>> 日常>> (元治元年葉月) 05章 - 05.3.1#消えた傷(追加)

書名:幕末恋風記
章名:日常

話名:(元治元年葉月) 05章 - 05.3.1#消えた傷(追加)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.7.11 (2010.3.6)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:4544 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
47#消えた傷

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p.1

(近藤視点)



 方々から聞こえてくる歓喜の声を聞きながら、葉桜君は自室の縁側の柱に寄り添い、目を閉じていた。老中から感謝状なんて珍しいことがそうそうあるわけもなく、今回のことは葉桜君だって功労者の一人なのだから、仲間と共に喜んでも良さそうなものなのだが、葉桜君は変わらない。いつものように居眠りをしているだけだ。

 俺が踏みしめた床が立てる低い音を聞いても、葉桜君は目を開かない。だが、気が付いてはいるはずだ。

「こんなとこにいないで、部屋の中で寝たらいいのに」
 近くまで寄って、俺は葉桜君の少し日焼けた頬にそっと手を伸ばす。俺の手に先んじた風が葉桜君の髪を揺らし、彼女の頬をくすぐってゆく。葉桜君は特別美人というほどじゃないし、特別可愛いわけでもない。だけど、何故か葉桜君には惹かれるものがあって、俺も放っておけない気分にさせられる。俺の指が葉桜君の肌に触れる寸前、彼女の大きな瞳がぱちりと開く。微かに赤茶の光彩が混じる葉桜君の黒い瞳は、大きく開かれた後で一度閉じられ、また直ぐに今度は半分ばかり開かれた。

「……近藤、さん……?」
 ぼんやりと寝ぼけている葉桜君を笑い、俺はその頭に手を置く。

「ただいま。今日は非番?」
「……今日は……死番、だったかな?」
 俺の質問を聞き間違えて答えつつ、葉桜君がフルフルと頭を振る。

「ああ、えと、近藤さん? いつ、戻ったんですか?」
「今戻ったばかりさ。葉桜君はよーく眠っていたねぇ」
 まだ眠気が覚めないのか、目元をこすっている葉桜君の手を俺は取る。案の定、葉桜君には煩そうに振り払われた。

「うん、昨夜は一仕事あったかふぁ」
 葉桜君は寝たりないのか、大きな口を開けて、欠伸をする。掃討戦以来調子が悪いのか、葉桜君がこうしてのんびりして姿を俺が目にする機会が増えた気がする。安心しきって、今日のように縁側で眠っていることなどよくあることだ。

「大捕物なんてあったっけ」
 俺が聞き返すと、葉桜君が吃驚したように顔を上げて、それからしまったという顔をした。

「あー……ごめん、間違いです」
「間違いって、何と?」
 気まずそうに顔を反らす葉桜君の顎を取り、無理矢理に俺へ向ける。動揺が見えるかもしれないと考えたが、葉桜はただにっこりと俺に微笑んだだけだった。

「賞状、いただいてきたんでしょう? 見せてくださいよ」
「あ」
 俺も思い出して、葉桜君から手を離す。それを見せてあげようかと思って、葉桜君に近づいたんだった。

 俺が賞状を取り出そうとしている間に風が動く。それが葉桜君の起こす風と気づいて、俺はとっさに手を伸ばしていた。

「っ!」
「どこに行くの」
 ただ掴んだだけなのに、その場に葉桜君は力を落として、へたり込んだ。今まで気が付かなかったけれど、さっきから面倒で動かしていないだけなのかと思ったけど。

「腕、怪我してたのか」
「っ」
 葉桜君は違うと首を振っているが、俺の前で涙を滲ませて、肩を押さえながらやっても説得力はない。手を掴んだまま、俺は葉桜君の袖を捲る。

「な、に……これ?」
 葉桜君の腕に無数の切り傷があることは俺も知っていた。見た目の年齢と実力や性別から考えてもそれは無理からぬことだから、今更驚きはしない。

 俺が目を見張ったのは、葉桜君の手首よりも少し下から二の腕の半ばまでにかけて、どす黒く彩られた禍々しい文様が彩られていたからだ。そこへ俺が触れようとすると、葉桜君は慌てて腕を引いて隠してしまう。

「ええと、刺青? ほ、ほら、原田の真似!!」
 確かに原田君は胸元に目立つ入れ墨を入れているが、葉桜君のそれは明らかに嘘とわかる言い訳だ。俺にはそれがどう見ても刺青に見えない。

「葉桜君」
 俺は強く、葉桜君の名を呼ぶ。

「う……っ」
「理由はともかく、その腕で仕事するつもりだった?」
「実は、もう原田に代わってもらってます」
「そう。それなら、」
 一瞬安堵の表情を浮かべる葉桜君を、俺は両腕で抱え上げる。葉桜君は普通の女性よりは多少重いが、その身長や見た目に反して軽い。

「ちょっとおいで」
「私に拒否権はないんですか」
「あはは、あたりまえじゃない」
 俺の部屋に連れて行き、葉桜君をそっと俺の布団へ横たわらせる。そのまま待つように言い置いて、一度部屋を出てからすぐさま俺は戻る。すると、案の定葉桜君は起き上がっている。

「今、医者を呼ぶから待ってなさいって」
「医者にどうにか出来るならいいですけどね」
「葉桜君ー」
「はいはいはーい、わかってますよ」
 大人しくしてますという葉桜君を信じて、俺は今度こそ部屋を出た。だが、医者と共に戻ってみると、葉桜君の腕には何の影も残っていなかった。ただ代わりにある痛々しい傷跡に、医者は目を見張るばかりだ。

「あれー?」
「古傷ばかりですね。私に出来ることはないようだ」
「御足労かけて申し訳ありません。どうにも出来ない怪我なら、まっさきに先生のトコへ行くんで、そのときはまたよろしくお願いしますよ」
 医者を帰らせてから俺が聞いてみても、葉桜君はいつもどおりにはぐらかすばっかりで。

「医者にどうにかできないなら、自分でどうにかするしかないんですよ」
「だから、どうやって」
 俺の前でカラカラと笑う葉桜君は、もういつも通りで。

「ほらぁ、古来からあるでしょ。傷口に酒をかけてってヤツ」
「それでどうにかなるようなもんじゃないでしょ~。第一、それは消毒」
「あれ、そうでしたっけ? あははっ、まあ治ったんだからいいじゃないですか」
 俺が思いっきり誤魔化されているのはわかったけど、葉桜君は追求の隙をまったく与えてくれなかった。なにかあるはずと俺の勘が告げているのに、葉桜君はもうその手を掴んでも軽く振り払ってしまう。

「さてせっかく休みになったし、昼寝の続きしてきます」
 悠々と出て行く葉桜君を俺は止められなかった。

 部屋に一人残された俺は、頭を抱える。考えても仕方がないことだが、一体葉桜君は何者なのだろう。

「聞いても素直に教えてくれるワケないしねぇ」
 俺が吐いたため息は空気に溶けて、ゆるりと消えていった。



p.2

(才谷視点)



 薄闇に光が煌めく。ゆらり、煌めき、赤を撒き散らし、消えてゆく。

「まさか、近藤さんに見つかるとはねぇ」
 葉桜さんは自分の懐から手拭いを取り出し、鮮血の滴る腕を縛った。その場所へ縦に紅い線が走り、血がしたたり落ちている。多すぎるということはないが、かなりの量の血が溢れる腕に片腕と口で器用に応急処置を施しつつ、葉桜さんは夜を仰いだ。

「皆鼻が利くから、本当に気をつけないと」
 痛そうには見えないのに、笑っている葉桜さんの片目から透明な雫がぼたぼたと溢れて落ちる。ただ流れるだけのそれを拭わず、葉桜さんは光が揺らめく水に近づく。

 そこに映る自分の顔をみて、何を想うか、わしにはわからん。

「ったく、なんでこんなことで泣いちゃってんだか。……馬鹿みたい」
 髪が濡れるのにも構わず、葉桜さんは川辺にかがんで、顔を浸けた。ほんの一呼吸で水から放れ、フルフルと頭を振って、水を辺りへ飛ばす。

「哀しくなんてないのに、馬鹿みたい。そう、思わない?」
 誰に問いかけたのか、返ってこない応えに苦笑し、葉桜さんは袖で顔を拭った。わしもこんな夜中に出会う人がいるとは思わなかったが、姿を現すつもりもなかった。近寄りがたい清浄な空気を放っていて、近づくだけで葉桜さんを穢してしまう気がして。葉桜さんのほうでも、あえてわしを引きづり出すような面倒もしたくないのだろう。遠目でも逢いたくないと、空気がはっきりと拒絶している。ならば今は会わないほうがいいのかもしれない。そう思い、そっと踵を返したわしの耳に葉桜さんの優しい声が届いた。

「最近は物騒だから、早く帰った方が良い」
 そんなことはもうここ数年ずっと続いている今更なことだというのに、何故今そう言うのか。わしはもう一度みた葉桜さんの背を追いかける。そう遠い距離でもないので、すぐに追いついたが、その肩に手をかけようとして、寸前で留まった。わしの喉元に、月の光で懐剣の光が怪しく煌めく。

「哀しいから泣いてるワケじゃない。でも、名乗りもしない相手に預ける涙は持ち合わせてないよ。さっさと消えなさい」
「ワシじゃ、葉桜さんっ」
「わかってるから言ってるんでしょ、馬鹿梅」
 懐剣を仕舞い、葉桜さんが振り返るその前に、わしは腕を伸ばす。泣き顔を見られるのがイヤだというのなら、振り向かせなければいい。わしの考えをわかっているのか、葉桜さんは諦めたように深く息を吐いた。

「こんな夜中に、どうしてここにいるの?」
「なんとなく葉桜さんが泣いちゅうような気がしたからちや」
 いけしゃあしゃあとよく言う、といつもどおりの呟きが小さく聞こえて、わしは少しだけ安堵した。

「別に哀しいワケじゃないんだから、ほっときゃそのうちに止まるよ」
 止まるといわれて、わしは思い出す。葉桜さんの濃い色の着物がその袖の辺りだけ既に色を濃くしている。

「痛くないがか?」
「え?」
「せんばんと思い切りよお切ったから、声をかけられなかったが」
 わしが最初から見ていたということの方に驚いたのか、葉桜さんがわずかに身を強張らせた。気配に気が付いたのはきっと血が流れる腕を手拭いで縛っていた時だろう。声一つあげずに自らの腕へ刃を突き立てる姿に、わしは思わず気配を消すのを忘れたからだ。

「見てるわしのほうが痛うて……葉桜さん?」
 姿が揺らいだように見えて、わしは思わず力を込めていた。しかし、それにも葉桜さんは呻き声一つあげない。地面へキラキラと月光に照らされる光の粒が落ちていく。

「慣れてる、から」
 怪我をしていない腕で振り払われて、葉桜さんはわしから一歩間合いを置く。葉桜さんは泣いている声ではないのに、何故泣いているのか。わしの問いに、わからないと葉桜さんはいう。

「それに、こんなんじゃただの気休めにしかならない。私の力じゃ、こんなことぐらいしかしてあげられない」
 これは誰だろうと、わしは一瞬訝しんだ。あまりに、葉桜さんらしくない。常の葉桜さんはとても強く、涙も笑顔に塗り替えてしまうほど強くて。

「葉桜さん……?」
 近くを流れる水の音と木の葉を揺らす風の音をひととき聞いてから、ゆっくりと葉桜さんが顔をあげる。そこにあるのは、わしの知る葉桜さんの満面の作り笑顔。

「ところで、こんな時間にどうしているんだ? どこかへ向かう途中だったのか?」
「……葉桜さん?」
「ああ、まあ、聞いても送っていってやれないんだけどな。もう少しで土方が部屋へ見廻りに来るから戻らないと」
 部屋で寝てないと煩いんだ、と面倒そうにいいながら、葉桜さんは今度こそわしに背を向ける。葉桜さんはいつも世界の全てを受け入れているようで、人間にだけは冷たく厳しい拒絶を向けている。今は特にそれが強い。

 葉桜さんが消えた先をしばらく見つめてから、わしは慌てて追いかけたがもうそこに姿はなく。残り香だけが血の臭いを混ぜて漂い、直ぐに風でかき消された。

 夢だったのだろうか。翌日の普段通りの姿を葉桜さんを見て、わしはまたわからなくなった。ただ風で微かにめくれた袖口に覗く見慣れた傷痕が、妙にわしの気にかかって仕方がなかった。



あとがき

公開
(2007/07/11)


改訂
(2010/03/06)