BSR>> あなたが笑っていられる世界のために(本編)>> 26#-30#

書名:BSR
章名:あなたが笑っていられる世界のために(本編)

話名:26#-30#


作:ひまうさ
公開日(更新日):2012.6.11 (2012.6.18)
状態:公開
ページ数:5 頁
文字数:10051 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 7 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
26#怖いから
27#忍びな彼女
28#佐助の試し
29#夢の標
30#大祓

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p.1

26#怖いから



 政宗様に抱えられて戻った室内は、どこかひどい混乱が見えた。といっても、表面上のことではなく、こんな風に見えるのは、先ほどの舞で力を開放していた余波と、集中力が乱れているせいでもあるだろう。どちらにしても、自己の力を抑えきれていないというのが事実である。

 こちらを射抜くような鋭い片倉様の視線に、少しだけ戸惑った。混乱は、彼から発されている気がする。でも、混乱するようなことが彼にはあったのだろうか。

「信玄様、政宗様、私はもう行かねばなりません。これ以上ほうっておけば、この日ノ本ノ国は完全に闇に覆われてしまいます」
 政宗様の腕から降りて告げると、皆が真っ直ぐに、不安な目で私を見ている。

「どうしても一人で行くのか、葉桜?」
 あんなに震えるほど怖がっていたのに、と政宗様が尋ねてくる。正直、今でも闇は怖い。怖くないわけがない。

 私からすると、この国は常に昏い靄がかっているように見える。それはもう物心ついた時にはそうで、姉様たちがいなくなってからは更に濃い。闇の中では争いが絶えなく、それが晴れる一瞬だけ人々は穏やかになるのだ。それでも、祓っても祓っても、それは呪いのように消えない。

「怖いから、行くんです」
 この国の闇を完全に祓うことなど、私はずっと諦めていた。でも、奥州での笑顔の日々が私を変えたのだ。

 ずっと弱く儚いのが人なのだと思っていた。けれど、それは違うのだ。人は強い。誰かの笑顔は他の誰かの笑顔につながり、そして、その笑顔は闇を晴らす力を持っている。私がするのはその笑顔を生み出す瞬きほどの時間でいいから、創りだすことだ。そうすればきっと、この国の闇はいつか消えてゆくのだろう。

 戦っているのは、私一人ではないのだ。

「闇は人の心から生まれ出る不安や恐怖です。それらを完全に消すことなど誰にもできません」
「ですが、私は奥州で人の笑顔の暖かさに救われ、そして、笑顔に闇を打ち払う力があるのを見ました」
「だから、どうか政宗様、信玄様、人の笑顔があふれる国を作ってください。闇に負けない、強く優しい光の国を作ってください」
 自然と穏やかな笑顔が浮かぶのは、きっと彼らならばそれができるとわかるからだ。

 私を見ていた政宗様はやっぱり怒っていて、片倉様も怒っていて。私はその理由もなんとなくわかっているから、掴みかかられても、その抗議を甘んじて受けた。

「It’s not that!なんで俺たちに一言言わねぇっ」
「怖いんだろう? だったら、俺らに言えばいいじゃねぇかっ」
 助けを求めろ、という政宗様の手に、そっと私は手を重ねて、笑った。

「言わないよ」
「っ!」
「言うわけない。だって、私はあなた達を守りたいんだ。あなた達が笑っていられる世界を守るためなら、何も惜しくない。それだけのものを奥州は私にくれた」
 返したくても返しきれない恩を感じている。だからこそ、私はもう帰れないのだ。

 視線を片倉様へと移した私は、彼にも笑いかけた。

「私をただの娘として扱ってくれて、嬉しかった」
 化物の身には過ぎた扱いを受けた。それをこんな風にしか返す術を私は持たない。

 一歩を下がり、両手を軽く打ち鳴らす。ふわりと暖かな風が室内を駆け抜け、私がさし上げた手の中に留まる。私はそれを優しくいだいて、胸のうちに引き寄せた。ここにあるわずかばかりの闇ならば、これで十分だ。

「……葉桜?」
 戸惑い、かすれた呼び声に、私は少しだけ涙ぐんだ。片倉様の声は間違えようがないほどに、澄んでこの耳に届く。それでも、ミヤとはなりえないなんて。

 それだけが、心残りといえば、そうなのかもしれない。政宗様にも惹かれつつあるけれど、やはり片倉様は別なのだ。

 私は一礼してから、袖を翻して走りだした。後ろも見ずに走って、途中で打掛は脱ぎ捨てて、そのまま館の正門まで来る。モンの向こう側には予想通りの待ち人がいる。

 約束をしているわけじゃないけれど、こういう時何故か慶次はいるのだ。慶次は勘だと言っていたけれど、たぶん違う。慶次には私がとどまらないことがわかっているのだ。ーー奥州が、特別だったのだ。

「早かったな、葉桜」
 私が迷いなく慶次の腕に飛び込むと、ぎゅっと強く抱きしめられた。ずいぶんと冷えていることから、かなりの時間ここにいたことが知れる。

「……私が出て来なかったら、慶次はどうするつもりだった?」
 見上げると、どこか困り顔で笑っている。

「そんときゃそんときだな」
 明確でない答えだけれど、きっと慶次ならなんとでもしたことだろう。

「で、葉桜はどうしたい? 独眼竜とその右目の元にいなくていいのかい?」
 問いかけに対し、私は顔をこすりつけるようにして、首を振った。

「わかってるくせに」
「ははっ、でも、そう簡単に逃がしてはくれなさそうだよ」
 追いかけてきていた足音が、直ぐ近くで止まったことは、私にも分かった。

p.2

27#忍びな彼女



「慶次が逃がしてくれるでしょ?」
「葉桜が望むならね」
 大剣を背中から下ろして構えた慶次の隣で私が振り返ると、そこにはひどく苛ついた政宗様と片倉様の姿があった。ーー嬉しいなんて、言ってはいけない。純粋に想ってくれる心は、私には過ぎたものだ。

 私はただ黙って、二人に頭を下げた。

「葉桜っ」
 声を出さずに、私はまた走りだす。追いかけてこようとしている二人のことは、慶次が引き止めてくれるだろう。それに慶次ならば、近くに何か私の移動手段でも隠しておいてくれているはず。私が周囲に目を配りながら探していると、慶次の相棒で猿の夢吉に木の上から呼ばれた。請われるままに、藪を進み、そしてーー。

「誰?」
 そこにいたのは見事な体つきの長い金髪の美女だった。なんで体つきが分かるかというと、体にぴったりとした服を着ているからだ。今時こんな服を着ているのは、動きやすさを重視するような職のものでないかぎりいないだろう。

「おまえが葉桜だな?」
「キキッ」
 私の代わりに、夢吉が返事をする。

「慶次から、おまえを送っていくように頼まれている」
「……本当に?」
 疑いの眼差しを向ける私に、彼女は小さく舌打ちする。

「不本意だが、これも謙信様の命だ。それで、おまえはどこに行くつもりなのだ」
 彼女の口から飛び出した名前を脳内で繰り返し、彼女が上杉謙信配下の者であるというのはわかった。だが、慶次とどうつながるのかわからない。

 少し離れた場所で私を呼ぶ声が聞こえて、私はビクリと肩を震わせた。ここは、迷っている場合じゃない。

「それじゃあ、西まで……京の近くまで連れて行ってください、お願いします」
 私が頭を下げると、彼女が動いて、私を抱え上げた。細腕なのに、案外力があるようだ。

「承知した」
 次には私の体が浮き上がり、地面が遠くなる。そのまま彼女が木の上を走りだしたみたいだ。これは佐助と同じで、こんなことができるのは忍びの者ぐらいしかいないだろう。

「あなたは忍びなんですか?」
「そういうお前は慶次の恋人か何かか?」
 ーーうん、互いに何か誤解があるのはわかった。

 それでも、しばらくは黙っていたのだが、ある程度進んだ後で、急に彼女が止まった。

「どうし……」
「こいつを取り返しにでも来たのか」
 彼女から溢れ出る殺気で、私たちの前に誰かがいることを知った。だが、こんな高い木の上に来るものなど限られているだろう。案の定、予想通りの声が答える。

「そんな殺気立たなくても、ちょーっと嬢ちゃんと話をしたいだけだからさ」
「貴様と話すことなどない」
 私ではなく、彼女が答えると、佐助は乾いた笑いを立てる。

「嬢ちゃんは越後に行くつもり?」
「貴様に答える必要はない」
「そんなこと言わないで、教えてよ」
 なんで、こんなに佐助は彼女から嫌われているのだろうか。いったい、彼女に何をしたのだろうか。ともかく、答えるまで引いてはくれない佐助に、私は答えることにした。

「京だよ。これでいいでしょ」
「尾張じゃないの?」
「尾張も行くけど、彼女には途中まで送ってもらえれば十分だから」
「そうか、ありがとさん」
 ぽん、と軽く私の頭を撫でられた。忍びである彼女に抱えられているにも関わらず、だ。つまり、一応佐助のほうが強いということなのだろう。

「あんまり無茶しなさんな、姫さん」
 佐助の姿も気配もあっという間に消えて、私と彼女だけが残された。

「……やけにあっさりと引いたな」
「単に私の行き先を知りたかっただけなんでしょ」
「教えてよかったのか?」
「隠す必要はないから」
 急に彼女が私を下ろして、真っ直ぐに見てきた。遠慮のかけらもなく、全身を見て、口を曲げる。

「おまえ、どこかの城の姫なのか」
「そんなわけないでしょ」
「……まあ、確かにこんな見すぼらしい姫は見たことがないが」
 何故か笑われたけれど、そんなことよりも私は笑うと妙に幼い彼女の可愛らしさが目についた。綺麗で可愛いなんて、羨ましい。私にはない魅力だ。

「私は舞をするから。時々、姫と呼ぶ人がいるだけだよ」
「舞、姫……?」
「ーー本当に、何も知らされてないんだ……」
「何?」
「なんでもない。それより、この辺は京も近い?」
 話題を変えると、彼女は少し面食らったようだ。

「そう、だな。常人なら、一日も歩けば着くだろう」
「じゃあ、この辺でいいよ。あなた、上杉謙信公の配下なんでしょ? あんまり遠くまで送ってもらって、何かあったら困るから」
 考えこむ素振りをした彼女は、次にはそうかと頷き、私を地面に下ろしてくれた。

「送っていけなくて、すまない」
「ううん、あそこから逃げられただけでも上々だから」
「あの独眼竜から、か? それとも、慶次から?」
 どちらだろうか、と少しだけ考えてしまった。慶次からは逃げる理由もないのに。力なく微笑む私を彼女は不思議そうに見て、でも何も言わずに背を向けた。

「あ、ねえ、あなたの名前を聞いてもいい?」
 彼女は少しためらってから、かすが、と名乗り、姿を消した。

p.3

28#佐助の試し



 かすががいなくなって、しばらくしてから私は歩き始めた。山の中を歩くのは慣れているし、ひとりも慣れているから、苦もないはずだった。

 ざくざくと枯葉を踏む自分の足音がやけに大きく聞こえる。山の中はこんなにも静かだっただろうか。

 思い出すのは奥州の騒がしい日々で、それほど長く滞在していた覚えもないのに、思い出は溢れるほどに多い。その上、今までで一番キラキラと輝いていて。あんな日々は二度と来ないだろうとわかっているけれど。

「……っ」
 滲んできた視界に立ち止まり、袖で涙を拭う。そこで私はようやく少ない荷物を甲斐においてきてしまったことを思い出した。あれには奥州で美津と梓が用意してくれた着物も入っていた。

 舞扇は変わらず私の手元にある。それを広げて、ぼんやりと眺める。白無地の舞扇はもう汚れているし、古いものだ。だけど、捨てられないし、手放してはいけない私が私である証。これさえあれば、後は何もいらないと思っていたのに。

「もって、出ればよかった……」
 今着ている着物は甲斐で用意されたものだ。しかも打掛を脱いでしまっているので、下着姿とそう変わらない。山の中で見るものがいるわけでなし、私自身もそんなことを気にする性質でもない。でも、人里に出る前に何か着物を調達したほうがいいだろう。

「なんでちゃんと送ってもらわないのさ」
 急に背後で聞こえた声に振り返ると、佐助が不思議そうに立っていた。その手にあるのは、甲斐においてきてしまったはずの私の荷物だ。

「それ……っ」
「いくら舞姫ったって、常人と大して変わらないのに、なんで一人でいるんだい?」
 自分に向かって投げられた荷物を受け取り、ぎゅっと両腕で抱きしめる。

「佐助、帰ったんじゃなかったの?」
「御館様と真田の旦那の命で、アンタを安全なところまで送り届けろってさ。かすがが送ってくれたら、俺様の仕事も楽だったんだけどねぇ」
 極軽く笑顔で言っているはずなのに、佐助の目は決して笑ってなかった。ひどく、怒っていた。

「……政宗様たちは?」
「奥州に帰ったよ」
「そ、か」
 佐助に背を向けて歩き出す私の斜め後ろをついてくる足音がある。私は荷物を握りしめたまま、歩く。

 互いに無言でざくざくと歩いているが、足音はよく聞けば、私のものが殆どだ。佐助の足音は殆ど聞こえない。

「慶次はどうした?」
「さぁてね、前田の旦那はどこにいったんだか」
「そ、か」
 ざくざくざく、と足音は続く。再び途切れた会話に、次に痺れを切らしたのは佐助だった。

「俺様はさ、護国の舞姫ってのは、特別な力を持った特別な女なんだって、里で教えられてきたんだ。でも、アンタはちょっと違うな」
「………」
「力は確かに強いのかもしれないけど、それ以上にやっぱり普通の女の子にしか見えない」
「………」
「一人で意地はって、無茶して、それで、死ぬつもり?」
「……死なないよ。佐助だって見たでしょ」
 炎にまかれても死なない私を見ただろう、と足を止めて振り返ると、初めて見る真面目な顔で佐助が私を見ていた。

「あの時は死ななかったかもしれないけど、次は違うかもしれないとか、考えないの?」
「疑うなら、私を殺してみればいいよ」
 私の首筋にひたりと刃が当てられ、私は目を閉じた。これで死ねたら、どんなに楽だろう。

 肉に刃の刺さる痛みに息を止める。ずぶずぶと刺さっていく痛みに顔をゆがめ、両手に、全身に力が入る。痛みが終わって、解放されたらどんなに楽だろうか。すべての重荷から解放されてしまったらーー。

「貴様、何をしている」
 急にここにいないはずの声が聞こえて、私は目を開けた。自分の首からは血が流れ落ちているのがわかるし、痛みもあるのに、それ以上の驚きが凌駕した。

 帰ったはずのかすがが、佐助に苦無を向けていた。

「かすが、さん?」
「護国の舞姫は死ねない化物なんだっていうからさ、それを試してるだけだよ」
「なっ!?」
「ね、葉桜ちゃん」
 同意を求めてくる佐助は笑顔なのに、どうして今泣きそうなんだろう。それに、かすがも。

 手で、佐助に付けられた傷を押さえる。べたりとした血の感触が気持ち悪い。でも、それ以上に、もう既に傷が治りかけている自分が怖い。痛みも既に引きつつある。

「本当、だよ。佐助がいうように、私は死ねない化物なの。だから、こんな傷は直ぐに治ってしまうんだ」
 かすがの戸惑いがその視線を通して伝わってくる。近づいてきたかすがが私の首筋に触れる瞬間、私のほうが一歩下がってしまっていた。

 触れられるのが、こうして直に自分の異常性を見られるのはひどく怖い。

「もう大丈夫だから、二人共帰って」
「葉桜……」
「私は化物だから、どんな目にあっても死ぬことはないからさ」
 誤魔化すように笑い、私は二人に背を向けて走りだす。全速力で、早く、早くと急く心で走り、飛び出した山道で馬に轢かれてしまったのだった。

 一瞬片倉様が見えた気がしたのは、私の諦めの悪い願望のせいだろうか。

p.4

29#夢の標



 目が覚めたら、全部夢だったらいいのにと願ったのは、一度や二度ではない。だから、私は今見ている光景が夢だとわかる。私は戸口を開けたところで、そこには里長と信玄様、それから片倉様までいる。みんな、笑っている。

 ここはなくなってしまったはずの里長の館の中だ。窓から濃い桃色の躑躅の花が咲いているのが見えるから、今は初夏なのだろう。

「里長」
 私が駆け寄ると、里長はそっと頭を撫でてくれる。優しく、暖かで、くすぐったい感触に私の心が震える。

「頑張ってるわね、葉桜」
「そ、そんなことないよっ」
 照れて、言い返す私を里長と信玄様が笑っている。二人共、なんて幸せそうなんだろう。見ているこちらまで、嬉しくなってしまう。

「ねえ、葉桜のイイヒト、見つかったのね」
「え!?」
「ほら、いるじゃない」
 里長が示す先には片倉様がいる。でも、片倉様には私が子供にしか見えないのだ。私は笑って首を振る。

「違うよ、里長。片倉様には私が子供にしか見えないもの」
「そうなの?」
「そうなの」
 だから、違うのだと言うと、今度は強く頭を押さえつけられた。

「さ、里長っ」
「ねえ、葉桜、確かめてみなさいよ。その方法は教えてあるでしょ」
 そういえば、そんな方法を聞いたことがあった気がする。でも、必要ないと思って、すっかり忘れてしまったのだ。ーーそんなことを口に出したら、怒られるかもしれないけどーー。

「忘れちゃったから、教えてよ」
「教えたはずよ」
「うん、でも、もう一回だけっ」
「仕方ないわねぇ」
 里長が示す方法を聞いた私はーー。

 がばりと勢い良く起き上がった私は、肌触りの良い布団の上にいた。そばにいるのは奥州で別れたはずの梓だ。目を大きく開いて、息を止めて固まっている。その様子は猫にそっくりだ。

「梓……?」
「っ、おおおお加減はいかがですかっ?」
 ひどく慌てた様子の梓をほうって、私はぐるりと部屋に視線を巡らせる。室内は暗く、障子からはほんのりとした薄い明かりしか入ってこない。たぶん、今は宵の刻なのだろう。

「外……」
 ふらりと立ち上がり、障子に手を掛ける。それを、梓が抑える。

「だ、だめですよー。頭を強く打っていらっしゃるんですから、安静にしていてくださいっ」
 梓の言葉は聞こえているのに、なんでかふわふわと漂い、他人事にしか聞こえない。

「さ、こちらでお休みください」
 やんわりとだが、逆らいがたい力で布団に寝かせられる。梓の傷だらけの手が私の瞼の上を撫でて、閉じさせる。ーー女中の仕事で手に刀傷なんかつかないよね、とぼんやりと私は考える。

「私は政宗様にご報告申し上げて参りますから、絶対休んでいてくださいねっ」
 上掛の上から軽く叩かれながら、私は梓の言葉を繰り返す。

(政宗様に、報告?)
 なんでそんなことをするんだろうか。そもそも、私は、政宗様たちから離れるために、ひとりで、守る、ために、逃げてーー。

 起き上がり、軽く頭を振る。何があって、こうなったのかは思い出せないけれど、とにかく行かなくてはいけない。私にはやるべきことがある。あの、光る闇を、あのままにはしておけない。

 枕元に見つけた舞扇をぎゅっと手に握り締める。

「行かなきゃ」
 私が守らなきゃ、この国はめちゃくちゃになってしまう。神と人と妖の世界が交錯し、一番弱いヒトは住めない世界になってしまう。ーー片倉様が、いなくなってしまう。

「……行かなきゃ」
 立ち上がり、もう一度障子に足をすすめる。

「そのまま奥州に帰ればいいじゃないの」
 佐助の軽い声に、私はゆっくりと背後の天井を振り仰ぐ。そこには予想通りに、佐助が逆さにぶら下がっていた。

「佐助」
 ちょうどいい、と私は手を伸ばす。

「私を連れて行って」
「どこに」
「……わかっているんでしょう?」
 ふわりと微笑む私を見て、佐助はため息をついた。

 佐助はただの忍びじゃない。そうでなければ、ここまで舞姫のことを知るはずがないのだ。彼はあまりに、知りすぎている。ーーたぶん、舞姫の秘密に関わるものなのだ。私は、よく知らないけれど。

「悪いけど、俺様にはなーんにもわからないよ」
「うん、でも一度言ったよね」
「……こんな面倒なら興味本位で引き受けるんじゃなかったなあ」
「ふふっ」
 私を抱き上げる佐助が、障子を見やる。

「いいのかい、右目の旦那にも、独眼竜の旦那にも何も言わないで」
 今までなら政宗様の名だけを出すところで、あえて片倉様のことを口にする佐助を訝しむ。

「必要ないよ」
「……本当に?」
 念を押してくる佐助を、私は小さく笑う。

「私を信じてくれたら、それだけで十分なの。だから、何も言う必要はないよ」
 俺様はそれでも別にいいんだけど、とぼやく佐助は障子から目を離さない。だから、私は強く佐助にしがみついた。

「行って」
「はいはい」
 耳元を風が強く取り抜ける音がして、目を開ければ、そこはもう屋外だ。梓の、政宗様の、そして、片倉様の怒鳴り声が聞こえる。でも、全部風に吹かれて消えてしまった。

「俺様、後で殺されそー……」
 ぼやき続ける佐助を、私はその腕の中で小さく笑った。

p.5

30#大祓



 水の滴る音が耳に入り、私は目をさました。佐助に尾張まで連れてこられた私は直ぐに織田軍に捕まり、牢に繋がれたのだ。佐助は助けようかと言ってくれた。それを断ったのは私だ。彼は不満そうに行ってしまった。

 牢に繋がれて、幾日過ぎただろう。派手な装いの長身の美女が私のところにきた。彼女は不機嫌な様子で連れてきた女中らしき女性たちに私を綺麗な姿で装おうように指示すると、直ぐにいなくなってしまった。そうして、私が連れてこられたのは、あの、織田信長の前で。

 私は請われるままに舞を披露した。

 常人であれば、闇は私を好み、容易にヒトを離れてくれる。だが、織田信長は違った。彼だけではなく彼の妹という女性もまた、闇に好まれる性質のものだったらしい。幾度舞おうとも、彼らを闇が手離そうとしないのだ。

「そん、な……」
 力を使い果たし、気を失うまで私は舞続けたが、それでも闇を払うことは叶わなかった。

 気がつけば、私はまた牢に繋がれていた。両手両足に重石のついた枷をつけられていたが、それがなくても私は逃げなかっただろう。このままでは、世界が本当に闇に支配されてしまうし、そうなれば、片倉様や政宗様、いつきたちがいなくなってしまう。

 でも、あれほどに闇に好まれる人がいるなど、聞いたことがない。どうしたらいいのか、わからない。

「姉様、私は、どう、したら……っ」
 牢の小さな窓から差し込む月の光に、私は思わず顔をあげる。

 舞姫の力は月詠姫の願いの力だ。闇は姫に惹かれ、姫は闇を癒し、闇を光に変える。そして、月詠姫の力の源は日輪である天照大御神の御力だ、と教わった気がする。

「一人ではどうしても力及ばぬ闇があるわ。そんなときはね、陽の者の力が必要になる」
「人は陰陽混合の存在だけど、中には陽の気の強い者がいる。そういう者の力を借りるの」
 陽の者というのは舞姫の力を補い、舞姫を助ける者だ。

「……っ!」
 地が震え、天井から埃や木屑が落ちてきて、私は思わず頭を庇って、踞る。耳をよく澄ませると、合戦の音が聞こえてくる。

 まだ、織田信長の力は殺いでいないのに、信玄様率いる軍勢が来てしまったのだろうか。そうならば、かなりまずい。少しでも力を削がないと、と私は立ち上がった。だが、重石のせいですぐに膝をついてしまう。

 こんな時はどうするんだっけ、疲弊した脳で思い出すのは、里で叩きこまれた訓練のことだ。舞姫は外界では常に行動するため、あらゆる事態を想定しての訓練をされるのが当然の習わしだ。その中には、こんな風に牢に繋がれることだって想定されている。

 両手で器を形作り、そこに牢の小さな窓から入る月の光を映す。それから、両目を閉じて、丹田に集中する。

 近くで大筒でも撃つような大きな音がして、地が震え、上からまたパラパラと木屑や埃が降ってくる。それでも、精神を研ぎ澄まし、私は小さく唱え始めた。



  たかまのはらにかむづまります

  すめらがむつかむろぎ

  かむろぎのみこともちて

  やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ……



 最初、掌にあるのはただ月の光が映るばかりだ。だが、言葉が進むごとに徐々に輝きは強くなってゆく。



  かくのらば

  あまつかみはあめのいはとをおしひらきて

  あめのやへぐもをいつのちわきにちわきて

  きこしめさむ……



 ゆっくりと目を開きつつ、私は懐から舞扇を取り出す。手の上ある光が舞扇に集まってゆく。集まった光はもうかなり眩しく、目の眩むほどだ。



  かくさすらひうしなひてば

  つみといふつみはあらじと

  はらへたまひきよめたまふことを

  あまつかみ

  くにつかみ

  やほよろづのかみたちともに

  きこしめせとまをす



 最後まで唱え終えると、舞扇は急速に光を失っていった。私はそれを手に、軽く手足の枷を撫でる。ガシャンと重い音がして、枷が外れた。目に映る世界は茫洋として、定かではないけれど、ゆっくりと私は牢の出口へと向かう。

 鍵がかかっていたはずの牢は容易く開いた。同時にまた重い音が響き、地が震える。建物自体も震えているのだろうけれど、私は舐めるように足を進め、外へと向かう。

 牢を出て、私が最初に見たのは赤と青の強い流星みたいな光だ。あれは、間違いなく陽の気。戦っているのは、織田信長と、真田幸村と政宗様、だ。

「葉桜……っ?」
 何故か間合いよりわずかに遠くだが、案外に近くで聞こえた片倉様の声を顧みて、私はゆったりと微笑んだ。体が自分のものではないように軽い気がする。

 何も言わずに、私はゆっくりと手足を動かし、舞を始めた。自分の体が熱くて冷たい。いつものように世界に交わっていないのに、いつも以上に力を強く感じる。上方の戦いに合わせるように、体が勝手に動く。

あとがき

26#怖いから


終わらせたいので、逃げます(え
慶次が戦うかどうかは、乞うご期待!(なんてね


あー今月引っ越すことになりそうなので、早く終わらせないと……っ
(2012/06/11)


27#忍びな彼女


つるぎさんをTAXI替わりにしました(まて
戦闘シーンは面倒なのと、そんなの見てたら捕まって移動できないので省略。
きっと慶次なら二人の足止めぐらいできるさ!と無茶振りしてみる(笑


あと一話ぐらい、その後の足取り書いて、適当なところで終わらせます。
この調子だと奥州に落ち着きそうですね。
右目はきっと本当のことは言わない方に千点(古い
(2012/06/12)


28#佐助の試し


えーと、うん、想定外。
モノローグだけにしようとしたら、佐助がしゃしゃり出てきて、かすがまで出てきた。
なんでだろう。
……ご都合主義にハマったかな?


次はどうしようか。
山賊に捕まるでも、海賊に捕まるでも、奥州に捕まるでもいいけど
主人公をおとなしくさせるには、やっぱりあの辺りに捕まらないとダメかな?
(2012/06/12)


29#夢の標


えーと、結局なんかいろいろと(作者が)放棄した結果、奥州に拾われました。
でも、佐助には責任をとってもらって、送ってもらいます。
どこまで書くか、どこまで飛ばすか。
前半部分を伏線にして、書きたいシーンができたので、そこまでは頑張ります。
そこまで……うん、ガンバリマスね……。


相変わらず、偽物満載でごめんなさい。
あ、オチが決まりました。
たぶん予想はつくと想いますけど。
私はあのタイプが大好きです!(おい
(2012/06/15)


30#大祓


はい、趣味全開です。
……なんか、ごめんなさい……。
一応、自分の中では最初から舞姫は神道系。
でも詳しいといえる程でもないので、ノリで書いてます(まて
織田勢はリサーチ不足なんで、さらっと流しました。
明智とか蘭丸とか書こうかと悩みましたが、長くなりそうなのでやめました(え


後、1~2話ぐらいで〆たいです(切実に希望)


そうだ、引越しが決まりました。
でも、仕事してるので、平日に更新すると思います(あれ?
(2012/06/18)