彼女は歩くことが好きだ。散歩ともいう。
だがしかし、ただ歩いているだけでも人目を惹くようになったのはつい最近になってからのこと。本人は俺といるからだと思ってるのだろうけど、実際は違う。彼女が綺麗で純粋であると気がついた輩が増えたからなのである。そうでなくても俺には不利な条件が揃いすぎているというのに。
「どうした?」
並んで歩いていた姿が急に方向を変えて、俺から離れていこうとする。掴み損ねた手には、冷たい風だけが残っていた。追いかけて、追い掛けて、追い掛けつづけても、俺はまだミコトを捕まえてはいない。
「なんかあったか?」
まっすぐ一定の方向に歩いていく肩を掴む。一瞬振りかえった瞳に浮かんでいた不安の色で、すぐさま手を離して立ち止まる。その間だけでも彼女との距離はあっというまに二、三メートルは離れてしまう。以前より話すようにはなったけれど、それでも俺と彼女の距離は一定だ。およそ近寄ってくる動物のが彼女に近く、しかも自ら触れてもらえる。それが少し妬ましい。
雨は降っていないけど、薄灰色の雲が一面に空を覆っていた。かすかに混じる雨の匂いに俺の不安までも溶け込みそうで、早足で彼女を追う。だって、かっこわるいだろう?
漆黒の髪がふわりと風を受けて、後方へ流れる。掴めそうで掴めないソレは透明な空気に溶けていった。常緑樹の根元に彼女が座ると、草が道を分けるように凪ぐ。同じ黒のローブなのに、木炭で染めた色みたいだ。
「…シリウス…」
思ったとおりの不安声で呼ばれて、僅かな苦笑を噛み殺しながら近づく。最近は、いつもこうだ。それをいやだと思うことはないし、嬉しいと思う気持ちのが強い。確かにそこに存在を認めて、頼ってくれているということだから。
太陽を背に上から彼女を覗きこむと、ほんの少し身体をずらし、困った瞳で見上げてくる。
ーーだから、それは反則だって。
「なんだ?」
無言で少し先の何かを指す。白い羽の生え揃ったばかりの小さな雛だ。なんていう鳥なのかわからないけど、地面に座りこんだまま、小さな小さな声でその存在を主張している。一瞬、怯えるように見えたのは気のせいだろうか。
「巣から落ちたのか」
「怪我…してない?」
バサリと精一杯ソレは両手を広げて主張する。怪我の痕はないから、たぶん巣から落ちただけだろう。
「あぁ」
「………」
「巣に戻してやれば平気だって」
宥めるように頭に手を置いて、くしゃくしゃと撫でる。それは上質の絹のようで、さらさらりと音を立てて心地好い。が、彼女はまだ少し震える。こんなことさえも、彼女には緊張してしまう要因らしい。木漏れ日があたって、肌が斑色なのが面白かった。髪にはそれは綺麗な光の輪ができている。
「抵抗しないのな?」
「…少し、慣れた…」
「…そうか」
顔が赤くなっている気がして、もっと強く撫でる。ミコトはあんまりしゃべらない代わりに、本当のことしか言わない。それにこんなことをいうなんて珍しい。
上を見上げても木の葉に邪魔されてどこに巣があるのかはわからなかった。ただ薄緑と濃い緑の葉の間から、白い雲が見える。空の色は見えない。
「俺にまかせろ」
目線を合わせて、目でも肯いてやる。ただそれだけで、ミコトには通じるのだ。
まずローブを脱いだ。木に登るためである。ローブでは枝に引っかかってしまう。それから、ポケットを探って、探って、探って…。
「あれ?」
ハンカチが見つからない。困って視線を向けるが、さすがにこれは通じないらしい。
「ハンカチないか?」
すぐさま、白と淡いブルーのレースで縁取られたものが渡された。
「…手、で、掴まないの?」
「うん。人間の匂いがつくと親が餌くれねーんだって」
昔聞いた受け売りだけど、今でもしっかり覚えている知識をさらす。それだけで、またその瞳が変化する。誰も気がつかないけど、俺だけが気がつく。ミコトの変化。よく変化する、瞳の感情。
ミコトのハンカチで包むように抱き上げると、突っつかれる。
「いてっやめろ、こら!」
何が気に食わないのか、雛はつつくのをやめない。
「やめろよ。今、母親んトコにもどしてやっからっ」
片腕で登るのは大変なので、それを包んだままミコトの手に置く。
「ちょっと持ってろ」
幹の色は濃い茶色。なんて木なのかも知らない。でも、この木には一年中緑の葉っぱがついている。
「貸せ」
木の上から声をかけて、ようやく気がついた。その異変に。
空気に鈴でもついていれば一発でわかったのに。ミコトならきっと鈴を転がしたのと同じ音がするだろう。それもただの鈴じゃなく、クリスタルで出来た透明な鈴。透明な鈴はきっと俺にしか聞こえない音を放つ。有体にいえば、笑っていた。両手で雛を持っているから、いつもみたいに口元を隠すこともなくて、初めて見た動物だけに見せていた貴重な笑みを浮かべている。登る前にわかってたら、近くで見れたのに!!
「ミコトっ、雛!」
「…気を、つけてね」
「落ちるかよ」
笑いながらゆわれたけど、不思議とイヤな気分はなかった。否、少しはいやだけど、こちらにむけられた笑顔は極上のマリーゴールドというか、可憐な様相を訂していて、すぐにでもこの腕に閉じこめるために、いそいで枝を登って雛を巣に返した。ハンカチをポケットにしまって、下を見る。まだ笑っているのだろうか。
「ミコト」
「…っ」
「降りっから、ちょっと離れてろ」
巣はそんな高さじゃなかったし、少し離れた枝に足をかけてバネにすれば降りれそうな気がする。
緑の邪魔になりそうな枝を少し押し退けて、一応の道を作る。僅かにゆるい木漏れ日が直で目に入ったのか、ミコトが瞳を細めているのが見える。そうしてみると、彼女は光に照らされて、いっそ清楚なイメージをもつ。実際に彼女はなにものにも染まらない純粋さをもっている。
「なに…」
「どけないと、怪我するぞっ」
最後の一音に力をいれて、最初の枝に足を掛ける。上手い具合に滑る直前にそのまま枝を蹴れて、一瞬安堵する。
「…シリウスっっっ」
泣きそうな声に振り向いてしまったのが、間違いだった。空中でバランスが崩れる。
「うぃ…
悲鳴、そのものの呪文を聞いたのは初めてだ。そして、たぶん、はっきりと彼女の力の程を知ったのも初めてだ。
身体が落ちずに空中にあるまま、俺は動けなくなった。それも、さっきまで登っていた木の頂上に近い場所まで浮いている事態は、驚愕には充分な事実だろう。発音も完璧。効果も百%なんかとっくに越えている、けど。ひとつだけ、違和感がある。
「…リウス…」
「いいから、降ろせ!!」
それでもゆっくりと降ろされることにも驚いたが、落ちながら態勢を立て直してゆく。だんだんと見えてくるミコトの顔は、今までもどんなときよりも動揺して、心配していた。そんなに心配しなくても、大丈夫なのに。
軽く足をついた反動を利用して、その小さな身体を抱き寄せる。胸に仕舞いこんで置いてしまえるなら、今すぐそうしてもいい。ただ、今のミコトは誰にも見せられない。
「ミコト、すっげーな」
「…めんな、さいっ」
「箒以外であんな高いところは滅多に見れないし!」
景色より、ミコトの方が気になっていたけど。
「…ごめ、なさ…っ」
「泣くなよ」
感情がここまで表に出ることなんてなかったから、内心はすごく動揺していたんだけど、とりあえず抱きしめておく。ローブがあれば、全部隠してしまえるのに。
今見た事実さえも。
「杖なしで魔法使えんだ?」
耳元に口を持っていって、小さく囁く。それだけではない震えが伝わってくる。
「心配すんな。誰にもいわねーよ」
力のことは知ってる。それを彼女が恐れていることも。そのせいで、実技試験さえも手を抜いていることも。
俺がもしその力を持っていたら、もっと自慢したりしたかもしれない。でも、ミコトは優しすぎるから、なんでも真剣に考えすぎるから、悩みすぎて、本当に大切なことも見えなくなる。
どちらにしても、説明するにはさっきのことも話さなきゃなんねーし、もちろん、そこにはミコトの笑顔をも含まれる。できれば、あれは他のやつの前じゃ見せないで欲しい。
「それより、さっき笑ってた?」
「え?」
無理やり話題をかえた。力のことになると、こいつは考えすぎるきらいがある。顔を覗きこむと、瞬時に朱に染まる。
「何が楽しかったんだ?」
「……」
今以上に表情豊かなミコトは見られないかもしれないと思って、その顔を覗きこむ。
「何?」
「…突付かれてるシリウスが…」
やっぱりそこか。
「…か…」
可愛かった、から。
といわれた。
実はまだ恋愛対象外なんじゃないのかと、真剣に悩んだのは当然だろう。男として。かっこいいならともかく、可愛い。この際、さっきの状況は置いておいても、可愛いは男に対する賛辞じゃねぇ。
「雛は、帰れた?」
「それは当然」
「…よかったァ…」
不意打ちのように見せてくれるようになった笑顔。まぁ今はそれでもいいかなと少しだけ思えた。
俺よりも全然可愛い、ミコトの笑顔が見られるなら。
現在お気にのストラップが、タオル地で作られた黄色いヒヨ。
それを題材に、考えてたんですが。
いちおう『帰れる』がテーマっつか、雛の話を書きたかっただけ?
うちの庭で実際に雀の雛が落ちてたこともありますよ。
ちゃんと父が戻してました。素手じゃないけど、軍手だったけど。
むしろヒヨコ視点の絵が欲しい!つか、そっちのイメージしかねぇし。
生き物としては縁日で売ってるようなヒヨしかわからんですが。
あ、今回襲ってない。(せんでいい。
(2003/03/04)