BSR>> あなたが笑っていられる世界のために(本編以外)>> 弐 - 3#-6#(完)

書名:BSR
章名:あなたが笑っていられる世界のために(本編以外)

話名:弐 - 3#-6#(完)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2012.6.29 (2012.7.4)
状態:公開
ページ数:4 頁
文字数:12430 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 8 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
3#三日目の午前の事
4#信じること
5#幸村の告白
6#それでも一緒にいたいから

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<< BSR<< あなたが笑っていられる世界のために(本編以外)<< 弐 - 3#-6#(完)

p.1

3#三日目の午前の事



 片倉様の一日が早いことを知るようになるのは、割りと最初の頃からだった。そりゃ、一緒に暮らしていれば至極当然のことだ。あの初めて泊まった日も、日の昇る前から起きだす気配に、なんとなしに私は目を開けていた。それから体を起こし、眠い目をこすりつつ、顔を洗う片倉様の後ろに立つ。

「起こしちまったか」
「んーん、はよーごやいまふ」
 寝ぼけて呂律の回らない口でなんとか挨拶すると、苦笑しつつ、頭を軽く叩かれる。

「まだ寝ててもいいんだぞ」
「ふぁーあ、んー、もう起きぅ……」
 ふらふらと水瓶から柄杓で水を掬い、手にかけるとひやりと冷たい。その冷たさを顔にもピシャリとかけると、急に目の前がはっきりと見えてくる。さらに、数度水で顔を洗って、手ぬぐいを忘れたことに気がつく。

「ほら」
 顔に押し付けられた手ぬぐいで私の顔を拭いてくれるのは、片倉様だ。どう見ても子供扱いだが、不思議と反発は起きない。寝起きだからか、片倉様だからかはわからないが、生来世話焼きなのは、なんとなくわかっていた。

 手ぬぐいで拭かれ終わってから、私がその向こうの片倉様を見ても、既に背中しか見えない。手馴れているなーと小さく笑いながら、その大きな背中に抱きつく。

「おはよーございますっ」
「っ」
 一瞬片倉様が固まったような気もするけれど、私は軽い足取りで布団へと戻る。布団を仕舞ってから着替えて、最後に舞扇を胸に挿す。

 朝餉は城で取ると聞いているので、また土間へ戻るが、そこに片倉様の気配はない。

「……片倉様?」
 ほんの少しの心細さに声をかけるが、返答はない。畑だろうか、と外へ出ると、思った通りの背中が見えて、私はほっと安堵の息を吐いた。

 そういえば、朝はいつも城に野菜を持っていくのだと言っていた気がする。手伝えることはあるだろうかと考えながら、私は手近な葉を手に取り、そっと撫でた。

 作り手の片倉様の温かさが流れ込んできて、私を十分に満たしてゆく。

「……ありがとう」
 小さく声をかければ、戻ってきた片倉様が不思議そうに私を見ている。だけど、それは今まであったような嫌な感じはなく、純粋な興味だけのような。

「力を分けてもらっていたんです。あの、昨日のアレとか、食事でも力にはなるんですけど、自然から分けてもらうことで、多少は食事を取らなくてもよくなるんですよ」
 死ぬことはないけれど、やはり毎日空腹にはなる。それでも、旅をしていれば食べられない日もある。そういう時によくやるのだというと、不機嫌そうに眉を顰められてしまった。

「ちゃんと飯を食え」
「はーい」
 歩き出す片倉様の隣に並んで、私も歩く。片倉様と私では歩幅も違うので、私は少し小走りだ。そうして、城内に入るまで互いに無言だったが、不思議と重苦しい感じはしなかった。

 私は子供の頃のように、跳ねるように歩いたり、走ってみたりして、片倉様の周囲を歩き、片倉様はゆっくりと道を踏みしめるように歩く。二人で歩いているというただそれだけが、私は楽しくて、嬉しくて。

「元気だな、葉桜」
「はいっ!」
 少し先まで走っていった私に、片倉様が声をかけてくださったので振り返ると、穏やかに微笑んでおられた。嬉しいな、楽しいな、と自然と私はまた足取りが弾む。

「そういえば、今日はなんで私もお城にあがるんですか?」
 理由は聞いていなかったなと、改めて尋ねると、片倉様は足を止めた。そのままじっと私を見つめてくる。

「な、なんです、か?」
「葉桜には俺の手伝いをしてもらおうと思っている」
「……手伝い?」
「政宗様の見張りだ」
 ああ、となんとなく合点がいく。前に滞在していた時に、お城の人たちから私がいると政宗様が仕事をしてくださると感謝されたっけ。

「片倉様は?」
「……俺もいるに決まっているだろう」
 渋面する理由は政宗様に会って直ぐにわかった。

「葉桜」
 なんの躊躇いも戸惑いもなく、私を膝に載せる政宗様はまったくお変わりないようだが、片倉様の眉間の皺は何倍も増えた気がする。

「政宗様たちには私が子供のままに見えるんですよね」
「あー、流石にガキには欲情しねぇから落ち着け、小十郎」
 苦笑している政宗様だけど、だったら私を膝から下ろせばいいと思う。そう進言したら、嫌だと抜かしやがりました。

「また勝手に消えられちゃ困るからな」
「困る?」
 なんでだと問うと、何故だかぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、額に口付けられた。

「政宗様」
 地を這うような低い片倉様の声に苦笑し、やっと私は解放された。すぐに片倉様の隣に引き寄せられる。

「小十郎には葉桜がどう見えてんだ?」
 片倉様は問われた瞬間にぴしりと固まってしまった。いつまでたっても戻らないので、私は苦笑しつつ、口を挟む。

「んーと、今はたぶん二十歳ぐらいか……でしょうか。政宗様は?」
「……残念ながら、十のガキにしか見えねぇよ」
「そりゃ、残念」
 私がまったく残念でもなく肩を竦めてみせると、政宗様は出会った頃と同じようににやりと笑った。

「顔が残念がってねぇのは、イイ事でもあったからか。昨夜はどうだった?」
「昨日の夜……っ」
 私は一瞬目を見開いてから、思わず片倉様を見上げ、それから思わずその背中に隠れてしまった。

「ななな、なにもっ!」
「何もねぇって風じゃねぇな」
「かっ、からっ、からかわないでくださいっ。本当に、何もなかったんですから。ね、片倉様?」
 ぐいぐいと片倉様の袖を引くと、やっと戻ってきてくれた。

「どうした、葉桜? 顔が朱いぞ」
「っ!片倉様のせいですっ」
 不思議そうな顔をしている片倉様の袖をバシバシ叩き、私は息を吐く。

「Really?体調でも悪いのか、小十郎」
 体勢を改めて、真剣に問いかけてくる政宗様に、私は思わず握りしめていた舞扇を投げてしまいそうだ。

「片倉様は悪くありませんっ! 私を気遣って……っ」
「ああ、葉桜はまだ病み上がりだもんな。小十郎相手じゃ」
「あぁもう!片倉さ……成実様も少しは政宗様を止めてくださいよっ」
「はははっ、やだよ、面白いし」
 こいつらはーと、私が舞扇を手にフルフルと震えていると、背中を軽く叩いて宥められる。

「政宗様、葉桜はこの国で唯一の護国の舞姫です」
「……そうだな」
「舞姫には様々な制約があるので、それが解消されない限り、俺は葉桜に触れるつもりはありません」
「制約って、何?それって、昨日小十郎が聞いてきたこと関係が……あ」
 つるりと口を滑らせた成実様が両手で口元を抑えている。相談してたんだ、と私は片倉様を見るも、上から頭を押さえつけられた。

「余計なことをいうんじゃねぇ、成実」
「それなら俺も聞いてるぞ、小十郎。ーーまさか、今度は子が出来たら葉桜は出ていくってのか」
 流石に政宗様は敏いらしい。相談した内容がきにはなるけれど、十中八九アレのことだろう。そして、それは間違いのないこと。

「……そうなのか、葉桜?」
 私に問いかけてくる政宗様に、気持ちが少しだけ揺らぐ。眠りに入る前に、少しだけ心揺れた人だ。しかも、あの頃よりも成長して、貫禄も増した。片倉様には叶わないけれど。

 私は一度目を閉じてから、はっきりとうなづいてみせた。

「小十郎、今直ぐ葉桜と甲斐に起て」
「はっ」
「え?」
「何、丁度あちらさんからも催促が来てたところだ。葉桜の顔が見たいってな」
 自分を指して、それから片倉様を見上げる。固い顔をしておられるけれど、いいのだろうか。

「あのー……」
「旅の支度は慣れてるな、葉桜?」
「いや、まあ、そうですけど、その、舞姫のことなら、たぶん私よりも知ってる人が近くに」
 私が口にした瞬間に約二名が舌打ちした。曖昧なのは、三つに聞こえた気がしたからだ。

「猿め」
「え、お猿さん?」
「さっさと出てこい。でないと小十郎が怖ぇぞ」
 私がきょろきょろと見回していると、片倉様に頭を固定された。そこには悪びれた風もなく、佐助が部屋の入口にたっていた。

「なんで嬢ちゃんは、俺様がいるのがわかったかなぁ」
「勘だよ、もちろん」
 私が即答すると、佐助は乾いた笑い声を立てる。

「ともかく、だ。何を聞きたいかは、わかってるな?」
 政宗様が睨みつけるも、佐助は別に臆することもなく、ただ首をすくめた。

「そりゃあわかってるけどさ、素直に教えると思…うっ!?」
 佐助が飛び退いた一瞬後、彼のいた場所に黒い焦げ跡が。

「ちょちょちょっと、右目の旦那を止めてよ、嬢ちゃんっ」
「無理だよー」
 私が笑うと、佐助はひょいひょいと近づいてきて、あっという間に私を抱え上げた。

 目の前には佐助の顔があって、表面的には何もないけれど、触れるだけでも佐助から何かを焦った様子を感じる。これは、本当に用事があって私に会いに来たのだろう。頭上の言い合いは右から左に抜けて、私はうんと一つ頷く。

「佐助」
 私が静かな声で佐助を呼ぶと、焦った様子で片倉様に呼ばれる。

「幸村様か信玄様が、そうなんだね?」
 私の言葉に辺りが急に静まり返った。佐助は真剣な顔で頷く。

「さすが舞姫、話が早い」
「片倉様、私は佐助と一足先に甲斐へ参ります。……早く迎えに来てくださいね」
「嬢ちゃんを借りるよ、右目の旦那」
 じゃあと佐助が片倉様たちにいう頃には、私は空に飛んでいた。ばさりという音で見上げると、佐助は片腕に私を抱えながら、片腕で大きな黒い鳥に掴まっている。

「おー力持ち」
「……あのね……ま、いいか。急ぐよ、嬢ちゃん」
「うん」
 私はそうして佐助の手で甲斐に運ばれた。残された奥州で何が起こるとか、片倉様がどう思うかなんて、考えもしなかった。

 それでも、私はきっと片倉様が迎えに来てくれると、信じて疑っていなかったんだ。

p.2

4#信じること



 甲斐では意外なことが待っていた。久しぶりにあった真田幸村は、私を見て、いきなり顔を赤らめたのだ。その時の私はまだ佐助に抱えられたままでいたわけだが、私が他の者のように子供にしか見えていないなら、絶対にありえない反応だ。(まあ、大人の姿で見えていてもそこまで自信はないが)
「あれ?」
「……真田の旦那、もしかして見えるの?」
 佐助が尋ねると真田幸村は視線をひと通り彷徨わせてから、深く頷いた。逃げないだけマシかぁと、佐助がつぶやいているのが気になる。

「え、えーと?」
「知らなかったようだから言っておくけど、絶対にミヤにしか見えないわけじゃないんだよね。稀に、素で舞姫の本当の姿を見てしまう人間がいるとは聞いてたけど、俺様も実際に見たのは初めてだよ」
「えー……」
 そんなこと、聞いたことないんだけど。記憶を探ってもどこにも見当たらない。

「なんで見えるの?」
「……真田の旦那はおこさまだからなぁ……」
 意味がわからない答えしか帰ってこない。

「と、とにかく、佐助と来たということは既に事情はきいておるのであろう。早速だが、診てもらえぬか」
 医者じゃないんだけど、と呟きつつも先に歩き出した真田幸村を私は追いかけた。かなりの早足で、後ろを確認もしないから、私は走るほかない。くっ、ただでさえ、足の長さに差があるっていうのに。

「幸村様、幸村様っ」
「おおおおおお御館様はおおおおおお奥のぉぉぉぉぉっ!?」
 やっと追いついて、横から顔を覗くと、それだけで何故か横に飛んで逃げられた。

「ーー佐助ぇ、私も流石にちょっと傷つくよ」
「気にしないでやって」
 こっちだと佐助に連れられて私が来たのは、この館に初めて来た時と同じ部屋だった。あの武田の盾なしの鎧が飾ってある部屋で、大きな布団に横たわっていたのは、信玄様だった。

「……信玄様」
 私が小さく呟くと、近くへと手招きされる。私は側に膝をついて、深く深く頭を下げた。

「あの時は色々と手を貸していただきまして、有難うございました」
「なんのことか、わからぬな……っ」
 咳き込む信玄様を冷静に見つめていると、周囲がバタバタと介抱してゆく。私は私が今できることをするために、ただそれを眺めているだけだ。

 しばらくして落ち着いた後でもう一度近くへと呼ばれた。信玄様は手を伸ばして、私に触れて、嬉しそうに笑う。

「また会えるとは、これも都の導きか」
 信玄様には私がどう見えているのかわからない。でも、今は何を言うつもりもない。

 私は一度目を閉じ、静かに告げた。

「私には何も出来ません」
 ぎゅっと膝の上に置いた手を握り締める。信玄様の病は、私には癒すすべがない。そもそも、舞姫に本当に人を救う力などない。

「……力及ばず、申し訳ありません」
「よいよい。もとより、そのために呼んだわけではないのでな。わしはただ、可愛い娘の姿が見たかっただけ故、な」
 私の膝を叩く信玄様の優しい声が、辛い。あの時だって、たくさん手を貸していただいたのに、私には何も返すことが出来ない。

「ミヤは、決めたのか」
「はい」
「誰とは聞かぬ」
「はい」
「その者が迎えに来るまで、ここでしばし休まれよ」
「…………………………はい」
 それから、すぐに私は信玄様の前から退席した。あまり長く話して体に障るのも良くはないだろう。

 なんとなく、庭に降りて、咲き乱れる躑躅を見ながら、私はぼんやりとしていた。役目のために奥州から飛び出してきたのに、やれることがない。手持ち無沙汰で、余った時間は私の不安を煽る。

「どーしたの、ぼーっとしちゃって」
「佐助」
 隣に立った佐助を見上げ、私は苦笑する。

「ん、今更だけど、奥州をあんな風に出てきて、片倉様は怒ってるだろうなぁって。もしかして、嫌われたかなぁ、なんて、さ」
 泣きそうになって、私は佐助に背を向け、努めて明るい声を上げる。

「柄にもなく、不安になったわけよ」
「そりゃあ、怒るでしょうよ。……前のこともあるし、右目の旦那が来たら、俺様は呼ばれても出てこないからね」
「わかってるよ」
 軽く地を蹴り、私は少し離れた場所にしゃがみこむ。そこにはカエルが一匹いて、私をじっと見上げていた。ぱっと捕まえて、手の上に乗せるが、逃げる気配もなく私を見ている。

「なにして……」
「ん?」
 不自然に途切れた言葉に振り返ると、そこに佐助の姿はなく、離れた場所から真田幸村がかけてきた。茶色い大きな布で体を包んだ様子は、まるで旅装束のようだ。

「幸村様、どこかへお出かけになられるのですか?」
 私が尋ねると、ぶんぶんと首を縦にふる。

「某っ、お、御館様に、葉桜殿をお送りする任を賜りましてございまするっ」
 真っ赤な顔で何を言い出すのだろうか。佐助から聞いているから、どれだけ女性が苦手なのか知っているだけに、それがどれだけ真田幸村の負担となるかぐらい、私にも想像できる。

「信玄様は迎えが来るまでここに滞在を、と申しておりましたが?」
「そ、その、葉桜殿があまりに寂しげな佇まいでございましたので、恐れながら、某が進言させていただきもうした次第にございまするっ」
 この庭は人目があったのだな、とそんなことにも気が付かずに呆けていた自分に、少しだけ笑えた。

「幸村様はお優しいのですね」
「そそそんなここことはっ」
「ですが、私は片倉様にも迎えに来てくださるのを待っていると言ってしまいました。ここで私が先に出てしまっては行き違いになってしまいます」
 言葉にしながら、そうだと私は思い直す。奥州を出るときに、迎えに来てくださいとちゃんと私は言ったのだ。言った私が、それを信じないでどうするのだ。

「葉桜殿は片倉殿を心より信じておられるのだな」
「はい」
 目覚めてから幾度か交わした口づけを思い出し、知らず頬が熱くなり、私は両手でそれを隠すように包んだ。

 別れてからまだ半日も経っていないはずなのに、今すぐに会いたい。会って、触れて欲しい。そんな風に考えてしまう自分が、恥ずかしくもあり、嬉しくもある。信じられるということはこんなにも心が暖かくなるものなのだったのかと、知らされる。

「葉桜殿」
 土の匂いのする片倉様の腕の中は、この上なく暖かで、この上なく安心できて。そして、自分の心臓が爆発してしまいそうなほどに緊張してしまう。それなのに、あの手にいつも触れていてほしい願ってしまう。そんな自分に戸惑ってしまうけれど、やっぱり一緒にいて笑う顔がみたいとーー。

「葉桜殿?」
「っ、な、なんでしょうか、幸村様っ?」
「顔が赤いようですが、熱でも」
 自然と額に触れてきた手に、私は首を傾げる。佐助の話では、こんなことが出来る人とは思えないのだが。

「幸村様?」
 しばらくして、急に真田幸村の顔と言わず、体中が真っ赤に染まり、慌てて距離を取られた。

 しばらくなかっただけに堪えるなぁ、こういうの。

「ももも申し訳ございませぬっ」
「なにが」
「そ、某は急用ができた故、しっ、失礼いたすっ」
 こちらの返答も聞かずに駆けていった真田幸村を見ながら、私は首を傾げる。

「へんなの」
 小さく呟くと、近くの木で佐助が吹き出す声が聞こえた気がした。

p.3

5#幸村の告白



 翌日の朝、目を覚ました私はしばらくぼーっとしていた。甘い匂いに釣られて、ふらふらと縁側の障子を開く。きょろきょろと辺りを見回すと、何故か部屋の前に黄色い花が置かれていた。

 しゃがんでそれを拾った私は、おもむろに花びらを一枚食む。

「……甘くない……」
「なにしてんの」
 ぺしりと頭を叩かれた。痛くはないが、叩いた相手を見上げると、佐助が何故か困った顔をしている。

「佐助?」
「寝ぼけてないで、さっさと部屋に入る」
 私の背中を押して、無理矢理に部屋に入れた後で、佐助は何故かため息をつく。ーー起きてから、私の周辺でため息を付く人が増えたのは、それだけ世が乱れているということなのだろうか。気が付かない私は、舞姫の力が弱くなったのだろうか。

「佐助、大丈夫?」
「あー……うん、嬢ちゃんは気にしないでいいから」
 上から抑えるように私の頭を撫でて、すぐに佐助はどこかへ消えてしまった。忍を追いかける気はないので、私は部屋をぐるりと見渡し、着替えを探す。寝る前に枕元に置いておいたはずだ。それを見つけて、私はもそもそと着替え、もう一度部屋を出る。

 片倉様の気配はない。まだ、迎えは来ていない。

「ーーまだかなぁ」
 ただ待つというのは性に合わない。そもそも、誰かを待つなんて、したことがないから、どうしたらいいのかわからない。でも、少なくとも移動したら行き違うかもしれないということぐらいはわかる。

 庭に降りて、昨日のように散策する。池の蛙や蝸牛に挨拶し、躑躅の葉に花にと挨拶し、最後に振り返って笑う。

「おはようございます、幸村様。私に何か御用でしょうか?」
 いくらなんでも部屋を出てからずっとある視線に気が付かないほど、私は鈍感じゃない。

「っ、お、おおぉおはようございます。用というほどのことではござらんのだが」
 そこからなかなか話が進まないので、私は散策を続けることにした。

 しばらくしてから、私が離れていったことに気づいた真田幸村がおいかけてくる。彼が追いついたのを感じ取ってから、私はまた振り返る。

「幸村様」
「は、はいっ」
「私に用がないのでしたら、ひとりにしていただけませんか」
 はっきりと私が言うと、真田幸村様は先程までの戸惑いを納めて、じっと私を見つめてきた。

「某がいては迷惑でござるか」
「わりと」
「っ」
「ーー誰かといることに、私は慣れてないんです。もうずっと、一人でいることが当たり前でしたから」
 説得するために口にしているはずの言葉が、いつの間にか自分の古傷に自分で新たにキズをつけている気分になり、泣きそうになってしまった。

 わかっていたはずだ。自分は異形であり、人とは相容れない生き物なのだと。あの長い眠りから起きて直ぐに片倉様に会えて、想いが叶って、当たり前みたいにずっと隣にいてくれたから、忘れかけていた。

 追ってきてくれるなんて、なんで信じることができたのだろう。仮にそうしてくれようとしても、片倉様の周囲は許さないだろう。だって、私はーー。

「私といれば、幸村様がいらぬ誤解を受けますよ」
「……葉桜、殿……?」
「お願いですから、ひとりに、してください」
 私は真田幸村から顔を背けて、近くの木に手をついた。吸い込まれるように額もつけて、木の音に身を委ねる。

 極自然に行ってしまうこんなこと一つでさえ、普通の人には出来ないこと、わからないことだと知ったのは、すべてを失ってからだった。

 待つべきでは、ないのかもしれない。でも、片倉様だけは信じたいと、私は思っている。最初に剣を交わしたあの日からずっと、あの方だけはこんな私でもいいといってくれると、愛してもらえると。

「葉桜殿」
「っ、ま、まだいたんですか?」
 急に声をかけられて、私は物思いから浮上した。顔を上げて、振り返れば、さっきと同じ場所に真田幸村が立っている。朝日が綺羅綺羅と彼の上に舞い降りて、少しだけ眩しい。

「やはり、某と片倉殿のもとへ参りましょう」
「え?」
「昨日は断られましたが、やはり葉桜殿はそのような哀しい顔をしているべきではござらん。ーー片倉殿であれば、貴女も笑顔になるのでござろう。然らば、」
 私は数度瞬きしてから、首を傾げた。

「何故、幸村様がそんなことを気になさるのですか?」
 すると何故か真田幸村も首を傾げる。

「……何故……?」
 まるで今初めて気がついたかのように、急に真田幸村の顔が赤くなる。でも、逃げずに私を真っ直ぐに見てくる。

「御館様より、葉桜殿がミヤを決められた事、聞き及んでござる」
 ん?

「三年前に葉桜殿が眠られてより、片倉殿以外が葉桜殿に触れることさえ叶わなかったことも」
 何故そこで悔し気なのだろうか。

「幾度か見合い話もござった。だが、どうしてもあの時の葉桜殿の姿を忘れることが出来ず」
 ……なにか、話の流れがおかしい。

「ちょっ、ちょっと待っていただけますか、幸村様?」
 私がそう言うと、何故か近づいてきて、両手を取られた。

「ゆ、幸村、様?」
 真っ直ぐで強い目で、政宗様のような目は今までにあった誰よりも澄んでいて、居心地が悪い。掴まれた手は加減を忘れているのか、かなり痛い。振り払うことも難しいぐらいの力だ。

「某は、まだ一度も葉桜殿が心より笑った顔を見ていない」
 そりゃそうだろう。自分でも本当に笑ったのがいつなのか、思い出せないぐらいなのだから。

「それを見れば、きっと、」
 急に言葉をきった真田幸村の顔を覗きこむと、その目がぐるぐると泳ぎだして。手を離された。というか、真田幸村が倒れた。

「え、ええええっ? さ、佐助っ、アンタの主が倒れたっ!」
 私が慌てて駆け寄る前に、佐助が木の上から降りてきた。ずっとそこで見ていたのだろう。

「心配ないない。ただの知恵熱だから」
「は?知恵熱?」
「……あの旦那がここまで言えるようになるなんてねぇ」
「てか、この人のどこをどう見たら、女が苦手ってなるの。めちゃめちゃ迫られたよっ?」
「うんうん、すごく頑張ったねー」
 他人事みたいに言いながら、佐助は軽々と真田幸村を肩に担いだ。

「頑張ったって、言われても」
「この旦那がここまで頑張るなんて、ホント、たいしたもんよ? だからさ」
 佐助がいなくなった後で、私は深く深くためいきをついか。

 ちゃんと考えてって言われても、答えなんて決まってる。私は片倉様が好きで、その手をとった。それに、どちらにしても、自分が人ではないと思い出してしまった以上、私はもう。

(片倉様、怒るだろうなぁ)
 異形である自分がどうすべきかを決めた私は、まっすぐに信玄様の部屋へと向かった。

p.4

6#それでも一緒にいたいから



「寒くはござらんか」
「はい」
 早馬の背に揺られながら、私は真田幸村に抱きかかえられるようにして馬に乗っていた。流石に、政宗様ほどに乱暴な運転ではないので、安心して背を預けることは出来る。でも、私は馬の首にしがみつくようにして乗っているだけで、真田幸村と触れることは少ない。

 こうなる数刻前、私は信玄様に暇の挨拶に行った。そこで、真田幸村に送ってもらうようにと告げられたのだ。彼にも、西へ行く役目があるのだと。私の目的も西にあるから、丁度いい、と。

 正直、もう誰かと関わるのは嫌だったけれど、どうしてもと信玄様にお願いされて、頷かないわけにはいかなかった。

(こんな化物の心配より、自分の心配をするべきなのに)
 信玄様は病床にありながらも、私を心配してくれる。まるで、本当の娘みたいに。

「待たなくてよいのか」
 そう、訊ねられた時、私はちゃんと笑えたはずだった。

「いいんです。あの方の隣に、私みたいな化物はいないほうがいいんですよ」
「……葉桜殿」
「信玄様もご存知でしょう? 舞姫はヒトと共には暮らせません。特に最後の舞姫となってしまった私は、次の舞姫が現れるまでの果てない時を生きなければなりません。だからーーもう、いいんです」
 別れは必ず訪れる。それが早いか遅いかというだけの話だと。最初に目覚めた夜に、私はちゃんと片倉様にも伝えた。だから、もう、いい。

「葉桜殿、少し眠っても良いで御座るよ」
「ん」
 背を軽く叩く手に促されるように、ゆっくりと私は微睡みに落ちてゆく。

 最初から、不釣り合いなのも不似合いなのもわかっていた。それなのに、どうして、求めてしまったのだろう。願ってしまうのだろう。

「……っ」
 涙を隠すように、私は馬の鬣に深く顔を埋めた。

 私の覚醒を促したのは、遠くから聞こえる別の馬の駆ける音だった気がする。それに胸騒ぎを感じた私は、すぐさま手綱を力いっぱい引いていた。

「葉桜殿っ?」
「……片倉様……?」
 虚空に問いかける私を周囲がどう思うかなんて関係なかった。

 心が、ひどく騒ぐ。

「真田の旦那っ」
 丁度上空を滑空する佐助が追いついてきた。その目が一瞬私を見たことで、私は確信してしまった。

 近くに、片倉様がいる。ーー会いたい。でも、どんな顔で会えばいいのだろう。別れを覚悟して奥州とはまったく違う方向へ向かっているのに、まさかそんな奇跡が起きるなんて思ってもいなかった。

「葉桜殿、どうなさるか」
 問いかけてきた真田幸村を振り返らずに、私は迷う。会いたい、会えない、会いたい、会えない。

 でも、会いたい。

「葉桜っ」
 後方から片倉様の声が聞こえたら、もう勝手に体が動いていた。

 馬を飛び降り、跳ねるように声に向かって走りだす。近づいてくる変わらない姿に安堵し、馬から降りた片倉様の胸にしっかりと抱かれたら、私はさっきまでの不安も何もかも一辺に吹き飛んでしまった。

「っ、片倉、様、が、遅い、からっ」
 その胸を叩いて、子供みたいに泣きじゃくって、馬鹿みたいにただ縋り付いて。

「不安でっ、怖くてっ」
 どう見ても八つ当たりなのに、片倉様は全部受け止めてくれた。

 落ち着いてから、私は自分の醜態が恥ずかしすぎて、周囲を見ることができなくなった。特に、真田幸村とか佐助とか。佐助は、とっくに姿を隠しているみたいだけれど。

「良かったで御座るな、葉桜殿」
 そう言ってくれる真田幸村は少しだけ目を潤ませていた。

「真田幸村……?」
 怪訝そうな片倉様の襟を掴んで、その耳に囁く。

「幸村様も私の本当の姿が見えるとおっしゃってました」
「っ、そうなのか」
 驚いている片倉様から一歩前に出て、私はきちんと頭を下げる。

「幸村様、送っていただいて有難うございます」
 顔を上げて微笑む私を、真田幸村は少し眩しそうに見ているようだ。

「某の思った通りでござるな。葉桜殿は片倉殿の隣にあったほうが、良い顔をなさる」
「そう、でしょうか?」
「自信をお持ちください、葉桜殿。ーー貴女と片倉殿はよくお似合いでござる」
 不安を見ぬかれて、私は目を丸くした。口にしたことはなかったのに、何故わかったのだろう。

「では、某は急ぐ故、これにて失礼いたす」
 真田幸村が馬を駆けて去っていった後、私は片倉様の腕の中でじっとその後姿を見ていた。

 もしかしたら、もう少し時間があれば、もう少し話をしていたら、真田幸村は私のミヤとなり得たかもしれない。あるいは、片倉様と出会う前に会っていたら。

 だけど、現実には私は片倉様と先に出会って、嘘みたいに強く惹かれてしまった。

「真田幸村と何かあったのか?」
 後ろから私を抱きしめる片倉様の声はわずかに震えていた。

「幸村様は私の笑顔が見たいとおっしゃってました。だから、何度も私を片倉様の元へ送ってくださるとおっしゃってたんです。片倉様の隣であれば、私が笑えるだろうって」
 言葉にしてしまうととても陳腐に聞こえてしまうけれど、あの時のことを思い出すと少しだけ私は頬が熱くなる。それを隠すように、私は頬を自分の手で包んだ。

「私、弱くなったみたいです。以前なら、こんな風に簡単に負の感情に流されたりなんてしなかったのに、少し片倉様から離れただけで不安に押しつぶされそうでした」
 思い返してみると、滅茶苦茶だ。こんな風に自分が流されるなんて思っても見なかった。自分がこんなに感情に流されるほど弱いなんて、考えたこともなかった。

「こっちは奥州に行く道じゃねぇな」
 逃げる、つもりだった。そうだ、私は片倉様に嫌われてしまったことを知るのが怖くて、役目に逃げようとしてたんだ。

「ーー西へ、行こうと」
 一際強く抱きしめられて、胸が苦しい。

「次に行くときは、俺も一緒だと言っただろう」
 そうだっただろうか。あれは、子ができてからの話しではなかっただろうか。

「俺の側から、勝手にいなくなるんじゃねぇ」
 心配させたのだなとわかる声音に、私はゆっくりと振り返った。片倉様はらしくなく、泣き出しそうに見える。怒ってるようにもみえるだろうけど、私にはそう見えた。

「心配させて、ごめんなさい」
「まったくだ」
 こうして二人でいると、大切にされていることがわかるから、なおさらに申し訳ない気持ちになる。

「好きになって、ごめんなさい」
「葉桜……?」
「私が好きにならなかったら、片倉様はちゃんとした良い人といられたかもしれない。そんなことを、考えてたんです」
 私が、いなければ、きっと片倉様には別の未来があった。それは確かで、きっとその方がシアワセだったはずだ。でも、今更この手を離すことなんて出来ない。

「ちゃんと、掴まえていてください。私が、不安で、逃げたくならないように」
 片倉様の肩に手をかけ、私は背伸びをして、その唇に軽く触れた。それだけでも、幸福になってしまうぐらい、私はこの人が好きなんだと実感する。

「私も片倉様と一緒にいられるように、色々と頑張りますから」
 これから色々とあるだろう。なんといっても、片倉様は侍で、奥州伊達軍を支える要の一つなのだ。舞姫といえど、私は身寄りもない市井の者で、至らないことなど数多い。

 それでも、一緒にいたいから。

「ああ」
 わかったと頷く片倉様ともう一度、今度は深く重なる口づけは、優しく私を包んだ。

あとがき

3#三日目の午前の事


佐助さえ出てこなければ、奥州でシアワセに暮らしました、とかで終わらせていいかなーと思ってたんですけどね。
この話、書きすぎたな……。もう、奥州でのあれこれを書いちゃったのに、全部パーです。トホホ……


次回は幸村をガンバリマス!(え
(2012/06/29)


4#信じること


うん、まあ、ね?当て馬?(まて
幸村は可愛いけど、タイプじゃないんだよなぁ。
佐助は相変わらず何を考えているのか、書いてる作者もわからないです。
まったく関係ないけれど、公開日の6/30は一番上の兄の誕生日です。
……だからなにっていうのは、なにもないですが。
(2012/06/30)


5#幸村の告白


えーと、うん、堪え性がないね、うちのヒロイン(爆
とうとう再びの逃亡を決意しました!←
週末に考えている間は、おとなしく待っている予定だったんですが、書き始めたら……逃げる準備に入りだした……orz
(2012/07/03)


6#それでも一緒にいたいから


……えーと、回収完了(笑)
旅をさせようかとも思ったんですが、あっさりの方向にしました。
そもそも、これはおまけだったしね!
そこそこおまけを入れて、今度こそ〆ようと思います!
今週末は引越しですしね!


長々と引き伸ばして、申し訳ありませんでした(深謝)
(2012/07/03)