その日はいつものように夏真っ盛りで、いつものように晴れ渡っていた。ただひとつ違うことがあるとすれば。
「和製オルゴール? いつの時代よ」
奥の部屋から彼女が持ち出してきたのは、かなり時代がかった代物だ。
「蔵を片付けたらでてきたの」
「へぇ、倉なんてあったんだ」
「…はーさん」
彼女が呆れているのはいつものことなので放っておき、特徴的なその箱を手にする。
「他には何か一緒になかった? 穴の開いた巻紙とか」
「探してみる」
彼女がいなくなった直後、玄関のいつものチャイムが鳴った。
「…ぁ」
声をかけようとして止め、仕方なく腰を上げる。
「はいはい、今行きますよ~」
そう広くはない家だ。縁側から玄関にはすぐに着く。
(本当は庭から行くほうが近いのだが、それをやると彼女がいい顔をしない)
開け放たれた玄関から家の中へと風が通り抜けてゆく。その道筋にいた私は立ち止まり、目を閉じてやり過ごす。
混じる微かな香は何だろう。
「夏みかん?」
「あったり~。流石はーさん、食い意地張ってる~」
玄関先で大人しく待っていた青年は片手に提げたコンビニ袋を軽く持ち上げてみせる。
「…篠田、なんのつもり」
「こないだのお詫び、かな」
一向に家へ上がろうとしない男を前に面倒な言葉と背中を向ける。
「今取り込んでるから、水ぐらいしか出せないわよ」
歩きだし、着いてくる気配もないから立ち止まり、首だけを向ける。
「さっさとしなさい」
彼はひどく驚いた様子だったが、すぐに破顔した。
縁側の指定席に戻ると、すでにお茶が出されている。わざわざ戻ってきて、用意してくれたらしい。
「いい子だな」
「そうね」
ガサガサと袋から取り出した夏みかんはさっさと取り上げられてしまう。彼が手にするものからして、おそらくは剥いてくれるのだろう。
大人しく待つことにしたが、やることがないのはつまらない。
「あの子が淋しがるわね」
ふとそれを口にしていた。
「そうか? 嫌われてると思ってたけど」
「嫌ってなんかないわよ。結構好かれてるじゃない」
部屋の隅を指し示すと、彼は目を見開いた。
「わざわざ蔵の掃除をして見つけてくれたのだから、感謝したげなさい」
恐る恐る手にした彼は、共にされていた紙をセットし、ゆっくりと回し始める。
夏の庭に穏やかなオルゴールの音が重なる。
ひととき、蝉も声を抑え、だがすぐに音を合わせる。両目を閉じて、しばし聴き入る。
「よくこんなものがあったな」
「そうねぇ」
正体の知れない飄々としたここの本当の主を思い浮かべる。
「古いものって好きだわ。気持ちが穏やかにならない?」
複雑そうな顔でオルゴールを見つめる男に言葉は届いているのだろうか。
「でも新しいものも好き。ワクワクしない?」
聞き慣れてしまった呆れ声を小さく笑う。
「だからこないだの約束はあの子に内緒よ?」
先日、彼が来たときについ借りてかけてしまった携帯電話。無意識に押した番号と向こう側の懐かしい声。
「いいのか? 一応持ってきたけど」
あの時自分がかけた相手が誰なのか、正直よくわからない。
「わざわざもってきてくれたのに、ごめんなさいね」
「使うか?」
申し出を今度は直ぐに断った。
「かけたい相手もいないし、どこにかかるかわかったものじゃないわ」
「こないだのは? 知り合いだろ」
知り合い、か。
「ね、じゃああなたが今一番話したい人にかけてよ」
「……今は俺じゃなくてあんたの話を、」
「チヅルさんとか」
「っ?」
なんでその名前を知っているんだという抗議の視線を受け流し、空に想いを馳せた。
「秘めごとは秘めたままのほうがいいこともあるわよね」
彼がいなくなったすぐあとで、不安げに彼女が私を呼ぶ。
「はーさん」
「なあに、夕飯なら煮込みハンバーグがいいな」
少しばかりの間のあとで彼女は頷き、台所へと消えた。
自分しかいなくなった部屋の縁側で、引き寄せたオルゴールを奏でる。
ゆっくりと流れる音は温かさがあって、郷愁を強くする。
「あれは、誰?」
口をついてでた言葉に自分が一番驚いた。考えるのも面倒だったはずなのに。
(想い出すのも面倒なのに)
目を閉じて、夏を感じる。蝉の騒々しさが今は有り難いと思った。
…重症だ。