24#よくいる神官
冷たい石畳に所々月明かりが延びているのを、僕、オーサーは歩きながら辿っていた。闇夜に浮かぶ真ん丸い光の球は、今日も静寂の世界を誰かのためにか照らしている。
自分の四方を囲んで歩く神官兵の腰に差した剣の鞘が、がしゃがしゃと耳障りな音を発しているのを、眉間に皺を寄せたまま僕は聞いていた。立ち止まることなど許されない。歩きながら連れて行かれている場所がどこなのかわかっているし、気の一つも抜くことなど出来ない。
女神が去って以降に作られ、人が行き交う故に風化もしないこの石造りの建築物「大神殿」は、一般に女神の力に溢れていると言われている。だけど、ここに来ることでそれが偽りと僕は気が付いた。
(こんなもの、アディに比べたら一滴も女神の気配なんてないじゃないか)
カタチだけのニセモノだと思った。本当はアディが系統を調べる必要なんかない。だけど、彼女がそれを望むなら、たとえどれだけの危険があろうとも自分が叶えてあげたいから。アディが自分をただの弟と思っていても、それでもアディが好きだから。
目の前の神官兵が音を立てて立ち止まったので、僕も歩みを止めた。彼らが背筋を伸ばし、敬礼する先に目を向ける。
石畳の白い光が消える柱の影に入ったらしいものは、最初白い棒のようにみえた。近づいてくる静かな姿は人影らしく、廊下を吹きぬける風に微かに耳元で切りそろえた真っ直ぐな髪を揺らしている。月の光を集めたような銀色の髪は光の加減で所々淡く薄青に輝き、光に照らされ、少し近づく毎に、歩いているだけだというのに気品が見て取れる。
神官の着る一枚布で作られたという衣を着ているその人物は男とも女とも言えない体つきをし、整った顔立ちをしていたが、近づいてくるほどにその動作に女性らしいしなやかさが漂う。だが、身長は僕よりも頭一つ分程度高く、普通の女性にしては大きいほうだと思った。
「ご苦労様。ここからはアタシが女神様を案内することになったから、おまえたちは下がりなさい」
「はっ」
女性にしては少し低めの声が慣れた様子で兵に告げると、僕を取り囲んでいた者らは一礼して来た道を戻っていった。
この人は見た目に寄らず、高位の神官かなにかだろうかとオーサーが考えたのは、おぼろげに神官兵に命じることが出来るのはそれなりの地位を持つものでなければならないと思い出したからだ。つまり王族か、司祭長以上のクラスでなければ、神官兵を使いにだすことなどできない。
「んと、あなたがアディちゃんね」
考え込んでいる僕に向かって、唐突にそう切り出した女性は、何か楽しいことでも見つけたかのようににやりと笑った。
「大神官様はあんたをご所望のはずなんだけど、時期まではアタシに預けるってさ。有難く思いなさい?」
見た目よりも砕けた物言いをすることに拍子抜けした僕に対して、何も言わず、彼女は唐突に手を掴んだ。
「少年みたいとは聞いてたけど、そのものね」
「………」
「あ、私のコトはナルって呼んでね。女同士、仲良くしましょ?」
心なしか「女同士」を強調された気がして、僕は正体がばれているのかと警戒した。だが、ナルはそれを気にせずに手を引いて歩き出す。
「案内は明日になってからでいいわよね」
先ほどは距離があったから聞こえなかっただけなのか、ナルの足首にはめられた数本の細いシルバーのアンクレットがシャララと優雅な音を立てている。そのアンクレットが月光に微かに煌めくのは宝石だろう。透き通る青さが時折石畳を彩る。
僕も流石に声までは変えられないので、アディたちと別れてからずっと声を出すのは避けていた。だから、ここでも言葉にはしなかったが、この人物は何者だろうと、困惑した瞳でナルを見つめる。視線に気づいたナルははにかんだ顔で、嬉しそうに口端を上げた。
「なあに? 今なら出血大サービスでなんでも教えちゃう」
最初はただの美女と思ったが、内面はずいぶんと可愛らしい女性にみえる。そんな女性をだますのは忍びないが、これもアディのためだ。
「……王族……?」
囁くほどに小さな僕の声は、かなりかすれていた。おかげで怪しまれることなくナルは答えてくれる。
「あら、わかる�? やっぱりアタシの美貌は隠し切れないものなのねっ」
ただし、その返答はやけに軽い、ということはからかわれているのだろうか。ナルは僕から思っていた反応が得られなかったのを少しつまらなそうにしながらも、やはり楽しげに足を進める。
「一応、本名はナルサースクっていうんだけど、長いし堅っ苦しいでしょ。だから気にせず、ナル、って呼んでね」
余計な気を遣われるのは好きじゃないのよ、と形のいい眉を顰め、小さく口元を曲げる。それはアディのやる表情によく似ていて、僕は気づかれないように小さく笑った。
ナルに連れられて一階分の階段を上り、やがて彼女の身長の二倍はありそうな大扉の前に連れてこられる。扉の向こうが彼女の部屋かと思ったけれど、ナルは片手で軽くノックした。
「シャトー、いいかしら?」
部屋の中からはよく通る落ち着いた男の声が入室を促す。彼女はそれに対して、片手でその大きな扉を引っ張った。ギギギ、と重そうな音が響くがナルの表情も崩れず、汗一つかいていない。見た目よりも軽い扉なのだろうと、この時の僕は勝手に納得した。
ナルに背中を押されるようにして僕が部屋に入ると、後ろで大きな音を立てて扉が閉まった。
「遅かったな、ナル」
月光を背にして影だけでも豪奢とわかる椅子に座った人物が笑いを含ませた声をかけてきた。
「話も聞かずにお姫様を連れてきてあげたんだから、文句を言われる筋合いはないわよ」
口を尖らせて抗議しているが、ナルの表情は明るく微笑んでいる。二人の仲の良さ、それから王族であるナルにこれだけ気さくに話す様子からして、やはりこの者も王族なのだろう。
つまりはアディを狙う敵かもしれない、ということだ。
「賢者殿から何か預かっていないかな、お嬢さん?」
身構えたとたんに笑いながらかけられた問いに、僕は目を丸くする。
「フィッシャー様、から……?」
確かに僕はフィッシャー様から書状を一つ預っている。だが、それを知る者はここに僕以外いるはずがないのだ。
「そう。イフでもいいけど、こういう時は自分だって彼もわきまえてはいるはずだからね」
椅子から立ち上がった男の姿が月に照らされる。三時の陽光を閉じ込めたような柔らかで温かな金髪、それから地表の藍鉄鉱のような灰青色の双眸が穏やかそうな笑顔からのぞいている。ナルとは似ても似つかない平凡な顔だが、作られたような笑顔を湛えた表情に僕は見覚えがあった。
「あ……っ」
彼はアディを大神殿に向かわせる理由をつくった、村に来た三流神官と同じ顔をしていた。
25#よくある事情
アディを眠らせてから、僕が神官兵に引き渡されるまでの間に、僕とフィッシャー様との間である遣り取りがあった。アディの髪をわずかに切り取り、それを媒体にして僕にアディの気配をほんの少し被せるという魔法をこともなげに行う賢者は、本当にすごい人なのだと感心するばかりの僕にフィッシャー様は一通に手紙を託してくださった。
「これをシャットヤンシーという神官に渡してくれ」
大神殿に行く次いでに、とフィッシャー様から渡された手紙は封をされていたわけではないのだけれど、僕はそのまま袖口に隠すように仕舞う。
「お知り合いですか?」
僕の問いかけに、フィッシャー様は少しの思案の後で不服そうに返してきた。
「万年三位」
「え?」
フィッシャー様の足りない言葉を、苦笑交じりにイェフダ様が補足する。
「私たちの学友で、同期なのですよ。彼もあと一年違っていれば、常に首位でいられたのでしょうけれど、フィスと私がいる代では可哀相でしたね」
この国にある王立学院で学んだ仲間なのだとおっしゃっているが、そこで首位がフィッシャー様、次席がイェフダ様というだけでも本当に驚く。僕は噂程度しか知らないけれど、器の魔力量の他にかなり難しい筆記試験をクリアしないと、どれほどに金を積んでも入学することができないと言われている大陸一の学校が王立学院だと聞いている。
「ま、私は千年に一人と言われる天才だからな」
当然だろうというフィッシャー様はともかく、あまりイェフダ様はそう見えないだけに意外だ。あまりに僕の視線が語っていたのか、困ったような顔でイェフダ様は言った。
「一応、シャトーも十年に一人といられるほどの力をもっていますし、その他にも融通がいろいろと聞きますから。もしもバレても諦めてはいけませんよ、オーサー君」
もちろん、僕はアディが殺されるかもしれないから、身代わりに行くわけだから、そういう覚悟だってしていた。でも、口に出していないそれはどうやら二人にはお見通しだったらしい。
「アデュラリア嬢のためにも、必ずまだ生きて会いましょう」
扉の前で差し出された手を前に僕が戸惑っていると、イェフダ様はしっかりと両手で握りしめてくださった。
その時の言葉を思い出して手のひらを握り込む僕の前で、見覚えのある神官服の男が穏やかに笑う。
「僕はシャットヤンシー=クラスターと言います」
その名前に僕は思わず後ずさりしてしまって、いつのまにか直ぐ後ろに立っていたナルにぶつかってしまった。
(クラスターって、え、ええー……)
うちの村は名前がないほどに小さな村で、神殿からたまに神官が来るぐらいしかない辺鄙な場所にあって、そんな場所にきた人が実は王族でなんて。何の冗談だと言いたくなるのを、僕は口を押さえて、辛うじて堪える。
「それで、女神の眷属殿は手紙を預かっているよね」
差し出された手のひらはペン胼胝が出来ている以外は荒れた様子もない。あえて言うなら、指が少し長いから大きく見えるのかなと、どうでもいいことを考えてしまう。
「おーい」
「あらあら、吃驚して声も出せないって感じね」
クスクスと笑うナルの声が上から降ってきて、僕は慌てて手紙を引っ張り出し、頭を下げて差し出した。
「こここ、これです!」
「ん?」
「あらー?」
声に出してから、僕は慌てて自分の口を抑えた。アディに扮している時はできるだけ高い声にしていたのだが、驚きのあまりに地声になってしまったらしい。ナルのときは隠しおおせたのに。
黙っているわけにもいかないな、と僕は諦めてヅラを外して、まっすぐにナルとシャットヤンシー様を見上げた。
「あの、僕はアディの幼なじみで、オーソクレーズ=バルベーリと申します。オーサーとお呼びください。アディの身代わりとして来ました」
その後のナルのがっかりした顔を僕はなかなか忘れられないだろう。
手紙を受け取ったシャットヤンシー様は苦笑しながら、読み上げてくださった。内容は簡潔で、僕をアディの身代わりにして時を稼ぐようにと、ただそれだけだ。いつまでと書いていないが、読み終えたシャットヤンシー様は彼らしいと小さく苦笑を零した。
「つまんなぁい」
一方でナルは不貞腐れた様子で、秀麗な顔を歪めている。具体的に言うと、両眉が不機嫌にわずかに上がり、瑞々しい小さな口元をアヒルのように突き出している。
「ま、妥当な線だな」
苦笑しているシャットヤンシー様を軽く睨みつけてから、ナルは息を吐く。その不満そうな視線が僕に移ってくる。
「オーちゃんもかわいいけどぉ、アタシとしてはやっぱりお姫様、で、遊びたかったなぁ」
女神なんて変身させ甲斐のある素材なんてなかなかないのよと、ブチブチ文句をいう様子のナルに僕は小さく肩をすくめた。仮にアディが来たとしても、素直に遊ばれてはくれないだろう。僕だって、もっと女の子らしい格好をさせたいが、アディはいつだって余程の理由がなければ、着てくれないのだ。
「アディは女性らしい服装が好きじゃありませんから、難しいと思いますよ」
「オーちゃんでもいいのよー、よく似せてるんでしょ?」
確かに、僕はずっとアディに似るようにしてきたから、似ているかもしれないけれど。
「お断りします」
僕が笑顔で言い切ると、ナルは何故だか小さく笑った。
「せっかくアディちゃんが来るっていうから、いーっぱいお洋服用意しておいたのに。なんで、代わりが来るって、シャトーもアタシに教えないのよ」
「敵を欺くには味方から、て以前に言ったのはナルだよ」
「だからって、アタシの楽しみを先延ばしにする理由にはならないわよっ」
ナルは怒っているのに、どこかほのぼのとした遣り取りに見えるのは、シャットヤンシー様が穏やかに微笑んでいるからだろうか。それにしても、王族のナルとシャットヤンシー様は兄妹なのか姉弟なのか。そして、僕はどうしたらいいのだろうか。
「それにシャトーだけじゃなく、イフやフィスまで先に会ってるなんてズル過ぎよっ! 女神に関しては抜け駆け禁止って約束したじゃないっ」
「ははは、僕らの誰がそんなものを守ると?」
昔からそうだろうとシャットヤンシー様に言われたナルは、ますます口を尖らせた。それを軽く笑った後でようやくシャットヤンシー様が僕に向き直ってくれる。
「さて、オーサー君も色々と聞きたいことがあるようだけど、今夜はもう遅いし、僕も戻ったばかりで疲れてるし、眠いし」
これ見よがしに大きな欠伸をし、シャットヤンシー様は扉へ向かいながらナルを手招きする。
「この部屋は自由に使ってくれて構わない。もともと女神のために誂えられているから魔法を受け付けない造りにしてあるし、城よりはよっぽど安全だよ」
入るときは片手で押した扉を、ナルは両手をかけて開いてゆく。
「ホンモノが来るまでは極力外出を控えること。必要な物があったらナルに頼みなさい」
シャットヤンシー様は僕に口を挟む隙も見せず、ナルと二人で部屋を出て行ってしまった。
残された僕は二人の出て行った扉の前に立つ。最初はナルがしたのと同じように片手で押すが、開く気配もない。次いで、両手で渾身の力で押してみてもまったく動かない。僕はいくらアディに似せているとはいえ、普段は父さんやヨシュや、村の男達に鍛えられているのだから、それなりに力に自信もあったのだが。
首を上げてナルが軽々と開けた様子を僕は思い浮かべる。入る時は片手で、出てゆくときも両手とはいえそこまで力を使っている様子はなかった。女性のナルに開けられるのに、僕にはびくともしないなんて。
僕は自分の両手を見つめる。まだ刻龍に襲われた怪我は完治しておらず、足手纏いになるのも目に見えていた。それもあったからこその身代わりだ。今のアディの側には心強い仲間もいるし、彼等には自分とは違いアディを守るだけの力だってある。僕とは違って、本当に強い人達で、信頼できることだって、旅をしていてわかっている。
だから、こんなことで僕が落ち込んでいる場合じゃないことだって、わかっているんだ。
「……寝よう」
部屋の隅に設置された簡素なベッドに僕は身を横たえた。清潔なシーツと清潔な毛布に包まっても、あまり暖かくない。僕の閉じた目蓋の裏にアディの笑顔が浮かぶ。彼女なら、こんなときどうするだろうか。
自分の愛する少女を思い浮かべながら、僕は意識をまどろみに委ねた。
26#よくある陰謀
夜闇に紛れるように王城の庭木の一つがさざめく。目の前には広いテラスの一室があるが、室内で明かりを灯していないため、窺い知ることは出来ない。ただその場所が宰相ベシニエ=デクロワゾーの執務室であるというのは、王城で働く誰もが知っている周知の事実である。
黒い鳥のような者がひらりとそのテラスに降り立ち、膝を付き、頭を垂れて、臣下の礼を取る。
「女神は南へ、代わりは王子の手元へ落ちました」
黒い鳥の告げる言葉に、室内からは鋭い舌打ちが帰ってきた。
「王子を消す好機を逃し、ここまで無事に帰したのか。女神の眷属候補のことといい、どこまでも使えぬな」
ゆっくりと部屋から歩出でた者はこの国の十歳の子供と変わらぬ身長でありながら、深みのある老齢な声をしている。それに対して、黒い鳥は応えないまま、低頭を貫いて微動だにしない。
「それとも流石に女神の系譜に連なるとあっては手も出せぬか」
庭木の先程からさざめいていた一本から、複数の低い歯軋りが響く。
「あのような」「女神などでは」「裏切り」
ざわめく否定の声音に、老人は怯える様子もなく鼻を鳴らした。
「どちらにしろ、王子の手元にあっては使えぬ駒。だが、今の女神に従者と賢者が組しようと、天道はここだけよ」
天道とは女神が女神と認められ、天へと開かれる扉であり、道である。
「扉さえ開かなければ、世界はこのまま我らの手に留まるのだ。幾星霜も世界を捨て置く女神などに、この世界は渡さぬ」
そうだろう、と呼びかける老人の言葉に、また複数の同意が返される。
「我らは……失うわけにはいかぬ」
一瞬室内の男が老体に似合わぬ気を発した。それは、おそらく殺気と呼ぶもので、周囲の木々で眠っていたらしい昼の鳥を驚かせ、飛び立たせゆく。続けて、コツ、と老人は静けさに杖を突く音を響かせる。
「この世に女神などいらぬ」
冴え凍るしゃがれ声が命じる。
「女神に関わる者の全てを消し去れ。その程度のことは主等にでもできよう」
「御意」
短い返答を残し、黒い鳥はまた飛び立った。闇夜に残る老人は月を見上げる。年月という皺に肌を彩るものの、その瞳はギラリと鋭く、野心に満ちている。男の名はベシニエ・デクロワゾー。この女神神殿を懐に収める国の第一大臣であり、ナルに縁深き者でもある。
「儂への恩を忘れて王子に組するつもりか、ナルサースク」
低く呻くような老人の声は、憎しみに満ち満ちていた。
27#よくいる訪問者
女王を模る駒を手に斜めに三つほど進めた僕は、透明と白を交互に八マスずつ描いた盤上から顔を上げる。何というわけでもなく、ただ呼ばれた気がしたのだ。目の前で真剣に盤上を眺めているシャットヤンシー様は気づいておられないようだが、傍でみていたナルは僕の様子に直ぐに気付く。
「どうしたの、オーちゃん?」
ナルの問いかけで気づいたシャットヤンシー様も顔を上げ、僕に目線で疑問を投げかけてくる。
気のせいだろうか、と心の中で僕は問いかける。この二人以外に部屋に人はいないし、二人とも何か聞こえたという様子はない。
「女神にでも呼ばれたかい?」
優しげなシャットヤンシー様の問いの意味を考え、僕は溜息を付きたい気持ちで首を振って、微笑んだ。
「いいえ」
女神に呼ばれた、というのはただの慣用句だ。悪い意味では死出の迎えでもきたか、という意味もあるが、ここでの意味はもちろん違うだろう。シャットヤンシー様はアディに呼ばれたような気がしたかと訊ねておられるのだ。
「シャットヤンシー様はこちらに長くいらしていて、よろしいのですか?」
「ああ、いい」
さらっと僕に返された言葉をナルが笑う。
「シャトーはね、帰還の宴という名目の縁談の席から逃げてきたのよ」
「縁談?」
僕がそれを聞き返すが、その前にシャットヤンシー様は、ナルを不機嫌に眉根を寄せて、口を曲げて、睨みつけた。
「人のことを言えるのか?」
「だって、アタシには関係ないもーん」
僕がナルを見上げると、その視線に気づいて彼女は秀麗な眉目を顰める。
「大体人のことをイケニエにして逃げた人の言うことじゃないわよね、オーちゃん。シャトーの代わりにどれだけアタシが引っ張り出されたと思ってるのよ」
「普段どれだけ僕がナルに振り回されてると思ってるんだ。これぐらい引き受けてもらわなきゃ割に合わないよ。なぁ、オーサー?」
「振り回されてなんかくれないクセに言うわねっ」
問いかけているようで、すぐに言い合いに戻ってしまう二人を前に、僕は小さく諦めの息を吐き出した。アディと似たようなやりとりもするので、こういうのは口を挟まないに限る。
アディは今どうしているだろうかと、窓からしか見えない空に僕は想いを馳せた。別れてから、もう三日経った。ディがいるから、きっと無事であると信じてはいるけれど。
「チェック」
シャットヤンシー様の宣言に僕は慌てて盤上を見る。確かに勝負は終盤であったけれど、そんな手はあっただろうか。
「え、ず、ずるいですよっ」
「勝負の最中によそ見はだめよ、オーちゃん」
ナルに笑われながらも僕が真剣に盤上を見つめていると、来訪を告げる静かなベルの音が室内に響き渡った。
ここは大神殿の最奥に辺り、来ることが出来るものは限られる。そもそも部屋の扉自体が特殊で、女神の力がなければ、酷く重たいのだという。その話をナルから聞いたときは何度か彼女を見返したものだ。だが、例によって、追求不可能な笑顔に阻まれ、僕はそれを口に出せないままでいる。
ナルから、アディのような気配を感じたことはない。ずっと幼い頃から隣にいたのだから、それははっきりと断言できる。
さらに神官が女神の力を行使できると言っても、その力を常に宿しているわけではないことも知っている。彼らは都度祈りの力で女神に力を借りるらしい。だが、
まさか、ナルみたいな長身とはいえ細身の女性が怪力とか、普通はありえないだろう。そもそも女性が神官という事自体が異例だとしか思えない。王族だからなのだろうかとも考えているが、それも訊ねてはいけない雰囲気なのだ。
「誰が来たんだ、ナル?」
「んと……アタシのお客様みたい、ね」
「なぜここに?」
「大方、アタシがオーちゃん……じゃなかった、女神の眷属様の身柄を預かってるのを聞きつけたんでしょ。あ、中には入れないから安心して?」
僕にウィンクして、ナルはあの重い扉を軽々と押して出て行く。
「話をつけてくるから、二人とも部屋から出ないように」
出ないようにと言いながらも、ナルはドアの隙間にレンガを一つ挟んでから、出て行った。その隙間程度では出ることは出来ないのだけれど。
「……シャットヤンシー様、これって」
「オーサーは札士だったね。拡張の札はあるかい?」
「ないです」
「じゃあ、僕がやるか」
シャットヤンシー様が長い詠唱を終える頃、遠くで聞き取れないほど小さかったナルの声が、急に大きく聞こえるようになった。
「何しにきたのよ、叔父サマ」
ナルが不機嫌そうに言うと、初老の男性が不機嫌そうに言葉を返す。
「またそのような言葉を使いおって」
その声を聞いた瞬間、シャットヤンシー様は表情を硬くした。僕にはナルが話している相手を見ることはできないけれど、ナルの姿を見ることは出来る。
「どんな言葉を使おうと、アタシの勝手でしょ」
扉に描かれた女神にも遜色ないナルの端麗な眉目が顰められるのは、それだけでも人に威圧感を与えられる。だが、それに気圧されることもなく、相手は息を吐き捨てていた。
「勝手ではない。お前は次の王となるのだ。そのような言葉を使っていては、臣下に示しがつかぬ」
「……懲りないクソ爺ね。アタシは王の器じゃないって何度言えば、そのカラの頭が理解できるのかしらー?」
額に青筋を浮かべながらも、ナルはにっこりと作り笑顔を形作る。
「で、要件は何よ、クソ爺。女神サマにだったら取り次がないわよ」
これで話は打ち切りだとナルは言外に宣言する。相手も長話をするつもりはないのだろう。少しの間を置いて、苦々しく口にした。
「数日中にリュドラントが攻めてくる。用意しておけ」
相手は言うだけ言うと、さっさと踵を返して行ってしまったようだ。遠ざかる足音の主を怪訝な目で見送っていたナルは、何かに気がついたように大きく声を張り上げた。
「アークライト様はどうなさったのよ、叔父サマ! 彼女がいる限り、リュドラントは攻めてこないはずでしょう?」
ナルが口にしたその名前は、僕のような一般庶民でさえも聞いたことがあるものだ。この国の元王女で、女神に最も近いと言われるほどの人格者で、数年前に隣国リュドラントとの調停を自ら買って出て、嫁いていった女性だ。
ナルの質問への返答は、たった一言だけ。
「アークライト妃はおらぬ」
「はぁ!?」
「おまえはその戦で必ず王位を奪い取るのだ、ナルサースク」
言うだけ言って、ナルの話していた相手の足音が遠ざかっていくのを、僕とシャットヤンシー様はただ静かに聞いていた。
28#よくある正体
呆然とベシニエの遠ざかる背中を見つめるナルの背後で、僕とシャットヤンシー様は、ギギギ、と重い音を立てて扉を開いた。シャットヤンシー様と僕の二人がかりで、やっと一人が通れる隙間しか作れない。それ程に重い扉を開けたのは、シャットヤンシー様が僕に対して、真剣に頼んでこられたからだ。
アディが王族や貴族を嫌っている理由を知っている僕は、彼女ほどでないにしても彼らを好ましく思うことはなかった。だから、シャットヤンシー様とはいえ命令されたならば、きっと僕は素直に頷くことなんて出来なかったに違いない。
だけど、シャットヤンシー様は本当に真剣に、そして対等に僕を見て頭を下げて下さったから。だから、僕も手を貸そうと思えたのだと思う。
隙間から滑りこむようにシャットヤンシー様が出た後、間髪入れずに僕も体を滑り込ませた。僕がこの大神殿に連れてこられてから部屋を出るのは本当に数えるほどでしかない。外は変わらずの古い巨石を丁寧に積み重ねた、年月を感じる作りをしている。どことなく村にあった神殿を思い出すけれど、村にあったそれよりももっと大きくて、もっと頑強で。もっと、女神の力が濃い場所だ。この女神信仰の薄れている世界においては不自然なほどに。
「今のはなんだ、ナル?」
シャットヤンシー様の問いかけもまったく聞こえていない様子のナルは、口元に手を当てて考え込んでいるようだ。見る人が見れば、それは確かにひとつの芸術品のような美しさだと言えるだろう。これまでに描かれてきた女神たちの絵姿にも引けを取らないに違いない。ただし、アディを知っている僕には「アディの次に」と冠詞がつくけれど。
「アークライト様がいないってどういうこと? 三日前に水鏡で元気な御姿を拝見したばかりなのに? リュドラントと戦争って、一体何なのよ」
「ナル、とにかく中へ入れ」
シャットヤンシー様に背中を押されて、部屋の前に戻ったナルは、考え込みながらも普通に片手で戸を押して扉を開く。何度もいうけれど、僕とシャットヤンシー様の二人がかりで、渾身の力で以てして、やっとひとり分の隙間を作ることが出来る扉だ。見た目が怪力とは程遠い容姿だけに、ナルのそれはとても理解しがたい。
ともかく、部屋に僕とシャットヤンシー様も部屋に入り、ナルが扉を締める。だが、閉めた扉に手をついたまま、ナルはまだ考え込んでいるようだ。シャットヤンシー様の声に応える様子もない。
「あの、シャットヤンシー様にお聞きしてもよろしいでしょうか?」
これはもうダメだと首を振るシャットヤンシー様に、僕はさっきから引っかかっていた疑問を問いかけることにした。
「僕に応えられる範囲であれば」
了承をもらった僕は考えながら、それを言葉にする。
「ナルが王族だというのは聞いていましたが、王位って、どういうことですか? この国に限らず、女神以外で女性が王位を継ぐことなんて一度もありませんよね」
少なくとも僕が習ってきた歴史の上で、女王の国というのはないと断言できる。首を傾げる僕に、シャットヤンシー様は苦笑しながら教えて下さった。
「ナルは僕の腹違いの兄だ。ただし訳あって、一般には公開されていない」
シャットヤンシー様の視線はどこか遠くを見ているようだ。
「本来なら第一王位継承権はナルにあるんだ。だけど、本人が放棄しているから、今現在第一位の継承権はこの僕にある」
理由は何一つ話されないけれど、なんとなく僕にはそれがわかる気がした。ナルと出会ってからたったの数日しか過ごしていないけれど、その優しさは僕にも伝わってくる。争事を嫌い、けれどシャットヤンシー様を信頼し、尽くすナルの姿は何も疑いようがない。
「さっきの男との関係についてはナル本人に聞いて欲しい。僕が言うことではないからね」
さらっと流された説明を頭の中で反芻してから僕はナルを振り返った。この際、ナルが実は王位継承者だったとかいうことは二の次だ。
「……兄、ですか」
「あれでも、兄、なんだよ。王位なんか興味ありませんよ、ってアピールするつもりで女装しているそうだけどね」
見えないだろうと子供っぽい笑顔を浮かべるシャットヤンシー様に、僕はどんな顔をしていいのかわからなかった。
僕らの視線の先に立つナルの姿は、最初に見た時と変わらず、一部の隙もない。耳元に切りそろえられた月の光を集めたような銀色の髪は、昼の光の下でも所々淡く薄青に輝いている。その中に収まる細面の白皙の肌には、切れ長の怜悧な金茶色の瞳が乗り、すっとした高い鼻梁の下には、紅を引いてもいないのに微かに潤う珊瑚色の口唇がある。それだけでも中性的な顔立ちであることに違いはなく、男と言われれば男、女と言われれば女と、誰もが信じてしまいそうだ。
だが、シャットヤンシー様の言葉を信じてみれば、最初に出会った時に感じた違和感を納得させることができる。僕はそれほど小柄な方ではないため、それを踏まえてみれば、ナルの身長は高すぎるのだ。少なくとも僕がこれまで出会った女性で、僕の頭一つ分高い身長の女性には近年会ったことがない。
一番僕が見落としていたのは、おそらくナルの胸だろう。アディは幼児体型かと見まごうほどに胸がないのだが、ナルのそれは更に上回る。女性を凝視するのは失礼に当たるため、今までよくは見ていなかったが、神官服越しのナルの体は均整がとれているとはいえ、女性のような丸みというのはあまり感じない。どう贔屓目に見ても、そこに胸があるようには見えない。
すべてを踏まえてナルをもう一度頭のてっぺんからつま先まで見てみる。それでも、こちらを顧みて近づいてくるナルを真っ向から男性と言い切れるものではなかった。思いつめた顔で、勢いよく繰り出される足はすらりと伸びやかで、無駄な筋肉はひとつもない。舞台上の女優のように、見惚れる脚線美だ。
……困った。本当に、女性にしか見えない。
僕の考えていることがわかるのか、苦笑するシャットヤンシー様が喉を指す。お陰ですれ違い様に見えたナルの喉仏をようやく確認できた。そういえば、母さんやアディにあれはなかったなぁ、ぐらいしか思い出せないけれど、一般的な女性にはないもののはずだ。……その、はずだ。
(えええええー……)
確証できるのがそれだけだとか、無理すぎるだろう。
「シャトー、あんたの鳥から最近連絡があったのは何時っ?」
切羽詰った様子のナルを静かな目で見つめるシャットヤンシー様は、少し視線を外してから懐から折りたたまれた手紙を取り出した。その紙には赤黒い血痕のようなものが付着していて、ナルの性別について考え込んでいた僕でも事態の重さを予想するぐらいはできた。
「夕べのが最後の連絡だ。僕も彼と同じ報告を受けているよ。ククルスは何者かに襲撃されて、今は治療中だ」
その手紙を奪い取り目を通すナルは、食い入るように見つめたまま、微動だにしないで読み切ったようだった。
「何よ、何なのよ、これっ」
「カノーラスは行方不明になっているが、おそらく既に」
一呼吸をおいて吐き出されたナルの激高に、シャットヤンシー様は冷静に返される。ククルスとカノーラスというのがリュドラントにいるアークライト王妃につけられた護衛だというのを僕が聞いたのは、もう少し後になってからだ。このときはそんなことを聞ける状況ではなかったのだ。
「そんなこと聞いてないわよっ」
読み終わった手紙を叩き返したナルの瞳が、強くシャットヤンシー様を睨みつける。その様はそのまま赤い炎を連想させるが、シャットヤンシー様は静かに叩きつけられた手紙を畳んで懐に戻しているだけで、まるでその炎は届いていないようだ。
「今回のことでどうしてアークライト様が死ななきゃならないのっ? なんで、私達じゃないのっ! なんで……どうして、よりによって、あの方なのよっ」
詰るナルをシャットヤンシー様は真っ直ぐに見つめ返す。
「シャトー、アナタは今回他国にいるアークライト様は関わりないって言ったわよね?」
僕には二人が何を考えているのかまではわからない。けれど、シャットヤンシー様の空気が変化したような気がした。
「いくら叔父サマだって、戦争を起こすつもりはないだろうからって」
「……ナル」
睨み付け、文句を言うナルに対して、シャットヤンシー様は視線をまったく逸らさずにいる。
「なんで、アークライト様が……っ」
繰り返すナルの言葉は、唐突に遮られた。
「黙れ、ナルサースク」
シャットヤンシー様の一声は強く、重く、苛立ちを含んではいたが、確かに威厳を持っていた。自分が言われたわけでもないのに、僕が思わず居住まいを正してしまうほどだ。ナルも感情のままに詰め寄っていた自分に気づいた顔をする。
「叔父……いや、大臣がそこまですると考えなかったのは僕の甘さだ。すまない、ナル」
素直に頭を下げるシャットヤンシー様を見下ろすナルの内側から、次第に炎が収束するのが僕にもわかった。
「アタシは叔父サマを裏切ってるから、何も言えない。何もできないのよ、シャトー。だからこそ、アナタがやってくれなきゃどうにもできないの」
次に頭を上げたときのシャットヤンシー様に、先ほどとは別の意味で僕は炎を感じた。静かに燃える青い光がその身の内から湧き出ている。
「フィスを怒鳴りつけるのは後にするとして、こちらでやるべきことが出来たな。協力してくれるか、ナル?」
「もちろんよ、シャトー」
ニッと口の両端を上げて微笑むナルの顔は、さっき僕が見たシャットヤンシー様の子供っぽい笑顔とよく似ていた。似たような笑顔を持つ二人が僕を顧みる。
「オーちゃんも協力してくれるわね?」
疑問系なのに拒否を許さない問いかけに、僕はつい頷いてしまっていた。
29#よくある指輪
部屋に入り込む陽射しは既に長い影を作り、開け放たれた大きな窓から訪れる姿なき賓客は、三人の肌に夜の気配を伝えてくる。
「さて、まずはお姫様の安否が先かしら?」
橙色に彩られたナルは、動かさなければ女神の彫刻にも劣らない口で告げる。
「そうだな。フィスたちは今、マースターにいるらしいから、おそらく共にいるだろう」
「フィスの怪しい魔法で精神を切り離されちゃってるんだっけ?」
ここに着いてから僕が伝えた内容をナルが確認すると、シャットヤンシー様は小さく笑った。
「確かにあいつのは怪しいけど、まあ死ぬことだけはないから大丈夫だろ。今頃は目を覚ましているんじゃないかな」
「そりゃそうだけど、フィス、たまにポカやらかすわよね。心配だわ~」
「イフがいるから大丈夫だろうよ」
灯籠の芯にナルは白くて細い指を近づけた。小指にはめられた指輪に光る直径一ミリもない赤い宝石が触れると、小さな音を立てて灯籠に火が点される。そんなことをできるからには、それは数少ない精霊の宿る火石なのだろう。風石とは違い、本当にごく限られたものにしか手にできない、女神の遺産のひとつだ。
不安定な蝋の灯かりが夕色に染まる部屋に溶ける。
「ん~、それでも心配だし、フィスにもお姫様にも会いたいし。アタシ、行って来ようかしら~」
ゆらり、ナルの影の前、シャットヤンシー様の影が揺らぐ。
「ダメだ、ナルはここを動くな」
きっぱりとシャットヤンシー様は言い切る。
「女神の代わりは必要になる。だから、僕らはここで待機しているしかない」
不満そうなナルの前、シャットヤンシー様は夕闇に落ちる世界を窓から見上げた。その表情から僕もナルも何も見出せなかったが、静かに彼は命じる。
「ナルサースク、おまえの技でフィッシャー、イェフダの両名にこれを届けろ。ここからでは間に合わない。今回は二人に処置を任せる」
シャットヤンシー様は右手の中指にはめた指輪をひとつ、引き抜いた。指輪には表面を平らに削られた、爪先ほどの大きさの鉱石が嵌められ、よく見れば何かが彫ってある。石はこの世でもっとも高価で硬いラルク石だろう。朱い火に照らされながらも、キラキラと虹色の光を放っている。
「それ、なんですか?」
僕の問いかけに、シャットヤンシー様は苦笑しつつ答えて下さった。
この指輪は王族の権限委任の印のひとつであり、これを持つ者は指輪の持ち主である人物の代理人として、全ての権利を行使できる。加工方法は数あれど、どんな小さな光も乱反射させるラルク石に細工し、そこからも更に別な絵柄を作り出す特殊な加工の施されたそれと同じものを作れるほどの細工師はいないという。
「ホイホイ貸すと有難味が減るわよ、シャトー」
狭い国内とはいえ、リュドラントとの国境の街ヨンフェンまでの移動を考えれば、近くにいる者に任せたほうが早いし、確実だというのは僕にも理解できた。状況を考えれば、全件委任という判断は間違っていないとナルもわかってはいるようだ。
「フィスとイフなら悪用しないだろ。あの二人は貴族でありながら、権力にまったく興味を持たない変人だからな」
だから、イネスに封じたんだと胸を張るシャットヤンシー様に、ナルは苦笑交じりの息を吐き出す。
「でも女神が関わるとなれば別じゃない?」
「そうなったらそれでいいさ。あの二人でもどちらか片方でも、民を害することはないし、女神を蔑ろにすることもない。僕も好きに放浪できるしね」
だから大丈夫だ、と心底愉しそうに、シャットヤンシー様は笑った。
「今必要なのは、迅速な終結だ。そうだろう、ナルサースク」
シャットヤンシー様の前に優雅に膝をついたナルが、捧げ持つように指輪を受け取る。
「皇太子殿下の仰せのままに」
立ち上がったナルが、ゆっくりと中庭へと歩き始める。シャットヤンシー様が手招きし、僕もそれに続いた。
中庭の中央に立つナルの全身に、落ちたばかりの日の最後の光が落ちる。ナルの銀髪は鮮やかな朱色を吸い込み、その瞳に朱い光を灯す。白い神官服も滑らかな白皙の肌もすべて緋色に染まり、その姿は「夕闇の女神」と題してもおかしくないほどに絵になる。
シャン、とナルの足元で鈴の音がなった。それがナルの足に嵌められたアンクルの宝石の一つに光を灯す。青白く冷たい光に見えるそれが、一瞬強く発光し、僕は思わず目を閉じてしまった。
「オーサー、目を閉じてしまうなんてもったいないよ」
謳うようなシャットヤンシー様の声音に誘われ、僕が目を覚ますと、そこには見たこともない銀の尾長と銀の鶏冠をもつ、全身が銀の羽毛に覆われた鳥が一羽、ナルの腕に留まっていた。大きさはそれなりに大きく、僕の身長の半分もありそうだ。その銀の鳥を見つめるナルはうっとりと頬を染めて、瞳を蕩けさせている。
「ワーべライト、ナルのお願いを聞いてください」
銀の鳥がバサリと羽根を優雅に動かし、次いでナルの頬に顔をすり寄せる。
「これを東の賢者にして、青の魔法使いのフィッシャーに届けて欲しいのです」
右手に指輪を乗せたナルが上目遣いで言うと、銀の鳥はナルの頬をその嘴で軽く触れた。おそらく了承するということなのだろう。
「ありがとうございます、ワーべライト」
目礼するナルの目蓋を銀の翼で軽く撫でたあと、長い銀の尾がくるりと動き、ナルの指輪を持つ手を包み込む。それがもう一度外された後には、もう指輪の姿はなかった。
銀の鳥が高い高い声で細く啼く。次いでばさりと翼を動かし、ふわりとその姿が宙に浮かんだ。銀の鳥はナルが穏やかに微笑んでいるのを見て、もう一度啼くと、さらに高く飛び上がり、風に乗るようにあっという間に飛んでいってしまった。
「……なんですか、今の」
「幻獣ワーべライト」
僕の問いに答えたのはシャットヤンシー様で、困ったように笑っておられる。幻獣というのは物語の中にしかいない架空の生き物のことだ。つまり、存在しない生き物だとシャットヤンシー様は言ったのだ。
「ナルが王立学園に通っていた頃に、フィスと二人で作った使い魔、とでも言えばいいかな。デザインしたのは、当時ナルと懇意にしていた女性らしいよ」
世間話のノリでシャットヤンシー様は話しておられるけれど、使い魔というのは顕現させるだけでも膨大な魔力が必要で、その上仕事をさせるにも相応の魔力を消耗すると聞いている。過去の魔法使いであれば、余裕で作り出し、使役できたそれらも、現代の魔法使いでは顕現させることすらできないとか。
「あれ? 神官に使い魔って出せるんですか? ……まあ、王族ですから、それなりに魔力量はあるんでしょうけど」
神官と魔法使いは似て非なるものだというのが常識だ。互いに使う詠唱呪文も魔法構築方法も異なる。だからこその疑問だったのだけれど。
「うーん、よくわからないけど、ナルの足にあるアンクルに魔石が幾つかあってね、それを種に顕現させているらしいよ。でも、命令はひとつしかできないし、ナルとフィスの二人の間でしか使えないって制限もある」
詳しいことは知らないんだと言いながら、シャットヤンシー様はこう付け加えた。
「そういえば、命令はナルにしかできないって言ってたな」
「え?」
「真偽はともかく、幻獣がナルに惚れ込んでるから、ナルの頼みしか聞かないらしいよ」
話し込んでいる僕らの元に戻ってきたナルが、ああ、と頷く。
「それ、ホントよ。ワーべを作ったのはフィスだけど、忠誠はアタシに誓ってくれてるの。他の人が頼みごとなんてしたら、焼き殺されちゃうかもねー」
冗談みたいに笑いながら言っているけれど、それが本当なら冗談で済まされないのではないだろうか。
「さて、と。シャトー、オーちゃん、夕食持ってくるわ」
いつものノリで軽やかに部屋を出ていくナルを見送りながら、僕とシャットヤンシー様は互いに顔を見合わせた。
「……ゲームの続きをしましょうか、シャットヤンシー様」
「そうだね、オーサー」
初稿
(2009/02/06)
話休題十九、よくいる代理
感想を下さった寝逃げさん、緋桜さん、韻さん。
それから、楽しみに読んでくださる方々も有難うです♪
予定が変わり、題名も変わりました。
予告ってそんなものです。
初稿で思いっきり時間を間違えて朝設定で書いてから、しまった!と思いました。
投稿前に気がついてよかった…!
次回は、
【二〇、よくいる神官】
今度こそ出るといいなぁ←
頼むから、誰も暴走しないで(切実
感想・批評・酷評大歓迎です♪
今後も楽しみにしていただけるように、楽しく書いていきたいと思います
(2009/02/06)
181 2/6 07:44
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189 2/6 09:09
190 2/6 09:11
初稿
(2009/02/09)
話休題二〇、よくいる神官
感想を下さった緋桜さん、氷室 神威さん、韻さん、寝逃げさん
それから、楽しみに読んでくださる方々も有難うです♪
オーサーの応援が多いのでオーサーの話です
本気で書くつもりがなかった部分でした
とうとう投稿数が200!!
20話まできました。長いなぁ。終わりそうで終わらないし。終わらせる気はあるのに何故!~
次回は、
【二一、よくある取引】
キャラの書きわけができてない気がします
大丈夫かな、これ(今更
感想・批評・酷評大歓迎です♪
今後も楽しみにしていただけるように、楽しく書いていきたいと思います
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192 2/9 19:02
193 2/9 19:06
194 2/9 19:27
195 2/9 19:39
196 2/9 20:04
197 2/9 20:08
198 2/9 20:13
199 2/9 20:16
200 2/9 20:19
初稿
(2009/02/17)
初稿
(2009/02/20)
初稿
(2009/02/26)
初稿
(2009/03/02)
話休題
二四、よくある手口
感想を下さった寝逃げさん、氷室 神威さん、緋桜さん、韻さん、ぼんぼりさん、
それから、楽しみに読んでくださる方々も有難うです♪
前回のアディはひとまず置いといて、ナルの話でした。
オーサーはそのうちアディの代理として活躍して……もらえるのでしょうか……←
その辺はシャトーとかナルに任せてます(え)
アディはうふふふふふ(謎)、なんかここまで反応していただけると嬉しいですーっ
まあ曲がりなりにもヒロインで主人公ですから、死ぬことはないかと。たぶん。
次回は、
【二五、よくいる諜報】
感想・批評・酷評大歓迎です♪
最後までよろしくお付き合いください~
231 2009-02-26 19:12
232 2009-02-26 19:16
233 2009-02-26 19:25
234 2009-02-26 19:31
235 2009-02-26 19:44
236 2009-02-26 19:52
237 2009-03-02 19:20
238 2009-03-02 19:32
239 2009-03-02 19:59
240 2009-03-02 20:05
改訂。
いろいろ考えて、予定通りにオーサー話を進めることにしました。
何より、ナルを出したかったのが一番の理由かもしれません!←
そんなわけで、しばらくオーサーの話を続けます。
(2012/03/01)
改訂。
なんかこう、オーサーだけでちゃんと書こうとしたことを既に後悔してます……。
いや、ナルをいっぱいだせるからいいんですけどね。
(2012/03/08)
改訂。
次の一話ぐらいでこちら側の話は終わりです。
早くディとかロリコン賢者とか書きたい(え
(2012/03/13)
改訂。
あと一話ぐらいで、オーサーの話は終わりにして、アディに戻ります。
(2012/04/04)
短くなりますが、オーサー視点を次回に移動しました。
(2012/04/11)
改訂。
予定外に長くなってしまったので、オーサー話はあと一話続きます。
(2012/05/15)
改訂。
えー、うん、こんな感じで、とりあえず神殿の話は〆。
次からは本編ーーアディの話に戻りますー。
(2012/05/16)