幕末恋風記>> 日常>> (元治元年霜月) 06章 - 06.1.2#変わらないコト(追加)

書名:幕末恋風記
章名:日常

話名:(元治元年霜月) 06章 - 06.1.2#変わらないコト(追加)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.7.25 (2010.4.6)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:6015 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 4 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
58#変わらないコト
(服部)

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p.1

 毎日というのは繰り返しで出来ている。それは、新選組も例外ではないから、どれだけの新入隊士が入ろうとどんな任務があろうと、私の毎日も然り。

「変わらないコトなど何もないさ」
 そう言って私の日常を否定したのは誰だったか。そういった相手をぶん殴ろうとした自分がまだ子供だったことを、私は覚えている。だけど、相手は誰だったのか定かじゃない。あの頃の私の廻りにはそういうことを言ってからかう者が多すぎた。

「やあ、葉桜さん」
「っ!」
 道場でぼんやりと虚空を見ていた私は、いきなり声をかけられ、危うく剣を抜いてしまうところだった。

「は、ははっ、服部さんかぁ。おはよう」
 鞘に手をかけたまま苦笑いする私を少し不思議そうに見てから、服部は上座に座っている私のところまでまっすぐに近づいてくる。

「朝が早いとは聞いていたけど、まさか寝ていないのかい?」
 服部がいうのも道理で、私が道場の狭い窓から外を見ても、まだ日は昇ったばかりだ。

「まっさか~。服部さんこそ、早いですね。朝錬にはまだ時間がありますよ」
 足を止める気配のない服部に内心でドキドキしながら、私は平静に受け答える。私の目の前で立ち止まった服部はかなり大柄だ。相当の使い手と言われるのも頷ける理想的な体躯の持ち主で、私とて羨ましいと目を細めずにはいられない。

「一手お願いしてもいいかい?」
「いいですよ~。ただし、木刀ね」
 私はカラ笑いを零しながら、壁にかけられた木刀を二つ取り、一本を服部に向かって放り投げる。受け取った服部の表情は、私の位置からはよくわからない。

「私は天然理心流じゃないんで、ご期待にそえるかどうかはわかりませんけど」
 だけど、私は口の両端をつり上げ、にぃぃと笑う。強い相手と戦うのは好きだし、相手をしてくれるというのなら願ってもない。

「俺の考える通りの人なら、十分だよ」
「はははっ、なにそれ」
 からりといつものように笑ってから、私は両手を自分の前におろして、下段に高ヲて向き合う。他の誰もいない、古くからいる試衛館の連中には見せてきた剣も、伊東と共に入ってきた者たちに私は敢えて見せていない。その理由は先のことを考えてという理由が大半を占める。

 服部が構える中段の剣の切先にも、さっきまでより濃く気配が薫る。それは誰とも違う、柔らかで。

「はぁっ!」
 先に打ってきた服部の剣戟を正面から受け、私は自身が苦手とする鍔迫り合いでしっかりとその目を見据える。剣が無くなれば触れそうな距離で、私は服部にそっと囁く。

「聞きたいことがあったんじゃないの?」
 他のものなら怯むそれにも動ぜず、小さく服部は微笑んだ。押し負けるのは目に見えているので、私は剣を引き様に服部の長身を飛び越し、直ぐさま彼に向き直って、連撃を繋げる。

「身軽なんだ」
「ははっ、流石!」
 服部には私の打つ場所がわかっているみたいに全てを防がれて、まるで二人で舞うように攻守を繰り返して、ただそうすることが心地よい。

 流れは完全に私の手の内にあった。それが覆される一瞬を察知し、とっさに私は地を蹴り、服部から距離をとる。私がいた場所を寸前で服部の剣先が通りぬけ、剣を振り抜いた態勢のままで不思議そうな顔をしている服部を私は不敵に笑う。

「ふふっ、強いなぁ、服部さん」
「今のが避けられるのか」
 剣をおろした服部に合わせて、私も高ヲを解いた。

「その技を使える人が他にもいるとは思わなかった。肘は大丈夫?」
「え……」
「まあ、服部さんほどの体格なら心配いらないね。羨ましいなぁ」
 私が投げた木刀が音を立てて壁に当たり、元の位置に納まる。滅多にやらないが、私は新選組でこの狙いを外したことはない。片付けが面倒だから、実家の道場でかつて何度も練習して、習得したのだ。

「おつかれさん~」
 もう稽古は終わりだとして、道場を出ようとする私の前に木刀が突きつけられる。そして、次に服部が囁く言葉に私は反射的に心を凍りつかせていた。

「どこで、その名を?」
 服部が口にしたのはある人の名前で、私は久々に人からその名を聞いた気がする。私はいろいろな思いを堪えて、両目を閉じる。

「ちょっと面識があるだけさ」
「そう、か」
 私の動揺が服部に届かないでほしいと願う。服部が口にしたのは、私にとって、誰にも触れて欲しくない名前だ。今でも他人からその名前を聞くことが出来るということを、私は喜ぶべきなのかも知れない。だけど、名前を平静に聞くにはまだ、私には時間が足りない。私がその人を偲ぶ想いは決して消えないけれど、あまりに唐突すぎて、余裕も何も振る舞えない。

「知っているのなら、会うことはできないかな。一言、礼を言いたいんだ」
 会えるというのならこちらが会わせて欲しいものだ、と心中で呟く。

「……葉桜さん?」
 何度私が会いたいと願っても、会えない。世界中のどこを探しても、あの人はどこにもいない。私は私の中の絶望を悟られないように笑顔を作り、服部を見上げる。

「私も、会いたいよ」
 その時私は余程情けない顔をしていたに違いない。服部が何かに気づいた顔をする様子から、私は目を逸らす。

「力になれなくて、ごめん。じゃあ、もう行くよ」
 逃げるように道場を後にし、私は立ち止まらずにそのまま屯所を出て、人気の少ない墓所まで駆け抜けた。

「……っ」
 急に走りすぎたせいとは言えない涙が私の瞳から溢れ、声にならない嘆きをこぼす。聞いている者は誰もいないとわかっていても、大声で泣き喚くことも私にはできない。

 あの人の名前を呼んだことは一度もなかった。その名前は私にとって芹沢以上に特別で、世界中で一番大切だった名前だからだ。大切すぎて呼べないから、私はこう呼んでいた。

ーー父様、と。

(どうして、いまさら)
 父様のことは、芹沢のこと以上にふっきれたことだと思っていた。だって、父様は満足して逝ったのだ。最後まで笑っていた顔を私は覚えているし、葬式の時だって、私は周囲が心配するぐらい笑顔で見送った。そのせいで一悶着もおきたぐらいに、私は笑っていたのに。

 父様がどこにもいないのだと、私がはっきり認識したのはどこだっただろう。四十九日も過ぎた頃だったろうか。それとも、もっと後だっただろうか。仕事をしている間は過ぎることもなかったし、父様の話をするのも平気だったのに。

 今更こんなに辛い気持ちが、自分の中でぶり返すとは思わなかった。もう何年も前のことなのに、父様が死んだ時のことを私は引きずっているつもりもなかったのに。

 あまりに唐突で、あまりに意外な人から名前を聞いたから、自分を取り繕うこともできなかった。

 冷静になってきた私はようやく、あの時の服部の様子を思い出す。

「あとで、服部に謝っておかないとな」
 無理矢理に笑顔を作って見上げた空は既に明るく、青がどこまでもどこまでも高く澄んでいた。



p.2

(服部視点)



 この新選組で鍛錬をしていて、俺はふと不思議に思う。共に鍛錬をしている以上、多少なりと剣筋に影響が出るものだ。だが、葉桜さんの剣は誰にも染まらず、ただ高ヲるだけで辺りの空気を澄み渡らせるような気がする。血生臭いのは当然のハズなのに、葉桜さんの剣にはそれがなく、ただ澄み渡る氷の面のようで。

 俺は熱心な信奉者というほどでないにしても、葉桜さんの放つ空気を知っている。ここではなく、神社といった霊場の気配ととてもよく似た気配だ。

「服部さん、考え事しながらなんて珍しいね」
 藤堂くんの剣を受けながらだったので、俺は不満げに言われてしまった。たしかに今朝の葉桜さんについては、鍛錬の最中に考えるコトじゃない。

「すまない」
「俺は構わないけど、そんなに気になるなら行ってきたら?」
 木刀を収めた藤堂くんが、道場の外を指す。

「葉桜さん、そろそろ戻ってる頃だから」
 俺は驚いた。まさか、藤堂くんにそこまで気が付かれているとは思わなかった。

「あの人、顔広いし。大抵のことは解決してくれるよ」
「……え、ああ。そういうことか」
「え?」
 どうやら俺が葉桜さんを気にかけている理由を、藤堂くんに気が付かれているというわけではないらしい。

「じゃあ、そうしてみるよ」
 今朝の別れ際の葉桜さんの顔を見てから、俺はどうにも気分が落ち着かない。藤堂くんの言に素直に従い、俺は道場を後にした。そして、迷うことなく葉桜さんの部屋へと足を伸ばす。もし葉桜さんがいないとしても、俺は彼女がいつも座る縁側辺りで待たせてもらえばいいと思っていた。今はただ、葉桜さんにあって、話をしたかったから。

 屯所内、葉桜さんの部屋の周辺だけは空気が違う。人を安心させるような気配は葉桜さんの生来の特質だろうか。

 角を曲がり、あとはまっすぐ行けば局長室で、その手前が葉桜さんの部屋だ。よく部屋の前にいるという葉桜さんの背中が柱に寄りかかっていることに気が付き、俺は立ち止まる。葉桜さんは背中をピンと伸ばし、両目は閉じたまま右手を俺に向けて開いていて、そこから動くなと無言で指示する。

「あーぁ、もう来ちゃった」
 俺の耳に、楽しげな葉桜さんの呟きが聞こえた。それから俺を見た葉桜さんは、朝の様子が嘘に思える笑顔で笑いかけてくる。

「来ると思ってた」
 普段から葉桜さんは笑顔を絶やさない人だし、それにはいつも人を呼び寄せる感じがあるのに、今俺の足は葉桜さんに向かって踏み出せずに留まる。葉桜さんは笑顔だけれど、彼女が纏う空気の最奥に、俺は見え隠れする拒絶を見た気がして、ひどく驚いていた。だけど、その後の葉桜さんの行動はまったく違っていて、俺に向かって両膝を揃えて座り直し、深く頭を下げる。

「今朝はすまなかった」
 驚いている俺の前、葉桜さんは顔を上げずに続ける。

「服部さんの言った人のこと、私、知ってるんだ。私を育ててくれた人で……もうずいぶん前に亡くなってる」
 ゆっくりと葉桜さんが顔を上げると、先程の拒絶する笑顔ではなく、今朝と同じ泣きそうに柔らかな笑顔、だ。春の日の桜ように、見るものの胸に訴え、切なくさせる笑顔だ。

「久しぶりに父様の名前を聞いたから動揺しちゃってね。ははっ、まったく人騒がせな性格だ」
 いっそ大げさなぐらいに、葉桜さんは笑い続ける。

「葉桜さんの養い親だったのか。だから、剣に彼の姿が見えたのかな」
「そう、かな。そんなこと言われたのは初めてだよ。だって、私は剣を教わったことはなかったからさ」
 葉桜さんの笑顔の眦が僅かに下がる。

「教わってない? そんなハズは」
「仕合はしてくれたけど、まともに教えてくれたことなんてないよ」
 俺からすれば、それは明らかに稽古というものではないのだろうか。

「剣の、木刀の持ち方を教えてくれたのは別の人で、それまでは見様見真似どころか、私はまともに子供用の木刀を持つことだって出来なかったんだ」
 子供用でも持ち上げられないほどの歳で、葉桜さんは剣を持ったのだと言う。

「それまでは舞扇しか持ったこともなかったから、体力がつくまでにもずいぶんと時間がかかった」
 懐かしむ瞳が潤んだと思うと、葉桜さんは素早く立って、俺から背を向けてしまう。

「父様の剣なら、服部さんの方が使えるよ。私にはできない」
 だから、俺の知る人の剣と葉桜さんの剣が重なって見えたのは、俺の間違いだと断言する。そんなはずはないと言おうとした俺の言葉を、葉桜さんが遮る。

「剣に父様が見えるなら、ここにも現れてくれたらいいのにね」
 葉桜さんは虚空に両手を差し伸べて、空気をそっと抱く。まるでここにその人がいるように、それを願う仕草は普段の男らしさなどまったくなくて、ただ一人の小さな少女が俺には見える。

「ここにいてくれたら、私はーー」
 葉桜さんはそのまま霞んで消えてしまう気がして、俺は彼女に駆け寄り、その体に手を伸ばした。だが、俺の手と葉桜さんの間は、艶やかな布で彼女が覆い隠されてしまって。

「ただいまぁ、葉桜ちゃん~」
「お、あ、あぁ。おかえり、烝ちゃん。早かったね」
「葉桜ちゃんとお出かけしようと思ってぇ、急いで終わらせてきたのぉ」
 葉桜さんが抱きついてきた山崎くんに動揺したのは最初だけで、あとは慣れたように山崎くんをあしらっている。そこに浮かぶ笑顔は先ほどまで俺が見ていたものと全く違っていて、同じように笑顔なのに全然違うっていて。

「あー、そういえば、山南さんに呼ばれて」
「敬ちゃんなら、さっき外で会ったわよ」
 俺や他の隊士に見せるよりも年相応な笑顔を見せる葉桜さんは、やはり女性なのだなと俺に思わせる。

「じゃあ、原田に」
「午後から当番だって、寝てたわね」
「ええと……あ! 服部さん、私に何か用あったんだよね!?」
 必死に山崎くんから逃れようと俺に救いを求める葉桜さんは、さっきまでと違って現実味があって、可愛らしい。目で訴えてくる葉桜くんの様子に、俺はますます笑ってしまう。

「葉桜さんに稽古の相手をしてもらおうと思っていたんだけど、忙しいなら」
「ほらぁ、ねっ?」
 山崎くんが顔を近づけ、葉桜さんに何かを囁いた。何を言ったのかわからないが、瞬時に先ほど俺と話していた時と同じ空気が葉桜さんを包み込む。その笑顔も、変化する。

「あは、何言ってるの。何もないよ」
「本当?」
「大体、この私に勝てるヤツはなかなかいないよ」
 山崎くんは胸を張る葉桜さんの頭をぎゅっと抱き込んで、何かを囁いて、そしていなくなった。残された葉桜さんは、無邪気に俺に向かって微笑む。

「成り行きだけど、一本だけやらない? ここで寝てたらまた烝ちゃんに掴まっちゃうし」
 賭け事すると面倒になるんだとカラカラ笑いながら、葉桜さんは俺の横をすり抜けざまに俺の手を取る。葉桜さんの手は俺が思わず眼を見張るほど冷たくて、考えていたよりも小さな手で。俺が握りかえしたら、葉桜さんは一度目を大きくしてから、華やかな笑顔を見せてくれた。

 今度は子供のままというような葉桜さんの笑顔は、見るだけで俺の心も温かくなり、先ほどとは別の意味で不自然さを誘う。この新選組にいて、仕事とはいえ人を斬り続けて、変わらずにいることなどできるのだろうか。もしかして、葉桜さんは既に壊れているのではーー。

 不意に立ち止まった葉桜さんが空を見上げる。俺がつられて視線を移すと、空にはただゆるやかに雲が流れてゆくばかりだ。

「……このまま、時が変わらなければいいのに……」
 葉桜さんの小さな呟きを聞いて、俺は視線を戻す。葉桜さんは気が付いていないのかもしれないが、その横顔はさきほどのように空に消えてしまいそうで。俺がもう一度強く手を握り返すと、葉桜さんは再び開花する花のような笑顔を俺に見せてくれた。

 壊れていたら、きっとこんな風に感情豊かにはいられないだろう。だから、まだ葉桜さんはここにいて、そして足掻いている。

「そうだね」
 俺が同意を口にすると、葉桜さんは今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。



あとがき

誰で日常を書こうか悩んだ末、服部さんにしました
恋華の服部さんはかなり好きです
攻略できるならしたかった!
(2007/07/25)


改訂
(2010/04/06)