幕末恋風記>> ルート改変:近藤勇>> 慶応二年長月 08章 - 08.4.2#近藤の見立て

書名:幕末恋風記
章名:ルート改変:近藤勇

話名:慶応二年長月 08章 - 08.4.2#近藤の見立て


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.6.14 (2012.7.24)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:7109 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 5 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(55)
近藤イベント「近藤の見立て」
一条ケイさんのリクエスト

前話「(元治二年弥生) 07章 - 07.3.1#警戒と火事」へ p.1 へ p.2 へ あとがきへ 次話「慶応三年弥生 10章 - 10.5.1#朝帰り」へ

<< 幕末恋風記<< ルート改変:近藤勇<< 慶応二年長月 08章 - 08.4.2#近藤の見立て

p.1

(近藤視点)



 京の町で最近よく見るようになった公家者と思われる女性は、今日も凛とした静かな佇まいで道を行く。風に揺れて簪が音を立て、楽しそうに口許を綻ばせて歩く彼女を誰もが振り返る。勇気を出して声をかけてみる者も増えたが、彼女が一言声を発するだけで逃げてしまうのだ。その様子を怪訝そうにしながらも、彼女は歩み足を止めることはない。

 今日はそれほど急いではいないのだろう。手近な茶屋で団子を注文し、席の端に姿勢正しく腰掛けた。店員がそっと団子を持ってくると、彼女は笑顔で受け取る。その隣に自然と腰を下ろした俺に周囲からは鋭い視線が突き刺さるが、気にかけずに俺は彼女の皿から一串を取り上げた。

「ただ食いは許しませんよ、近藤さん」
 彼女の口から聞き慣れた声音が聞こえて、俺は苦笑とともに手を止めて彼女を見る。彼女は何事も無かったかのように、自分でも串を取り上げている。注文したのは二串だけだから、皿の上にはもう何も残っていない。

「いやだなぁ、葉桜君は俺のために注文してくれたんでしょ?」
 彼女が新選組の隊士としても勇名を馳せている「あの」葉桜君だと知っているのは、隊内でも極少数だ。見破られない限りは明かすつもりもないのか、葉桜君は隊士と擦れ違っても平然と通りすぎてしまう。

「どうして私が近藤さんに奢るような理由があるんですか」
 葉桜君は普段と同じ様子なのに、どこか上品に見える手付きで団子を口に入れ、一つ食べる毎にお茶を飲む。それだけ甘味が苦手なようだが、まったく食べたくないわけではないらしい。苦手でも嫌いではなく、むしろ好きな方だと聞いたことがある。ただ食べられる許容量が小さいだけなのだ、と言い分けていた。お茶を飲みながらであれば、二串ぐらい食べられないこともないのだと。

「給金は当然近藤さんの方が上ですよね。着物を買ったり、刀を買ったり、島原に通ったりでお金の有り余ってるような近藤さんに、わざわざ私が奢るような理由はありません」
 整然と文句を並べ立てながら、葉桜くんはもう一口と串を運び、またお茶を飲む。

 そもそも、俺と葉桜君は待ち合わせをしていたわけでもなく、今日は女姿で見廻るとも聞いていない。だから、今こうして二人でいるのは完全なる偶然だ。

「もしかして、トシにお説教でも頼まれた?」
「まさか。単にお願いがあってお待ちしていただけですよ」
 あからさまにほっと安堵の息を吐いた俺に向かって、葉桜君は小首を傾げ、ふわりと微笑む。

 普段はどちらかというと男らしさが際立つが、こうしてちゃんとした女姿をしているときの葉桜君の破壊力は半端じゃない。もちろん、男姿の時の気安さからくる飾り気のない笑顔もいいが、この女姿の柔らかな笑顔は思わず守ってあげたくなってしまうのだ。

(あれ、今待ってたって言った?)
 どうやら待ち合わせていないと思っていたのは、俺だけらしい。どうして俺がここを通ると知ったのかは、聞かないでおいてもいいだろう。葉桜君のことだし、素直に教えてくれるよりも、からかわれる確率のほうが高い。

「葉桜君が俺に、お願い、なんて珍しいねー」
 そうでなくても葉桜君は全部を自分で背負い込もうとするぐらいに、人を頼ろうとしない。俺は、俺達はこんなにも君に頼っているというのに、少しばかり情けなくもある。頼れる力量があるのも確かだが、人に頼られることで葉桜君は均衡をとっているようにも見えるから、頼らないという選択肢はなかなか生れない。

 そんなわけで、葉桜君からの珍しい「お願い」に俺は期待して、彼女を見つめた。

「烝ちゃんの着物を見立ててください」
「なんだ。そんなことでいいの?」
 あまりに簡単な「お願い」に俺は思わず目を瞬かせる。それは本当にささやかで、拍子外れでもあった。

「はい。知っての通り、私は選ぶのが苦手なんですよ」
 最初に葉桜君の女姿を見た時、彼女は着物を選ばせられている最中だった。それはそれは、見たこともないほどに困り果てた葉桜君の姿は、今でもはっきりと思い出せる。あんなに困った葉桜君の姿は、後にも先にもあれっきりだ。

 でも、よりにもよって、烝の着物を見立てるとか、期待外れすぎる。

「それも賭け?」
 理由がわかっているだけに、脱力して問いかけると、葉桜君は小さく首を振った。彼女の頭の上で静かになる銀の簪も、今着ている着物も全てが烝の持ち物だったはずだが、見覚えはない。

「いいえ、いつも汚して返ってくるって烝ちゃんに怒られちゃって。かといって、私はこういう女物はもってないですからね。今後も烝ちゃんのを借りるにしても、今回ぐらいは買ってあげてもいいかなぁと」
「あははっ、買ってあげてもって」
「まあ、私も普段から大したことには使ってないですしね」
 俺が食べ終わるのを待って、葉桜君が席を立つ。奥に声をかけて歩き出した葉桜君を追いかけ、俺は隣に並んで歩いた。

「使ってないって。そういえば、葉桜君はあまり着物を買ったりしないね」
 葉桜君の持ち物が必要最低限しかないのは、隊内ではよく知られている。まあ、着替えやなんかはよく烝に借りているらしいけど、基本的には同じ服を二、三着がいいところだろう。

「近藤さんほどじゃありませんけど、刀を買ったり、研ぎに出したりしてますよ」
「じゃなくてさ、女物って非番の時に着たりしないの?」
「着ますよ、ほら」
 小袖を持ち上げた葉桜君が、軽く首を傾げる。本当に、こうしていると、普段とは段違いの女らしさだ。

「それは烝のでしょ。自分のは?」
「汚れたら買い換えるぐらいはしますけど、普段の生活で烝ちゃんや鈴花ほど必要としませんからねー。第一、私が着飾っても喜ぶ人なんていませんよ」
 クスクスと笑う葉桜君は、今の自分がどれだけ注目を集めているか知らないのだろうか。

 俺が立ち止まったことに気づいて、遅れて葉桜君も立ち止まり、また首をかしげる。女姿の時だけの癖なのだろうか。普段は、こんな風にするのを見たことはない。

「前々から薄々気づいてはいたけどさぁ、葉桜君、きみは自覚がなさ過ぎるよ」
 大股で近づき、葉桜君の手を握る。剣蛸と傷だらけのおよそ女らしいとは言い難い手を強く握ると、不満気に眉を顰められる。俺が知るどんな女性とも違う葉桜君の手は、今はひんやりと冷たい。

「近藤さん?」
「決めた、今日は俺が葉桜君に着物を見立ててやろう。これでも見立てには自信があるんだ」
 俺がそう口にすると、葉桜君は珍しく目を大きく見開き、慌てた様子になった。

「はっ? いや、私じゃなくて烝ちゃんのをですね」
「さて、それじゃいこうか」
「近藤さん、ちゃんと話聞いてます!?」
 半ば強引に手を引いて歩きだすと、繋いでいた手を強く握り返される。

「うわ、ちょ、待ってくださいっ」
 どうやら、慣れない格好に少しだけ足をもつれさせてしまったらしい。珍しい葉桜君の一面を見て、俺は思わず微笑んでいた。

 葉桜君は大店のようなところは苦手だ。特に、あの時のように大勢の女性に寄って来られると困るらしい。だから、俺は通りを少し外れたこじんまりと居を高ヲる小さな店を選んで、葉桜君を招き入れた。

 馴染みの太夫に教えてもらった、小さいけれど質のいい反物を扱っているという店だ。

「いらっしゃいませ」
 丁寧に頭を下げる愛想のいい番頭に、俺は目配せで訴えると、あちらはそれと了承してくれたようだ。すぐに中へと入った番頭に続き、俺も葉桜君を引き入れる。

 実のところ、葉桜君は目を丸くして、抵抗一つしなかった。それどころか、奥にかけられたひとつの打掛に目を奪われているようだ。それは目も覚めるような瑠璃色の掛け軸で、一目で上物とわかる光沢と意匠を施されている。

「葉桜君」
 俺が声をかけて、はっとしたように目線を彷徨わせてから、俺を見上げ、何故か力なく笑って誤魔化された。何かあるようだけど、今この場では話してくれないだろう。

 それなら、と俺は奥から番頭がもってくる様々な反物を見ながら、慎重に葉桜君の色を選ぶ。流石に、あの打掛は平服としては上等すぎるし、今日の目的とは少し外れる。どうせなら、普段から着るものとして欲しいから、俺は念入りに吟味した。

 その間葉桜君は何をしていたのか、ぼんやりと番頭の説明を聞き流しながら、時折ちらちらと打掛を盗みいているようだった。あれになにがあるのか、ひっじょーに気になるけれど、俺は今は聞かない。代わりに、打掛には劣るけれど、よく似た鮮やかな瑠璃色の花立涌に、控えめだが一羽の揚羽蝶で彩られている少し派手目の反物を手に取り、葉桜君の前に広げる。

「これなんか葉桜君に似合いそうじゃない?」
 差し出された葉桜君は驚いた様子で大きく開いた目を瞬かせ、ついで目を潤ませて笑った。見たこともない、儚げな葉桜君の様子に、俺は思わず抱きしめたい衝動に駆られたものの、理性で抑えこむ。

 葉桜君の手が触れるか触れないかのギリギリで、反物の上を滑ってゆく。どこか遠くを見る目元は、今までに見たことがないものだ。こんな一面を見るなんて、俺は想像もしてなかった。それだけのものがここに、この色に隠されているということだ。

「これに、します」
 誰だと思うぐらいに別人の顔で、本当に女の子の顔で笑う葉桜君を前に、俺は必死で平静であろうとしていた。葉桜君は俺を見てはいなかったけれど。

「葉桜君の肌の色や顔立ちに合ってるから、見た目以上に可愛く綺麗に引き立ててくれるんだ。見た目が可愛いだけで選ぶと、こうはいかないぜ」
「ありがとうございます、近藤さん」
 うつむいた葉桜君の目は俺ではなく、ただ反物に注がれているまま動かない。

「……葉桜君?」
 俺が顔を覗きこもうとすると、葉桜君は慌てて取り繕った笑顔を浮かべた。だけど、その瞳はひどく動揺し、潤んだままだ。

「何だかお気に入りになっちゃいそうです」
「おっ、そいつは嬉しいなぁ。男冥利に尽きるよ」
 必死で取り繕っている葉桜君に、俺はただ笑って返すことしか出来なかった。

 番頭に仕立までをお願いして、俺は葉桜君と店を後にした。少しだけ日の傾いてきた空の下を、葉桜君はぼんやりと歩いていて、ひどく危なっかしい。格好のせいも相まって、今の葉桜君を普段の葉桜君と見抜けるものはほとんどいないだろう。

 何度か肩を捕まえようか、手を繋ごうか迷ったけれど、結局俺は何も出来ないままに、屯所にたどり着いてしまった。着替えてくると言って、自室に入った葉桜君は、その日はもう部屋に閉じこもったまま、出てくることはなかった。

 そして、翌日になるともう普段の葉桜君に戻ってしまっていたので、俺は完全に理由を尋ねる機会を失ってしまったんだ。



p.2

 あの時の葉桜君の姿がちらついて、俺は数日落ち着かな日々を送った。どうやって訊ねようか、対えてくれるだろうか、それともばっさりと斬られ……流石にないか。

 そんなことを考えている俺のところに昨日の店から使いが来て、例の着物が仕上がったと告げてきた。俺は一も二もなく、それを引き取り、好機とすることにしたのだった。

「葉桜君」
「お疲れ様です、近藤さんー」
 へらへらと笑いながら、トシの部屋から出てきた葉桜君の前にそれを出す。午前中が巡察で、今は報告が終わったところだろうし、葉桜君の今日の予定はなにもないはずだ。その証拠に、葉桜君は巡察帰りでひとっ風呂浴びた濡れ髪姿で、袴も身につけない着流しのままだ。最近の葉桜君は、巡察が終わると報告前に風呂を浴びるのが習慣化しているらしい。まあ、葉桜君がそうしているというのはそれだけ平和である証拠だから、トシも注意はしても文句は言っていないようだ。

「なんですか?」
「開けてみてよ」
 包みを受け取った葉桜君が縁側にそれを置いて丁寧に開くのを見ながら、俺も腰を下ろす。

 丁寧に包まれた中から青が見えた瞬間、葉桜君は目を見開いて手を止めて俺を見た。俺は深く頷いて、出すように促す。もう葉桜君はいつもの作った笑顔ではなくなっている。

「……これ……」
「仕上がったって連絡があってね、取りに行ってきたんだ」
 震える手で着物をゆっくりと撫でる葉桜君は、なんて愛おしそうに見ているのだろう。その目に映っているのは、一体何なのだろうか。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。でも、他に理由がありそうだね」
 俺を見ることをせずに、葉桜君はとても愛おしく着物を撫で続けている。

「教えてもらえる?」
 頷いた葉桜君がゆっくりと顔を上げて俺を見た。今にも零れそうな涙を瞳に浮かべながらも、何故か葉桜君は笑顔だ。その瞳から、ほろりと涙がこぼれ落ちる。今まで見たどんな涙よりも綺麗なそれは、彼女の膝に置いた手の甲に落ちて、留まる。

「この色は、父様が私に一番似合うと言っていたんです」
 嬉しそうに父親との想い出を語る葉桜君の様子に、俺は本当に彼女が父親を大好きなんだなとわかった。自分にも娘がいるから彼女の父親の気持ちはわからなくもない。自分よりも人のことばかり大切にしすぎる、こんな娘であれば尚更残してしまうことがどれほど辛かったろう。だけど、彼女の父親は笑って逝ったと葉桜君は語った。

「父様は私に生きること、幸せになること、そして絶対に諦めないことを教えてくれました。今でも私の根底に流れる信念は父様の教えと共にあります」
 綺麗に微笑む葉桜君は今までもどんな表情よりも女性らしくて、そして、どんなものよりも力強い。俺は初めて、葉桜君の行動の理由の一端に触れた気がした。こんな愛しい娘を残していくことを、葉桜君の父親はどれほど悔やんだだろう。

「良い父上だったんだね」
 でも、俺がそう口にした瞬間、葉桜君は急に眉を潜めた。

「父上じゃありません、父様です」
「……え?」
「父上なんて、言葉も交わしたこともないです」
 急激な葉桜君の変化についていけずに目を丸くする俺の前で、葉桜君は丁寧に着物を包みなおした。

「とっくに土方さんか山崎から聞いていると思ってました」
「え?」
「父様は養父です。……父上なんて、顔も見たことなんかないですよ」
 俺を見てにっこりと笑う葉桜君からは、妙な威圧感を感じる。

「えーと、それは……」
 父上について尋ねようとした俺の言葉は、葉桜君に笑顔で封じ込められた。聞くな、と無言で威圧してくるのに、無理に聞こうとは思えなかった。

 てっきりいつも葉桜君が言っている父様という人が実父だと思っていただけに、俺は動揺を隠せない。葉桜君と父様という人の間にあるのは羨むほどに強い絆で、俺も娘とそんな風にあれたらと思っていたのに。

 放心する俺に向かって、不意に葉桜君が綺麗な笑顔を作った。そう、不自然なぐらいに綺麗な笑顔だ。

「着物、有難うございました」
 大切そうに着物の包みを抱えた葉桜君が自室へと足を向ける。俺は何かを言わなきゃと焦るのに、いつものように言葉が出てこない。

「あ、葉桜君っ」
 振り返った葉桜君は不思議そうに首を傾げている。

「……気が向いたら、また誘ってよ。着物を選ぶのは、やっぱり楽しいもんだからさ」
「自分の着物でも他人の着物でも似合うものが見つかると、すごくいい気分になるからね」
 俺がなんとかそれを口にすると、葉桜君は少し考える素振りの後で、こくりと頷いた。

「それじゃあ、またお願いしようかな?」
 たぶんまた烝に言われるだろうし、と呟いている葉桜君はいつもの葉桜君だ。

「ああ、いつでもいいぜ」
 頷く俺に、葉桜君は恥ずかしそうに笑った。あの作り笑顔じゃなく、純粋な女の子の顔で。

 コロコロと表情の変わる葉桜君は見ていて飽きないけれど、さっきのような顔はもう見たくないけど。

(父上と、父様、か)
 葉桜君がいなくなってから、俺は胸中で繰り返した。会ったこともない実父を憎み、育ててくれた男を父様と慕う葉桜君の新たな一面はひどく不安定で、ひどく幼い。その姿はこれまでに見てきたどんな姿よりも、人間らしい一面ではあるけれど、同時に危うく見える度合いが増したように思う。

「葉桜君」
「……まだいたんですか」
 室内からは呆れた声が聞こえて、静かに開かれた障子の向こうで葉桜君は苦笑していた。俺は彼女を手招いて、近くに来たところでその手を掴んで引き寄せる。あっさりと体勢を崩した葉桜君を腕の中に迎え入れ、その頭を柔らかに撫でる。

「っ、危ないでしょー……」
「黙って」
 文句を言おうとした葉桜君を黙らせて、何度も頭を撫でていると、しばらくして深く息を吐かれた。

「今度は何ですか、近藤さん」
「俺の娘もね、こうすると大人しくなるんだよ」
「私は近藤さんの娘じゃありません」
「そうだね」
 ゆっくりと呼吸する俺の胸に頭を預けていた葉桜君は、じきにおとなしくなった。

「……父様も……よく、こうしてくれました」
「そう」
 何かをこらえるように葉桜君は小さく震え、でも、それもすぐに無くなった。

「もういいですか?」
「だーめー」
「じゃあ、力づくで」
 葉桜君が繰り出してこようとした拳を手前で止めて、俺は呆れと安堵の息をこぼす。もうすっかりいつもの彼女のようだ。

「あのねー」
「それじゃ、私はこれから昼寝するんでー」
 軽い足取りで外に出ようとする葉桜君を見送った俺は、すぐ後で追いかけることになった。行き先は壬生寺とわかっているが、問題は他にある。

「葉桜君、だから、その格好で屯所内を歩きまわるなってっ!」
 普段通りだから安心してしまったけれど、そもそも葉桜君は自分の魅力に無頓着なんだった。そんな女らしい格好で男所帯を歩きまわらないでくれという俺に、葉桜君はいつもどおり不思議そうに首を傾げていた。

p.4

(削除テキスト)



 葉桜の部屋はいつでも殺風景だ。二、三着の着物と大小、懐剣、髪を括る飾り紐が二本、携帯用の硯と筆、数枚に纏められた紙束とそれしか持たない。理由は一年ほどの旅暮らし故でもあるが、もともと着飾ることも面倒がるほどなのだ。国許にいる時は周りがそれとなく気遣ってもくれたが、自由になった今、わざわざ新たな着物を買うという発想は葉桜にない。せいぜい血が落ちなくなったり、色褪せたら買い換えるぐらいだ。

「アンタ、いーかげんにしなさいよ」
「だっていらないだろ」
 持ち物が少ないということでよく山崎とも口論する。葉桜からすれば、山崎の物の多さの方が異常なのだが。

「だからって、女姿で出掛ける度にアタシの着物駄目にすることないじゃないっ」
「だからそれは、私にどうこういう前に絡んでくるのに言って…ぐっ…ちょ、烝ちゃん苦し…っ」
 ぎゅうぎゅうと帯で締めつけられ、女姿にされた後で指を突きつけられ宣言される。

「いいことっ、今度から着物汚したらアタシの買ってきてよねっ」
「いや」
「でないと葉桜ちゃんのいない時に、鈴花ちゃんで着せ替えして遊んじゃうんだからねっ」
「なっ、それは!」
 大人しく自分が着替えさせられている意味がなくなるじゃないか、と反論しかける葉桜の隣を通り過ぎ様に囁く。

「じゃなきゃ自前の着物を買えばいいのよ」
 自分の着物ならいくら汚しても怒らないわよ、と。

 そもそも葉桜は山崎に鈴花の着替えをさせないために、こうして女姿にもなってやっているわけで。無理矢理女装させられているのに、それはないんじゃないかと思うのだが。

「…わかったよ、買ってこればいいんだろ、買ってこれば!」
 売り言葉に買い言葉。結局、本日の探索任務の後で山崎の着物を見立ててくる羽目になってしまった葉桜だった。



p.5

(削除テキスト)



 京の町で最近よく見るようになった公家者と思われる女性は、今日もしゃなりしゃなりと道を行く。風に揺れてリリリ…と簪が音を立て、楽しそうに口許を綻ばせて歩く彼女を誰もが振り返る。勇気を出して声をかけてみる者も増えたが、彼女が一言声を発するだけで逃げてしまうのだ。その様子を怪訝そうにしながらも、彼女はまた道を歩く。

 今日はそれほど急いではいないのだろう。手近な茶屋で団子を注文し、席の端に姿勢正しく腰掛けた。店員がそっと団子を持ってくると笑顔で受け取る。その隣に自然とついた男性が手元から一串を取り上げる。

「ただ食いは許しませんよ、近藤さん」
 口を開けて嬉しそうにそれを運ぼうとした手がひたりと止まる。女は何事も無かったかのように、自分でも串を取り上げた。注文したのは二串だけなので、これでお終いである。

「いやだなぁ、葉桜君は俺のために注文してくれたんでしょ?」
「どうして私が近藤さんに奢るような理由が?」
 普段と同じようなのにどこか上品に見えるように団子を口に入れ、一つ食べる毎にお茶を飲む。まあ、それだけ苦手なのだが、苦手でも好きなものでもあるのだ。許容量が小さいだけなのだ。お茶を飲みながらであれば、二串ぐらい食べられないこともない。

「給金は当然近藤さんの方が上ですよね。着物を買ったり、刀を買ったり、島原に通ったりでお金の有り余ってるような近藤さんに、わざわざ私が奢るような理由はありません」
 もう一口と運び、またお茶を飲む。

「もしかして、トシにでもお説教頼まれた?」
「まさか。単にお願いがあってお待ちしていただけですよ」
 ほっとしたような近藤に向かって小首を傾げ、ふわりと微笑む。以前もそうしたときに、とても妙な反応をしてくれたのだけれど、今度もあの時と同じようになった。

「烝ちゃんの着物を見立てて、買ってください」
「なんだ。そんなことでいいの?」
「はい。知っての通り、私は選ぶのが苦手なんですよ」
 安心したように近藤が串を口に運びながら、問う。

「それも賭け?」
「いいえ。いつも汚して返ってくるって怒られちゃって。かといって、私はこういう女物はもってないですからね。今後も烝ちゃんのを借りるにしても、今回ぐらいは買ってあげてもいいかなぁと」
「あははっ、買ってあげてもって言っても買うのは俺でしょ?」
「半分は出しますって。どうせ普段から大したことには使ってないですしね」
 立ち上がり、店を二人で後にする。

「使ってないって。そういえば、着物買ったりもしないよね」
「近藤さんほどじゃありませんけど、刀を買ったり、研ぎに出したりしてますよ」
「じゃなくてさ、女物って非番の時に着たりしないの?」
「着ますよ。ほら」
「それは烝ので、今は仕事中でしょ。自分のは」
「必要ありません。それに、似合いませんってば」
 苦笑して返すと、隣を歩いていた気配が無くなり、葉桜も立ち止まる。どこか怒ったような近藤に首を傾げる。何をそんなに怒ることがあるのか、まったく見当もつかないのですが。

「前々から薄々気づいてはいたけどさぁ、葉桜君、きみは自覚がなさ過ぎるよ」
 近づいた手を取られ、強く握られる。

「近藤さん?」
「決めた。今日は俺が葉桜君に着物を見立ててやろう。これでも見立てには自信があるんだ」
「は!? いや、私じゃなくて烝ちゃんのをですね」
「さて、それじゃいこうか」
「近藤さん、ちゃんと話聞いてます!?」
 半ば強引に手を引かれて歩き、足が縺れる。

「うわ、ちょ、待ってくださいっ」
 転ばないように気をつけながら近藤を見上げると、今度は先程までと打って変わって楽しそうだ。鼻唄でも歌い出しそうな様子に苦笑し、葉桜は観念したのだった。



p.6

(削除テキスト)
(近藤視点)



「おっ、これこれ。これなんか葉桜君に似合いそうじゃない」
 差し出した物に葉桜君が少し目を見張る。烝の着物ほどではないが、瑠璃色の花立涌に控えめだが一羽の鮮やかな揚羽蝶で彩られている少し派手目のそれを見て、一目で吸いこまれるように確信した。彼女のために仕立てられたようだと思った。

 そっと自分にあわせて姿見を見てみる葉桜君の瞳がかすかに潤む。

「これに、します」
「葉桜君の肌の色や顔立ちに合ってるから、見た目以上に可愛く綺麗に引き立ててくれるんだ。見た目が可愛いだけで選ぶと、こうはいかないぜ」
 葉桜君が布地をぎゅっと抱きしめる。

「ありがとうございます、近藤さん」
「…葉桜君?」
 顔を覗きこもうとすると、慌てて笑う。だけど、その瞳は相変わらず潤んだままだ。嬉しいからというだけじゃないとすぐにわかった。だけど、今ここで聞いてはいけないような気がしていた。

「何だかお気に入りになっちゃいそうです」
「おっ、そいつは嬉しいなぁ。男冥利に尽きるよ」
 作り笑顔と分かっていたのに、俺はただ柔らかく笑い返した。

 屯所へ帰ってから、買ったばかりの着物を部屋に置いて、大切そうに撫でる葉桜君に廊下から声をかけてみる。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ。でも、他に理由がありそうだね」
 小さく笑っている彼女の後ろに座すと、葉桜君も身体ごと向き直る。

「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
「教えてもらえる?」
 うなずく葉桜君の表情は自然と笑顔となっているのに、ほろりと涙がこぼれ落ちる。今まで見たどんな涙よりも綺麗なそれは、彼女の膝に置いた手の甲に落ちて、留まる。

「以前同じような着物を父様に買っていただいたんです」
 嬉しそうに父親との想い出を語る様子に本当に、大好きなんだなとわかる。自分にも娘がいるから彼女の父親の気持ちはわからなくもない。自分よりも人のことばかり大切にしすぎる、本当に強くて儚い存在を残してしまうことがどれほど辛かったろうと思う。だけど、彼女の父親は笑って逝った。

「父様は私に生きること、幸せになること、そして絶対に諦めないことを教えてくれました。今でも私の根底に流れる信念は父様の教えと共にあります」
 綺麗に微笑む葉桜君は今までもどんな表情よりも女性らしくて、そして、どんなものよりも力強い。初めて、彼女のその行動の理由の一端に触れた気がする。こんな愛しい娘を残していくことを、葉桜君の父親はどれほど悔やんだだろう。

 引き寄せて囁く。

「良い父上だったんだね」
 声に出さずに何度も頷く様子と、自分の娘を重ねる。俺はあの子に何を残してあげられるだろうか。葉桜君の父上ほどではないにしても、何かを残せるだろうか。髪を撫でると、珍しく素直に寄り添ってくる。普通の女の子みたいな様子に嬉しくなって、抱きしめる。

 しばらくそうした後に、恥ずかしそうに葉桜君が顔を上げた。薄く染まった頬をそっと撫でる。

「気が向いたらまた誘ってよ。着物を選ぶのは、やっぱり楽しいもんだからさ」
 こくりと頷く。本当に、珍しく素直だ。いや、もしかするとこれが本来の葉桜君なのかもしれない。だったら、普段のはどうなんだろう。あれも、やはり彼女らしい気もする。

 まあ、今はそんなことどうでもいいか。

「自分の着物でも他人の着物でも似合うものが見つかると、すごくいい気分になるからね」
 葉桜君が笑ってくれる。それだけで、十分だ。

「それじゃあ、またお願いしようかな?」
「ああ、いつでもいいぜ」
 嬉しそうに彼女が抱きついてきた所で、不機嫌な声がかかる。

「なにやってんだ、あんたら」
「ただいま~、トシ」
「何って、うーん、何でしょう? なんか、近藤さん、父様みたいだったから」
 葉桜君の言葉にがくりと肩が落ちる。トシが軽く吹き出すのを睨みつけていると、するりと彼女から離れた。探索報告をしている姿をにやにや眺めていて気が付く。かすかに葉桜君の耳が赤くなっていることに。

 意識、してくれてはいるのかな。

 そう考えたら、少しだけ嬉しくなった。



あとがき

リクエストのあった近藤さんに着物を見立ててもらうイベントのひまうさアレンジです(?。
そういえば、ヒロインのイメージカラーは多分青系です。濃い青。
葉桜と近藤さんの関係は今のところ親子。
少しずつ変わってはいますけどね。
明日納品なので、今回は会話編まで。
プログラム試験しなきゃ。
(2006/06/14 10:38)


近藤のモノローグの人称を修正
(2006/07/06 15:06)


リンク変更
(2007/08/10)


改訂。
全部近藤さん視点に書きなおしたら、全然違う展開になった。
軌道修正しようとした痕跡が最後のぐだぐだな感じなわけですね。
(いつもと変わらないか……orz)
(2012/07/24)