歌舞伎町近くでタクシーを降り、少し歩くと昼間は閑静な一画にたどり着く。昼間は、と行ってもビジネス街なんかに比べれば騒がしい方だろう。
手荷物の紙袋を抱え直し、よし、と気合いを入れて歩き出す。今日は薄藍の着物姿なので、普段に比べると動きにくいから、注意して道を歩く。すれ違う人々に比べて自分は少し小さな方だ。ぶつからないように避けながら道を急ぐ。
そうまでして目的地に向かう必要があるのかといえば、まったくない。むしろ、自分は邪魔でしかないだろう。逃げるように立ち去ってしまったから、嫌われているかもしれない。そうとわかっているのに、会いたいという気持ちが抑えられなかった。理由は全く見当もつかない。
「かーぐらー、前見て歩け、前」
のんびりとした男がそう言った瞬間、目の前に紫色のものが一杯に広がる。
「きゃっ」
「ん?」
転ぶというよりも盛大に突き飛ばされ、ころりと後転する。うまく受け身は取れたもののやはり地面で転がるのは痛い。頭に手をやり、帽子が外れていないか確認する。うん、大丈夫みたいだ。胸をなで下ろしていると上から影が落ちる。
「どうしたアルか?」
そういってのぞき込んでくるのは同い年ぐらいの女の子で、目も覚めるような赤い中国服を着ている。それが派手というほどでもなくよく似合っているということは、やはり可愛いからだろうか。一見いたって普通の女の子なのだが、その目を見た瞬間ぞくりと背筋が凍り付いた。理由はわからないけれど、身の危険を感じるというのはどういうわけだ。こんなことは攫われたときぐらいしか感じたことはない。
「だ、大丈夫です」
急いで立ち上がり、散らばった荷物を拾い集めようとして気がついた。
「…だ、大丈夫じゃないかも…」
お土産に持ってきた久しぶりに焼いたケーキを入れた箱がしっかりとひっくり返っている。ただでさえ不器用な自分に作れた唯一の品が見る影もない。
買った物は味気ないし、お詫びとしてはいまいちだったから、味はともかく心は込めて作ってきたんだけど。
呆然とする私の前で銀髪の天然パーマの男がひょいと箱を取り上げた。
「ケーキは多少ひっくり返ったって食えるだろ。泣きそうになるほどのもんじゃねぇよ」
こちらが何も言っていないのに言い当てられて目を見開く。そんな私を気にせず、男は道ばたに座ったまま箱を勝手に開ける。
「おー!」
「まっしろっ? これ、何ケーキアルか!?」
「ええと。ただの生クリームケーキ、」
「イチゴは? て、ああ、これか。もうぐちゃぐちゃだな」
男は箱の中に手を突っ込み、生クリームの塊を取り出すと、そのまま口に放り込んだ。止める暇もないとはこのことだ。
「あ、あ…」
「ちっと糖分が足りねぇ」
「ちょ、と…あの…?」
「銀ちゃんずるいヨ」
中国服の女の子の方も箱に手を突っ込み、今度はケーキ本体と思われる物体を鷲掴みに取り出して、食べてしまう。
えええとどうしたらいいの、私。戸惑っている間にケーキは食べ尽くされ、ごちそうさまと箱を返される。いや、返されても困るんですが。
ついでとばかりに名刺を差し出される。
「俺ァ万事屋をやってる坂田銀時ってモンだ。困ったことがあったら、力になるぜ」
今、その困ったことになっているんですが。原因となった人に何を言っても仕方ないだろう。
ひとつ大きく息を吐き出す。
「別に頼むことは何もないです」
立ち上がり、砂や埃を払う。見も知らない人にこんな仕打ちをされたことに対しては心は動かない。
「用事があるので失礼します」
軽く会釈し、急いでその場を立ち去った。落ち込んでいるのはさっきの人達のせいではなく、ケーキがなくなって少しホッとしてしまっている自己嫌悪だ。御礼を届けるという口実がなくなった今、出向く理由がないことに落胆している反面、ホッとしている自分に対して、言い様のない嫌悪が沸き立つ。
会えば惹かれもするし、頼りたくもなる。そんな弱い自分が一番嫌いで、反面で頼れる仲間が出来たことが、信頼できる人間が出来たことが死ぬほど嬉しい。矛盾ばかりで、気持ちが悪い。
「…っ」
たまらず、道端で膝をつく。吐きそうなのを口を押さえて堪える。
「どこか具合でも悪いのかい?」
急に声をかけられ、振り返ると、そこには人の良さそうな五十代と思しき女性が立っていた。どうやら、しゃがみこんだ場所は彼女の店の前だったらしく、少し休んでいきなさいと中へ通された。
「ありがと、ございます」
「いいんだよ。それより、医者は呼ばなくてもいいんだね?」
「はい」
「水ぐらいしか出してあげられなくてすまないね」
「いいえ、充分です」
出された水はいつもよりも美味しかった。
「どこへいくつもりか知らないけど、若い娘がこの辺を一人でふらふらするのは関心しないよ」
近頃は物騒だから、との言葉に肩をすくめる。近頃どころか生まれたときから私の世界は物騒だ。
「そうさね、近くまで送ってあげたいけど、これから仕込みもあるし」
「ここで休ませていただけただけで十分です。あの、本当に有難うございましたっ」
「急ぐのかい?」
立ち上がったところで声をかけられ、少し考える。だけど、考えるまでもない。どうしたって彼らは私を歓迎せざるを得ないことを思い出した。
「はい。友人とパーティーをする予定なんです」
彼女は少し意外そうな顔をした後で、柔らかく笑った。
「それは急がないといけないね」
「ええ、迎えも来たようですのでおいとまします。お水、美味しかったです。ごちそうさまでした」
店を出て、少し歩いたところで隣に男が並ぶ。真選組監察方、山崎だ。
「探しましたよ、アルトさん」
心底心配されている声音が温かい。
「近藤さん達には伝えてくれた?」
「ええ、おかげさまで今はパーティーの準備で大忙しです」
「私はこのまま見物に向かってもいいかしら」
目の前に彼が移動し、足を止める。
「だめですよ! アルトさんは絶対に来させるなって、副長たちの命令なんですからっ」
「…山崎さん」
「だ、だめですっ。そんな目で見ても絶対に駄目!」
「ちぇー」
「お願いですから、大人しく一緒に屯所へ」
腕を取ろうとした山崎をかわして走り出す。が、すぐに立ち止まることになってしまった。すぐに追いついた山崎は困惑した顔で私を見ている。
「しまったわ。お祝いのケーキ買ってこないとっ」
「お祝い?」
「先ほど人にぶつかって転んでしまった際、ひっくり返ってしまいました。でも、売っているモノより見目も悪いし、丁度よかったです」
「手作り、だったんですかっ?」
「え、ええ。久しぶりに作ったので時間がかかってしまったんですけど。行きつけの店から配達していただくように手配しますね」
ケータイを取り出した手を抑えられる。
「ま、まってくださいっ!? えーと、その、ケーキはとりあえず、手作りだったんですね? それはどうしたんですか?」
どうもなにも。
「食べられてしまいました」
聞き返されて言い直す。
「ぶつかった人が全部食べてくださいました」
「言い直しても同じですよっ。なんですか、その不逞の輩はっ」
「さぁ、悪い人ではなさそうでしたけど」
「明らかに悪い人でしょうがっ」
「ケーキを食べられただけで?」
「アルトさんの手作りケーキを食べるなんて、絶対に悪い奴に決まってます」
そこまで力説されることでもないと思う。
しかたないな、と溜息をつく。
「次に来るときは転んでも駄目にならないお菓子にしますわ。山崎さん、ミルククッキーはお好き?」
「はいっ!」
「では、今日はひとまず自宅で皆さんのご武運をお祈りしておきます」
ごきげんよう、と別れてから五分もしないうちにケーキを食べた男に出くわした。今度はさっきの少女の他に少年を一人連れている。彼らの手には大きめの弁当箱ぐらいの包みがあった。
見覚えがあるような、ないような。
「…何だったかしら…?」
そのまま通り過ぎ自宅で紅茶を飲みながらTVを見ていて、やっと思い当たる。そういえば、最近良くきく大使館爆破事件で取り上げられてたっけ。
「……まあ大変」
ケータイを手に取り、アドレスからその人を捜し出す。
「お久しぶりです、近藤様」
通話口の向こう側は少し騒がしい。やはり、あれか。向こう側に聞き耳を立て、探る。ざわめきから言葉を拾い上げ組み立てる。
近藤が何かを言っているがそれさえも音に紛れる。
「そういうわけで、もう少し落ち着いたら山崎を使いに出して」
「わかりました」
「え、あ、ああ、わかって、」
「店の前でお待ちしております。皆様、お急ぎくださいませ」
通話を終了し、帽子を被り直そうとして、手を止める。服は着替えておいた方がよいだろう。
(あの方もいるはず)
クローゼットを開け、シンプルな黒のミニワンピを取り出した。
初稿
(2008/05/07)
久しぶりの更新がこれってどうよとか思ったけど、2月は一次漬けだったのでいいかなーなんて…
嘘です、現在更新するものがないのでこれで勘弁してくださいっっっ
しかも続きます←
(2009/03/04)