Routes -1- rinka ->> 本編>> 04#-08#

書名:Routes -1- rinka -
章名:本編

話名:04#-08#


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.2.9 (2009.11.5)
状態:公開
ページ数:5 頁
文字数:26617 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 17 枚
※リンカ視点に戻ります。
04# よくある誘拐劇
5#よくある衣装変え
6#よくある報復劇
7#よくある宿場劇
8#よくある寄道劇

前話「03#(王子視点)」へ 04# よくある誘拐劇 05#よくある衣装変え 06#よくある報復劇 07#よくある宿場劇 08#よくある寄道劇 あとがきへ 次話「09#-11#(王子視点)」へ

<< Routes -1- rinka -<< 本編<< 04#-08#

p.1

04# よくある誘拐劇



 王子の優しい瞳に負けそうになる。こんな風に俺を見る人間は今までいなかったから、目の前にいるこの男が何を考えているのかなんて、俺には検討もつかない。

 はっきりしているのは、こいつらが俺のはっきりと苦手とする部類の人間だという事だけだ。ひとりで勝てる相手でもない。

「俺は着替えて帰らせてもらう。あんた達はあんた達でやっていてくれ」
 賞金も何も知ったことか。今回の仕事は結局は子供の喧嘩の末だし、こいつらは俺の手に負えない。睨み返した王子の瞳は王族の威厳と強い強制力を働かせている。奥の方で俺を嘲っている。

「着替えならば、もっと良い物を用意させましょう」
 俺を従わせる気か。

「いらねぇよ。手を離せ」
 片腕を取られていても攻撃のし様はあると、腰を低く落して構える。だが、どうもこのドレスというヤツではあまり様にならない。それでも、俺に従う意思がないと見せることこそが重要なのだ。

 構えに対して、王子はあの警戒心を解かせるような造りものの笑顔を浮かべてくる。

「三万オールでしたか?」
 心の中だけで、ギクリと震える。その金額は王子に前金としてもらったラルク石の指輪の裏価格として、俺が小売屋に提示した金額に近い。まさか、知っているというのか。いや、そんなはずはない。だって、こいつはあの時分、寝ていたんだから。

「先日、連れの兵士が何者かに再起不能なまでに叩きのめされてね。僕は王族だというのに護衛一人つけていないんですよ」
 やっぱり、という気持ちが先に立つ。先日ではなく昨日の話だ。俺が紋章をちらつかせた剣術士を叩きのめしたのは。思っていたとおり、この王子の関係者だったか。

「あんたに護衛なんか必要なのか?」
 昨日から幾つも魔法を使って、まったく疲れを見せない様子からすると、かなりの高位の魔法使いということになる。聞いたことのない魔法ばかりが出てくるあたり、オリジナルに開発した物か。

「これでも、方々から命を狙われる身でしてね」
 自業自得だろ、と云いかけたシャルダンの言葉が遮られる。

「君の倒した護衛も義母のつけた目付けだったから、おちおちゆっくりと眠れなかったんです」
 護衛出し抜いてここまで来たの、と姫の瞳が見開かれる。

「宿屋でたっぷり寝てたろ」
「それはリンカ、君がいたからですよ。それだけの強さの拳闘士は、僕も多くは知りません」
 えっと驚いたのは王子以外の全員だった。

 引きこまれた俺の腕を姫が引いてソファーに座らせ、向かいのソファーのシャルダンの隣に王子が座る。カークは新しい紅茶のカップを淹れる。

「それって、誰?」と俺。「リンちゃんって、拳闘士なの?」というのは姫。「こんな子供が?」と一番いぶかしんでいるのはシャルダンだ。カークは表情が読めない。

「たしかにカークも強いですけどね、どう思う?」
「見たことがないのでなんとも言えません」
 シャルダンの傍に控える影のような男を俺が見ると、視線は合わされずにすっと通りすぎられた。

「直接は見ていませんけど、剣術使いを三人も簡単に倒しちゃったらしいですよ」
 あれが、剣術使いだって?

「お前、剣術使いなんかと一緒に旅して来てよく無事だったなぁ」
「それは僕だから。ひとりだと何かと気楽だし、王宮ではしっかり猫被ってましたからね」
 話を聞いているうちに、ほんの少しだけ自分の倒した剣術士達が哀れに思えた。

 クラスター王国からここまでの長旅を、ずっと王子の猫被りの我侭に耐え続ければ、そりゃストレスも溜まるわな。正体を知らなかったことが返って幸せにも思えるけど。あの猫被ってるときは本当に、騙すのに気が引けたもんなぁ。

 と、剣術士といえば。

「あんた、カークっていったっけ。今度さ、手合わせしてよ。俺ーー」
 あ。そっぽむかれた。やっぱりこの姿だからかな。

 俺の場合、育ての親がかなり強い拳闘士だったおかげというのが強いせいか、実際自分がどのくらいの強さなのかさっぱりわからない。でも、強い奴がいると聞くと手合わせしたくなるのは、その育ての親の背中を見てきたからか。

「ねー話戻すけど、言い忘れたことがあるのよね」
 姫がにっこりと笑顔で王子に向き直る。

「ディル、もうちょっと方法を考えて行動してよね。こっちはそのとばっちりで攫われかけたんだから。カークが助けてくれたから良いようなものの、そうじゃなかったら今頃こんなところで紅茶なんか飲んでいられなかったわよ」
 鳩尾の辺りを片手で叩く姫は、いたって明るく言うけれど。

「先客がいたって? そんな報告は聞いていないぞ」
 主人が幾分きつめの口調で問いただしているというのに、執事はとぼけた様に手を打って返す。

「そこから掠めとって参りましたので」
 カークに悪びれている様子は少しもない。姫も何かを思い出して、乙女手で目をうっとりと輝かせる。

「あのときのカークは、ほんっとにすごかったわよ」
 すごかったじゃなく。

「それは僕も聞いてないぞ、カーク」
 関っているのかと思いきや、王子までもが聞き返す。そして、全員の注目が執事に集まる。

「カーク、あんた言ってなかったの?」
「言い忘れておりました」
 ここまで悪びれずに報告する辺り、この男もただモノではない。

「というのは軽い冗談です。きちんと相手を特定してから報告しようと思っておりましたが」
 前置いて、内ポケットからきちんと四つ折りにされた紙を取りだし、それを綺麗に広げて二つのソファーの間に置かれたテーブルの上に置く。丁度四人全員が見えるように。簡略化されたそれは、東方の龍を象った鮮やかなデザインだ。

 普通に生活していれば一生涯見ないことも多い中、不幸なことに俺はそれに見覚えがある。関りたくない度ナンバーワンだ。

「全身黒装束で背に大きくこれが刺繍されていました」
「あ、これ確か剣の柄に描いてある奴がいたわ。一人か二人か知らないけど」
 深刻とは無縁な呑気な姫の言葉に、背中を冷水が滑り落ちる。聞きたくない。聞いたら関ってしまうけれど、ここまで関ってしまったらむしろ知りたい。

「何色、だった?」
「黒塗りの柄に黄色で描いてあったと思う、けど。何なのか知ってるのね、リンちゃん」
 知ってるどころじゃない。本当にもう関りたくない。なんで、なんで、と言葉が頭の中をかける。黄竜は誘拐のプロだ。

「義母上もとうとう本気になってきたってことですか」
「王子殿下…」
 無機質なカークの声音に心配の色が混ざる。それは王子にも伝わったらしく、柔らかく微笑んだ。

「リンカ、君も知っているようですね」
 アタリマエだ!と叫びたい衝動を抑えて、指が白くなるくらい強く拳を握る。

「刻龍、なんて。どうしてそこまでして、あんたら、狙われてんだ?」
 狙われているのが、王子一人だと言うのならわかる。姫は婚約者だから、弱点と思われて攫われるところだったのだろう。だがーー。

「ねー刻龍って何?」
 状況をわかっていない二人に、ゆっくりと説明をする。落ちつけ、俺。

「刻龍ってのは、強大な裏組織だよ。仕事だったら、どんなことも厭わない奴が揃ってる。世のほとんどの犯罪者ってのはここにいるんじゃねぇかな? 敵に回すとものすごく厄介な相手さ」
 手の震えを悟られないように、何度も握ったり開いたりする。恐怖が背中を駆け上ってくる感覚を深呼吸で消す。

「雇い主は、わかりますか?」
 王子の問いに、目を見据えて答える。

「刻龍は情報を漏らさない。裏切り者も許さない。それと腕も揃っているからな、裏じゃ信用あるぜ。メンバーも仲間じゃねぇとまず明かされねぇし。まぁ逆らおうなんて思うやつはいねぇよ。まして、仕事の邪魔したとあっちゃ」
「まずいですね」
 考えこむ素振りを見せるものの、カークは焦った様子も見せない。

「絶対に、報復に来るぞ。あいつら、そういうことには容赦ねーから」
 どこまでも付きまとう影に、恐怖は振り払っても駆け上ってくる。折角、あの小さな宿場町で平和に過ごしていたのに、逃れられない運命を呪いたくなる。

「知り合いですか?」
「しらねぇよ」
「でも、詳しそうです」
 刻龍とこの王子、どちらが最悪だろう。

「何が言いたい」
 ギリっと奥歯を噛む。

「そいつらが居そうな場所、知ってるんじゃないかと思いましてね」
 馬鹿じゃねぇのか、こいつ。知っていたとしても俺が案内すると思ってるのか。

「殺されてぇのか?」
「いやですよ。僕、長生きするんです。こんなところで死ぬワケないじゃないですか」
 王子はにっこりと最上級の笑顔を向けてきた。隣で姫とシャルダンが諦めたため息を吐く。

「それにリンカとカークも助けてくれるんなら、怖いものないって。ね、姫、シーちゃん?」
「そうね…」
「俺も? 俺もなのっ?」
 姫と王子は楽しそうだが、泣きそうなシャルダンの肩にカークが手を置いて、沈痛な面持ちで首を振った。

「ねぇリンカ、そいつらは決して耳がないワケじゃないでしょう? たぶん、うちの御老体方よりは話が通じると思いますよ」
「そいつはどうだろうな」
 俺に確信的なことは何一つ言えない。でも、どうやらイヤでも案内させられるらしい。できるだけ会いたくないんだけど。特にアイツには。

 静まり返った室内に、王子が紅茶を啜る音だけが虚しく響く。

 王子の言うように、刻龍の一人とーーその一人が問題なのだがーー俺は親しくしている。かなり一方的なラブコールを受けているというほうがわかりやすいだろうか。刻龍に入らないか、という強引な勧誘をうけているので、普通のものより接触も容易いが、付きまとう危険は三乗ぐらいの速さで駆け上る。

 出来ることなら、関わりたくない。この王子に関わらなければ、近いうちにどこか遠くへ移動するつもりだったのだ。刻龍に見つかる前に、王子から報酬をせしめて、役人に突き出して。そうして作った金で、刻龍に知られない場所で隠れ住むつもりだった。

 しかし、こんな話を聞いてしまった今、役人につき渡すことは刻龍の奴等に差し出しているのと同じことだ。彼らに牢屋なんてものは役に立たないどころか、無いに等しい。

 どんな依頼を受けているかは知らないが、大抵は生死を問わない依頼ばかりと聞く。

 そんな場所に突き出すほど、俺は冷酷じゃない。とても厄介で扱い難い男ではあるが、殺すのは惜しいと思わせる何かを持っている。そりゃ、たった二日で何がわかるかっていったら、性質の悪さぐらいしかわからないけど。それでも、今、こいつは死ぬべきときではないのだと思う。これは理屈ではなる、単なる勘でしかないが。

 ということは必然的に俺は刻龍と対峙しなければならなくて、やはりアイツと会わなければいけないわけで。

 あー、なんでこんなのと関わっちまったんだろ。

 視線を床に落として、俺は諦めの息を吐いた。

p.2

05#よくある衣装変え



 城の中は、外から見た通りとても静かで、でも噂みたいに幽霊がでそうってほどでもない。城壁の中は手入れが行き届いているし、きちんと人の住んでいる気配がある。もちろん、それはここにシャルダンやカーク、姫とその他数人の護衛の兵士がいるからである。

 強制的に刻龍への繋ぎの仕事を受けさせられた俺は、ひとまず服を着替えることを納得させて、城の一室に通された。

「これを」
 カークが持って来たのは、俺の要求どおりの服で、兵士に支給されているカーキ色の制服と黒のTシャツだ。王子や姫に頼むととんでもないものを用意されそうだったので、シャルダンに頼んだのだが、その判断は正しかったらしい。

 服を渡すと、さっさとカークは出て行ってしまい、部屋には俺だけが残される。素振りや視線から、カークが俺を快く思っていないのはわかっていた。おそらく俺でなくても、主人のシャルダンに近づく者には大抵そうするのだろう。一見、王子や姫の命令を優先しているようにも見えるが、最終的にはシャルダンに従うというのが、端からみているだけでも容易に想像できた。

 ドアの閉まる音を合図に、俺はようやく鬘を外す。あー暑かった。

「俺はショートの方が似合ってると思うぞ。長い髪も確かに似合うけどな」
 俺ではない男の声は、部屋の中から聞こえた。さっきまで確かに俺とカークしかいなかったし、カークが出て行った今は俺以外の誰もいないはずなのに。

 しかし、俺は彼の声に聞き覚えがあった。彼ならそれも容易だと知っているだけに、振り返るのが怖い。

「紅…竜?」
 おかしなぐらいに声が掠れている。さっきまで普通に出ていた声なのに、自分のものではないようだ。恐怖に、全身が凍りつく。

 なぜとか、いつのまにとか、そんなのはどうでもいい。ここに彼が、紅竜がいるということが問題だ。

「それ、ここの兵の制服だろう。せっかくのドレスを着替えちまうなんて、もったいない」
 紅竜がただの世間話をしに来たはずがない。目的は、王子かカークか。それとも姫か。

「あんたが出向いて来るなんて珍しいな」
「そうか? 俺は先代と違って、活動的なんだ」
 紅竜がやけに嬉しそうなのは、標的(エモノ)をみつけたからだろうか。冷や汗が、俺の背中を滑り落ちてゆく。

 自然と研ぎ澄まされる俺の神経を逆撫でするように、彼の気配が動く。

「お前の標的、俺に売らないか?」
 俺のすぐ後ろで、彼の声がすることに、驚きはしない。そんな風に喜ばせる気は毛頭ない。

 精神を奮い立たせ、勢いで彼を振り返る。鬘がとれて、涼しい風がうなじを通り抜けるのを感じる。

「なんでだ?」
 不敵に笑って見せていても、全身が逃げたい気持ちを抑えるので精一杯。それをわかっているのか、彼は手元に残る鬘を無造作に放り投げた。その描く放物線に、視線と意識が吸い寄せられる。天井に付くか付かないかのギリギリの高さを頂点に、重力に従って落ちてくる。

「リズールで会う時までに、良い返事を期待しておくぞ、リンカ」
 パサリと、椅子の背もたれにそれが落ちる。それから、窓から涼しい風が入ってきて、俺はようやく一人になれたことを知った。いまさら、彼に恐怖して、震えて見せるなんて真似はしない。どこからか見ている彼を、喜ばせるようなことなど。

 魔物なんか、怖くはない。この世界で今の俺が怖いことなんて、きっと彼と会うこと以外にない。

 窓を閉め、部屋をもう一度見回し、緊張を解く。それから、のろのろと着替え始めた。ドレスを脱ぎ、コルセットを外し、大きく深呼吸。新鮮な空気が体中に響いて、暗い気持ちが少しだけ晴れた。

「リンカ、今日はここに泊まりーー」
「はいってくんな」
 開きかけたドアをすばやく押えつけ、俺はため息をついた。まったく、次から次へと。

「俺は一度町に戻るからな」
「え?リンカはここで泊まらないんですか?」
「他にも仕事あんだよ。あたりまえだろ」
 ドアの向こうの王子に向けた言葉は、半分嘘で半分本当だ。

 一応仕事だってあるし、ここから離れたいのは本当だ。だけど、どこかで放って逃げたら、後悔する予感がしてる。

 こういう予感はよく当たるんだと、俺は小さく舌打ちした。

p.3

06#よくある報復劇



「ついてくんなっつってんだろっ」
 後ろを振り向かずにリンカは叫んだ。

 服はもう元のとはいえないが、無地の白シャツと少し大きめの傭兵用の既製服だ。あのドレス…スカートよりはマシだから、腰を使用人のひとりにもらった大き目の布を引き裂いてベルト代わりにしている。裾は当然ながら引き摺るので大きく三、四つ折りこんで。

 邪魔な鬘を外した後は、心から清々した。首を通りぬける涼しい風で、もうすぐ秋が近づいてくるのだとわかる。

 このあたりにくる冬や夏は短く、春や秋の季節は長い。熱すぎず、寒すぎず、常春とも思える気候だが、それでも秋の気配というものは感じるのだ。人によっては水の匂いや、月の色、草木の成長や、光の角度、風の温度で。

「どうして?」
「俺はひとりでも平気だってのっ」
 強く言い捨てても、ついて来るのはやはりこの男、ディルファウスト王子だ。なんの因果か妙に気にいられてしまっているのだ。見た目はただの世間知らずの優男。しかしその実、かなりの高位魔法使いで、そのうえ高額賞金首のお尋ね者で、遠い遠い西の大国の第一王位継承者で。などと、もつ異名さえも多すぎて、ここではもう語る気になれない。

「平気だ大丈夫だといいますけどね、わかってますか? 貴方はまだ子供で、」
 足元の石をつい蹴ってしまい、それは近くの壁に乾いた音を立てる。

「おん」
「うるっせーよ。ついてくんなら、黙ってろ!」
 叫ぶように言葉を遮るとへにゃりと相好を崩し、王子はリンカの隣に立つ。そうすると、見上げるような身長で、眩しかった陽光が遮断され、視界がわずかに暗くなった。

 夏の終りの残光は容赦なかったが、軽装のリンカには大したことはない。もともとは他の地域に住んでいたとはいえ、ここで一年以上も暮らしているのだ。

 それでも、常春のような気候に慣れてきていたこともあって、強い陽射しは瞳を焼くほどの熱を持っている。涼しい風で緩和されているとはいえ、暑いものは暑い。

 まさかわかっていてそっちに立ったんじゃないだろうし、と見上げる表情からは窺い知れない。なんでこの男はこんなに機嫌良く歩いてんだか。

「この町では男で通してんだ。じゃねーと仕事も減るからな。だから、黙っといてくれ」
 小声で釘をさすと、笑いながら答えを返される。

「でも直に通じなくなりますよ?」
「あんたがばらさなきゃいいだけの話だ」
 他に知っているとすれば世話になってる女将ぐらいだが、彼女の口の堅さは信頼している。だから、王子一人だけ俺は見張っていればいい。

「でも、リンカに直接言わないだけで気がついてる人もいるんじゃないですか?」
 歩いているだけで集まる視線さえも不快だってのに、その上、まだいうか。

「黙ってろって言っただろ」
 意識して思いっきり低い声で言ってやると、王子は貼りついた笑顔を返して、前に視線を戻した。

 そのまま、俺の視界を遮るように前に立つ。風が強く翻り、深い見慣れてしまった森の色のマントが視界いっぱいに広がると、王子の持つ特有の気品ある匂いが香ってくる。

 少し下がろうとすると、その足が止まったので、俺も止まらざるを得ない。

「…オイ」
 邪魔だと云いかけた声を、抑えこむ。先ほどまでの朗らかだった空気が、研ぎ澄まされた刃の鋭利さを潜ませてからだ。

 それを放つのは、王子か。それとも行く手を遮る不躾な愚か者か。

「どこに行っておられたのですか、殿下。探しましたよ」
 聞き覚えのある粘着質なまとわりつく声があたりに響き渡る。しかし、丁寧な言葉でありながら、声音は決して敬意など持ってはいない。そんなことは俺だってわかった。

 相手を見下す時の、あのイヤな声。言い聞かせるというよりも、抑えつけるようなそんな空気は俺が最も嫌うもの。

 刺々しくなりそうなその場所で、場違いとしか思えない言葉が零れる。もちろん、王子の口から。

「それはスミマセンね~。ちょっと近くまで散歩に行ってました~」
 ちょっと近くまで、姫を取り返しに行ったわけでなく、散歩かよ。聞いたところだとずいぶん大掛かりな魔法使ったクセに、それでも散歩というか。

 最初に会った時と変わらない長閑さは、戦意を喪失させるか増幅させるかの二つの効果しかないだろう。この場合は当然、後者。

「ほぅ。おひとりで?」
「だって~皆さん、なんだかお忙しそうでしたし~」
 のんびりと答える様子に相手がイライラしつつあるのがわかる。

「危険ですよ。いくらこんな平和で小さい町とはいえ、仮にも貴方の御身は」
「狙われているのですから、でしょうか?」
 先じて遮る王子に、一瞬相手が息を飲んでいるのがわかる。

 こっそり、王子のマントの影から覗き見ると、やはり見たことのある剣術士どもだ。俺の時と同じように、大柄な男を筆頭に後ろに二人が控えている。後ろの二人は今にも剣を抜きそうに剥き出しの殺気を放っている。

 対する王子は、また猫を何匹かかぶっているようだ。

 彼らの側から俺の姿は見えないのを幸いに、今度はしっかりをその顔と姿を観察する。が、やはりいつも絡んでやられるヤツらと大して違いも見つけられない。

 覚えているのは、その鎧につけられた大仰な紋章。王子やシャルダン、カークや姫の服にもそんな紋章があったりしたが、こいつらがつけているのを見ると、到底同じように見えない。城ではあんなに威厳をもっていたそれが、ただの安物のオモチャに成り下がっている。

 羽根のような花弁のような渦巻く風のような、不思議な文様。光が剣術使いどもの鎧の丁度その部分に照りかえり、白く見えなくなるのに瞳を細める。

「そんなことわかってますよ~。だから、護衛をお願いしたんじゃないですか~」
 王子は巧妙に空気までもがらりと変化させ、いっそ見事であるが、王族ってのはそこまでの術を身につけなければならないことがそれほどあるんだろうか。

「それなのにここに来てから、皆さんずいぶんな怪我をなさったというので心配したんですよ。このまま本国へ無事に帰れるのかな~って」
 とぼけたように続けつづける様子にさらに殺気が増す。煽って何をする気だ、王子。

「もちろん」
「それで、僕なりに考えたんですけどっ」
 相手の言葉を遮って、王子が妙に意気込んだ調子で続ける。相手の詰まる様子がわかって、俺も笑う。こういうやつを叩きのめすんなら、いくらだって手を貸してやるけどな。

「あなたたちを倒したって人に護衛を頼もうと思いまして!」
 完全に風向きが変わった。

「殿下」
 これ以上もないくらいに疲れきり、呆れかえり、穏やかに見せかけていた空気を殺気に切り替えているのがわかり、野次馬しはじめていた町の人間たちは一歩下がった。

「して、その人は見つかりましたか?」
 俺を見つけてかけよってこようとするチビっ子を手で追いやり、その動作に気がついた近くの女性らが引きとめてくれる。万が一でも近づいてこられちゃ、たぶんこれから邪魔になる。

「ええ」
 王子のマントを抜けると、正面から風が吹きつけてきて、視界がはっきりとクリアになった。こめかみのあたりを通りぬける風が心地好い勝利を予感させる。

「あなたがたの説明してくださった人とはずいぶん違いましたけどね」
 肩に力強く置かれる手もこの時ばかりは許せる。目に見えて、彼等が鼻白む。それほどの日数も経ていないし、俺に叩きのめされたことは記憶に新しいはずだ。当然、力の差ってやつも。

「また会ったな。おっさんら、こないだの怪我はもういいのか?」
 王子がおやっと不思議そうに声を出す。まさか俺が乗り気になるとは思っていなかったからだろう。

「殿下、そんな子供と我らは言いましたかな?」
 正面に立つ男はまだかろうじて平静を保とうとしているが、殺気を抑えても抑えきれてないそんな声じゃ、あまり意味はない。

「へぇ~どんなやつにやられたって言ったんだ?」
「そうですね~。リンカとは正反対な容姿を言ってましたよ~」
「具体的に言っていいけど?」
 ふふふ、と楽しそうな笑いが聞こえる。

「2メートルはありそうな長身で~筋肉質で~毛深くて~野生の熊のように獰猛な、男。と」
 最後の一語に強く力が込められていた気がするけど、それは後で追求するとして。

「まーねー。まさかぁ身長一四〇センチもないよーなぁどっこにでもいそうな孤児のガキにぃ三人そろってぇやられたとはいえねぇわな!」
 周囲の野次馬に笑いが沸き起こる。小さな村での日常といえど、見ていた人間はここに半数以上いる。

「証人なら、めいっぱいいるぜ? 剣術士のおっさんたち?」
 こんな小さな町で嘘なんかついたって、すぐにバレるに決まっているのに、ずいぶんとみえみえの嘘をついたもんだ。

「なんだと貴様ァ!」
「剣術士? 剣術使いといってませんでしたか~?」
 剣を抜いて切りかかってきた男を二人ともが左右に避けると、男は群集につっこんでいく。

「この程度で? クラスターってーと、あれだろ。ユズグライド流剣術の」
 切りかかってくるもう一人を安々と避けながら、呑気に王子と話して煽る。俺と王子は避けるだけで、鈍色の光を放つ三人の剣術士は無様なものだ。だんだんと囲む輪は広がりつつあるものの、笑い声は絶えない。

「よく知ってますね~」
「まーね。知り合いにそれを使うやつがいたんだ」
「名前は伺っても?」
 聞かれてもここでは答えるわけにはいかない。こんなに人の多い場所で言える名前じゃない。それが気がつかれないように、加えて牽制の意味も含めて言い返す。

「聞かねえ方が身のためよ?」
「それじゃ後で教えてくださいね~」
「いや、だからさ~」
 しかし、遠回しな言い方は通じないらしい。

「ちょこまかと逃げやがって!」
「いや、俺はそんなに動いてないっスよ?」
 どういってもかわされる剣に、相手も焦りを覚えている。三人ともが多い汗を拭いつつだが、俺はこれぐらいじゃ準備運動ぐらいにしかならない。なにしろ、自分でいうとおりに片足を軸にしているから動きようもない。動くまでもない。

「あ~勝った方に護衛してもらうってことでいかがでしょう?」
 負けた方が王子から逃げられる。いいな、それ。

「手を抜いたら、リンカの秘密バラしますよ~」
 仰け反るように振られた白刃を避けて、両足を蹴り上げつつバック転をすると、一人が腹を抑えて唸る。続いて突いてきた刃も避けて、手を切らないように気をつけつつ、横蹴をすると、軽く吹っ飛んでゆく。

「ずりぃよ、お…ディル」
「そうですかね~。あなたはどう思いますか、隊長さん?」
 急に話を振られても迷惑だろうに。

「…殿下…まさか…いや、そんははずは…」
 軽く頭を振って、隊長は俺と王子を交互に見やる。位置的にはどちらへ向かっても距離は一緒だが、果たしてどちらに行く気だろう。順当ならリンカの方へ、王子の話が真実なら王子の方へ行きそうなものである。注意深く、彼の足元を見つめる。

 あの時とは違って俺を警戒しているからだろう。構えはしっかりとしたものである。これなら、剣術使いというのも認めてやらなくもない。

「彼は一応、うちの騎士団じゃかなりの腕ですから気をつけてくださ」
 王子が言い終わらないうちに、巨体が動く。だが、一瞬の足の動きに俺が気がつかないわけがない。

 ちょうど間めがけて、鋭い蹴りを放った。

「ーーあ!」
 大切な事を見落としていたと気がついた時には遅かった。あんなに見てきたのに、どうして今の今まで忘れていたのだろう。それは相手も同じらしい。目の前に王子に剣を振りかざしつつも驚きを隠せない表情がある。

 そして、王子の実に楽しそうな、嬉しそうな笑顔。小さく周囲に聞こえないように、その誰かが作り上げたような形の良過ぎる口唇が動く。そして、他の一切がまったく聞こえなくなる。

「ーー風の葉 日の葉 我が前の障害を払えーー」
 運悪く、その言葉が放たれた時にはすでに、俺は隊長に触れられる位置にまで到達していた。

 小さな竜巻ほどの衝撃が起きて、風に吹き飛ばされる身体を小さくし、どこに行っても受け身が取れるように構える。その辺は日頃の成果である。壁に打ちつけられたものの、大した怪我は負わずにすぐさま立ちあがろうとする。が、膝に力が入らない。

「すっごい風ですね~」
 静まり返ったこの場に、能天気に声が響き渡る。砂埃であたりはうすく土色にそまる煙に覆われている。目をこらすうちに徐々にそれも晴れ、平然としている王子が輪の中心に立っている。手で乱れた髪を軽く整え、眼前の埃を手で仰ぐ姿が妙に絵になる。

 この辺り一帯に竜巻は起きない。だからこそ、全員が全員、唖然と俺たちを見つめていた。

 倒れて動けなくなっている隊長。同じく座り込んだままの俺、そして、ほとんど全部の視線は王子にあった。

 小さなこの宿場町に来てから、今だ噂の渦中にいる人物がここにいて、しかも俺と行動を共にしたうえで、この騒ぎ。

「この場合、勝負は僕の勝ちですよね?」
 辺りを見まわして、王子が微笑むと歓声と嬌声があがった。

「いいぞー兄ちゃん!」
「素敵ー!」
「今のって、今のって」
 叩きのめす事に異存はない。だが、立場も察して欲しいものである。

「魔法ですよっねっ?」
 ほぅら、バレてる。俺の前に出来てゆく人垣に苦笑しつつ、態勢を直して、ぶつけたばかりの壁に寄りかかった。

 魔法使いといえば、特殊な職業どころか、そうそう滅多にお目にかかれるもんじゃない。先にいったように、素質が必要なのだ。才能とか素質とかってやつは、どこにでも転がっているわけでなく、あったとしても気がつかずに終るか、気がついたとしても使い方を間違えれば自滅もありうるのだ。それを簡単にこんな小さな喧嘩で使ったりなんかして。

「リンカぁ~、大丈夫?」
 見慣れた小さな子供達が寄ってきた。着ているのはボロだけど、一週間に一度はどこかの家が洗濯してくれる。ここの孤児たちはそうして生きているのだ。商店であまりものをもらったり、小さな小遣い稼ぎをしたり、優しい町人に助けられて生きている。

「大丈夫、大丈夫。いったろ。俺は丈夫なんだ」
「さっきでもおっきな音したよ!?」
 泣きそうな少女の頭に腕を伸ばしてぐしゃぐしゃとなでてやる。彼女の髪は柔らかで手触りも良いのだ。

「受け身とれたから、心配ねぇよ」
「ホント?」
「本当だから泣くなって。ほら、泣くとこわーい魔物がやってくるぞ?」
 ひくっと最後に一度鼻を鳴らして、泣いていた全員が泣き止んだ。良い子たちなんだ、みんな。全員の顔を見まわして、笑ってやると鏡のように笑顔が返ってくる。でも、俺の万倍も純粋な笑顔は、なにものにも変えがたい魅力がある。

「おっし、良い子だ」
 急に髪を軽く引っ張るやつがいて、ふりかえると一番元気が良くて好奇心の強い子供が、大きな目をさらに大きく見開いている。こぼれて落ちてしまいそうな目で俺が自分を見たのを確認すると、そのまま腕を上に上げた。

「さっきの兄ちゃん、魔法使うの?」
 なんと答えたものか。

 子供は純粋だ。笑って誤魔化せるようなものではないとわかっていても、正直に言ってしまって良いものか、迷う。

「見たのか?」
「リンカが吹っ飛ばされたとこだけ」
「そうか~」
 少し複雑だ。こいつらにカッコ悪いのは見せたくないんだけどな。

「かっこいいおねえさんだよね!」
「おい、エル。どうみてもあれはにいちゃんだって」
「いいえ、ぜったい! おねえさんよっ!」
 両の小さな拳を握り締めている赤いリボンの少女エルは、仕立屋の娘である。妙に勘が鋭かったり、妙に鈍かったりするので有名だが、結構可愛い。性格も容姿も。

「エルー…あれは男だ」
「ほらー!」
「そんで、魔法使いなのか?」
「僕、魔法もっかい見たいよぅ」
 口々に騒ぎ始める姿は微笑ましいが、ちょっと煩い。視界が折角明るくなってきてるってのに。

(え、明るく?)
 顔を上げると、人垣がいつのまにか割れていて、こちらに歩いて来る男が一人いる。子供たちもなにかを察してか、左右に割れて離れ始めた。

 逆光で顔は見えないが、おそらくあの貼りついた作り物の笑顔を浮かべているのだろう。あたりを囲んでいた人たちはまだざわざわと波のようにさざめいている。

「大丈夫でしたか、リンカ?」
 優雅に差し出してくる手に戸惑う。ざわめきも大きくなる。

「当然だ。俺を誰だと思ってる?」
 逆光でさえなければ、王子がどんな顔をしているのかわかったのに。こんなに近いのに、こいつの真意はまだ計れない。俺の持つ秤ではとっくに針が振り切れているのかもしれないけれど。

「リンカ、ですよね?」
 いつまでも手を取ろうとしない俺の腕を掴んで、引っ張りあげて、もう片方の手で抱き寄せられる。マントの中にすっかり包まれる。

「威力抑えたつもりだったんですけど、貴方が助けに来てくれるのは誤算でした」
 背中をイヤなものが這いあがってくる。原因は、王子が俺を抱き込んだまま耳元で小さくささやくからだ。このままじゃ身体がいくつあっても足りない。

「悪かったなっ、だったら離せっ」
 暴れようとしてもどうやって抑えこまれているのか腕も足も動かせない。ただ静かで落ちついた王子の吐息と心臓の音だけが聞こえる。他のざわめきが遠くなる。

「ありがとう」
 普段よりも数段押さえこんだ声で、弱々しい声で、ただ呟くようにいわれては騒ぐ気も失せる。

「どういたしまして」
 だから、なんだかこっちも礼を言ってしまった。いつになく、照れてしまって。顔が熱い。

 開放された直後に感じたのは、風と街と、世界全部に抱かれるささやかなぬるい温度だった。

p.4

07#よくある宿場劇



 器用に真っ白なシーツを取りこむ女性の背中は、もうずいぶんと見慣れていた。いや、初めて会った時から、それは温かさで俺を包みこんでくれた。

 彼女は生まれながらの母親だと、思う。俺に母なんていないけど。

「いつ発つんだい、リンカ?」
 前も見えないくらい抱えているのに、まっすぐに俺の方へ歩いてくるので、場所を開ける。女将はどうやってか器用にドアを開けて、奥へと入ってゆく。俺もそれを追いかける。

「明日の朝までには」
「じゃぁ今夜はゆっくりできるんだね」
 盛大に送別会しようかという言葉に少し、淋しくなる。

「いいよ、そんなの」
「よくないよ。リンカにはたっぷり世話になったしね」
「そんなの」
 お別れ会なんて、そんな本当にもう会えなくなるみたいな。

 そう思うと涙が出てきそうで、慌てて瞬きを繰り返す。

「ちょっと仕事してくるだけだし、すぐに戻ってくるのに」
「どうだかねぇ。だって今度のあんたの雇い主、どっか他の国から来た王子様みたいじゃないか。せっかく気にいられてんだし、そのまま嫁になったらどうさね」
 盛大に笑われても彼女の場合はすごく気持ち良くて、スッと心に入りこんでこちらも笑顔にさせる。たぶんきっと、この女将の威勢の良さとか快活さとかお人好しで世話好きだとか、そんなもの全部をひっくるめても奥にそう在れとしている強さをみれるからかもしれない。

「馬鹿言うなよっ」
「馬鹿なもんかい。私がリンカくらいの頃はね、村中の羨望の的でさ。毎日、口説かれてたもんさね」
「恐れられてたの間違いじゃねぇ?」
「今でも美人だから、口説きにくる奴ァいるしね」
「それ喧嘩売りに来てるの間違いじゃ」
「なにか言ったかい?」
 全てを笑い飛ばして、生きられる。そんな彼女の生き方に憬れた。決して手に入らないことと知りながらも、いつか俺にもそんな生き方ができないかと悩んだ。

 だけど、所詮俺は腕が少したつだけの十三歳の子供で、世の中の汚いものを全部見てきて、俺自身もそれに手を染めたこともある。ここまで汚れてしまった俺が、彼女のようになれるとは思っていない。

「なんでもねーよ。手伝おうか?」
 だったら、と急にその声音が柔らかくなる。

 そうして向かった一室はまだ空部屋で、今日入る客のために掃除してくれというものだった。予約の客がいるなんて珍しい。

 大抵の旅人の中継点であるこの村に予約客が入ることなど、まず無いと言っていい。そんなことをするなら、少し先の大きな街に行った方がいい。わざわざそんな真似をする輩はいない。

 この宿のどの部屋も同じ造りで、違いといえば、大部屋と個室というぐらいになる。それも単に部屋の広さの違いであって、あとはどれだけの数のベッドを入れるかということになる。

 今回は大きめのベッドが二つ、テーブルがひとつ、椅子が4つの部屋を二部屋。

 どこかの馬鹿なお大尽旅行でもくるんだろうか。

「リンカーっ」
「はいってくんなよなぁっ」
 ピカピカに磨いたばかりの床にスタンプがつく。

「そんな…っ」
「邪魔だから食堂にでも行ってこい」
「そ、そんなにはっきりと言わなくても…っ」
 うるると潤んだ瞳で見返してくるなよ。どうして、二十歳もとっくに過ぎてそうなのに、そんな行動が似合うんだよ。

 握り締めた雑巾を投げつけたい衝動を堪えて、俺は王子に背を向けた。構っていたら切りがない。

 窓に手をかけて、立て付けの悪い音を立てるそれをガタガタ動かす。渾身の力を込めても動かない。どうなってるんだ。

「なにしてるんですか?」
 すぐ近くで声が聞こえたかと思うと、動かなかった窓が開いて俺も一緒に外へ連れて行かれそうになる。軽いとかじゃなく、単に力の加減のせいだ。

 そして、外に放り出されなかったのは、腹を締め付けるこれのせい。おかげなんて、可愛いもんじゃねぇよ。

 すぐそばを通り過ぎてゆくのはさっぱりとした嗅いだことのなかった上品な香りで、数日で嗅ぎ慣れたそれはもちろん王子の服に備わるものだ。

「良い風ですね」
 言った後から強風が吹き込んできて、思わず目を閉じる。睫毛が震えるのと身体中の毛が逆立つのと、どちらが早かっただろうか。極々微量のそれに気がついたのは彼も同じなのだろうか。

「どうしましたか、リンカ?」
 そんなことはない、か。いくらこいつが稀少な魔法使いだとしても、気配を読むなんて芸当ができるわけが無い。取り越し苦労なんかしてもしかたねぇし。

 てゆーか、こいつが謎な行動するのが一番悪いんだよな。

「リンカ?」
「っ!?」
 声にならない悲鳴を上げそうになり、あわてて自分の口を押さえる。

「どうかしたんですか?」
 また。

 まただ。

 この、男は。

 人の耳元で息吹きかけながら話すのは、絶対にわざとに決まってる。決め付けるのはよくないというけれど、なんだか間違っていないという妙な確信が持てるのだ。危険な気がしているんだ。

「っ!」
 僅かな動きで後ろに振り出した肘は、狙い過たずディルの骨を直撃した感触があった。鈍い叫びながら、影は動かない。

 代りに、外で十数羽の飛び立つ羽音が聞こえて、気配が消えた。

 一瞬だけれど張り詰めた意識を開放すると共に、身体の力が抜ける。

「急になにするんですか?」
「べっつにぃぃぃっ」
 王子の腕も緩んでいるので、そのままストンと床にすわりこむ。磨いたばかりの床の上はまだ湿り気があって、そこに王子や俺の移動の後は残っていない。俺は素足だからともかく、と王子の足元をみるがそれは会って以来変わらぬ皮のブーツだ。

 今日は風が吹いているけど乾燥してるし、砂埃だって舞ってた。そして、俺たちは外からこの宿屋に来たんだ。

 掃除をしていた俺はともかく、どうして王子は埃ひとつついてないんだ。

「そんなとこに座り込んでないで、椅子にすわったら良いじゃないですか」
「椅子が汚れる」
「リンカが座って汚れる場所なんで無いですよ」
「掃除したばっかりの部屋でなにいってんだか。ここに泊まるのは俺たちじゃねぇんだから、勝手に座るな」
 語尾を強くしたのは王子がスタスタ歩いていって、普通に椅子に座ったからだ。言ってるそばからやるあたりが、もう性格がうかがえて否になる。

 でも、もう今は逃げられない。雇い主である以上、仕事が終るまでは逃げ出すわけには行かない。リンカの名にかけて。

「紅茶でも飲みませんか?」
「誰が、誰と」
「えーここにいるのは誰でしょう?」
 つまり、俺が王子と。といいたいわけか。

 口の中で笑いが融けた。

「冗談。第一誰がその紅茶を淹れんだよ」
「それはカーク」
「彼は城だろ」
「………」
「睨むなよ」
 自分で淹れるとか、そういう選択肢は無いわけな。

 ついでに俺が淹れるというのも却下。紅茶なんて生まれてから一度も淹れたことないし、城で飲んだのが実際初めての一杯だ。

 薫り高いその紅茶はそれまで飲んだことこそないが、見たことはあった。雇い主が上流階級の連中となると、やたらこの匂いが鼻につくのだ。

「第一まだ紅茶のセットはもってきてねぇぞ」
「ここにあります」
 手品のように王子の手元に茶器が現れる。白滋に薄墨の青を揺らして、のらりくらりと適当に描いたような線が揺れる。書いたやつはよっぽど眠かったのかもしれない。が、それは見ているだけで不思議と心が落ち着く。

 今回は落ち着くよりも飽きれたというほうが強いけど。

 だって、同種のカップも用意よく二つ分だ。

「後は淹れてくれる人がいれば完璧なんですが」
「やったことねぇよ」
「じゃ教えましょうか?」
 立ち上がる王子に先じてドアに向かう、その先に影が現れるのは予想済み。

「て、あんたっ?」
 てっきり王子の護衛とかだと思って思いっきり突き出した前蹴りは、綺麗に決まった。さきほどまでテーブルにいたはずの。移動していないはずの王子に。

「なんで、いつのまにっ」
 どうして前に立っているんだ。

 まず攻撃、の俺の前に立つなんて、こいつ馬鹿か。

「大丈夫か? 悪い、まさかあんたが来ると思わなくて思いっきりいっちまった。おい、立てるか?」
 身体を二つ折りにして倒れたまま声もなく、磨いたばかりの床に王子のキラキラ光る金髪が流れる。

 その形良い口が、何かを呟く。

「え、なんだって?」
 自然と俺は王子の口元に耳を寄せていた。辛そうな呼吸音に、マジですまないと心から謝る気だった。こいつが、妙なことを考えなけりゃぁな。

 耳を近づけたとたん、首に腕がかけられ、そのまま床に引き倒される。普通なら、ここですぐにやり返したりもできたんだけど、その直前から耳に生ぬるい感触を受けていて、強烈な脱力感に襲われて、それどころじゃない。

「ぅあぁぁぁぁっ!? な、なにっ」
「僕が来ると思わないって、他に誰がいると?」
 暴れても拘束が解けない。耳に吹きかけられる吐息で力が抜ける。

「は、はなれっ」
「そもそも僕の護衛はリンカ、君が倒したでしょう」
「か、カーク、とか…いいから、離、れ、ろっ」
「カークはシャルの執事ですよ。主人を置いて、僕について来るはずがありません」
 そうかもしれない。それ以前に、自分であいつが城にいると言い切ったのに、なんて失態。回想に意識が飛びかけていた俺に、影が、襲う。いや、俺に、じゃない。

「どけろ、馬鹿!!」
 腕を振って、王子の腹に叩き落し損ねる。その腕を床に縫いとめる黒い短剣を見て、安堵の息を吐いた。

「リンカ!?」
 思ったとおり、狙いは俺じゃない。それは不思議でもなんでも無いし、この短剣の柄に描かれたモノをみれば、至極当然だ。

「まだ来る。部屋の外出てろ」
 剣を引き抜いて、起きあがる。王子はまだその辺にいるみたいだから、その前に構えつつ、窓に向かう。

 短剣に描かれていたのは、職人芸の細工を施された赤い華麗な東洋龍の紋だ。何度も見ているそれを、俺は知っている。同時に、嫌と言うほど身体に叩き込まれた感覚が、周囲に殺気を放つ。

 窓の外を覗くと、気配は消えた。おそらく隠れただけかもしれない。もうここまで見つかっていたのか。

「王子、俺、先に」
 振りかえると、王子は床で蹲ったままだった。動かない。

「王子!?」
 さっきのようなことを考慮しつつ、近づく。でも、今度は本気で伸びてる。やばい、こいつにここで死なれちゃ困る。

「お、おいっ」
 肩を引かれて、後ろに倒れかけるのを踏ん張る。俺を押しのけて、濃い灰色の影が割り込む。

「ディルは大丈夫よね、カーク?」
 姫の声がどうして聞えるのか、とか。

 シャルダンがどうしてここにいるのか、とか。

 二人でどうしてそんなに優しい、目で俺を見ているのか、とか。

「気を失っているだけです」
「はぁ~~~っ、驚かせんなよなぁっ」
 カークが王子を抱えあげて、ベッドに運ぶ。俺が整えたばかりの、ベッドに。白いシーツが影を引き、金の髪が同じく真白い上掛けに隠される。それを確認して、シャルダンと姫がテーブルに着いて、カークが紅茶を入れて。

「リンちゃんも、そんな顔してないでお茶にしましょう?」
 カップを掲げて、小さく首を傾げる。それを「あ、可愛い」とか思っていたのに、俺の身体は全然別なことをし始める。ぽたりと、床に染みがつく。丸く弾けて、飛んで。

 やべぇ。これからここに客泊まるのに。もしかして神経質な人で、染みひとつでここに泊まるのぽしゃったら、女将さんたちの迷惑になる。手伝ってたはずなのに迷惑かけたら、意味無いだろ。

 そう思って床に落ちた染みを拭く。でも、それは拭いても拭いても増える。

「なんで?」
 いくつも、いくつも落ちて、急に両脇から抱えられて、姫の隣の椅子に座らされた。

「心配しなくても、ディルはしぶといから」
 大丈夫と微笑んで、白いレースの綺麗なハンカチを俺の顔につけた。柔らかい感触と甘い生クリームの匂いがする。

「あんまり泣くとおめめがとれるわよ。コロンって」
 可愛らしい効果音付きで言われたのに、背筋に奇妙な寒気が這い登ったのは何故だろう。

「ひ、姫」
「なぁに、シャル?」
 ついでにいうと、シャルダンも怯えている。この迫力はどーゆー環境で身につくんですか、とはとても恐ろしくて聞けない。甘くて柔らかい砂糖菓子みたいな姫なのにどうしてと考えかけて、つい最近同じコトを考えたことを思い出した。

ーー王子だ。

「……リンカ」
 ベッドの辺りから聞える呻き声に、姫の瞳が淋しさを灯す。夜の砂浜に寄せる波みたいに、とても暗く寂しい。

 どうしてこの王子は、それほどに俺にこだわるのかがわからない。何故と問い掛けても明確な答えは返ってこない。姫も、シャルダン様も本当の理由は知らないのだという。

 ただの気まぐれで、俺で遊んでいるだけなのかどうかと言われても自信はない。

 俺の目の前のテーブルに、カークの手で黒いものが置かれる。先ほど飛んできた紅龍の短刀だ。禍々しい龍の踊る短刀は恐ろしくも有り、見とれるほどに美しくもある。

「俺、明日の朝出発します」
 短刀をひっつかみ、俺は椅子から立ちあがった。誰とも視線を合わせたくなかった。

「王子にも伝えておいてください」
 腕に触れそうな姫の手を寸でのところで避ける。

「ディルが起きるまでいないの?」
「仕事があります」
 扉を閉めて、はぁと大きく息をつく。ドアに寄りかかっている時間はない。

 黒い剣の柄の赤い龍を撫でる。その口元に爪をひっかけ、強く弾く。すると、龍が口を開き、それを引いて、柄が開ける。中には小さな紙切れが細長く丸めて詰められている。丁寧に取り除き、柄を元の通りに戻して、黒い剣はベルトの後ろに通して隠す。

「おや、どうしたい?」
 厨房に入っていくと、色褪せたアッシュグレーの薄手Tシャツに愛らしいうさぎのキャラクターがアップリケされたエプロンをつけた大柄な体躯の男がいる。彼ーーこの宿の主人は巨体に似合わず、ちまちまと手先の包丁で何かを作っている最中で、その横を素通りする。

 俺は手紙にさっと目を通し、読み終わったそれをすぐさま火にくべる。そうするのが、俺とあいつの間のルールだからだ。

「めずらしいことしてんなー」
 軽く聞こえるように主人にむけた俺の声は、震えない。無理やりにでも明るく振舞うのは得意じゃないけれど、心配をかけるのが得策でないことぐらいはわかってる。

「そら、今日はおまえの送別会って、女将が言ってたからよ」
 もうすでに話が回っているところは、さすが女将だ。

「たいしたこともしてやれなかったしな。最後ぐらい盛大にやってやるよ」
 さっきまでの反発心は出てこなくて、代わりに胸が強く締め付けられる感覚が襲う。

「そんなこと、ねぇよ」
 この村にいる間、身寄りもないリンカに、泊まる場所と仕事までも世話してくれたし、もうほとんど故郷といっても支障がないぐらい馴染むことが出来た。全部ここの宿の夫婦のおかげなのだ。

「こらこら。そんなに泣くなよ。まだ宴は始まっちゃいねぇんだ」
「な、泣いてねえよっ」
 深く追求される前に、俺は厨房から隣の食堂へと逃げ込んだ。

 まだ客はまばらで、空いているテーブルのが多い。従業員もそこここでおしゃべりに興じている。まさに平和そのもの。だれも、この町に刻龍なんて化け物がひそんでいるとは思わないだろう。

 俺は壁際のテーブルに付いて、そのまま突っ伏した。冷たい感触が伝えてくるのは、まるでこれから起こる事柄を予見する様で、心の震えが止まらない。

 怖い。会いたく、ない。

 だが、会わざるを得ないだろう。何より雇い主が会いたがっている。

 それに今日の様子からすると、まず、間違いのない未来が用意されている。

 どちらに転んでも、俺の望まない未来が。

「リンカ、おごって~」
 馴染みのウェイトレスがぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす。

「おーい、起きなさいってば。起きないと、水ぶっかけるわよ」
 本気でやりかねない女性なので、仕方なく顔を上げる。

「なにぶっさいくな顔してんの。笑顔じゃないと折角捕まえた幸せ逃がすわよ?」
 彼女を視界に収めながらも、俺の思考は先程読んだ手紙から離れずにあった。内容はいつものとおり、刻龍への勧誘がひとつ。追記されている1行だけ書き添えられた文を除けば、ただそれだけの手紙だ。

「なんだよ、それ」
「異国のオージサマを捕まえたって、評判よぉ?」
「あぁ?」
「今度のあんたの雇い主。一緒にここも出てくって、聞いたわ」
 神妙な表情になったかと思うと、また思いっきり頭を撫でやがる。容赦のないこの仕打ちも、王子に付いても刻龍についても、なくなるのは決まっている。

「やったじゃん、リンカ。大出世じゃないのっ」
 出世といわれてもピンとこない。もしもそうだとしても、俺はこれからあいつらを裏切らなきゃなんないんだ。出世どころじゃない。

「幸せってのはさ、掴み取るもんなのよね」
 どこか悟ったような声に顔を上げると、見たこともないぐらい彼女は優しく微笑んでいる。余計に、心苦しくなる。

 自分が男だと偽り、騙しつづけて来たことを後悔しているわけじゃない。後悔してしまえば、今までの俺の人生すべてを否定することになってしまう。それは、いやだ。俺は自分で選んでこの道を歩いているんだ。いつだって、自分で選んできた。なんだってやってきたすべてのことを否定する気はない。

 でも。

「あたしもがんばんなきゃなー」
 優しい手は、この村で始めて知ったわけじゃない。それでも、ここはもう故郷みたいなものになっていて。世界にこんなに優しい場所があるなんて、ここに来るまで俺は知らなかったから。

「泣かない泣かない、一生会えなくなるわけじゃないんだから。なんか飲む? おごるわよ~」
 もう顔を上げられなかった。声も、出せない。絶対泣いている声が出てしまう気がしている。

「泣くなってば。男の子でしょっ」
 やわらかく抱きとめられる。彼女のエプロンからは石鹸の香りがする。それに太陽の香りも。

「いつでも帰ってきていいんだからね」
 精一杯のウェイトレスの声は、少し涙を含んでいた。

 ここの町の人たちはみんな優しかったけど、とりわけ宿の店主と女将、そしてこのウェイトレスがよくしてくれたこと、俺は忘れない。

「うん」
 腕に力を込めて、俺も彼女を抱き返す。優しさの香りを忘れないように、息を吸い込む。俺、絶対、忘れないよ。何をなくしても、ここだけは、絶対。

「泣くなってば~」
 涙声でいいながら彼女はさらに強く俺を抱きしめた。

p.5

08#よくある寄道劇



 澄んだ青とか突き抜けるような青とか、そこにわずかな雲母の欠片が漂っていたりする空は、とても旅日和だと言う人がいた。言ったのは旅をしたことのない人。聞いていたのは、旅人。

 旅人は、ただ苦笑していた。その旅人にとっての旅がどんな意味をもっているのか、目的などといったことは、旅人にしかわからないことだ。だから、旅をしたことのない人は楽しそうに日常に戻っていった。

 俺は思った。旅人はきっと晴れの日が嫌いだったんだ、と。雲一つない快晴の日を、俺は嫌いだったから。そして、そんな日に出発したことを、あの町を出て数キロも進まないうちに後悔していた。雨とはいわないから、せめて曇りなら良かったのに。

 隣町まではどの方向でも、暫く森の中を歩く。森の中と言っても、道なき道ということはなく、歩きやすいように土で平らに舗装されている。轍の跡は少なく、圧倒的に馬蹄や人の足跡の方が多い。けっこう物騒な道であるはずなのに、今日に限って何も、誰も出てこない。出てきてくれないと、リズールにはなんの問題もなく辿り着いてしまう。

「こうしてると、昔に戻ったみたいじゃない?」
 馬上から姫が楽しそうに言う。手綱を握っているのはシャルダンで、姫は彼の前で座っている。二人とも動きやすい旅装で、馬の扱いには慣れているのだろう。動かし方は長年馬に乗り慣れている人のものだ、とも思ったが、シャルダンの手綱を時折修正しているのは姫のようだ。どうやら、姫の方が数段、慣れているらしく、シャルダンの操作は多分に危うい。

 シャルダンの有能な執事カークはというと、3人分の荷物を乗せた馬を引いて、徒歩である。

「そうですね~。じゃあ、帰りは盗賊退治にでも行きましょうか~」
 え。

「さんせーい」
 言い出したのは王子、賛成の明るい声は姫だ。

 て、待てよ。

「盗賊退治って、何言ってんだよ。終わったらとっとと国に帰れ」
 王子たちは当然そうするものと思っていたし、俺だって、リズールで刻龍と会うセッティングをし、護衛までもが終わったら、とっととあの宿場町に戻るつもりでいた。持ち物は少ないので持ってきてあるし、かまいはしないが、女将にも皆にもすぐに帰るといってある。

 そうでなくてもあまりこいつらと長く同行したくない。なにしろこの連中と来たら、一癖も二癖もある上に王族らしくもない。

 あまり長く一緒にいて、情が移ったら困るじゃないか。

「じゃあ、今行くしかないわね」
 そんな俺の心配を他所に、あっさりと言ってのけてくれるのは姫だ。いやもう、普通じゃないどころじゃない。ピクニックにでも行こうかというノリで、盗賊退治に行こうとか言う姫なんて見たことない。

「今って、この辺はダメですよ」
 しかし意外にも、言い出した王子から止められた。

「この間やったあとだし、出てこないと思います」
 やった? 何を? まさか、ひとりで盗賊退治なんてしたんじゃねぇだろうな。そうだとしても、質が悪いって有名なこの辺りの盗賊を、いとも簡単に「出てこない」と称する辺りが甘い。

 いや、まてよ。こいつのこの性格ならあるかもしれない。王子のくせに魔法使いで、その上幼なじみの折り紙付きの性格だ。もしかするともしかするかもしれない。

 が、曲がりなりにも質の悪さにかけては名のある盗賊なのだから、王子に少しぐらい脅されたとしてもあきらめられては困る。なぜって、リズールにさっさとついちまうじゃないか。ついたら、いやでもアイツに遭わなければならなくなる。誰だって、嫌なことは先に伸ばしたいものだ。

「念のため聞くけど、そこのボスって」
「無理だ」
 聞こうとした質問を、沈痛な面持ちの声で遮られた。シャルダンは、どうしてか暗い顔で歩いている。まるで、いやな過去でも思い出したような。

「ディルは倒した相手のことは、一切思い出さないんだよ。一晩寝たら、綺麗さっぱり忘れてんだ」
 こっちは何度そのとばっちりをくらったかわからない、と更にシャルダンの周辺の空気が重さを増す。それはよっぽどの目に遭ったのだろうなと容易に想像がつくほどで、俺は深く同情した。

「いや~ん、シーちゃんひどーぉい。そんなことないですよ~」
「それはヤメロ」
 疲れたようなシャルダンと反対に、王子と姫は実に生き生きとしている。昔から、この三人はきっとこうなのだろう。そして、標的が一時的にこちらに一筋ずれているだけなのだろう。そうにちがいない。そうであってほしい。そうであってくれ。

「リンカさん」
「なんですか?」
 王子とは極力関わりたくないのも事実なので、俺はシャルダンのかける声に即座に向き直る。すでに彼は笑うでも怒るでもなく、なんというかなんでもない普通な顔をして、リンカを見る。まっすぐに目を見て話す人だ。それは見下すとか、そんなんじゃなくて、リンカの間違いでなければ対等な態度を示してくれている。

「君の系統(ルーツ)を聞いてもいいかな?」
 もちろん教えてくれるよねと、優しい瞳で問う。

 ルーツは、生まれた時に神殿で受ける儀式によってわかる、いわゆる先祖の分類のようなものだ。神々の系統にいるものもあれば、獣の系統にいるものもいるし、精霊の系統や楽器、植物の系統のものもいるというように、それは多岐にわたる。それが何を意味するのかを知っているものは少ない。

 この人になら、なんでも答えてしまいそうだったが、俺は首を振った。

「俺、儀式を受けたことないんだ」
 わずかにその瞳が驚きを示す。彼のような貴族階級はたいていが神々の系統に属する。だからこそ、俺のようなものがいるなんて、思いもよらないのだろう。

「そう、か」
 でも、それから彼は何も聞かない。ただ少し残念そうな顔をしている。そんな顔をされても困る。わからないものはわからないんだから。

「知りたいと思うことはない?」
 考えたこともない。あれは受けるだけで金もかかるし、俺はこれまでずっと生きるだけで精一杯だった。一息つけたあの宿場町でだって、別にそんなものは必要なかったし、時としてあるほうが邪魔なことだってある。

「ないよ。いらねーし」
 俺の軽い答えに、彼は何かを考え込んでいるようだった。どうにもこの人は王子とは別な意味で貴族らしくなくて、何を思っているのかも読み難い。それにシャルダンだけじゃなく、姫だってぜんぜんお姫様らしくない。助けが待ちきれなくて、高い塔から命綱もなしに逃げようとしてみたり、いきなり人に女装させたり。何を考えているのかさっぱりわからない。

 俺の前を馬頭と歩調を合わせて歩いている王子は、やはりどうみても物見遊山の青年貴族だ。性格は穏やかで、いかにも争い事が嫌いそうに見える。が、その会話内容は正反対である。

「じゃあ、少し遠回りだけど、カルシュの森に神獣伝説があるそうですから、行ってみますか。観光がてらに」
 護衛もつけずにここまでのんびりと観光ガイドまでしている王族なんて、見たことない。

「神獣?なんの?」
「たしか、黒い一角獣だったと」
 姫の瞳が怪しくひかったように思う。女子供は大抵、伝説とかが好きだとはいうけれど、わざわざ自分で見に行こうなんて考える姫なんて珍しい。

 どうしてなにがなんでも行きたいんだ、こいつらは。そんなものに付き合っていられるほど、こっちだって暇じゃないんだ。

 リズールには早くつきたくない。でも、王子と極力関わりたくない。そのどちらを優先するかと聞かれても、両方としか答えようがない。紅竜も王子も、俺にとっては両方が人生で関わりたくない者の一番だからだ。

「リズールに真っ直ぐいかねーのか? だったら、俺は先に行ってるから」
 多少苛つきながら、付き合ってられないと歩き出すと腕を引かれ、俺はあっという間に王子の腕の中に収まっていた。

「もちろん、リンカも行くんですよ?」
 当然でしょうと断言しながら、王子は口元を綻ばせ、とてもたのしそうである。どうみても、俺をおもちゃとして扱っているようにしかみえない。

「いかねー」
 玩具にされてたまるか。

「僕の護衛でしょう?」
「本当は護衛なんていらないんだろ」
 王子は彼自身を守る者なんて必要がないというだけの実力を持っている。出会ってから、それほど時間はたっていないが、十分すぎる程にその片鱗を見せられている。護衛なんて邪魔だけで、下手すれば実験体ぐらいにしか考えていないかもしれない。

「ーー風の流転ーー」
 ふっと俺を腕に抱えたままその姿がゆらぐ。いつものとおり、王子の金の髪は光と風をはらみ、緩やかに波立つ。つまり、魔法を使う前兆だ。不思議に和らぐ光を内側から放つようで、その容姿も合わせてみると、とても人間には見えない。童話に出てくる光を纏った導きの使いみたいだ。

 どうしてか、俺はそれが怖かった。触れてはいけないように、声をかけてはいけないように思えて、体が震える。

「ーー逆さの神殿ーー」
 王子の紡ぐ魔法の言葉に、なんとか声を絞り出す。きっと聞いてはいまい。

「何をっ」
 自分の体なのに、言うことを聞かない。思うように声が出ない。

 いや、そんなはずはない。そう思いこんでるだけだ。きっと声は出る。王子だって、至近距離で叫ばれたら、無視もできないだろう。

「ーー我らを女神の元へ導き給えーー」
 しかし、制止の声を発する前に、身体に浮遊感を感じる。力ある言葉の余韻がガンガンと頭に響く。耳鳴りが大きくなり、シャルダンと姫の抗議の声が遠ざかり、風が耳元を通り抜ける音で目を開いた。

 高い。かろうじて姫達の姿が確認できる程度だ。むろん、それもすぐに木々の陰に見えなくなった。

「こ、こ、ここ」
「すぐに着きますよ」
「じゃなくて、」
 俺と王子がいる場所は森の背の高い木々の更に上を、風のように動いていた。風とは逆方向に動いているようだから、おそらく違うのだろうけど。

 とにかく高い場所には違いない。

「姫とシャル」
「少しの間落ちますから、口を閉じておいたほうがいいですよ」
「落ち」
「二人分の体重を支えてこの高さをゆっくりというのは、いくら僕でも厳しいですから」
「え」
 考える間もないぐらい、今度は強い落下間に襲われる。この高さから落ちたら、さすがにやばいって。いくらなんでもこのスピードからなんて。

「なに考えてんだー!」
「あははははは」
 癪だけど、楽しそうに笑う王子に必死でしがみついた。こうすれば、何があっても道連れに出来る。なんて、考えていたわけじゃない。ただ怖かったから、しがみついてた。

 風に声が混る。この状況で何を言われても聞こえるはずがないのに、しっかりとその言葉の意味まで理解した瞬間、足元がなにかふにゃふにゃしたものを踏みつける。

「うわぁぁぁっ」
「落ち着きなさい、リンカ。もう着きました」
 引き剥がされそうになって手を伸ばした俺を、王子は軽々と抱き上げた。目の前には少し見おろす形に端正な彫刻張りの青年の顔がある。まっすぐに見つめてくる瞳は柔らかく、優しく、信頼できるものに思える。

「つい、た?」
「はい。最初の神殿、フィリストに」
 力強く頷く様に安堵する事なく、引っ張られるように、そのまま後ろを振り返る。誰かに、何かに意識ごと強制的に引っ張られるような感覚だ。強く呼ばれるというのではなく、柔らかな存在が振り返った自分を迎えてくれるというような。途方もないことを一瞬信じてしまっている自分がいる。

「神殿?」
 でも、当然のようにそこには誰もいない。風化した石造りの建物があるだけだ。砂色のレンガを積み上げてつくられていたのだろうが、今は見る影もない。屋根と呼べるものは見当たらない。王子の腕から降ろされ、廃墟の一番奥へ自然と俺の足が向かう。

 廃墟。そう、ただの廃墟だ。なのに、さっきと同じ、誰かを求める感覚が溢れていて、優しくて懐かしい空気に包まれている。俺は親を知らないけれど、きっと母親の腕の中のような、そんな空気だ。

「フィリスト神殿は、最古の神殿であると同時に、女神たちが最初に降り立つ」
「ちょっと黙ってろ」
 奥に歩いてゆく俺の後ろを、落ち着き払った王子の足音が追ってくる。でも、俺にはそんなことを気にするほどの余裕がなかった。小さい頃の記憶は、養父に出会ったところからしかない。だから、母親も父親も俺は知らない。自分の系統なんて、調べたこともないし、知る気もない。シャルダンに答えたように、本当にいらないと思っていたんだ。

 でも、この朽ち果てた神殿の中にいると、どうしようもない郷愁が胸に広がる。もうすでにいないものを求めようとする、自分がいる。

「リンカ?」
 王子の声が、遠い。壁に手をつく。リンカを支えようとした腕を振り払う。手の下に文字の感触。

「古代語、ですね」
「もうここには来ない、って」
「読めるんですか?」
 読むというよりも、感覚に近い。自分は、たぶんこれを知っている。文字じゃない、なにかを。



ーー愛し子よ、嘆くなかれ



 優しさに満ちた言葉が直接心に語りかけてくる。きっと戻ってくるから、泣かないでと。できない約束を繰り返している。できないとわかっていても、戻ってきたいと嘆いても、叶わないこと。すべては、定められたこと。

 誰が定めたことかと問われても俺には答えられない。確かに覚えているはずなのに言葉よりも畏怖が先に立つ。この世界を与えられ、慈しんだその存在に畏怖と同時に腹もたつ。だって、どうして取り上げられねばならない。俺たちは女神によって作られ、存在しているのに。何故、滅びねばならない。理由のわからない事柄にどうしようもなく腹もたった。



ーーリンカ



 打ち付けようとした拳の前に声が降りる。

「…な」



ーーただひとりを残すなんて

ーー彼女ひとりでは

ーーだめよ、やっぱりおいていくなんて



 ひとつの音だったものが複数に被さり、争う。



ーーあの子はただ一人ここで生まれた

ーー帝の命令をうけないただひとりだ

ーーあの子が残ればいつか戻る日まで、世界は守られる



 落ち着いたひとつの声が反論する。強い言葉に複数の女神たちの声は押し黙る。落ち着いた声を放つ女神に、俺は固まる。この人が寄せるそれはつき放つだけの冷たさではない。ただ与えらる絶対の信頼に、俺は安堵と不安と動揺に動けなくなった。



ーーそうだな、リンカ



 声を遮り、黒いものが降ってくる。黒い、羽だ。

(これは、刻龍の…合図っ)
 女神の声が消え、現実に対面しているのに、俺はぴくりとも動けない。動かなきゃいけないと感じているのに、なにかに遮られるように指一本動かせない。唯一動くものは。

「王子、ここを出ろ」
「え?」
「早くしろっ」
 石が擦れて落ちてくる砂が煙幕を作りだす。

「リンカも」
「すぐ行く!走れ!」
 動け、と強く願う。

 王子が俺から離れたのを見届けた刹那、俺の頭上が影に落ちた。

あとがき

章毎のファイルにしていたんですけど、Webで載せるには余りに長いし、ケータイでもすんごいページ数(ケータイ版は文字数バイトで1ページの調整をしています)に、なってしまうので分けました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
まだまだ続きます。リンカの受難は始まったばかりです。
(2007/2/9 16:11:48)