壬生浪士組という場所は私にとって妙に居心地が良くて、慣れるのに一日もいらなかった。その理由の半分の半分は近藤のおかげかも知れないし、その更に半分は認めたくない人の存在で、残りの半分の半分は今一緒にいる居心地の良い者達のおかげだ。
「よくあんな店知ってんなァ」
満腹の笑顔で半歩前を歩く永倉が腹を叩く。
「旨かろうよ」
「へへ、おごってもらって悪いな」
並び歩く苦笑いの原田に、私も苦笑いを返す。
「土方さんらには内緒だよ?」
会津藩お抱えと聞いていたが、どうやら禄もない浪士の寄せ集めらしい彼らに、おごりを買って出たのは私のほうだった。もちろん状況の把握のためとかそういった理由もあるにはあるが、一番の理由はこの二人が特に気が合うからだ。おかげで彼らが江戸に出てくるまでの顛末を聞かせてもらえたことは、私にとってかなりの収穫となった。
「で、葉桜はあといくら持ってんだ?」
にやりと人の悪い笑顔で問いかけてくる二人には悪いが、これ以上おごるつもりはない。
「ないよ」
「そんなわけねぇだろ」
支払いの時にちらっと私の財布が見えたらしい二人は、食い下がってくる。
「ちーっとだけ貸してくんねぇ?」
「ははは、駄目だよ。これはーー」
軽い足取りで二人から距離を取りつつ振り返った私の隣を二、三人の子供が何かを手にしながら笑い声を上げて、駆け抜けて行く。微笑ましく見送ってすぐ、子供らの手にしていたものを目にした私は思わず足を止め、呆然としていた。
「もーらいっ」
「どした?」
原田に空の財布を奪われたまま、まだ明るい道を遠ざかってゆく子供らの後姿に私は目を細める。あんな風に無邪気にしていられたのはいつだったかと考えかけ、頭を振る。
「葉桜?」
「ち、カラか」
人の財布を逆さに振って文句を言う原田からそれを奪い返し、懐へしまいながら私は歩き出す。後をついてくる二人の訝しげな視線を感じるけれど、いくら気が合うといったってまだ話せることではない。
「おい、どうしたってんだよ」
「懐かしいなぁ、って思ってさ」
ずっと昔のことのように思える子供の時分、何も知らずにいられた心愉しい時間を思い出し、私は自然と笑みを浮かべる。
「実家の道場に、絵の上手な食客が泊まっていた時分のことを思い出してね」
「へー、書生かなんかか?」
「いいや、剣客さ」
目線を上にあげると同じ時間を思い出す。
「おまえ、絵が上手いな」
道場で父が門下生の稽古をつけている間、私は暇だったのでよく「彼」の部屋に出入りしていた。「彼」は面倒がってなかなか外で遊んでくれなくて、昼の穏やかな光差し込む部屋の中で、私によく絵を描いてくれた。
「葉桜は下手だな」
「そんなことないだろ」
対抗してべたべたと私も描いたが、彼の言うようにどうも思うように描けない。だけど、それを認めるのは悔しくて、部屋中を埋め尽くさんばかりに私は絵を描いた。
「どうだっ」
「あー上手い上手い」
「ちゃんと見ろっ」
「見てるぜ、ちゃんと」
「うそだ、おまえ目を瞑っているではないかっ」
「……うっせぇガキだな」
そういっていつも寝たフリをして逃げられたことを思い出し、自然と口角が下がる。
「なに一人で百面相してやがる」
いきなり後ろ頭を叩かれ、私は永倉に抗議の目を向けた。永倉は何故か私を優しく笑っている。
「葉桜はイケる口だよな」
「へ?」
「聞いてやるから、今夜俺らの部屋に来い」
実は若衆だけで飲むんだと聞いて、私は少し瞬きをしたあとで軽く笑った。
「土方さんや芹沢さんに見つかったらやばいんじゃないか?」
前者は説教込みで取り上げられ、後者は酒の匂いで取り上げられる。私がそう言うと二人の男はにやりと笑った。
「心配すんなって。そんなことより来るのか来ねぇのか、どっちだ?」
さて、と私は少しばかり思案のフリをする。
「むさ苦しい男に囲まれての酒盛りはつまらんなぁ」
「そういうなって」
肩を組んでこようとする原田の手を跳ね除ける。純粋に仲間として誘っているのはわかるが、他のものにどうこう言われるのも困る。
「実はな、ちっとオメーに尋ねたいことがあってよ」
「なんだ?」
「こんなところで言う話じゃねェから、夜に俺らの部屋まで来いっつってんだよ。いーか、土方さんや山南さんらには絶対言うなよ」
なんだろうと首を傾げつつも私はこくりと頷いた。
寝息で煩い部屋の窓辺で、私は手酌を傾ける。小さな杯を摘むように持ち、そこに溜まる少し白く濁った水をクイと煽ろうとした手を、不意に抑えられ、私はそのゴツゴツした男の手を一瞥した。
酒に浮かぶ月をそのままに私の手ごと傾け、一気に飲み干される。
「っかー、うめェなァ」
「起きたのか、永倉」
驚くでも動揺するでもなく、小さな笑みを零し、私は永倉の手を軽く払い、また手酌で注ぐ。その様子をじっと永倉が眺めていることに気が付いてはいたが、私はただ瞳に月を映したまま、ゆるりと酒を飲み干した。こくり、と喉が鳴る。ごくり、と近くで唾を飲む音がする。
「で?」
唐突な問いかけだったから、あまり自分に言われている気がしなかった私は、また猪口を傾ける。
「昼間、何思い出してたんだ?」
頭の中で少し反芻し、私はああと小さく呟く。
「子供の頃のことを少し、ね」
「絵の上手い食客のことか」
「まあね」
言いながらも少し眉間に皺がよる気がして、私は指先で眉間を押さえた。
「強い人だったんだ。私は一度も勝てたことなんてなかった。だけど、いつも本気で相手をしてくれてたことだけは感謝してる」
自然と私の口元が緩むのは、やはりあの頃が幸せだったからだろう。今とは比べものにならない、比べてはいけない想い出だから、私は目を閉じて小さく笑う。
「良い奴だったのか」
「ああ、良い奴だった」
即答できるぐらいに大切な想い出の中で笑うあの人を、私は下ろした瞼の向こうに見つめる。目を閉じればこんなにも鮮明なのに、ゆっくりと目を開ければ寂しい月が浮かぶだけで。眦にかすかに浮かぶ雫に、私は自分が少しだけ酔ってしまっているのだと思った。
銚子を振って少し残っている音を耳にしてから、そのまま煽る。喉をするりと通り抜け、焼け付くような痛みに眥が熱い。
「流石に酔っただろ。こりゃ上物だからな」
からかうように笑いながら、永倉が私の肩を抱く腕は、女の扱いに慣れた優しさを込めている。丁度の加減で弱く抑えつける腕に震え響くのを抑えつつ、見えないのをいいことを私は俯いたまま、声だけは笑いながら涙した。
「ははは、流石に少し酔ったよ。本当に、良い酒だ」
もしもあの頃に戻れたら、なんて私は言わない。あれからだってたくさんの出来事があったし、どんな選択だって私は間違えたとは思わない。私は私が最良の生き方をしてきたと胸を張って生きているから。
だけど、時には私も想い出を懐かしんでもいいだろうか。戻れないからこそ、切なさの募る優しいあの時間を私は何よりも愛しているから。
「鼻水つけんじゃねーぞ」
「つけるか、ばーか」
気の合う仲間は勘が良すぎて、私には少しだけ厄介だ。だけど、酔ったふりして甘えるのもたまにはいいだろうか。
明日になったらまた頑張るために、今だけ、少しだけ、泣かせて。
顔をあげない私の背を撫でる手はとても優しく、気持ちがとても温かかった。
芹沢と絡みがあった場合は他の部分で矛盾が生じるので、あえて裏イベント。
そういえば、最初は永倉、原田と絡みがないなぁ気が合うのに、と思ってこの二人をチョイスしました。
初期イベントなので甘味なし。の、つもりだったのですが。
うーん…この話の永倉がいつからヒロインに傾いていたのか、書いている本人が一番よくわかりません(マテ
(2009/01/19)
公開
(2009/01/21)
改訂
(2009/12/28)